『夏の日差しが強すぎて』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:目黒小夜子                

     あらすじ・作品紹介
憧れの“兄ちゃん”に置いてけぼりをくらわされた愛葉(まなは)と、兄ちゃんと入れ替わりで入ったバイトの後輩、“山美人”こと本田まい。兄ちゃんに甘やかされていた愛葉は、山美人の参入により“姉ちゃん”にならなければならない。

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 夏の太陽が、葉っぱの隙間で光る。ジージーと濁った声を出すあいつらは、樹の幹にでもへばりついているのか。
 夏なんて嫌い。暑くて、キラキラしていて、憧ればかりが頭上を去る。そのくせ、終わる前に寂しくなる。“待ってよ、まだ終わってないのに”なんて。一体、何をやりたくて夏を過ごそうとしたのかもわからないくせに。

 お気に入りの散歩道には、うさぎとかめの橋がある。橋の両端に、うさぎとかめの像が、それぞれ一体ずつあるのだ。その真ん中で、橋の下を見下ろす。空との境界で見えなくなる場所まで、一面の田んぼが広がる。ここだ。昔、兄ちゃんが言っていた。
「俺さ、ちょっとここ、離れる」
 今でも耳に残っている。置いてけぼりをくらわせた、兄ちゃんの言葉。

 うらぎりものー。なんて呟いた声は、車の音で掻き消えた。ボヤボヤなんて、していられない。たこ焼き屋に行かないと。ダメ店員が二人でパニクってるから、引き継いでやんなくちゃいけないのだ。

 橋を歩く。兄ちゃんを思い出す。歩く。兄ちゃんを思い出す。たこ焼き屋まで歩く。兄ちゃん。たこ焼き屋が目の前に見える。……さぁ、バイトでもするか。
「おつかれさまでーす」
 と入ると、ダメ店員が二人でしゃべくり、笑っていた。お店もガラガラだ。なんだ、遅刻してくればよかったよ。
「愛葉ちゃん今日早いねー」
「はい、ちょっと」
 ちょっと、の続きは、兄ちゃんを思い出していたから。ギリギリの時間まで、真昼の太陽と一緒に橋に居るのも悪くない。だけど、兄ちゃんを思い出す私は、ちょっとだけ感傷的なのだ。泣くとブスになるから、笑ってた方が良いよってね。あ、ちなみに補足だけど、兄ちゃんって、きょうだいの兄ちゃんじゃないよ。私ひとりっ子だもん。昔、このたこ焼き屋に居た、ダメ店員三人衆のひとりのこと。仕事ができるダメ人間は、兄ちゃんだけだった。

 今日だってほら。たこ焼きのネタと、ネギと紅生姜がカラッポに近い。あの二人組みめ、店がガラガラなんだから、ネタくらい仕込んどけや。とツッコミを入れてあげたくなる。つくるのめんどくさいのに……。

 たこ焼きを求める客に、流れ作業のようにたこ焼きを売る。本当に、しゅわしゅわ炭酸の抜けたサイダーみたいなもんだね。夜になって、星が小さく輝く頃、私と店長も犬小屋みたいなたこ焼き屋を後にした。
 兄ちゃんが居た頃は、仕事が終わるといっつも送ってくれた。ボロボロのバイクの後ろに跨って、空に広がる星を眺めながら、家の近くで降りた。それが今では思い出なんだから、ぽっかり穴でも開いた気分ってやつだよ、まったく。
 兄ちゃんが辞めたせいで、バイトは大変。兄ちゃんの居た時間帯を店長が身を削って穴埋めして、猫の手でも何とやらの状態。こんなにバタバタするのに、こんなに大変なのに。それでも時々思い出す。今頃、あのバカは何をやっているんだろう。どこかの空の下で、私と同じあの星でも眺めているのかな? まさかね。とりあえず、帰って来たらしかとしてやる。……まあ、状況によっては許してあげるけど。


「神谷くんが居なくなってから、きつくなったねー本当に」
「本当、こんなに大変なのに、あいつ何考えてるんでしょーねー」
 ある日、店長のぼやきに付き合いながらたこネタをつくる。すると、思いついたように店長が言う。
「そうだ。新しいバイト、探そっか」
 愛葉ちゃん、いい子居ないの? と勢いよく頼まれるが、そこは即答ですよね。居ないもんは居ない。店長ががっかりしても、居ないんだから。でも、バイト募集の張り紙を張っては嬉しそうに微笑む店長。どうやら本気らしい。兄ちゃんが居なくなった穴埋めか。そんなことできる人、居るのかなぁ。

