『流王院流呪術 回顧録〜斉藤真人(仮)の巻〜後篇』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:オレンジ                

     あらすじ・作品紹介
太古から伝わる流王院の力、再びその禁断の能力が世に放たれた。

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 男は衣類を全てはぎ取られ、両手を後ろに回されて無造作に縛られた状態で冷たいコンクリートの床に転がされていた。コンクリートとの口づけは鉄錆の味、ごほごほと咳込む度に男の口から真赤な飛沫が散って床を染めていく。
真夜中の空き倉庫は昼間の蒸せる様な暑さから解放され、半袖だと少しひんやりとした。
「ゥオラァ!」
 スキンヘッドのチンピラが、床に転がる全裸の男のみぞおちにトゥキックを食らわせた。
「うう、ぐふっ……ごほごほ」
 男は微かな悲鳴をあげただけで、再び動かなくなった。
「おい、カズゥ、まだ殺すんじゃねえぞ」
 兄貴分らしい男が、一斗缶を並べた上に腰を降ろしてその光景を見ていた。
「金の隠し場所言うまでは、生かしておかなきゃならん」
「はい、兄貴。わかってます」
 真夜中の空き倉庫には男たちの野太い声と、肉を打つ鈍い音が交互に響き渡る。
 足元に横たわる男に動きが無くなったので、スキンヘッドのチンピラは、男の顔面をつま先でこつこつと突いてみた。反応は無い。
「おい、水持ってこい」
 その光景を取り囲むようにして見つめていた3人の若い衆は、電気が走ったかのように体をびくっとさせ「はい、ただいま!」と我先にと走りだす。
「兄貴、もういいんじゃないすか? たかだか500万ですぜ」
 スキンヘッドのチンピラは蹴り疲れたのか息を切らしながら、兄貴分に訪ねた。
「バカやろうが、金額の問題じゃねえ。これはケジメだ、組の金に手を出したらどうなるか……それを教えてやってるんじゃねえか」
「へい……」
「こいつも、こんな事になると分かってりゃ、どんな事があっても組の金にゃ手出そうなんて思わなかっただろうに。俺の指導が足りなかった為にこいつをこんな目に遭わせちまった訳だ。可哀そうな事をしちまった。まあ、これからはこんな悲しい事が無いようにしないとなあ。なあ、カズゥ」
「へい、兄貴の言う通りで」
 若い衆の一人が大きなバケツをぶら下げ息せき切って走ってきた。そして、そのバケツを恐る恐るカズと呼ばれるスキンヘッドのチンピラに手渡した。
「サンキュ」
 スキンヘッドのカズは、そう言ってバケツを受け取ると、勢いよく中の水を横たわる男の頭にぶちまけた。その勢いでついでのようにバケツも男に投げつける。
 自分の足にも大量の水がかかったが、お構い無しだ。
「オラ、起きんかい!」
 カズは男の脇腹を蹴る。
 が、反応は無い。
「おい……」
 どうも様子がおかしい。カズはしゃがみ込んで男の様子を伺う。
「どうした、カズゥ」
 兄貴分も異変に気づき、立ち上がる。
「兄貴……駄目だ、死んでます……」
 何度か人の死に逝く場面に遭遇した事のあるカズは、医者ではないが、その経験により男がもう生命活動する可能性がゼロである事を察知し、そう判断を下した。
「何だと」
 そう言って、兄貴分は既に死体と成った男の体を幾度も足蹴にして反応を確かめた。だが、弛緩した男の体はまるで手ごたえが無い、いつしか男の体は頭の向きとは逆の不自然極まりない方向を向いていた。
「おいおい……」
「兄貴、すいません」
「このバカヤロウが! 殺しちまったら金の隠し場所が分かんねえだろうが! 組の金だぞ、組の金!」
 兄貴分はカズのてらてらと輝く頭を平手打ちして叫んだ。
「今すぐ探して来い! この街の隅から隅まで探しつくせ! 公衆便所から生ゴミのバケツの中までな! オラ、さっさと行けや! 明日中に探し出せ、何としてもだ」
「い、行ってきます」
 兄貴分の強烈な迫力に腰を抜かして座り込んでしまった若い衆を引きずって、カズは一目散に空き倉庫を出て行った。




