『蒼い髪7』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:土塔 美和                

     あらすじ・作品紹介
 王位継承争いで危険視されるようになったルカは、某人物によって毒を盛られる。それを救ったのがルカに寄生する意思だけの存在のヨウカ。彼女が人前に現れる時は、白蛇か女人の姿をとる。その一部始終をルカに説明したリンネルは、疲労のせいでその様な幻覚を見たと思われ、十日間の休暇を取らされた。

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 リンネルが十日ほどの休暇で館を空けている間の臨時の指南役は、ハルガンだった。
 ハルガンは道場で待っている。
 道場と言っても、離れの床を板張りにしただけだ。あまり広くはない。だが剣を振り回すには充分な広さがあった。天井も高い。
 そこへルカが走り込んで来た。
「遅いな」
「すみません」
 ルカの日程は、午前中はおもに家庭教師が付いての勉強。午後は貴族としての嗜みの習い事。日によって違うが楽器を演奏したり絵を描いたりダンスをしたり。それが終わって武術や乗馬と、結構忙しい。暇を持て余しているハルガンとは違う。
 見ればハルガン以外にケリンとレスターがいる。
「どうしてお二人が?」
「決まっているだろう、ハルガンがむきにならないように見張っているのさ」
「何で俺が、こんなガキ相手にむきになるんだ?」と、ハルガンは既にむきになりつつルカを指し示した。
「殿下は、大佐から一本取りますからね」
「つまり、俺がこのガキに負けると」
「そうは言ってませんよ」
「そう、聞こえたな」
「時間がない、始めたらどうだ」と言うレスターの一言で、二人のもめ事は一応のけりを見た。
「まあ、何かあったらお前が俺のこの指を撃ち落とすってか」
「そんな面倒なことはしないぜ。直接脳味噌を吹っ飛ばしてやるよ」と、腰のプラスターに手を掛けながら。
 死神の異名を取るレスターの銃の腕は、この隊では知らないものがいない。
 ハルガンはやれやれという顔をしてルカの方に振り返ると、
「俺は大佐とは違う。あんな形式ばった剣の使い方などやらない。俺が教えるのはもっと実践的なものだ。明日にも使える。いや今からだ」
 ハルガンは懐からサバイバルナイフを出すと、
「これさ」と言ってルカに見せた。
「近距離では、これが一番役に立つ」
 ハルガンは足元に置いてあった袋をルカの所へ持っていく。
「何ですか、これ?」
 ハルガンが袋から取り出すものを見て、ルカは訊いた。
「防御服だ。着ろ。大佐が居ない間に、お前に怪我でもおわせたら、えらい騒ぎになるからな」
 それは特殊な金属で織られたハイネックの長袖のシャツとタイツのようなもので、収縮性があり体にフィットした。見ため以上に軽い。
 ルカが服の上からそれを着ようとしたら、
「服の下に着るんだ」と、ハルガンは自分のシャツのボタンをはずし、既に着ている姿を見せる。
 首元にスカーフを巻き、シャツのボタンをかけてしまえば、着ているのがわからない。
 なるほど。とルカは感心しながら、シャツを脱ぎその服を着始めた。
「これでも、このぐらいのナイフは防げる」と、ハルガンは自分の腕に力まかせに切り付けた。
 ジャケットの袖は見事に切れたが、腕はなんとも無いようだ。
 レーザーも拡散して防ぐ優れものらしい。
 これでは脳みそを吹っ飛ばす以外に、相手を仕留める方法はないな。とルカは納得した。
「これから王宮へ行くときは、これを着て行け」
「その必要はありませんよ」
 いくらなんでも、王宮で毒を盛ったりはしないだろう。
「俺たちが護衛をするわけにはいかないからな」
 ルカはここは逆らわずに、考えておく。とだけ答えた。
 彼らが自分を思っての行為だから。と下手に逆らえば十倍になって返ってきそうな気がしたから。
 ハルガンはナイフをルカに手渡すと、急所の位置を教える。
「そこを狙って来い」と、ハルガンはルカの元から飛びのき、間合いを取る。
「えっ、避けるのではなく」
「あたりまえだ、そんなことしていたら自分がやられる」
 言うが早いか、ハルガンはかかってきた。正確に首筋だけを狙って来る。
 ルカは寸前のところでよけた。
「ちょっと、まだ」 用意が出来ていないと言いたいところだが、
「何だ、襲撃にまったはないぞ」
