『マスカレード』 ... ジャンル:恋愛小説 リアル・現代
作者:コーヒーCUP                

     あらすじ・作品紹介
 自分の本性は誰にも見せず、ひたすら自分という人間を演じ続けている女子高生のアイザワはあることがきっかけでクラスメイトの北森と親交をもつことになる。そして北森には仮面採集という変わった趣味を持っていて、アイザワはその仮面に少し興味を持つ。 本性や本音といったものを誰にも見せないでいる高校生二人。彼らは互いを見つめる中で、あることを思いつく。

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 舞台袖で部員たちと他愛もない話をしながら、舞台の上で演技をする彼女を見て、反吐が出るという素直な感想を口にも勿論顔にも出さず胸のうちに殺す。
 友人たちは厚顔無恥で堂々と台詞を読み上げる彼女を見ながらすごいよねと、面白みもオリジナリティの欠片もないことを言った。その言葉からわかるのは、彼女たちがいかに演技というものを理解してないかということと、役者だけじゃなく、観客の才能すらないということ。
 しかしそんなことはもうずっと前から承知してるから、今更それを悲観もしないで、ただその言葉と同じようにそうだねと返すと、友人たちはわたしのその返事にもそうだよねと返してくる。そうだねが支配する会話。これじゃあ、脚本の中の会話のほうがずっと中身も面白みも人間味もある。
 薄暗い舞台袖から見えるスポットライトを浴びた彼女。自分の演技、いや顔に自信のある彼女は舞台の上では常に顔をあげている。いっそライトの熱で顔に纏わり付けている化粧がドロドロに溶ければいいと思うけど、ライトはそんなことまでしてくれない。
 友人たちとの会話を止めて彼女の演技を見るのに集中する。確かにある程度の実力はあるが、それは彼女が思ってるほどのものじゃなくて、決して主演をはれるような演技ではない。これがもし脇役ならBという評価をつけてもいいが、主演となるとD、下手をすればEだ。大学受験が来年に迫った私たちなら、このアルファベットがどれだけ絶望的なものか理解できるはずなのに……。
 どうしてその事をここの部の連中は言ってあげないのか。誰かが声をあげればいいんのに。この大根役者め、さっさと舞台から下りろって。このままじゃ部の恥になりかねない。あと一ヶ月をきった文化祭。その時のためにこうやって日々練習しているけど、一ヶ月やそこらで演技が上手くなるはずない。このままいくと今年の文化祭は、この部にとっての黒歴史になるかもしれない。
 おい、と心の中で彼女、イリオモテヤマネコに呼びかける。初めて会ったときにこちらが訊いてもいないのに、私さ沖縄出身なんだよねと自己紹介してきた。それ以来、私は心の中では彼女のことをイリオモテヤマネコと呼んでいる。おい、そろそろその自信と化粧がこべり付いた顔を下げろ。
 芝居が終わると役者たちは横一列に並び、自分の演技を見てくれた観客たちに敬意を払う意味で深々と頭を下げるのが常識で、例え高校生の部活動であってもそれは変わらない。だから練習中の今も、芝居が終わればたとえ観客がいなくとも頭を下げなければいけない。礼の練習なんだ。
 なのにイリオモテヤマネコは頭は下げているが、顔は上げていた。本番でもそうするつもりか。その顔を観客に見せ付ける気なのか。拳に自然と力が入る。その化粧の仮面をぶん殴ってやりたい。芝居を、演技を舐めるな。
 どこからか、オッケーという陽気な声が聞こえてきた。頭を下げていたイリオモテヤマネコが、疲れたぁと声をあげながら大きく伸びをするとその彼女のもとに友人たちが駆け寄っていく。すごかったよ、感動しちゃった、アカデミー賞ものだよなどという雑音が聞こえてくる中、私は必死に心の中で渦巻く怒りを静めていた。
