『幻像少女』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:模造の冠を被ったお犬さま                

     あらすじ・作品紹介
 歌木佑介という冴えないおっさんのおはなしです。

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幻像少女



 歌木佑介。今年で三十路。窓際族。今日見たものをここに記しておこうと思う。
 俺に仕事はない。会社の組織に属している以上は、部署や係といったグループ名が俺を取り囲んでいるが、その名前は声に出して読みにくいカタカナ語の、意図の不明なバズワードのような薄っぺらい文字列で、一見はたいそうな名前に思え、聞いた人間に「へえ」と感嘆の呟きを吐き出させるものの、その先の言葉はつむがれない。言葉の終点だった。なおざりに配置され、ほかの社員との接点もなく、空っぽのデスクの前に辛抱強く定時まで座っている。このご時世で解雇されないのはありがたい限り。会社は退職金を出し渋っていて、俺が自ら辞職を言い出すのを待っている。働く意義が見えない。生きる意味も見失いかけている。漂白されてゆく。
 この時間を活用しようといろいろと考えやってみたのだが、周りにせわしく働いている人間がいるとなにも手がつかず罪悪感だけが募る。働く人間を見ていても気付かれて視線が合えば気まずいので、窓の外を見ていることが多い。表通りから一本入ったその道は、さまざまな人間の生活のサイクルを垣間見ることができた。誰が歩いているかによって、いまの時間がわかる。朝は通勤のサラリーマンや学校へ登校する学生が通る。音楽プレーヤを聴きながら自転車で通学する高校生が、遅刻間際で焦った乗用車にはねられそうになるのはいつものことだ。その時間帯が過ぎると、しばらくは人通りが少なくなる。昼が近づくと女性が数人で歩いているのを見る。揃えたような一様の化粧で行われるのは、ママ友とのランチだったり習い事だったりする。昼を過ぎたあたりからは初老の元気な人たちがウォーキングなどの活動をしている。俺なんかよりもよっぽど健脚そうだ。ふと、珍しいものを発見する。
 高校生ぐらいだろうか、最近の子供の発育は早いので、もしかしたら中学生かもしれない。平日の昼間に子供が出歩いていることはめったにない。事情があって学校に行かないのならば、ふらふら遊んでいたとしてもどこか表情に曇りがあるものだが、窓の外を歩く少女には屈託がまったくない。思い切った短髪にすらりと伸びた背筋、まっすぐやや上方を見る目は生気があふれんばかり。服装は派手でありつつも下品ではなく、活発さが強調されて周囲にもエネルギーを充填させるよう。パンプスは強くアスファルトを蹴りだして前へと進む。
 みなぎる意志に俺は惹きつけられる。事務所を飛び出し、ロビーを抜ける。俺は社内にいてももともといないものとして扱われ、アクションを起こそうとすれば嫌な顔をされる人間だ。会社からいなくなってもなんの問題もなかった。長いコンパスでタッタカと突き進む少女を追いかけて、俺は一軒の喫茶店の前にいる。電柱に隣を空けてもらいタバコをふかしてみれば待ち人来らずの図になる。小さな喫茶店の内部は窓からじゅうぶんに覗けた。
 磁器のカップを口に運び、そこでようやくくつろぎの顔を見せる。その一杯を味わうために生きているような、至福の顔だ。充実したひととき、俺は久しく感じていない。なにもしないために会社に行って、家に帰って自炊して食べて寝てまた会社に行く。俺のサイクルは単調だ。俺を通過してゆくサイクルも。スーパーで買った食材は俺を通して下水に流れてゆく。給与はいっときは俺のものとなり、スーパーのレジやらアパートの大家の長財布やらに渡ってゆく。酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出す。短髪少女のテーブルに、もうひとり少女が着いているのに気付く。目を離したつもりはない、いつからそこにいたのだろう。美人だ。どちらも美人であるのだが、短髪少女は生きる気力あふれる溌剌乙女であるのに対し、その少女は整いすぎた顔立ちであるがために特徴がなく、なにをとっかかりにして記憶に収めたらいいのかわからない、半透明な少女だった。かすかに茶の混じったおかっぱで、セーラー服を着こなす。平日の昼間にそんな記号的な服装をしていれば短髪少女以上に違和感を与えるはずが、風景に溶け込んでいてなにも喚起させない。おかっぱ少女は顔だけではなく放つ雰囲気から他人の注意を遮断し、強制的に脳へ「異常なし」の伝令を働かせる。圧倒的で拍子抜けする存在感。少女と少女は一杯の紅茶を交互に飲んでいる。ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら。
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
「────」
 話の内容は聞こえない。会話する姿はまるで恋人同士のように仲睦まじい。短髪少女は身振り手振りを交え話し、おかっぱ少女はそれを聞いて相槌を打つ、これが基本のやりとりらしい。ときおり、中継放送のように相槌までにタイムラグがある。日常的ななんでもない対話、俺が体験したのを思い出すにはいつまでさかのぼればよいだろうか。誰かと向き合った記憶がない。その経験は俺にあったのかもしれないが、風化して消えている。馬鹿にした口調で一方的に命じられたり、相手の迷惑を省みずおしきせたり、認めた人とまっとうに一対一で話し合ったことを思い出せない。しゃべっている途中で相槌を打つ。短髪少女は気を悪くする風でもなくしゃべり続けている。また、相槌がずれる。観察を続け、確信した。短髪少女は目の前の少女に向けてしゃべっているのではない。おかっぱ少女もまた、目の前の少女の話を聞いて頷いているわけではなかった。それぞれが独立して行動している。パズルの二ピースはうまく形が繋がっているものの、絵柄はまるで違うのだ。自分の前に誰かがいることだって気付いていないのかもしれない。埋めることも空けることももできない僻絶の表裏で重なっている二人の少女を、見ることができているのは俺だけだろう。短髪少女が立ち上がる。続いておかっぱ少女も。目の前にいて互いに見ず知らずの少女がここまで共時性をもつのは、それだけの理由に足る二人の間に似たものが──あるいは正反対のものがあるのだ。俺はタバコをもみ消した。なんだかわからないが、なんだかわからない奇跡を留めておきたかった。喫茶店の扉を開けるそのとき、なにかとすれ違う感触があった。二人はまだいるだろうか。俺にあの二人を捉えることができるだろうか。二人の座っていた席には。「おひとりさまですね。こちらの席でよろしかったでしょうか」。ウェイトレスの顔から一瞬、アルバイトの仮面が剥がれる「あら」。注文された憶えのないティーカップなのだろう。「すぐに片付けますね」。一口も手を付けられた様子のない冷めた紅茶が引き取られていった。
 俺が見たものはこれで終い。



2009/10/29(Thu)04:44:27 公開 / 模造の冠を被ったお犬さま
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■作者からのメッセージ
 甘木さまの【不透明少女】の感想を考えているうち、ではないんですが浮かんできて一気に書いてしまいました。

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