 そのまま戦闘体制に入った。
 じわじわと間合いを詰めてくるハルガン。
「足を開いて腰を落とせ。前後左右に動けるようにするんだ」
 ハルガンのナイフがマシンガンのように襲って来る。切り付けられるごとにシャツが裂けた。防御服を着ていなければ、今頃なますになっている。
 速い、やばい。と思った時には、ナイフを持っている腕を取られ、背後からはがいじめにされていた。ハルガンのナイフが顔面に向かって来る。
 ハルガンはルカの目前でナイフを持ち替え、拳がルカの顔面を襲った。
 痛い。と思うと同時に突き飛ばされた。
「押さえ込まれたら、指にでも噛みつけ。股間を蹴り上げるんだ」
 なるほど、そういう手もあるのか。とルカは床に這いつくばったまま思う。
「早く立て。もう一度だ」
 毒を盛られて以来、ハルガンの稽古は厳しくなっていた。手加減をしない。全身汗だくになった頃には、顔をはじめ手足には無数の痣が出来ていた。もっとも防備服を着ていたから痣で済んだが、着ていなかったら今頃生きてはいないのではないか。
「少し、休憩するか」と、道場の隅により水分を取り汗を拭いていると、来客の知らせがあった。
「来客、誰?」
 この館に来る客は限られている。
 カロルだろうか。でも彼は、今学校のはずだが。
「ハルメンス公爵です」
「ハルメンス」
 ハルガンの顔相が一変した。
「何しに来た」
「お見舞いだそうです」
「今、着替えてから伺います」
「そうお伝えいたします」と、執事が去ろうとした時、
「待て」と、ハルガンは執事を呼び止める。
「帰ってもらえ」
「どうしてですか、せっかくお見舞いに来て下さったのに、失礼です」
「奴とは、付き合うな」
 執事はどうしてよいか迷った。
「居間にお通し下さい。シャワーをあびたら直ぐに参りますので」
 執事は頭を下げてその場を去る。
 ルカがその後を追って道場を出ようとした時、
「話がある」と、ハルガンはルカの腕をつかみ引き戻す。
 ハルガンは執事が去り、四人だけになったのを確認すると、まあ座れ。と言って話し出した。
「あいつは、玉座を狙っている」
「えっ!」と、驚くルカに、ハルガンは話を続けた。
「はっきりした証拠はない。いや、あっても奴の力でいくらでも握りつぶせる。だから誰も何も言わない。宮内部ですら、奴をマークしている。そんな奴と親しくしてみろ、いつこっちに火の粉が飛んでくるか知れたものではない」
「そうだったのですか。それであなたは彼を毛嫌っていたのですか」
 女のことなどではなかったのだ。
「そのために、お前を利用しようとしているんだ」
 ルカは暫し考える。
「それでしたら、僕より利用価値の高い王子はいくらでもおります。よりによって僕などに声を掛けても、何の得にもならないと思いますが」
 確かにそうだ。ピクロス王子などの方が血も高貴だし、こいつより遥かに御しやすい。どうせ利用するなら、御しやすく玉座に近い王子の方が得策だ。
 それもそうだな。とハルガンは顎を手でさすりながら考える。
 だが、奴の狙いが玉座ではなく、もっと大それたものなら。
 奴の欲しているのは高貴な王族の血ではなく、王族の血に混ざった平民の血ではないのか。
「とにかく、奴に近づくのはよせ。火傷してからでは手遅れだ」
「わかりました」と、立ちだそうとするルカに、
「何が、わかったんだ」
「そのこと、心に留めて気おつけます。利用されないように」
「どうやって」と、今まで黙って二人の会話を聞いていたレスターが口を利く。
 彼は無口な人物で訊かれたことにしか答えない。それが自分から問いかけてくるとは珍しい。
「どうやって、と言われましても」と、ルカが答えに窮していると、
「洗脳という手もあるんだぜ」と、レスター。
 死神レスター、名前をレスター、家名をピゴット、門名をリメルという列記とした貴族だ。だが彼の家庭も平民と大差なかった。その五男に生まれたレスターは、物心付かないうちに軍に売られた。家族の生活のために。そこは俗に言う人間魚雷の製造所。幼い頃からギルバ帝国のために死ぬことは名誉なことだと叩き込まれ、ありとあらゆる人の殺し方を学ぶ。そして最終任務は、敵の本拠地に乗り込み自爆することだ。やり方としては、数人でチームを組み、救援物資の輸送船を装う。だがその荷物は救援物資などではない。大量の爆弾。基地は見る影も無く吹き飛ぶ。レスターもその任務を受け出動したのだが、彼への洗脳は完全ではなかった。その船は任務を遂行していたが、彼だけは途中で離脱していた。宇宙をさ迷うこと数十日、気がつけばクリンベルクの館で下僕として働いていた。名前はレスターのみ。家名も門名も売られた時に捨てた。名前のみでも戦争孤児だと言えば通用する。それほど戦争で両親を亡くし、自分の名前すら知らない子供が増えている。クリンベルク将軍に見初められたのは銃の腕。館に侵入した泥棒を一発で仕留めたことによる。それも暗闇の中かなりの距離から。それで護衛兵に抜擢された。