 今思っていたこと、全て忘れろ。顔に感情を出すな。お前はこれから生ける仮面となれ。自分にそう言い聞かせる。中途半端な演技というものならA評価をつけれる彼女の演技を忘れろ。演劇や芝居を舐めきったあの顔を忘れろ。友人たちの見る目の無さも忘れてしまえ。何も感じるな。気持ちも感情も、噛み殺せ。
 両の頬を叩き、友人たちに遅れて私もイリオモテヤマネコに駆け寄っていく。勿論その時に、上手だったよぉと言うことは忘れない。これは嘘じゃなく方便だ。彼女は私が近づくと、アイザワさんにそう言われると照れちゃうなと赤面した。喉元まで黙れよという言葉がこみ上げてきたけど、何とか飲み込んだ。
「そんな謙遜しなくてもいいよ。すっごく良い演技だった」
『どこなの。どこが良かったのか言ってみてよ』
 不意にどこからともなくいつもの彼女の声が聞こえた。思わず舌打ちをしたくなる。タイミングが悪すぎ。お願いだから、今は黙っていてほしい。聞こえないふりをしよう。そもそも姿の見れない存在なんだから、無視したって構わない。いや、むしろ見えないのだから無視するしかない。
「ありがとう。今の演技は結構自信あったんだ。褒められて嬉しい」
 褒めたんじゃなく方便を使っただけ。まあ、彼女がそう解釈したらそれでいい。なにせそう感じるようにしたんだから。もし彼女が今の言葉を方便と理解したら、私の演技はネコさえ騙すことのできないしょぼくれたものということで、そんなことになれば私はもう舞台から下りる覚悟をしなければいけない。
『このバカネコは何を言ってるの。今ので自信があったんですって。ねえ、笑ってやりなよ』
 再び聞こえてくる彼女の声。常に少し笑いが混じっている声がいやに耳に残り、心を揺さぶる。彼女はいつも的確なことを言って、そしてそれを言わない私を嘲笑し、糾弾してくる。やめてっと何度言っても笑い声とともに、やめないという返事をしてくる。この世で一番、鬱陶しい存在。
 聞くな。その声を、聞くんじゃない。
「どうかしたの、アイザワさん」
 友人の一人が怪訝そうな顔を私に向けていた。何か顔色悪いよと心配そうに尋ねてくる。うん、そうかな、何でもないよと取り繕いながら、自分でも信じられないほどの屈辱と憤りを感じていた。見る目のない友人に感情を悟られた悔しさに、演技の邪魔をされた怒り。二つが入り混じってどうかなりそうになるが、どうにか堪える。
 彼女が出てくるといつもこうなる。演技のリズムが乱れ、体裁が取れなくなる。睨んでやりたいし、殴りも蹴りもしたいが、その姿がどこにもない以上、私にできる抵抗は無視ということだけ。それしかできなくて、それだけはできる。たまにいい加減にしてと怒鳴りつけたりもするけど、彼女にとっては取るに足らないみたい。
 ぶつけようのない怒りを鎮めていると、部長のシオカラトンボが拍手をしながら舞台に上がってきた。横から殴れば女の私の力でさえ折れてしまいそうな細身の体に、最近ではダサいという言葉の代名詞になりつつあるごつい黒ぶちメガネ。その二つの特徴で私は彼をシオカラトンボと呼んでいた。
 昔のインテリな日本男子みたいな彼は、これ以上はないと言わんばかりの笑顔で私たちに、正確にはイリオモテヤマネコに近づいてきた。
 この演劇部に所属する生徒のおよそ八割が女子。例年なら部長は女子なのだが、今年は異例の男子部長が誕生した。経緯は簡単。シオカラトンボが顧問のところへ、僕を部長にさせてくださいと頭を下げに行き、顧問がその願いを受け入れた。女子生徒にはあまりやる気が感じられないが、彼には痛いほど感じたというのが、顧問が口にした言葉。それを聞いたとき、私は込み上げる笑いと怒りを抑えるのに必死だった。
 このシオカラトンボにそんな情熱的なやる気などあるはずない。彼は利用されたんだ。指示通り動いたに過ぎない。どう指示されたのかはしらないが、きっとそれは指示というよりも誘導だったに違いない。
 ねえお願い、部長になって。そうとでも言われたのかも。その場面を想像すると吐き気がする。誰が彼をそう誘導したのかは、大方察しはついている。イリオモテヤマネコというバケネコだろう。