〜さかのぼることおよそ10時間前〜


 突き刺さりそうな日差しを避けるため、俺は木陰が差し掛かるベンチに腰かけた。次から次と滝のように流れ出る汗をハンドタオルで拭い、カバンから飲みかけのペットボトルのお茶を出し、火照った腹の中へと一気に流し込んだ。
「ふう……」
 出したくもない溜息が洩れる。
 白いワイシャツも気がつけばぐしょぐしょだ。
 この炎天下にセールスの外回りなんて、こんな非効率的な事、何でこの俺がやらなきゃいけないんだ。そもそも、こんな訳のわからん健康食品がそんなに売れるものか。飲むだけで内臓脂肪を取り除く画期的な健康補助食品らしいが、売っている本人がその成分や効果を全く知らないのだから、まあ、売れなくても仕方ない。
 ああでもない、こうでもないとロールプレイをやったが、商品知識などさっぱりわからない。指導員がただ大声で怒鳴り、努力だの根性だのと精神論を繰り広げるだけのくだらないやり方では、商品知識など身に着くわけなかろう。
 いわゆるブラック企業というやつなんだろうな。前の会社をリストラされなけりゃこんな会社に入ることなんか無かったのに。
 このご時世じゃ、仕事も選んでられないからなあ。でも、もっとこう、自分に合った自分の可能性を最大限に引き出せるような就職先無いものだろうか。
 人生うまくいかないな。
 今日も売り上げゼロだったら、来月の給料は本格的にヤバい。でもなあ、売れないものは売れないし、ああ困ったなあ。俺の人生これからどうなるんだろう……。
 木陰に吹く緩やかで生ぬるい風が俺の頬を撫でる。エアコンの風とは比べ物にならないが、それでも木陰の風は、夏の暑さにやられた俺の体を僅かばかり冷ましてくれる。
 足が重い……。加えて、だんだんと瞼も重たくなってきた。頬を撫でる生ぬるい風が、癒し系美女の掌に思える。ああ……症状は重い。
 現実と妄想の境界線が眠気によって破壊される。ベンチに体を横たえると、俺の睡眠欲は最高潮を迎えた。
 癒し系美女の白魚のような細い指先が俺の頬をなぞっていく。妄想の中の女性たちは皆俺に優しい……。俺も金さえ持ってれば、こんな綺麗なおねえさんたちが幾らでも寄ってくるんだろうな。会社をリストラされて、金の無くなった俺じゃ、駄目だろうなあ。リストラされずに、金さえあれば、彼女とだって別れる事なんて無かったんだよ、金さえあればなあ。
 嫌な事を思い出してしまったなあ。ああもう、忘れよう。この妄想の中のおねえさん達に忘れさせてもらおう。さあ、おいで俺のかわいい女たちよ、共に快楽の泉に溺れようじゃないか!
 あはは……
 うふふ……
 おほほ……
 ……空しい。
 何だか急に眠気が覚めてしまった。
 横たえていた体を再び起こす。
 仕方ない、また営業廻りに行くか。でも、体が言う事を聞かない。
『どうせ行っても断られるだけだし』
 今日も朝から、訪問先の冷たい態度に心折られっぱなしだよ。いい加減、ガラスのハートは砕け散るぜ。
 はああ、もっと楽に金もらえないかな。
 俺はベンチの背もたれに体を預けるようにして、天を仰ぎ見た。
 その時、
「大丈夫ですかぁ、おにいさま、顔色悪いですよ」
 妙に甲高く、何かが鼻に詰まったような女の声が俺の鼓膜を叩いた。
「ああっ、ごめんなさい、初めてお会いする方なのに、勝手におにいさまなどとお呼びしてしまいまして……ええっと、その……」
 声のする方へ頭を傾けると、俺のすぐ傍に十代後半くらいの女の子が立っていた。何故か、黒いメイド服を着て。
 そう、メイド服。俺も実際見るのは初めてだが、テレビやコスプレの何やらで見たのと同じだ。頭にカチューシャって言うのか、あの白い髪飾りを付け、肩がぽこっと盛り上がった感じで、ふわっとしたフリル付きのミニスカート、俺がイメージする通りのメイド服である。
 ちょっと歪んだイメージかも知れないが。
 見た感じ、まだ中高生くらいだろう。そんな女の子が平日のこんな時間にこんな所で頬を赤らめ、うつむき加減にとまどいの表情で俺を見ているのだが、俺はまだ夢の続きを見ているのか。
「あ、あの……えっと……」
「なにか用?」
 もじもじと煮え切らぬ態度のメイド服の少女に向かって、俺は少々語気を強めて訪ねた。
「あの……その……」
 本当に煮え切らない。この少女、確かに目はくりっと大きく肌も白くてまるでお人形さんのように可愛らしいのだが、一体何をしているのだろう、あまり関わらない方がいいかな。
 この暑さの所為もあり、これ以上この少女の相手をしているとイライラの感情がMAXを超えてしまいそうなので、俺はその場を離れる事に決めた。
 だが、俺がベンチから腰を上げ、歩き始めると少女は「あの!」と言って俺を呼び止めた。随分勇気を振り絞ったに違いない。
「あの! わたしは、おにいさまの様な不幸せそうな人の為に、何でもお願いを叶えてあげるお仕事をしてます、流王院 彩御子(りゅうおういん あやみこ)と言います。えっと、今日は修行の為、無料でおにいさまの願いを叶えて差し上げたいと思います。まだまだ未熟な私ですけど、精一杯おにいさまの為に尽くします、どうぞよろしくお願いします」
 目の前の少女は、勢いよくそして深々とお辞儀をした。
「はい? あの……」
 突然何を言い出すのだろう、この少女は。今度は逆に俺が言葉を詰まらせてしまった。
 この女の子、ちょっとイタイ子なのかな、病院を黙って抜け出しちゃったのかな。それとも、こういった趣向のお店の勧誘か、いたいけなメイド姿の女の子があれやこれやと何でも男の願いを叶えてくれる、大人のサービスをするお店、この少女はそのお店で働く嬢なのではないか?いや、でも、こんな昼間から堂々と客引きをするか。
 俺は思わず少女の頭の先からつま先までを舐めるように眺めた。
