『夏になる夢を見た』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:柳瀬シナ子                

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「夏になる夢を見たんだ」

 カヤは真面目な顔をしてそう言った。日に焼けて赤くなった肌が目に痛くて、目を反らせたのは私。じりじりと地面を焦がす太陽が憎いなぁと思う。だって、暑いから。どうしてもまた顔を上げなければならない。
「俺は多分、次の秋を見ることはないよ」
 カヤの右腕。肘の内側には四角い白い絆創膏が貼ってあった。ずっとずっとそこには、銀色の針が刺さっていたのに。うっすら赤く滲んで、あぁやっぱり針が刺さってたんだわと思った。
 一週間前までカヤは白い部屋の中にいた。あんまり白くて殺風景で寂しいから、毎日花を摘んでは持って行ったけれど、花はばい菌だからとカヤのお母さんに駄目と言われたのが、つい昨日のことみたいで。いつもは窓なんか開いてなくて、でも私が行くとカヤは窓を開けてとせがんだ。風が部屋の中を通るのが気持ちいいんだと。
 それでまた、ばい菌が入るから窓を開けるなと、カヤのお母さんにしかられるのは私。
「何でそんなことゆうの」
「言ったろ。夏になる夢を見たって」
 夏。なつ。
 その季節に、カヤはいつもこだわった。暑いだけじゃないか。汗が止まらないし不快だし風は冷たいし台風が来れば田んぼは全滅しちゃうし雨が降れば雷が落ちるし蝉は煩いし。私は夏が嫌いだった。カヤが、夏を好きだったから。海よりも川が好きで、よく一緒に泳ぎに行った。冷たくて気持ちよくて、その一瞬だけが好きだった。
 カヤは、夏が大好きだったから。その季節には特に、私を連れ出して外に出ることが多かった。一緒に手をつないで汗だくになって、太陽が沈むまで隣にいた。だから去年の夏まではカヤも私も日焼けが激しくて。けれど今は二人とも白い。私は日焼け止めを塗って、カヤは部屋の外へ出なかったから、白いまま。この一週間だけで、少しだけ日焼けをしたカヤの肌を、何故か懐かしいなと思った。
「明日、行っちゃうんでしょう」
 そうしてもう、この町には戻ってこないのだ。
 たくさんの機械に囲まれた、あの白い部屋とは違う白い部屋のある大きな建物へ、カヤは吸い込まれてゆく。帰ってこない。遠くの、ずうっと遠くの町にある。私が一人で行ける距離じゃない。
 だからこうしてカヤと歩くのは、今日が最後なのだ。
 最後、だから。クローゼットにしまっておいた、お気に入りのワンピースをおろした。春先に行った店でセール品になってたワンピース。けれどとても可愛くて。カヤが帰ってきたら一番に見せるのだと、今日まで着なかった。もう、このワンピースは着れない。だって、このワンピースを見せたいと思うのは、カヤだけなのだ。
「俺は、アキのことが好きだよ」
 遠くの入道雲を見つめてカヤは言う。さっきまでだらしなく伸ばしていた手をポケットに入れて、ちょっと格好をつけながら。でも笑えなかった。ふふ、って。いつもなら簡単に笑えるのに今日は。カヤの横顔が、遠すぎて嫌だ。

