『余白の民』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:鈴村智一郎                

     あらすじ・作品紹介
この作品は、ユダヤ教神学に古くから伝わる「起源に廃墟が到来する」という命題を、Cyber-spaceの中の現象「Page Not Found」とリンクさせて考察した中篇小説です。

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志穂は裏庭にある聖母マリア像をぼんやりと見つめていた。数千年前からここに立っているような気がするほど、遠い眼差しで幼子イエズスを抱いているマリアだった。志穂は最近、春香と裏庭の傍で昼食を取っていた。教室で取ると、クラスメイトの声に何か異質の音声が介入するのを聴くからである。ノイズのような、ラジオでチューナーを合わせている段階に流出する、ひどく玩具的で古臭い音だった。
 ――志穂、ごはん食べよっか?
 春香だった。春香は顔の外皮には笑顔を浮かべていたが、皮下組織では冷たい疲弊感のようなものを滲み出させていた。志穂も名状し難い疲弊感を抱いていた。二人には共通する悩み、課題があった。その課題の大きさが二人の少女から一切の光、一切の恋愛、一切の孤独さえをも奪い取っていた。
 ――あれから進んだ?
 春香がお弁当箱をゆっくり傾けながらそういった。玉子焼きが地面に落下した。志穂が「春香、落ちたよ」といっても、春香は「ほんと」としか返さなかった。
 二人が背負っているのはPage Not Foundの迷宮だった。だが、これは既に二人が解決したはずだったのだ。これ以上考えると、どれほど虚無が深くなるかも既に予感していた。だから、二人でPage Not Foundという問題を( )に入れたのだ。遮断したのだ。そして、永久にこの問題を開閉不可能な箱に入れて、封印したはずだったのだ。
 そもそも、この問題は春香が見た悪夢に来歴を持っていた。半年前だったろうか、要するにかなり最近なのだが、春香はコンピューター室で不思議な体験をする夢を見たのだった。志穂はこれを、やはり学校の昼休みに、こうして裏庭の黄色のベンチで教えられた。春香がいうには、彼女は静かに、暗い夜のコンピューター室の中をゆっくり歩いていたらしい。pcたちは瞼を閉じていたが、最後の一台、部屋の片隅にある一台だけ、薄明かりで電子画面が明滅していたという。春香はそこを覗き込んだ。それが、志穂が初めて、親友の体験から間接的に聞き知った、Page Not Foundとの遭遇だった。
 Page Not Foundというのは、「ページは見つかりませんでした」ということだった。春香が見たのは、画面にただ「Page Not Found」とだけ記された世界だったのである。もし一日だけであれば、春香もそれほどこの夢体験に重大な意味を持たせなかっただろう。だが、春香がこれを見て、志穂に話した翌日、今度は志穂が、夢の中で「春香と」Page Not Foundと表示された画面を目にする夢を見たのだ。実際に、二人が同じ夢を共有したのは、そのたった一日だけだった。春香も「志穂と」その画面を夢の中で見ていたのだ。
 それから、二人は合言葉のように、Page Not Foundについて思い巡らせるようになった。もともと、二人は中学時代に図書委員をしていたほど、本が大好きだった。昼食を終えてからは、このPage Not Foundの意味を調べるために、学校の広い図書室へ向かうことが多くなっていた。
 一番初めに、極めて重要な発見をしたのは、志穂だった。志穂は、あの夢を見た翌日ごろから、「Page Not Found」が、Webの中の、ある種の「廃墟」と関係があるのではないか?と思い始めていたのだった。つまり、例えばある企業のHP「A」があるとして、それが何かの理由で閉鎖された時に、そのHPが「Page Not Found」になる、というような現象だ。実際、志穂はGoogle検索で「Page Not Found」とか「4 0 4」とか、「ページは見つかりませんでした」と入力したが、けっこうな数の検索結果が得られた。事実、Webの中には、HPの「廃墟」があるようだった。
 それを春香に話すと、彼女は愕いたが、しばらく考え込んで、管理人が逝去した場合も、ある意味でHPが廃墟になっている、とは考えられないか、というような発言をした。志穂は確かにそうかもしれない、と思って、やはり考え込んだ。たとえPage Not Foundと表示されていなくても、既に管理人が――つまりそのサイトの統率者が――存在しなければ、それは廃墟になっているのではないか。だとすれば、Webには実に多くの「廃墟」が存在することになる。管理人がたとえ逝去していなくても、例えば別のサイトに移転して、前のサイトをそのままにしていたり、pcを買い換えて新しくHPを作り始めたりしていたとすれば、実際に「廃墟」、つまり、管理人不在のスペースの数は増えるだろう。
