『しかめっ面でプリン』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:言弾ノイテ                

     あらすじ・作品紹介
 とある女性による、祖父との思い出の回顧。

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 ――祖父は大の甘党でした。
 ですが食べるのはいつも和菓子で、実は洋菓子を食べるところを見たのは一度きりしかありません。
 これは、祖父がわたしの前で洋菓子を口にした、その時のお話です。

 随分前の話で、その頃何を考えて急にお菓子作りなんて始めようと思ったのか、もうはっきりとは思い出せません。
 当時のわたしはとても飽きっぽい子供でした。そのくせ最初から上等なことをしたくて、色んな道具を買い揃えさせるのです。実家に行けば、トッカエヒッカエされた趣味の残骸が今もわたしの部屋に積み重ねられています。釣り道具ですとか、絵描き道具の一揃いですとか、楽器は流石に高価だったので安物のバイオリンですとか、後はテニスラケットですとか。お菓子作りの道具一式も、そうやって買って貰ったものの一つでした。
 せがむ相手は、決まって祖父。おじいちゃん子でしたし、祖父の方も、今考えてみると甘過ぎるのではないかと思える位わたしに優しかったのです。
 甘党だったからでしょう。
 もう大方の予想はついているかと思いますが、祖父が食べた洋菓子を作ったのはわたしです。
 まだ真新しい道具を弄んで作ったカスタードプリンでした。
 クッキーを焦がす等の失敗を何度か経験した後で、初めて自分で「上手くいった」と思えたひと品だったのです。
 今思えばあれはさほど大した出来ではなかったのですが、素晴らしいものが出来たと思い込んでいたその時のわたしは、とにかくそれを誰かに食べてみて貰いたくて居ても立っても居られない心持でした。
 当時は祖父母と、両親と、兄とわたしの六人で暮らしていたのですが、そのとき祖母と両親は買い物に出掛けていて、兄はフットボールクラブの日で、家に居たのはわたしと祖父だけだったのです。まだ祖父が洋菓子を好まないことなど知りませんでしたから、わたしは恐れ知らずにも祖父のところへそれを持っていって、食べてみてくれないかと頼んだのでした。
 その時の祖父の様子ははっきり覚えています。
 くしゃみをする前のヒョットコみたいな顔で、わたしに、
「こりゃ何だい?」
 と尋ねたのです。
 出来損ないの茶碗蒸しの様な代物をいきなり突き出されたのですから、そんな反応になるのも無理はありません。
 ですがわたしは「いいから食べてみてよ」と祖父に無理矢理お皿とスプーンを持たせました。
 ひょっとしたら、あのときの祖父の言葉は「こりゃ難題」だったのかも知れません。
 ともあれ、わたしの様子と、少し前にわたしに調理器具を買い与えたことから何となく事情を察したのでしょう、祖父は渋い顔ながら頷いて、スプーンをお皿の上のものに刺し入れ、一すくいを口に運んでくれました。
 そしてすぐにこう言ったのです。
「苦いな」

 苦い、です。
 普通、過度にカラメルを焦がしたりしない限り、カスタードプリンはまず苦くなったりはしません。
 その時のプリンは、まあ少し火が通り過ぎだったにしても、食べられないようなものでは決してないはずとわたしは思っていました。
 けれども祖父は確かに「苦い」と言い、苦そうな顔をして、しかもそうしながら結局全部平らげたのです。
 作ったものへの自信と、祖父の普段の優しさから、わたしは甘い評価を期待していました。だから祖父がわたしに否定的な評価をしたのに驚き、しかもそれが「苦い」という予想外の感想だったこともあって、すっかり何も考えられなくなってしまっていました。
 原因を調べに台所へ戻るとか、本当に苦いのか自分で確かめるとかもせずに、ただ祖父がプリンを口に運ぶのを見ていたのです。

 食べ終えてから、祖父は真顔になって言いました。
「じいちゃんな、お菓子にはうるさいんだよ。××××(わたしの名前です)が作ったものだからって今食べたけどな、次に持って来てくれる時は、もっと上手になってからにしてくれな。後じいちゃんあんまり洋菓子は好きじゃないんだ。もしじいちゃんにこういうお菓子を食べて欲しいって思うんなら、お店が開ける位になってからにしろな」
 そう言って、まだ十を少し過ぎたばかりの孫にお皿とスプーンを返したのです。
 容赦無いでしょう?
 わたしはてっきり、穏やかに笑いながら「次は頑張ってな」等と言って頭を撫でてくれたりするのだろうとばかり思っていたのです。そこへ向けて「出直してこい」と言われた訳ですから、もう物凄く動転してしまって、その日は晩までずっと泣き通しでしたし、次の日は熱を出して寝込んでしまって、何とか立ち直ったのは三日が経った後のことでした。

