『慢性的高校生症候群【読み切り】』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:無関心ネコ                

     あらすじ・作品紹介
普通の高校生である「俺」の毎日は退屈で、空虚感に満ちていて……だけど時々、色々起こる。 何の変哲もない高校生の日常のほんの一コマを切り取りました。

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 ビビットピンク、というらしい


 四ヶ月前に出会ったあいつのセンスは最悪だった。奴が言うには、自分の服や持ち物のセンスは、海外でも評価の高いバンドのセンスをリスペクトしているらしいが、俺にはどう見てもこってこてのビジュアルバンドの追っかけにしか見えなかった。無駄に伸ばした髪とか、ぬらぬらと光るエナメルのベルトとか、あんな物のどこが海外で評価されているのか、少しもわかりゃしない。海外の奴らの頭がおかしいのか、俺の頭がおかしいのか。
 それで、「ビビットピンク」というらしいのだ。
 眼下の舞台で飛び跳ねている、件の奴が結成したバンドというのは。
 あいつはいつも通り、どこぞのビジュアルバンドのおっかけ然とした格好をしていて、格好だけはさまになってる、実力の伴わないボーカルを務めていた。他のバンドメンバーも似たり寄ったりの連中で、やっぱり格好だけはビジュアルバンドしていたが、内実は結局、でかい音だけ出してればそれでいい、みたいな、インスタントラーメン並みにお手軽で侘びしい演奏をしていた。
 体育館の二階バルコニーで、俺はクラスの連中と一緒にその様子を眺めていた。手すりにもたれかかる連中は、適当に手を振り上げたり声を合わせたりしている奴もいれば、冷然と串付きキャンディーをしゃぶりながら見下ろしてる奴もいる。俺はどちらかというと後者だ。言わずもがなだろう。あんなセンスの悪い奴らの演奏にのっていたら、こっちがセンス悪いと思われちまう。

 ……

 ……いや、本当のトコ、手をぶんぶん振り回して、舞台の真ん前を陣取って、飛び跳ねてみたい。

 よくテレビでやっているような、『青春』を画に描いたようなあの馬鹿騒ぎを、俺もやってみたいのだ。ほら、よくやってるだろ? ギター弾いたり、ドラム叩いたりして、ポップな曲に会わせて飛び跳ねる――――有名なアーティストが母校に帰ってきて演奏して、それにキャーキャー言いながら飛び上がって喜ぶ。そういうのだ。
 だけど俺はバルコニーにいた。クソつまんなさそうに、馬鹿騒ぎをしている連中を見ている。舞台を前にした生徒達は、センスの悪いあいつの事など露程も知らないだろうに、跳んではねての大騒ぎを繰り広げている。
 空虚だった
 たぶん、あの内のほとんどの連中は知っている。このバンドが恐ろしくセンスのない事を。だけどこんなありきたりな公立高校じゃあ、他にバンドをやってる連中なんていない。テレビみたいに飛び跳ねるチャンスは、あのどくそセンスの悪いバンドの演奏中しかないのだ。だから皆、アホみたいで気持ち悪い、その上訳がわからない歌詞のついた曲に合わせて、ぴょんぴょん飛び跳ねているのだ。自分をテレビで見るような、なんだかよくわからないけど、『青春とはこういうものだ』と言わんばかりに飛び跳ねている奴らと、自分を重ね合わせて。
 だから俺はバルコニーにいる。自分を必死に騙して、頭を無理矢理空っぽにして飛び跳ねるような真似は、俺にはできない。どうしても冷静に自分を見つめてしまうに違いない。そうなった時、俺は顔から火を吹くくらい恥ずかしい思いをするだろう。誰かに見られて恥ずかしいとかじゃなくて、自分で自分が恥ずかしくて、たまらなくなって。
 あぁ――――なんて空虚な瞬間なのだろう。
 なんて空っぽな文化祭なのだろう。
 なんで俺は、こんなにひねくれているのだろう。