「お、おにいさま、なんか視線がえっちですぅ……」
 少女は控えめな声で俺をそうたしなめた。
 ああ、いかんいかん。やっぱり俺って奴は根っからすけべえなんだな……。こんな可愛らしい少女がそんなお店にいる訳ないじゃないか。下らん妄想だけは次から次へと出てくるんだがなあ。
「おにいさま、何でもいいですから、何か叶えて欲しいお願いを仰ってください」
 美少女が潤んだ瞳を上目使いにして、俺を見つめてくる。こんな経験は生まれて初めてだ。全く悪い気はしない。
 だが、怪しすぎる。
「ごめんね、お譲ちゃん。おにいさん今仕事中なんだ。今は遊んであげられないんだ。誰か他の人に遊んでもらいな」
 俺もまだ27歳だ、おにいさんでいいだろう。敢えておじさんと言い換える事もない。とりあえず、仕事を言い訳にした常套句、大人の逃げ方だ。
「遊びじゃないです、修行です!」
 女の子は、口をへの字にして抗議した。
「いや……そう言われても……」
「もう、朝からずっと、おにいさまの様な不幸せそうな人にお願いしてるんですけど、誰も相手にしてくれないです……。このままじゃ、御山に帰れないです……。お師匠に怒られて酷いお仕置きを受けてしまいます……」
 女の子の頬を一筋の涙が流れた。
「ごめんなさい、ずっと泣かないように我慢してたんですけど……ぐすっ」
 ちょっと、待ってくれ。こんな所で泣かれても、困るじゃないか。目立ち過ぎる。傍目からは、どう見られているのだろう。下手すると通報されるぞ、少女に付きまとう変質者として。今はそんな世の中だ。
「わかったよ、話だけは聞いてあげる。だから、泣かないでくれよ」
 仕方ない、ちょっとくらいなら相手してやるか。今から営業に行ったところでそんなに売れる事もないし。
「ほんとですか? ありがとうございます!」
 少女の顔にさあっと光が射した様な気がした。少女は赤く腫らしたそのまんまるの瞳を思いっきり細くして満面の笑みを俺に投げかけている。良く見ると本当に可愛いじゃないか、この娘。
 とりあえず、立ち話も何なのでベンチに座らせる。何て言ったっけ、このこの名前……思い出せないけど、横顔もめちゃくちゃキュートだ。滅多にいないぞ、こんな可愛い女の子は。ただ、惜しむらくは、この子が「天然」を通り越して、未知なる電波を発信しているちょっとイタイ女の子だということ。
「それでは、改めて自己紹介させていただきます。私は、第26代流王院流呪術伝承者候補の流王院彩御子です。『あやみこ』とお呼び下さい。よろしくお願いします」
あやみこ? 変わった名前だな、芸名みたいなものかな。
「あの、おにいさまのお名前は何ですか」
「俺? 俺は真人、斉藤真人(さいとうまさと)、よ、よろしくね、ははは……」
「良いお名前ですね、真人さまとお呼びすればよろしいですか」
「あ、ああ、好きに呼んでくれていいよ」
「それでは、真人さま、本日はご指名いただきありがとうございます。まだまだ未熟者ですが、精一杯がんばりますね」
 一体どこでそんな言葉を覚えてくるんだろう。
 どうも、調子が狂うな。あとどれだけこの茶番劇に付き合わなければいけないんだ。
「で、俺はどうすればいいのかな」
 さっさと終わらせてしまおう。これは営業より疲れるかも知れない。
「今日は、初めての実地試験なんです。今までの御山での修行の成果を試す時なんです。初めて流王院流呪術で人の願いを叶えて差し上げて、不幸せな人を幸せに出来る日なんです」
 言葉が徐々に弾んできて、なんだか凄く嬉しそうだ。それから、何回も何回も不幸せ不幸せと言うが、俺はそんなに不幸せそうに見えるのか?
「ところで、その、流ナントカ術ってのはなんだい?」
「流王院流呪術はですね、話せば長くなりますが……」
「じゃ、じゃあいい、長くなるならいいよ」
 さっさと終わらせたいのに、この子が話が長くなると言ったらどれだけ長いか想像もつかない。
「そうですか」
 メイド姿の女の子はちょっと寂しい表情をした。
「また、それは今度の機会にね。それより君は何でそんな格好してるんだ? 山奥で修行しているんだろ」
「私、普段はお師匠のお屋敷でメイドのお仕事をさせていただいているんです。だから、お洋服はこのメイド服と修行用の道着しかないんです。お山を降りるのに服が無くて、修行だから道着を着て行こうと思ったのですが、お師匠がこれを着て行けって、これを着た方が男の人が引っ掛かりやすいって……意味が良く分からないのですが、そう言う訳で」
 俺も意味が良く分からん。
「まあね、そう言う事もあるよね」
 そうとしか答えようがない。他にどんな模範解答があるだろう。
「と、ところで、あやみこちゃん?」
「はい」
「君は本当に何でも願いを叶えてくれるの?」
「はい、そうなんです」
 女の子はとても嬉しそうに答えた。
「私は流王院流呪術を使って何でも願いを叶える事で不幸せそうな人を……」
 ああ、そこはもういい、もう何回も聞いた。また不幸せそうって、俺もいい加減。落ち込むぞ。
「ただし、叶えられる願いは受益者が直接的に恩恵を被る類のものしか駄目です」
「ん? どういう事?」
「つまり、宇宙を消滅させて欲しいとかは駄目です。世界中の紛争を停戦させて欲しいとか、○〇さんを総理大臣にして欲しいとかもダメ。でも自分を総理大臣にして欲しいはオッケーです。……わかりますか?」
「まあ、何となく……」
「それでは、真人さま、お願い事を一つ仰って下さい」
 願いかあ、全く意味のない事だが、ついつい真剣に考えてしまうなあ。なぜだろう。別にそれが本当に叶う訳ないのに、ただ、電波少女の戯言に付き合っているだけなのに。
「ああ、それから、真人さま。大事な事を言い忘れてました」
 何だ急に?
「お願い事は、人一人の命と引き換えに叶えられる事になります」
 何だって?