 志穂と春香は、「Page Not Found」について自分たちなりに調べたことを、一冊のノートに書き出していった。二人のノートは『Page Not Foundについて』と題されていた。そこで、まず二人が書いたのは、「目に見える廃墟」と「目に見えない廃墟」の差異である。「目に見える廃墟」というのは、要するに「Page Not Found」と直接的に、解りやすく表示されたりしているサイトだ。他方、「目に見えない廃墟」というのは、管理人が不在で、誰からも注目されていない無人地帯のようなスペースのことだ。だが、この二大別には、実は二人も自覚していたが、ある曖昧さが潜んでいた。というのは、たとえ管理人が不在でも、別のユーザーがそのサイトの掲示板などで活発に書き込みを入れたりすることは可能だし、Page Not Foundといえども、こうして志穂と春香がそのページを見たりしている限り、一概に無人とはいえないからである。
 ここで、改めて二人は「Page Not Foundとはそもそも何なのか?」という根本的な問いに対峙せざるをえなくなったのだ。Page Not Foundは、何かあるサイトが、変化したものだ。その理由は、サーバー上の不具合や、管理人の強制的な閉鎖、など限られているが幾つか例はあるだろう。いずれにしても、ある原型となるサイト「A」があって、それが変化してPage Not Foundになる。それは、ある有名な人気あるショッピングセンターが、色々な条件が重なって閉鎖になり、今は広大な廃墟になっている、という都市のひとつの現象と愕くほど類似している。
 こういったことを考えているうちに、志穂は、実はこの「Page Not Found」という問題が、外見よりも実に広大な謎を抱えていることを予感し始めたのだった。ある英語の授業の時、テキストの英文を日本語訳にし終えて、志穂はぼんやりと窓から覗く青空を眺めながら考えていた。その時、志穂はふとある一つの定理のようなものを閃いたのだった。Page Not Foundとは、「翻訳」ではないのか。原型となるサイトを、仮に「原書」だとすれば、その変化した姿として表示されるPage Not Foundは、「翻訳」である。そもそも、翻訳というのは、原書と同じものではない。まず書かれている言語が全く異なるし、語彙でも補い得ないほどの落差がある場合もある。ただ、原書にある内容は、翻訳されても同一性を保たねばならないのだ。ラシーヌの『ベレニス』はフランス語で書かれたけれど、内容は日本語にしても通じるのだ。内容、これがいわば言語を飛び越える共通のテーマになっている。だが、このようなテクストの問題としてPage Not Foundを考えてみた時に、依然として志穂は謎が壁のように立ちはだかっているのを知ったのだった。つまり、Page Not Foundの「訳者」は、管理人なのか。それとも、Web自身なのか。
 正直、春香は志穂ほどこの問題を奥深いところまで考えていなかった。春香はむしろ、「恋に関するページが見つかりません」とか、「志望校に関するページが見つかりません」などという具合で、いわば表現の問題としてPage Not Foundと戯れていた。春香と二人だけでは、どうにもうまく問題が解決できないと思い、悩み始めた頃、ちょうど文化祭が隣の男子校で開催されたのだった。
 春香と志穂は、気分転換に文化祭を訪れた。そこで二人は、文化祭の行事には参加せず、屋上で一人、本を読んでいる生徒を見つけた。読んでいる本が、ちょうど志穂が好きな作家だったので、二人は気軽に声をかけてみたのだった。というのも、二人は案内役を探してもいたのである。
 不思議なことだが、志穂は初めて彼の声を聴いた瞬間、「あっ、この人といつか結婚するかもしれない」と思うほど、何か独特な緊張感と高揚感を覚えた。少しかすれ気味のハスキーな声で、時おり見せる頬の笑窪だけが少年時代の痕跡を感じさせるほど、大人びた静かな印象を与えた。夕暮れまで、三人はとりとめもない、高校生らしい無邪気な雑談を楽しんだ。そして、不意に春香がPage Not Foundのことを口に滑らせ、それに彼が――名前は憐――好奇心を示したのだった。志穂はいつも持ち歩いている二人の調査ノートである『Page Not Foundについて』を彼に披露した。しばらく憐は鋭い眼差しで、無言の読書をしているようだった。彼がページを閉めた時、既に学校の校門は閉鎖されていた。いつの間にか、文化祭は幕を閉じていたのだ。
 ――余白についてさ、時どき考えることがあるんだ、と憐は校舎の屋上から見渡せる夜景を眺めながら笑顔で囁いた。志穂と春香が、はてなという表情を顔に浮かべると、憐はどこか安心したように、そしてどこか疲れ果ててもいるような眼差しで微笑んだ。正確には「パレルゴン」っていうんだ。ほら、ノートに英文を書くとするだろ?それを別のノートで日本語訳する時、英文以外の部分までをも翻訳できるだろうか?つまり、パレルゴンを、余白を。新約聖書ははじめ、ギリシア語で書かれたんだ。それがラテン語に訳されて、今じゃ日本語、それに児童にもわかるようなやさしい口語訳にまでなってる。でも、まだ誰一人訳していない部分がある。そこは、訳す必要がなかったし、これからも訳されないと思う。でも、僕はそれについて考えていると、不思議だけれど、すごい安心できるんだ。ああ、誰もまだ訳してないんだなってね。まだ、誰も気付いてないんだなって。
