『蒼い髪 15話』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:土塔 美和                

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登場人物紹介
 ネルガル人
  ルカ     ギルバ帝国王子 八歳 別名エルシア
  ナオミ    平民 ルカの母 神と契りを結ぶ
  リンネル   貴族 ルカの侍従武官
  ハルガン   貴族 親衛隊 元参謀本部勤務
  ケリン    平民 親衛隊 元情報部勤務
  レスター   貴族 親衛隊 人間殺人兵器として訓練を受ける
  クリス    平民 親衛隊 超ど真面目
  トリス    平民 親衛隊 クリスと真逆な性格
  オリガー   貴族 親衛隊 軍医
  ハルメンス  貴族 父が現皇帝の叔父 母が現皇帝の姉
  クロード   貴族 元平民 地下組織所属
  クリンベルク 貴族 ギルバ帝国軍将軍
  カロル    貴族 クリンベルクの三男
  ジェラルド  ギルバ帝国王子 第一帝位継承者
 ボイ人
  シナカ    ボイ星代表者の娘 十八歳 ルカの妻
  キネラオ   宰相の長男
  ホルヘ    宰相の次男
  サミラン   宰相の三男
  ルイ     シナカの侍女
  ウムギ    シナカの乳母
 イシュタル人
  アツチ    イシュタルの王子 白竜
  ニーナ    アツチの侍女
 四次元生物
  ヨウカ    エルシアの魂に巣くい生体エネルギーを食とする



 夜明け前から、湖の一角に人だかりが出来ていた。湖と言っても一つのコロニーの水瓶、その大きさは対岸が見えないほどの広さだ。そして湖の周りには所々、人の手の入っていない自然が残されていた。その一角に、最初は傷だらけの男性の死体、そして次に女性の死体が上がった。水を飲んでいないところから見て、どうやら男性は殺されてからこの湖に捨てられたようだ。だが女性は、水死。
 オリガーは救急施設に連絡が入った段階で駆けつけていた。老衰や病死以外のボイ人の死体を見るのは初めて。興味がないと言えば嘘になるが、これも勉強の内と自分に言い聞かせ、湧き上がる好奇心を押さえた。
「やはり、白くなるのですね」
 そしてネルガル人同様、水で脹れていた。
「早く遺体をあげろ。池を清める」
「清めるって?」と、オリガーは一緒に来たボイ人の医師の一人、ハッサンに訊く。
「我々ボイ人にとっては、既に息をしていない遺体よりも、湖の方が大切なのです」
 それはそうだろう、この湖はこのコロニー数十万人の喉を潤しているのだから。上がった死体に生気がない以上は。
「清めて、竜神様の怒りを解かなければなりません」
 そうなんだ。と感心すると同時に、上げられた死体を見てオリガーは唖然とした。
「これは酷い」と言いながらも、心の中では別なことを考えていた。
 傷口を見てオリガーは、これが誰の仕業か直ぐにわかった。
 電光鞭、貴族の間で持てはやされている玩具だ。電圧を上げすぎるとショック死する危険がある。
 野次馬の中にトリスの姿を見かけたオリガーは、直ぐに彼を呼ぶと、死体が上がったことを殿下に知らせるように指示した。
 それからオリガーは女性の死体に近づくと爪を見た。生気のない爪もやはり白い。だがその爪の間に。
 オリガーは爪の垢のように女性の爪の間に入っているゴミを、楊枝のようなものでほじくり出すと、大事そうに紙に包みポケットにしまう。
 オリガーのその行為を不穏がってハッサンは訊く。
「何か?」
「いや、なんでもない」と、オリガーは立ちだす。
 死体があげられるとその場を酒で清め、皆が手を合わせる。無論、医師たちも。オリガーも訳がわからず、とりあえず隣の医師の真似をした。だが、何と呟いているのかまでは聞き取れなかった。
「死体はどうするのだ?」
「家族のもとへ送られた後、荼毘に付されます」
 ここボイでは、土葬にしたところでミイラ化しても腐ることはない。よって灰になるまで焼いてしまう。
「それは、何時?」
「別れの儀を済ませてからですから、明後日になりますか」
「少し、伸ばしてはもらえないだろうか」
「伸ばす?」
「その、荼毘にするのを」
「どうしてですか?」
「誰が殺したか、知りたくないか」
 ハッサンは暫し黙り込むと、言いづらそうに口を開いた。
「誰も口にはしませんが、誰が犯人かは皆、知っています。言ったところでどうにもならないことも」
「そ、そうか」と、オリガーは答えるしかなかった。
「ボイでは滅多に殺人など起こらないのです。少なくともあなた方ネルガル人が来るまでは」と言ったのは、ボイの医師のひとり。
 彼が確実に自分たちネルガル人を非難していることはよくわかった。
「失礼した。善良なあなたにこんな事を言っても仕方ないと言うことは重々わかっているのだが」
 言わずにはいられなかったと言う感じにボイの医師は溜め息を付く。
「殿下も再三忠告して下さっているようなのですが」
 その効き目はなかった。
 ボイ人の間では、彼らの行為に対しては諦めがあるようだ。出来るだけ遠巻きに眺め、彼らとかかわりを持たないようにする。これが災難を避ける最良の策と言う感じに。
「荼毘は、伸ばしてもらってくれ」
 オリガーはそう言うと立ち去ろうとした。
「どちらへ?」
「殿下のところだ。二度とこのようなことが起こらないように、策を講じてもらう」
「無理です。あのお方は、まだ幼い」
 オリガーはボイの医師の方へくるりと振り向くと、
「そうだろうか、彼が本気になれば、このぐらいの策、講じられると思う」
「でしたら、こうなる前に」
「こんなことになるとは、思っておられなかったのでしょう。その点では、まだ幼いですから」
 経験が足りない。
「とにかく、死体はこのまま霊安室にでも安置しておいてくれ」と、オリガーはそれだけ言うとその場を去った。
 ハッサンが慌ててその後を追いかける。
「ハッサン」と、呼び止める医師たち。
 ハッサンは振り向きざま、
「ネルガルの一部の人達の行為で、ネルガル人全員を評価するのはよくない。少なくともオリガー医師も殿下もいい人です。どういう策を講じるのか伺ってきます」

 ハッサンはやっとオリガーに追いつく。
「意外に、足、早いのですね」
 ネルガルでは移動は大半が地上カーで行う。だがここボイでは、公共の乗り物を使うか自分の足で移動するのが大半だ。お陰で運動不足が解消され足腰が強くなった。
「私の見張りですか」
「とんでもありません。どんな策を講じるのかと興味を持ちまして」
「殿下には、何も出来ないと」
「私にはわかりません。私は余りよく殿下を知りませんから」
「実は、私も殿下と知り合ってまだ日が浅い。だからあの方の人となりをよくは知らない。しかし、何故だか知らないが、あの方を本気で怒らせてはまずいのではないかと思う」
 それはどうして。と言う感じにハッサンはオリガーを見る。
 オリガーは少し考え込んでから、
「ハルガン曹長やレスターが、ただ大人しいだけの主に仕えるとは思えないからだ」と言ってから、彼らが何故ボイへ来たかと言う経緯のようなものを話した。
「つまり、殿下が従えて来た守衛たちは、ネルガル軍でははみ出し者ばかりだ。仲間たちからは慕われていたようだが、上官からは睨まれていた者ばかり。こう言う私もその一人だが」
 ハッサンは信じられないという顔をした。
 今、自分の目の前にいるネルガルの医師は、かなり医術に長けていると自分は思っている。それが何故? これだけ医術に長けている軍医が一緒なら、かなり頼もしいではないか。
 オリガーはそんなハッサンの心を察したのか軽く苦笑しながら、
「あの一見、真面目で大人しいクリスですら、上官からは嫌われていた」
 彼の場合はハルガンやレスターと違い、真面目すぎて融通が利かなかったから。
「彼らは、言ってみれば上官の言うことを聞かないはみ出し者、その彼らを殿下は顎で使っている。もっとも本人はそうは思っていないようだが」
 いざとなった時のルカの人使いの荒さは、他に類がない。と、オリガーは苦笑する。
 おそらく絶対的な信頼を相手に置いているから、中途半端なことでは承知しないのだろう。それが不思議と心地よい。何時しかオリガーも、彼のためならと自分の用いる全ての力を出し切って仕えたいと思うようになっていた。否、彼にだけは、お前はこの程度なのか、口ほどにもない。と思われたくないからなのかもしれない。
 本当に苦笑するしかない、あんな子供に、俺は何を魅入っているんだと。


 トリスの報告を受けた城では大騒ぎになっていた。そこへオリガーが駆け付けて来た。オリガーはキネラオを見かけるやいなや、
「これはキネラオさん、いい所でお会いしました」と言いつつキネラオの背後を覗き込むと、シナカを始め一通りのおもなメンバーが勢揃いしていた。だが、そこにルカの姿だけがない。
「これは皆さん、殿下は?」
「自室です。独りになりたいそうです」と、答えたのはシナカだった。
「オリガーさん、私に何か御用ですか」と訊いてきたのはキネラオ。
「そうそう、あなた方三人の誰かに頼むのが一番手っ取り早いと思いまして」
「頼み?」
「検死です。検死をしたいのです、あの二体の」
「検死って、あの二人は水死です」と答えたのはサミラン。
 犯人は誰だかわかっている。だがそれは口にはできない。
「水死って、ただの水死でないことは一目瞭然だ、少なくとも男の方は。あの傷は、電光鞭だ」
「やはり、そうか」と、ハルガン。
「死体を見てきたのか?」
「ああ」と、オリガーは頷きながら、キネラオたちに向かって、
「検死をしたい」
 どうにかできないか。
「おそらく殿下は物的証拠を欲しがるだろう」
 ハルガンはオリガーのその言葉にニタリとする。
「もう欲しがっているよ」
「やはり。では早くしなければ」
 検死と言われても、ボイでは遺体を傷つけることは好まれない。まして尋常な死に方ではない。せめて最後ぐらいは静かに送ってやりたいと親族は思っているだろう。
 困ったと言う顔をしているキネラオの横から、
「私が家族に話してみましょう」と言ったのはホルヘだった。
「お願いします」
 だが結果は散々足るものだった。
「この上、娘に、恥をかかせろと言うのか!」
 外務大臣は怒鳴った。
「あなた方を信じたのは間違いだった。ウンコクの忠告を聞いておくべきだった」
 ウンコクはボイの閣僚。ネルガルの意図は見抜いていた。
 ネルガル人を信用しない方がよい。彼らは自分たちの利益しか考えない。そのためなら、どんなことでもする。
 ほうほうの体で逃げ出してきたホルヘは、その一部始終をオリガーに語り、検死を諦めるように諭したのだが、
「わかった」とオリガーは言うと、立ち出した。
「どちらへ?」
「殿下のところへ」
 ルカは自室にこもり、誰とも会おうとしない。

「お邪魔します」と、オリガーはノックもせずにルカの部屋へと入る。
 ネルガルにいた頃から、ルカの部屋に入るのにノックはいらなかった。と言うよりも、いつもハルガンはノックなしで入っていた。
 どうせノックしたってコンピューターに夢中になっている時は聞こえないのだから、するだけ無駄だ。と言うのがハルガンの自説。
 オリガーもそれに習った。
 ルカは独り、コンピューターの前に座り爪を噛んでいた。
 コンピューターは立ち上げていないよだ、画面が暗い。だがルカは、その真っ暗な画面を見詰めて動こうとはしない、あたかもコンピューターが立ち上がっているかのように。何かを懸命に思慮しているその姿は、八歳の子供とは思えない雰囲気をかもし出している、声を掛けるのもためらうほどの。だがオリガーは、その雰囲気を断ち切るかのように声を掛けた。
「殿下、お話が」
 たいして大きな声でもなかった。何時ものルカならコンピューターに夢中になっていて気づくはずもない。だがルカは、視線をすーとオリガーの方へ移すと、
「何でしょうか」と、一言。
「検死した訳ではないのではっきりしたことは言えませんが、死体の状況から見て、男性は電光鞭によるショック死です。女性は爪に抵抗した痕がありますので、生きたまま池に投げ入れられたのではないかと」
「生きたまま!」
 ルカは一瞬、息を呑んだが、首を傾げると、
「レスターは、後追い心中だと言っていましたが」
「後追い心中?」
 今度はオリガーが首を傾げた。しばし思考したのか黙り込んだ後、
「レスターは女性が入水するのを見ていたのでしょうか」
 見ていなければ後追い心中などとは言えないだろう。
 それもそうだ。と思ったルカは椅子から立ち上がると、インターホンに向かって言う。
「誰か、おりますか」
『何か御用ですか』と、直ぐクリスが答えてきた。
 ルカの様子を心配したハルガンたちが、隣の部屋に控えさせておいたようだ。
「レスターを呼んで来てはもらえませんか。私は居間におりますので」
『レスターさんですか。畏まりました』

 居間に行くとシナカとホルヘ、それにリンネルがまだ居た。キネラオたちは葬儀の打ち合わせに行ったようだ、姿が見えない。ハルガンやケリンの姿もない。どうやら情報収集に行ったようだ。彼らの専売特許だから、そのうち卒のない情報を持って帰ってくることだろう。
 やっと部屋から出てきたルカに、シナカは心配そうに声をかけた。
「どうなさるおつもりなのですか?」
「裁判を開きます」
「裁判ですか」と、聞き返してきたのはホルヘだった。
「はい。ネルガル式の裁判です」
「ネルガル式ですか」
「傍聴は自由ですので」
 これからネルガル人を相手にするには、ネルガルのやり方を学んでもらわなければならない。この裁判はよいきっかけになる。
「裁判はよろしいのですが、一つ困りました」と、言い出したのはオリガーだった。
「困るとは?」
「裁判に勝つには証拠が必要です」
「その証拠でしたら、ハルガンたちが。それに検死の結果があれば」
「その検死ができないのです」
 検死ができない? ルカはホルヘを仰ぎ見た。
「ボイでは、遺体はそのまま荼毘に付すのです。遺体を傷つけるようなことはしません。傷をつければ転生した時に傷を持って生まれるとされています。まして今回は、自然死ではありませんので、いつもより送る時は慎重です。来世は幸せになるようにと」
 ボイの死生観、ボイ人もあの世よりもは転生を信じている。これも母の故郷と同じ。つまりイシュタル人の死生観なのかもしれない。
「頼みに行ったのですが、断られました」と、諦めたようにオリガーが言う。
 ルカは暫し考え込んでから、
「わかりました。私が直に頼みます。証拠がなければ。こんな事を二度と起こさないためにも」
「殿下が」と、驚くオリガーに対し、
「無理よ」と、言ったのはシナカだった。
「いくらあなたが頼みに行っても、無駄だと思うわ。ボイ人は死体をいじられるのが一番嫌なの」
「それは、わかっています。でもそこを。彼女のような女性を二度と出さないためにも」
 そこへクリスがレスターを連れては入って来た。
 開口一番、
「何の用だ」
 用がなければさっさと帰るという感じだ。
「まあ、座ってください」
 レスターはルカが勧めたソファを一瞥すると、
「座って話さなければならないほど、長い話なのか」
「いや、私も用ができましたから、長話をする気はありません。二、三、訊きたいだけです」
「じゃ、手短に頼む」と言って、レスターは勧められたソファに足を組んで座った。
 レスターがソファに座ると、
「お茶を用意します」と、レイが立ちだす。
 そのレイの背中に、「お茶はいらない」と、レスターの声。
 どう切り出したらよいか迷っているルカに、
「訊きたい事とは、何だ」と、レスターがせっかちに訊いてきた。
 ルカの代わりに答えたのはオリガーだった。
「どうして心中だと?」
 レスターはオリガーに一瞥してから、ルカに視線を移すと、
「女が入水するところを見た」
 オリガーとルカはやはり、と思った。
「泳いでいけば助けられたかもしれない」
 それを聞いた瞬間、ルカの心に怒りが込みあがってきた。
「どうして、助けなかったのですか」
 思わず声がきつくなった。
 女が死ぬのを、ただ黙って眺めていたのか。
 レスターは怒りを帯びたルカの視線をしっかり捕らえると、
「魂が、手を取り合っていた」
 ルカはもとより、その部屋に居た全員が一瞬、はっ? と言う顔をしたが、ルカは怒りが前にも増して込みあがって来た。
「どういう意味ですか」
「意味はない。ただ、二人で仲良く」
「そんなこと、ありえません」
 レスターは怒れる我が主を静かな視線で見詰めると、
「まあ、信じないだろうな」と呟く。
 ルカはやりきれないという思いで、頭を抱えた。
 レスターにしろ、リンネルにしろ、どうしてこうなのだ。肝心な時に、まともではない。
「死に顔は、きれいなはずだ」
 それだけ言うとレスターは立ち上がった。もう用はなかろー。と言う感じに。
 ホルヘは聞いていた。自殺したわりには顔に微笑があると。
 幽霊が見えるという彼。彼は湖の上で愛を語らう二人の姿を見たのだろうか。
 レスターが去った後、ルカは放心したようにソファにもたれかかる。どう反応してよいかわからない。
 疲れたようにリンネルの方へ振り向くと、
「リンネル、お前はどう思う。いくら魂が手を取り合っているからと言って、見殺しにしてもよいものなのだろうか」
 これには誰も答えられなかった。だがシナカは思った。愛する者が殺されれば、私もその後を追って。そう思いながらルカを見る。ルカはそんなシナカの視線に気づいたのか、
「あなたはどう思います」と、訊いてきた。
「もし死後、二人で本当に手を取り合えるならば」
「見殺しにしてもよいと」
「既にレスターさんが駆けつけた時には、死んでいたのではありませんか。魂が肉体から抜け出ているようでは」
「私もそう思います」と言ったのはリンネル。
 オリガーは黙っていた。
 彼は医者。幽霊は見たことない。おそらく女性は仮死状態。水を吐かせ人工呼吸をすれば、もしかして助かったかもしれない。そしてレスターにはその知識は充分にあった。
「死後の世界を選ぶか、現世を選ぶかというところですか」と、オリガーはぽつりと言う。
 医者であるオリガーには死後の世界を選ぼうなどと言う考えは毛頭ない。あったら医者になどなってはいなかった。坊主にでもなっていた。
「私達に死後の世界はありません。あるのは来世です。おそらく来世に、あの二人は結ばれるでしょう」
 ホルヘのその言葉にルカは苦笑する。ルカは死後の世界も来世も信じていない。死ねば消滅するだけ。
「とにかく、検死に協力してもらおう」
 今は、現実を見るしかない。二度と同じ犠牲を出さないために。
「ホルヘさん、別れの儀には何を持って行けばよいのですか」
「花です。生前その人が好きだった花か、ご自身の好きな花を遺体の周りに添えるのです」
 ルカは外を見た。庭の片隅、自分が好きなはずだと言われているヤグルマ草が咲いている。ボイ星は一年を通して同じ気候。時間さえずらして種を撒けば、一年中満開だ。そしてその種は母が持たせてくれたもの。ボイの気候が許すのなら庭先に撒くようにと。これはあなたの好きな花なのですから。どうしてこの花を、私が好きにならなければならないのだ、わからない。
「あれにしますか」と、ルカは沢山ある庭の花々の中から、わからないにしろヤグルマ草を選んだ。
 大きな花束にしようとしたルカに、二、三本でいいのですよ。と言ったのはホルヘだった。
「皆が持ち寄って来ますから、あまり多いと」
「そうですか」と言うと、五、六本切り出した。
「花が小さいですから、このぐらいあったほうが」
「そうね」と言ったのはシナカだった。
「私もご一緒していいかしら」
 ルカは暫し返答に困った。
 別れの儀に行くのではない。目的は、
「わかりました、一緒に行きましょう。クリス、あなたも一緒に来てください」
 リンネルは私と行動を共にするだろうから、そうするとシナカが一人になってしまう。帰りはクリスに送らせよう。そう考えてのことだ。
「私もご一緒してもよろしいですか」と言ったのはレイだった。
「姫様が結婚される前は、たびたびここにも遊びに見えられていたのです。それで他人事のようにはおもえませんので」
「そうだったのですか」
 父の仕事の関係で城への出入りも多かったのだろう。それで公達とも知り合うようになった。知り合わなければ、こんなことにもならなかっただろうに。
「ホルヘさん、彼女のところへ案内してくれますか」