****続き↓****



 ここでちょっとこのメイド服の少女の発言を整理してみよう。頭がこんがらがってきたぞ。
 まず、この少女、流ナントカ術を身につけるために現在修行中であるる。で、今回その修行場である御山から出てきて実践訓練のような事をしているらしい。たまたま偶然、俺が標的になり、今こうしてベンチに二人で座っているわけだ。
 その流ナントカ術は何でも願いを叶えてくれる呪術らしいが、願い事を言う人自身が受益者となって直接的に恩恵を受ける内容じゃないとダメ。そして、その願いは人一人の命と引き換えに叶えられる……と。

 なんだこりゃ? 俺はまだ、やっぱり夢を見ているのかなあ。いや、夢でももっと脈絡のある内容だろう。
 隣に座る少女のあどけない微笑みには一点の曇りも感じられない。
「真人さま、お願い事は決まりましたか」
 少女は澄み切った瞳で俺をじっと見つめて俺の返事を待っている、まるで飼い慣らされた子犬がご主人様の命令をしっぽを振りながら待つように。しかし、人一人の命と願い事が引き換えとは、何だか重たい話になってきたな。
「あ、ああ、ちょっと待って、その人一人の命と引き換えにっていうのはどういう事
かな」
「それはですね、言葉の通り、人一人の命と引き換えに願が叶うと言う事です。真人さまの願いが叶う時、誰かが死にます。その誰かというのは、その願い事に対するキーマン一人です。これは流王院流呪術特有の現象ですが、決まりというか、そういうものなのでご了承下さいませ」
 よく出来た話だが冗談にしてはキツイ内容だ。彩御子は更に続けた。
「あ、でも、お師匠はこう言っておられました。人が死ぬのは運命だと。願いを叶えた人が自ら手を下したのではない、ある人が願いを叶えた、同時に定められた運命によってキーマンとなった人が死んだ、ただそれだけの事だ、と。全ては運命に依るものだ、と。ですから、真人さま、お気になさらずどうか願いを仰って下さい」
 いやいやいや、そう言われても。願いが叶う代わりに誰かが死ぬと言われて、嬉々と願い事を口にする人間なんているか?
 俺は、試されているのか?
 どっきりテレビにしては、題材が重いが。もしくは新手の宗教の勧誘か。俺は、メイド服の彩御子に質問を続ける。
「で、そのキーマンって人は誰なんだい」
「キーマンですか? キーマンはその願いを叶えるのに当たり障害になったりポイントになったり、何らかの関わりがある人ですが、誰になるのかは私にもわかりません。お師匠でもわかりません。願いを叶えた人の肉親だったり恋人だったりすることもありますし、会った事も無い赤の他人かもしれませんし、残念ながらそれはお答えできないのです」
 何だよそれ……今こうしている間にも世界中では人が生まれ、死んでいるじゃないか。そう考えると、誰かわからない人が死ぬなんて日常では至極当たり前に在る事じゃないか。
 段々と訳がわからなくなってきた。
「今、この瞬間にも世界の何処かで人は死んでいます。人が死ぬのは運命なのです。真人さまのお気持ちも解りますが、もし仮に今ここで真人さまが願い事を仰らなかったら、キーマンの方は生き延びるかもしれませんが、逆にキーマンの人が生き延びた為に死んでしまう人だって出てくるかもしれません。それも、運命なのですが……あまり深く考えないほうがいいです」
 そうだな、その通りだ。だからなんだと言うんだ。実際願い事が本当に叶うかどうかも怪しいこんな話、真剣に考える事もあるまい。真面目に考えるだけ時間の無駄だ。
「真人さま、お願い事はお決まりになりました?」
「ああ、決まったよ」

「お金をくれ、一生遊んで暮らせるだけの大金を俺にくれないか」

 考えるのが面倒臭い事もあり、俺はあまり深く考えずに答えた。
 地元の三流大学を何とか卒業し、何かでかい事をしたいと、ただそれだけの理由で親の反対を押し切り東京に出て、気が付けばこのていたらくで、「真人には何もないよね」という捨てセリフと共に彼女は俺の元を去ってしまった、友達も少ないし、面倒臭がって帰らないので地元にも居場所もない……そんなくだらない俺の今までの人生を全て覆すには、大金が必要だ。
と、その程度の思考しか出来ないバカな俺がそこにはいたのだ。
「かしこまりました。真人さまのお願いは『一生遊んで暮らせるだけの大金が欲しい』と言う事でよろしいですか?」
 メイド服不思議少女、彩御子は満面の笑みで声高らかに俺の下らない願い事を復唱した。周りには結構な数の人がいるというのに、ちょっと恥ずかしい。
「そ、そうだけどさ、そんなに大声で確認しなくても……」
「真人さま、ありがとうございます。これでやっと御山に帰る事が出来ます」
 彩御子は周りなどお構いなしで、はしゃぐ。俺の手をしっかり掴み、ぴょんぴょんと跳ねながら「ありがとうございます」を何度も繰り返した。
 こんなに喜ぶなんて、一体今までどれだけ断られ続けてきたんだろう。こんな可愛い子だったら男の一人や二人、簡単に捕まりそうなもんだが、何と言うか世知辛い世の中だな。事無かれ主義と言うか、知らないものには関わらない、そんな現代の風潮なんだろう。
「ああ、いけない、もうこんな時間です!」
掴んでいた俺の手を放し、突然彩御子は驚きの表情を見せる。少女の視線の先には公園の時計台があった。時計の針は11時30分を少し回った所を指示していた。
「あ、あの真人さま、私は今からスパイシーシュガードールズダンスを踊らないといけないので、もう行かなければなりません」
 スパイシー? もう何が出てきても驚きません。鯛や平目の舞踊りだってかかってきやがれだ。彩御子は更に続ける。
「真人さまのお願いにつきましては、スパイシーシュガードールズダンスの奉納後にきちんと施術をしますので、大丈夫です」
 あたふたと落ち着かない彩御子に俺は訪ねた。
「なんだい、そのシュガー何とかダンスってのは」
「はい、私は毎日午前11時から正午の間にスパイシーシュガードールズダンスを踊り奉納しないと死んでしまうんです」
「マジで?」
「今まで欠かした事が無いのでわかりませんが、お師匠がそう言ってました」
 まあ、そうだな、確かめて命を落としても詰まらないからな。
「踊るだけなら、別にここで踊ればいいんじゃない? 俺もその踊りみてみたいし」
 ここで踊っておけばそれほど焦る事もないだろう、そう思った俺は彩御子に提案してみたのだが、彩御子はその俺の言葉を聞いた途端に顔を真っ赤に染めてぶんぶんと首を振った。
「だ、駄目です、こんな所でそんな破廉恥な事出来ません!」
 彩御子は耳まで真っ赤にして俯いてしまった。そのスパイシーナントカダンスってのは一体どんな踊りだよ。
「で、では真人さま、失礼させていただきます。本当にありがとうございました。どうかお幸せになって下さいね。順調に行けば明日の午前中には願い事が叶っている筈ですので」
 彩御子は早口でそう言い切ると、深々と頭を下げた。
「ああ、君も元気でね。修行頑張って」
「ありがとうございます」
 目の前の少女はあどけない笑みを浮かべもう一度深いお辞儀をすると、きびすを返して慌てるようにして走り去った。
 龍王院彩御子だったかな、本名だかどうか知らないけど、可愛らしい女の子だったなあ。あれでおかしな発言さえなけりゃ、いいんだがなあ。
 そんな事を思いながら、走り去る彩御子の背中を見ていると、彼女はおよそ10メートルくらい先で何かにつまづいてこけた、「きゃっ」という悲鳴と共に。その拍子に、彼女のミニスカートがふわりと捲れて、白いパンツが見えたところなど、正に萌え系の兄ちゃんたちにはお約束のシチュエーションだったに違いない。
 彩御子はすぐに立ち上がり、メイド服と膝こぞうの埃を掃って再び走り出した。俺は、少女が公園を抜け大通りに出て、人ごみに紛れ込んで分からなくなってしまうまでその姿を見ていた。