 だがその生い立ちからあまり人と付き合うことが無く、いつも単独行動を取っていた。彼も軍隊行動の取れない一人だ。
「洗脳されれば自分の意思とは関係なく、体は動く」
 それが正しいことだと思い込み。
「洗脳は薬や暗示だけではない。無意識に訴えることが出来るものなら、高周波でも低周波でも光でも、かけることが出来る、殿下が知らない間にな。心地よい言葉には特にだ。それが洗脳の始まりだ。」
 ルカは驚いたようにレスターを見た。
 彼とはあまり話したことがない。だが、王族専用の病院には気をつけろとリンネルに忠告したのもレスターだと聞いている。
 彼はケリンとは違う別の情報網を持っている。いや、持っていたのかも知れない。
「人を操るとは意外に簡単なことだ。まあ、中には洗脳の効かないものもいる。俺のように、そうとうひねくれていればな。あっ、そう言えば殿下もそうとうひねくれているそうですから、もしかすると大丈夫かもしれませんね」
 最後はレスターらしからずおどけて見せていた。
 ルカは暫し考えた。
 なるほど、勝つためにはいろいろな手段を使うものだ。しかしクリンベルク将軍は何をお考えんのだろう。こうも変り種ばかりこの館に送り込むとは。
 ここは軍人のゴミ箱だと言ったのはハルガンだった。隊で厄介視されていた者の吹き溜まり。クリスなどはまともな口かと思っていたら、彼は真面目すぎて厄介視されていたようだ。
「わかりました、あなた方のご忠告、肝に銘じます」と、ルカは立ちだすと踵を返す。
「おい、人の話、聞いていたのか」
「はい、聞いておりました」
「じゃ、何処へ行く?」
「客人を、待たせておりますから」と、ルカは道場を後にした。
 ハルガンは暫しほうけたように突っ立っていたが、腹の底から怒りが込みあがってきたようだ、いきなり右足の靴を脱ぐと、それを思いっきりルカの出て行った扉に叩きつける。
「この、くそガキ!」
 靴は可愛そうなぐらいな悲痛の音を立てて跳ね返ってきた。
 どうやらハルガンの靴が持たないのは、ここら辺に原因があるようだ。
 ケリンがそれを拾ってハルガンの所まで持って行き、丁寧に床に置く。
「お育ちがわかるね」
 ケリンとハルガン、どちらが紳士なのか。
 ハルガンはむっとした顔でレスターをねめつける。
 レスターは視線をそらして宙に漂わせる。
「まあ、主が使用人の言うことを聞かないのは、今に始まったことではないから。でもまだ、ここの殿下はいい。無理難題は言い出さないから」
「じゃ、なんだい。俺は無理難題を言い付けたとでも言いたいのか」
「さあ、それはどうでしょう。俺は、キングス家に仕えたことがないから」
「仕えなくってよかったな。この歳でこれだ。ガキの頃はもっと酷かっただろうぜ」
 今度は靴がレスターの顔目掛けて飛ぶ。
 だがレスターはほとんど体を動かすことなくそれを寸前の所でかわす。物との距離感は正確だ。
「でも、殿下の言うことにも一理ありますね」
「ハルメンスの欲しがっているのは、奴の体内に流れる平民の血だ」
「平民の血?」
 それがあるからこそ、ルカは王子の中でも蔑まれ最下位の位置しか与えられないのに。

 ハルメンスはルカが来るまで、居間でナオミを相手に世間話をしていた。女性を飽きさせない流暢な会話。ハルメンスはナオミに紳士としての礼を尽していた。
 そこへ、
「でっ、殿下が」と言う侍女の悲痛の叫び。
「ルカが、どうしたのですか」
 ナオミは言うが早いか、ルカの元へ走り出していた。
 脳裏には、また、何か。という思いがある。
「あの子は、どこに?」
 侍女は先に立って案内する。
 脱水所。そこにはルカが今着ていたであろう服が、ぼろぼろの状態で掛かっていた。
「こっ、これは!」
 だがハルメンスはその服よりも、その下のかごの中に入っているものに注目した。