 ここは外務大臣ヴィムの邸、と言っても彼らボイ人は一つの邸を数組の家族で住み分けている。ヴィムの一人娘ベトラも結婚すればブィム夫妻とは独立し、この邸の別なところに居住することになっていた。
 ヴィムの邸は弔問客であふれていた。何処からともなく嗚咽の声。だがルカの存在に気づいたとたん、それらの声は静まった。親切に道はあけてくれる人々、だがその視線は冷たい。そんな中、一人の少年が飛び出してきた。年の頃ならルカより二つ三つ下だろう。しかしネルガル人より体格のよいボイ人は、身長はルカと同じぐらいだった。
「何しに来た!」
 悲しみと怒りに満ちた瞳。
「お前の来るところではない」と叫ぶ少年を、母親らしき女性が押さえ込み、頭を下げると慌てて奥へと連れて行く。
 その後から慌てたように大臣が現われ、
「お許し下さい」と、丁寧に頭を下げた。
「わざわざお越し下されたのに、とんでもないところをお見せいたしまして」
「いいえ」と、ルカは首を横に振ると、
「許していただきたいのは私のほうです。あの子は、ここに居る大人たちが言えないことを代弁したにすぎません」
 ベトラの気立てがよければよいほど、怒りや恨みは強くなる。
 大臣は恐縮したように頭を下げた。
「こちらです」と言って、ブィムはルカたちを娘の遺体の安置されている部屋へと案内する。
 そこは既に花で一杯だった。
 ルカは空いていそうなところに花を置き、ベトラの顔を覗き込む。
 ベトラの死に顔はレスターが言ったとおり、微笑を含み大変美しいものだった。幸せそうだと言っても間違いではないほどに。
 ルカは両手を合わせ深々と頭を垂れた。暫しそのまま黙祷をする。黙祷が済むとクリスにシナンを連れて先に帰るように指示した。そして改めてブィムの方へ視線を移すと、
「頼みがあるのですが」と、切り出した。
 ブィムもルカの背後にオリガーの姿を見て察したのか、「こちらへ」と、人気のない奥の座敷にルカを案内する。
 座布団を勧められたルカはそれを両手で丁寧に脇に寄せると、畳の上に両手を付き、
「娘さんのご遺体をお貸し下さい。死因を調べたいのです。このとおりです」と、畳に額が付くほど深く頭を下げた。
「二度とこのようなことを起こさないためにも、お願いします」
 これにはオリガーも驚いた。平民の血が混じっているとはいえ、ネルガル帝国の王子だ。それが他の惑星の者に、ここまで頭を下げるとは。オリガーも貴族の端くれ。自分では平等主義を唱えていたつもりでも、ここまではできない。相手がネルガル人ならともかく、ネルガル人以外の者に。自分が差別されるのには抵抗があっても、自分が差別していることには気づかないのが人の常。オリガーの心の中にもネルガル人であるプライドは幾ばくかはあった。
 オリガーは苦笑する。
 自分が使えている主をこう言うのもなんだが、おもしろい奴だから来てみないか。どうせ今の上官に辟易しているのだろう。と誘いを掛けてきたのはハルガンだった。
 捨石だろう、後がない。
 だからこそ、身分に囚われない名医が必要なのさ、後を続けるために。ここで終わりにはしない。お前も無事に帰還できるように計らうから、奴のことを頼む。
 上官ともめている時に助けてくれたのはハルガンだった。上流貴族にも、こんな奴がいるのかとその時思った。そのハルガンが見込んだ人物。
 オリガーは土下座をする我が主を眺めていた。
 だが、ルカの申し出に真っ向から反対したのはブィム夫人だった。
「この上、娘を」
 怒りで後の言葉が出てこない。ただただ全身を震わせる。
「スピア、少し落ち着きなさい」と、ブィムは夫人を落ち着かせると、ルカの方へ手を差し延べ、
「まずはお手をお挙げ下さい」
 ルカが正座をするのを見届けてから、
「ご存知ですか、我々ボイ人は」
「それはホルヘさんから聞きました、遺体をいじるのを嫌うと」
「さようですか、それでも」
「はい。どうしても証拠が欲しいのです。二度とこのようなことを起こさないためにも」
 ブィムは腕を組み黙り込む。
「二度と起こさないなんて、あり得ないわ」と、ブィム夫人。
 その言葉の裏には彼らネルガル人がボイに居る限りという意味が含まれている。
「もし、またこのようなことが起きるようでしたら、その時は、私の命で償います」
 この言葉にはリンネルが黙ってはいなかった。
「殿下」と、小声で声をかけたものの、ルカはそれを無視した。
 ネルガル人にとって死は、あの世というものはあるが永遠の消滅を意味し、ボイ人にとって死は再生を意味する。死の概念が違う。再生である以上、死は怖いものではない。だが消滅ともなれば、死はかなり怖いものに違いない。ボイ人よりもネルガル人の方が死を遥かに恐れているはずだ。そのネルガル人がここまで言うのだ。
「わかりました」と、ブィムは承諾する。
「あなた!」と、甲高い声。
「殿下がここまで仰せなのだ」
「娘は?」 娘の転生は,片輪にでもなって生れてきたら。来世は今以上の地獄になってしまう。
「検死した後、きちんと治療してもらえば大丈夫だろう」
 死体を治療するのか? オリガーは疑問に思いながらも、ここは黙って成り行きを見守っている。
「有難う御座います」
「娘が捜査に協力することによって、新たな犠牲が出なくなるのなら、娘も本望でしょう。しかし、最後の言葉は聞かなかったことにいたします、絶対ということはありませんから。そのことによってあなたの命と引き換えるということは、娘は望んでおりません。娘は心の優しい子でしたから」
 それはルカも重々感じていた。弔問に訪れていた人達の自分に対する視線から。
「有難う御座います」と、ルカは深々と頭を下げた。
 その夜の内に、ベトラの遺体はオリガーの勤務する病院へと運ばれた。
 ルカは最後に結婚したら二人が暮らすはずだった部屋へと案内してもらった。
 どうして? 今更その部屋を見ても意味がないのに。
 誰かに呼ばれたような気がしたから。誰に?
 その部屋は既に調度品は全て揃っていた。親族や友人からお祝いとして贈られた品々には彼らの思いがしみ込まれている。ここで幸せな生活を送るはずだった二人。
 ルカは静かに黙祷した。ふと背後に気配。振り向くとそこにはベトラとベトラの夫になるはずたった人物が立っている。
「ベトラさん」と言ったきり、ルカの動きが止まった。
 どうしたのだろうと訝しがるリンネルの前にヨウカが現れた。
「ヨウカ殿」と言うリンネルに、
(久しいのー)と挨拶するヨウカ。
 ヨウカの言葉は耳からではなく、直接思念として頭の中に入ってくる。
(心配はいらぬ。この部屋はあの世とこの世の狭間じゃきに)
 あの世とこの世の狭間? それでは尚更心配しないわけにはいかない。下手をすれば死を意味している。
 ヨウカはリンネルの思考を読み取ったのか、笑う。
(この部屋は彼女の体内のようなものじゃ、彼女の気で満ちて居る。彼女は今、奴の目の前に立っておるが、実際はこの部屋の中になら、何処にでもおる。だがそれではお前等が話し辛いと思うて、奴の前に気の密度を濃くしておるだけじゃ)
 そう言うとヨウカはリンネルの気配を伺い、
(なんじゃ、お前には見えんのか)と、訊いてきた。
 リンネルが頷くと、
(まったく、肉体を持つと不自由じゃのー。仕方ないのー、お前等の世界を見るとき、わらわはお前の目を借りちょるきに、今度はわらわの目を貸しちゃる)
 ヨウカがそう言い終らないうちに、空間が歪んだ。するとルカの前に一人のボイの女性。今、ルカが見ているのはこの状態。
 リンネルがそう思った瞬間、
(否、違う)
「違うとは?」
(あやつが見ているのは男と女の二人のボイ人。じゃが、男は存在しない。男はあの女の想いじゃきに)
「それは、どういう意味でしょう」
(なんじゃ、わからんのか)
「頭が悪いもので」と、リンネルはヨウカに言われる前に自ら言った。
 ヨウカは苦笑すると、
(説明するのがおっくうじゃ、後であやつに訊けぃ)
 今度はリンネルが苦笑するしかなかった。
 リンネルはヨウカの力を借りて女を見る。すると体内に流れ込む思念。あの女のものだ。犯されて自殺に至るまでの女の想い。それと、今、過ちを犯そうとしている者を救おうとする想い。
(元来、人は優しいものじゃ。肉体を得ると、相手を殺して生きなければならないから凶暴になるのじゃ)
「相手を殺す?」
(お前、知らんのか。食するということは、相手を殺すことじゃ)
 リンネルは息を呑んだ。
(これだけ大きな分子、肉体を安定させておくには、竜のように空間からエネルギーを得ることが出来ない限り、相手の持っているエネルギーを奪って生きるしかないのじゃ。だからせめて、相手のエネルギーを体内に取り入れたらな、そのものと一緒に生きていくしかないのじゃ。まあ、これはエルシアの考えじゃがのー。わらわは相手の命を奪うほど食せぬきに)
リンネルはじっとヨウカの話を聞いていた。わかったようなわからないような。ヨウカの話は思念として直接リンネルの頭の中に入って来るので始末が悪い。イメージにはなっているのだが、そのイメージを受け入れるだけの感覚がリンネルにはない。ちょうど訳のわからない夢を見たような。結果的には、悩みの種が一つ増えただけ。
 女との会話が終わったのか、ルカが歩き出した。
(駄目、いけない。そんなことしても私は嬉しくない。あなたの魂が泥水をかぶるだけ。お願い、止めて。こんなことであなたの魂を汚したくない)
 女は必死で何かを止めようとしている。
「有難う、ベトラさん。でも」と言うとルカの言葉をかき消すかのような強い思念。
(止めて! お願い!)
 リンネルにも体内が雷に打たれたように伝わって来た。
 だが、それを無視するかのようにルカは部屋の出口に立ち、部屋に向かって深々と頭を下げた。
「来世は、デイリさんとお幸せになって下さい、私の分まで」
 リンネルは時計を見る。
 やはり時間はこの間、ものの数分。傍に付き添っていたボイ人には、ルカが黙祷をして出てきたぐらいにしか思えないだろう。それとも彼にもあの女が見えたのだろうか。
(馬鹿じゃ、あやつは昔から生き方が下手なのじゃ。何万年経ってもなおらん、自分で泥水をかぶることばかりしちょる)


 邸へ戻ったルカは、三つの月を映して輝く池を眺めながら物思いに耽っていた。
「何を、お考えなのですか」
 シナカが久々にネルガルのお茶を入れて持って来た。
「別に」と、言うルカに、
「爪を噛んでいたでしょ、隠しても駄目よ」
 ルカは慌てて手を隠す。
 ルカは真剣にものを考え始めると爪を噛む癖がある。これも取り扱い説明書に記載きれていた。
「レスターのことです」
 ルカは現実へと気持ちを切り替えていた。ベトラとの会話は来世があってのことだ。だが現実は、
「私は、彼は優しい人だと思っていたのですが」
「レスターを攻めているのですか?」
「見殺しにしたのですよ、助けられたのに」
 シナカは軽く首を横に振ると、
「今まで私は、あなたがどうしてレスターさんのような方と付き合うのかと疑問に思っていたのですが、あの時、はっきりわかりました。彼は、あなたと同じぐらい優しい人なのだと」
「優しい? 助けなかったことがですか?」
 シナカは軽く頷くと、
「おそらく助けても、ベトラがもう二度と幸せになることはないでしょう。レスターさんはそれを知っていたのかもしれませんね」
「どうしてですか、生きていればやり直しは何度でもききます。また新しい恋人を探して」
「そこがネルガル人と違うのです。ボイ人は、一度この人と決めれば一生添い遂げるのです。途中でどちらかが亡くなるようなことがあっても、再婚はしません」
 ルカは不思議そうにシナカを見た。ころころ相手を替えるネルガル人とは違う。ネルガル人は結婚していても、他に好きな人が出来れば離婚して再婚する。もっともこの時はかなりもめるようだが。
「それが子孫を残すのに一番よい方法だったのでしょう。数千年も、いいえ、数万年も前からそういう慣習が身についているのです。もうこれは本能と言ってもいいかもしれません。それを僅か数年で変えることはなかなか出来ません」
「本能ですか」
「ええ、とても食糧の乏しい星でしたから、子供を育てるには夫婦が協力しなければならなかったのです」

 次の日、オリガーからの検死の報告があった。だがルカはその前に、ハルガンとケリンから状況報告を受けていた。
「つまり彼女は、犯されたんだ」
 子供にこんな事を言ってもわかるか? と思いながらもハルガンとケリンは報告した。だが既にその時の状況を、ルカはベトラの思念で知っていた。
 それを知った彼氏は、彼女の仇を取ろうとして公達の邸に乗り込み、返り討ちにあった。それを知った彼女は、彼の後を追って入水した。と言うことになる。
「やはりそうだったのですか」
 それ以外に、結婚を目前にしている女性が自殺するはずがない。
 そしてオリガーからの物的証拠。
「女性の爪の垢なのですが、これには数人の公達の皮膚が」
 力のあるボイ人のことだ、押さえつけるのに二、三人は必要だっただろう。
 女性はかなり抵抗したようだ、体の数箇所に殴られたと思われる打撲。
「それに複数の精液も検出されました」
 それだけで証拠は充分だった。
「そうですか」と、ルカは呟く。
 何時かはこうなるのではないかと危惧していた。だからこそ再三忠告していた。わざわざ足を運んでまで。だが彼らは一向に聞き入れなかった。
「裁判を開きます」
「しかし、これだけでは」と、心配するオリガー。
 オリガーは過去にもこの手の事件の物的証拠を提出したことがある。その経験から、相手は上流貴族の令息、何とでも言い逃れをする。女性の同意のもとなどと言われた時には、死人に口なしだ。
「裁判と言っても軍法会議です。今は戦時中なのですよ、そしてここでは、私が最高司令官なのです」
 オリガーは沈黙した。それが意味するところは。
 ハルガンやケリンは、ルカが証拠を欲しがった段階で察していたようだ。
「だから奴を怒らせない方がいいと俺は忠告してやったのにな。あいつはただの大人しい王子ではない」と、ハルガンは呟く。

