『残像少女』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:甘木                

     あらすじ・作品紹介
バンドなんてする人間は歪な人間ばかりですよ。そんな歪な人間のお話。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
「カッツ。下手でもいいんだ、カッツが下手なのはみんな知っているんだから楽しんで弾きなよ!」
 僕がベースを弾いていると美海(みか)先輩がヤジを飛ばしてくる。
「下手、下手、言わないでくださいよ。へこみます」
「だってカッツ下手じゃん。せっかくあたしがベースを貸したのに全然上達しないから、つい本音が出ちゃうんだ」
 美海先輩は悪戯っぽく笑う。
「さて、カッツの下手なベースも聞いたことだし、そろそろ帰るかな」
 学校指定の濃紺のバッグを片手に美海先輩が立ち上がる。
「また聞きに来てくれますよね」
「んーどうかなぁ、あたしも三年生だから色々忙しいんだよね。でもあたしが来ないとカッツが練習をサボりそうだし……しょうがない。夏休み明けにまたここに顔を出すよ。それまでちゃんと練習しておくんだよカッツ!」
 美海先輩は僕たちに背を向けたまま右手でバイバイと手を振り、カッツという音を残して貸しスタジオを出て行った。


 僕の名前は葛槻雄途(かつつき・ゆうと)。INRIというバンドでベースを弾いている。で、どうして僕が美海先輩に下手って言われているかというと、僕が下手くそだからだ。




 高校一年の五月、クラスメイトの青木が「葛槻、バンドやろうぜ。バンドマンはモテモテでいつも女をとっかえひっかえって状態らしいぜ」と言いやがった。
 幸か不幸か僕は部活にも入っていなくて暇だったし、なによりモテモテという言葉が生まれてから十五年間、女の子とは縁の無かった僕の心を大いに刺激し、つい……
「バンドをやるのはかまわないけど、僕、楽器は弾いたことないよ」
 と、答えてしまった。
「俺がギター弾くから、葛槻はボーカルをしてくれ。お前、やたらと声が通るから歌ってくれれば楽器は弾かなくていいぜ」
「残りの楽器はどうするんだよ。バンドって言うんだからベースやドラムも必要だろう。でもウチの学校で楽器弾けるヤツは軽音部に入っているか、もうバンドに入っちゃてるんじゃないの?」
「甘いな葛槻。世の中はネット社会なんだぜ。メンバー募集専門の掲示板だって幾つもあるんだ。なにもウチの高校に拘ることはないんだ。人材は広く世間から集めればいいのさ」
 青木は有言実行の男だ。僕を誘ったその日に幾つものメン募掲示板に募集の書きこみをした。そして世の中には暇人が多いことを知ったのは一週間後。駅前のファミレスでメンバーの初顔合わせをしてINRIは結成された。そのメン募に応じてきたベーシストが美海先輩だった。
 美海先輩は進学校で有名なS高校の二年生で、僕より二つも年上の十七歳だった。僕らのような底辺高校なら留年というのも珍しくはないけど、S高校にも留年する人がいることを驚いていたら、美海先輩に「あたしは中学校三年の時に病気で一年間入院していたの。だから高校受験が遅れただけ」と、訂正されてしまった。病気だろうが留年は留年だと思うけど……。


 とにかくメンバーがそろってINRIは活動を開始した。駅前で路上ライブもやったし、ライブハウスで演奏もした。ただ評価はそんなに高くなかった。青木は中学からギターを弾いていたからそこそこ弾けたし、ドラムの将太もベースの美海先輩もキーボードの松木も上手かった。けど、問題があった。それは僕のボーカルだった。僕の声は通るけど音域がなかったのだ。特に高音になると掠れちゃってどうにもならない。
 でも、僕が二年生になった時、メチャクチャ歌の上手い一年生がINRIに参加した。上手いヤツが入ったから僕はお役御免になるはずだった。バンドというものが面白く感じてきていただけに未練はあったけど、僕が入るパートはないししょうがない。
「あたしも三年になったから、もうバンド活動できなくなると思うんだ。だからさ、あたしのベースを貸してあげるから、カッツがベースやりなよ」
 ギグバッグに入ったベースを僕に押しつけて美海先輩はにんまり笑う。
「僕がベース?」
 想像していなかった言葉に思わず美海先輩の顔をしげしげと眺めてしまう。だってベースどころか楽器全般に縁がなかったんだよ。
「カッツにはベーシストになる資質があるよ」
 僕にベーシストの資質?
「ベーシストは女好きで、でもルックスはあまり良くないからもてなくて、そのせいか変に鬱積して変態で。目立ってチヤホヤされたいと思っていながらフロントに出ていく根性はないヘタレ。ほら、カッツにピッタリでしょう」
 あの〜ぉ、ベーシストって性格破綻者じゃないとなれないということですか……。
「おお、言われてみればベーシストの性格は葛槻にピッタリだ。よし、今日からINRIのベースは葛槻に決まりだな。よろしく頼むぞ!」
 青木は豪快に笑いながら僕の背中を思いっきり平手で叩いた。将太は「カッツさんってスケベだとは思ったけど変態だったんですか。じゃあベースはカッツさんに決まりですね」と賛同する。松木は「スケベでよかったですね」と励ましてくれる。
 こうして僕はうやむやのままにベーシストになった。
 僕をベースにした張本人は引退したはずなのに、その後も何度も練習を見に来ては僕のベースにケチをつけては楽しそうに笑っていた。


