『ArsaMa†oria In Osaka ℃atholic ℃hurch !!! 』 ... ジャンル:リアル・現代 恋愛小説
作者:鈴村智一郎                

     あらすじ・作品紹介
クリスマスのために

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 本当に好きな人には、好きだなどと絶対にいわない。

 僕はその日、いつもより早く起床して身支度していた。誰に会いに行くというわけでもない、ただ、ミサに行くだけだ。僕は昨日、夜の十一時まで働き、就寝したのが四時だった。僕の洗礼名であるIoannes Baptistaについての聖人伝を、09年最後の記念として執筆していたのである。
 ミサに行く時、僕は常にDior Hommeの服を着る。デニムは八万、冬用の上のコートは二十万だ。コートの中にはEPOCA UOMOのシャツ二万、けれど履いている靴は安物の紳士服店で買ったいくらかも忘れた黒い革靴だった。この革靴も磨けばDior Hommeと合わなくもない。ただ、僕が履いていたSCHLUSSELのオリーブ色のブーツは、Dior Hommeのアパレルの女性の意見では「あまり合わない」とのことなので、僕はそれっきりSCHLUSSELを履かなくなったのだった。
 僕は完璧さを求めている。Dior Hommeなら全てDior化しないと何の意味もない。中がEPOCAというのはまだしも、最も重要な場所である足元が身元不明というのでは、Catholicの名が廃る。
 
 眠たい目を擦りながら、僕は朝の街路を自転車で走る。コンタクトレンズは付け替えてまだ日が浅いのに、痛い。風もほとんど吹いていないのに、冬だからか知らないが、やけに痛んだ。
 教会の前の駐車場を越えて、裏庭の自転車置き場に僕は五年以上、否、もっと使っている自転車を置く。教会の前で、老人たちが何か話している。僕は早速トイレに向かい、鏡の前で髪の毛を再びセットする。前まではあからさまにアシメにしていたが、最近はストレートでそのまま下ろしている。今の髪の色が好きだ。lawlightのbrown & highlightのbrownが二色で巧く混ざり合っている。白い照明が当ると、立体的な栗色に見える。
 髪の毛は、地元の美容院に全て任せている。
使うshampooもmaskもhairbuilderも、高価だが効能は良い。僕の担当の美容師さんは、この前は風邪で休んでいた。だから別の美容師さんにカットをしてもらった。自慢癖のある僕は、彼女に自分がCatholicであるということを説明した。彼女は僕のような変り種と話を合わせるのに苦労していたに違いない。
 「『PASSION』は観ましたか? 」
 「あれヤバイですよね」
 「えっ? あれって18禁でしたっけ? 」 
 「いや、確か15Rですね。僕、あれ初めて観た時泣いたんですよね」
 僕がそういうと、アリアと久石譲が好きだという彼女は薄く微笑していた。カットとカラーは別の人で、カラーの人には僕がどこで働いているのかということがバレた。湘南信長書店、現在は湘南宝書店、つまり、アダルトの店。僕はしかも、そこでcell担当のスタッフとして働いていた。cellというのは、Catholicとは不釣合いどころか、真逆のポルノDVDのことだ。だが、一年もすれば全ては均質化する。
 カラーを担当してくれた、声色がエロカワイイ彼女は、僕が宝の人間だと知ると、ギャルっぽく爆笑していた。その時、僕は彼女に髪を洗ってもらっていたので、顔は見ていないが、おそらく素で笑っていたと思う。
 「なんでそんなところで働いてるんですかぁ〜? 」
 「いや、人が良いんですよ。あと、基本的にひとり体制ってのが性に合うのかもしれません」
 「あ〜」
 彼女は最後に「wax付けときます? 」ときいた。僕は「はい」と答えた。僕がwaxを自分で付けると、いつもつけ過ぎてしまうが、彼女は少し立たせた程度で素直に巧かった。僕は気分が良くなり、また矯正が取れたら行こうと思った。
 