 そして数日後、ネルガル風に建てられた館の一室で軍法会議が開かれた。被告の席には公達が五名。傍聴席にはキネラオを初めボイのおもな顔ぶれが揃っていた。だがシナカの姿だけがない。彼女が傍聴するのをルカが断ったからだ。この裁判は真剣勝負なのです。あなたの姿を見ると私の心が集中しなくなりますからと。だがそれは方便だった。本当はこんな姿を見せたくなかったから。これから行われる裁判は茶番。二度とあってはならないこと。だからシナカだけには見せたくなかった。モリー、シナカを頼みます。
「どうして、我々がこのような席に?」
「一体、我々が何をしたと?」
 公達は憤慨してみせる。弁護士をたてるように言われたが、こんな茶番にその必要はないと断った。
「それは、ご自身の胸に訊いてみてください」と、ルカは前置きしてから、法廷を開くことを宣言した。
 状況証拠をハルガンが、物的証拠をオリガーが読み上げて行く。
「少し待ってくれ、それでは我々が犯人だと言っているようなものではないか」
「違うのですか」と、問うルカに対し、
「あれは、彼女の同意のもと」
 ほら、来た。とオリガーは思った。
「では、どうして入水を」
「そんなこと我々が知るか」
 怒りが脳天に達したという感じに言い捨てる。
「少し待って下さい」
 傍聴席からの声。
「私の娘はそんなふしだらな女ではない」
 殺された上に娘の名誉まで傷つけられては。
 会場がざわめき、議長が静かにするように忠告する。
 会場が静かになったのを見はかりルカは言う。
「彼女の同意があったかなかったかは、今となっては訊くすべがありません」
「では無罪だな」と、立ち上がろうとする公達。
 傍聴席からも彼らの友人が歓声を上げる。
「疑わしきものは罰せずだ」と、哄笑する。
 だから言わん事はないと言いたげなオリガーの顔にルカは一瞬視線を遊ばせると、公達の方に視線を移し、これからが本番だという感じに睨み付けた。
「まあ、お掛け下さい」と、ルカは公達に席に着くように促す。
「ご存じだとは思いますが、これは軍法会議なのです。ここでの法律は最高司令官の私なのです」
 戦場での兵士の処罰は司令官に委ねられている。これはネルガルの軍規。
「そして私の法律は、疑わしきものは罰する、なのです。戦場で敵と思われる者と一緒に戦うわけにはまいりませんから」
 これには戦場経験のあるハルガンが笑う。
 公達は唖然としてしまった。だが何時までも呆然としてはいない。反撃に出た。
「軍法会議なら、我々市民は裁けないはずだ」
 軍規はあくまで軍人にのみ適用されるものであって、一般市民には通用されない。
「ご存じなかったのですか、戦略に多大なる支障を来たす場合には、市民でも裁けることを。なんでしたら法規集がありますから、確認してみますか」
 公達は黙り込む。
「そして私の戦略は、ボイ人と友情を結び貿易を発展させることです。これによってネルガルは宇宙軍艦の燃料補給に、苦労することはなくなりますから」
 さもありなんらしき理屈。
「連邦制度、これが私の理想です」
 これはどうやらルカの本心のようだ。
「ですから私はあなた方に何度も忠告いたしました。わざわざ出向いてまで。しかしあなた方は私の忠告を受け入れては下さらなかった、残念なことです」
 そこには全てが終わったという余韻が漂う。
「ボイの死体は二体、こちらも二体出すことで、ボイの人達に許してもらおうと思っております」
 ルカのこの言葉には、公達はおろか、傍聴席も一時静まり返ったが、
「数を合わせればよいというものではなかろー」と、怒鳴ったのは傍聴している公達の仲間。
「そっ、そうです。何も殺さなくても」と、言ったのはネルガルの裁判とはどのようなものなのかと見に来たボイ人。
「そんなことをしても彼女は生き返らない」と、叫んだのもボイ人。
 ボイ星に更生法はあっても刑法はない。
 会場はざわめいた。
 だがルカはそれらの声を無視し、二人のネルガル人に死刑を言い渡す。
「期日は明日、正午、場所はミクリの丘」
 町外れの丘だ。つまり公開処刑。既にルカは下見をしていたようだ。
「ふざけるな!」と、ルカに飛び掛ろうとした二人を守衛が押さえ込む。
 その守衛の一人がレスター。レスターはホルスターを構えると、
「ここで処刑してもいいんだぜ」と、冷ややかな声。
 公達は押さえ込まれた恰好でレスターをぐっと睨み付ける。それからルカに視線を移すと、
「私を誰だと思っている、ヴェルネ子爵の四男マグヌスだ。こんなふざけた真似をして、ただで済むと思っているのか」
 爵位を嵩にかけるマグヌスをレスターは冷ややかに見詰めると、ルカに向かい、
「おい、こいつは俺にやらせろ」と、処刑執行人の役を買って出た。
 ルカはレスターのその言葉を無視し、
「ふざけておりません、私は本気です」と答える。
 公達の中で一番年長のキーソンは、じっとルカを睨み付ける。
「こんなことをして、ネルガルに戻れると思っているのか」
 その口調はあくまで冷静だ。実際キーソンもこの二人には手を焼いていた。
「私ははなから、ネルガルに戻るつもりはありません。この星に骨を埋めるつもりでおります」
 ルカの決断に対して、傍聴席の公達が怒鳴る。
 ボイ人からは助命の嘆願。
 だがルカはそれらの声を全て無視して、残り三人には謹慎を言い付け裁判を閉廷した。
 怒気と批判と同情、哀願が入り乱れる会場。
 キネラオにもホルヘにもどうすることもできない。ただただ会場が静まるのを待つだけ。
「これは裁判などではない、一方的な宣言だ」
 誰かが怒鳴った。確かにそうだとホルヘも思った。
「このような判決を出すために、私の娘は協力したのではない。彼らが処刑されたところで、娘は浮かばれない。それよりもは彼らの更生こそが」
 ルカはこれらの怒りをただ一身に受けているだけ。何も弁明しようとはしない。
「何をお考えなのだろう」と問うキネラオに、ホルヘは首を傾げるだけ。
 暫しの砂嵐のような騒ぎがおさまると、会場は静かになった。既に五人の被告の姿はない。
 ルカの周辺はハルガンやケリンを始め、数人の守衛がしっかりガードしている。
 キーレンは傍聴席からゆっくり立ち上がるとルカに歩み寄る。
「彼らは貴族だ、せめて服毒をもって」と言うキーソンの嘆願に、ルカは軽く首を横に振ると、
「今回の事件は、毒を煽るような高貴な事件にも思えませんが」
「なっ、なに!」
 キーソンはその生意気な面を一度叩いてやろうと詰め寄る。だが直ぐにハルガンに制された。
「目には目、歯には歯。これが私のやり方です」
 高貴な死に方がしたいのなら、たとえ犯罪であっても高貴でなければならない。
 キーソンは掌に爪が食い込むほど硬く拳を握り締める。
「わかった。この事は国に報告する」
「そうして下さい」
「ネルガルから返事が来るまで」
「待てません。もう皆さんに告示してしまいましたから」
「きっ、貴様」
 キーソンは怒りで全身を震わせた。

 会場の片隅にハルメンスの姿もあった。
「やはり、こうきましたか」
「しかし公開処刑とは、随分と思い切ったことをしますね」
「まあ、やるならここまでしなければ、意味がないでしょう」
「これで公達との亀裂ははっきりしましたね」


 ルカはどっと疲れて邸へ戻った。だがそこで待ちうけていたものは。
 判決の結果は既にボイ全土に知れ渡っている。明日のミクリの丘は見物人で賑わうことだろう。
「あなた! これはどういうことなの?」
 シナカはディスプレイを指差して、ルカを見るなり甲高い声で叫んだ。
 だが今のルカには、答える気力もないほどに疲れていた。それでも最後の体力を振り絞って、シナカのために答える。
「お聞きの通りです」
 ニュースには結果だけが流されていた。
「死刑って」と、執拗に問いただすシナカに、
「殿下はお疲れのご様子ですので、詳しいことは後日」と、リンネルが割って入った。
「私からもお願いいたします。少し休ませてやって下さい」と、疲弊しきったルカを見てモリーまでが頭を下げる。
 モリーに言われてはシナカも言い返しようがない。
 ルカはそのまま自室へ入ると簡易ベッドの上に横になった。だが目をつぶっても会場の叙景が頭の中に流れなかなか眠れない。体は疲れているのに頭が寝ようとはしない。
 モリーが心配そうにその場に付き添う。
 ルカは幾度かの根がいりの末、やっと眠りに付くことが出来た。
 モリーはルカが眠りに付いたのを見届けて居間に戻って来た。だがまだそこには、リンネルが控えていた。ルカを気づかっての事だ。
「殿下は?」
「やっとお休みになられました」
 リンネルは、そうか。と言う感じに頷くと、
「暫く、殿下の傍に付いててもらえないか」
「畏まりました」
 モリーはリンネルに言われなくともそのつもりでいた。今回の判決はルカにすれば苦渋の選択。ルカの乳母であるモリーにはそれが痛いほどわかった。
 あの子はといも心の優しい子なのです。虫すら殺すのをためらうほど。ナオミ夫人が無用な殺生を大変嫌ったせいか、ルカはとても優しい王子に育った。使用人にも気配りをするほど。気が強く、それでいて弱いものには優しいのはナオミ夫人に似たのだろう。
「頼みます。クリスをおいていきますので、何かありましたら」
 クリスだけでは頼りないが、おそらくレスターも何処かにいるはずだ。ここはこの二人に。公達の方も見回らなければならないから。焼けになって何を仕出かすか。こうなるとたかだか二十五人程度ではどうにもならない。兵士より一般人の方が多いのだから。公達が銘々従者として連れてきた者たちでさえ、これよりもいる。身辺の護衛をするにはせめてこの三倍と言ったのだが、ルカは承知しなかった。彼らに生きてもう一度ネルガルの地を踏ませてやれる自信がないと言って。
 処刑が済むまでは、否、処刑が済んでも暫くは警戒態勢だ。

 守衛所ではハルガンたちがやはりルカのことを心配して待機していた。
「どうだった?」
「休まれた」
「そうか」
「明日の処刑は、俺たちだけでやろう、殿下は無理だろう」
「子供が見るものではないからな」

 そして翌日、町外れにある砂が吹き溜まってできたような小高い丘、それがミクリの丘。町に近いこともあり、砂に水分が含まれているのか多少の緑があった。緑といってもそれは乾燥に強い植物で、砂に埋もれながら地を這うように茂っている。ごつごつして棘があり、見た目にも美しいとは言えない姿だが、その花は華麗だった。花を咲かせている時とそうでない時のその植物の姿に、ルカは驚いたものだ。
「花を見なければ、ただの雑草として刈り取るところでした」
 それほどまでにその花は、その植物の姿からは想像もつかなかった。人は、その一面だけを見て判断してはいけない。それは重々わかっているのだが、この場合はこうするしかなかった。母上はどう思われるだろう。こんな決断をした私を許してくれるだろうか。この期に及んでルカが唯一気がかりだったのはそのことだった。おそらく母は許してくれないだろう。どんなことがあっても、相手の命を奪うことを一番嫌っておられたから。

 今、ミクリの丘は人で埋め尽くされている。普段はめったに人の姿を見ることのない所なのに。
「やはりボイ人も、人殺しには興味があるのかな」
「否、処刑と言うこと自体、ここ数百年なかったようだ」と、レイは感心したように言う。
「よくそれで、犯罪が増えないものだな」と、ハルガンは呆れたように言う。
 極刑があるからこそ犯罪も減る。これがネルガル人の一般的な考えだ。死刑を廃止してみろ、それこそ犯罪者の天国だ。
「ボイ人の感覚はわからない」
「少なくとも、ネルガル人よりも善良なのだろう」
「ネルガル人より悪い星人がいるなら、会ってみたいものだ」と、ハルガンは笑いながら言う。
「青い髪の悪魔がいる」と、マジな顔で答えたのはトリスだった。
「実際に存在すればな」
「曹長は、居ないと思っているのか」
「俺はまだ、会ったことないからな、何とも言えない」
 伝説上の存在。青い髪の悪魔が存在するならば竜も存在することになる。青い髪の少年や少女はいたとしても、竜はな? と言うのがハルガンの考え。そして神などいるはずがないとはっきり否定するのは、自分たちの主ルカだ。人は自分の努力の無さを神に頼りたがる。それが故に神が存在するのだ。そういうものでもないとハルガンは思うのだが、まあ、主の考えは自分に近い。

 丘の上に丸太が二本立てられた。丸太の背後にいる者たちに、
「おい、そこで見物していると、流れ弾にあたらぞ」と言って、トリスは背後で見物しようとしている人達を退ける。
 準備は整った。後は罪人が連れてこられるのを待つばかり。そしてその罪人たちは、既に貴族としての華麗さを喪っていた。檻の中でただただ罵声を咆哮する獣。その獣を護衛するかのように守衛たちが檻を取り囲みながら、ゆっくり丘へ向かう。
「貴様ら、こんなことして、ただで済むと思っているのか」
「出せ、今ならまだ許してやる」
「俺の親父の友人が誰だか知っているのか」
「俺の親父は、貴様らを絶対に許さない」
「覚えていろ、この銀河のどこに隠れても必ず見つけ出して」
 二人の囚人は交互に檻の周りを取り囲む守衛に怒鳴る。だが守衛たちは平然とした顔をして、
「おい、子爵のご令息殿。俺たちは既に前線で何度も命のやり取りはして来たんだ、今更命を欲しがるか」
「あの世の方が、友達が沢山いるんだ」
 仲間はみんな前線で死に絶えた。俺だけ生き残ってしまった。そんな罪悪感を抱えながら生きている者も少なくない。
「あんまり見苦しい真似はしない方がいいぜ。最後ぐらい、貴族らしくしたらどうだ」と、冷笑する。

 一方ルカは、
「殿下、後は我々が、殿下はここでお待ち下さい」
 リンネルはルカが刑場へ行くのを禁じた。
 だがルカは、
「私が下した判決です。最後まで見届けます」
「しかし」と、口ごもるリンネルに対し、
「大佐の言うとおりだ。あんなもの、子供の見るものではない。後は俺たちに任せた方がいい」とケリンが口を出す。
「いいえ」と、拒否するルカに、
「飯が食えなくなりますよ」
 それでなくとも夕べはよく寝ていないせいか、ルカは青い顔をしている。
「かまいません」
「可愛くないガキですね」と、ハルガンの口真似をする。
「あなたと初めて会った時からです」
 確かに、とケリンは頷く。もっともケリンは何とも思わなかったが、ハルガンは何かあるたびに可愛くないガキだとぼやいていた。
「ではかってにして下さい、寝込んでも知りませんから」
 ケリンなりの優しさだ。ケリンはルカの精神を気づかったのだが、最後は投げやりになっていた。
 言い出したら聞かない。
 結局ルカを先頭に、刑場に向かうことになった。
 シナカは最後の最後までルカを信じていた。あの人は優しい人なのだから、あの人達が余りにも言うことを聞かないので、お灸を据えるつもりでこんなことを。最後にはきっと慈悲をかけてあの二人の罪を許すのだと。

 二人の囚人を乗せた檻が見えると、集まっていた民衆はざわめき始めた。同情をする者たちによって取り囲まれる。罪は罪、心から償えばよいことであって何も命まで。これがボイ人の犯罪に対する考え方。
 檻はルカの居る数メートル先で止まった。そして抵抗する二人を強引に檻から引きずり出すと、守衛たちは両脇から挟むようにしてルカの前に連れ出した。
「最後に言い残すことは」と言うリンネルの言葉に対し、
「これで俺たちに復讐したつもりだろうが、俺たちの首を取ったぐらいでいい気になるな」と怒鳴った。
「復讐?」と、ルカはマグヌスの言葉に首を傾げる。
「とぼけるな。お前の魂胆など、見え据えているんだ」
「俺たちが今までお前を蔑視してきたもので、復讐したんだろー。さすがに平民の血を引くだけのことはある、やり方が汚い」と、マグヌスは開き直った。
 やり方が汚いなどと、こいつらだけには言われたくない。と言うのがここにいる守衛たち全員の感想だった。だがその批判に対してルカは何も反撃しない。ただ黙って聞いているだけだ。主が何も言わない以上、守衛たちも何も言えない。ただ我慢して聞いているだけ。
「血は争えないな。さすがに平民だ、視野が狭いと言うか、器が小さいと言うか、下等な奴等にばかり肩入れする」
「もう、いい加減に黙ったらどうだ」と言ったのはハルガンだった。「見苦しい」
「ハルガン」
「気安く名前を呼ばないでもらいたいな」と、ハルガンはいかにも汚いものでも見るような視線を二人に送った。
「キングス伯、あなたなら私達のこの気持ちがわかるだろう、同じ貴族なのだから」
 こんな平民の血を引く王子にいいようにされている、俺たちの気持ちを。
「悪いが、俺にはさっぱりわからないな、お前らのような蛆虫の気持ちは」
 マグヌスとクリミャンは唖然とした顔をしてハルガンを見詰めた。
「さっさと連れて行け。こんなところで何時までも吼えさせておくな、ボイ人にネルガルの恥を公開しているようなものだ」
 ハルガンの合図で二人は引っ立てられた。
「貴様も貴族なら、俺たちの気持ちが」と、怒鳴るマグヌス。
「お前らと同類にされたくないな。か弱い婦女子を陵辱して喜ぶお前らの気持ちなど、知りたいとも思わない」
 マグヌスとクリミャンは振り向きざまハルガンを睨み付けた。それと同時にルカのことも、恨みのこもった瞳で。
 ルカは黙ってその視線を受け止める。
 だがその間もボイ人たちは二人に同情し、助命を願う。娘を陵辱された父親も叫んだ、処刑を中止させようとして。こんなことをしても娘は浮かばれないと、こんなことをするために娘は協力したのではないと。ネルガルの父親なら極刑を望むところなのに。それどころか我が手で殺してやりたいと願うところなのに。
「俺には、ボイ人の気持ちもわからん」
 マグヌスとクリミャンは最後の抵抗を試みたが、格闘の全てを知り尽くしている守衛たちには歯が立たない。ずるずると丸太の所へ引きずられ、守衛たちは慣れた手つきで抗う二人を丸太にくくり付けた。おそらく前線でも似たようなことを上官に命令され何度もやっているのだろう、その動きには無駄が無い。裏切り者の処刑だと言いつつ、本当は上官の意に沿わなかっただけなのに。そしてやっている本人もその事は知っていたのかもしれない。やらなければ、今度は自分がその丸太にくくり付けられることになるから。戦場では、上官の命令が法律だ。
 だがクリスは違った。戦場を知らないクリスにとってこの光景は初めてだった。飢えや病気で死んでいく者は目の辺りにしてきた。だが自分の手で生きている者を手にかけるのは。
「頼む、助けてくれ。もう二度とこんなことはしない」と泣き叫ぶ口が塞がれる。
「この期に及んでやっとか」と、ハルガンは苦笑する。
 見苦しい事この上ない。だがもう既に遅い。あいつが再三足を運んで忠告していた時にやめておけばよかったんだ。あいつは権力を嵩に着せて弱いものをいじめるのを一番嫌う。
 クリスはルカの背後で息を殺し、恐怖に駆られながらこの光景を見ていた。いつ我が主ルカが、中止の命令を出すのかと、それだけを期待して。
 ぼーとしているクリスに、
「やるか」と言ってハルガンが銃を差し出す。
 だがクリスはそれを受け取れなかった。
 二人の囚人に頭から黒い袋をかぶせると守衛たちはその場を離れた。代わりに銃を構えたものが数人並ぶ。その中にレスターの姿もあった。
 助命の声が一段と高くなった。だがルカはそれを無視して合図を送った。
 銃が構えられる。それと同時にボイ人たちの声も消えた。
 次の合図で、風一つない砂漠に銃声が轟く。
 時間が止まったような中で、二人のネルガル人の体から赤い液体が流れ出し、首が前に垂れる。
 静寂。
 そしてその静寂を裂くような女性の叫び。
「悪魔! 人殺し!」
 誰もがその女性に注目した。だがそこに声はない。民衆たちはただ呆然とその女性を見詰めている。
「シ、シナカ」
 ルカは唖然とする。
 シナカは何かに追われるようにその場を逃げ出す。
 シナカがここへ来ないように、あれほどモリーに頼んでおいたのに。
 ルカはシナカの後を追うことすら出来なかった。おそらく追っても無駄だろう。今まで築き上げたものがこの瞬間、静かに崩れ去って行くのを感じた。砂の塔、このボイ星を覆い尽している砂でできた。
 モリーもシナカの後を追ってここへ来ていた。モリーはわざとこの刑場のことをシナカに教えた。どうせ知れるものなら、又聞きよりも自分の目で確認した方がよいと思って。噂にはどうしても尾ひれ背びれが付きものだ。実際に自分の目で見れば、少なくとも殿下が喜んでこんなことをしたのではないことだけはわかってもらえるだろうと。
 ルカはこの場で宣言した。法規を乱すものはネルガル人でもボイ人でも同等に処罰すると。そして二人の遺体は荼毘に付され、ネルガルに送り届けられることになった。