 志穂が我慢できずに、憐に歩み寄った。
 ――憐くん、あのね。そのノートの話の続きなんだけれど、私たち二人とも、実はPage Not Foundにまつわる不可思議な悪夢を見たの。ねえ、Page Not Foundって一体なんだと思う?私たち、どうしても教えてほしいの。貴方に。
 志穂がそう熱心な眼差しで尋ねると、春香が横から遮った。
 ――志穂、私はいいんだって。もうあの夢を見ることもないんだもの。そんな質問しても、憐くんを困らせるだけだよ。やめようよ、この話。それに、もう暗いよ。帰ろう。
 春香にそういわれて、志穂は憐の前で自信をなくしてしまった。こんな突飛なことに関心を持っている、寂しい女に思われたらどうしよう、と不意に不安になった。だが、憐は志穂だけを見つめて、むしろ志穂の訴えを、僕も昔から同じように担ってきた、というような意志のある眼差しを向けたのだった。
 ――Page Not Foundという画面にも、パレルゴンはあるだろ?僕は思うんだ、その余白には、前のHPが〈有る〉と。
 春香が今の言葉に愕いて、笑いながら、えっ?といった。
 ――つまり、Page Not Foundの「余白」に、原型となる前のHPが潜んでいる、宿っている、といいたいの?と、志穂が真剣な面持ちで質問した。
 ――二人とも、なんかおかしいよ。しっかしてしてよ。そんなわけのわからないこと、あるわけないじゃない?それとも、憐くんは、創世記の第一章第一節の「余白」に、創造以前に関する言葉が密かに書かれている、ともでいいたいの?
 春香が不安げな面持ちで、どこか二人だけがこの謎と問いを背負うことに嫉妬するような苛立ちをも抱きながら糾弾した。
 ――そうだ、と憐は春香の顔を冷静な面持ちで見つめながら即答した。まだ書かれていないもの、顕れていないものがあるんだ。僕らに見えるのは、その「痕跡」だけだよ。Page Not Foundっていうものには、きっとそういう意味があるんだ。
 ――宙に浮いてるわ。憐くん、君は路地裏の向こうに、不思議な楽園があると信じてる少年と同じよ。路地裏の先には、隣街のアスファルトがあるだけ。Page Not Foundなんて、ただ「そのページが見つかりませんでした」って意味しかないものよ。私も志穂も、そして貴方も、Page Not Foundに意味を作り出していたに過ぎないのよ。捏造だわ。もっと無機質で、もっと虚しいものに過ぎないと私は思うもの。
 春香は、自分がこの問題の発端であっただけに、苦しげで切ない涙を瞳に溢れさせながらそういった。実際、春香もやはりこれについて考えることが怖かったのだ。自分には何の将来も見えない、自分だけが自分とは何かを知らない、その象徴として、夢に「Page Not Found」という画面が現れたのだと春香は思っていたのだった。泣いてしまった春香に、憐は孤独な眼差しで下を向きながら、ただ「ごめん」といった。
 いわば、憐とのこの出会いによって、二人は『Page Not Foundについて』を、謎を未解決のまま残して終わらせたのだった。これ以上考えても、何も得られない予感がしていたし、何より二人はこの問題に言及する時、常に憂鬱になる自分に気付き始めていたのだった。だが、実は志穂だけは、憐といつでも連絡だけは取れる状態にしていたのだった。
 そして、この日の夕暮れ、志穂が春香といつもの帰路で別れて一人で歩いていると、メールが届いたのだった。件名には、「パルマコン」とだけ記されていた。送信者は憐だった。

 日曜日の昼下がり、志穂は待ち合わせして大きな図書館の一階中央ホールで憐と再会した。図書館は五階建てで、日本有数の蔵書を誇っていたが、一階はカフェテラスや噴水公園などで若者や老人たちからも人気があった。志穂と憐はトピカという名前の喫茶店に入った。だが、憐の顔はどこか強張り、落ち着きが無かった。
 ――パルマコンの意味、調べたよ。ギリシア語?特効薬でありつつ、毒薬でもあるような存在って意味らしいね。
 志穂がそういうと、憐は緊張に肩を強張らせて周囲を見渡した。
 ――僕も夢を見たんだ。Page Not Foundについてじゃない。海辺の夢だった。広大な、無人の、ひどく抽象化された海辺だった。でも、僕は夢から醒めて、確信したんだ。これはPage Not Foundと関係があるに違いないって。
 唐突な話題に志穂は思わず笑ってしまった。直後にウェイトレスが来たので、志穂はレモネードとチーズケーキを注文した。ウェイトレスが憐にも尋ねると、彼は志穂の瞳だけを見つめながら、「同じものを」と疲れ果てたような眼差しで返した。
 ――近況報告になっちゃうんだけれど、私と春香はもう降りたのよ。Page Not Foundの調査から。無意味だし、頭痛の種になるもの。
 ――君が降りるのは全くかまわない。ただし、僕の話し相手に、今だけでいいからなってほしいんだ。お願いだから。
 ――一体どうしたっていうの?
