『クロックらびっと』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:天                

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 僕は思う。
 人は生きている以上、可能性を捨てきることはできないのだろう、と。
 例えば、過去を変える事が出来るという可能性、僕が一番望んだこと。
 だがしかし、過去を変える事が出来ても、それは、未来――つまり現在が変わるということではないのだろう。いくら過去を変えても、現在の自分としての意識がある限り、僕らは過去を変えられない、過去を変えるとは、自らを抹消してしまう行為に等しいからだ。
 そして変わらない過去、変えられなかった過去は、現在へと直結する。
 要は、いくら考え込んでも、僕の頭に重くのしかかる罪悪感を払拭する事は出来ないのだ、過去の罪や残してきた過恨は変わらない。
 僕は、安物シャツに隠された自分の傷跡に目を落とす。
 腹部から胸元までつづく大きな切傷、この傷は、癒えても姿を消すことはない。
 傷跡、だ。
 傷を受けたという証、跡。
 この傷は僕にとっての未来永劫、消えることはない。
『おい、小僧。早くいかんと日が沈むぞ』
 前の方で軽快な、それでいて幻想的な声が響く。
 僕はその声に、ああ、と短く答え、小走りで声の主を追いかけた。
 僕は兎だ、臆病者だ。
 偽善者だ、うそつきだ。怠けものだ。
 だからなんだ。
 傷が消えない事になんの意味がある。
 それは、僕が僕である限り、永遠に変わらない事だ、この――傷と同じ。
 変わらないのだ、なにもかも。
 変わらない、それは、良い事ではないのかもしれない、だが、決して悪い事でもないのだろう。
 それでいいじゃないか。
 僕はふたたび立ち止まり、すでに点灯している気の早い街灯の明りに照らされながら、空を見上げた。
 赤い空だった。
 緩やかに真っ白な雲が流れていく、太陽はすでに半分ほど地平線の果てに沈んでいた。
『いい加減にせい小僧! 貴様が進まねば儂は一歩も前に歩けぬではないか!!』
 片足を上げたまま全身に力を入れている声の主は、しびれを切らしたように言う。
 コイツはいかんせん歩くのが早すぎるな、そう思いながら、声の主に視線を移す。
 コイツも――変わる事が、ないのだろうか。
 僕の何十倍も生きるコイツは、変わった事があるのだろうか。
 まぁそれも……どうでもいい。
 考えるのは――面倒だ。
「悪い悪い、高度に政治的な問題について考えてた」
 僕は言って、一歩足を踏み出した。
 変わらない、一歩。
 これは、決して人類にとって大きな一歩ではないが。
 僕が僕であるよう、生きるための大きな一歩だ。
 生きるための、歩みだ。

◆  ◆  ◆ 
 自分は決してこの物語の主役ではない――と思う。
◆  ◆  ◆
 
 死後の世界について考えることがいくつかあるのだが、今非常に気になっている事が一つだけある。もちろん考えた所でどうという事もない。確かめるためには死ななければならないし、死んだら死んだだけ、意識がふっと消えてしまうようなら確かめるもくそもないのだが。でもやっぱり気なるのだ。
 死後の世界、つまりはあの世で――僕たちは一体どんな姿ですごすんだ?
 すごすというか生きるというか(死後の世界で生きるというのもおかしい話だが)あの世があると仮定した場合、僕らはそこに行くことになり、地獄なり天国なりで生活する事になるんだろう。その時、僕らの姿は一体どうなっているんだ?
 交通事故で死んだりしたら傷つきに傷ついた体であの世に行くことになるんだろうか? いや、それは本当に勘弁してほしい。あの世での生活に支障が出るどころの騒ぎじゃない。生きてるうちにたくさん善い事をして、天寿を全うしてやっと老衰で死んだら、よぼよぼのまともに動けない体で天国に行くんだろうか。それでも不便すぎるのに、そこには自分のようにたくさん死んだ人が居て、悲惨な死に方をしたであろうボロボロズタズタボディの良い人が、すばらしく良い笑顔で「歓迎しますよ」とか朗らかに言ってくるんだろうか。それは確かに天国だろうけれど――死に方次第では目も当てられない、というか見たら吐いてしまうだろう肉体の人もいるわけで、失礼な話だがそんな人がいる時点で、もはやそこは天国と呼べるのかどうか意見が分かれると思うのだが。
 もしくは神様がその神秘的御技でその人の人生における全盛期を再現してくれて、その姿であの世を生きるのか。
 そうだったらいいなぁ、もしそうだったら僕は今すぐここで命を絶つのだけれど。
 まぁ、どちらにしても――どうでもいい考えではあるのだが。
 いや、いけないいけない、どうも僕は面倒な事態に陥るとつい思考するという現実逃避を行うらしい。
 先ず――考えなければいけない事があるじゃないか。
 