 ルカはどっと疲れた姿で邸へ戻った。そしてそこで待っていたのは、涙で目を真っ赤に腫らしたシナカだった。
 シナカはただ呆然と立ちすくんでいるだけ。ルカにも反応を示さない。余りにもショックが大きすぎた。
「シナカ」と言うルカの呼びかけに、やっと我に返ったシナカは、恐怖で引きつったような顔をしてルカを見た。
「やっぱりあなたも血も涙もないネルガル人だったのね。あなただけは違うと思っていたのに」と呟く。
 ルカとの婚儀を決めるにあたり、ボイでは幾度となく会議が持たれた。そのたびに彼らが評するネルガル人像はシナカに恐怖こそ与えたがよい印象は与えなかった。傲慢で威圧的で人を人とも思わない冷酷さ。だがルカに会ってその印象は一転した。それなのに、
「シナカ」と言って近づこうとするルカに、
「来ないで」とシナカは拒絶する。
 歯を食いしばり体内から湧く恐怖を押さえつけるようにしてルカを睨み付ける。
「もう、あなたのような悪魔と一緒にやっていく自信がない」
 シナカはそう言い残すとルカの前から逃げるように去って行った。
 キネラオもホルヘも掛ける言葉が無い。否、掛ける言葉どころか自分たちですらこれからルカとどう接してよいのかわからなくなっていた。自分たちが抱いていたイメージとこの方は、違うのだろうか。やはりこの方もネルガル人、この銀河の支配者。逆らうものは力ずくでも、膨大な軍事力とそれを支える科学力を背景にして。これがこの銀河の星人のネルガル人に対するイメージ。口にこそしないが誰もが心の中で抱いている。
「失礼します」と言って去ろうとする彼らに、
「もうこれで、二度と彼女のような犠牲は出ません」とルカが言う。
「そっ、そうですか」と答えるのが、彼らも精一杯だった。
 キネラオたちも去ると、部屋はネルガル人だけになった。
 ハルガンがやれやれと言う感じに肩をすくめて見せる。
 リンネルは難しい顔をしていた。
「やはりボイ人には、ショックが強すぎたかな」と言ったのはケリンだった。
 処刑など見たこともないだろうから。
 だがああでもしなければ、ネルガル人は規律が守れないことはここにいる者は誰でも知っていた。時には見せしめも必要なのだと。もしかするとネルガル人は科学だけはどの星人よりも発達していても、この銀河で一番野蛮な星人なのではないか。飴と鞭でしかしつけられない。
「私に彼らを止める力がないが故に、あの二人の命を犠牲にしてしまった」
 ルカはそう言うと、少し独りにして欲しいと、自室へこもる。
「おい、大丈夫なのか、独りにしておいて」
 ハルガンが心配そうに言う。

 その日からルカは熱を出した。まるで処刑したことを後悔するかのように、何度もうわ言で許しを請う。
「やはり、子供にもショックだったようですね」と、診たてたのはオリガー。
 一番の妙薬のシナカの姿はここにはない。
「せめて奥方様が傍に居てくだされば」
「申し訳ありません、私が奥方様を刑場へ」
 モリーが謝る。
「いや、私でもそうしていたでしょう」と、オリガーは腕組みし暫し考え事に耽ったようだが、
「おそらくボイ人には永久に理解できないでしょう、我々のこの行為は」と、大きく溜め息を付いた。

 二、三日してルカの熱は下がった。その間、モリーがずっと付き添って看病をしていた。シナカが姿を見せることは一度もなかった。ときおりルイやキネラオたちが様子を伺いには見えたが。
 ルカはベッドの上に起き上がり流動食を口にするようになったが元気はない。
 そして処刑の効果はてき面に現われた。あれ以来、公達がボイ人に悪さをしたと言う噂は聞かなくなった。
「これで私は一人ぼっちになってしまいました」
 公達がルカに近づくことは今後無いだろう。今までもあるとは言えなかったが、それでもときおり嫌味を言いに顔を出に来た。それでもルカはいいと思っていた、まるっきり相手にされないよりもは。そしてシナカもこんな私を許すはずが無い。
 オリガーはルカの脈を取りながら、
「我々がおりますよ」と言う。
「一人ぼっちだなどと、曹長が聞いたら嘆きますよ」
 ルカこそ我が命と言う感じで今は仕えるようになったハルガン。否、そう思っているのはハルガンだけではない。このボイ星まで付いて来た連中は多かれ少なかれそう思っている。それはネルガル星を出発する前からオリガーが感じていたことだ。こんなひ弱な王子に、まして捨石にされるような王子に、どうしてそこまでと思いつつ、ハルガンの頼みで付いて来たオリガーだった。だが今こそ、その答えを得た。
「私もおりますから」と、オリガーは道具を片付け始める。
「食事はしっかり取ってください」
 そう言うとモリーの方へ頷く。後は頼むという感じに。


 そしてネルガル星では、キーレンやルカからの報告を受け、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。ルカは事後承諾と言う形で、これらの一連の不祥事を宮内部に報告していた。
 黙っていなかったのはヴェルネ子爵だった。宮内部に怒鳴り込んだが相手にされない。怒りのやり場が無い。ルカの母親であるナオミ夫人は既に故郷に帰り、ここ鷲宮にはいない。ヴェルネ家の私兵を使い、ナオミ夫人の故郷である村に総攻撃をかけたくも、その村は特殊な結界で守られ何処に存在するのかすらわからない。
「覚えておれ、蛮族の血を引く王子め、息子の仇はこの手で必ず」

 クリンベルク家でもカロルが大騒ぎをしていた。
「どっ、どういうことなんだ、これは!」
「書いてある通りよ、公達を処刑したそうよ」
「そっ、そんな事、姉貴に言われなくったって、わかる。俺だって字は読める」
「あら、読めないから訊いているのかと思った」
 カロルはむっとして三つ年上の姉シモンを睨み付ける。
「いい加減にしないか」と、二人を黙らせたのは父親であるクリンベルク将軍。
 この銀河に敵なしと言われる将軍ですら、この娘と三男にはてこずる。
 妻が隣で俯き加減に微笑む。
 クリンベルクは舌打ちするように妻の方を見ると、
「お前が甘やかすから」
「いいえ、あなたが出動、出動と言っていつも留守にしているからですわ」
 クリンベルク将軍にはもう一人、勝てない相手がいた。
「しかし、何をお考えなのでしょうね、ルカ殿下は」
 そう問いかけたのは長男のマーヒルだった。
 出動回数の多いクリンベルクは、敵と接触する回数もネルガルの将軍の中では多かった。クリンベルクは戦後処理を繰り返すうちに、ネルガルの方式を押し付けることに疑問を感じ始めていた。戦争は蛮族を文明化するための鞭だと言うが、我々の支配下に入ることが、彼ら敗戦星の文明化になるのだろうか。負けたとは言え、敵の文明が我々のそれと劣るとは思えないのだ。しかしネルガル星とボイ星が連邦星になるなど、ネルガルの中では進歩的な考えを持つクリンベルク家ですら考えにもおよばなかった。ネルガル星以外の惑星は、ネルガルに隷属されるか属国になるか、これがネルガルの基本姿勢なのだから。


 ここはボイ国王夫妻の部屋。そこにキネラオとホルヘも居た。
 国王はホルヘに問う。
「どう思う?」
「怖い方だと思いました。目的のためには手段を選ばない」
「だが、効果はあった」
 国王のその言葉に、キネラオとホルヘは頷くしかなかった。
 確かにあれ以来、公達の態度、否、ボイ星にやって来ているネルガル人の態度が改まった。
「最小限の犠牲で、最大限の効果を得る。これがネルガル人の考え方だそうだ」
 あの日、国王の元へハルガンが尋ねてきた。
 飄々としてとらえどころの無い男だとばかり思っていたが、対面して話せば芯がある。国王はこの日、初めてハルガンと言う人物を知ったような気がした。
 話しの内容はルカの弁護だったが、本人は違うと否定した。あくまでもネルガル人と言う星人について語ったまでのことだと。あれだけの人物を従え、今までのルカの行動を見ても、血も涙もないような子には見えない。おそらく、本人が一番辛いのでは。
 国王は妃の方に向き直る。王妃も国王の気持ちを察したのか頷く。
「シナカを頼む。私が言うよりお前が言った方がよかろう。今あのネルガルの王子に一番必要なものは、シナカの許しだろうから」
 誰からも許されなくともよい、ただシナカだけがわかってくれれば。シナカも決してこんな決断しかできなかった私を許すことはないだろう。

 シナカはあれ以来自室にこもり、誰とも会おうとはしなかった。乳母のウムギも今回ばかりはどう対処してよいやらわからず、ただ廊下をうろうろするばかり。
 そこへ王妃がやって来た。
「これは、奥方様」
「シナカは?」
「中におります」
 王妃は扉の前で大きな深呼吸を一つすると、
「シナカ、入りますよ」
 シナカは庭に面している座敷の奥で、座椅子にもたれじっと庭を眺めていた。
 王妃はシナカの前にきちんと正座をする。
「シナカ、どうしたのですか、殿下は今、ご病気だそうですよ」
 母に言われるまでもない。シナカはルイから聞いていた、熱を出して床に付していると。
 シナカはルイの言葉にも反応しなかったように、王妃の言葉にも反応しない。
「妻のあなたが傍に付いていなくて、どうするのですか」
 シナカはやっとゆっくりと視線を王妃に向けた。
 涙が一筋、頬を伝わる。それをかまきりにどっと溢れ出した。
「お母様、私、私、信じていたのに」
 涙が止まらない。
 王妃はシナカの元へねじり寄ると、シナカの肩を抱き寄せた。
 シナカは母の胸で泣いた。今まで我慢していたものを全て吐き出すかのように、声を立てて。
 王妃は娘の涙をじっと受け止めていた。
「信じていたのよ、噂されているようなネルガル人とは違うって、とても優しい人だって。ボイ人にすら、あんな優しい人はいないって。そう思っていたのよ」
 王妃は自分にすがって泣く娘の頭を撫ぜながら、
「優しい人よ、彼は」
 シナカは驚いたように母の顔を仰ぎ見た。
「とても、優しい人よ」と、王妃はもう一度言う。
 シナカは母親からぱっと離れると、
「それなら、どうしてあんなことを。それも、あの二人が息絶えるまで、ずっと目を逸らさずに平然として見ていたのよ、信じられる?」
「それが、あの子の義務だったからです」
「義務?」
「あの子の指示で、あの二人は処刑されたのです」
「そうよ、彼が止めると言えば、あの二人は死ななかった」
「最後まで見届けるのはあの子の義務でしょう。少なくともあの二人が無事に天国まで行けるように祈ってやることが」
「天国?」
「ええ、ネルガル人は死ぬと天国へ行くそうですよ」
 そういえばそんな話を以前ルカから聞いたことがある。死んだものは全員天国へ行くと。シナカは、それでは天国は死者で満員ね。と言って笑った。そうですね、私もそう思います。ルカは答えたが、ネルガル人は皆、本気で信じているようだ。
 シナカは少しずつ落ち着きを取り戻してきた。王妃はそれを見計らい、
「あなたはいいわね、こうやって私やお父さんが心配して、泣くところもあって。でもあの子はどうでしょう、あなたより十も年下なのに、お父さんもお母さんも遥か遠いネルガル星、ここにはいない。唯一頼れる妻は」と言ってシナカの顔を見る。
「これでは泣きたくとも泣けませんね。あの子は心の優しい子です。今、一番苦しんでいるのはあの子ではありませんか。あの子はボイ人のためにあの決断を下したのです。自分がネルガルから一生絶縁されることを知りながら。それなのにボイ人のあなたがお礼を言うどころか」
 王妃は最後まで言わなかった。
「あの子はネルガル星を捨てて、ボイ星を取ったのですよ。もう帰るところはないのです、あなたのところ以外は」
 王妃はシナカから離れるとたたずまいを直し、
「よくお考えなさい、自分の気持ちだけではなく、心根の優しい子があんな決断をしなければならなかったその気持ちを」
 王妃はすーと立ち上がると、部屋を出た。
 ひとり取り残されたシナカは考える。母に言われるまでは、裏切られたとばかり思っていた。


 ルカは広縁から池を眺めている。
「あれからずっとああだな」
 心配げにハルガンが言う。
「何を言っても今は無駄ですから」と、リンネル。
 あなたの判断は間違っていなかった。と言ったところで今のルカの気持ちをなだめる事はできない。
「せめて、奥方様が居てくだされば」
 それは守衛たち誰しもの思いだ。
 その時クリスがやって来て、「奥方様が」とリンネルに耳打ちする。
 クリスより少し遅れてシナカがやって来た。
「寝室にいるのかとばかり思っておりました」
 守衛たちが道をあける。
 ルカは背後の気配にも気づかず、ぼーと池を眺めている。
 その背中は数日前よりも遥かに小さく見えた。まるで縮んだかのようだ。
 シナカはルカに背後からそーと近づくと、ルカの体に腕を回した。以前よく後ろから近づき目を覆ってじゃれあった時のように。ただ今回は目を覆わずルカの体をしっかり抱きしめた。
「ごめんね、あなたの気持ちも知らずに」
 耳元へ囁く。
「ごめんね、あなたがボイ人のことを思ってしたのに、私はその行為しか見ていなかった」
 ルカは首だけシナカの方へ向けた。体はシナカの腕にしっかり抱きしめられているので動かせない。
 シナカはルカに頬刷りすると、
「本当にごめんなさいね」と、また謝る。
 ルカはしっかり自分を抱きしめるシナカの腕を自分の手で握ると、
「あんな決断しか、下せなかった」
 やっぱりこの人は、ずっと自分を責めていたのだわ。それなのに私はその上に輪をかけて責めてしまった。
 ハルガンはリンネルたちに頷く。ここは、無粋な奴等は退散したほうがいいだろうと。
 後をモリーとルイに頼むと、彼らは座敷を出た。
 守衛たちは廊下でほっとした溜め息を吐く。
 ルカが沈み込んでいると皆で沈み込み、ルカが陽気だと、例え喧嘩していても陽気になる。これほど部下に愛されている人も少ないと、廊下で待機していたキネラオとホルヘは呟く。
「ご心配かけました」と、キネラオが謝罪するのに対し、
「いいえ、奥方様を説得してくださり、有難う御座います。私にはあれだけの妙薬は配合できませんから」と、オリガーはこれで全快すると太鼓判を押す。
「姫様を説得されたのは国王夫妻でして」
「国王夫妻が」と、守衛たちは顔を見合わせた。
 だがハルガンだけは、ご理解していただけたのか。と心の中で呟く。
 がさつなようなハルガンでもそこは上流貴族、国王との間には一線を引いていた。ネルガルでは皇帝と会話ができる者は限られている。例え上流貴族と言えども親しく口を利けないのが常識だ。ハルガンもそんな中で育った。異端児とは言われながらもそれらの慣習は自然と身についていた。だから最初の頃は、ボイ人たちが国王となれなれしく口を利くことに抵抗があった。かえってトリスたちの方が国王と親しく会話をしていたぐらいだ。
「何か、したのか」と、耳打ちしてきたケリンに、
「いや」とだけハルガンは答えた。

 その夜、シナカとルカは遅くまで広縁で話をしていた。たかが数日会わなかっただけなのに、まるで数年も会っていなかった恋人同士が話し合うかのように、いつまでもいつまでも話が尽きない。
 座敷で待機していたルイは眠くなっていた。大きなあくびをする。
「後は、私がおりますから、ルイさんは先に休まれるといいですよ。夜更かしはお肌にはよくありませんから」
「あら、年寄りこそ、早寝早起きが一番よ。先に休んでください、明日のためにも」
 二人の寄りが戻ってほっとしたのか、モリーとルイはどっと疲れを感じていた。結局二人は、座椅子にもたれかかり居眠りを始めていた。
 モリーとルイが顔を付き合わせるようにして寝ている姿を見て、シナカは微笑む。
「心配かけてしまったようですね」と、ルカ。
「ネルガル人とボイ人も、こうあって欲しいわ」
 シナカの言葉にルカも頷く。
 シナカは二人の前にそっと膝を付くと、二人の肩を優しく揺すった。
 二人が目を覚ます。
「姫様!」
「心配かけました。私達はもう休みますので、あなた方も」
「それでは私達もお言葉に甘えて」と、モリーは立ち出す。
 その後姿にルカは、有難う。と声をかけた。
 モリーは聞こえなかった振りをして座敷を出た。ルイも後に従う。結局ルカとシナカは、床に着いてからも暫く話し続けた。その言葉はボイ語だったりネルガル語だったり。