 両親は公務員。容姿はいたって普通。座右の銘はなし。尊敬する人物はなし。友人からの評価は「学校全体を10にすると、お前は寸分の狂いもなく5」。
 それが俺のすべてだった。特別特筆する事もない。だからコンプレックスの固まりだ。例えば、同年代のスポーツ選手が華々しい活躍をしてテレビなんかに映っていると、両親は冗談っぽく「あんたもあれぐらいがんばりなさいよ」なんて言ったりする。俺は何も言い返さない。ホントの所、本気で腹が立っているが、なにも言い返せないのだ。あまりにも正論だからだ。
 そう、なにか頑張るべきだろう。頑張って、何かを達成して、何か賞状でももらうべきなのだ。そしてテレビにでも出て、何かさわやかな笑顔と共に、謙遜しながら、何か言うべきなのだ。何かを、頑張って。

 虚しいよな。ほんと。

 頼むから、がんばれとか言うなら、何を頑張るかくらい、教えてくれよ。あれぐらいって、あれだけ頑張れるのにどれだけ努力が必要だと思ってんだよ。そもそも何をあれぐらい頑張るんだってんだよ。あんたは何を頑張ってきたんだ。あんたの年で有名な奴なんかいくらでもいるじゃないか、それぐらい、あんたも頑張ったどうなんだ? あれぐらい、頑張ったらどうなんだよ、何かを、頑張ったら、どうなんだよ。

 ……

 ……なんてこたぁ、もちろん言わない。もしかしたらさらっと返事をされそうだし、そうでなかったら「生意気に育ったわねぇ」と言われるか思われるかがオチだ。最悪、「そんな事言ってる内はまだまだだ」なんて、また抽象的な事を言われるに違いない。だから黙っているのだ。んな言われるくらいなら、黙っていた方がましだ。
 だけど俺は思う。
 がんばれるなら、がんばりたい。
 例えばセンスの最悪なあいつ。
 あいつは、センスは悪いけれど、だけど頑張る事があって、うらやましい。
 あいつは何かを見つけたのだろう、どクソセンスは悪いけれど、この世の中を駆け抜けるための、何かを見つけ出したのだ。最後まで走れるかどうかわからない。まして一位になんてなれるとは思えない。だけどあいつは走り出した。俺たちがゴールすら決めていない間に、あいつはあいつなりにどんどん走り出している。先日の空虚な文化祭の舞台だって、内実はどうあれ、あいつにとっては大成功だったろう。充足感があって、なにか自信をつけたに違いない。それが酷く、うらやましい。



 あぁそう、忘れていた。
 俺について一つ、特筆すべき事があった。
 俺は生徒会副会長をやっているのだ――――もっとも、そんなもの進学の役に立つ以外、何の意味もないだろと言われれば、それまでの肩書きだ。なにせ仕事と言ったら顧問のいいなりに書類を刷ったり、文化祭の意味のないテーマを決めたり、朝礼の椅子並べをしたり、戸締まりをして校舎を回ったり――――雑用ばかりだ。文化祭『実行委員』なんて腕章をつけて文化祭を回っていたのが恥ずかしい。何を実行したのかわからん。もっと言えば、生徒会における役割の分担自体が意味のないものだし(どうせ皆等しく椅子並べをするし、戸締まりをして回るのだ)、生徒会そのものが『先生達で勝手に決めてるわけじゃないからね、生徒達の意見もちゃんと聞いてるんだからね』というジェスチャーにしか過ぎないのはどいつもこいつも承知の通りだろう。数ヶ月前、副会長当選を神仏に祈らんばかりに喜んだ両親の、なんと哀れな事か。
「エウレーカ!」
 そんなわけでちんたらちんたら、不平不満を口にしながら『生徒会をしている』俺と比べて、会長の方はいつもご機嫌に仕事をしている。CMみたいにつやつやした、肩までのセミロングの黒髪に、背が高いのを気にしていて、だけど楽しい事があるとぴょんぴょん飛び跳ねる癖(?)があって、スカートは他の娘より特別短い。口癖は
「エウレーカ!」
 ……という、世にも奇妙だけどとってもかわいい先輩。俺は大好きだった。
 いっそボイコットしてしまいたいと毎日思いつつ、いつも生徒会室へあしげく通うのは、先輩がいるからだった。先輩は底抜けに明るくて、俺がバカみたいに抱えているどんよりとした気持ちをぶっとばしてくれる。本当に心の底から、毎日を楽しんでいるのだ。生徒会役員だけじゃなくて、誰からもすかれていて、人望も厚い。それでいて毎日仕事が終ると、カバンからトランプを取り出して
「トランプやろうぜ!」
「またですか? ……で、何やるんです。七並べ? ばば抜き?」
「大富豪やろうぜ!」
「またですか……」
 と怠惰な遊びに興じたりする。俺たちは放課後の生徒会室にこもって、くだらない会話を意味もなく続けながら、手札を減らしていく。