 それは例えば。
 この首から大量の赤い液体を流して久しいであろう老婆の死体をどうするか――とか。
 
 ああ、面倒だ――兎角ひどい面倒事だ。
 とてつもなく広く豪奢な部屋の中央で、彼女は椅子に座っていた、僕らがここにきてからいつも座っていた安楽椅子だ。そこから床には一面浅黒い血が広がっており、それは、向かいの壁や天井までも塗りつぶしていた。
 つい数時間前に見た凛とした雰囲気は皆無、両腕はまるで出来の悪い人形のようにダランとしている。血液が抜け、蒼白となった顔面は地面に向き、瞳孔が開ききっているであろう瞳が、真っ黒な床を虚ろに眺めていた。
 そんな異常な部屋の、血で汚れていないテーブルの周りをぐるりと取りか込むように僕らは思い思いの体制でいた。
 壁際、大きな窓の枠に両肘を預け、寄りかかるように僕は立つ。
 考えるのさえ放棄したい――そんな風に思う。
 全身の皮膚に余すところなくべったりと泥がついているような不快感を振り払うように、僕は首の骨を鳴らした。
 ふと、クスクス、と忍び笑いが聞こえる。「……いや、これはこれは本当に義美ちゃんの『名探偵体質』信じる必要がありそうじゃないか――」僕のすぐとなりで、同じく壁に寄り掛かるように立つ少女が言った。眉間には久しぶりに見る深いしわが刻まれている。あからさまな憎々しさを込めて、少女は「私はこの人が思いのほか好きだったのだけれど――いや、まぁそれは置いておこうか……」と言った。
 ゆらりと、少女が壁から体を離す、なおも侮蔑と憎しみを隠そうとしない表情のまま、荒っぽい動作で頭を振る。髪が意志を持っているかのように広がり、まるで――巨大な蜘蛛の足のようだ。
 威嚇というかなんというか、決して僕に対する怒りではないのだろうけど、喉のあたりに刃物を突き付けられた気分だ。
 おどけるように肩をすくめてみた、が。特に意味はなかった。
 僕は仕方なく、黙ってことの始終を見守る。
「どうでもいい事は置いといて、今ここで一番重要なことから話し合っていこう――」
 彼女は部屋の中央に設置された高級感あふれる黒いテーブルに近づき、華奢な体を後ろいっぱいにしならせる。
 そして、手を思い切り振り上げ、振り下ろす。
 バァンッッ!!
 と。
 クラッカーを何十個か一斉に鳴らしたような音が響く。
 その華奢な体躯のどこにそんな力があるのかと思うぐらい、すさまじい衝撃に打たれたテーブルが、激しく軋む、が。壊れなかっただけましだと言えるだろう。
 びりびりと、その衝撃の余韻を聞きながら、丈夫なテーブルだな、何を使ってるんだろうか。と再び僕の頭の中には場違いな考えが浮かんだ、心の底から僕は現実逃避したいらしい。
 そして彼女は、ありったけの声量で吠える。
「人が死んだ!! 殺されてんだよ!! 偶然首が切れるなんてありえないだろうが! てことはだ、犯人が居るんだよ……! この中に殺人犯が居る……! 誰が殺ったのか、ハッキリさせようじゃないか……!」
 明らかに敵意と害意、あとはほんの少しの殺意が混ざっているだろう視線で、僕以外の五人をねめつける。
 その眼光は、人間というより、むしろ動物とか人ならざるものっぽい気がするほどだ。
 あー。切れてる。
 僕が彼女の激情を目の当たりにするのは二年ぶりだ。
 面倒なことになったな、ほんと。
 今まさにブチ切れている少女の名を、『天才』印旛沼六記。
 僕は彼女の――ただ悪友である。