 処刑の日から二月が経った。やっとボイ星は何時もの静けさを取り戻した。あれ以来、ネルガル人による犯罪は激減した。特に婦女暴行は一件もない。効果はてき面だった。
「人の噂も七十五日というからな」
「しかし、効果覿面だな」
 そんな中、鍛冶屋が一振りの刀を持参してきた。
「お待ちしておりましたが」
 一向に取りに来ない殿下に痺れを切らして。
 ルカはすっかり忘れていた。
 カロルの元服には間に合わないのは承知していた。だからせめて十六になる前には送ってやろうと急がせたのに、あの事件ですっかり失念していた。
 しまった。と思い、急いで相手を迎え入れる。もっと早く来てくれればと思ったが口にはできない。だがその件に関しては、先方から先に謝罪が入った。
「もう少し早くお伺いしなければと思っておりましたが、ご多忙なご様子でしたので」
 鍛冶屋も遠慮していたようだ。
 さっそくルカの前に剣を差し出す。竜の紋章を掘り込んだ娘も一緒だ。
 ルカはそれを受け取ると鞘から抜いた。
 細身のすらりとした剣だ。だが焼きはしっかりしている。美しい弧を描くその刃は太陽の光を受け白銀に輝いた。
 控えていた守衛たちの間から、おおぅ。と言う感嘆の声。
「これは素晴らしい、これでしたらクリンベルク将軍の数あるコレクションと比べても見劣りしないでしょう」とリンネル。
 リンネルも元は将軍の館に仕えていた身、まして武道家、将軍の武具のコレクションの素晴らしさはよく知っていた。
「確かに」と、ルカは頷く。
 だが、見た目が素晴らしいだけではルカは納得しない。あくまでも現実主義、装飾品ではいらない。武器はいざという時にこそ意味を持つのだから。
 ルカは剣を持つとすーと立ち出すと、庭に出た。
 素振りを二、三回する。今のルカにはまだかなり長いが、おそらく成長したカロルにはちょうど良い長さになるだろう。重さも重からず軽からず、手にしっくりと馴染む。
「リンネル、少し相手をしてくれますか」
 リンネルが立ち出した時、それを静止する影が現れた。
「俺が、相手になろう」
「レスター!」
 守衛たちは驚いた。今までレスターは誰ともやり合ったことがない。やり合う時は相手を殺すとき。レスターはそれをモットーにしている。だからくだらない練習試合などはしない。
「どうせこいつ等じゃ、もうお前の相手にならないだろう」
 ルカの剣技はそれほどまでになっていた。不思議な流儀の剣を使う。おそらくあれはエルシア様がルカに教えたもの、護身のために。
「いいでしょう。私も一度あなたと手合わせをしたいと思っておりました」
 ルカは先程の剣を構える。レスターも何処からか一振りの剣を持ってきていた。
「では、俺が審判になろう」と、トリスが買って出る。
「勝負は三本勝負」
「いや、三回も死ぬ馬鹿はいなかろう。勝負は一本でいい」
 ルカもそれに頷いた。
 庭の空き地の中央に二人は陣を取ると剣を構え、互いの間合いを読む。お互いに隙が無い。暫しの睨み合いの後、先に踏み込んだのはレスターだった。
 早い。二手、三手、四手、だがルカは見事に受け流した。
「おおぅー」と言うどよめき。
 いつしか守衛たちが集まって来た。レスターの剣技を見るのも初めてだが、それを受け流すルカの技量にも驚かされた。
「やるな」と、レスターは笑う。
「じゃ、今度は本気で行くか」
 レスターの動きが先程とは比べ物にならないほど早くなった。一手、二手、三手。三手目を受け流したルカは反撃に出た。今度は逆にルカが打ち込んで行く。レスターの動きに負けない速さで。二度、三度と剣が鋭く噛み合う音、火花が散った。レスターもルカと同じように相手の攻撃を受け流した。
 ハルガンがリンネルのもとへ来て訊く。
「あれは、何と言う流儀だ」
 リンネルは首を傾げた。代わりに答えたのはボイの武道家だ。
「おそらく、水柳剣だと思います」
「水柳剣?」
「私も実際に見たわけではありませんが、足の運びから類推しまして、おそらく」
「水柳剣って、白竜様が紫竜様を守るために眷族たちに教えたという剣技ですよね」と、訊いてきたのはシナカだ。
「はい。私の家に先祖代々伝わっている書物があるのですが、そこに、足の運びと型が記載されておりますが、なにしろ古いものでして」
 その内、レスターの一振りが、交わしきれなかった。
 シナカは思わず顔を両手で覆う。そこに集まっている誰もが、息を呑んだ。
 レスターの振り下ろした剣は、ルカの首もと数ミリで止まった。
 一本、それまでなのだが、審判の声が無い。
「おい、トリス、何してんだ」
 トリスは二人のあまりの速さに目を奪われ、我を忘れて魅入っていた。
 レスターに言われ、慌てて手を上げる。
「いっ、一本」
 ルカは余裕げに笑うレスターの顔をじっと睨み付けた。だが頭の中は別なことを考えていた。既視感。私は以前、これと同じことを体験している。何処で?
 負けてじっと自分を睨むルカにレスターは言う。
「剣があわないからな」
「剣を負けた言い訳にするつもりはありません。この剣はとても使いやすい」
「そうか」と言ってレスターは苦笑する。
 剣のせいにでもすれば、少しは可愛げがあるものの。だが不思議とそうしない主が好きだ。
 レスターが苦笑しながら去ろうとすると、
「勝ち逃げですか」と、ルカが声を掛ける。
 レスターは振り向きもせずに剣を握った方の腕を軽く掲げると、
「いつでも相手してやるぜ。俺に勝てると思うならかかって来い」
 今度こそ去ろうとしたレスターに、
「お待ち下さい」と、声をかけたのはボイの武道家。
「その流儀はどこで?」
「夢で」と、レスターは答えた。
「誰に教わったわけでもないからな」
 水柳剣。白竜が現世に生まれ力が目覚めるまでの間、紫竜を守らせるために眷族に教えたと言われている剣技。相手の力を利用して打ち込むのが特徴で、多勢の敵を相手に長時間戦うのには適している。現にレスターは、これだけ打ち合ったのに呼吸一つ乱していない。もっとも相手は子供。本気とは言いなから、まだまだ余裕がある。
 ボイの武道家はレスターの前に回り込むと、その場に膝を付き、
「どうか私に、その流儀を教えていただけませんか」と、頭を下げた。
 レスターは暫しその武道家を見詰めると、
「俺より奴に教われ。奴の方が、教え方が丁寧だぞ」と、自分の肩越しにルカを指す。
 レスターには他人に剣技を教えるつもりは毛頭ない。
 レスターが去ってからハルガンがケリンに囁く。
「俺は銃の腕には自信があったが、反応できなかった」
 レスターの剣がルカに少しでも触れるようなら、その前に撃ち砕いてやろうと思っていたハルガンだったが、レスターの動きに付いていけなかった。レスターが止めなければあの剣はルカの喉を掻き切っていた。リンネルすら反応していない。
「これではっきりしましたね、敵に回さない方がいいと」と、ケリンは笑う。
 ルカは鍛冶屋の前に剣を差し出す。
「申し訳ないのですが」
 かなりの残劇だったのだろうと、微かに刃こぼれしている。太陽の光はそれを微妙な光の屈折で告げていた。
「少しお時間を」
「どのぐらいかかります?」
「十日ばかり」
「わかりました。十日後に取りに伺います」

 その間にルカはネルガルへの使節の準備をした。名目は、嫁いで一年が過ぎたので皇帝への挨拶と近況報告と言うことで。使者としてリンネルを立てようとしたのだが、ホルヘが自分が使者になると言い出してきた。
「カルロさんの顔も見たいですから」
 ルカがどれほど会いたがっているかということはよくわかっていた。だから自分がルカの代わりに会い、カルロさんの様子を報告してやろうと思った。
「しかし」と、ルカは口ごもる。
 先日あのような事件があったばかりだ。おそらくネルガルでは事を起こした私よりも、ボイ人を憎んでいる者が多いだろう。今行くのは危険すぎる。
「私の身を案じておられるのですか」
「あんなことをしてしまいましたから」
「ネルガル人は賢いですから、公用に私情を挟むようなことはないと思いますが」
 ホルヘのその言葉にルカは苦笑すると、
「王宮では、表立って襲うようなことはないでしょうが、事故という手があります」
 表立って葬れない者は裏の手を使う。これがネルガルのやり方。
 ホルヘは黙ってしまった。だがここで引き下がるわけにはいかない。
「身辺には充分気をつけます。護身術もハルガンさんたちに教わりましたし、ボイからの使節団にボイ人が一人もいなくては」
 それは確かにと、ルカも感じてはいた。ボイからの使節なら本来ボイ人を使者に立てるのが筋だ。だが今回だけはネルガル人だけでとルカは考えていた。危険だと承知でボイ人に使者に立ってもらうわけにはいかない。
 キネラオもホルヘが使者に立つことは反対だった。ホルヘが行くくらいなら私がと思っている。
 ルカは暫し熟考したあげく、
「身辺をかためましょう」と言った。
「リンネルにハルガン、守衛を何人か付けましょう。ボイの方からも腕の立つものを数人抜擢して下さい。それとレスターを」
 ルカがレスターの名前を出すより早く、
「彼は無理でしょう」と言ったのはリンネルだった。
「彼は、殿下の傍を離れない」
「今回ばかりは、私の命令を聞いてもらいます。クリス、レスターを呼んで来てください」
 クリスは急いでレスターを呼びに部屋を出て行った。
 ルカはその後姿を視線で追いながら、
「それにヴェルネ家に謝罪の手紙を書いておきましょう」
「それは、止めたほうがよいかと存じます」
 ルカはそう言ったリンネルの顔をまじまじと見る。
「悪いのはヴェルネ殿です。謝罪を入れたのではこちらが悪かったことになってしまいます」
 はっきりしない態度をとると、後々のもめ事の種になる。息子を殺してしまった以上、謝罪を入れても入れなくとも結果は同じ。相手は恨み骨髄というものだ。ボイから帰ってくれば息子の将来は皇帝が保障してくれたのだから、だからこそ、危険を承知でボイ星へ送り出した。
 暫くしてレスターがやって来た。案の定、ルカの命令に、断る。の一言。
「わかりました。ではあなたは不要です、次のネルガル行きの商船で、ネルガルに帰ってください」
「なっ、なに!」
 ルカのその言葉に驚いたのはレスターだけではなかった。今、この部屋にいる全員。
「私は、守衛を雇ったつもりはありません。部下を雇ったのです。部下である以上、主の命令は絶対です。命令を聞けない部下は不要です」
 ルカははっきり言い切った。
 レスターは暫くルカを睨み付けていたが、
「お前の身辺はどうするのだ。公達もいることだし、ヴェルネが刺客を放つということも考えられる」
「まず、それはないでしょう。それに私の身辺はボイ人たちが守ってくれます」
「当てになるか」
「当てにしてください」と言ったのはキネラオだった。
「リンネルさんたちが無事に帰還されるまで、殿下の身辺は私達ボイ人でお守りいたします。ですから弟の身辺を」
「まるで交換条件だな」
「そう思ってくれて結構です。あなたの怠慢でホルヘさんの身の上に何かありましたら、私もただではすまないと」
「でっ、殿下。私はそのようなつもりで言ったのでは」と、キネラオは慌てて否定した。
 だがルカは、
「大事な弟を送り出すのです。このぐらい言っても当然です。私ならそう言います」
 レスターは呆れたような顔をして、
「わかった。ホルヘは無事に連れ帰って来る。ただしその間こいつの身に何かあったら、ホルヘの命はないと思え」
 今度は逆にレスターが脅しにかかった。レスターが冗談を言わないことは、今ではボイ人たちも知っている。
 キネラオはわかった。とだけ答える。
 レスターはキネラオからその言質を取ると、踵を返した。
 リンネルはやれやれと言う顔をしてその後姿を見送る。
「これで安心です。リンネルが傍に付いていれば、彼の格闘の腕はネルガルでも一流です。それにハルガンは貴族の間では顔が利きますから、ある程度貴族たちの動きを封じてくれます。ただ裏で動かれた時にはと思いまして、レスターがいれば」

 十日が経った。ルカは約束どおり剣を受け取りに鍛冶屋へ出向いた。鍛冶屋では既にルカが来るのを待っていた。ルカの姿を見るやいなや、奥座敷から剣を持って来た。ルカは座敷にもあがらず作業場の縁台に腰を下ろすと、さっそくその剣を鞘から抜いた。
 剣は以前にも増して鋭い光を放った。
 ゆっくり鞘へ納めてから、
「お見事です」と一言。
 鍛冶屋はルカのその言葉で満足した。だが娘がルカの前に出ると、地面にひれ伏した。
「申し訳ありません、竜の目が、どうしても入れられないのです」と謝る。
 本来は剣を持参した時に謝ろうとしたのだが、あの時はその機会を失ってしまった。
 ルカはもう一度軽く鞘をずらすと、剣に彫り込まれている竜の紋章を見た。
 見事な白竜だ。ただ目だけが他の部分に比べると手を抜いたように筋だけになっている。
 暫しその彫り物を見詰めていたルカは、
「これだけ美しく描いてもらっては白竜もさぞ満足でしょう。有難う御座います」と、娘に礼を言う。
 ただその声が微妙に違っていたのに気づいたのはリンネルだけ。
「白竜の目は、この剣の目的を知らなければ彫れません。目は、私が彫ります」
 ルカはそのまま剣の白竜と対峙すると、古代ネルガル語で呪文のように口の中で何度も唱える。
「この剣の持ち主を守れ。その名は、カロル・クリンベルク・アプロニア」
 その瞬間、剣が光った。否、正確には白竜の彫り物が輝き出した。目を覆うほどの光。誰もが一瞬、目を背けると同時に、ルカはその光で我に返った。
「なっ、何ですか、これは?」
 ルカは慌てて剣を台の上に置いた。光が弱まると、竜の彫り物にはしっかり目が彫り込まれ、こちらを見ている。だが皆が気づいたときには目は閉じていた。竜が輝いたのではない。おそらくあの目が光を放ったのだ。
「なっ、なんだったのですか、今のは?」と、周りに訊くルカに対し、訊きたいのはこっちの方だとハルガンやホルヘや鍛冶屋の人達は思っていた。
 剣をどうしようかと迷っているルカの傍らから、リンネルが手を出す。
「触れると、危険かもしれない」
「心配いりません」と言うと、リンネルはその剣を両手で抱き、ルカに差し出す。
 ルカは恐る恐るその剣を受け取り、
「お前は、今の現象が何なのかわかっているのか?」
 この中で唯一落ち着いているリンネル。
「竜の目を彫られたのです」
 ルカは剣を見た。確かに先程は一本の筋だった目は、閉じてこそいるが瞼がある。
「どういうことだ」と、ルカはリンネルに訊く。
「私にもわかりません。ただ、これが現実です」
 私が大蛇を見、あなたが白蛇を見るのと同じ現実。
 ルカは自分で自分がしていることが理解できない。それ故、ナオミの村の人達が、ルカを神と祀りたくともそうならないゆえん。
 ハルガンやホルヘも近づいて来て剣に触れる。何の変哲もない剣だ。ハルガンは一旦鞘に納めてからもう一度抜いてみた。だが何も起こらなかった。
 首を傾げるハルガンに、
「おそらく殿下は竜と契約なされたのでしょう」と、鍛冶屋。
「竜と契約?」
 竜など存在しないと言っているあいつが。
 ハルガンは信じられないという顔をした。だがときおり起こるルカの周りでの不可解な事件。ルカの身に危険はないようだからハルガンは放置とておいたのだが、やっぱりあいつ、人ではないのか?
「リンネル、この剣、カロルに贈っても大丈夫なものかな?」
「贈られた方がよろしいのではありませんか、坊ちゃんの護身用にお作りになられたものなのですから、坊ちゃんも喜びますよ」
「そっ、そうですよね」と言いつつ、ルカはカロルの喜ぶ顔を思い浮かべた。



 ここはイシュタル星の王宮の一室、ゆりかごの中、そこには一歳の誕生日を迎えて間もない一人の男児が眠っていた。寝ていると言えば聞こえがよいが、この男児、今までこれと言った反応を示したことがない。まるで白磁の人形のよう、髪も顔も白く透けるようでおまけに瞳まで白く、まったく色が無いといった感じだ。そして動かずじっとかごの中に納まっている。ただときおり何の拍子か目を開ける時がある。それが無ければ生きているのか死んでいるのかさえわからない、そこには生きようとする力がなかった。それでも母である王妃は、忙しい公務の合間を見てはこの部屋に通い、暫くその子の脇に座りゆりかごを揺すりながら、話しかけたり子守唄を歌ってやったりしている。今ではそれが王妃の日課にもなり、日常の忙しさを忘れさせてもらえる一時にもなっていた。
 今日も王妃は何時ものように我が子に話しかけ、子守唄を歌い始めた。ところがこの時、異変が起きた。
 幼児の顔が見る見る歪み何かを拒否しているようだ。そして唇が動いた。
 王妃は慌てる。
「ニーナ、ニーナ、早く来てください。アツチが、アツチが、何か話しております」
 慌てる王妃をニーナは落ち着かせてから、
「紫竜様の思念です」と言うと、もみじのような幼児の手を握り、幼児が発音しようとしている言葉を読み取る。
「カロル・クリンベルク・アブロニア」
「どういう意味なのでしょう」と問う王妃に、
「おそらく人の名前だと思います」
「名前ですか」
 王妃は視線を宙に浮かせ、心当たりのある者達の顔を思い浮かべたが、そのような名前の者はいない。
「どなたなのでしょう?」
 ニーナはそーと幼児の手を毛布の中にしまってやると、
「アツチ様が毎日目にしておられる風景は、この部屋の風景ではないのです。この銀河の遥か彼方、紫竜様が見ておられる風景なのです。アツチ様は紫竜様の肉体を通してでなければこの世界をはっきり見ることはできませんので、今紫竜様が見ておられるものが見え、紫竜様が聞いておられる音が聞こえるのです。この部屋の様子は、濃い霧がかかったような漠然とした風景にしか見えないのです。無論、音も臭いも味も、はっきりせず何かベールに包まれているようだそうです」
 直接には感じてこない。これが白竜の感覚。四次元の力を使う彼は、その力ゆえに第六感は鋭いが五感は鈍い。それを補うために白竜は自分の魂の一部を削ぎ、紫竜を作る。紫竜は第六感の力は弱いが、五感は普通の人間と同じ。
「今、紫竜様はどちらに?」
 ニーナは首を傾げた。
 それを王妃はニーナも知らないのだと取った。
 だがニーナは知っていた。でも迎えに行ったところで、戻られるような方ではない。
 ニーナは大きな溜め息を吐いた。
 あなたはずるい。自分が必要な時だけアツチ様を利用なされて、傍に居て差し上げなければこの方は起き上がることすらできないと言うのに。