翌日〜


 俺は今日もまた暑い中、いかがわしい健康食品の営業に廻っている。
 昨日も結局一つも売れなかった。給料は歩合制なので、今月の給料は本当にヤバい。
 昨日はあの天然メイド服少女のせいですっかり調子が狂ってしまったからなあ。『人一人の命と引き換えに何でも願いが叶う』だなんて事を真顔で言われちゃ、俺だってどうしようもないだろう。
「一生遊んで暮らせるだけの金が欲しい」と、とりあえず願い事を言って納得して帰って貰った。まあ、それでよかったのだとは思う、だって、こんな事で願い事が叶う筈が無いじゃないか。とりあえず見ず知らずの不思議少女をあしらう為の方便だったのだから、何でもいいのだ。
 と、割り切っているものの、あれ以来、宝くじを買った時のようなほんのりとした期待感の様なものが俺の心に存在しているのは確かだった。人が一人死ぬと言ってもどうも現実身が無いし、世界中では今この瞬間だって誰かが死んでいるのだから、別に俺が何かした為に人が死んだなんて思うのは自意識過剰というものだ。

 今日も上司に追い払われるようにして外回りに出され、まだお客様でも何でもない、赤の他人を何軒も訪問し、その度に軽くあしらわれ、怒鳴られ、嫌な顔をされ、精神的にボロボロになり、夕方を迎える。もちろん契約は一件もない。
 夕方六時になり、営業マンたちが帰ってくると、営業グループの終礼が始まる。
「斉藤君は今日もゼロですか……まあ、人間調子悪い時もあるでしょうけど、こう何日もゼロが続いちゃあねえ……」
「はい……」
「今日はもう一度廻ってきた方がいいんじゃないの? 来月生活出来る? まあ、斉藤君がどうなろうが知ったこっちゃないけど、会社だって歩合とはいえ経費が掛かってるんだよね。単なるお荷物じゃないって所を見せてよ、斉藤君ちょっとはやる気を見せてさあ、稼いで地元の親御さんに仕送りしようとか、たまには思わないかなあ……」
 部長のネチネチとした集中砲火と、売上をあげた奴らの冷やかな視線が俺の心を容赦なく攻撃してくる。
 結局俺は、夜の街へもう一度外回りで出される事になった。皆がわいわいと帰宅する中、俺だけ、重い黒カバンを肩に下げ彼らと別方向へ向かって歩き出した。
「くそっ、売れないもんは売れないんだよ! だいたいこんなもん売りつけられた人間の身にもなってみろってんだ。こんな詐欺まがいの健康食品、売れる奴なんてロクな奴じゃないんだよ。こんな商品で稼いだ金なんて親に送れるものか。どうせ親だって俺の事なんか宛てにしてないんだし。全く、どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」
 むしゃくしゃした俺は、破壊衝動に駆られ、すぐ傍にあったごみ捨て用のポリバケツを思いっきり蹴り倒す。中には何も入って居ないようで、ポリバケツはぼこんと言う音を出して飛んでいき、少し先でごろんと転がった。人影の少ない裏通り、飲食店の裏口が並ぶその一角でこの程度の音が響こうが誰一人無関心だった。
 誰一人、ポリバケツに興味を示さない中、俺だけはポリバケツの転がった先を見つめていた。まあ、当事者であるからして当然なのだろうが。
 すると、そのポリバケツの口の辺りに何やら茶色の紙袋が確認できた。
「さっきは、紙袋なんて無かったが、ポリバケツの中に入っていたのかな」
 紙袋の口からは、四角い短冊状の紙の束がほんの少し顔を覗かせている。
 俺はおもむろにその紙袋を拾い上げ、中身を確認する。
 帯封がされたままの一万円の札束が5個。しめて五百万円也。
 俺は咄嗟に紙袋の口を閉じ、廻りを見渡した。そして、建物の陰に体を隠すと、再度紙袋の中身を見てみた。
 間違いない、全て本物だ。
「これか、この事か、あのメイド服不思議少女が言ってたのは」
 昨日のあの公園でのやり取りが、ふと頭を過った。
 突然降ってわいた五百万円、あの冗談みたいな願いが叶ったのか。
「一生遊んで暮らせるだけの大金が欲しい」
 そう、俺はあの時あの少女に半信半疑でそうお願いをした。
 そしてここに五百万……。
 この金で一生遊んで暮らせるとは思わないが、これからは、こんな形でお金が湧いて出てくる人生になると言う事だろうか。
 もしそうだとするならば、もう俺の人生怖いもの無しだぞ。メイド服不思議少女、えっと、なんだっけ、流王院彩御子とか言ったかな、あれは本物だったんだ。
 もう一度、紙袋の中を覗く。確かにある五百万。俺の心に何か分からないだけど、とても熱いものがこみ上げてきて、俺は思わず獣の様に叫び声を上げてしまった。
 この叫び声は流石に通行人にも聞こえたらしく、皆きょろきょろと声の主を探していた。俺はひょっと肩をすぼめ、紙袋を大きな黒カバンに押し込めると、気配を悟られないように、そっと物陰から駈け出した。
 やった、やったぞ、掴んだんだ俺は。これで、金が無い人生とはおさらば出来る。
 今の俺に何の迷いも無い。さあ、この五百万を持って新しい人生にダイヴするんだ! 今に見てろよ、今日まで俺をバカにしてきた庶民ども! せいぜい、汗水たらして歯車の様に、また牛馬の様に働き続けるがいいさ。うはははは……。
「真人さま」
 駆け出す俺を背後から呼び止める声がした。
 振り向くとそこには、昨日のあのメイド服不思議少女、流王院彩御子が満面の笑みでこちらに手を振っていた。いや、こんな裏通り、そんな格好で女の子一人で立ってちゃあぶないだろう……。
「おお、昨日の女の子」
「真人さま、良かったです、どうやら施術は成功したみたいです」
「いや、こんな所に女の子一人じゃ危ないだろう」
「大丈夫です、修行してますから」
 彩御子は、両手の拳を握りしめ「うん」と気合を入れる格好をした。
「ねえ、このお金は……そう言う事だよね」
「はい、大事に使って下さいね」
「そうか、いやあ、ありがとう。凄いよ彩御子ちゃん。本当、疑ったりしてごめんな!」
「どうか、幸せになって下さいね」
「ああ、これで俺の人生も変わるぜ」
 俺は、紙袋の中から、一万円札を数枚抜き取り、それをメイド服の少女に差し出した。傍目から見ると、とてもいかがわしく見えたに違いない。
「はい、お礼」
「いや駄目です。受け取れません。私は修行の為にやっただけですから」
「遠慮しないでほらほら」
「本当に駄目です」
 頑なな彩御子は俺の金を決して受け取らなかった。そんな頑なな彩御子と表通りまで一緒に歩いていき、そこで別れた。

