『夜景に吸い込まれてそしてそれから』 ... ジャンル:恋愛小説 リアル・現代
作者:せれん                

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私はとても弱いのよ。
ねえ、ほんとうに、笑ってしまうくらい。
貴方が居なければ、震えてしまって立つ事も出来なくなりそうなのよ。
ああほら、今だって。








「好きじゃないのに、結婚するの?」

 二人だけじゃ広すぎると言っても良い、最上階のスウィートルームに、凛としたソプラノが響いた。
何時もならばこんな豪華な部屋じゃない癖に。どうして、なんでこういう時だけ。
もしかしてもしかすると、これで終わりにしようという、無言の訴えなのだろうか。
もしそうだとしたら、なんて勝手な男なのだろう。
先程探索してきた時に見た、部屋と同様の広い広いバスタブに沈めてやりたい。
それ位、腹が立つ。
……この男の、言動に。

「……仕方ないさ」
「はあ? 何が仕方ないのよ。断ればいい話でしょ、そんな、」

下らないお見合いなんて。

 凛としたソプラノが響いた後、空間はまた居心地の悪い静寂に包まれた。
お互い視線を合わさず、顔を上げて此処ではないどこか遠くを見ている。
銀色の腕時計の秒針が進む音と、二人の小さな呼吸だけが、広い広い空間に微かな波紋を作っている。

―勿体無い。
折角、久々に逢えたのに。もしかしたらもう逢えないかもしれないのに。視線も合わさず、喋らずだなんて。
もしこれが最後になっちゃったらどうしよう。私、こいつの事、ちゃんと諦められるかな。
…………否、そうじゃなくて。
もっと彼に話したい事があった気がする。もっと言いたい事があった気がする。
頭を左右に振って、額に手を当てつつ溜息を吐く。

そう、だ。もっと、話さなくちゃ、言わなくちゃいけない事があった。
こんなこと、してる場合じゃないんだ。

「ねえ、……」

小さい声を発すると、(本当に情けないんだけれど、)無意識に震えてしまった。
少しだけ戸惑いがちに、目線を彼の方に移す。
それだけなのになんだか緊張してしまい、口内に溜まっている唾を飲み込んだ。

「……なに……?」

数秒置いて、聞き慣れた心地よいテノールが返ってくる。
……それだけで。それだけの、ことなのに。
気持ちと同時に、涙腺が緩んで、熱い涙を零しそうになった。
見られないように反射的に顔を背け、私の身長の倍はあるガラス張りの壁の方を向いた。
星一つ見えない、薄暗い街灯と煌びやかだけれど目に五月蝿いほど派手な赤、ピンク、黄のネオンに彩られた、街。
少し遠くに見える、無機質な灰色や白い高層ビルやらが、私の目に寂しく映った。

冷えたガラスに両手を置いて、目蓋を閉じ、深呼吸する。
ガラスに当てた手から冷たさが伝わって、全身をまるで旅でもするかのように、駆け巡って行く。
途端、無機質な景色の中に吸い込まれて行きそうだった。


「……ねえ、……」


「見合いなんか止めてよ。私と居てよ。家なんか捨ててよ。二人で暮らそうよ。しがらみや重たい枷なんか、かなぐり投げ捨てて逃げちゃおうよ」


一息にそう、捲くし立てた。
気を抜けば泣きそうだった。
もう何もかもどうでもよかった。

「……うん」

声と同時に、品のいい足音が聞こえて、背中に温もりを感じたと同時に、熱いものが頬を伝っていった。






―夜景に吸い込まれてそしてそれから君の声を飽きる程聞きながら、
(その後は覚えてない。嗚呼でも分かる事は、今が幸せだという事くらいで、)



2009/07/27(Mon)20:14:44 公開 / せれん
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■作者からのメッセージ
生きていたら、必ず、大きな別れ道の選択をしなければならない。
そして どちらも、なんて言葉は子供にしか許されないから。
その選択が例え自分を苦しめる事になるとしても、それでも人は必ず選択
して、悔やみつつも、次こそはと生き。
又其の姿はとても美しいものなのでは、と。

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