 ――この前、Page Not Foundの余白に、原型となるもとのHPが宿る、そういう話をしたろう?僕はあの時、自分でもおかしいと思うほどのトラップにかかっていたような気がする。僕がいいたいのは、最初にPage Not FoundをWeb上に生起させた人間がいるということだよ。つまり、Page Not Foundには起源があるんだ。何かのサイトが、廃墟化するから、Page Not Foundになる。ちゃんと原因と結果で対応してるだろ?でも、僕はあの時、余白に原型のHPが宿るっていったんだ。それについて、もう一度僕を、今度は君が批判して欲しいんだ。僕は実は、今でもそう考えてるんだ。
 志穂に何か、少しではあるが、憐がいつの間にか抱えていた緊張感が伝わってきた。一体何故こんな小さな、取りとめも無い問題に、これほど吸い寄せられるのか、ということを、彼がもしかすると解き明かすかもしれない、と思い始めた。
 ――批判……できるかな。あのね、私の個人的な感想だったんだけどさ、憐くんが文化祭のあの時、「原型のHPがPage Not Foundの余白に、つまりパレルゴンに“有る”」っていったことが、なんか「僕にはWebにのみ浮遊しているGhostを嗅ぎ取る霊感があるんだ」みたいなふうに聴こえたのね。で、実際さ、そういうことだと思うのよ。つまり、目には見えないところに、ありもしないものが見えるということ。
 やがて、ウェイトレスが注文していたチーズケーキとレモネードを二つずつ運んできた。志穂は喉が渇いていたのでストローをすぐに口に運ぼうとしたが、憐は黙ってチーズケーキの皿の上にあるフォークを見つめていた。
 ――もしも、と憐がフォークに映っている三つ巴に分裂した自分の顔を見つめながら口を開いた。起源にPage Not Foundがあったとすればどうなるんだろうか。僕は、君たちが書いた『Page Not Foundについて』を読んで、「原書」→「翻訳」というフレームを知った。いいかい、「原書」が先にある。君もそう書いていたんだ。繰り返すよ、「原書」が絶対に先にある。原書がなければ、「翻訳」は生まれない。でも、もしも、起源に「翻訳」があれば?僕が悩んでいるのは、Page Not Foundが起源にあるような気がするからだよ。でも、Page Not Foundの意味は、「〜についてのページが見つかりませんでした」だ。つまり、原型となるもとのHPが先にあるはずなんだ。Page Not Foundは翻訳なんだ。でも、もしも起源に、つまり、Webで創世記が綴られる、始まりの時代に、Page Not Foundが先に到来していたとすれば、どうなるだろうか。
 憐はそこまで語ると、いよいよ迷宮で迷子になった少年のように、悲嘆して掴みかけたフォークをテーブルに置いてしまった。
 ――憐くん、ちょっとまって。冷静になろ。っていうか、別のこと考えて気分転換しようよ。あのさ、わたし、わかる。憐くんがいってること、アキレスと亀のパラドクスみたいに、無限後退に陥る問題だわ。自分が立っている足場が崩れ落ちていくみたいな感覚なんでしょ?よし、落ち着いて。落ち着いた?
 憐は深呼吸してから、レモネードのストローを唇に挟んだ。瞳はやはり虚ろで病人のようだったけれど。
 ――実は、僕も自分でPage Not Foundに関するノートを独自に書いていたんだ。『Page Not FoundについてU』っていう題のノートだよ。
 そういうと、憐は志穂にその分厚すぎるノートを渡した。ずっしりと重く、ページのあちらこちらに、色とりどりのシートでキーワードによる区分付けがなされていた。開くと、様々な概念と、Page Not Foundがさながらハイパーリンクされ、結び付けられて思考されている記録が読み取れた。志穂はその中の一つを任意に選んで読み上げた。
 ――「Page Not Foundは〈顔〉の問題である。人間は固有の〈顔〉を持って生きているわけではない。〈私の顔〉についてのページは見つかりませんでした、という状況は常にありうると考えられる。その時、むしろ〈顔がない〉ということそれ自体が、一つの〈顔〉であるとも換言できるはずだ…」これ、憐くんが書いたの?
 ――実際、僕も自分でだんだん頭がおかしくなっていくような危険を感じたんだ。だから、Page Not Foundが起源にあった、っていう考え方を回避しようと決めたんだ。そこで、僕は通常の、あの「まず原型のHPがあり、それが何らかの理由で閉鎖されるなどして、Page Not Foundになった」っていう考え方に戻るようにしたんだ、意識的にね。でも、あまりにもPage Not Foundっていう言葉がこれまで強力に僕の頭を支配してきたから、今でも抜け切れていないんだ。
 ――やっぱり人間は、矛盾した考え方のさ中で生き続けることはできないんじゃない?
