『マージナルマン』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:ひつじ                

     あらすじ・作品紹介
境界線に立つ僕が出会ったのは、僕だった。

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 望まない現実があったとする。報われない自分がいたとする。じゃあ僕は、その現実の自分を一体どうするだろうか? 冷静に対処する自信も無くはないが、ある訳でもない。
 考えているうちに朝がきてしまった。世の中は動き始めるようだが、僕は布団の中から出られない。下から母の声が飛んできたが、聞こえないふりをして眠りに入る。眠っている間には僕の中に現実なんていうものは存在しないのだ。おやすみ。
 ――と、言ったが完全に落ちる事は出来ず、心の中で自問しているうちに時計の短針は9を指した。
昨日までの日常ならば学校へ行って授業が始まっている頃だ。今、僕の席はぽっかりと空いているのだろう。隣の席の人は僕のことを何か思うだろうか。

 高校に入って二年と少し経ったが、欠席したのは今日が初めてだった。別に熱があるとか風邪をひいた訳ではない筈だが、だるい。その理由は簡単だった。僕が好きだった、昨日までの日常が今の現実に無いことだ。

 望まない現実がある。報われない自分がいる。
 這い出るように布団から出て階段に足を出した時、にゃあと鳴く声が聞こえた。真っ黒なしっぽをぴんと立てて僕の足にすり寄ってくる。
「おはよう」
 この猫にツナコという名をつけたのは僕だ。眼が開いていないと一瞬何だか分からない程に黒いから、「まぐろ」という名をつけたかったのだが母がもっと女の子らしい名前が良いと反対した。まぐろを英語にしてツナ。こんな殺気だったような色して女だという事なので「子」を付けた。
 僕は今までにこいつになりたいと思ったことはない。いくら毎日寝てられて、好きなときに食って走り回って、自由奔放だとはいえ、今までは僕はこいつと違う生き物だと自分で知っていたからだ。だけど今ツナコに見上げられて、僕はこいつになりたいと思った。家で寝てても、周りでツナコに対して何かを思う奴はいない。僕は猫になりたいと初めて思った。
「お前は人間になりたいって思ったことあるか?」
 僕の質問に答えもせず、ツナコは満足そうに階段を駆け下りていった。
 声に反応ぐらいしろっつの。

 昨日まで毎日被っていたよれよれの帽子が抜け殻のように投げてあった。これが僕の日常だった。
 ――お前って、水泳部なのに肌白いよね。
 なんてことを中学時代に言われ、悔しくなって高校に入学してからも部活という形で水泳を続けた。あの選択は僕の人生17年の中で最大の成功だったに違いない。純粋に楽しかったからだ。部活をやってるから勉強出来なくても仕方ないだなんて言われるのが嫌で、定期テストだけは切り替えてやってた。僕には特に秀でたものはないので、いつも順位は中間だったけど。
 県大会敗退。何を期待してたんだよちくしょう。ここまで来られただけでも自分の中では快挙だろう。
 部員が少ないから団体戦は出られなかった。去年までの先輩たちは出ていたのに、僕たちだけ出られなかった。これだけでも悔しかったから、絶対個人で全国行ってやろうなんて誓ったのになあ。部員、三年二人と一年が一人ってどんなだよ。高校って、部活するところなんじゃないの?
 頭の奥がきゅーんとした。結局中学時代からあまり焼けていない自分の腕を見て、唇を噛んだ。
 部活が終わったら、何だ。受験か。

 僕の高校は私立の進学校だ。野球部とソフトボール部が強豪で、演劇部だったかも全国大会へ行くらしい。とは言っても進学校だ。僕は来年大学生になることを強いられる。
 大学、大学ねえ。僕は欠伸をしながらテレビの電源を入れた。
 また少年犯罪のニュースが特集されている。昨日見たものとは別の県で起きた事件だった。明日はどこで起こるのだろう。こいつらは一時的な感情に流されて一生を台無しにするんだ。そして大切なものを失うんだ。そりゃ僕だって一時的な感情が芽生えることは多々ある。白い拳を握りしめて我慢することもあれば、人並みに苛立ってものに当たることも過去になかった訳ではない。だからと言って報道される程大それたストレス解消はする勇気は湧かない。そういう意味で、僕は世の中の弱者なんだろうか。
 張り付くように暑いので、クーラーを付けようとしたのだがリモコンが見あたらない。その代わりに先日学校で渡された大学案内が僕の目に留まった。くそ、今一瞬忘れかけてたのに。

 背後でツナコがまた一つ声をあげて、壁に爪研ぎし始めた。
「こらっ!」
 僕が床をばんばん叩くと驚いたように足を回す。鈴が床とぶつかりかちゃんと音をたてた。どっかで横になってんだなと思い、僕は大学選びと大きく書かれた冊子を開いた。