 ルカは剣を受け取ると邸へ戻った。
 ルカは邸に戻ってからも暫し剣を眺めていた。
「まだ、何か気になることでもあるのですか」と、あまりにも熱心に眺めているルカにホルヘが尋ねる。
 ルカはホルヘの方に視線を移すと、
「今まで刃にばかり夢中で鞘を見ていませんでしたが、鞘も見事な細工だと思いまして」
 やっとこの期に及んで鞘にも目がいったようだ。
「あなた以外にも、これだけの銀細工ができる方がボイにはいるのですね」
 ルカがそう言ったとたん、シナカが笑う。
「それは、ホルヘの作よ」
「えっ!」と、ルカは驚いてホルヘを見る。
「ホルヘ以外にこれほどの細工が出来る者は、そうはいないわ」
「ホルヘさんの作だったのですか、少しも気づかず、申し訳ないことをいたしました」
「やっと、気づいていただけましたか」と、ホルヘは苦笑する。
 この方は実践主義であまり装飾品に興味はもたれない。
「それに」と言って、ホルヘはやっと小箱を差し出した。
 数日前から渡そうと思いながら、なかなかその機会が得られなかった。
「何でしょうか」と、問うルカに、
「これを、シモン様に。以前殿下が仰せでしたので、不肖ながら作ってみました」
 箱/を開けると中からネルガルの女性の横顔と花をデザインした銀のブローチが出てきた。
 そのデザインの繊細さ、娘の恥らうような微笑。私は今でもボイ人の表情があまりよく読み取れないというのに、このボイ人はネルガル人の表情をここまで写実的に表現できるのか。と感心せざるを得なかった。
「モデルがいるのですか」と問うルカに対し、
「数千年前にボイに降臨したという神を」
 この人がボイに文明をもたらせたと言うイシュタル人の一人なのか。横顔だけ見たのではネルガル人となんら変わらない。これではボイ人が間違えるのも致し方ない。
 ルカはそっと箱のふたを閉じると、
「これを、私からの贈り物としてシモンさんに渡してもよろしいのですか」
「ええ、そうしていただければ作った甲斐があります」
「有難う御座います。これでやっと縫いぐるみの礼が返せます」
 ルカはシモンへの贈り物と思い、暇を見ては装飾品売り場を覗いて歩いた。だが元来装飾品にあまり興味を持たないルカのこと、見れば見るほどどれにするか迷った。それにボイの装飾品はどれを取っても出来が良すぎた。もう少しランクの差があれば選びようもあるものを。
 これでシモンへの贈り物も決まり、後は出立の日を待つばかりとなった。
 国王夫妻は国王夫妻でネルガル王宮への贈り物を用意してくれた。
「とんだ気を使わせてしまいました」とルカ。
 カロルに元服のお祝いを届けたいという私的なわがままなのに。
「本来ならボイには里帰りという慣習があるのですが」と、王妃は言う。
 若い夫婦が別なコロニーなどで人生を歩み出した時などは、ときおり親元のコロニーに帰ってその元気な姿を見せるという慣習のようだが、ルカはそうすることはできない。だからせめて贈り物だけでもと用意してくれた。

 そして旅立ちの日、ホルヘとサミランに、ルカの方からはリンネル、ハルガン、レスター、トリス、他五名、ボイ人の方からは十名の屈強な護衛たちを従えわせて旅出させることにした。ルカはひと目、カロルに会いたいという思いをじっと堪え、ホルヘたちを宇宙港まで行って見送る。
「では、行って参ります」
「お願いいたします」



 ネルガル星ではルカの報告を受け、ボイの使節団の受け入れ準備を始めた。宿はクリンベルク家に決まった。元来貴族たちは異星人を自分の館へ招きたがらない。そのため異星人専用の館があるのだが、噂が先走った。ヴェルネ子爵が息子の仇を取るらしいと。大事の前の小事。今ここでボイ星との間にいざこざを起こしたくない。よって護衛も兼ねてクリンベルク家が選ばれた。喜んだのはカロルだった。さっそく目立つところに飾られている弓矢を全部片付けさせた。
「ルカ王子はお見えになられないのよ」と、シモン。
「あっ、そうだった。でも、もう片付けちまったからな」
 今更元へ戻すのも面倒だ。
 そしてカロルは待った、ボイの使節団が着くのを今か今かと。
 だが丁度その頃、第五惑星近辺を宇宙海賊が荒らしまわっていた。カロルは士官見習いとして老提督率いるアパラ星系治安艦隊の旗艦に同乗していた。その提督の艦隊が鎮圧に出動するように命じられたのだ。
「何であの艦隊が、他の奴にやらせろよ」
「ここでぶつぶつ言っていないで、さっさとけりを付けて来れば」
「さっさとけりを付けろと言うが、あのご老人は、生きているだけで酸素の無駄使いなんだよ。あんな奴等、さっさとぶちのめしてしまえばいいものを、包囲戦だのなんだのと言って持久戦に持ち込むし、エネルギーの無駄としか言いようがない」
 そこでクリンベルクは咳払いをした。
 我が子の言葉にやれやれという顔をする。
 クリンベルクも若かりし頃、この提督に戦術を指導してもらったのだ。人徳のある方で無駄な血を流すことを嫌った。それで我が息子を頼んだのだが。
「親父、何とかしてくれよ」
 皇帝陛下に顔が利くところでと言いたいらしい。
「いっその事、仮病でも使うか」
「馬鹿者、さっさと出動しろ」
 父親に追い立てられ、カロルはしぶしぶ出動した。
 俺が戻るまで、ボイ人を引き止めておいてくれと言い残して。
「まったく、お前が甘やかすから」
 クリンベルクは妻に文句を言い、大きな溜め息を吐いた。
「ルカ王子なら、何と仰せられて、あのわがままな弟を指導なさるのでしょう」


 カロルと入れ違うこと十日、ボイの使節団がネルガルに到着した。宇宙港へ迎えに出たのは長男のマーヒルだった。
 マーヒルは二人のボイ人に対しては軍人らしい社交儀礼をとったが、リンネルの顔を見るや、懐かしさが込みあがって来た。マーヒルに剣術を教えたのもリンネルだった。
「お久しぶりです、大佐」
「こちらこそ、ご無沙汰しております。カロル坊ちゃんはお元気ですか」
 てっきり迎えに来るかと思っていたのにその姿が見えないので心配になった。
「カロルでしたら、クライゼン提督の下、指揮官の勉強をしております」
「クライゼン提督ですか」
 リンネルもクリンベルクの館で何度か会ったことがある。なかなかの御仁と見ていた。
 マーヒルはそれに頷きながら、
「今、提督と供に第五惑星におります、海賊の鎮圧で、昨夜、片がついたとの連絡がありましたから、早ければ明後日には戻るかと思います。もっとも帰ってくるまで引き止めておいてくれとは言われていますが」と、マーヒルは笑う。
「すっかり軍人らしくなられたのですな」
「大佐のお陰です。否、ルカ王子のお陰ですか。あの方にお会いしていなければ、今頃弟はどうなっていたか」
 ルカに会ってからカロルは変わった。それまではわがままで手が付けられなかったが、ルカとの競争意識から次第に大人へと成長し始めた。
「マーヒル様、立ち話もなんですから」と、従者。
 マーヒルはボイ人の方を見ると、
「失礼致しました。車の方へ案内いたします」
 ボイ人たちの背後にはハルガンたちの顔もあった。

 クリンベルクの館に着くと、既にエントランスは元ルカの館に仕えていた使用人で溢れていた。車を降りるや、お帰りなさいの声。誰もが懐かしさのあまり駆け寄って来た。
 リンネルはやれやれという顔をすると、
「私達は遊びで来たのではありません」と言う。
 それに対してホルヘは、
「よいではありませんか」と言った。
 もともとルカの館に仕えていた使用人の大半はクリンベルクの館に仕えていた者たちなので、またクリンベルク家へ頼んできました。とはルカから聞いていた。懐かしいのも無理はない。
「ボイ人さんたちの方が、話がわかるわね」と侍女の一人。
「もしかしてあなた、ホルヘさん。では、そちらの方はキネラオさんかしら」
「覚えていてくださったのですか」
 ホルヘは嬉しそうに言う。
「それは当然よ、殿下をさらって行った人たちですもの」と言った瞬間、横から拳が当たる。
 その拳を振り上げた侍女が、
「ご免ね、失礼なことを言って。そちらはキネラオさんではありませんね、どなたなのですか」
 先程から呆然と立ち尽くすサミラン。ホルヘはいい、彼は前回ネルガルに降り立っているから。だがサミランは初めてだった。クリンベルク家の贅の限りを尽した建物の壮大さと豪華さに肝を潰されていた。サミランは建築家でもあり建造物には詳しい。
「私の弟のサミランと申します」
 ホルヘはサミランに挨拶するように促す。
 やっとのことでサミランは我に返り挨拶をした。
「ところで殿下は元気ですか?」
 これこそが、誰もが聞きたかった質問だ。
「ええ、大変お元気です。これを皆さんへとのことです」と、ホルヘは鞄の中から小さな箱を取り出し、侍女の一人に差し出した。
「何でしょう?」
 蓋を開ければ直ぐにわかった。そこにはこれまた小さなチップが一枚。だがそこには膨大な立体画像が納められていることが。早く見たくてたまらない。だが。
 そこへ侍女頭が現われた。ボイ人たちに軽く挨拶すると侍女たちの方を向き、
「今日はもう、あなた方は仕事にならないでしょうから、あがってもらって結構です。ただし、明日はきちんとやってください」
 暇を出してくれた。
「有難う御座います、チーフ」
「チーフも近頃、話せるようになりましたね」と、嬉しそうに客人に頭を下げて駆け出していく侍女たちの後姿を見送りながら、チーフと呼ばれた女は、困ったものだと口の中で呟きマーヒルをみる。
「申し訳ありません、以前はこうではなかったのですが」と、謝罪する。
 以前は規律のしっかりしていた館だった。ところが彼女たちが来てから。
「ご迷惑をお掛けしているようで、後でよく言い聞かせます」と、リンネルが謝る。
「いや、迷惑などとは思っておりません」と、マーヒルははっきり言う。
「彼女たちが来てから、館の中が明るくなりました」
 彼女たちが来てから、仕事場から笑いが耐えなくなった。仕事をさぼっているのかと見に行けば、言いつけた仕事は既に済んでいる。しかも非の打ち所が無いほどきちんと。
 時々ナオミ夫人が直々に見回りに来ますからね、手を抜くと注意されたのです。
 どうやらここら辺は夫人はきちんとしていたようだ。ただし、仕事が済めば後は何をしていても自由だった。他人に迷惑さえかけなければ。これがナオミ夫人の主義だったようだ。
 侍女たちが明るいと、次第に館中の使用人の顔まで明るくなった。
「仕事はよくやってくれるのです」と、侍女頭。
「元からいるこの館の使用人よりも。それでつい大目に見てしまったのがいけないのかもしれません」
「大佐、俺たちもいいかな」
 宇宙港からここまで、ルカにホルヘたちを頼むと言われ大人しく付いて来たが、そろそろ限界のようだ。既にハルガンはどこかに行ってしまった。そしてレスターも。まあ、彼がいないのはいつものことだが。
 リンネルは仕方ないという感じに許可を出した。
「お前たちもどうだ」と、トリスはボイ人の守衛にボイ語で話しかけた。
「しかし、我々は」と、彼らはネルガル語で答える。
「この館の中なら安心だぜ。羽を伸ばせるのもこの館に居るうちだけだからな」
 ボイ人たちはホルヘの方を見た。
「一緒に行くといいですよ。私の身はクリンベルク将軍に任せますので」
「そうしてもらえれば光栄です」と、マーヒル。
 ボイ人の守衛たちもトリスたちと一緒に侍女たちの後を追った。
 守衛たちがいなくなると静かになった。
「部屋に案内いたします。先程から将軍がお待ちかねですので」
 侍女頭は先頭を切って歩き出す。
 サミランは先程から黙り込んでいた。クリンベルクの館を見た時から、その壮大さに声も出ないようだ。このような館がネルガルにはそこここらにある。ボイの宮廷など問題ではない。きっと彼らネルガル人はボイの宮廷を見て、粗末なものだと思っていたに違いない。
「サミラン、どうした」
 一向に歩き出さないサミランにホルヘは声を掛けた。
「いいえ、ただ、あまりの豪華さに」
「まだここは、入り口だ」とホルヘは歩き出す。
 武具と名画で飾られた幾つかの廊下を通り幾つかの部屋を通り抜け、クリンベルク将軍の待つ部屋へとたどり着いた。重たげな扉が内側へと開く。
「ただ今、戻りました」
 クリンベルクはおもむろに立ち上がるとボイ人の一行を迎え入れた。
 この人が、銀河に敵なしと謳われているクリンベルク大将軍。以外にも想像していたより人の好きそうな顔をしている。
 クリンベルクは一通りの挨拶をかわすと、長旅で疲れていることだろうから、詳しい話は夕食の時にでもと言うことで、各自の部屋に案内させた。
 ホルヘとサミランはあたえられた自室に入り、やっと落ち着くことが出来た。だがそこで彼らが目にした物は調度品の数々。しかもどれもこれも手の込んだものばかり。ルカ殿下はボイの細工は銀河一だと仰せだったが、この部屋にある物は我々の物と引けを取らない。否それどころか、それ以上の品々も。銀河が広いことをつくづく思い知らされた。
 感心して調度品を眺めている二人の部屋にノックの音が響いた。入って来たのは二十代ぐらいの侍女。手にはお茶のセットを持っていた。侍女がお茶をたて始める。
「この香り」と、サミランが懐かしそうに言う。
「黄茶ですか」と、ホルヘ。
 ルカの館に初めて伺った時、このボイのお茶で迎えられた。まさかネルガルでボイのお茶とは、驚かされたものだ。
「覚えておられますか?」
「ええ」と、ホルヘは嬉しそうな顔をする。
「それではあなたは?」
「殿下の館に仕えていた者です」
「皆さん、グラフィックを見に行かれたと思っておりましたが」
「全員で行ってしまったら、お二人がお困りになると思いまして」
 侍女は二人にお茶を差し出すと、
「殿下は、お元気なのでしょうか」
「ええ、最初の頃は免疫的なことがあり微熱も絶えませんでしたが、今ではすっかり元気になられました」
「そうですか」と、一言。
 この館の誰もがあの事件のことは知っているようだ。だが誰もあえて口にしようとはしない。その代わりに別なことを聞く。そこから類推しようとしているがごとくに。
「奥方様とも」
「ええ、とても仲良く。たまに文化の違いのせいでしょう、喧嘩もなさいますが、直ぐに仲直りなされます」
「そうですか、それは仲のよい証拠ですね」
 どちらかが遠慮していては喧嘩もできない。
 侍女は二人の仲むつましい様子を想像したのか顔をほころばせた。
「皇帝陛下にご挨拶に伺うそうですね。王宮内ではハルガンさんを頼るといいですよ、グラント家は貴族の中でも古い家柄ですので、何かと顔が利くと思います。それにレスターさんもご一緒だそうですね。リンネル大佐もお強いですが、レスターさんの腕は特別ですので、外出する時はいつも傍にいてもらうといいですよ」と、侍女はいろいろな知識を教えてくれた。
「いろいろと有難う御座います」
「いいえ、こんな事ぐらいしかお役に立てませんで。カロル坊ちゃまが早く戻られるとよいのですが。ボイからの知らせがあってから、ずっと首を長くして待っておられたのに」
「そうですね」と、ホルヘは相槌をうつ。
 その様子が目に浮かぶようだ。最悪、カロルに会えなかったら剣はクリンベルク将軍に託すしかない。

 そして次の日、ボイからの貢物が功を奏したのか、皇帝からの面会が許された。護衛としてリンネルはいつもの軍服姿で現われたが、ハルガンは軍服ではなかった。貴公子然とした貴族の装い。そしてレスターは、これも珍しいものを見たという感じに皆が見詰める。軍服を普段は着崩し詰襟のホックなど掛けたことのない彼が、リンネル大佐のようにきちんと着ている。やはり鷲宮とは、彼らにとっても独特らしい。
 車はクリンベルク将軍愛用の車を提供してもらった。前後にクリンベルク家からの護衛車が付く。
 鷲宮の門を潜ってから二人のボイ人は黙り込んでしまった。クリンベルク将軍の館どころの騒ぎではない。その壮大さ、ボイのコロニー一つ分ぐらいはあるのではないかとすら思える。この中に王の一族とその使用人だけが住む。広大な緑に点在する館。上空から見た時、ボイにもこれほどの緑があれば。と思わざるを得なかった。そして建物の前に着くと、クリンベルク家の獅子の紋章が意味をなしたのか、ドアボーイが直ぐに駆け付けて来た。車から降り立ち、サミランは立ち尽くしてしまった。天空を突き刺すような建物、そして押し潰されそうな重量感。
「サミラン」と、ホルヘに声を掛けられサミランはやっと歩み出す。
 話しはさんざん二人の兄から聞かされてはいたが、聞くと見るとは違った。
 そして自分たちの部屋かと思えるほど広々とした廊下を暫く歩み、控えの間に通された。そして二人はそこで、またその広さに驚かされた。自分たちの邸がまるまる一つ入りそうだ。天井からは銀河を思わせる程のシャンデリアの数。見上げるホルヘとサミランにハルガンは近づき声を掛ける。
「落ちてきたら助からないな」
 ホルヘがそんな感想を述べるハルガンを不思議そうに見詰めると、ハルガンは苦笑して、
「俺らしくないだろー、こう言ったのはルカさ。あいつには威厳を保持しようという考えが無い」
「殿下らしいですね」と、ホルヘも苦笑した。
 剣を見せた時も、その装飾よりも重量と使いやすさの方を優先した。あの方は芸術よりも現実だ。確かにあの鋭い飾りが落ちてきたら。高さもあることだし助からないだろう。あの方に装飾品は必要ないのかもしれない。なぜなら、あの方自体、神がお作りになられた最高品なのだから。
 控えの間には既に数十人の人々が謁見の順番待ちをしているようだ。あちらこちらに軍人やら貴族やら商人たちのグループが出来ている。そんな中にボイ人たちも加わっていた。王室で異星人は珍しい。これだけ国際色豊かなネルガルでも王宮に異星人を入れることは滅多にない。そのため自ずとひと目を引いた。
 そしてここにはもう一人ひと目を引く人物がいた。それも貴婦人の。
 王宮に入るや否や、ハルガンの周りが貴婦人で賑やかになった。ハルガンはそれらの貴婦人に丁寧に挨拶をすると同時に、さりげなく誘いを断る。その仕種は慣れた感じだ。ネルガルの婦人をハルガンとハルメンス公爵とで二分するという噂は、どうやら本当らしい。
「俺は、こいつらと付き合う前は、もっと上品だった」と、ハルガンはレスターを顎で差して言う。
 レスターはただ苦笑するだけ、自分に同じ要素があるから、同じ色に染まるものだと。
 控え室でさんざん待たされてやっと謁見の間の重厚な扉が開いた。ボイ人一行はボイ人を中央に中へと入って行く。
 控えの間は窓も広く明るい色合いだったのに対し、謁見の間は窓も無く色を落とし重厚観を漂わせていた。両サイドの壁際には護衛の兵士たちが整列してする。
 ボイ人たちは侍従の後に従い、まっすぐに皇帝の前に歩み寄る。
 だが皇帝は、壇上高く、謁見はものの数分で終わった。あのお方がルカ殿下の父上かと、思うが早いかの会見だった。いろいろと言葉は用意していた。特にあの事件に関しては言い訳がましくならないようにと。だが皇帝からのお言葉はただ一言。
「かの者は、うまくやっておるか」
 そこには親子の情すら感じられない。
 控えの間にもどってからホルヘは、
「こんなものなのですか」とハルガンに訊く。
 父とは、あまり会ったことがないと、ルカは言っていた。
「まあ、俺たちだけが謁見を望んでいたわけでもないからな、会ってもらえただけ有難く思ったほうがいい」
 皇帝に会って来ると言っても、ルカは何一つ言付けを頼むふしがなかった。こんなものであることを知っていたからか。