「ええよええよ、何ってったっけ、そう、それドンペリゴールド、おお、構わんよ、出しちゃえよ」
「本当に? マーちゃんマジサイコー!」
「2番テーブル、ドンペリゴールド入りました!」
 まずは、男の夢、キャバクラでやりたい放題。眠らない街、大人のアミューズメントパーク、新宿歌舞伎町にやってきたぜ。両脇に、俺の好みの女の子をダブル指名だ。
 チャームでもドリンクでも、なんだって来い、受けて立ってやる。なんせ、金はあるのだからな。
「マーちゃん、あのね、フルーツ頼んでいい?」
 ホステスの甘ったるいおねだりが俺の耳をくすぐる。今までだったら「ああ、無理無理」の一言だったが、今の俺は違うぞ。
「おう、いいよミカちゃんの好きなもの何でも頼みな、うははは」
 携帯電話に会社から何度も着信があるが、そんなもの構っていられない。別にあんな会社に行く必要もないのだから。
 もうかれこれ3時間くらいになるのか、そろそろこの店にも飽きてきたな。
「お会計48万円になります」
 引き止めるホステス達を振り切ってチェックをしてもらう。48万円か、以外と使えないものだなお金って。大したことないな、この店も。
 ボーイからホステスまで店の人間総出かと思えるほどの人数で見送りされ、俺は店を出た。やっぱり金を持っていると違うな。ああ、何も気にせず金を使えるって、なんて気持ちがいいんだろう!
「そうだ、あいつに電話してみよう」
 2軒目を探すのもいいが、ちょっと飲みすぎた俺は、休憩がてら別れた彼女に電話してみようと思い立った。
 3コールくらいで、彼女は俺の電話に出た。
「もしもし、あの……俺だけど」
「どうしたの、急に?」
 電話を掛けたのは、彼女から別れを切り出された時以来だった。
「久しぶり、元気?」
「うん、まあ……で、何か用なの」
 そっけないが、声や言葉の癖は、俺と付き合っていた頃と何も変わっていないように感じた。
「いや、その、最近どうしてるかなと思ってね」
「別に……用が無いなら切るよ」
「ちょ、ちょっと待って、あのさ、欲しがってたバッグがあっただろ、あれ買ってやるよ、だからさ、もう一度逢わないか」
 もう、何も無いなんて言わせないぞ、金ならいくらでもある、寄り戻そうって言うんなら考えてやってもいいが、金だけが目当てならお断りだ。
「いや、いらない。別に真人君に買ってもらわなくてもいいし」
「なんだよ、あんなに欲しがってたじゃないか」
「てゆうか、何で真人君に買ってもらわなきゃいけないの」
「じ、じゃあさ、今度オーストラリアに行こうよ二人で、南半球の満天の星空を見に。いつでもいいんだ」
 金も時間もあるんだ。
「ごめん、真人君。私、いま彼氏がいるんだ。……だから、もうこういう電話は掛けてこないで。いろいろ面倒だから、じゃあね」
 電話は一方的に切られた。
 あいつ、もう新しい彼氏つくりやがったのか。何だよ、その新しい彼氏はあの目が飛び出るほど高いバッグを買ってくれるのか? オーストラリアへ連れて行ってくれるのか? 今の俺だったら何だって出来るんだぞ。
 もう一度電話をしてみたが、どうも電源が切られているようで、全く繋がらない。
 くそっ、もういいさ、あんな女! もうアドレスから削除してやる。俺は携帯電話のアドレス帳の彼女のページを開き、削除ボタンを押した。
「本当に削除しますか?」
 携帯電話が訊ねる。
「いいえ」
 俺はそう答え、携帯を仕舞った。
 そして俺は、顔を上げて最初に目に入ったネオンの店に入っていった。
 その店でも俺はやりたい放題してやった。他の客皆が俺をチラチラ見ていやがる。だが、そんな事はどうでもいい。庶民どもが物珍しげに金持ちをうらやましく見つめているだけじゃないか。
 2時間ほどで、この店にも飽きてしまい、俺は引き止めるホステスを振り切ってチェックをした。
「お会計は34万円になります」
 なんだ、前の店より使ってないじゃないか。
 俺は、会計とは別に、ホステス二人にチップを10万づづくれてやった。ホステスは大喜びで俺に抱きついてきたが、何だかちょっとうっとおしく感じた。
 まだ四百万もあるぞ、金を使うというのも結構大変なもんだな。いい加減飲み疲れたよ。
 そんな事を思いながら、店を出ようとすると、一人の店員が俺に声を掛けてきた。スキンヘッドのちょっといかつい感じの男だ。
「お客様、当店はお楽しみ戴けましたか?」
 見た目にあわず、随分低姿勢で礼儀正しい男だな。
「あ、はい、とても楽しかったです」
「そうですか、それは良かった。今後ともどうか当店をご贔屓に」
 男の低姿勢に釣られるようにして、俺も「はい、ありがとうございます」と言ってお辞儀をした。
「ところでお客様、この次のご予定はもうお決まりですか?」
「いや別に」
 俺がそう答えると、スキンヘッドの店員はにやっとして言った。
「そうですか、それは良かった。実はですね、お客様のような方に是非行っていただきたい所がございまして、ええ、私共の店の系列なんですがね、会員制のカジノクラブでございます。日本有数の会員制カジノクラブでございますから、会員様は皆きちんとした身分の方ばかりでございます。どうかお客様にもいちど足を運んでみられてはいかがでしょう、本来なら会員様の推薦の無い方は入店できませんが、私が話は通させていただきます。お客様もさぞ名の在る方でございましょうね、お金の使い方をよく知っていらっしゃる」
 政財界御用達の会員制カジノクラブだと? 現実にそんなものが存在するのか。これはすごいぞ! 俺もついにセレブの仲間入りなのか。この何の取り柄もなく、リストラ寸前だったこの俺が、日本の中枢におられる方々と肩を並べるというのか。
「いやいや、それほどでも……田舎の親のちっぽけな遺産が入りましてね。大して大きくもないビルやらマンション、マツタケ山とか……まあ、たいしたもんじゃないです。仕事しなくても一生食うに困らない程度ですがね。なので毎日暇を持て余しているところなんですよ」
 口から出まかせだ。まあ、でも似たようなもんだから良しとしよう。だって、俺はもう一生金には困らないのだから。
 俺は、スキンヘッドの店員に促されるままリムジンに乗り込み、その会員制カジノとやらに連れて来られた。立派な高層ビルのエレベーターに乗り、地下へ。
 エレベーターのドアが開くとそこは正に高級ホテルのロビーの様だった。中央には室内なのに噴水があり、高そうな服を着た紳士淑女たちが闊歩している。スキンヘッドの店員に案内され、フロントにやってきた。フロントの女性はとても品のある美しい女性だ。キャバクラの女どもとはまるで違う。これが選ばれた人間たちの空間か。
 優しく丁寧なフロントの女性の説明を受け、俺は手元にあった四百万円を全てチップ交換した。
「ここでは、一日で億単位で勝っていかれる方もめずらしくありません。どうぞごゆっくりお楽しみ下さいませ」
 スキンヘッドの店員は俺の耳元でそう囁く。俺は日本中の富が飛び交うゲーム場へ飛び込んでいった。
 きっと俺はこの場所で莫大な資産を築く為にあの五百万を拾ったのだろう。さあ、かかってこい、セレブ達、うかうかしていると俺が全て飲み込んでしまうぞ、うははは。