 それで入って来たのが、本田さんである。十六歳の現役女子高生。脚がきれい。ダメ人間二人組も早速くらいついている。そりゃ食いつくよね、美人だもん。田舎はブスばっかりなんて思ってたけど、山の中だろうが美人は居るのだ。もし兄ちゃんが居たら、きっと鼻の下のばして、携帯の連絡先教えてだのどーだの話すだろうな。
「あの、水原さん」
 と、山美人が声をかけてくる。
「今日、よろしくお願いします。仕事早く覚えたいし、いっぱい教えてください」
 山美人のビューティースマイル。決まったね。このスマイルで、例の二人組のハートも大接近ですよね。かく言う私も、美人にかわいくお願いされるのは、悪い気がしない。だから教えてあげた。たこネタの作り方。皆も知りたい?

「つくるの簡単だよ。まず大きな寸胴にね、卵と水を入れるの」
 山美人は、マニュアルを観ながら必死にメモをとる。いや、マニュアル通りで全く問題ないんだけど、わざわざメモしなくても……まぁいっか。
「そんでね、泡だて器でかき混ぜるのね。やってみ」
 泡だて器って、家庭用のじゃないよ。だってこの寸胴、山美人の身体と同じくらい大きいんだもん。家庭用の泡立て器でかき混ぜろなんて言ったら、鬼だよね。きちんとした業務用のかき混ぜ器があるのだ。電動式のやつね。スイッチひとつで、高速で回転するやつなの。
「で、次は、“のり”を入れるの」
 “のり”は、店長手作りのスペシャルだ。出汁粉と、青海苔と、乾燥した小エビを、マニュアル通りの量を量ってパックしたやつね。山美人は袋に入れられたそれを手で空けようと必死になっていた。はさみで開けようよ。無理に開けて、ポテトチップス散乱状態になったら、シャレにもなんないし。

「次は粉ね」
 粉。それは、うちのたこ焼き屋専用の粉。たこ焼きミックス粉ともいう。それをまた、マニュアル通りの量を入れて、かき混ぜるのだ。それだけ。
「簡単でしょー」
 と笑うと、山美人は“はあ”とか“むう”とか言いながら、必死にたこネタと格闘していた。あれ、これってそんなに難しかったっけ? とりあえずそんな感じで、私は山美人に指導したってわけだ。
 それにしても、山美人は全然覚えない。いや、覚えるっていうより、上手にできない。多分不器用なんだ。これじゃ、とても兄ちゃんの代わりになんか……なんて思う私がバカか。だって、山美人にとっては初めてやることばっかりなんだもんね。

 山美人山美人いってるから、そろそろ本名忘れたでしょ。本田まいちゃんだよ。二人組みは陰で“まいまい”ってあだ名つけてるみたいだ。まいまいねー、かわいいじゃん。私の中ではまだ山美人だけどね。

 今日は、山美人がたこ焼きを焦がした。すぐさま店長が、山美人を売り娘に戻した。今度は山美人がたこ焼きを一個落とした。すぐさま店長が一個追加した。山美人がソースの入った壷をまるまるひっくり返した。……さすがに店長もがっかりした。山美人も泣きそうな顔だ。二人ともキャパ超えしちゃったねー、なんて平和に見守るのは私だけ。

「店長だいじょうぶー?」
 陰でこっそり聞くけど、店長は頭を掻きながら“いやーまいった”なんて言っている。がんばれ店長。
「本田さん、見た目はキビキビ動けそうなのに、結構ドジだねぇ」
 しょーがないよ。なんて言いながらも、心のどこかで“あ”と思う。今までも、こんなことがあった気がする。いつ、どこで? もう一人の私は、きっと知っている。

 二年前の夏。初めてたこ焼き屋に入った私が、プチ事件を起こした。輪ゴムと青海苔を店の床にばら撒いてしまった事件。ばら撒き事件でもいーよ。あれも相当焦った。今の山美人みたいに、泣きそうになったっけ。そうしたら、兄ちゃんが笑いながら片付けてくれた。
「俺なんて、作ったばっかのたこネタひっくり返したことある」
 って言いながら。アルバイト、皆が通る、ばら撒き事件。字あまりじゃんね。くだんね。