 「鈴木くん、おはよう! 」
 寺内さんが元気な声でそう挨拶してくれた。僕は低い声で小さく、「おはようございます」といった。その時、顔を見ずに返してしまったので、寺内さんはきっと「相変わらず連れないこやな」と思っただろう。でも、僕は寺内さんがわりと好きだった。
 聖堂の中にまだ人はあまりいない。説教台のすぐ近くに並べられた椅子には、常連が並んでいることが多い。僕も一応は聖書朗読という奉仕職についているし、寺内さんにいたっては婦人会の長だ。彼女は三十代後半の二児の母で、高校生らしい子供たち二人は、共に司祭を補佐する役についている。
 僕は眠かった。だが、表面的にはいつものように「聖書と典礼」に目を通し、その日のミサで朗読される箇所を読んでいた。僕は、自分が最も女性を惹きつける自分の姿とは、本を静かに読んでいる時だと確信している。そういう時に、僕は視線を感じることが多い。
 やがてミサが始まった。その日、集まった十代後半から三十代前半までの女性の数は、おそらく二十人前後だった。僕の隣には、いつも韓国人の熱心な女学生たち四、五人が座る。僕が若い女性の数をカウントするのは、その中にやがて僕の将来の妻となる運命の女性が潜在していると予感しているためだ。或いは、たんに女好きということなのかもしれない。
 その日のミサは「王であるキリスト」を讃えるための記念日で、説教内容もそれに付随していた。同志社から来てる感じの若い男子学生が、熱心にメモを取っている。僕はあくびを我慢している。説教台を挟んだ前の列に、一人だけ茶髪の若い女性がいる。僕と彼女の視線が交わる。でも、僕は気にしなかった。それほど綺麗じゃない、と僕は心の中で囁き、「聖書と典礼」に目を落とした。
 ミサが終わり、椅子から立ち上がって良くなると、一人の婦人が僕に駆け寄ってきた。宮城さんだ。彼女にはスラッとした感じの女子高生の娘がいて、僕とは時々本の話をする。本といっても、彼女との話題はCatholicが中心で、それが全てだ。この前は『聖母マリアの歌』というマリア運動に参加している司祭が執筆した、一般信徒向けのわかりやすいマリア論的エッセイを貸してくれた。彼女が僕に本を貸してくれる時、僕はその後ろの席で恥ずかしそうに下を向いている娘さんの姿も見ているわけで、嬉しいが、僕としてはこの娘さんが何を読んでいるのかの方が実は気になったりする。
 「ありがとうございます。長く来れてなくてすみませんでした」
 僕は宮城さんの目を見てそういった。すると、宮城さんは僕の目から視線を逸らし、少しはにかんだ眼差しで視線を横に落とした。僕は「あのこには友達がいないみたいなんで、私が友達になってあげる」と女心をくすぐるタイプなのか、それともたんに教化が必要な青年と思われているのか、よくわからない。ただ、宮城さんのことは、貸してくれる本の内容面も含めて、Catholicの美点だと思っている。
 聖堂から離れ、出口に向かおうとした時、僕は懐かしい声を聞いた。山根さんだ。実は、僕は彼女のことに少しだけ惹かれていた。前に一度だけ会話して、それからミサに来るたびに何度かお互いに意味深な目配せだけ続いて……結局、僕も来たり来なかったりする日が続いて、今はまた前のように教会のメンバーの一人みたいになってしまっている。
 前に婦人会主催の「聖書の分かち合い」というイベントに参加した時、僕の隣に山根さんが座っていた。でも、順番上の問題で、僕は寺内さんと与えられた題について対話することになった。本当は山根さんと話したかったと書けば、罪になるだろうか。寺内さんは皆の前でわざわざこんなことをいった。
 「鈴木くんは、Catholicで洗礼を受けて、今自分に自信があるんですって。Catholicは二千年以上の歴史を持っているからって。私は正直、このルックスでまだ若い彼の存在に嫉妬します」
 それは寺内さんの皮肉なのか、本心なのか、それとも山根さんと僕のことを意識してなのか、よくわからなかった。とにかく、僕が自分の外見をきちんとしようと思い始めたのはまだ最近のことだったし、寺内さんも山根さんも昔の僕を知っているはずだから、ルックス云々というのはおそらく変化のことを評価していると解するべきだった。
 僕が山根さんに死ぬほど惹かれたのは、ある婦人とその息子さんの洗礼式で、僕が代父の役を与えられたことをきっかけにしている。洗礼式の日、僕は宝の仕事を他のスタッフと交替してもらってまで参加した、当然だが。でも、その婦人は何が不満なのか知らないが、自分から感謝の言葉一ついい出さなかった。無論、僕が色気づいて髪の毛を立たせたりしていたということが老人受けしなかったというのもある。ただ、感謝の言葉くらいは普通はいうだろうし、僕ならいう。
 何故か僕が落ち込んでいたその夜、真っ先に「今日はありがとう」と笑顔でいってくれたひと、それが山根さんだった。僕は「はい! 」と自分でも笑ってしまうほど元気にそういった。山根さんは微笑んでいた。
 それ以来、僕の中で三十代前半の、子持ちの綺麗な婦人として山根さんは定着した。はっきり書いておくが、山根さんは相当の美人だ。そして、僕はもしもあんな女性と一緒に美術館デートでもできれば、それで三十代までは独身でも良いとすら考えていた。
 三ヶ月くらいして、僕はようやく山根さんに声をかけた。長いブランクがあったが、それまでにも色々なことが山根さんとは無関係に起きていた。
 「洗礼式の日に、ありがとうっていってくれて、すごい嬉しかったんです。ずっといいたかったんですが、本当に感謝しています」
 僕がそういうと、山根さんは「へ〜」みたいな顔で頷いた。僕はそれだけ伝えて立ち去るつもりだったが、山根さんは質問してきた。
 「仕事何してんの? 」
 「あの……本屋です」
 「えっ? どこの本屋? 」
 「えーと、あの、けっこう地元の」
 「何ていう本屋さん? 」
 僕は遂に観念したのだ。
 「宝書店です」
 「宝? 宝って、あのウ冠のタカラ? 」
 「はい」
 僕がいいにくそうにしている理由を山根さんはまだ理解できなかったのか、更に聞いてきた。
 「あっ! わかった。オタクみたいな本が多いんでしょ」
 「まあ……そんな感じですね」
 「あれ? アニメとかでもないん? 」
 「んー、なんというか、ちょっとオトナの」
 そして山根さんはようやく理解して、少し沈黙してしまった。
 「でも、今は選ぶことできませんし、色々厳しいじゃないですか」
 「あー」
 宝の話はそれっきりだった。山根さんは自分の息子が中学受験に失敗して、行きたかった中学が僕の母校だなどといっていた。僕は自分は大阪星光に行くつもりだったと話すと、少し「あれ? 」みたいな顔になって、
 「あー、もっと上の」
 と返した。
 