 それからというもの、わたしはどうにかして祖父に洋菓子を食べさせたい一心で、お菓子作りにのめり込んでゆきました。
 祖父は内心で孫の飽きっぽさを心配していたのでしょう。始めのうちこそ孫のトッカエヒッカエを見逃していたものの、一家言あるお菓子に事が及ぶに至って我慢ならなくなり、それで戒めのつもりであんなことを言ったのではないかと思っています。
 やるのなら、一つのことをとことんまで極めろと。
 わたしはまんまとそれに乗せられて本気になり、方々で修行を積み、途中からはものを作ることの面白さに目覚めて最初の動機を忘れてしまい、そうして気が付いてみれば、こうして一軒の洋菓子店の主をやっているのです。
 今ならきっとわたしのプリンを食べてくれるだろうと思うのに、肝心の祖父は逝ってしまいました。あの時の様にプリンを差し出したらどんな顔をするか、とても見たかったのですが、残念でなりません。
 けれど、きっと、こう言います。
「じいちゃんな、お菓子にはうるさいんだよ。××××が作ったものだからって今食べたけどな、次に持って来てくれる時は、もっと上手になってからにしてくれな。後じいちゃんあんまり洋菓子は好きじゃないんだ。もしまたじいちゃんにこういうお菓子を食べて欲しいって思うんなら、世界一の職人になってからにしろな」――


――――――――


 線香の煙が途中で揺れた。わたしの吐いた息でだった。嗅ぎ慣れた、けれど久しく嗅いでいなかった実家の匂いが、すこし鼻に届く。
 閉じられた窓の外からアブラゼミの声が聞こえてくる。仏壇の周りには所狭しとお供えが置かれていて、ここ数日の間に何度も来客があったことをうかがわせた。
「……何これ」
 呟く。煙が今度は大きく揺れる。なんだか行き先を迷っているみたいに見えた。
(わたしにしては言葉が硬すぎるって、おじいちゃん。ヒョットコなんて見たこともないし)
 原稿用紙から目を離す。最近見付かった遺書の封筒に同封されていたというそれに書かれた文章――その中の「わたし」は、明らかにわたしだった。 
 書かれてある出来事も、よく覚えている。あの時から祖父と疎遠になっていったのだ。お菓子作りもそれっきりだ。だから当然、今のわたしはパティシエールではないし、自分の店も構えていない。単なる地方公務員だ。
 あの時わたしは、「ただの趣味なんだから、少しくらい出来が悪くても見逃してくれたっていいじゃないか」と思っていた。それっぽいものができれば十分満足だったし、それ以上のことができるとも思えなかった。そして、しようとも思わなかった。
 趣味で楽しめさえすればよかった。
 周りの人たちがちょっと笑ってくれて、「でも、やっぱりシロウトだね」と言われるくらいが、わたしにはちょうどよかったのだ。
 紙を脇に置き、目を閉じる。
 このお話はきっと、こうあってほしいと願ったヴィジョンなのだろう。
 他の選択肢を捨て、一つだけを選ぶことを求めたヴィジョン。
 わたしにそれはできない。全部、同じ重さなのだから。
 だから今も、それらは二階のわたしの部屋でひっそりと地層を作っている。捨てられることもなく。

 しかめっ面でプリンを食べる祖父が目に浮かぶ。
 そのプリンは、祖父からすれば、あまりに甘過ぎたのだろう。
 許せなかったのだろう。
 けれど、
「お菓子を作る人がみんなお菓子職人になりたいんじゃないんだよ、おじいちゃん」
 わたしは仏壇に手を合わせた。

 目を開く。
 仏壇の遺影もしかめっ面をしている。
 煙はもう散り散りとなって、正体をなくしていた。


("A bittersweet pudding" is closed.)

2009/06/13(Sat)02:38:11 公開 / 言弾ノイテ
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 大多数の方には初めまして。そうでない方にはこんにちは。言弾です。

 ふだんはこちらに投稿された作品に感想を提供している私なわけですが、そういうことをしている当の自分の文章は実際のところどんなもんなんだろうと気になりまして、皆様に評価をいただこうと思い昔書いた文章をひっぱり出してきました。
 利用者リストには読者で登録していますが、読者が作品を投稿することを禁じる規約は特に見当たらなかったのでまあ構わないだろう、と。

 そういうわけで、ご意見ご感想等、お待ちしております。

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