 エントランスホールに戻ると、大きな花束を抱えた男がハルガンを待っていた。
 ハルガンの姿を見つけるなり駆け寄り、
「キングス様、この花でよろしかったのですか」と、矢車草の花束を差し出す。
 ルカが好きなはずだとナオミ夫人が言っていた花。
「もっと豪華なお花の方が」 女性は喜ばれます。と言おうとした時、
「これでいいんだ」と、ハルガンは花を受け取ると、
「付けておいてくれ」
「畏まりました」と、男はハルガンに一礼すると首を傾げながらその場を去る。
 暫くお会いしないうちに嗜好が変わったのかと。
「どうするのだ、その花束」と、リンネルが訊く。
「決まってんだろー、レスター、後、頼む」
「女のところか。お前にしては地味な花だな」
「彼女にはこの花が一番似合うような気がしたからな。それに」と、ハルガンはポケットからホルヘからもらった小箱を出す。
 ホルヘは結局ブローチを二つ作ることになった。一つは殿下の初恋の人に。そしてもう一つはハルガンの。いい方をルカに渡してやってくれ。俺は残った方でいい。
「それに、あんまり花が豪華だと、せっかくの贈り物が目立たなくなるからな」
 そう言うとハルガンはいそいそと待たせてあった車に乗り込む。
 リカネルは頭を抱えた。ハルガンが軍服を着ていない意味が今わかった。最初から女のところへ行くつもりだったのか。
 クリンベルク家の車が迎えに来た。
 ホルヘは先程から怪訝な顔をして立っている。
「彼にも、特定の女性がいたのですか」
 意外だ。と言う感じに言う。
「いや、そんな人じゃない」とレスターは言うと、車の方へと歩み出す。


 ここはグレナ王女の館。そこに一台の車が止まった。めったに客人の来ない館だ。侍女たちは慌てて迎えに出る。
「これはハルガン様!」
 グレナ王女は軍服を嫌う。だからいつもハルガンは彼女に会いに行く時だけは私服にしている。
「お久しぶりです。どちらにいらしていたのですか」
 なかなか顔を見せないときは出陣していると侍女たちは思っている。無事にご帰還してくださればと願うしかない。
「ご無沙汰しました。王女は?」
「お庭におられます」
 ハルガンはかって知った我が家のごとく、案内なしで庭のほうへ向かう。
 そこでは王女が縫いぐるみを抱きながら子守唄を歌っていた。ネルガル語ではない子守唄。
 ハルガンは王女の前に跪くと、その縫いぐるみを覗き込むようにして、
「暫くお会いしないうちに、大きくなられましたね」と挨拶する。
 王女はその声に聞き覚えがあるのか、にっこりと微笑んだ。
「お幾つになられました?」
「一歳です」
 どうやら自分の心の中で一歳までは育てたのだろう。だがそこで王女の時間は止まっている。いつ訊いても赤子の歳は一歳。それ以上は成長しない。なぜなら、もうこの世にはいないから。兄弟をつくりたくとも夫もいない。
「ハルガン様のお声には、反応なさるのですね」
 ハルガンは花束を王女の脇に置くと、箱からブローチを取り出し、
「贈り物です」と言って王女の襟に付けてやる。
「とてもお似合いです」
 王女はその意味がわかったのかそれとも偶然だったのか、微かにほほえむ。
 侍女はテーブルの上にお茶を用意しながら、
「近頃、ジェラルド殿下がお見えになられるのです」
「ジェラルドが?」と、ハルガンは怪訝な顔をする。
「何しに?」
「暫く姫様とお話をなされております」
「会話ができるのか?」
 侍女は首を傾げた。あれを、会話と言っていいものなのかどうかと。
「でもこのようなものをお作りになられて、姫様に」と、侍女は先日ジェラルドが作った花の首飾りをハルガンに見せた。
 これはルカがジェラルドに教えたものだ。あの不器用者、これだけは上手に編む。
「姫様もたいへん喜ばれまして」
 似た者同士、相通じるものがあるのか。グレナ王女は心を病み、ジェラルド王子は頭を病んでいる。



 皇帝陛下との謁見が済んだ次の日、ホルヘはグリンベルク将軍にネルガルへ来た本当の目的を告げた。
「少し遅れてしまいましたが、ルカ殿下よりカロル様へ、元服のお祝いを言付かって参りました」と、一振りの剣を差し出す。
 その剣は、白竜は紫を好むという言い伝えにより、紫の豪華な織りの袋に納められていた。
 クリンベルクはさっそく紐を解き、袋から剣を出した。そして鞘のあまりの素晴らしさに唸るしかなかった。銀の細工。それは派手すぎず地味すぎず上品な味わいを出している。そして握った時に違和感がない、使いやすそうな剣だ。クリンベルクは剣を鞘からほんの僅か抜いただけでこの剣の意味を知ったようだ。暫し鋭く光る刃を眺めていたが静かに剣を元の鞘に納めると、元通りに袋の紐を掛ける。
「これはあなたから直接カロルに渡してやってくれ。昨夜、三日もすれば戻れるという連絡があったからな」
 そう言って剣をホルヘの手に返す。
 ホルヘはそれを受け取りサミランに渡すと、懐にしまっていた小箱を取り出す。
「これは、シモンお嬢様に」
「私に」と、シモンは驚いたように聞き返す。
「縫いぐるみのお礼だそうです」
「開けてもいいかしら」
「どうぞ」
 箱の中にはネルガルの美しい女性の横顔が、銀細工のブローチとなって納められていた。
「素敵」と言ってさっそく胸に付ける。
「似合うかしら」
「ええ、とても。ブローチもあなたのような美しい方に付けていただければ幸せです」
「まあ、ボイの方って、お口がお上手だこと。ハルガンさんに引けを取りませんね」
「ハルガンさんの伝授ですから」
 皆が笑う。
「それ、兄が作ったのです。剣の鞘も。兄はボイでは銀細工の名匠として名が通っております」と、自慢げに言ったのはサミランだった。
「兄って、ホルヘさんが?」と、驚くシモンに、
「不肖者ですが、作らせていただきました」と、ホルヘは謙遜して言う。
 言われてまじまじとシモンはブローチを見た。そう言えば、カロル宛てのルカの手紙に、そのようなことが書いてあったのを思い出す。ルカは何故か通信ではなく手紙でよこす。しかもどうやってすいたのかと思うほどの美しい紙に、これまた几帳面な字で。この方が保存がいいですからと。
「何てお礼を言っていいのか、さっそく今度の舞踏会に付けさせてもらうわ」

 昼過ぎ、ボイ人たちとクンベルク家の人々が居間で午後のお茶を楽しんでいると、にわかに庭先が賑やかになった。かと思えば廊下を走る音。侍女たちが制止する声。
「坊ちゃま、旦那様にご挨拶されてから」
「ボイ人たちはどの部屋に居るんだ?」と言いつつ、居間の扉の前を通り過ぎて行く。
 クリンベルクは頭を抱え込んだ。出陣していれば出陣しているで心配だし、帰ってくれば帰ってきたで目に余る行動。
「よくあの慌て者がやられもせずに帰還できるものだ。これもクライゼン提督のお陰だ」と呟くクリンベルクを見、リンネルは微笑む。
「カロル坊ちゃまはいつもお元気で」
「元気すぎて困っている」
 遠ざかった足音は、また暫くして戻って来た。扉の前で止まると、扉が勢いよく開いた。
 中にボイ人の姿を確認したカロルは、居間に飛び込むと、
「なんで、ここに居たのかよ、声掛けてくれればよかったのに」と、挨拶。
 ぜいぜいした呼吸をテーブルに両手を付いて整える。そして、
「親父、館が広すぎて駄目だ、せめてルカの館ぐらいにしてくれ」と、館の広さにけちを付ける。
「カロル、お父様に帰還の挨拶は」と、シモンは凛として言い放つ。
「お父様は、心配されていたのよ」
 カロルはちらりと視線を姉に向けると、
「なんだ姉貴、いたのか」
「居たのかではありません。このような姿を殿下に報告されてもよろしいのですか」
「それは、よろしくない」と、カロル。
 こんなことを報告されたのではあの口うるさいルカのことだ、後で星間通信を使って何を言ってくるか知れたものではない。
 カロルは軍人らしくビシッと敬礼すると、
「クリンベルク閣下、ただ今戻りました」
 クリンベルクはやれやれという感じにその敬礼を受けてから、
「随分、早かったな。まだクライゼン提督率いる艦隊は帰還していないはずだが」
 その手の情報はクリンベルクが何処に居ても届くようになっていた。
「へへぇ」と、カロルは頭を掻くと、
「腹が痛てぇーことにして、先に帰って来た」
 つまり負傷兵と一緒に先に帰還したのだ。
 あげくの果てにクライゼンの作戦が生ぬるいと、一部の艦隊を率いて攻撃に出た。それが何を意味するか、経験のある軍人なら誰でもわかる。指揮の乱れは一つ間違えれば全滅にもなりかねない。息子ひとりの命ならよい。自業自得だ、諦めもつく。だがそのために艦隊全てが危機にさらされたのでは。
 クリンベルクが爆発寸前になりかかったのを見て取ったリンネルは、二人の間に割って入った。
「坊ちゃま、そのようなことをしては」
「わかっている、今回だけだ」
「何が、わかっているだ!」
 クリンベルクが我慢の限界に達したのか、ひと目も忘れて怒鳴った。
「お父様」と、シモンがボイ人の手前、父を止める。
「今回だけは、どうしても早く帰りたかったんだ」
 クリンベルクは頭を抱えた。将軍の唯一の頭痛の種。
 暫し気まずい沈黙が流れ、カロルは話題を変えるように、
「やっ、リンネル。ボイは長閑だと見えて、少し太ったか」と、冗談をほのめかす。
「坊ちゃまこそ、随分と凛々しくおなりになりました」
 少年のころのカロルとは違う。十六にもなれば背も伸びてきた。前ボタンを途中まで外しているとはいえ、ネルガルの下士官の軍服が似合う。
 それからカロルはおもむろにボイ人の方を向くと、色の黒っぽいほうのボイ人を指差し、
「ホルヘだろ」と言う。
 ホルヘは、はい。と懐かしそうに答えた。
 そこは理性のある大人たちの集まり、次第に場の雰囲気が和んできた。
 それからカロルはもう一人のボイ人を指差すと、
「キネラオじゃないな。誰だ?」
 侍女たちは彼をキネラオと勘違いしたが、さすがにカロルは見分けた。
「弟のサミランです」
 紹介されたサミランは頭を下げた。
「へぇー、弟か」と言いつつ、サミランをまじまじと見詰めるカロルは、
「彼とキネラオは似てるな。お前だけ違う」と、ホルヘを差して言う。
 ホルヘは微かにほほえむと、
「遺伝子の悪戯です。カロル様が二人のお兄様に似ておられないのと同じです」
 ホルヘがそう言った瞬間、マーヒルは口に含んだお茶をもう少しで噴出しそうになり、シモンは笑った。
「俺、似てないかな?」
「ほんと、どうしてこんなお馬鹿が生れたのかしら。遺伝子の悪戯も度が過ぎるわ」
「姉貴!」
「サミランはボイでは美男子の口に入ります。ボイでは男女とも肌が赤いほど美しいとされます」
「へぇー」と、カロルは感心しながらサミランをもう一度見詰めなおす。
「自慢の弟です」
 サミランはテレを隠すように微かに笑う。
「ルカも美男子の口なんだぜ。ネルガルでは肌が白ほど美しいとされている。あいつ、自分じゃ意識していなかったみたいだけど。王宮じゃ結構評判だったんだ。もっとも性格の方はな、神は二物を与えずというが、あいつの性格は、ざまーミソレって言うところかな」
「何んですの、それ」と、シモンが訊く。
 近衛の中で育ったのがまずかったのか、カロルはろくな言葉しか覚えてこなかった。
「悪すぎて、言葉にもならないっていうことさ」
 シモンは呆れたような顔をすると、
「あなたにだけは言われたくないと思っているわよ、きっと」
「あのな、姉貴はあいつの性格を知らないから、そう言うことを言うんだ。あいつ、ここへ来る時は、こんなでかい猫をかぶってくるからな」と、カロルは頭の上で両手を広げた。
「なっ、ホルヘ。お前もわかるだろー、もっとも一年ぐらいじゃ、尻尾を出さないか、あの化け猫」
 ルカの話になると、いっきに場は盛り上がった。
 ホルヘは頃合いを見て、
「実は、殿下からカロル様に元服のお祝いの品を預かって参りました」と言って、部屋へ取りに行く。



 その頃ボイ星では、ルカがくしゃみをしていた。
「風邪ですか」と、心配するシナカに、
「いや、違うと思う」と、ルカははっきり否定する。
 ホルヘさんたちは、カロルにうまく会えたかな。元服を迎えれば本格的な出陣も多くなる。本当は初陣に間に合わせたかったのだが。ましてカロルはクリンベルク大将軍の子。そして彼の性格では、卓上の勉強より実戦で勉強した方が身につく。きっとあの剣は、お前を守ってくれる。



 ホルヘとサミランは剣と手紙を持って居間へ戻って来た。それらをカロルの前のテーブルに置く。手紙は二通。一通は公用と書いてあった。カロルはまずその手紙から開いてみた。ボイの美しい紙に、几帳面な字。
 元服の儀、おめでとう御座います。お祝い、遅れて申し訳ありません。から始まるルカの手紙は、最後は、
 本来なら私が行くところを、私はボイを離れることが許されませんので、ホルヘさんとサミランさんに代行をしてもらいました。よって、彼らを無事にボイ星まで送り届けて下さらなければ、ただでは済みませんから、あしからず。で終わっていた。
 文はとても丁寧なのだが、書いてあることは、
「あいつは、人にものを頼む方法を知らないのか、これじゃ、まるで脅迫状じゃないか」と、カロルは怒鳴る。
「お祝いの手紙ではないの」と、シモンが訝しがって覗き込む。
「最後だ、最後」
 シモンは最後を読んで噴出す。
「まあ」と言いつつ、ボイ人に視線を移す。
 あの事件で、ルカ王子はこの二人の身を案じておられるのだわ。
 カロルは一旦その手紙を手の中で握りつぶしたが、もう一度開きしわを伸ばすと、大事そうにポケットへ仕舞う。それからルカのよこしてくれた剣を袋から出す。そしてその細かな銀細工に圧倒された。
「なっ、何て上品な剣だ」
 はっきり言って、カロルには似つかわしくない。どちらかと言えば、兄のマーヒルこそ似つかわしい。だが握った瞬間、それはカロルの手にしっくりと馴染んだ。重さといい長さといい。これなら王宮の式典に這いで出ても見劣りしない。
「ホルヘさんの細工だそうよ」と、シモン。
「へぇー、ルカからは聞いていたけど、これ程とは思わなかった」
 やはり彼も上流貴族。態度言葉こそ横柄だが、装飾の素晴らしさは理解できた。ルカのようにいきなり刀身をチェックするのではない。
 そして鞘から抜いて、カロルは驚いた。これは、飾りではない、実戦用だ。
「見事だ」と言ったきり、後が続かない。
 護衛として壁際に立っていた数人の者たちも、息を呑んだ。クリンベルクの館に仕えているだけのことはあり、誰もが武器には目が肥えている。その彼らをこの剣は黙らせた。
「実戦用だな」
「もしもの時に、お役に立てればとのことでした」
「そうか」
 今までゆったりしていた雰囲気が、この剣の一条の光によって引き締まった。
 カロルは暫しその剣の放つ冷たい光に吸い込まれたかのように剣を見詰めた。ふと、刃の根元の竜の紋章に気づく。
 これは。ルカの笛に付いていた紋章と同じ。
 竜の目が、じっとカロルを見ている。
(カロル・クリンベルク・アプロニア)
 カロルは誰かに呼ばれたような気がして、思わず心の中で頷く。
(俺が、そうだ)と。
 竜の目は静かに閉じた。
 カロルは我に返った。
「何か、お気に召しませんか」と言うホルヘに対し、
「いや」と言いつつ、カロルは目をこすった。そしてもう一度、竜の紋章を見る。さっきは目が開いていたような気がしたが、気のせいか。と呟きながら。
 そしてもう一通の手紙を取り出す。
「なっ、何だ、これは?」
 長い手紙。しかもボイ語で書かれてあった。
 しばしめくって行くと最後に、
 読みたければ訳して下さい。時々頭を使わないと、それでなくともそもそも人より少ない脳細胞なのです、これ以上減らさないよう努力して下さい。
と、ネルガル語で書いてある。
 言葉は実に丁寧だが、その内容は。
「よっ、余計なお世話だ」と、カロルは一旦その手紙を床に叩き付けたが、おもむろに取り上げると塵をはらい、姉の方に突き出し、
「わかっただろう、これが奴の本性だ。口が悪いことこの上ない」
「あら、でも本当のことではなくて」と、シモンは済まして言う。
「あっ、姉貴」
 そっ、そうか、この二人は同類なんだ。人の立場も考えず、ずけずけとものを言う。しかしそれにしても、
「ボイへ行っても、少しも変わらないようだな、あのすねた性格は。見知らぬ星へ行けば少しは周りに気を使い素直になるかと思えば」
 変わらないと言う事は、皆に大切にされ、そうとう居心地がよいということだ。
 カロルはおもむろに二人のボイ人を見ると、本当は感謝の気持ちで一杯だったのだが、そこはカロルもあまのじゃく、手紙を振りかざし、
「お前等、こいつがネルガル人だからって、大事にし過ぎるんじゃないか。奴はまだガキなんだぞ、しっかり躾てやった方が奴のためだ。甘やかして育てるとろくな者にはならないからな」
「あら、それ、誰のことかしら」と、シモンは笑う。



