『生き続ける女(掌編)』 ... ジャンル:ホラー ショート*2
作者:TK                

     あらすじ・作品紹介
僕は高知に一次帰郷して、土讃線に乗った。そこで会ったのは高校時代に一目惚れした相手だった。彼女はなぜか、あの頃と同じ高校生で……

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高校生時代に一目惚れした相手が、突然眼の前に現れたらどうすれば良いのだろう。そして、彼女が十年前と全く変わらぬ姿でいたら……。

汽車は僕と午後の眠たくなるような空気を乗せて、ガタンゴトンという具合に、駅から駅へと土讃線のダイヤを繋いでいた。昔と同じで、土曜日のこの時間帯は、相変わらず車内はがら空きだった。高知駅で乗り込んできた乗客たちは、鶯色のロングシートに腰掛けて、こちらをチラリ、あちらをチラリと一通り眺め終わると、満足したかのように俯いて午睡に耽っていた。
さて、僕のほうはというと、それどころではなかった。いち早くボックス席を独り占めできたと思っていたら、見覚えのある女の子が僕の真ん前に腰掛けたのだ。もう一度断っておくが、その時車内は「がら空き」だった。僕は少し面食らって、金属製の窓枠に乗せていた右腕をサッと引っ込めた。
十年ぶりに乗ることになった土讃線の車内は、何も変わっていないのだが、僕の眼の前に座った女子高校生もまた十年前と何も変わっていない。そこが問題だった。彼女は僕が高校を卒業するまでの二年間、ずっと思い続けていた女の子、確かにその人だったのだ。

僕はもう二十八歳になるのだが、彼女は今でも学生のままで、相変わらず十八歳くらいだった。私立高校の制服を着て、長めのスカートを穿いている。その下からは、死んだ魚みたいに白い二本の脚が伸びていた。そして、合成皮革でできた黒靴のつま先には、赤茶けたしみのようなものが付着していた。膝の上には、校章がプリントされたナイロンバッグを載せている。その校章は万年筆の先を組み合わせてあり、ダビデの星とかアメリカの保安官バッジとかを思わせるようなデザインだった。
最初は他人の空似だろう、いやきっと彼女の妹かもしれない、などと思っていた。しかし、彼女の手の甲にある三点の黒子―まあ、これも見ようによっては何かの記号のようにも見える―に気付いた僕は、ああ、確かに缶ビールを一本空けて脳細胞がアルコールに少しばかり分解され始めていたのだが、それでも驚いたね。まさか年を取らない人間がこの世に存在するなんて……。

あの頃の僕は、世界がそのうち自分のものになると思い込んでいた。だから彼女のことも、いつかはきっと……。そんな淡い期待を抱いて、一本早めの列車に毎朝飛び乗っていたっけ……。  
叩けよ、さらば扉は開かれん!
というわけで、勢い余ってラブレターまで書いてしまったことがある。もちろん読み返しているうちに冷静な自分が現れて、びりびりに破いて捨てたのだが、そういう想いは、いつか必ず報われるものだと信じていた。なんせ当時の僕は、にきび面の十八歳だったのだから……。

ディーゼル列車は何事も無いかのように、彼女が降りるはずの駅に向かってひた走っている。彼女も何事も無いかのように、バッグから本を取り出して読んでいる。ブックカバーをつけているので内容までは判らないが、本を逆さまにして読んでいない限り、あと数ページで終わりそうだった。僕は少し焦りに似たものを感じて、彼女の顔を覗き見た。車窓から射す秋の陽光に透けるほど、その白い肌は美しかった。まるで彼女がその光を飲み込んでしまったのではないかと思えるほど、輝いていた。俯いているために、彼女の眼を直接伺うことはできない。だが、その下に映る長いまつげの影は、僕の心を十年前に引き戻そうとするかのようだった。

十年前の僕にはライバルがいた。小学校からの友人で聡史というやつだ。高校は別々になったが、それでも同じ汽車に乗って通学していた。彼もまた、この子に一目惚れしていたのだ。彼女以上の女性はこの世の存在しないはずだと信じて疑わなかった。そういうわけで、あの頃の僕らは彼女に夢中だった。彼女が途中の駅から乗ってくると、聡史は急にそわそわし始めて、あの冬場の高麗芝みたいな酷い癖毛をいじくったり、てかてかになったズボンのしわを直したりしていた。ありがたいことに、聡史はどう見ても、もてるタイプの高校生ではなかった。そしてそれよりも遥かに残念なことに、僕も彼と同じ部類の高校生だった。僕らはどちらが早く彼女を物にできるかとか、最初のデートは何処に行ったらいいだろうかとか、ああいうタイプの青年にありがちな空想に、弄ばれていたのだった。

さて、彼女が駅で降りると、僕も少し遅れて後に続いた。僕らを降ろした列車は、ゴムチューブを引っ張っているかのように、ゆっくりと進みだした。ディーゼルの咳き込むような音に僕は叱られているみたいだった。四角いガラス窓に映るいくつかの顔は、明らかに非難めいた色を帯びていた。それでも僕は彼女の後をつけた。十八歳の好奇心と、二十八歳の行動力、合わせて四十六歳のずうずうしさが僕をそうさせていた。そんな言い訳を思い付きながらも、後ろめたさはちゃんと感じていた。
だが、どうしても彼女が何者なのかを知りたくて、僕は歩き続けているのだ。というのも、なぜか彼女の後には硫黄のような残り香が漂っている。地の底から立ち昇ってくるような、そんな匂いだった。それに、黄色い点字ブロックに投影された彼女の影が、まともじゃないことにも気が付いた。それは光の射す加減などの問題でないことも判っていた。影の頭は異常に膨張している。まるで脚の生えたダルマが、歩いているみたいだった。
確かに、引き返そうかとも考えた。だが、数年ぶりに田舎に帰ってきた僕は、少し気が大きくなっていたというか……やはりスリルとロマンスに餓えていた。それに聡史のこともある……。