 シオカラトンボは一年後輩のイリオモテヤマネコを気にいっている。いや、惚れてる。だから彼女の頼みごとなら、スイッチを押された機械の様に動くだろう。彼女の目的は、文化祭で主演をはること。それがために彼を誘導し、主演を決める権利のある部長という座に着かせた。
 芝居とは、演劇とは、演技とは、観客に見せるもの。そしてそれは常に最高のものじゃないといけない。だから役者たちは競い合う。お互いを敵視し、己を磨き続ける。そうすることによって観客には最高のものを、より最高にしたものを見せれる。だから舞台裏にあっていいのは個々の不断の努力だけだ。舞台には舞台の、舞台裏には舞台裏の神域がある。これはそれなんだ。
 なのに、このトンボとネコは同時にそれを侵した。
 イリオモテヤマネコは二年生で初めて文化祭で主演をはるという偉業を成し遂げたい。シオカラトンボはそんな彼女に気に入られたい。お互いその一心で行動した。そこにはあったのは努力ではなく、小賢しさと欲望。
『そこまで思ってんなら何で口に出さないのよ。言っちゃえば、あの二人に。引っ込んでろ、屑どもって』
 ああ、まただ。一々出てこないで。そして話し掛けないで。演技の邪魔なの。
『何怒ってんの。馬鹿みたい』
 つまんない人だねと皮肉ったあと、彼女の声が消えた。ふざけるな。どいつもこいつも、ふざけるな。誰のせいでこんな苛ついてると思ってるの。ああ、もう今日はだめだ。これ以上、友人たちに演技をするのも疲れた。さっさと帰って、早く寝よう。
 シオカラトンボがイリオモテヤマネコに、休憩にするかいと尋ねていた。本来ならばこういうやり取りは役者全員としないといけない。主演は彼女かもしれないが、彼女の後方には脇役で彼女の以上にがんばってる人だっているんだから。彼女は甘ったるい声で、うん、そうすると答えた。
 あの程度の練習をしただけで休憩を入れてどうするの。本番は休憩なんてない、それをわかってるのか、そこの二匹。シオカラトンボが今から休憩ねと声をあげた。部員たちがぞろぞろと体育館の外へと出て行く。
 九月の頭の体育館の中は、サウナみたいに暑い。演劇の練習中は窓は開けても暗黒カーテンをしてるので風がそこまで入ってこないし、扉を全部閉めて光を遮断するから熱が籠もりやすい。けどそこまでして生み出される暗闇には大切な意味がある。ライトを引き立たせるという。だからこそライトに存在価値があり、それを浴びる役者に威厳があるんだ。
 体育館には数名の部員と、私と二匹が残っていた。イリオモテヤマネコと何か話しているシオカラトンボに近づいていき、部長と呼びかけると鬱陶しそうな目を眼鏡越しに浴びせてきた。種別を越えた交尾行動の邪魔になったのだろうか。
 今日はもう早退したいんですけどと願いいれると、何だ体調でも悪いのかとジロジロと全身を見てきた。ご自慢の複眼でどれだけ私を観察をしたんだろう。
「ちょっと熱っぽくって」
 その時、私を見つめるシオカラトンボの手に何かあるのに初めて気がついた。彼がもっていたのは、白のハーフフェイスの仮面だった。私がそれを見てたのに気づいた彼は、これを文化祭で使おうと思って借りてきたんだ、いい物なんだそうだと自慢げに語ってきた。
 私たちの部では今度の文化祭で『オペラ座の怪人』を上演する。そういえば彼と顧問が仮面をどうしようかと頭を抱えていたっけ。この劇の主人公ともいえる存在のオペラ座の怪人役には仮面が必要だが、部品には仮面がなかったそうだ。部費で買おうかと顧問が悩んでいたのを思いだした。
「海老沢先生が生徒から借りてきてくれたらしい。あっ、そういえば君のクラスの生徒だって言ってたよ。誰だったっけな……たしか北森って男子生徒だって」
 顧問の海老沢の顔と、クラスメイトの北森の顔を同時に思い浮かべる。エビとオオカミ。なんとも似合わないツーショット。エビは親しみやすい教師として有名だから、あのオオカミともある程度の親交があったんだろう。しかし、オオカミがこんなものを持ってるなんて意外。