「こないだまで寒かったのに、春めいてきたね」と先輩。クローバーの7の二枚だし。
「いや、まだ寒い日もありますよ」と俺。ダイヤの9二枚だし。
「あーもったいないから、春までに暖房使いまくろうぜー」とメガネ書記がパス。
「暖房器具なかったら毎日ここきてませんよ私〜」とちび会計がスペードの3。
「あ、明日やかん持ってきますから、湯わかして紅茶でも作りましょう」とさわやか一年事務がダイヤの7、
「エウレーカ!」と会長。いい手を思いつくといつもこのかけ声だ。スペードのエース。
「やばそうなんで止めます」と俺がスペードの2。
「おいふざけんなぁ」ぶーたれる会長。
 笑う皆。



 こんな事してる場合じゃないのに。



 もっとやるべき事がたくさんあるのに。



 テレビやダイレクトメールは「今からでも間に合う! 高校講座!」とか叫んでいるし、友達と行ったライブだと「楽しい事は今の内に楽しまないと損だぜ!」とか言われたし、家族は「遊んでばかりいないで勉強しろ」と釘を刺すし、担任は「お前は部活もやってないから、何か実績をつまないとな」と面談室でアドバイスするし。

 だけどそんなものは全部、どうでもよかった。放課後の生徒会室では、大富豪で勝利する事だけが重要だった。それ以外は全部、どうでもよかった。



 それである日、先輩にデートに誘われた。
 放課後、特別遅くまでトランプに興じていた日の帰り、すっかり真っ暗になった校庭を横断して、自転車置き場に向かってる途中に、こっそり耳打ちされた。
 今度の日曜、デート、行こうぜ。
 もちろんOKした。大好きだった先輩だった。先輩と手をつないで街を歩いたりしたら、どんなに楽しいだろう。きっと世界はビビットピンクに染まるだろう。見るものすべてが極彩色で、夜の街はどこかのテーマパークみたいに見えるだろう。
 で、駅前で待ち合わせた。
 入念に練り上げたプランのお陰で、先輩は楽しそうに過ごしてくれた。ウィンドウショッピングも、映画も、喫茶店も、いつも以上ににっこにこの笑顔でいてくれた。世界はビビットピンクだった。駅前の夜景は、真夜中のテーマパークみたいにロマンチックだった。
 だけど終わり際、先輩は奇妙な事を口にした。
「……すっごく楽しいけどさ、いつまで持つんだろうね、こういうのって」
「はい?」
「ねぇ、なんかさぁ、全部、意味ないなぁって、思わない?」
「……意味ないって?」
「だからさぁ、こういうのもさぁ、楽しいぞって、みんなが言う事とかさぁ、全部さぁ、結局、意味ないんだなって」
「……いや、よくわからんす」
「えーほんとに?」
「…………」
「……いつかさぁ、ダメになっちゃうならさぁ、最初から全部、なかった事にすればいいのにね」
 ふわふわふわふわ
 雲を掴むような、という表現がぴったりだった。先輩は雲で、俺は人間だった。地に足着いた俺では、雲に振れる事すらできなかった。
 ふわふわふわふわ。
 見た事ない形の雲が、俺の遙か頭上を、通り過ぎていった。