◆  ◆  ◆
 
 印旛沼六記という少女を僕が本当の意味で知っていると言えば、それはうそだろうけれど、僕だって、印旛沼について知っていることはいくつかある。
 それは例えば、性格が悪い、だったり、計算高い、であったり、外見でいえば、華やかとはいかなくとも美麗、きている服からなら、喪服、黒色、不吉、身体の話をすれば、病弱、非力、である(この言葉に偽りはない、印旛沼曰く、『力の大きさなんてものは体の動かし方一つでどうとでもなるものだよ、限界あるけれどね』である)だがしかし、それはそれ、そんなことを語ったとして、印旛沼の本質を少したりとも理解は出来ないだろう。僕から言わせてもらえば、それは――そう、食べ物に味を求めず食感をもとめるような愚行だろう。
 なにか意味のない比喩になってしまったが、やはり僕はそうなのだと思う。印旛沼の、彼女が彼女である所以はやはり、その異常性にあるからだ。いい意味でも悪い意味でもゆがんだ価値観と正義感。それらを束ねる出来のよすぎる頭脳。
 人と違うことこそ人の本質と、彼女自身は息巻くが、印旛沼は決して回りには適合できないし、しようともしない。かといって一人でいることも好きではない、重度の構ってちゃんである。本当に困りものだ。
 まぁあまりに言葉を並べ続けるとほぼすべてが僕の愚痴になってしまうのでここらあたりでひかえておこう。日本人のボキャブラリーの中には大切な言葉が数多ある、自重。
 