 それくらいなのだ。書けることは。まだ書けることはあるが、それは謎に包まれている。僕と山根さんが話している途中に、シスターが僕にロザリオを二つ贈ってくれて、その一つを翌週に山根さんに贈ろうとした。
 「あたしも持ってるし、あのこも持ってるわ。鈴木くんがちゃんと持っておき」
 彼女はそういった。僕は明らかに好意に駆られていた。それから、山根さんがかなり綺麗な服で来た日に、僕が無言で何もいえずにそのまま帰ってしまったということがあったりして、山根さんは僕が思うに、明らかに僕の態度に落ち込むというか、失望していた。
 僕はここまで書いていて今思うが、おそらく、山根さんは雰囲気と顔が合っていないのだ! 顔は誰が見ても貴婦人としか思えないほど整っていて魅力的だが、声とか言動が少し庶民的になり過ぎているのである。ある種の、自分の色気を理解した上での、年下の男を誘惑するような怪しい面持ちがない。それは、彼女が一児の母だからだ。母ゆえの苦労を重ねた結果、彼女は若い頃の絶大な色香を喪失した。
 「山根さんは、旦那さんといっしょにミサには来られないんですか? 」
 僕はあの日に、そう質問したことがある。それは、フリーかどうかを尋ねるためだ。
 「うちらは二人やねん……」
 彼女は少し寂しげにそういった。