 で、意味もなく塾に通い始めた。
 まったく勉強する気もなく、成績もがた落ちする俺に業を煮やした母親が勝手に契約してしまったのだ。先輩とのデートに浮かれていた俺は、「今からでも間に合う」高校講座を受ける羽目になってしい、どん底に蹴落とされてしまった。
 しかしいざ行ってみると、なんと俺の場違いな事か。必死にホワイトボードと(そういえば、なぜ塾はホワイトボードばかり使うんだろうか)ノートの間を行き来する無数の受験生の目の群れに混ざって、何をすればいいのかもわからず
 ぼー
 としている俺の目があった。
 塾には毎日通った。そうしないと母親がヒステリックに怒るし、父親が「勉強の事はよくわからん」という顔をしながら「大丈夫か」なんて夜中に部屋をのぞきに来るのだ(きっと母親に何か言われてくるに違いない)。時には放課後のトランプをキャンセルして塾に通う事もあった。それは先輩には大不評で、「やめろよー塾なんてやめろよー」などとだだをこねていたが、なんだかんだで先輩も塾に通うようになった。俺が行く塾とは方向が違ったが、生徒会室を出るのは同時だったので、一緒に帰った。
「勉強、どう?」
「いや、やっぱよくわからんです」
「じゃぁやめちゃえよぉ。やめようぜこんなのぉ」
「いやぁ、でも今やめると、なんかもったいない気がして」
 母親の話は出さなかった。家族の話を出すのは、なぜかすごく恥ずかしい事のように感じていた。
「…………」
「…………」
「……ふーん」
「……なんの『ふーん』ですか」
「別に」
「……すみません、なんか」
「謝る事ないじゃん。頑張ってるんでしょ」
 すねてるわけではないようだった。先輩は、どこか遠くを見つめていた。元気いっぱいだった先輩が、夕暮れにだまってそうしていると、まるで透明になってどこかへ消え去ってしまったようで、酷く不安になった。



 「何かやりたい事ってないの?」と、塾の担任講師は言った。
 「ないです」と応えた。

 担任講師ははははと笑った。良くいるタイプなんだそうだ。即答するタイプ。考えもしない。ないと最初から決めている、タイプ。
「目標がないと、何も決められないよ」
「でも目標なんてないんです」
「なんでもいいんだよ。かわいい女の子とつきあいたいとか、お金持ちになりたいとか、高い車に乗りたいとか。そういう進路の決め方だってできるんだよ」
「お金とか車とかはあんまり……」
「じゃぁ女の子は?」
「女の子となら、もうつきあってます」
「え、本当?」
 本当だった。塾の帰りに俺たちはキスをして、それでつきあう事になった。そう言う事に、なったらしい。
「かわいいの?」
「すごくかわいいです」
「いいなぁ。すごく、いいなぁ」
「いいですよ。すごく」
 それから、講師はぽつりと言った。
「それじゃぁ目標、決めらんないねぇ」



 で、その日塾の帰りに振られた。
 最初はギャグかと思ったし、先輩も笑って「冗談冗談」と言っていたが、しばらくしてから「……ごめんね、やっぱりほんと」とつぶやいた。



 わからない、なんて言ってたのは嘘だった。



 本当の所、俺は先輩の言っている事は全部わかっていた。
 まるで意味がない。
 何かを掴んだと思っても、指の間から全部すり抜けていく。
 何かって?
 何かだよ。
 未来はあやふやで、過去なんて十年とちょっとしかなくて、今はひたすら、不安と焦りばかりで埋め尽くされていた。現代社会で習ったけど、モラトリアムなんてあんなの嘘だ。俺たちは社会に出る不安を、薄く薄く引き延ばして、じわじわ味わってるに過ぎない。怖くて怖くて、たまらないんだ。あれもいい、これもいいって皆が騒ぎ立てるけど、そんなもの少したったらあっという間に色あせて、日常に成り代わる。そして残るのは、空虚感。不安。現実。周りの大人や、子供のふりした大人が言うほとんどが嘘で、ほとんどが本当だった。ろくでもない嘘と、見たくもない現実を、口にしているだけだ。
 だから全部、意味がないんだ。
 まるで空虚なんだ。
 何もないんだ。
 何も。



 なーんて事を振られたショックで考えながら、ふて寝した。



 で、翌朝妹にキックで起こされた。
 最近妹は実に生意気になってきた。昔はべたべたひっついてきて気持ち悪いなんて思っていたのに、最近の奴と来たら用がある時は「ねぇ」、「ちょっと」、「(無言でキック)」、で呼びつけやがる。誰の影響だ? ったく。
「今日も帰り遅くなるの?」
 キッチンで朝食を作りながら、エプロン姿の妹が言った。
「なんでそんな事を訊く」
「いつも帰り遅いから。今日あたしが夕飯作るから」
「はぁ? お前また色気づいたのかよ。やめろよなお前、好きな男を手料理でたらしこもうとか、発想が古いんだよ。だいたいお前が作る飯すげぇまず」
 卵をかき混ぜていたボールがぶっとんできて、それが鼻先にぶち当たるまでの間に、思った。
 あ、今日の放課後、どうしよう。



