『夏の床』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:あぼむ                

     あらすじ・作品紹介
短編の読みきりです。「じいちゃん」と「夏」がもつせつなさっぽいものをかんじとってもらえたらなあと。短い話なので、説明はこれくらいで……(ごめんなさい::

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 じいちゃん、じいちゃん。……じいちゃん。じーちゃん。

 何度も繰り返す孫の正喜の言葉の続きが気になったが、もうどうでも良かった。
 今床に伏しているのは自分であったから、わざわざ正喜の顔色を伺うことはしなかった。

 正喜は既に4年前胃がんで死んでいることも忘れ、
 たしかに自分の記憶にいるのだから存在している、だなんて簡単な方程式を、頭が勝手に組み上げてしまった。
 今と昔の記憶がごっちゃになっている、夢を見ているときによくある状態。
 セミの鳴き声でも聴こえてきそうなほど青く、蒸し暑い。

 正喜は悲しそうでもなく嬉しそうでもなく、微笑まず、泣いてもいなかった。
 朝ごはんを食べるときと同じような顔をしていた。
 そして
「じいちゃん」
 自転車の修理を頼んできたときのような声で呼ぶ。

 でもこんなときにしては本当にどうでもいいようなことを恐れて、返事をしなかった。
 ずっと返事をしていなかったから、急にしゃべったらびっくりするかもしれない。
 喉がかれていたらうまく声が出ないかもしれない。
「母ちゃんはどこ行った」
 たった数秒前の不安を忘れ、ふと思ったことを口にした。
「じいちゃん」
 何度も耳にした言葉に急にじれったさを感じる。
 自分の聞いたことへの返事が欲しいと、子供にかえったようだなと自分で思った。
「なんだ」
 さっきまで渋っていた声を惜しげもなく発した。
 娘の所在は、それほどまでに気になっていただろうか。
 一瞬一瞬の感情でそれまでの心を忘れてしまう様子は本当に子供にかえったようであった。

 自分が遠くを見ているときも、正喜はじっとこちらに視線をなげつづけた。
 返事をよこさない正喜に、もしや声が届いていなかったのではないかと気遣った。
 だがせっかく苦労して声を出すのだから、他の事を言おうかと思考を始める。
「じいちゃんのよこした漬物、おいしかったかい?」
 いつの事とも知れぬ出来事をうかがった。あげたきり感想を聞いていなかった気がして。
 最近のことのような気もするしそうでないとも言える。思えばずっと会っていなかったような気もする。
「じいちゃん忘れっぽいでなあ。正喜はきゅうりのほうが好きだといってたのに、ダイコンのしかやらんかったね。」
 暑くなりきる前の夏の日、重たい漬物だるを運び終え、孫と二人で涼しい畳の和室でゴロンと横になっているところを頭の中で一巡りさせる。
 ふ…と、和室の端にある黒い箱の存在を思い出す。
 正喜はあの箱を見に来たことが無かった。手を、合わせるのだ。


 脳みそで正しいところに到着するより少しだけ早く、両眉の筋肉が反応し、きつく内側へ寄せた。
 頭のてっぺんがひんやりとし、こめかみを動かせなくなった。
 みんなが黒い服を着て集まったあの日。
 丁寧に正喜とお別れしたんだっけ。
 主役のいないパーティ。みんなは正喜もここにいると言ったが自分には見えやしなかった。
 皆が一様に動きやしない正喜を形づくるのが、苛立たしかった。

 正喜と自分しかいない部屋で、静かにまぶたをあまり動かさないようにこらえた。
 そこにいるのはいったい。すぐに天国という単語が思い浮かんだ。
 違う。
 きっといま自分が見ているものに、本物なんて一つもないんだ。
 なぜだか正喜を直視できなくなったが、彼はもう、自分のことを呼んではいないようだった。
 同時に気づくのは、自分には何も見えていなかったこと。
 正喜の母ちゃんも、正喜も。


 覚め方が分からないときは、もう一度寝るしかないんだろう。
 歳をとると、新しいことを受け入れづらい。
 寝ぼけた脳みそではなおさらだと、思った。

2009/09/08(Tue)21:18:44 公開 / あぼむ
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