「片付けはいーから、新しいソース仕込んどき」
 って言う私に、山美人はますます泣きそうになる。あそっか、私、笑ってないじゃんね。
「皆が通るから。ばら撒き事件」
 そう言って笑うと、山美人もほっとした顔で“すみません”って言った。私のスマイルよりかわいい泣き顔とか、さすが山美人。笑顔は平等とか言うのに、これじゃ反則じゃんね。

 とにかく、そんな山美人。失敗したって許される、若くてかわいい女の子。今までは私がその位置だったのに。歓迎会とかやりますよね。主にあの二人組みが。
「まいちゃんの歓迎会とか、やろうと思うんだけどー」
 たこ焼きを焼きながら、二人組みのネコくんが言う。
「いんじゃない」
 と言う私に、もう一人のキツネが言う。
「愛葉ちゃん来る?」
 よく晴れた昼下がりだった。こういう日は客が来ないんだよな。暑いからたこ焼きなんて食べないってね。客でも来れば上手く回避できるのに。
「行くー。皆でやろーよ」
 って言うしか、ないじゃんね。でもあいつら、ずるいんだよ。私が行くとか言ったあとで、
「神谷さんも誘うべ」
「だな」
 とか言った。え、じゃあ行かない! なんて、子どもみたいに言えないよ。来年二十歳になっちゃうのにさ。
「いや、兄ちゃんはもううちの人じゃないし……」
 なんて言う私。二人組みが黙って、たこ焼きの焼けるじゅーんって音だけが響いちゃう。あ、うーん、気まずい。
「えーでも」
 なんて言うネコくんを、キツネが引き止めた。キツネの方が、ちょこっと頭良いんだよね。勘が良いってかさ。この時はそう思ったのに、やっぱりキツネもこずるいダメ人間だよ。

 私の肩に手を回すなり、
「たこ焼きで勝負するか」
 とか言ってくる。困惑する私に一言。
「俺が勝ったら、神谷さん呼ぶべ」
 いやいやいや、意味がわからない。しかもルールがむちゃくちゃなんだよ。二十分間でいくつたこ焼きを焼けるか勝負するんだって。キツネが位置につき、ネコくんが私にひっくり返す針を渡す。私なんて、たまにしか焼かないのに!
「お前タイムキーパーな」
 とキツネ。ネコくんがストップウォッチを持って“オッケーィ”なんて言ってる。誰か、このバカ共を止めてくれ。

 でも、始まったらやるしかないよね。高校時代のスポーツテストとおんなじ。いつもはやる気なくても、そこだけは頑張るぞってね。
「焼き入りまーす」
 勢い良いキツネの声と、たこネタが鉄板で焼ける音。あいつめ、もう冷蔵庫にたこの入ったバットを取りに行った。負けじと私も冷蔵庫へ急ぐ。ネコくんのにやける顔が目に入る。すぐに意味がわかった。
「はい、たこ天かす入りまーす」
 キツネの野郎。たこの入ったバットだけじゃなくて、天かすの入ったバットも一緒に持って行ってたか。私が鉄板の丸い穴にたこを入れる間に、キツネはたこを入れ終えて天かすを撒いた。天かすのバットを取りに急ぐ私に、キツネが“ほい”と天かすのバットを渡す。くそう、こいつのお下がりか。
「紅生姜ネギ入りまーす」
 天かすを撒いた私も冷蔵庫に急ぐ。次こそは、紅生姜とネギの入ったバットを取る。だけじゃないってね。だけじゃないってね、キツネよ! すかさず、たこネタの入った寸胴も、自分の焼き台の近くに持っていく私。ネギを撒いたあとって、もう一回たこネタを入れるのが、うちのセオリーなんだな。
「あ、せこいぞ愛葉!」
 背中でキツネの言葉を聞き流す。紅生姜とネギを冷蔵庫に仕舞うキツネが、私の焼き台までわざわざたこネタを取りに来る。へっへ、タイムロス稼げた。いつもよりちょっとだけ遅い
「返し入りまーす」
 の一言を満足げに聞いた私も、キツネにつづき、返しのたこネタを入れた。まぁ、結果は惨敗。いつもいつもダメ人間って罵ってるけど、本当はキツネとネコくんもよく出来る“焼き”なのだ。あ、“焼き”って、たこ焼きを焼く人のことね。売り娘は“売り”っていうんだよ。
 結局、山美人の歓迎会には兄ちゃんを誘うことになり。残ったものは、私の敗北感と、大量にロスされることとなるたこ焼きたち。ネコくんが遊んで、ひとつのパックに、三十個くらいたこ焼きを乗せた。あほか。キツネが腹を抱えて笑ってる。
「お前、それ、何だよその……独身男性詰め合わせじゃねーかよ」
 やばい、こいつツボってる。仕方ないから、私も鼻で笑ってあげた。少し遅れて、山美人がビューティースマイルを送りながら入ってきた。キツネとネコくんはもうでれでれ。なんだかどうでも良くなってきた私が、店をあとにした。