およそ一時間後〜

 おかしい、こんな筈じゃないのだが……。ルーレットはとても調子良かったのに、カードに移った途端に歯車が狂い出した。
 いつの間にか、元手の四百万は無くなり、五百万の借金が発生していた。こんな筈ではない。
「申し訳ございませんが、初めてのお客様には五百万が限度となっておりますので、これ以上はお貸しする事は出来ません」
 相変わらず丁寧な口調だが、フロントの女性は頑なだった。
 予定であれば、ここで大金が転がり込むはずなのに……。
「いや、金はあるんだ。ただ、今無いだけで、だから頼むよあと百万だけ、ねえねえ」
「そう仰られても、決まりでございますので」
 埒が明かない。
「お客様……」
 野太い声で背後から呼ばれて振り向いてみると、あのスキンヘッドの店員とその両脇に更にごつい男が二人俺の行く手を遮るように立ちはだかっているではないか。
「お客様、こちらでは他の方の迷惑になりますので別室でお話を伺いましょう」
「え、いやあの俺はただ……」
 問答無用だった。俺は二人のごつい男に両脇を抱えられ、フロントの奥にある扉の向こうへ引きずられるようにして運ばれていった。
 連れられた先は、豪奢というには少し違うが、虎の剥製や日本刀の摸造品など高価なものが多数飾られた応接室だった。部屋の真ん中にあるソファーには、真白な背広を羽織りワイシャツの胸元をはだけさせて、大股開きで座る男が一人。男の胸元には何やらカラフルな紋様がちらちらと見え隠れしている。
 俺はその男の前に放り出されるようにして、解放された。
「おう、カズゥ、良くやったな」
「へい兄貴、運が良かったです。こいつが警察に届けていたらやっかいな事になってました」
「運じゃないだろう、お前がしっかりアンテナ張ってたお陰だろうが。これからも頼むぞカズゥ」
「ありがとうございます」
 俺をほったらかしで、いかつい男たちの会話が繰り広げられている。何のことだかさっぱりわからないが、身の危険を感じずにはいられない。
「おい、お前」
「は、はい」
 突然、兄貴と呼ばれた白い背広の男は俺に話しかけてきた。
「お前、あの金どこで手に入れた?」
 なんてドスの聞いた重低音ボイスだろう。
「えっと、ひ、拾いました」
「どこで?」
 知りたくもない蛇に睨まれたカエルの気持ちを今知る事になるとは。
「商店街のう、裏道です……」
「ほう、なるほどな……この金はな、ある男が組から持ち逃げした、ちょっと訳ありの金でな。ずっと探しとったんだ。まだクリーニング前でな、警察にでも渡ったら札番でいろいろと足がついちまう面倒な金だった訳よ」
 完全にアンタッチャブルな世界に俺は引きずりこまれてしまったようだ。
「お前のお陰で金の大半は回収出来た。ま、それは感謝するが……だが、お前はやっちゃいけない事をやっちまったんだ。それは、組の金に手を出した事」
 俺は立ちすくんだまま何も出来ないでいた。本物の恐怖の前には声すら出なくなるのだと、俺はこの時になって初めて知る事になる。
 白い背広の男は、おもむろに懐へ手を差し入れると、黒い凶悪なブツを取り出した。本物は初めて見る。本物の拳銃はまるで質感が違う。
「残念だが、組の金を黙って使い込んだ奴ぁこうなる事に決まっていてな。こいつぁシロートさんだろうが、組内のモンだろうが関係ない。いわゆるケジメってやつだ。ここでお前を見逃したらこれから先シメシが付かないんでね」
 銃口が俺の額辺りに向けられる。
 おかしい、こんな筈じゃ……俺は今から大金を手に入れ順風満帆な人生を送るんじゃないのか? やっぱりあの流王院とかいうのは全くのデタラメだったのか? この金を拾ったのも全くの偶然だったのでは。一生遊んで暮らせるだけの金が……。
 待てよ……
 一生遊んで暮らせるだけの大金、という事は、逆を返すと、その金を使い果たした時、俺の人生が終わる……という事か? 
 最初から俺に与えられた金は五百万円しかなかったのだ。それが俺の一生を掛けて使う金だった、そして俺はその五百万円を全て使い果たしてしまった。俺の人生も使い果たした金と共にその寿命を終えると、そういう事なのか? それならば全てつじつまがあう。あのメイド服の少女が言っていた事も俺の本意とはかなり違うが、その施術なるものは成功していると言わざるを得ない。