改札口を出て、駐輪場のほうに向かうと、彼女は立ち止まった。そして、不意に振り返った。僕は万引きを発見された子供みたいに慌てて、すぐ傍の自動販売機にせっせと小銭を投入していた。そして、ボタンを押して、ゴトリと落ちてきた好きでもない缶コーヒーのふたを開けた。彼女は僕に気付かなかった様子で、再び歩き出した。

そこは駐輪場の隣にある使われなくなった鉄工所だった。彼女は天井からぶら下がったチェーンとか、地面に転がったH鋼の切れ端とか、とにかく錆だらけになった鉄の残骸を器用に避けながら歩いていた。きっと近道をしているのだろう。僕はスレートの波板の隙間から様子を伺っていた。ビールか、それともコーヒーを一気飲みしたせいだろうか、僕の膀胱はスズメ蜂の巣みたいに膨れ上がっていた。背中から冷たい汗の粒が転がり落ちて、トランクスのゴムの部分を濡らしていた。いっそのこと、足許の地面にへたり込んでしまいたかった。それでも僕の視線は、彼女の姿を追い続けていた。

廃屋の片隅には段ボール箱が置いてあった。彼女はその中から一匹の黒い仔猫を、引き剥がすようにして、持ち上げた。猫はミャーと一鳴きすると、躯をぶるぶると震わせた。彼女に酷く怯えていることは、誰が見ても明らかだった。
気付いたときには、彼女の眼はその黒い瞳を失って、A4用紙のように真っ白になっていた。口は耳の辺りまで裂けていた。―それでも彼女は恐ろしく美人だ。だが、もう十八歳の美しさではない。なんというか、何千年もこの世に生き続けてきた女郎蜘蛛のような、そんな妖しげな美を醸し出していた。
彼女はその大きな口を開けて、中国の老人が痰を吐く前に出すみたいな、つまり「はががががあああ……」という音を、廃屋中に轟かせた。すると口から黄色い糸のようなものが吐き出されて、猫の躯を包み始めた。最初は暴れていた仔猫も、頭部が綿棒の先みたいに糸で完全に覆われると、その四肢をだらりと垂らして、大量の小便を漏らしだした。赤茶けた地面に跳ね返った小便が、彼女のソックスにピシャピシャとかかっている。しかし、全く気に留める様子は見られない。とにかく、黄色い糸は途切れることなく口から送り出され、猫は彼女の手の中で一個の繭となった。その時だった。穴の開いた天井から一条の陽光が射し込んできた。塵を含んだその光の筋は、神々しいまでに繭を浮かび上がらせた。
すると彼女は、繭をずるりと飲み込んだ。白い喉仏が一玉のキャベツくらいの大きさに波打った。繭が完全に胃の中に収まったところで、彼女は何度か激しく嘔吐いた。口元から黄色い胃液が糸を引いて垂れていた。そして宙に向かって再び「はががががあああ……」という音を放つと、口の中から黒い毛玉がぽこぽこと飛び出した。
僕は恍惚としてその光景に見入っていた。―ああ、聡史、お前もああやって……。

度胸にかけては、聡史のほうが僕よりも数段上だった。あれは、受験もひと段落着いた卒業間近の冬の出来事だった。僕は一次から三次志望まで全ての大学に落ちて、東海地方にある大学から合格通知をもらっていた。それは地元の人でも知らないような地方の便所大学だった。そして、世界が自分のものになるというあの自信は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。一方聡史は、地元の大学に受かっていた。まあ、僕のと似たり寄ったりの偏差値の大学だったが、彼の成績から考えると、それは快挙だった。彼は世界の半分が自分のものになったような得意顔を浮かべていた。そしてあろうことか、あの子に告白するつもりだと僕に言い出したのだ。お前が傷つくのを見たくないから止めろ、そう僕はたしなめた。もちろん本当は、僕が傷つきたくなかったからだ。それほど聡史は勢いに乗っている感じがしたし、何かとてつもないことをやらかせそうなほどツイている男に見えた。
その日、聡史は僕を残して、彼女と同じ駅で降りた―ちょうど今日の僕と同じように。どのような返事をもらったのかは知らないが、たぶんあの癖毛を気にしながら、彼女にありったけの想いを打ち明けたのだと思う。

僕は一週間後に彼が死んだことを報らされた。彼の白蛇みたいに真っ白になった遺体は、あの鉄工所の裏にある竹薮で発見された。聡史の死因は結局判らず仕舞いだったが、事件性はないと断定されたらしい。その竹薮には僕も花束を持って行ったのだが、色とりどりの金属性のハンガーが、孟宗竹の枝にぶら下がっていた。その間を発情期のハシブトガラスが赤ん坊みたいな声で、ギャーギャーと鳴き喚きながら飛び交っていた。竹葉の降り積もった地面には、冷蔵庫や洗濯機などの粗大ゴミがごろごろと転がっていた。そして竹やぶの中央には、何やら怪しげな祠が、半ば埋もれるようなかたちで安置されていた。あいつはそういう場所で、あの女に残りの寿命を捧げたのだ。
今でもはっきりと思い出すことができる。聡史は最後にこう言った。
「俺があの子と付き合うようになっても、ずっと友達でいてくれよな……」

2009/11/08(Sun)13:52:06 公開 / TK
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