 その時、私は仮面に惹きつけられて、ただ白いだけの仮面に魅せられていた。しばらく仮面を眺めていたかったがシオカラトンボが早く帰るんじゃなかったのと、迷惑そうな声を出したので、お先に失礼しますと別れを告げて体育館を出て岐路についた。

 北森をオオカミと呼ぶ理由は彼の鼻が少し高いのと、常に一人でいるからだ。一匹狼を気取ってるのか知らないが、友達はちゃんといるのにグループ行動を好まない。話し掛けられたら答えるけど、滅多に話し掛けないし、いつも教室のどこかでプレイヤーで音楽を聞きながら、会話に勤しんでいるクラスメイトを遠巻きに見ている。そんな姿がどこか獲物を狙うオオカミを連想させた。
 何度か挨拶をしたくらいで、話したことはない。私もそこまで積極的な人間じゃないし、関わりをもつ必要の無い人間にまで無駄に声はかけない。そんなものは演技力の無駄な消費にしかならないと思ってる。
 それでも彼という存在は私の中で妙に大きい。クラスメイトたちと一線を画しているところに親近感を覚えるのかもしれないし、逆に一匹狼を気取ってることが気に食わないのかも知れない。
 流石に家で演技をすることはないから、台所で今晩のおかずを作っていた母にぶっきらぼうにただいまと言ったあとは、手洗いとうがいをして自室にこもった。うがいは欠かせない。喉を壊せば芝居なんてできない。
 制服を着替えることもなくベッドの上に寝転がり、いくつかの染みがついた天井を見上げ、あの仮面のことを思い出す。仮面など滅多に見る機会はない。夏祭りで子供たちが頭につけているお面を除けば、見たことが無いと言ってもいい。それでもあれを見たとき、何ていい仮面なんだろうと思った。
『ああ、確かにあれは良かったわね。さすが私。価値観が一緒でよかったわ』
「……うるさい、黙って」
『あら、聞こえてたの。さっきはずっと無視してたから聞こえないのかと思った』
「黙れって言ってるの、聞こえない?」
『あらら、どうやらお互いに聞こえないみたいね』
 くすくすと人を馬鹿にしたような笑い声が頭の中に響く。聞きたくないのに、彼女の声は耳をふさごとうと何をしようと、聞こえてくる。彼女曰く、私はあなたの中にいるんだから何をしても無駄よとのこと。
 まったくとんでもなく厄介で、鬱陶しくて、面倒な寄生虫。
『虫じゃないんだけどね』
「姿がないんだもの。虫って言われたって仕方ないわ」
 全く理屈の通っていない言い分だというのは自分でもよく分かってる。けどこの何かの理で説明しようのない得体の知れないものに真っ当な理屈をぶつける必要なんてない。目には目をというのと同様に。
『じゃあ質問。顔のないあなたは、のっぺら坊に喩えられても怒らないのかしら』
 顔のないあなた。この苛つく生き物かどうかさえ定かでない物は、時々私のことをこう呼んでくる。素顔を決して誰にも見せないからだそうだ。私には顔はちゃんとある。ただ見せていないだけで。
『何それ。勉強できない子が、勉強してないだけって言い訳してるみたい。ださぁい』
 怒りが限界を迎え、起きあがって無駄だと分かりながら部屋を見渡して姿を探すが、当然ない。ぶつけようのない怒りを部屋の隅に配置されている等身大の鏡に枕を思いきっりぶつけることで解消した。
 くすくすと鬱陶しい笑い声を残して、彼女は消えた。二度とでてくるなと願うが、幾度となくでてくることは分かっていた。



 教室で演技をし始めたのはいつだろうか。気がつけば演じるのが当たり前になっていて忘れちゃったけど、確かに最初は演技をしようという明確な意図があって、それに基づいて行動し始めたはず。
 気になるけれどそんな些細な疑問は教室に入る前でやめてしまう。余計な思考で演技を狂わすのは愚の骨頂だし、教室の入れば私は「アイザワ」を演じなければいけない。だから、なぜ「アイザワ」になったかなんて疑問はいらない。
