『月と星とお姫様』 ... ジャンル:ショート*2 童話
作者:森木林                

     あらすじ・作品紹介
西洋を町を舞台にした、もの悲しい童話です。

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☆1.

 ある時代のある国の、あるお姫さまのお話。
 白いレンガ造りの家が立ち並ぶ西洋の町の、透き通った清らかな風が少女の髪を揺らしました。
少女は目にかかった髪を右手で寄せながら、小さくため息をつきました。
「遠い昔、遥かなる約束を交わしたあの兵士さんは、一体何処へ行ってしまったのでしょう」
 そんな言葉を町の澄んだ空気に浮かべて、それを見てはまたため息をつきます。その少女は、い
えそのお姫様は、町の中心に立った大きなお城の小さな窓から、果てしなく広い空を眺めて、物思
いに耽っておりました。

 お姫様は今年で15歳ばかりになられる若い娘でした。そのお姫様には恋人がいました。彼は城
に仕える者で、年は少女と同じくらいでしたが、立派な剣術の才を身につけた兵士さんの見習いで
した。
「いつか共に暮らしましょう」
 そんな約束もしていた仲です。少女は彼のことを幼いなりに大切に思っていましたし、彼もまた
少女のことを大切に思っていたはずです。
 しかしお姫様は、もうしばらく彼に会っていませんでした。どこか遠くに引っ越してしまったの
でしょうか、いいえそんなはずありません。もしそうだとしても、彼が少女に何も告げずに行って
しまうはずはありません。

 まだ幼いお姫様です。当然結婚相手はいないだろうと大方の大人は考えていました。といいます
よりも、そう決め付けておりました。そこで町の人たちは、我こそはと少女に結婚を申し出ていた
のです。
 もちろん少女は、そんな者たちと結婚するつもりはありません。少女には大切に思っている兵士
さんがいるのです。少女はただ彼のことだけを考えていました。


☆2.

 そんなある日、少女のもとに一通の手紙が届きました。その文面には、
『ぜひ私と結婚してください、闇の国の王子』
 そう書かれていました。なんとなんと、闇の国の王子から結婚を申し出されたのです。
 少女は驚きそして困りました。闇の国の王子は、いつも悪さばかりする乱暴者だと聞いていたから
です。実際に会ったことはありませんが、きっとひどい人に違いありません。
 しかし今回ばかりは、いつものようにきっぱりと断るわけにはいきませんでした。なにしろ相手は
闇の国の王子、断ったらその恨みで何をしてくるか分かりません。町の男たちとは訳が違うのです。

 少女は呟きました。
「私がこのまま闇の国の王子と結婚すれば、この温かい光の国にたちまち異変が訪れましょう。その
ようなことを許すわけにはいきません。いいえ、それ以前に私はそのような者と共に生きるわけには
いかないのです。私には遠い日からの約束事があるのです。しかしいったい、どうしたことでしょう」

 すると、その独白を聞きつけた兵士がいいました。
「お姫様。何かに悩み苦しんでいるのなら、町の西にあるちょっと不思議な本屋さんへ行くといいで
しょう。きっと最良のアドバイスが頂けるはずです」

 少女は久方ぶりに城を出て、町の西にあるというその「ちょっと不思議な本屋さん」を探しに行き
ました。
「いったいどこにあるのかしら」、少女はつぶやきながら探します。普段城からほとんど出ない少女
にとって、町は広すぎました。町がこんなに広いものだとは知りませんでした。
「お嬢さん、本屋さんをお探しですか?」突然、見知らぬ老人が少女に尋ねました。痩せた体の、気
弱そうなおじいさんでした。
「はい、不思議な本屋さんを」と、少女は答えました。
 おじいさんはすっと微笑を浮かべて、「本屋さんならあちらですよ」と指を指しました。その先に
は、古そうな、でもどこか懐かしくて親しみの持てる、質素な店がありました。
「ご親切にありがとう」少女は頭を下げます。
「いえいえ、あそこは『人助けの本屋』と呼ばれているお店です。素敵なお店ですよ。きっとあなた
にとっても」


☆3.

