『フクロウ』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:新屋 礼                

     あらすじ・作品紹介
 友人たちとピクニックに出かけた「僕」が、熊に襲われて死んだふりをしているつもりの間に死んでしまうお話です。

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 僕は死んだふりをしているんじゃない。本当に死んでるんだ。月が輝き、フクロウの声が聞こえる森の中で、ようやく僕は悟った。
 友人達との旅行中、きれいな滝を見るために僕達は森へハイキングに出掛けた。冬の冷たい空気の中で黒く立ち並ぶ木立は凛として、人ごみに紛れた日常では感じなかった条理というものを僕は感じていた。
 熊は突然やってきた。僕はそれを熊と認識する前に、自分の左腕が無くなっているのを見た。千切れた肩から黒い血が噴出し、友人達が喧騒するのを聞き、目の前の茶色い毛むくじゃらの壁が熊であることを悟った。
 僕は死んだふりをした。「熊に出会ったら死んだふりをしましょう」とよく言われていた覚えがあった。僕は右腕で左胸を押さえて、「うう、やられた」と呻き、突っ伏した。何者かに心臓を撃たれ任務半ばに殉職する刑事の死に様を、僕は思ったよりも上手に演技することができた。
 友人達の阿鼻叫喚が聞こえなくなった。みんな逃げおおせたのだろうか。それとも死んだふりをしているのだろうか。熊の唸り声はまだ聞こえる。獣の臭いもする。ぐちゃりぐちゃりと、地面を掘るような音も聞こえる。とにかく、熊がいなくなるまで、僕は死んだふりを続けなくてはならない。
 やがて夜になった。こう暗くなってしまっては滝を見に行く計画は中止になりそうだ。熊の気配は感じない。だが、随分前から耳はぼうぼうと余計な雑音が大きくなっているし、死んだふりをしているから首は動かせない。人間は長いこと同じ姿勢を続けるのは苦痛の筈だが、不思議とそれはなかった。火事場の馬鹿力というやつだろうか。どうせならもっと派手なシーンで活用したかったなと、僕は思った。
 同じ景色を見続けているせいでゲシュタルト崩壊のような事が起こり、何も見えないのと同じようになった。最初に倒れた時に目を閉じておけばよかった。殉職する刑事のリアリズムにこだわりすぎた。今度からは目を閉じて倒れることにしよう。多少リアリズムが損なわれるが、しかたない。それに、瞬きをしないで済む。
 フクロウの声が聞こえる。どうやら耳が治ったようだ。まん丸な目を見開いて、ホウホウと不思議な声で鳴くフクロウ。僕はフクロウが好きだった。
 フクロウを、見てみたいと思った。
 近くにいるかは分からない。かなり遠くからでも聞こえそうな声だ。
 しかし、すぐ近くで聞こえているような声だ。左に折り曲げた首を右向きに直したら、すぐ近くの木にいるのかも知れない。僕は熊にばれないように、そっと、首を向きなおそうとした。
 首は動かなかった。長い間同じ姿勢をとり続けたせいだろうか。ぴくりとも動かなかった。フクロウはまだ鳴いている。優しい声で鳴いていた。ホウホウ、ホウホウ、まるで僕がこっちを向くのを待っているような声だ。僕はフクロウがすぐ近く、右を向けばそこにいることを疑わなかった。フクロウは僕を待っている。僕は動かない首と格闘しながら、もしかしたら、僕はこのフクロウを見るために、否、このフクロウに会うためにこの森に来たのではなかっただろうかと思い始めた。
 僕は決心した。首は動かない。だから、死んだふりをやめて、起き上がる事にした。熊に見つかるかもしれない。だが、もう随分と時間も経った。熊だってもうどこかに行ってしまっただろう。仮にまだ熊が僕の死んだふりを疑って、僕が動き出すのを待っていたとしても構うものか。僕はフクロウに会いたい。フクロウに会えるなら、死んだって構うものか。
 両手で支えて立ち上がるつもりだったが、何故か左腕がなくなっていたので、右腕だけで上半身を持ち上げた。身体はかなりしびれている。思うように動かない。続けて左足を折り曲げて腰を持ち上げようとしたが、左足は動かなかった。麻痺してしまったのだろうか。少々やりにくいが、右足を折り曲げ、右腕でバランスを取り、動かない左半身を放り投げるようにして、僕はうつ伏せから仰向けになる事に成功した。
 真上には大きな月が輝いていた。黄金色に輝いていて、纏う薄雲も白く輝いていた。月に向かって木立は伸びて、まるで平伏す月の信者のようだった。僕も思わずその神聖さに打たれ、ほとんど力の入らない右腕を月に掲げた。何故だか涙が溢れそうになった。
「ホウ、ホウ、ホウ」
 フクロウの声だ。どこだ。どこにいるんだろう。僕はフクロウを思い出し、木立を見渡した。
「ホウ、ホウ、ホウ」
 どこだ。どこにいるんだ。
「ホウ、ホウ、ホウ」
 畜生、どこにもいない。声は聞こえるのに。すぐ近くに聞こえるのに!
「フクロウ!僕はここにいる!お願いだから姿を見せてくれないか!一緒に話をしよう。君は色んなことを知ってるんだろう?色んなことを僕に教えてくれ。君が見てきた美しい景色を、聴いてきた美しい音楽を、出会ってきた素晴らしい人や動物達の話を!僕に聞かせてくれ!僕は君に会うためにこの山に来たんだ!」
 僕は精一杯叫んだ。千切れそうに痛む肺から、真っ黒い血が噴出す喉から。僕の力の限りの叫びは、静かな森にいつまでもこだました。フクロウからの返事はなかった。
 長い静寂が続いた。何も聞こえなかった。僕の心臓の音も、呼吸する音も聞こえなかった。

2010/02/06(Sat)04:41:49 公開 / 新屋 礼
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■作者からのメッセージ
 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
「僕」が死ぬまでに徐々に朦朧となっていく意識を丹念に書いてみました。

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