 頭を切り替えて教室に入る。早速愚鈍な同級生たちの挨拶の嵐。それをいつもの笑顔で受けとりながら、自分の机へと向かう。
 自分の席についていつもと様子が違うのに気がついた。教室の雰囲気が、いつもと違う。クラスメイトたちはいつものように愚かで、うるさいだけで変わりない。けどおそらくは微々たる物だが、明らかにいつもと違うものがここにある。
 なんだろう。それを探して教室を見渡して、すぐにそれに気がついた。オオカミがいつもと違っていた。いつもの彼は席に座って、退屈そうに頬杖をついて窓の外を眺めながら音楽を聴いているのに、今日はそれらを全くしてなくて、なぜだが何かのパンフレットを熱心に読んでいた。
 些細な変化だ。神経をとがらせることもなかった。しかし、目にはいてしまった以上、彼の読んでいるパンフレットは気になる。いったい何を紹介しているものなんだろうか。
 今日は女友達は運良く話しかけてこない。どうせ担任が来るまでは暇だしと思い、オオカミへと近づいた。なるべく静かに歩み寄ったのだが、オオカミはすぐにこちらの気配に気がついて素早く首を回して私を確認した。
「アイザワか。どうかしたのか」
 恐ろしく素っ気ない声で訊いてくる。どうかしたのかとは口にしているが、恐らく彼は私がどうかしていても何もしないだろう。助けもしないし、慰めもしない。何かの感情を抱くこともなく、ただ目を背けて終わる。
 それは素面の私によく似ている。
「いや、何をみてるのかって思って。邪魔だったかな」
 努めて明るい雰囲気を出して振る舞う。同級生の男子の大多数がこういう芝居をしてやることで心を許してくる。なんとも考えなしの油断で、どうしようもない程に馬鹿だ。
「別に邪魔ではないな」
 思わず舌打ちをしたくなった。彼はほかの男子と違い、この芝居は特に好きじゃないらしい。本当に私なんか興味ないようだ。冷たくされたことは今まで何度かあったが、大抵はこっちの雰囲気についていけなくて戸惑っているか、強がっているだけだ。けど彼はそのどちらでもなく、純粋にどうでもいいらしい。
 邪魔ではない。では、ということは邪魔という感想ではないが、それに似た感情を抱いているということを連想させる。
「何見てるの」
 このさい構わず、鈍い女子というものを演じてみることにした。彼は何も言わずに読んでいたパンフレットを見せてくれたので、それをのぞき込むと一瞬、思考が止まった。これは、いや、これらは一体何だ。
 そのパンフレットにはいくつもの顔が印刷されていて、それらは全てまっすぐと読者である私を見つめていて、心臓を刺されたみたいに、どきっとする。それらの顔のすぐ下に値段が書かれているのを見て、ようやくそれらが仮面だと理解した。
「珍しいね、仮面のパンフレットなんて」
 そもそもそんな品物がこの世に存在していたのか、パンフレットを作るほどの需要が仮面という物にあるのか、それさえ分からない。しかも値段を見ると高校生の私たちには決して安いと思えるものではなかった。
「確かにそうあるものじゃない。けど探せば意外にある」
 会話を広げる気がこれっぽっちもない。答えたから返すだけ。それは会話と言うよりも質疑応答に近く、流石に言葉に困ってしまう。
 ここでようやく私は昨日の仮面のことを思い出した。そうだ、彼は実に興味深い仮面を持っていてそれを演劇部に今貸し出している。何の変哲もない白のハーフマスクだけど、なぜだが心が惹かれてしまう物。
「仮面とか集めてるの。演劇部にも貸してくれてるでしょう」
「……そういえばアイザワは演劇部だったな」
 この言葉は少なからず私という自我の根底にある自尊心を傷つけた。そういえばだと。私があの腐りきった演劇部に所属しているのはこのクラスでは常識だと自負していたのに、彼は完全に忘れていた。
 あまり親しくもない同級生の部活なんて知らなくて当然といえば当然だが、そこに少なからず演技という物が関わっているせいで無性に腹が立ってしまう。