 行っちゃうの。
 行っちゃうの?
 私を置いて、遠くの、名前も知らない町に。

「だから、俺は行くよ」
「嫌だよ」
「アキ」
「嫌だよ。カヤが行っちゃうのは、嫌だよ」
 こんな風に泣くのは、小学生の頃以来かもしれない。涙が知らないうちに頬を伝ってて慌ててしゃがみこんだ。ひざを抱えて嗚咽交じりの、汚い泣き方。
 好き、カヤが好き。ずっとずっと好き。カヤがあの白い部屋に行ったときも、毎日だって会いに行ったでしょう。毎日怒られて、それでも花を持って行ったのは、入り口から少しだけカヤが顔を出して花を見て笑ってくれたから。たった、それだけもらえればカヤのお母さんに怒られることくらい何もなかった。幸せだった。
 行ってしまうの。もう、花を持って行くことも出来ない。あの笑みを見ることも出来ない。私が見たいカヤは居なくなってしまう。カヤが、私の隣から居なくなってしまう。そんなのは絶対に嫌なのに。
「――俺は、夏が好き」
「知ってる」
「何でか知ってる?」
「夏休みがあるからでしょう」
「はは、それもあるけど」
 カヤは笑いながら私を見る。そうして私の手をとって、立ち上がらせた。真面目な顔をしたカヤと、目が合う。
「夏が終われば、秋が来るから」
 私の顔を指差して、今度ははにかんで笑った。そうして近づいてくる。二歩、一歩。暑い、ううん熱い。距離はゼロになった。少し汗を吸ったシャツに包まれてる。この腕はカヤの腕。いつかこうして抱きしめられた。それはもうずっとずっと遠い記憶。
「本当は秋が一番好きだ。でも、秋が終われば冬が来るだろう。そうしたら寂しいじゃないか。好きなものが、いなくなってしまう。でも夏は違うだろう? 終わったら会えるんだ。楽しみだろう、嬉しいだろう。待ち遠しくて早く秋が来ないかと、そう思うんだよ」
 だから夏が好きなのだ、と。
「私は、いつでも居るのに」
「それに気づくのに、随分時間がかかったんだよなぁ……」
 カヤの腕は、体は信じられないくらいに細くなっていた。力を入れて抱きしめていいのかわからない。あの時のように思い切り抱きしめていいのか。それでも、カヤが私を抱きしめるので。泣きながら、私を抱きしめるので。私も泣きながらカヤを抱きしめた。強く、弱く。
 ――本当は、怖いよ。
 小さな声でカヤは言った。
 アキに会えなくなるのは、アキが俺の傍から居なくなるのは、一人になるのはとても怖いと。小さな、弱弱しい声でカヤは泣きながら言った。震えてるのは私なのかカヤなのか、わからなかったけれど。震えが止まるまで、ずうっと抱きしめていた。
 とても暑い日だった。太陽は頭のてっぺんにあって、影は足元にちょこんとあるだけ。蝉は相変わらず騒がしくて、太陽がじりじりと照り付けるから頭が痛くなる。汗が吹き出て止まらない。暑い。夏の日。
 キスをした。
 汗だくのまま、ただ触れるだけのキスをした。それが最後だとわかっていたから、出来るだけ長く。

 ――さよならの味がした。

 向日葵が枯れてしまったので、庭に咲いていた秋桜を摘み取って飾った。ピンクと白と茜色。三色が風に揺れて、綺麗ね。もうすぐ秋が来るのよ、カヤ。もうすぐ夏は終わるのよ、カヤ。あなたの大好きだった夏が。押入れの中にしまってあった麦藁帽子を何年か振りに被った。カヤと一緒に遊びまわったときの、懐かしい匂いがした。
「もうすぐ秋がくるの」
 夏になる夢を見た。だからあなたは、もうすぐ私に会いに来る。言ったでしょう。夏が終われば秋が来るのだと。アキが来るのが待ち遠しいのだと。
 カヤ。
 私はずっと此処に居るよ。此処で、待っているよ。あなたが会いに来ることを。それまでこうして毎日花を飾る。あなたの形が汚れないように、綺麗に片付けておくから。もうすぐ、夏が終わる。入道雲が流れてゆく。蝉はもう、それほど煩くはない。夏の匂いが薄まって行く。

 ――カヤ。
 少しだけ、夏が好きになった。夏になったあなたが、私に会いに来てくれるから。


2009/07/31(Fri)15:37:55 公開 / 柳瀬シナ子
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■作者からのメッセージ
読んでくださってありがとうございます。少し短めですが、あまり長くだらだら書くのも雰囲気に合わないなと思ったのでこの短さでまとめてみました。そのためわかりづらい点などがあると思いますが、そういった部分も含めてご意見などあればいただけると幸いです。
お付き合いありがとうございました。

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