 ――僕はでも、まだ迷宮の中にいるような気がする。
 次の瞬間、志穂が『Page Not FoundについてU』を傍らの窓から噴水の中へ放り投げた。
 ――ごめん、手がすべっちゃった。
 志穂が笑顔でそういうと、憐はやさしい微笑みを見せて、安堵したように溜息を吐いた。

 夏休みが始まった。志穂は、父が市の職員をしていることもあって、市営プールのスタッフとしてアルバイトすることにした。勿論、親友の春香も誘い、二人は小学生たちが涼しくて清潔なプールで楽しそうに泳ぐのを見守る仕事を午後から黄昏時までの期間、担当することになった。志穂は、実は憐のことが心配だった。ただ、自分があの時、彼のノートも、自分たちのノートも捨てたことは間違っていなかったと思っていた。夏の夜に耳にする、ありふれた怪談の一つとして三人はこの問題を封印したのだ。
 プールサイドの東には志穂が、西には春香が、そして南には別の学校の同年代くらいの女性がいた。だが、先に春香が日常をくすぶるような、不気味な異変に気付いた。南側で高い監視用の椅子に座っている彼女の、市営プールスタッフが着るシャツに、「4 0 4」という数字が読み取れたのだ。春香はその場では志穂に連絡できないので、不安げに携帯電話で前方にいるが遠く離れた志穂に連絡した。小さな男の子たちが、透き通るような肌に昼下がりの夏の陽を浴びて輝いている。それらはスローモーションのように、どこか蜃気楼に覆われて感じられ、熱帯夜の悪夢にも近い感覚を浮上させていた。
 ――志穂、ものすごいいいにくいことなんだけどね。南側にいる、あの人のシャツ、あれってさ、私たちのシャツとは別のものだよね?
 春香の伝えたいことを、志穂はすぐに察知した。急速に二人に緊張感が奔った。
 ――春香、うん、いいたいこと解ったよ。後でさ、たぶんあの人、子供たちが帰った後で一人泳いでるみたいだから、私たちも泳いで帰らない?その時に質問してみようよ。
 志穂が小声でそう前方にいる春香にメッセージを伝えると、直後に小さな少女が水を飲んでしまったのか、母親が恋しくなったのか、突然泣き始めた。志穂と春香は同時にプールサイドに駆け寄り、少女を急いでプールの中から救い出すと、パラソルの下の涼しい日陰で、持参していたスポーツ飲料を飲ませてあげた。志穂が介抱している間、少し南側にいる彼女の姿を見ると、子供たちの様子には何の注意もしていないといった様子で、銀色のpcのキーボードをカタカタと冷たげに打っていたのだった。
 夕刻になり、プールは閉館になった。最後の男の子に春香は笑顔で手を振って、「気をつけてかえりなよ!」といった。そして、志穂と春香は顔を見合わせて、更衣室で水着に着替えた。更衣室には既に、「4 0 4」のシャツを脱ぎ、黒い水着に着替えた彼女が立っていた。まるで二人の様子に気を配ることなく、一体何のためにここで働いているのかを疑うくらいの無表情さですらあった。
 ――新しいシャツを着た方がいいのかな、私たちも。
 志穂が春香に思わせぶりにそういってみた。春香は黙って、やはり緊張しながら頷いた。すると、前に立っていた彼女が一度だけ立ち止まった。
 ――すいません、あの、私たちも今日、ここで泳いでもいいですか?
 ――ええ、かまいませんよ。一人で泳ぐのは怖かったので、むしろ嬉しいです。
 彼女はそう、仕事中のあの冷酷さとは裏腹のやさしい微笑を浮かべて返答した。志穂は愕かされた。というより、何か非常に不安で、戦慄させられるような感覚に支配されたのだ。だが、そういう怯える感情といつまでも付き合っていることもしたくなかった。志穂はおどおどしている春香を連れて、彼女がいるプールへと足を運んだ。
 水泳中の彼女は、信じられないほど親切だった。元からこのような人であれば、初めから仲良く話せたかもしれない、とすら志穂は思った。彼女の名前は道子といった。道子は泳ぎが巧くない春香に付き添いのように水泳を教えていた。だが、志穂も春香も「4 0 4」のことをけして失念してなどいない。むしろ、二人はそれを聞き出す機会を狙い続けていたのだ。最初に春香が、志穂も一驚するほど大胆な一言を放った。
 ――道子さんはPage Not Foundって知ってますか?