「海老沢が貸してくれっていうから仕方なく貸したんだ。安いものじゃないから丁寧に扱ってくれ」
「ええ、大切に使うわ。にしてもあれ、いい仮面よね」
 そのとき初めてオオカミが表情を出した。今までの無機質で無愛想な表情を少し崩して、唇をほころばせた。そうは言ってもほんの少しで、普通の人なら絶対に気づかない変化。
 私がそれを分かったのはわずかな変化でも敏感に感じ取るように日頃から注意しているからであるのと、その表情の換え方が私とよく似ているからだった。私が素面から瞬間的に「アイザワ」になる時の変え方に。
「あれをいい仮面と思うってのは、なかなか面白い価値観だな」
 面白いとは一体どういう面白さなのだろうか。興味深いという意味なのか、おかしいという意味なのか。それともそれ以外なのか。
「面白いってどういう……」
 その先を訊きたかったのにタイミング悪く、クラスメイトの男子がオオカミを大声で呼び、彼が別れも告げずにそっちへと行ってしまったせいでそこで会話が強制終了となってしまった。
 まあ、別に構わない。オオカミ、今まで以上に興味が沸いた。もしかしたら彼は……。
『可能性はあるけど何を期待してるのかしら』
 頭の中で彼女の声が響いた。朝からでてくるなんてついていない。いっそ眠っていてくれた方がいい。
『あはは、私はあなたよ。あなたが起きたなら私も起きてる。これ後何度説明したらいいの?』
 何度説明されようと納得なんかしない。
『私はあなた、いわば一心同体。または運命共同体』
 こんなキチガイで、鬱陶しいやつと同じで、それと共に生きていけというのか。
 生き地獄なんてものじゃない。頼むから、土下座したっていい、今すぐ死んでくれ。
「アイザワさん、後輩ちゃんが来てるよ」
 ふいに近くにいた同級生から声をかけられた。ありがとうと礼を言ってから廊下に目を向けると平均よりあきらかに低い身長の女の子が私に手を振っていた。
 オオカミの次は、ウサギか。

 彼女をウサギと呼ぶのは彼女の跳躍力というのが一番の理由だ。何かうれしいことがあるとすぐに飛び跳ねて喜ぶのだが、その高さがバカにならない。いくら低いとはいえ自分の身長の半分くらい飛び跳ねる。
 非常にありがた迷惑なことに、私を慕ってくれている。先輩の演技が好きなんですとよく言っているが、ありがとうと返事をする私の演技には気がつかない。
 けど私の言うことには忠実に従ってくれて便利だから優しい先輩というものを演じて接している。
「朝からどうしたの?」
 ものすごく迷惑なんだけどという言葉を心の中だけで付け足して尋ねると、ウサギはごめんなさいと素直に頭を下げたが、謝罪したところで迷惑なのには変わりない。
「けど先輩、すごい話を耳にしたんですっ」
 興奮しているのが声が上づっている。
「部長が告白したそうなんですよ」
 部長というのは当然シオカラトンボのことだから、彼が告白したとなると相手は一人しかいない。イリオモテヤマネコだ。
「昨日の部活の後に体育館裏で隠れて告白していたそうですよ。一年生の誰かがそれを見ちゃったみたいです」
 なるほど、それで一年生のウサギにいち早く情報が回ってきたんだ。本当に女子高生というのは色恋沙汰が好物だ。目の前のウサギもかなり興奮している、人事なのに。青春や恋愛なんてものはお話の中だけにしてもらいたい。どうせい愛だのなんだかんと言っても、最終的にセックスが目的なんだから。素直に性に飢えてますと言えばいいのに、どうしてそれを誤魔化すんだろう。
 私はあの汚れた二匹の種別を越えた愛など、興味がないどころか、知りたくもない。その知識は脳内への汚染だ、体に害でしかない。
「それで返事は?」
 おおかた予想は出来ていたが一応訊いてみた。
「考えさせてくださいって」
 ほらやっぱり、予想通り。イリオモテヤマネコは主演をはるためにトンボをそそのかしただけで恋愛対象にはしてない。けど無碍に扱うと部内で特別扱いされなくなるから、答えを曖昧にぼかすしかない。