 防御服。なるほど、それでこれだけずたずたになっていても血痕がないのか。
 ナオミは奥へと入って行く。
 カーテンの陰、
「痛いです。もう少し、優しくできませんか」
「男でしょ、少しは我慢しなさい」
 シップ薬を貼ったのだろう、その上から叩く音。
「お願いです、もう少し優しく」
「どうすれば、こんなに痣だらけになれるのですか。木から落ちてもこれほどにはなりませんよ」
 口も動くが手も動くようだ。リサはてきぱきと薬を貼る。
「こんなお姿を、奥方様が見たら」といいかけた時、カーテンが開く。
 二人は反射的にその方向を見た。
「奥方様!」
「母上!」
 二人の声はほぼ同時だった。
 ルカは急いで近くにあったタオルケットで体を覆う。
「何が、あったのですか」
「剣の修行です」
「誰と」
「ハルガンと」
 ナオミは暫し黙り込んだが、
「彼は、乱暴すぎます」
「母上、彼は悪くありません。僕が悪いのです。僕が彼の切っ先をうまく避けられなかったから」
 ナオミは何も答えない。
 ルカは必死でハルガンを庇う。
「母上、彼は彼なりに僕を思ってのことです。養子を断るなら、実践的な訓練の方がいいと」
 ナオミは黙っている。だが、今のルカの言葉で何か決心したようだ。
「申し訳ありません、私の早とちりです」と、侍女が詫びる。
「いえ、僕がよく説明すればよかったのです。先を急いだために」
 廊下ですれ違った時、そのまま走り去ってしまった。
 いらぬ心配を母に掛けてしまった。
 それからルカはおもむろにハルメンスの方を向くと、
「申し訳ありません、こんな姿で。今、着替えてから参りますので」
 どうか居間で待っていて欲しい。
「ルカ」と、ナオミは思いつめたように、
「村へ帰りましょう。ここにあなたは不要です、王子は何人もいるのですから。でも村ではあなたは必要なのです。あなたの身に何かあれば村は砂漠と化してしまうのです。村へ帰りましょう」
「母上、それは迷信です」
 だがナオミはルカの言葉など聞いてはいなかった。
「宮内部に掛け合って来ます」
 言うが早いか、ナオミは踵を返して歩き出す。
「母上」
 追いかけようとするルカを、ハルメンスは止めた。
「私の方からよくご説明いたしましょう。あなたがもう村には戻れないことを」
 ルカはハルメンスを見上げる。
 ハルメンスは頷くと、
「クロード」と、彼の執事を呼ぶ。
「私が直接お話するより、君の方が適任だろう」
 クロードは傍らで棒立ちになっている侍女に、奥方の所まで案内してもらうことにした。
 王子として生まれた以上、もうこの王都から出ることはできない。例え王子の肩書きを返上したところで、その肉体に皇帝の血が流れている限り、宮内部はその血が利用されるのを嫌う。帝国が揺らぐ一番の原因になるからだ。もしどうしてもここを去ると言うのなら、その時は、闇の中に葬られるだけだ。現に過去にも、ここの生活を嫌って王子としての権利を全て放棄した者がいる。だが彼らが生きていたためしはない。
 ただの平民なら、生まれる前に処置されていた。僕は、ただの平民ではなかったから、生かされた。村の言い伝えが僕を救ってくれた。だが僕は普通の人間だ。神などではない。
 ルカはハルメンスの目の前で一人で着替え始めた。
 王子がひとりで服を着る光景は珍しい。
「ひとりで着られるのですか」と、ハルメンスは感心したように言う。
「こんなことで、侍女の手を煩わせては申し訳ありませんから」
「他の王子は、介助がなければ服もきられない」
「他の館は、手が多いですから」
 一人の王子に何人もの侍女が付いている。だがナオミは、自分の事は自分でやる。という主義だから、必要最低限の侍女しか付けない。
 見ればリサはリサで薬の後片付けをしているだけだ。
「随分酷くやられましたね。彼はあなたに恨みでもあるのではなのですか」
「少しはあるかもしれませんね、僕は全然彼の言うことを聞きませんから」
 ルカはここへ来るまでの光景を思い出していた。
 ハルメンスは笑う。ルカも釣られて笑った。
 胸の青黒い痣。噂には聞いていた。今、体のどの痣より酷い感じがするが、その痣にはシップ薬は貼っていない。
「痛くないのですか、その痣」
 ルカはハルメンスの視線をたどり、
「ええ、これは別に。ただ、疼く時があるのですが」
「疼く?」
「何時だったか忘れましたけど、一度だけ」
 あれは確か、リンネルが弓の稽古をしようとした時ではなかったか?