 ふられた翌日だ。どんな顔して入ればいいのだろう。
 生徒会室の前で、俺は硬直していた。中から歓談する声が聞こえる。時々、酷く冷たい、嘲笑も聞こえる。俺の事をあざ笑っているのだろうか。先輩に振られた直後、訳がわからなくなって頭をぐらぐらさせていた俺を、笑っているのだろうか。皆で、笑い合っているのだろうか。
 それは先輩に振られた事以上に、ショックなんじゃないかと、思う。
「どうしたの?」
 横から声がした。
「入りなよ」
 先輩だった。俺が口をぱくぱくさせていると、先輩は小さな声で
「何も言ってないよ。一緒に入ろ」
 とささやいた。俺はその通りにした。
「あっ先輩遅いっすよ、アンケート計算するの手伝ってくださいよ〜」とメガネ書記。
「会長、このメガネの人、もう三回も集計間違えてます! 三回とも私手伝ったんですよ!」とちびっこ会計。
「あ、やかん持ってきましたよ。紅茶も持ってきましたけど、皆自費で百円ずつくださいね」と、さわやか事務。
「せこ! お前せこ!」
「勝手に持ってきたんですから、ただでくださいよ」
「せこいのはどっちだよ!」
 いつもの馬鹿騒ぎを始める面々を、俺はぼんやりと見ていた。先輩はその輪の中に、上手にするりと入っていって、俺はそれも、やっぱりぼんやり見ていた。
 安堵していた。
 さっき、扉の前で硬直していた事を思えば、今この瞬間に目前で起きている事は信じられない奇跡だった。またいつもと同じように、皆と一緒に、馬鹿騒ぎできるんだ。それがわかると、急激に全身の緊張が抜けていって、ひざからがっくり崩れ落ちそうになった。



 好きだったんだなぁ、この空間が



 やりたい事、なんてわかりゃしない。
 それでも失いたくないモノは持っていたわけだ。大好きな人は失ったけど、お陰で自分が何を大事にしているのか、わかった。それはテレビや「まだ間に合う高校講座!」や、塾の担任講師や、空虚な文化祭の演奏会なんかより、よっぽど現実的で、身近な事実だった。俺はこの放課後の生徒会室の空気が大好きで、この空気を失いたくないと思う。それが答えだった。それが俺の、やりたい事、なのかもしれない。こんな事、クラスで配られる「将来についてのアンケート用紙」なんかには描けないし、三者面談でも言えないけれど、それでも俺が初めて実感した、初めて手にした、現実的な「やりたい事」だ。初めて自分の手でもいだリンゴだ。味わって食べよう。これがやりたい事の、味だ。

 顔を上げれば、ビビットピンクの極彩色。

 ずっともやもやしていた事が、すっと晴れたように思えた。
「エウレーカ!」
 俺が言うと、皆が振り返った。いぶかしげな顔をして、「何言ってんです?」とメガネ会計が言った。
「やろうぜ、アンケート。さっさと終らせて、んでトランプだ」
 おお! 前向きな意見を先輩が言うなんて! ――――後輩達が色めき立った。俺は見せつけるように、アンケートを数え始めた。おおなんと! 率先して先輩が仕事をするなんて!! さらに色めき立つ後輩達。なんだかわからないけれど、だんだん楽しくなってきた。
 先輩が目をぱちくりさせて俺を見ているのがわかった。俺は笑顔で尋ねた。
「トランプ、何やります? 七並べ? ばば抜き? それとも……」
 先輩があっと声を上げ、少し口角をあげた。それはだんだんと大きくなって、にやりととにんまりの間くらいにまでなって、そこで先輩は、いよいよ口を開ける――――頼むぜ先輩、ばっちり決めてくれよ。



 そいつがおれの、「やりたい事」なんだから。




2010/04/05(Mon)19:01:30 公開 / 無関心ネコ
■この作品の著作権は無関心ネコさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。そうでない方も、興味をもっていただきありがとうございます。無関心ネコです。

 本作は習作として書いた物です。書き終わった今となっては何の習作だったのか思い出せませんが、まぁ過ぎた事はいいのです。

 見栄を張る訳じゃありませんが、私の高校生活はここまで屈折してませんでした。もうちょっとバカでした。何も考えていなかったと言うべきでしょう。そしてかわいい先輩とのおつきあいもありませんでした。

 何を感じたか、簡単でもいいので感想を書いていただけると助かります。お礼はあなたの作品の感想に変えさせていただきます。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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