 くだらない。くだらない。本当に、くだらない。
「わざわざありがたいけど、今日はこのためにこんな早く来たの」
 そうだとしたら良い度胸ね、あんた。殺してあげたくなる。
「うぅん、先輩、あんまりこういうの興味ないタイプですか」
 あんまりどころか、全くで、全然で、決してだ。興味なんてあるわけない。どう興味をもてというんだろうか。強いて言うなら、トンボとネコがどう交尾するかくらい。けどその興味もウサギが抱いてるようなか弱くてめんどくさいものじゃない、格好よくいえば生物学的な興味だ。
「少しはあるけど、正直結果が見えちゃってるじゃない」
 文化祭まで利用するだけ利用して捨てる。それがネコの中にある未来予想図だ。
「あは、先輩もそう思いますか。ですよね、部長、ダサいし望み薄もいいとこですもんね」
 どうやらこの鈍感なウサギはトンボが単にふられるだけだと予想しているらしい。けど恐らく彼に用意されているものは、ふられるよりもつらい現実だ。利用されて捨てられ、今まで自分が妄想していた未来が一気につぶれていく。自分の卑小さを思い知る。
 それを想像するとかわいそうで、心底笑える。
「ところでさっき話してたのは先輩の彼氏ですか」
 ウサギがまたバカを言い出したので、私はため息をつく。想像力が乏しいうえに思考が一貫すぎ。よくここまで生きてきて、恥ずかしくいものだ。この頭の悪さは致死的だ。というか死ね。
「違うわよ。ただのクラスメイトで、うちに仮面を貸してくれた子よ」
 そう言うとウサギは表情を曇らせた。
「ああ、あの仮面ですか」
「何よ、顔色なんか変えて、どうしたっていうの」
 ウサギは少し回答するのに戸惑ったようだが、小声でほらと切り出した。
「ほら、あれ、少し気味が悪いじゃないですか」
 あれとはもちろん仮面のことだろう。
「まあ、確かにね」
 あんたの価値観、腐ってんじゃないのという素直な感想は言わず、とりあえず同意しておいた。どうせ私もあの仮面の良さを口では説明できない。惹かれたのは、直感だし、理解できない奴に説明してまで理解してほしいとは思わない。理解できないなら、一生そのままでいて、そのまま朽ち果てればいいじゃない。
 ちょうどそこでチャイムが鳴り、ウサギが跳ねるように帰って行ったので私も教室へ入った。見るとオオカミが席に戻っていて、またパンフレットとにらめっこしている。
 彼はもしかしたら、仮面を選別しているのではなく、そこに写った仮面を単純に眺めているのかもしれない。本当に純粋な心で、ただ仮面を見たいだけなのもしれない。
『だからってどうしたっていうの』
 彼女の声が脳内に響く。けど今の単純な質問でいつもの嫌みじゃないから、気楽に返事をした。
「なんにもない。ただ、気味が悪いだけ」
 誰もにも聞こえないような小声で言ったのに、なぜだから知らないが、オオカミが一瞬こっちを見た、ような気がした。視線に気づいて彼を見たときにはまたパンフレットを見ていたので、正確なところは分からない。
 どうでもいいか。


 イリオモテヤマネコの大根役者っぷりが際だつ練習で、袖で鑑賞していた私は終始怒りを抑えるのに精力を使い、脳内で続く彼女のエンドレスな嫌みをストレスを積み重ねながら聞き流していた。
 なんで今日はこんなにも演技に集中できてないんだろう。いつもの稚拙な演技がよりひどくなり、正直目も当てられない。もちろん、観客である無能な同級生たちはその変化に気がついてない。ここまであからさまな変化に気づけないというのは、ある意味幸せかもしれない。
 私の隣で一緒に演技を見ていたウサギが肘で私の横腹を突いてきたので、視線を向けると彼女は訝しげな表情を浮かべながら、舞台で演技をしている彼女を指さした。
 ウサギは見る目はある。下手な芝居と巧い芝居、それを見極める力は十分に備わった珍しい一年生だ。だからネコの変化にだってすぐに気がついたのだろう。
