『アンインストール』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:前田健太郎                

     あらすじ・作品紹介
ロボットのベルボーイとウェイトレスの物語。

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井上は一瞬、廊下の真ん中で立ち止まった。何が起こったのか分からず、おろおろと周りを見渡した。やがて思い出した様に上に向かって階段を駆け上った。上の休憩室は、エレベーターを使えば一分で着くのに。何故今日に限って修理中なのか。
どさ、と何かが落ちる音を聞いた気がした。それが何を表すのか、井上は考えない事にした。
休憩室には誰もいなかった。てっきり福田がいると思った井上はその場にへたり込んだ。
「サトウ…さん」
返事は無い。彼女もまた何処かに落とされてしまったか。ゆっくりと立ち上がり、非常用電話からANN社緊急テレホンに連絡する。
「はい、こちらANNロボット管理センターです」
「あの、ロボットが一体…壊れてしまったんです。すぐに来て頂けませんか」
「かしこまりました。十五分後に担当者がそちらに参りますので、少々お待ち下さい。尚、故障したロボットにはお手を触れないようお願いします」
井上は溜息をついて椅子に腰を下ろした。此れが人ならいざしらず、ロボットならただの事務作業と変わらない。残酷なのか普通なのか。
井上は徐々に自らの常識が狂って麻痺して行く様に感じていた。無論其れは彼女だけではなく、此処にいる誰もが感じているかも知れなかったが。
部屋には明かりがついていたが、埃っぽい隅を照らすまでには至っておらず、真ん中だけが不気味に明るい。井上は何となくこの部屋が嫌いだった。幽霊でも出そうな感じで、居心地がとても悪いからだ。井上はそこまで考えて、ふと宙を見据えた。呼吸を妨げる程の苦痛、言いようの無い不安が、自分に向かって首をもたげて来る_。この仄暗い部屋の片隅から、ゆっくりと…。
「井上君!」支配人が真っ青になって走って来た。
「支配人…サトウさんは?」
「別の部屋に寝かせている。流石に仲間が故障したとあれば思考回路に影響をきたすかもしれないからな」
「福田さんは…」
「さあ、知らないな。尾崎君に聞けば何か知ってるだろう。尾崎君!」
「いえ、私も彼の事は見ていません」
後ろから、騒ぎを聞きつけたホテルマン達がざわざわと野次馬になって集まって来ている。支配人はそれを両手を振って追い返した。
「関係者以外は部屋に戻れ!今から担当者が来る!さあ帰れ!」
その言葉に、ぶつぶつ文句を言いながらも野次馬は三々五々散って行った。やがて下の道路にタイヤの音が近づき、停まった。
「来たか」五分も経たない内に、銀と青の作業服を着た男性が現れた。
「ANNロボット管理センターの上田です」
「ああ…コバヤシ君は?」
「現在、担当の者が彼のボディを回収しています。破損した部分を補修すれば大丈夫でしょう、少々部品交換が必要かもしれませんが、コアの部分は無事ですから充分『使え』ます。尚、今回の修理費用についてはお気になさらず」
「助かるよ、でも彼は此のホテルの従業員だ。なるべく速くお願いしたいのだがね」
「ご安心を、明日までには修理が完了する予定です」
「頼んだよ」
「はい、では、これからもANNロボット管理センターをお役立て下さい。此の度はご利用ありがとうございました」
彼は支配人に向かって軍人よろしく敬礼をすると、さっさと休憩室を出て行った。ロボット事業は危険な為、軍隊と同じ位置付けになっている。彼もまたその訓練を受けた内の一人なのだろう。
「では井上君、コバヤシ君の一件は事故として処理する。だが…」
「はい」
「これからもこのような事が有ってはホテルの事業に支障をきたす。今此処でロボット三原則の復唱を行うが、大丈夫かな?」
「はい、支配人は?」
「大丈夫だ。このくらいは想定の範囲内さ、行くぞ。せーの…」
『一つ、ロボットは人間の命令に従わなければならない。
 二つ、ロボットは不満を言ったり人間に危害を加えたりしてはならない。
 三つ、ロボットは自分の身は自分で守らなければならない』
「よし、此の三原則をしっかり守って、これからも最上級のおもてなしをする様に」
「はい」
「では、今日はもう良いから帰って休みたまえ。君は実家かな?」
「いえ、社員寮です」
「そうか、なら良かった。では明日」
「はい、おやすみなさいませ」福田は去って行く支配人に深々と礼をした。彼はそれに右手を挙げて応えると、エレベーターの横にある階段を駆け下りて行った。時間に几帳面で片時も無駄な事はしない。此れが彼と、彼の決めた此のホテルの流儀である。
先代の支配人はおっとりとした人だった。従業員にも礼儀正しく、ましてロボットと人間を差別するなんて事も無かった。