 だがしかしまぁ、印旛沼の憤怒ほど、僕が恐れているものはない。なぜならそれは、その憤怒の矛先がどこに向けられていて、どう貫くのかが、一切解らないからだ。ゆがんだ価値観というものは、確実にではないがゆがんだ行動の原動力となることを僕は経験でしっている。
 よってまぁ、ここで僕がするべき行動は一つであって。
 ――全力で、あくまで刺激しないように、絶対に矛先がこちらに向かないように宥めることだ。
 僕は、体がうっすら冷や汗をかくのを感じながら、ゆっくりと壁に窓枠に預けていた背中を離した。
「とりあえず落ち着けよ、名探偵ごっこでもするつもりか? お前は」
 印旛沼は、なおも机に手をついたまま、くるりと首だけでこちらを見た。
 正直びびった。結構ホラーである。
 ホラーと言えば近頃その類のものに一切触れていないような気がする。いや、興味がないのだから仕方がないしどうでもよいのだけれど。
「ウサギくん」と、印旛沼がいつもどおりの涼しい声で、僕のあだ名を呼んだ。「真似事なんかじゃぁない、私は、犯人を見つけるよ」
 その言葉に、ブッと嘲笑のようにふきだした者がいた。僕らから向かって正面の椅子に腰掛けている長身の少年だ(といっても高校の一年から三年ほどの年齢の者しかいないこの中ではあまり意味がないのかもしれない)この中で一番の年長者、名前は確か、四条――前吉だったか。
「なにか言いたいことが……?」
 再び印旛沼の声音が恐ろしい色を帯びる。
 彼は本当に余計なことをしてくれたような気がする。
「いやっ、わりぃわりぃ、悪気はねぇんだよ。ホント」四条さんは印旛沼の双眸にい抜かれてなお、平静で、特に慌てるでもなく謝った。「でもよ、俺はそっちの――えー、わりぃ名前忘れた。アンタの知り合いと同意見だぜ。アンタさぁ、今どういう状況かわかってんのか?」
 声音には明らかに嘲笑の色が混じっていたが、彼の言っていることは概ね正論である。
 それに僕も言おうとしていたことだ。
 が、がだ。
 僕は今、よく解らない、一種の疎外感のようなものに包まれている。これは、時間をさかのぼって二年ほど前、僕の生活を満たしていたものと似ている。
 問題は明白過ぎて言うにはばかるほどであるのだが。
 それは違和感であり、なんともいえない――不快感。
 なんでこの場にいる全員が、こんなに平然としていられるのかという当然の疑問である。 
 今現在ここにいる人間は、死んでいる百合子さんを除き、七人。僕は今までの人生で二度酷い人死にを見た経験があるし、一度は印旛沼だって一緒だった。だから僕は少しでも平静を保っていられるし印旛沼も(腕っ節の関係もあるだろうが)激情こそあれ恐怖や不安を感じていない。また、自称『名探偵体質』の義美ちゃんも少なからず人の死に触れていると考えていいだろう。けれど、僕ら三人を例外として除いても、ここにいる生きている人間はみな高校生のはずだ。女の子もいる。
 こんな、推理小説のようにふってわいた殺人に恐怖せずにいられるとは思えない。
 はずなのに。
 動揺している者が一切いないとはどういうことだ。
「あの」僕らの会話に、百合子さんの死体を発見してから一切口を開いていなかった水戸部花実さんが割り込んだ。「いい加減にしてくれませんか。こんな所で争ったってしかたないでしょう」
 言いながら、彼女は座っていた椅子からゆっくりと体を起こした。
「それに、探偵どうこうの前に、私達にはするべきことがあるでしょうに」
 水戸部さんは、侮蔑の表情を浮かべ、百合子さんの死体を指差す。
「――アレ、どうしますの?」
 面識の少ない人物とはいえ、人間の死体を指して、アレ、ときたか。
 見かけは清純そうなのに、ずいぶんと肝が据わっている様子だった。
「とりあえずは動かせねえよ、警察が色々調べるだろうかんな。……ていうか――」ニヤッといやらしく笑い、四条さんが顎でもって窓を指す。「――警察これんのかよ?」
 そうだ。
 これもまたまさに、小説のような展開なのであった。
 そう、僕らはまさしく、孤立していた。
 僕らの現在位置は日本の北端、北海道。もっと詳しくいうなら、北海道、三善ヶ峰総合商社の私有地、峻厳山の麓、陸地にありながら孤島というに相応しく、秘境というに申し分ない――樹海の奥地である。
 そして、天候は雨――否、天候の種類では雨なのだろうが、山の不安定な気候(というかむしろ峻厳山特有の厳しい気候であろう)が相まって、その様子は嵐の様相を呈していた。木々の小枝が折れ、三善ヶ峰邸の壁にすさまじい威力でたたきつけられている。風速階級でいえば、八。疾強風であろうと思う。三善ヶ峰邸の強度のおかげでそれほど恐怖は感じないが、普通の住居であればまず間違いなくある程度の被害をこうむるに違いない。外に出ても徒歩ではまず進むことさえ出来ないだろう。
 したがって、警察に通報しても、到着はこの風雨が過ぎ去った後、ということになる。
「……ハァ……」
 三戸部さんが露骨にため息をついた。見た目に反して周りを憚らない性格なのだろうか、それとも少しなりとも動揺しているということなのか。それは解らなかったが、四条さんの言葉により、また場が真っ黒に塗りつぶされるように重くなったのは確かだった。
 そりゃあ、死体と一つ屋根の下なんて、誰だって気分が良いわけがない。
「…………?」
 そんな中、ふと印旛沼のほうを見ると。何故か表情が憤怒から疑問に変わっていた。四条さんの言葉に何か引っかかるところでもあったのか、それは、子供が道端の生き物を眺める表情に似ていた。
 その時、場違いに暢気な欠伸をしながら、義美ちゃんが部屋から出ようと、ドアの方に歩いていた。
「……どこにいくんだい。義美ちゃん……」
 印旛沼が、あらぬ方向を見ながら言う。興味がないのか、口調はかなりどうでもよさそうだった。
「すみませんけど、私は部屋に戻って寝ます。よろしいですよね……」
 ドアノブに手をかけ、悲痛な表情で言った。
 義美ちゃんのほうも見ずに、印旛沼は。
「……かまわないよ、悪かったね」
 と言った。
 すさまじい違和感に、僕は思わず顔をしかめた。
 印旛沼の思考の先が完全に別にベクトルに向いたのを感じる。
 実際、その考えは当たっていたようだった。
 ――てくてくと、印旛沼もドアに向かい、景気よく開け放ったのだ。
 そして、最高の笑顔で。
「――皆様方も、すまないことをしました。少しばかり興奮してしまって。長らく拘束してしまって申し訳ありません。是非ともご自由に。いい夜を」
 それは、言外に『出て行け』と言っているようにさえ思える、最高の営業スマイルだった。


 
 

2010/10/24(Sun)16:27:39 公開 /
■この作品の著作権は天さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも、初投稿となります、天といいます。
出来る限り面白くしていきたいです、ということで、批評の方も、もうバンバンお願いします。
出来れば最後まで書いていこうと思います。
どうもひとつよろしくお願いします。

感想等により、話し自体が根本から変わったり、消して修正したりする場合があります。ご注意ください。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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