 でも、夏休みが終わっても貸しスタジオに美海先輩が姿を現すことはなかった。何度も携帯に電話したけどいつも留守電になっていて返事が返ってくることはない。受験勉強に集中するため僕たちに連絡する暇がないのかな。それとも彼氏でもできて忙しくなったのかなぁ。
 美海先輩が練習に来なくなっても僕たちは練習を続けた。路上ライブやライブハウスでもまれているうちに僕の演奏も少しは上達していった。もう美海先輩に下手とは言わせないぐらいには。
 美海先輩の消息がわかったのは、僕が受験生と呼ばれるようになった春だった。
 美海先輩のお兄さんという人から連絡があり、美海先輩が死んだことを告げられた。
 癌と言う病に冒されて十九歳という若さで死んだ。美海先輩は受験勉強をしていたのでも彼氏とデートしていたわけでもなく、病院のベッドで病と闘っていたのだという。お兄さんが話してくれたことによれば美海先輩が中学の時に留年したのも癌のせいだという。手術と抗癌剤治療によって一時的に回復したけど、高二の時に再発して僕らに隠して治療していたらしい。でも再発した癌の進行は早く、医者も為す術がなかったそうだ。
 美海先輩は僕に手紙を残してくれた。死ぬ一週間前に書いたという手紙には『ベース少しは上手くなった? ま、カッツのことだからたいして上達してないだろうけど。カッツはまだまだ下手なんだから練習をサボっちゃダメだよ。リズムは安定しないし、ピッキングはやたらと手首に力を入れすぎるし…………お小言はここまでにして、カッツに貸したベースはあげるよ。あたしからの形見分けだよ。じゃあバイバイ』と、延々とベースの演奏に対する忠告が連ねられている。
 なんで死ぬ間際まで年上ぶって偉そうに言うかなぁ。どうせならそれを生きて直接言ってくれよ……。




 あれから五年。僕と青木は進学せずバイトをしながらバンドを続けた。メンバーは色々変わったけど、INRIはアマチュアバンドの中では中堅以上の評価をもらえるようになり、三カ月に一度の割合でライブをしても何とかやっていけるようになっていた。

 高校から足かけ七年バンドを続けベースの腕は上達したけど、僕の実務能力というものは一向に上達しなかった。だからライブの手配とか対バンの折衝なんかはすべて青木任せ。そろそろライブの時期だなと思っていたら青木から電話がかかって来た。
「こんどのライブなんだけどな、ライブハウスの都合がつかなくって美海先輩の命日になっちまったんだけどどうする? なんなら知り合いのベースにヘルプ頼もうか?」
 青木がすまなそうに話を切り出す。
 青木がすまなそうにするのにはワケがある。それは僕が命日には毎年美海先輩の墓参りに行っているからだ。先輩の墓は隣の県にあってちょっと遠い。行き帰りだけで一日潰れてしまう。
「いや、今年は行かないよ。行かない代わりに今回のライブでは先輩から貰ったベースを使うよ。きっと供養になるだろう」
「そ、そうか……葛槻がいいと言うならヘルプは頼まないけど、本当にいいんだな?」
 しつこく確認を取る青木に気にするなと言って切った。


 ステージの上はいつも眩しい。キラキラとした光に包まれて客席なんかほとんど見えない。人の形をしたものが揺らめく海のように見える。暗い客席の中から一人一人の顔を判別するのはほとんど不可能。ただ左脇にある非常口のそばに立っているお客さんだけは非常灯の明かりでなんとか見える程度だ。
「デブは空気感染しませんから、もっとステージに近寄ってもいいんですよ」
 と、四代目ボーカルのファッツ小林がMCで客を湧かす。太目の身体は汗でびっしょりだ。でも、このライブもあと二曲で終わる。ファッツの体力ならまだまだ余裕だろう。
 次の曲は僕たちが初めて作ったオリジナル曲。美海先輩がいて将太がいて松木がいた時に作った曲だ。僕にとっても青木にとっても思い出深い曲でラストナンバーの前は必ずこれを演奏すると決めている。
 僕はMCの間にベースを替えた。それは美海先輩が残してくれたベース。安っぽくてボディの塗装なんか剥がれているけど、僕がベーシストになるきっかけになったものだ。
 そろそろMCが終わる。ファッツがいくよとばかりにマイクスタンドを握りしめカウントをとる。
 スポットライトがいちだんと明るくなり曲が始まる。今までも何度も演奏してきた曲だ。身体が覚えていて目をつぶったって弾ける。実際僕は漫然と客席の方に目を向けたまま暗闇を見つめていた。
 ギターとドラムの音が絡み合った時、
「カッツ。下手でもいいんだ、カッツが下手なのはみんな知っているんだから楽しんで弾きなよ!」
 聞き覚えのある声が僕の耳朶を打った。
 声の方に目をやると、非常灯の下に懐かしい顔があった──いつの間にか僕の方が年上になってしまった少女の顔が。満面の笑みを浮かべ大きくうなずき、そして非常口に向かうように背を向けるとバイバイとばかりに手を振って壁に吸いこまれていった。


 曲が終わりを迎える。ドラムが最後のヤマ場を叩いた時、僕はベースを思いっきり床に叩きつけた。ネックが折れ弦が跳ね回る。
 さようなら先輩。

2009/11/01(Sun)01:36:14 公開 / 甘木
http://sky.geocities.jp/kurtz0221/
■この作品の著作権は甘木さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
祭を始めた以上は責任は取りますよ。だから頑張りましたよ。こんな短期間で投稿するのは初めてだ。
前作みたいのはなかなか書けないので、いつもの自分らしく書いてみました。ただ、ある作家さんが8枚ぐらいで書いていたから、その枚数に合わせようと思ったけど無理でした。元々短篇は苦手なんです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。