「こんにちは」
 少女は『人助けの』本屋さんのドアを開けました。
 店は外から見たときの印象と変わらない、古くてしかし親しみの持てるこじんまりとした本屋さん
でした。見たところ本の品揃えはいいようです。むんと古い紙の匂いがします。大雨の後のぬかるん
だ大地の匂いに似た、優しい匂いです。
「やあ、お客さんなんて久しぶりだ」と言いながら奥のほうから店の主人が出てきました。人生の中
間をいよいよ迎える年であろう、優しそうなおじさんでした。顎には立派なひげを生やしています。
「私、悩みがあって、ここにきました」と少女は途切れ途切れに言いました。
 するとおじさんは、にっこりと笑って言いました。
「ほうほう、そうかい。怯えなくていいよ。どれ、よろしければ一つ聞かせてもらえないかな。解決
方法が見つかるかは分からんが。なあ、みんな」、そう言っておじさんは手をたたきました。すると、
本棚に並んでいる本たちがごとごとを音を立てて、そこから飛び出してきました。本はぷかぷかと宙
に浮かんで、ダンスをするかのように少女を囲みました。赤、青、黄色、さまざまな本が少女の周り
を囲んで、くるくると回っています。
「うちの本は生きてるんだ」、おじさんは言います。
「聞かせてごらん、あなたの悩み」と赤い背表紙の本が言いました。
「僕たちが聞いてあげるよ」と青い背表紙の本も言いました。
「さあさあ」と黄色い背表紙の本があおりました。
 少女は驚き、しばらく口を開けませんでした。なにしろ本が喋ったのです。今まで誰にも本が喋る
なんてことは教えてもらっていません。もしかしたら国語の教科書の端には書いてあったのかもしれ
ませんが、もちろんそんなことは知らなかったのです。
 やがて、ようやく心も落ち着いてきて、少女はゆっくりと語り始めました。手紙のこと、結婚のこ
と、それらの悩みをおじさんと本たちに。

「うむ、そういうことか」、話を聞き終えたおじさんはゆっくりと言いました。
「なんだ話は簡単だ」と青い本が言いました。
 そして突然、本たちはそれぞれの声で歌いだしました。
『美しき少女は悩みます 闇の国からの黒いお誘い
 夕日が闇に変わる前に 素直な気持ちになりましょう
 秘密の呪い きっと解けます』
 とても可愛らしい歌声でした。子供たちのお遊戯を見ているようでした。お姫様も思わずその可愛
らしい歌声につられて歌いだしました。
『でも相手は闇の国の王子様 簡単には断れない
 そう断れば いったい何をしてくることでしょう』
 それに続いて本たちも歌います。
『大丈夫 きっと きっと あなたが素直になれたなら
 闇の国も 光の国も 空の国も関係ないよ みんな一つにつながってる』
 少女は微笑みました。
「ありがとう。おじさん、素敵な本たち。おかげで勇気をもらいました」
「うむ、それはよかった」とおじさんは言いました。
「それはよかった」、本たちも言います。
 実のところを言えば、まだ少女の心には不安がありましたが、それもそうかもしれない、素直に言
えば、闇の国の王子も分かってくれるかもしれない、そう思えるようになってきたのでした。


☆4.

 本屋さんの外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていました。町は人々の作る料理の匂いで溢れ
ています。ビーフシチューの匂い、グラタンの匂い、たくさんの匂いが混ざり合って夕刻の町の景色
を作り上げています。そんな素敵な匂いの煙につられて、ふと、少女は空を見上げました。
 すると、そこに浮かんでいた金色の三日月が、ゆっくりと少女の方に近づいてきます。といいます
よりも、もっと素直に表現すれば、落ちてくるのです。星たちが輝く満面の夜空の、三日月だけがど
んどん大きくなってきます。よく見ると、そこには優しそうな顔がありました。月に顔があるなんて
少女は知りませんでした。一体どういうことでしょう? 少女は驚き、気を失いそうでした。
「怖がることはないよ」、月は少女に近づきながら言います。
「僕は君の味方だから」
「私の味方」
 少女は高鳴る鼓動を抑えながら、首を傾げました。どういうことでしょう。
「そう。僕が闇の国の王子から守ってあげる」と月は言います。
 少女は驚きました。
「なんでそれを知っているの?」
 すると月は微笑みました。
「みんなしってる。ずっと空から見ていたもの」
「闇の国の王子は恐ろしい奴だよ。あいつと結婚したら、あなたはとんでもない目に遭う。さっき本
たちの言ったように、素直に嫌だと言っても聞いてはくれない。もしかしたら、妬んでいたずらをし
てくるかもしれない」
 それを聞いて、改めて少女は不安になりました。
「一緒に夜空に逃げよう。星たちと一緒に君を守ってあげる」と月は言います。
「見上げてごらん」
 少女は言われるがままに上を向いて見ました。そこには数え切れないほどの星たちがきらめいてい
ました。美しい夜空です。自然と、星たちの歌声が聞こえるようです。
『一緒に逃げよう 夜の空へ 僕らが君を守ってあげる
 海辺に輝く貝殻みたいに ちっぽけな傘で 守ってあげる』
 少女は迷っていました。月へ行ってしまったら、もう帰ってこられないかもしれない。闇の国の王
子は悪い奴と聞いていましたから、もちろん結婚などしたくありません。そんなことなら地上に残ら
ず、月へ行ってしまうのも手かもしれません。しかし、少女には遠い日に約束を交わした兵士さんが
います。彼との約束を破ってしまっていいのでしょうか。
「どうしましょう。夜空へ逃げるのは気が進まないわ」
「でも急がないと、ああほら、闇の国の王子がきちゃうよ」