 この直接的で、他の事前のやり取りを全て無効化してしまう質問に、志穂は思わず笑いすらこぼれたのだった。だが、より驚愕すべきは、次に返した道子の返事だった。
 ――知ってるも何も、この数ヶ月間、私はずっとそれで悩んできたんですよ。
 志穂は胸が不思議な好奇心で高鳴るのを感じ、春香と道子に近付いた。辺りは薄らと閨に覆われ、既に街灯の光が存在を主張し始めていた。
 ――道子さん、詳しく聞かせていただけませんか?実は、私と春香も、ずっと前からこの問題を……いいえ、それは最初はただの小さな悪夢だったんです。道子さんが仕事中に着けていたあのシャツ、あれは何だったんでしょうか?ああいうデザインがアメリカで流行ってるらしいっていうのは、聞いたことがあるんですが…。
 その志穂の問いかけに、道子はまるで、仲間を見つけた悦びで満たされたような表情を浮かべながら、口を開いた。
 ――これは私が刺繍したお守りなんです。私がPage Not Foundを、初めてそれを「問題」として意識したのは、実は市立図書館の傍の公園で拾ったノートがきっかけでした。『Page Not FoundについてU』という、水で濡れたフヤフヤのノートだったんですが、イタリックの字体がすごい綺麗だったので、興味本位で、たぶん情報学科の学生さんの遺失物かな?とか思って、ベンチで開いてみたんです。
 志穂はその時、神は全ての時間――つまり、過去、現在、未来を――全てピラミッドから眺め渡すように、全てを「今」において見る、と語っていたある神父の言葉を想い出した。憐と道子が意外なところで愕くべき接点を持っていたことに、志穂は何か神聖な気配を感じたのだった。そして、いよいよ志穂は憐ともう一度再会したいという気持ちを強くした。
 道子は憐が書いた『Page Not FoundについてU』から、新しいノートを作って個人的に調べていたらしい。その『Page Not FoundについてV』は、まだ紙媒体の形式にはなっておらず、道子のpcのデスクトップに存在しているという。志穂と春香はプールサイドでそれを見せてもらうことにしたのだった。既に辺りは暗闇に満ちていたので、志穂は傍の照明を今の期間だけ灯すことにした。
 道子は、まずそもそもPage Not Foundの、システム的な意味について、ノートの書き手がおそらく気を配っていなかったことを指摘した。彼女はそこで、まずウィキペディアでPage Not Foundと検索した。しかし、ページは見つからなかった。が、「404」と入力すると、「HTTP 404」というページへジャンプすることができたという。実際に道子はウィキを画面に表示させ、そのページを表示して二人に見せたのだった。すると、「404」の他にも、「302 ページが発見されました」や、「410 ページが消滅しました」などというコードが存在することを知ったという。これらは、数多くあるHTTPステータスコードの中の一つであり、志穂と春香、それに憐が憑かれたように探求していた404は、実はかなり数のあるコードの内の一つに過ぎなかったのだった。志穂と春香は、道子にその事実を実際にウィキの画面でも示唆してもらい、一つ閉まっていた扉が開かれたような気がした。
 道子はまた、おそらくアメリカを中心にして、一部の遊戯的なユーザーが、「404」とか「Page Not Found」と表示されるページを、まるでマニアのように収集しているようなサイトも教えてくれた。検索で情報が「表示される」ことが当たり前になっている現在、逆に「表示されない」ことが、まるでWeb特有の「なぞなぞ」のようにして楽しまれていたという事実を、二人は知った。だが、その上で道子は、これらのユーザーが作り上げた404関連のサイト(中には、404の生成方法を綴ったようなサイトも存在する)の中に、『Page Not FoundについてU』の書き手が綴っていたような、いわゆる神学的な解釈、それに現象学的な解釈が見られるわけではないことを打ち明けた。つまり、「404」は、エラーのページとしてある種のアクセサリーになるのに対して、それ以上の意味が与えられていたわけではなかったのだ。道子はだから、『Page Not FoundについてU』を書いた人間は、何か別の、より巨大な概念を、わざわざ404という現象に当て嵌めているのではないか?と推測していた。
 Page Not Foundは、道子がいうには、単なるWeb上の電子的な記号に過ぎない。問題なのは、『Page Not FoundについてU』の作者――つまり憐――が、「Page Not Foundと表示されている画面の“余白”に、前の原型となるHPが痕跡的に宿る」などと書いていることにこそある、と指摘した。そして、道子は自分が、今やこれを書いた人間と、同じ疑問を抱いていると告白した。志穂と春香はといえば、『Page Not FoundについてU』の作者が誰であるのかを知っているだけに、どこか自分たちだけ手品の種明かしを知っているようで、面白いわけでもあった。
 ――今の私の願いは、と道子は瞳に好奇心の輝きを宿して語気を強くした。この作者に会って、その方から意見を聞くことよ。
 
