『霧でかすむ水平線』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:春野藍海                

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
 いつの日かに父と一緒に作った巣箱の屋根は、今はもうどこかへ消えていた。「どれくらい前からだっけ」と途方もなくそう思ってみる。でも、誰も答えてくれない。なにも答えてくれない。その巣箱自体ですらも。
「嫌われちゃったのかな」
 肘を机につきながら、窓の向こうで容赦なく降下するぼた雪の群れに話しかける。
「あなたたちなら、その巣箱に尋ねてくれるような気がするんだ」
 無表情でそう考えてみても、何の返答もない。
 最近よく見る忙しない夢の雰囲気を、ふと思いだしてみた。ここ数カ月、めっきり姿を見せなくなった人――夢で最後に見かけた――の面影を重ねながら。
誰に追われているのか見当もつかないけれど、とにかく忙しいその夢の、ぽつりぽつりとなんとなく覚えているシチュエーションを必死にかき集めている自分を顧みて、「なんてムダなことしてるんだろう」と鼻で笑った。
 机についている肘の右斜めに腰をおろしている、煤けた灰色のマグカップに入った生ぬるい玄米茶を口に流し込む。どこかどろりとしている慣れない舌ざわりに、腐ってんじゃないかと一瞬思案した。でも、そんな物だろうがもう食道を過ぎてしまえば、どうでもよくなる。再び、意識を外の巣箱に移した。





 ―― 一定のリズムで、淡々と刻む電子音に腹が立って、機械をかち割りたくなった。
 弟は何かの作文にそう記していた。「そうか。あの時、同じことを思ってたんだね」となんだか安心した気持になれたのは、きっと私だけだろう。
 周りのモノ全て――今まで悩んできた――がどうでも良くなるような時間は、今度いつ来るのか。でも、あんな状況にならなきゃ、そういう時間が来ないと言うのなら、私はきっぱりとこの世を制する者に「いらない」と告げる。
 だって、あんな思い二度としたくないから。しばらくは、当分はしなくていい。……きっと、またいつかは来る思いなのだろうけど。



「今度、休みの日にまた来るからね」
 何度同じようなことを口にしたのか。数えても、数えようとしても、そんなことはしたくないと意志が途切れる。
どうして行かなかったのだろう。あんなに近くにいたのに。私が家族の中で一番近くにいたのに。
 今から思っても遅い悔い。どんなにエンドレスリピートしようが、現時点ではもう意味のないことだから。……でも、そう言うことを分かっていようが、同じことを繰り返してしまうのが人間の性。いや、私の性だ。
ごめん。ごめんなさい。許してとは言わないけれど、ごめんなさいだけは言わせてほしい。



 ――安い船があったから、この前買ったんだ。船って言っても遊覧船みたいな船だぞ。夏休みになったら乗りに来い。番茶とおやきでも持って、海に出よう。
 幻想と苦しさにうなされながら、酸素マスクをつけた祖父が私にそう話しかけた。
「うん、楽しみにしてるよ」
 泣かない。絶対におじいちゃんの前では泣かない。そう決めていたのに、涙は堰を切ったように溢れ出す。そんな私は、祖父にその言葉をかけるだけで精一杯だった。





 「これから買い物に行ってくるけど、何か買ってくるものある?」
 リビングから母の声が響き渡ってきた。なにもいらない、そう言いかけて私は台詞を訂正した。
 「おやき、二つ買ってきて!」 
 もう一度、外の壊れた巣箱を見つめる。寒空の下、僅かに雪を被りながら、壊れかけていても胸を張ってそこにいた。いつもと同じその場所に。
 
 一緒に船に乗って海に出よう。いつでも私は出られるよ。



2009/05/31(Sun)12:55:18 公開 / 春野藍海
■この作品の著作権は春野藍海さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 まだ薄っすらと雪が積もっている時に書いた作品なので、時期は少々ズレが生じています;連載の方がかなーり滞っているのもあり、短編でリハビリしようと書いてみました。ショートにしては短すぎると思うのですが、いろんな思いが詰まっていることもあり、どうしても投稿したい作品だったので、そのまま改訂せずに投稿してしまいました。少し、実体験も含まれていて主観的になっている部分もありますが、感想・アドバイス等を頂けると嬉しいです。


作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。