 寺内さんが、「聖書の分かち合い」の日に、僕と山根さんに向かってというよりは、むしろ山根さんに対して、
 「二人で話せるチャンスやで」
 といったこと、それはおそらく、寺内さんと山根さんが一週間前に参加していたカトリック教会主催の旅行で、僕のことをおそらく「いいこ」として話したからだろう。その「いいこ」は、山根さんにとって「いい子」なのか、それとも「いい男」としての話題だったのか、僕にはわからない。でも、山根さん自身が、僕が感謝の言葉を贈った日以来、いつも「鈴木くん、おはよう」といってくれていたのは事実だ。そして、僕は彼女の視線の奥に、互いにはけしていわないけれど、何かもっと年齢差を越えたところで、信頼し合えるような話をしたいというような輝きを見ていた。それは僕自身の思い込みの産物かもしれないし、別にそれでもかまわない。ただ、山根さんが僕と同じ教会に通っているということ、それは僕にとって自慢であることは今後も変わらない。何故なら、笑っている時の横顔が、本当に綺麗過ぎるから……。
 
 僕は結局、その日久しぶりにミサに来たというのに、肝心の山根さんとは話せなかった。でも、あのあっけらかんとした声は聞こえたのだ。もし山根さんが、黒いドレスを着て、あんなあっけらかんとした素朴な声を出したら、おそらく男たちは「えっ? 」と思うだろう。これは彼女が備えているギャップなのだ。
 僕は階段を下り、宝に行くギリギリの時間まで修道院の中のホールで映画『マリア THE NATIVITY STORY』を観ていた。僕は一番前に座っていたが、もしかすると山根さんも後ろにいたかもしれない。山根さんっぽい咳をしている女性が後ろにいたと思うからだ。『マリア THE NATIVITY STORY』のヨゼフ役の俳優は非の打ち所のないほど素晴らしい演技をしていた。くたびれた感じの面持ちだが、真面目な信仰心でマリアを支える。男は汚くて良い。汚い男が汗水流して、綺麗な女を支える。女は褒美として、愛を与える。そういうものではないのか。山根さんの好きな男のタイプが、あのヨゼフみたいな感じだとしたら、ディオールに夢中になっている今の僕は、ただの俗物化したヘロデの臣下にしか見えないだろう。

 
 本当に好きなひとには、好きだなどといわない、というのは間違いだ。正しくは、「いえない」。


 そう、僕はまだ何もいっていない。アイコンタクトが何だ? このまま僕は、何もいえないまま、虚しく図書館でオウィディウスの下らない『ARSAMATORIA』でも読むのだろうか? 「恋においては、男が先に好きだというべし。女の声を待つ男が勝利した試しはない。恋においては、とにかく男が攻めて口説いて口説き倒すべし! 」そういうことを、この昔のオジサンはいっていた。
「あっそ」と、僕は斜に構えながら思ったが、それでもノートに山根さんのことを想い起こしながら、一字一句忠実に書き記しはしたのだった。
 
 







2009/12/09(Wed)01:25:24 公開 / 鈴村智一郎
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■作者からのメッセージ
なぜこれを書いたのかというと、作中のヒロインの女性とクリスマスのミサに二人で朗読役を任せられたからです。
そのことを書けなかったのは、彼女が私のことをどう感じているのかがわからないから。

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