「なんか、おかしくありませんか」
 練習中の私語は基本的に禁止されているが、誰だって聞こえないように話している。
「うん、少し演技のリズムが乱れてるわね」
 役者が役になり切れていない。それはつまり、役者自身の自我という物が演技の最中も陰を落としてるということだ。しかしそれを消すのは基本中の基本。ネコだって昨日まではちゃんとできていた。
 なんで今日に限ってそれが出来ていないの。
 可能性が一つだけあって、それは非常に馬鹿げていて想像したくもないのだけど、考えられるとすれば原因は情けないことに部長であるシオカラトンボだ。
 もしも彼が告白の返事を早くしろと要求しているのならネコが少しとり乱すのは理解できる。どうやって乗り切るか、そればかり考えてしまうだろう。
『舞台から降りればいいのにねぇ』
 全くその通りなんだけど、それはきっと彼女のプライドが許さない。
 しかし、なんて恥ずかしい話だろう。裏で手を回して主演になった女が、それに利用した男に振り回され、それによって演技が乱れて結果として部全体の損害となる。そこには地道に練習してきた一部の部員の努力などは全く影響されず、神域を侵した二匹の愚行だけが大きな存在感を出している。
 こんな馬鹿げた話、そうそうあるものじゃない。
『けどあなたはそれを口にしない。分かっているのに声に出さない』
 うるさい、ほっとけ。
『私は独り言をしてるだけ。あなたこそうるさいし、ほっといて』
 今のが独り言なら何だって独り言になるっ。
 演技が終わって部員たちから拍手が沸き上がる。イリオモテヤマネコは相変わらずの礼をして演技を終えた。そして同級生たちが彼女へと駆け寄る。
「休憩ですよね」
 ウサギが訊いてくるので多分ねと答えてあげた。
 シオカラトンボがネコへと近づいて休憩にするかいと優しい声で尋ねていた。あの質問に彼女が首を左右に振ったことは一度もない。つまりウサギの言うように休憩だ。
 部員たちがぞろぞろと体育館からでていく。その後に私もついた。いつもなら体育館の中で時間をつぶすのだが、あの二匹と同じ空間にいて同じ空気を吸って、同じ物を見てるという現実があまりにイヤなので今日は外にでてみる。
 さっきまで隣にいたウサギは同級生たちと食堂へジュースを買いに行ったので、なるべく食堂以外の場所で時間をつぶさないといけない。特に用事もないけど運動場でも行こうかな。
 体育館を出てすぐ、そこにいにはずの人物がいて面食らってしまった。オオカミが例のパンフレットを片手にウォークマンで音楽を聴きながら体育館をでてすぐ近くの廊下に座り込んでいた。

2010/05/22(Sat)01:58:54 公開 / コーヒーCUP
http://yaplog.jp/gothoc/
■この作品の著作権はコーヒーCUPさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 かなりゆっくりペースで更新ですね。というのも、この作品、書くのに結構力がいりまして……。書くのが楽しいことは楽しいんですが、読んでくださった人には分かると思いますけど、気持ちのいい小説じゃないんですよ。だからキーボードを叩くのも、なんか躊躇っちゃう。
 それに未だにこの主人公の内心を描く心理描写になれない。日頃ここまで悪意をむき出しにして生きてませんから……。平々凡々なもんなんで。
 さて、次回でちょっと動きがあればいいなぁ。
 長編くらいの長さにまではならないと思います。最後になりましたが、読んでいただいた方、ありがとうございました。

 感想、苦情、アドバイスなどよろしくお願いします。

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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。