 廃虚の中にバラックの立ち並ぶ町、ここがトリスの故郷だった。道端には腹を減らした子供や老人が物乞いをしている。もうすぐ冬になる。ドームで覆われた貴族の館は、気候を自由に変える事ができるが、ここは大自然の気候がもろに影響する。この冬を越せる者は何人いるのだろう。いつも春先には人数が減る。だがいつのまにか人は湧いてくる。王都へ来ればどうにかなると思って。
 食うか食わずの生活というものをトリスはすっかり忘れていた。ボイでこんな生活をしている者はいない。食と医療と教育がただの星。否、ただではない。そこに貨幣をあまり介在させない星とでもいうのか、ボイ独特のしくみが存在している。ネルガルのこの現状を見てトリスは、今まで自分がいた世界がまるで天国のように思えた。天国って、きっとボイのような国なんだろーな。
 トリスは自分の育った孤児院へ向かっていた。そしてそこで見たものは、笑いの少ない子供たちの顔、大人を訝しがるような目。トリスは子供が嫌いだった。だがボイでのトリスのイメージは、子供の好きなお兄ちゃんだった。あのレスターにすらボイの子供はなびく。ボイの子供たちは怖いものを知らない。まるで太陽のように笑い、いちいち大人の顔色など見てはいない。自分のやりたいことを存分にやっていた。彼らは大人が怖い存在であることを知らない。大人は自分たちを守り導く存在。
 俺が嫌いだったのは子供ではない。あの辛気臭い子供の目だったんだ。子供にあんな目かさせられないネルガルは、どこかおかしい。
「トリス、暫く会わないうちに、随分無口になりましたね」と、声を掛けてきたのは孤児院の院長だった。
 少し年を取ったようだが、相変わらずにこやかな婦人だ。
 院長が現われると子供の視線が少し和んだ。
「これ、皆に美味い物でも食わせてやってくれ」
 トリスはルカから支給されたコインの袋を院長に渡す。
 院長は袋の中を覗いて驚く。
「金貨ではありませんか」
「盗んだ金じゃないぜ。まっとうに働いた金だ」
 それだけ言うとトリスは、その場を逃げるように走り去った。この光景を何時までも見ていたくなかったから。ネルガルの子供は惨めだ。
 院長はその後姿を見送る。盗み引ったくり恐喝と、チンピラの手先になって食うためなら何でもする子だった。軍に志願したとは聞いていたが。

 本当は全部くれてやるつもりはなかったのだが、余りの光景の痛ましさに。
「ちぇ、一文無しになっちまった。せっかくネルガルに来たのだから、高級娼婦でも相手してやろうと思っていたのに」
 ぶつぶつ言いながら蹴った飲料用ボトルが、たまたま前方を歩いている集団の一人にあたった。
「痛っー」と、男が振り向く。
 見覚えある顔。
「あれ、トリスじゃねぇーか」
 昔の仲間だ。こいつらの手先になっているのが嫌で、この町を離れた。
「暫く見ねぇーうちに、背が伸びたな」
 男はトリスの方に寄って来ると、
「ところで俺に何の恨みがあるんだ、ボトルを投げつけるとは」
 間違った。で済む相手ではない。トリスはそれを重々知っていた。因縁を付け、金をせびられるか、持っていなけりゃ袋叩きだ。
 男がそう言い終らない内に、トリスは囲まれていた。
 トリスは正面から男を見た。
 まじまじと見てトリスは思った。ちんけな男だと。今までこんな奴に従っていたのかと。今の俺の主は、お前などがどう逆立ちしたところで、否、比べること事態が失礼だ。器のでかさが違う。そう思うと喧嘩する気力さえも失せた。だがこっちにやる気がなくとも。
「なんだ、その目つきは。随分と生意気になったじゃないか」
 案の定、喧嘩になった。だがトリスは昔のチビのトリスじゃなかった。ハルガンからの指導がここぞとばかりにものを言った。あっと言う間に三人を叩きのめす。
「へぇー、なかなかやるじゃねぇーか」
 口の中を切ったのか、口から垂れる唾液と血を手の甲で拭きながら男が言う。
 だが所詮多勢に無勢、結果は次第に見え始めてきた。
「手間取らせやがって」
 体を押さえ込まれ殴られるままになっているトリスに、助っ人が現われた。あっという間にトリスを取り囲むチンピラをはらいのける。
「レッ、レスター」
 押さえ込まれていた腕がなくなり、トリスはそのまま地面に突っ伏した。
 血反吐を吐いた。
「何やってんだ、こんな所で。このくそ忙しいのに」
 レスターはトリスに怒鳴る。それから周りのチンピラをねめつけた。
「レッ、レスターだとよ」
 さざ波のようにその名前がチンピラの間に行き渡る。
「似たような名前はいくらでもあるからな」
 一人の男が強がり気味に言う。
「試してみるか」と、レスターは薄ら笑いを浮かべる。
 数人の男が手に手に武器を持ち襲い掛かる。だが一瞬で彼らは、銀河より遥かに多い星を見る羽目になった。気づけば地球と添い寝している。
「こっ、殺したのか?」と、トリスは心配そうに。
 いくら縁を切ったとはいえ、昔の仲間だ。
「寝ているだけだ。だが、次は本気だ」
 まだ数人残っていた。その中にボスらしき人物も。
 レスターの持っている武器が鋭い槍に変わる。
 レスター独特の武器。普段は三十センチぐらいのジェラルミンの棒なのだが、いろいろと仕掛けがあり槍にでも刀にでも変化する。使っているところを見るのは初めて。否、あの時殿下とやりあった刀はこの棒だったのか。
 レスターが槍を構えた。腕に自信のあるリーダー格の男が長剣で飛び掛ってきた。だがそれも一瞬だった。一度も刃を合わせる事なく、レスターの槍は男の胸を貫いていた。
 血を吐きながら地面に崩れていく男。
「次は?」
 だが次は誰もかかってこなかった。ここは力だけがものを言う場所。
 レスターはポケットからコインを出すと、手間賃だと言わんがばかりに死体の傍に投げ置く。
「片付けておけ」
 死体の一つや二つ、転がっていても何の違和感もない町。崩れかかった廃家がそのまま残り、誰も修復しようとはしない。誰にもそんな余裕はない。どうせ上を向いて歩く奴などいないのだから、町の景観がどうだろうと構わない。足元しか見て歩かないのだから。
「行くぞ」と、レスターはトリスを促す。
「助けてくれて」と、礼を言おうとすると、
「人が足らないんだ、気をつけろ」
 つまり俺はあのボイ人の護衛のために必要なだけか。
 別にそれを言葉にした訳でもないのにレスターは、
「そうだ」と答えた。

 クリンベルクの館へ戻ると皆が心配してくれた。ホルヘまでが氷を持って来て傷を冷やしてくれる。本来、俺のような者にこんなことをするような身分の人ではないだろうに。
「兄貴、無事だった」
 声を掛けてきたのは懐かしい顔。
「チコ、お前」
 体の不自由な子だ。孤児院にいた時、面倒を見てやっていた。相変わらず体を揺らしながら歩く。
「ここで、世話になっているのか」
「うん」と、明るく返事をする。
「ある日、孤児院にクリンベルク家から俺を名指しで迎えが来て、カロル坊ちゃんの所へ連れてこられたんだ。なんでもルカ殿下から俺のことを頼まれたらしくて。ルカ殿下って、兄貴が仕えている人だよね」
「そうだったのか」
 トリスは苦笑する。気残りだったのはこいつのことだった。殿下は何でもお見通しだ。
「俺、坊ちゃん直々の下僕なんだ。学校にもあげてもらっている」
「そっ、そうか」
 有難くて傷の痛みも忘れるぐらいだ。
 それからチコはボイ人の方を向いて、
「兄貴の友達?」
「まあ、そんなところ。じゃなくて、殿下の大切な友達なんだ。だから粗相のないように」と言うのは既に遅かった。
「俺、知らなかったから、氷、運んでもらっちまった。兄貴が怪我して来たというから冷やしてやろうと思って」
 不自由な体で氷を運んでいるところをホルヘに助けられたようだ。
「知ってたら」 遠慮していた。
「いいのですよ、気にしなくても。しかし酷い怪我ですね」
「レスターに言われたよ、手加減しているからこの様だと」
「やっぱりレスターさんが助けに行ってくれたんだ。兄貴が奴等にやられているのを見て、俺が知らせたんだ。俺、丁度坊ちゃんの使いであそこを通りかかったんだよ。知らせたら俺が行くから場所教えろって、レスターさんが。ついでに腐れ縁も切ってきてやるって」
 トリスは笑う。
「ああ、完全に切れちまった。もう会うこともない。だってこの世にいねぇーんだからな」
 笑いが傷口に響く。トリスは苦痛に顔を歪ませながらも、
「チコ、ちゃんと仕えろよ。坊ちゃんに殿下が紹介してくれたんだから、殿下の顔を潰すようなことだけはするな」
「そんなこと、兄貴に言われなくったってー」
「この野郎」
 生意気そうなチコの頭をトリスは小突く。
「ところで、レスターは?」
「カロル坊ちゃんに呼ばれたよ」
「そうか」
 傷の手当を受け、一人になってトリスは思った。
 ボイにもチコのように体の不自由な者がいないわけではない。だがボイでは彼らにも社会的な仕事が与えられている。出来る範囲で皆と一緒にやるという。自尊心を傷つけられることは無かった。無論、仕事をしている以上生活は保障されていた。贅沢さえしなければ。だが何が贅沢なのだろう。仕事は半日で終わり、後は自由だし、食も住も老後も保障されている。守衛ですら四交代だ。それ以上やる場合は趣味とみなされる。ハルガンなどは、誰が好き好んであんな小生意気なガキの。と言いつつも彼の殿下を守ることは趣味の範疇なのかも知れない。ボイは天国だ。
 トリスは傷のせいかそのまま眠りに落ちた。


「レスター、お前が、俺が呼んで来たのは初めてだな。ボイ星へ行って少しは性格が丸くなったか。あそこは長閑な星らしいから」
 レスターは煩げな顔をすると、
「俺は忙しいんだ、仕事があるんでな。くだらない話なら帰る」
 レスターが踵を返そうとした時、カロルは慌ててそれを制した。
「仕事?」
「あの平和ボケしたボイ人の子守だ」
 ルカに命令されたのではしかたがない。
 カロルはおかしかった。
 平和ボケか。それも今の内だ。
 カロルは本題に入った。
「こっちはほぼ片付いた。次の標的はボイだ」
 レスターはゆっくりカロルと視線を合わせると、薄ら笑いを浮かべていた。
 やはり知っていたか。こいつが俺の口から聞くまで知らないということはあり得ない。
「そこで頼みがある。ルカを頃合を見計らってボイから脱出させてくれ。ボイ星からさえ出てくれば、後は俺が匿う」
 レスターはまた薄ら笑いを浮かべた。
「何が、おかしい」
 レスターは壁際のカロルのコレクションの宇宙戦艦のレプリカをもてあそびながら、
「坊ちゃん、悪いことは馬鹿じゃ出来ないんですよ」
「なっ、何!」
「悪いことは言いません、坊ちゃんはこんな事に係わることはない」
「こんなこと!」
 カロルはむっとした。大の親友を助けることが、こんな事なのかと。
 レスターは相変わらずレプリカをもてあそびながら、
「心配はいりませんよ、曹長だってハルメンス公爵だって、そのぐらいのことは考えておりますから。いざとなれば俺だって、ガキの一人ぐらいは食わせていけますよ」
 カロルはじっとレスターを睨んだ。そして全てを悟った。こいつらに任せるしかないと。こいつらなら命がけで奴をボイ星から脱出させるだろう。後は奴さえ、大人しくこいつらの言うことを聞けばだ。だがそれが一番の問題のような気がしてきた。
 カロルはわかった。とだけ答えた。
 レスターは冷ややかに笑みを浮かべると、
「坊ちゃんには悪いことは出来ないから、正々堂々と生きるべきだな。俺たちとは係わらない方がいい」
 そういうとレスターはもてあそんでいたレプリカを床に叩きつけた。
「なっ、何をする!」
 カロルは慌てて壊れたレプリカの欠片を拾い集めようとした。そしてそこで見たものは、
 レスターが足で踏み付ける。
「と、盗聴器」
 カロルはレスターの足から顔へと視線を移した。
 レスターがゆっくり足を退ける。そこには原形を留めない機械の残骸。
「では、今の話は全て」
「盗聴されたと思った方がいい」
 心配するカロルに、
「奴等にわざと聞かせてやったんだ。これから奴等がどう動くかと思ってな」
 ハルメンスがこっちの味方だと言う事を、レスターはわざと言った。それによって彼らがハルメンスの動きを封じようとすれば、こちらへの警戒は少し手薄になる。ハルメンスは一筋縄ではいかないからな、下手をすれば奴等自身の首が飛びかねない。
「俺の部屋に盗聴器を仕掛けるとは、いい度胸だ」
「新しい使用人や客人には気を付けた方がいい」
 もっともクリンベルク将軍は、これらの事を知っててこの館で生活しているのだろう。盗聴器を放置して好きなだけ盗聴させるということは、自分たちに二心がないことの証明になるから。


 クリンベルクの館で数日が過ぎた。だがその間、あの事件について我々ボイ人に訊いてこようとする者は誰もいなかった。この館の者は使用人に至るまでそれを口にすることを禁止されているかのようだ。だが二人のボイ人は、カロルさんにだけは自分たちの口から誤解のないようにしっかり伝えようと思い、カロルの部屋へやって来た。
「その件なら、ルカの手紙から知った」
 あのボイ語の手紙だ。手紙を訳せるようにルカは、音声入りの辞書まで付けてくれた。親切なのか不親切なのかわからない。ネルガル語で書いてくれれば、こんな面倒なことはしなくて済むのに。お陰でここの所、カロルは睡眠不足になっていた。
「それに、ハルガンやレスターからも聞いた」
 カロルは窓際へ立つと、外を眺めながら、否、視線は遥かボイに向けられているようだ。
「殺されて、当然だろう。あいつは昔から、弱いものいじめと理不尽な行いを一番嫌っていたからな、あいつらしい。俺も奴の立場なら同じことをしていただろう」
 カロルはそう言ってボイ人の方へ振り返ると、
「ボイには死刑がないらしいな。それでいて犯罪が少ないのだから不思議だ。とハルガンが感心していた」
 ボイの刑法は更生させることが目的、罰することが目的のネルガルの刑法とは違う。
「さぞ驚いただろうな、処刑など見せられては。だがネルガル人はあそこまでしないと、言うことを聞かないんだ。蛮族もいいところだ」
 二人のボイ人は返答に困った。
「もうこれで、奴の味方はお前たちしかいなくなった。奴を頼む」と、カロルは二人のボイ人に頭を下げた。
 他人に頭を下げるのが嫌いなカロルが。
 カロルはこの一言で、この件は全て片付けた。
「それより、シナカと言う姫は、どういう人なんだ。手紙によるとそうとう優しいらしいが」
 カロルのこの言葉に、ホルヘとサミランは顔を見合わせた。何と答えるべきか、口を開いたのはホルヘだった。
「殿下の守衛さんたちによりますと、ナオミ夫人に似ているとのことです」
「なるほど」と、カロルはルカの館で会ったナオミ夫人を思い出した。
「私は、シモン様に似ていると思いました。少しお気がお強そうですが、とてもお優しい」と、サミランは言う。
「あっ?」と、カロルは一瞬ほうけてから、
「あのな、お前等は会って間もないから知らないのだろうが、姉貴の気の強さは、並みじゃないんだ。下手な男じゃ張り倒される」
 ホルヘもサミランも、そこが姫様と同じ。と心では思ったものの、口には出さなかった。
「まったく、あいつの女の感覚はわからん」
 庭に一台の車が止まる。
 カロルは何気なくその車を窓から眺め、思わず身を屈めた。
「どうしました?」
「まずい、あの爺だ」
「じじい?」
「クライゼ提督だよ。親父に告げ口しに来たに違いない」

 クリンベルクはクライゼ将軍をエントラスまで出迎えると、居間へと自ら案内した。
 話題は自然とカロルのことになる。
「いろいろな戦術を教えてやろうと思っておるのだが、私のやり方はじれったいようでな。今回などは自分が先鋒を勤めるから総攻撃をと、きかなくてな。何か急ぎの用でもあったのかのう」
「申し訳ありません」と、クリンベルクは謝る。
「若いから血気多感なのは仕方ない。隣の者が死んでも、自分は死なないと思っておるのだろう。君も若かった頃はそうだったからな」
 今は常勝将軍として名を馳せているクリンベルクも、この老将軍には頭があがらない。
「お恥ずかしい」
 ある意味カロルは、若かりし頃のクリンベルクに一番よく似ているのかもしれない。
「落ち着くにはもう少し時間が必要だな」
 クリンベルクがそうだったように。


 約束の滞在期間が経った。いろいろな思いをクリンベルクの館に残し、ボイ人一行はネルガル星を後にした。


2010/03/10(Wed)23:53:10 公開 / 土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今日は、かなり長くなりましたが、最後までお付き合い下さって有難う御座います。今回は15話だけ読んでもわかるように登場人物の紹介を入れておきました。いかがでしたでしょうか、コメントお待ちしております。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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