 三人の少女が、Page Not Foundについて謎の第二段階に進み始めた頃、憐はこの夏休みを利用して、教会を訪ねていた。憐は、交通事故で母親を失った中学三年の頃に、洗礼を受けた。洗礼名はヨハンネス・ホ・バプティステス、日本では洗礼者聖ヨハネと呼ばれている。
 教会の広い庭には、樹木のそこかしこから溢れるような木漏れ日が射していた。蝉の合唱は、ここでは音を少し休めていた。憐の学校は、志穂や春香の学校と同じくカトリック系なので、一週間に一度、神父さまによる聖書の講義があった。憐はそこで、ヤマス神父さまというカタロニア出身の老年を迎えられた温かい聖職者と出会ったのだった。ヤマス神父は、憐が他の生徒と較べて、非常に熱心に聖書のことを調べ、或いは神学的な解釈の問題にまで質問を投げかけてくることに感心していた。
 憐が今訪れた教会の顧問は、他でもないヤマス神父なのだった。憐は個人的にどうしても質問したいことがあると電話で昨晩、ヤマス神父に告白していたのだ。ヤマス神父は「是非いらしてください」とだけ、やさしく寛容のある穏やかな声色で告げ、内容についてはその時は一切触れなかった。憐はやがて、教会の扉をそっと開け、約束していた通り、二階の静かな聖堂で神父さまを待つことにした。憐の心に浮上している、やはりどうしても逃れ去らない悩み――それは、まさに志穂に先日話した、あの“余白”の問題なのだった。彼は根本的に、この問題は神学的に解決されるべきであったと思っていた。Page Not Found、一体なぜ、自分がこのWeb2・0期などといった、華々しく検索企業がメディアを賑わす時代に、そのような「見つからないこと」に関心を寄せてしまうのか。憐は考えれば考えるほど、暗い樹液のような迷宮に陥った。だが、憐は志穂に感謝していた。あの時は、志穂の助言が、つまり、彼女が自分の調査結果を全て水泡に帰す行為をしてくれることが、必要だった。憐は志穂にもう一度会いたいと思っていた。会って、ここで自分が得るものを、全て彼女にも打ち明け、最後には本当の“余白”へ、このPage Not Foundにまつわる不気味ですらある物語の“欄外”へ、つまり、海辺へ、彼女を誘いたいとすら思っていた。
 ――待たせてしまいましたね、憐くん。
 ヤマス神父がやさしい微笑を浮かべながら、まるで実の息子との再会を祝うような眼差しで、憐を見つめた。憐は恭しく頭を下げ、「今日は本当に僕のような者のために御越しいただき、感謝します」と感謝の言葉を返した。神父は微笑みながら憐の隣の長椅子に腰掛け、前方にいるイエズスさまを、すっと見つめれた。
 ――憐くん、私は貴方の学校での、あの熱心な態度を大変心強く思っております。他の生徒が、皆「エデンはどんな場所だったのだろう?」などという質問を私に向けて書く中で、貴方だけはこう書いていた。「全能の父が真に完全なる善であられるのであれば、何故父はアウシュヴィッツで悪が生起することを赦されたのか?」これは非常に重要な問いかけです。私は、貴方のような若い日本人の学生が、このような問いを持っていること自体に強い感銘を覚えました。
 憐は哀しげな表情を浮かべ、首をゆっくりと横に振った。
 ――先日、オリゲネスが「神は罪とは何かを御知りにならない」といっているのを知りました。神父さま、最大の罪は、「神のページが見つかりませんでした」というテーマを心に宿してしまうことではありませんか?僕はそう思います。
 ヤマス神父は、真剣な眼差しで御子の御受難の姿を眺めながら、信徒に対して口を開いた。
 ――神のページが見つからない…。憐くん、それは印象的な表現ですね。つまり、神を探しても、見つからない、というような危機について貴方は相談したいのでしょうか。
 憐はそこまできて、やはり自分がPage Not Foundについて悩んできたことを、全て今こそ告白しようと決意した。彼は志穂と春香が抱えていた問題が、自分にも課題としてのしかかってきたこと、更に、その問題に未だやはり内心では呪縛されていることをも打ち明けた。ヤマス神父は授業中に、Google検索や、ウィキぺディアの話を積極的に取り入れることでも憐に印象を与えていた。憐が所属する小教区の教会ではないけれど、彼がわざわざ遠出のこの教会まで足を運んだのは、彼がヤマス神父さまを心から信頼しようとしているためであった。
 ――憐くん、創世記の第一文字が、Bから始まるというのを御存知ですか?もっとも、原文のヘブライ語ではアルファベットのBではなく、「ベイト」というのですが。Aではないということ、つまり、世界の始まりが、既にAではなかったということ、これと貴方の抱えているPage Not Foundの問題は、もしかすると関係性があるのかもしれません。