 山美人の歓迎会は、チェーン店の飲み屋で行った。年齢確認が必要ですって言われない店ね。いつものメンバーから、店長が引かれて、かわりに兄ちゃんがプラスされている。男の店長ってさ、男のバイトから好かれない生き物みたいね。兄ちゃんは、私を見るなり“久しぶりじゃん”なんて笑っている。ふん、しかとしてやるんだもんね。びっくりした兄ちゃんが、キツネに“何があった”なんて聞いている。原因は、お前だ! キツネも“まーいろいろあったんですよ。ほら、まいまいがかわいいから、嫉妬したりね”なんて。兄ちゃんが納得して頷く。そして、私に一言。
「大丈夫だよ愛葉。お前のこと皆好きだって」
 悔しそうな顔をする私に、兄ちゃんとキツネが笑った。なんか悔しい。
「そうだ、まいまいが愛葉ちゃんのこと、神様とか言ってたよ」
 グラスのビールに口をつけて、キツネが言う。今度は、驚いた私が兄ちゃんと目を合わせる。酔ったのか、キツネが山美人の真似をする。
「水原さんはぁ、私が失敗した時もニコニコしてて、フォローしてくれて。本当に神様みたいなんですぅ。ってさ」
 こんなキツネはレアだ。ちょっと気持ち悪い。
「愛葉が神様かぁ。成長したなーお前」
 兄ちゃんがタバコに火をつけながら笑った。いつもなら“禁煙しろ”ってツッコミを入れるところなんだけど、今は驚きの方が強くて、そんな気にもなれず。ただただ、私のグラスの上で小さく発泡しては消える泡を眺めていた。コーラの中の炭酸って、夜空に打ち上げられる花火に、ちょっとだけ似ていると思わない?

「もう、俺がフォローしなくても大丈夫じゃん」
 私の髪の毛を、兄ちゃんの手がぐちゃぐちゃにした。ほろりと、言葉が出てきてしまう。
「大丈夫じゃない。兄ちゃんが居なくなって、寂しかったんだよ」
 俯く私に、ほらほら泣かないって言うのはキツネだ。
「愛葉ちゃん、甘えんぼなのによく頑張ってるじゃん。愛葉ちゃんの兄ちゃんは神谷さんだけじゃなくて、俺たちだってそうなわけだし。俺たちも愛葉ちゃん支えるから、愛葉ちゃんもまいまいを支えてあげてよ」
 お前が言うなよ。と言いたくて、嬉しいけどおかしくて、涙を流しながら笑った。
「愛葉も、いつまでも末っ子じゃないな。次はまいまいのお姉さんか」
 兄ちゃんの一言で、はっとした。私が兄ちゃんにしてもらったように、私も姉ちゃんになって、山美人を支えなくちゃいけない。遠くの席で、初めてのカシスオレンジを飲んで、爽快感と目が回るのとで格闘している山美人。ネコくんの横で“むう”なんて言っている。だめだあいつ、やっぱりかわいい。

 カナカナ鳴くあいつらの声がしなくなり、憧れと一緒に夏が過ぎようとしている。このろくでもない兄貴二人組みと、かわいい妹のまいまいと一緒に。私はたこ焼き屋で、今日も適当にたこ焼きを売る。

2010/08/03(Tue)02:43:18 公開 / 目黒小夜子
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■作者からのメッセージ
正直に話すと、タイトルがつけられなかったのはこれが初めてです。それだけ、テーマが決まっていないということだったのか。とにかく、夏が来ると日焼けするじゃんね。日焼けで炎症おこして、肌がボロボロに剥けちゃう人って、いるじゃんね。皮が剥けるって、成長する時に使う言葉であるじゃんね。そんな勢いでつけた、むちゃくちゃなタイトルです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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