 死ぬのか俺は――

「殺す前にもうちょっと詳しい話を聞こうか。こいつを奥の部屋へ連れていけ」
 低姿勢だったあのスキンヘッドの男が俺の腕を掴んだ。
「ちょっと待って下さい」
 俺の渾身の言葉が口をつく。
「最後に電話だけいいですか? 別に助けを呼ぶだとか警察に電話する訳ではないので」
 スキンヘッドの男は、自分で判断付かないのか、目で兄貴分の男に確認する。
「放してやれ」
 兄貴分の言葉でスキンヘッドは俺の腕から手を放した。
 ああ、俺は何故気が付かなかったのだろう、あのメイド服少女の言う事が本当だったら、俺の馬鹿げた願いの為に誰かが死んでいるということではないか。
 ポケットから携帯電話を取り出し、俺は久しぶりにこの電話番号に掛けた。
 しばらくして、電話が繋がった。
「おふくろ? 久しぶり、俺だけど。こんな夜中にごめんな。ああ、ごめん、もう何年ぶりかなあ、電話するの。ん? いやね、皆元気にしているかなって思ってね。……別にそんなんじゃないよ。父さんも元気にしてる? ああ、替わらなくていいよ、元気ならそれで。みんな元気ならそれでいいんだ。じゃあね、おふくろ。ん? ああ、また電話するよ、ああ、ああ、いいって替わらなくて、うんわかったよ、じゃあね……」
 
 なかなか電話切らせてくれないや。良かったみんな無事みたいだ……。

「さ、行くぞ」
 スキンヘッド男が再び俺の腕を掴む。俺は何の抵抗もせず、虎の剥製の向こうにあるドアの奥へ連れられていった。


流王院流呪術総本山 流王院亜須虎邸にて〜

 
「お師匠、結局私は真人さまを幸せにして差し上げる事が出来ませんでした……失敗です。まだ、全然駄目です」
 メイド服を着た少女が、うなだれながらヨレヨレのジャージを着たおやじと何か話をしている。
「いいかい、彩御子、覚えておくんだ。相手の願いを叶えてやる事が必ずしも相手を幸せにする事とは限らないんだ。流王院流呪術は人を幸せにする為のものじゃない。ただ、相手の願い事を叶えてやるだけに過ぎないんだ。我らの手で人を幸せにしようなんて思うのはおこがましい事だ。彩御子、お前はまだ若い、もっといろいろ社会を見て、修行に励みなさい」
「はい……」
「それから、何が幸せで何が不幸のせかなんて、本人にしかわからないものさ。案外、あの男も幸せだったんじゃないのかな」

「ご主人さま、お屋敷の方に○○国の第一王子がお見えになっておりますが」
「おお、もうそんな時間か、今行く」
 ヨレヨレのジャージを着たこの屋敷の主人にして彩御子の師匠、流王院亜須虎(りゅうおういんあすとら)はそう言って、彩御子の前を去っていった。
 去り際に彩御子の尻をつるりと触っていったのは、彼の挨拶代りみたいなものだった。




                           了






2009/08/16(Sun)11:19:57 公開 / オレンジ
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■作者からのメッセージ
こんにちは、もしくははじめまして。
拙い作品をお読みいただきありがとうございました。
以前こちらに投稿しました、「家庭地獄」という作品の外伝的に流王院の能力にスポットを当てて書いてみました。
でも「家庭地獄」を読んでいない方でも分かる構成になっていると思いますので、良かったら読んでやって下さい。

後編、何とか書き上がりました。ラストをああいう形で終わらせた所には賛否があるかもしれません。
そんな点も含めて、お読みいただけたら幸いです。

さて、書きかけの長編の続きに取り掛かるかな。

忌憚のないご意見ご感想お待ちしております。
最後までお読みいただきありがとうございました。


作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
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