それに先代は『ロボットに人権を与える会』の会長も務めていたんのだ。しかし、後を継いだ息子は其の役職を「時間の無駄だ」と言ってあっさりと放棄した。息子はホテルを大きくし、此の帝都だけではなく全国のあらゆる有力観光地に此の帝都ホテルの名を知らしめた。しかし彼は商売には才能が有るがいかんせん人としての情に欠けると一部では陰口を叩かれていた。金しか頭に無いのだとあからさまな悪口を言う者まで現れた。此れではホテル内の信頼も崩れ、いずれは此の帝都ホテルも崩壊する。だが支配人はそんな事は気にもせず、彼らを片っ端から解雇する事で此のホテルのブランドを守っているのだ。井上は寮までの砂利道を歩きながら、自分はいつ切られるのだろうとぼんやり考えた。井上は小さい頃から動きがのろく、何度教わっても覚えるのに時間がかかった。だからいつも莫迦だ莫迦だと苛められ、此のホテルに就職した後も皿を割っては叱られ、料理を間違えては叱られた。それでも先代はそんな自分を優しくいたわってくれた。業務が終わった後に厨房の隅で隠れて泣いていた自分を温かく慰めてくれた。でも、そんな先代はもう此の世にはいない。泣いてもわめいても、もう誰も慰めてはくれないのだ。彼女はドアノブに手をかけ、今日何度目かの溜息をついた。
…福田はごそ、と身を起こした。コバヤシを突き落とした後、足音が聞こえたからドアの裏の死角に隠れた。誰かと思ってみればウェイトレス長の井上だった。あいつはグズで仕事も遅いくせにこんな時だけ早く来やがる。福田は内心舌打ちをしながら息を殺して井上が出て行くのを待った。が、井上は予想外の行動をとった。何と、緊急テレホンでANNに連絡したのだ。やがて支配人とコンシェルジュも現れ、福田はいよいよ見つかるのを恐れた。だが、誰もドアの死角には気を払う事無く、支配人は出て行った。井上も閉め忘れたのか、ドアを開けたまま出て行き、福田が見つかる事は無かった。それでも万が一を考えてロッカーに隠れたのは、彼なりの自己防衛策だった。
小さい頃から、一番安全なのはロッカーと押し入れだと知っていた。学校でも授業の間中ずっとロッカーに隠れていた。出て行けば必ず誰かに蹴られるし、金を巻き上げられた。先生も成績の悪い福田に眼を留める事は無く、小学校中学校の六年間ずっと無視され続けた。家でも両親はしじゅう言い争い、福田を見つけては鬱憤ばらしに髪の毛を掴んで殴った。そんな福田が唯一一人でいられた場所、それが押し入れだった。学校で有った嫌な事も、家で両親に殴られた痣も、其処では全て消えてなくなって、一人だけの真っ暗な空間になる。福田は其処に入ると、必ず図鑑で見た宇宙を思い出した。真っ暗で何も見えないけれど、星だけがきらきらと光って自分を照らしてくれる。幼い彼の想像力ではそれが限界だった。中学を卒業した後、逃げる様に実家を飛び出して帝都に向かい、此のホテルに就職した。先代は学歴の低い自分を優しく迎え、此処でホテルマンとして雇ってくれた。其処で初めて、彼は自分が自分らしく生きる事が出来たのだ。だが、それも先代が亡くなった事で途切れた。後を継いだ今の支配人は、従業員の事なんか見向きもしない。ただの金儲けの道具としか考えていないのだ。現に福田も、テーブルクロスが少しずれていただけで使えない奴だとお客様の前で怒鳴られた事が有る。先代なら決してこんな事はしなかった。お客様のお食事を邪魔してはいけないと、業務が終わった後に裏に呼び出して優しく、しかし厳しく叱った。だが、支配人はそんな事お構い無しに怒鳴る。一体彼はホテルを大きくして繁栄させたいのか、それとも信頼を失って倒産させたいのか、一体どっちなんだ。福田は必死に考えたが、結局「矛盾している」という結論にしか行き当たらなかった。彼が切られるのも時間の問題だ。おそらく井上も、コンシェルジュの尾崎も状況は大して変わらないだろう。だが…コバヤシとサトウ。あの二人は決して切られる事は無い。ロボットだから仕事はノーミス。おまけに上手く支配人に取り入って気に入られている。今日だってそうだ。俺達には全く気を払わないくせに、あの二人ばかり…。福田は肚をたてた時の癖で唇を噛むと、ロッカーの扉を開けて外に出た。休憩室の明かりもつけっぱなしになっている。井上は何処までドジなんだ。さっきは腹がたった勢いでつい毒づいてしまったが、考えてみればあいつも俺と同じくらい此処で働いている。それなのに俺だけ鬱憤ばらしに毒づくなんて、これじゃ親父と同じじゃねえか。福田は拳を握りしめ、壁に思い切り打ち付けた。川が少し擦り剥けたが、こんなんじゃ足りない。家庭が冷え切っていた福田にとって、井上も尾崎も、此のホテルの従業員は家族同然の存在だった。最早彼の戻る場所は無く、此処が唯一の居場所だったからだ。

2010/01/03(Sun)10:02:44 公開 / 前田健太郎
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■作者からのメッセージ
ロボットを描くのは難しかったけれど頑張って書きました。少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。

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