☆5.

「姫ー!」
 どこからかそんな声が響きました。お姫様のことを呼ぶ、凛々しい声です。
「闇の国の王子がきた。急いで逃げよう」と月は慌てて少女をあおります。
「ほら見て、あの王子の放つ、暗く冷たい空気を。ああ、あの王子は危険なものです」
 少女は目を凝らして、その向こうから走ってくる王子を見ました。たしかに月の言うように、暗くた
だならぬオーラが感じられました。少女はいささか身の震えを覚えました。
「姫ー!」、王子の声が近づいてきます。
 少女の体は更に震えていました。そっと目を瞑って考えます。もしかしたら兵士さんは本当にどこか
遠くへ引っ越してしまったのかもしれません。もし地上に残ったとして、彼とまた会える保証はないの
です。そうです、私が約束を破る前に、彼が破っているのです。
「私、夜空へ逃げます」と少女は言いました。
「うん。それがいい、さあ」、月は手を差し伸べます。少女は迷わずその手を握りました。
「行こう、空の世界へ」
 少女の体はだんだん宙に浮かびはじめました。夜空へ向けて。
「姫様! だめだ、いってしまってはだめだ! 僕のことを、思い出してくれ!」、王子の声が響きます。
 すると少女ははっとしました。闇の王子の姿が、しだいにあの兵士さんの姿に変わっていくのです。遠
い日に、共に暮らそうと約束をした、あの兵士さんの姿です。間違いありません。一体どういうことでし
ょう。
 しかしもう手遅れです。少女の体は空高く浮かび上がっていて、兵士さんの姿はどんどん小さくなって
いきます。
「なんで、あなたは闇の国の王子じゃ……」
 少女は訳の分からぬまま、涙を流していました。
「違うんだ! 僕は悪い奴なんかじゃない。誰かのでっちあげた嘘の噂だ! 闇の国の王子の姿にされて
しまったけど、僕は何にも悪さなんてしていない! 君のことだけを考えていた! 姫ー! 姫ー……、
ひめー……」
 兵士さんの声は、とうとう聞こえなくなってしまいました。お姫様は、星の輝く夜空に来ていました。


「闇の王子の姿に変えておいて正解だったよ。悪い噂を作って、君に流し込んでおいたのも正解だった。
素敵な王子様は、別にいる。僕はそれに変わった2人目の王子だ」、月は言いました。
 少女は泣き続けました。兵士さんはずっと自分のことを思っていてくれたのです。自分と同じように。
それなのに、裏切ってしまったのは自分だけです。

 お姫様と月が結婚してから何年もたちましたが、少女は今も時折闇の国の王子のことを思って激しく泣
くことがあります。その涙は大粒のしずくとなって、地面に降り注ぎます。時には怒りで嵐を起こすこと
もあるそうです。
 美しい月と、美しい星と、美しいお姫様。すべては夜空にあります。そっと、見上げて見ましょう。


2009/07/19(Sun)13:04:19 公開 / 森木林
■この作品の著作権は森木林さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
まず、読んでいただけたことに心より感謝いたします。

さて、ここのみなさんがこの作品をどのように受け止めるのか、とても興味がありますので、
ぜひ感想をお願いします!
特に作品をどのように解釈したかなどを教えていただけると参考になりますのでうれしいです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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