 高三の初夏。まだ志望校を決めていない僕は先生の心配の種なんだろう。やりたいことはある。将来の夢なんてのは語れないけど、英語はそこそこできるほうだし、わりと好きだ。読書することも嫌いじゃないので、英文学という分野が当てはまると思う。かと言って、そればっかりやっていたら嫌になるかもしれない。それが出来たから何か満足感や達成感を得ることも無い。
 ううん、自分でも意味が分からなくなってきた。
 先生が薦めてくる大学は知識が細々しい僕でも知っているような有名私立大学ばかりだ。周りの連中は国立がどうだの話していた。何が違うかと聞かれたとしても、今は答えられそうにない。
 知名度は必要なのか?偏差値は低いとだめなのか? 僕としては、受けたい授業があればそれでいいと思う。そこにやりたいことがあればいいと思う。
 何故だか僕は動き出したくなった。どこかへ行こうと立ち上がったが、その裏に学校という言葉はあげられなかった。



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 一人になれる場所がいいな、と、雑踏の中をくぐり抜けもうすぐ撤去されるらしい歩道橋を渡って河川敷へ来た。ぼーっとするのにふさわしいのはここだろうと考えてはいたのだが、いくつも橋が架かっているので車通りも激しい。案外と静かではなかったのだが、妥協するのも苦痛にはならなかった。
 僕は芝生を覆って横たわった。すると、ふっと身体の力が抜けて地面にべったりと密着し剥がれなくなった。
よく覚えていないが、この時までは僕自身あまり驚きの感情は無かったので不思議だとは思わず、ただ流れゆく非日常、そして動かされている日常を見ていた。今は気持ちが良い。みんなが学校で大人しく並べられた机に息苦しく座っている時に、僕は大の字で大空を仰いでいるんだ。みんなは束縛されているのだけど、僕は自由なんだ!

 僕は目を閉じて空を見た。何も見えないのに明るい。これだけ日差しがあれば日焼けもできるだろうなと小さく思いついた。清々しい清々しい。

――でも。僕は一体どっちが好きなんだろう。
 僕は昨日までの日常が失われたので気分を損ねた。手放したくないと思っていた。それは今も変わらないはずだ、僕は水泳が好きだ。だけど今こうして高校生活初めてサボりをして、自由気ままに寝転がるのも悪くない、いや、好きだ。二つは極端だけれど、どちらも僕だ。

 考えた瞬間だった。突然目に大きなゴミが入るような激痛を感じた。
「!!」
 痛いと声を出したつもりだった。それは僕の耳には聞こえなかった。目をこすろうと思っても、腕が地面に張り付いていて動けない。
――なんだこれは!どうなってんだよ、 こんな所で金縛りか!
「さて、それではこれから僕の言う質問に対して率直に、真面目にそして正直に答えなさい」
 え?
 僕の足元のほうで、落ち着いた声がした。聞き覚えがある、これは誰だ?目の奥が点滅して見える。いや、見えないのだけど……微生物のようなものが僕の眼球を食い荒らそうとしているかのようだ! 痛くて開けられない、これは誰だ!

「はい、答えます」
 全く同じ喋り方、そして全く同じ声がもう一つ別の位置から聞こえてきた。僕の背筋は氷を入れられたようにざっくりと寒くなった。
 この声。――僕だ。
「君は自分が好きですか?」
「普通です。他人に自慢できるような能力はないけど、自分の好きなことをしているつもりだし、かと言って上手くはないし、あと見た目も格好いいなんてあまり言われないし、かと言って周りから嫌がられるほどではないので」
 僕の声は僕の声に質問をする。そして僕の声が答えている。夢か?夢を見ているのか?それにしては僕は眠った記憶はない。夢を見ているときって、これは夢だって分かるじゃないか!背筋が凍ってひび割れてしまいそうだ。
「君は自由ですか?」
「いいえ、自由ではありません。束縛されたくないので、自由になりたいです。だけど、自由ばかりだと不安なので、束縛も必要です」
「君は大人ですか?」
「未成年ですが、人間的には十分大人です。子供扱いされたくありません。だけど未成年なので、世間的には子供です」

 ここで、声が途切れた。
 ……なんて曖昧なんだ。
 嫌いじゃないけど好きじゃない、自由じゃないけど束縛が欲しい、子供じゃないのに大人じゃない。
 よく分からないけど、もしこの僕が同じ質問をされたらこの声と全く同じ答えを出すんじゃないかと思った。だがこれは客観的に見て曖昧だ。どっちつかずのままじゃないか。
 頭の奥の奥に、全力で泳ぐ僕の姿が見えた。その隣に、受験勉強に追われる僕とクラスメイトが見えた。
 そしてその先には、大学生になった僕がいた。仕事に追われている僕がいた。上司に怒られている姿も見えた。

「猶予期間を与えます。右へ行くか左へ行くか、つまり進むか戻るか決めてください」
 僕の声がした。
 僕は立ち上がっていた。足元を見た瞬間、地面に亀裂が入る。もうすぐここは地割れする。僕はここにいられなくなる。


 左には、自由はあるが光が無かった。右には、自由はないが光があった。
 僕は未だに動けない。もうすぐここは地割れする。それは数年後かもしれないし、明日かもしれない。

      
                                          
-END-

2010/06/13(Sun)19:48:26 公開 / ひつじ
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■作者からのメッセージ
初めまして。
高校生の時に書いたものを若干手直ししながら載せてみます。
お暇なときに読んでみてやってください。
よろしくおねがいしますっ!

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