 憐はそれを聞いて、頭の中で、Page Not Foundが「翻訳」であるといっていた志穂の考えを結びつけた。Page Not Foundとは、ある原型となるHPが「見つからない」状態になった姿だ。それを志穂は「翻訳」と呼び、原型のHPを「原書」として考え易くした。そして、憐は志穂とは異なり、Page Not Foundが「原書」である可能性があるのではないか?と疑問を抱えてきた。ヤマス神父が今、主張されたことは、まさにそのことではないだろうか。つまり、世界の起源は第二文字から始まる。Page Not Foundは、何か第一の最初のHPが廃墟化した姿ではなく、それ自体が第二文字としての起源なのだ。
 そこまで考えた時、憐は、ふと大それたことを思案してしまった。否、それはもうほとんど空想といって良かった。つまり、この世界は、神の世界の「翻訳」ではないのだろうか?何らかの、「原書」的な世界が、起源に存在したのではないだろうか?Page Not Foundという問題に、自分がこれほど深く心を掻き乱され、揺さぶられてきたのは、神がそれを示唆するためではなかったのか、と。
 教会からの帰路、憐は果肉色の幻想的なまでに赤々とした公園の片隅でブランコに乗って遊んでいる少年を見た。彼の脇には、麦藁帽子を被った若い白いワンピースの婦人が(おそらくは母親だ)やさしげに立っていた。憐はしらばく、二人の姿を見つめていた。少年は、ブランコの上で愉快な小猿のように元気いっぱい笑っている。その近くで、母親が彼を見守っている。やがて憐は、しばらく視線を足元へ落とした。母親の若い頃の顔を、彼は知らなかった。彼が知っているのは、事故で亡くなる前日、自分の父親、それに祖父と大喧嘩し、必死で「このこの養育権は私にある!」と叫んでいた、疲れ果てて神経質になっていたひとりの寂しい女性の姿だけだった。
 半年に一度しか、母親の愛情に触れることができなかった。だが、溜め込んだ母親への寂しさを、全て溢れるような愛情で包んでくれた母親でもあった。いつの間にか、公園に立っているのは憐だけになっていた。ブランコは、静かに都市の夕陽を乗せてわずかに軋んでいるだけだった。憐はぼんやりと、そのブランコの揺れを眺めていた。それは、少年が先刻まで乗っていたことを示す、紛れも無い痕跡だった。だが、そこには最早、誰もいない。だが、憐は乗っている人間がどんな笑顔をしていたかを知っている。そう考えると、こんな何気ない公園にさえ、「目に見えない廃墟」が満ちているように感じられ、思わず胸苦しい溜息を洩らしてしまうのだった。ブランコが静止するまで待とうと思っていたが、その時が来れば、おそらく自分はこの公園から出られなくなる――家に帰りたくなくなる――と予感し、まだ揺れ動いている間に、足早に駅前の交差点へと走り出した。

 憐が自室に戻ると、メールで志穂から連絡があった。件名はあの時とは逆で、今度は志穂が「パルマコン」と綴っていた。
 二人とも、近況報告のために再会する場所として、都市から離れた海辺を選んだ。海辺は都市の余白であり、誰もまだ何も書き込みを入れていない、神秘的な掲示板だった。二人は水平線の奥の夕陽を見つめながら、やがて徐に口を開いた。
 ――また同じことになったのよね。出口がなくなったの。あの時も毒薬の意味だったけど、今回も特効薬からは程遠いかもしれない。貴方のノートをね、ほら、あの私が噴水に投げちゃったやつ、あれを拾った人がいたのよ。
 ――『Page Not FoundについてU』を?
 ――そう、道子っていう、今私が働いてる市営プールのスタッフ。私が彼女から教わったのは、Page Not Foundが、HTTPステータスコードの一つに過ぎなかったってこと。他にも、色々あったのよ。道子、憐くんに会いたいってさ。会って、徹底的に貴方の思考回路を覗くつもりみたい。
 志穂がそういって無邪気に笑うと、憐は少し安堵したようにやさしい眼差しで彼女の横顔を見た。
 ――僕も解らなくなったよ。何も。ただ、Page Not Foundには、瀆神的な概念に発展するような可能性もあるってことは知った。「神についてのページは見つかりませんでした」。僕はこういう、Page Not Foundに関する負の意味を、全て悪魔祓いしたい。
 ――疲れてない?と志穂が、やはり疲れた眼差しで今度は足元の砂たちを眺めた。
 ――どうなんだろ、そうだね、ちょっと、疲れてるかもね。
 ――もう本当に、これで終わりにしようよ。これからは、普通のさ…。普通の、なんていうのかなぁ。
 憐が志穂の顔を不思議そうに見つめた。志穂はおかしくて頬を朱色に染めた。

 二人はそれから、長い間海辺で座っていた。

 そして、それから半年後に、憐は行方不明になった。最後に、志穂と美術館に行った直後のことだった。志穂は現在、学校に通いながら、失踪した恋人が、「302」になることを願っている。だが、志穂はけして不安ではなかった。夢という、現実の“余白”の中で、毎晩彼と海辺で落ち合っていたのだから。その余白が、いつか現実に翻訳されて出現する予感を、志穂は絶えず抱き続けている。


                         (了)

2009/11/18(Wed)22:38:26 公開 / 鈴村智一郎
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