 リサは薬を片付け終わるとルカの方を見て、
「殿下、剣術の稽古もよろしいですけど、程々にして下さい」
「程々というわけにはまいりません。カロルさんは、僕がさぼっている間にかなり腕を上げたと聞きました」
「それは、カロルさんには強くなってもらわなければ困ります。あの方は、あなたを護衛する人です。殿下は彼に守ってもらう立場の人なのですよ。それなのに、何故、守ってもらう人が護衛をする人より強くならなければならないのですか。逆ではありませんか」
 言われてみれば、確かにそうだとルカは思った。だが、気持ちはそうは思っていない。
「僕は、カロルさんにだけは負けたくないのです」
「まぁ」と言ったきり、リサは何も言わなかった。
 こういうところが、大人びた殿下の唯一の子供っぽさ。このアンバランスがリサは好きだった。
「でも、カロルさんにも花を持たせてやって下さい。あの方は護衛が任務なのですから」
「わかりました。リサに言われたから、今度はわざと負けます」
「そんなことをしたら、あの方は怒るでしょ」
 結局この二人は、よきライバルなのだ。私の口出す隙はない。この分では暫く、シップ薬は常備して置かなければならない。
 リサはやれやれと大きな溜め息をついた。
「髪、とかして来ます」と、ルカは洗面所の方へ行った。
「あれで結構、勝ち気なのよね」
 一見、色白で線が細く少女かと見間違うほどにひ弱に見える。だがその性格は。
 リサは腕白な弟が一人増えたようで楽しんでいる。そういえば、喧嘩好きなショウにも、シップ薬こそなかったが、布を冷やして手当てしてやったものだ。
「誰が、勝ち気なのですか」
「あら、いらしてたのですか」と、リサは笑って誤魔化す。
 ハルメンスはかごの中の服を手で確かめ、
「防御服ですか」
「ええ、ハルガンが。でも、大変着づらいです」
 着てしまえば体に馴染むので動きやすいことは動きやすいのだが。
「これは訓練用でしょう。実際はもっとしゃれたデザインですよ」と、ハルメンスは自分の着ているベストを見せる。
 デザインは一流ブランド、色も形もいい。
「これ、そうなのですか」
「同じ素材です」
 ハルメンスはスカーフをはずすと、ルカの首に巻きつけた。
「これもそうなのですよ、こうすれば首が守れる。お似合いだ、差し上げますよ」
 ルカはそのスカーフの感触を指で確かめた。
 絹のように滑らかだ。同じ素材とは思えない。
「嘘だとお思いでしたら、カッターで切ってみてください。切れませんから」
 防御服は使う人の体型に合わせて編み上げられていく。よってつなぎ目がない。
「皆、こういうものを着ているのですか」
 ルカは驚いたように訊く。
「皆とは言いませんが、ジェラルド王子を始め、ある程度の王位継承権を持つものは」
「では、僕には不要ですね」と、ルカは苦笑する。
「そうでしょうか。毒を盛られるようでは、ご注意なされた方がよいかと存じます」
 ルカは暫し黙り込んだ。
「殿下、ここではなんですから居間の方へ案内なされたらいかがです。後は私がやっておきますので」
「そうですね、ではお願いします」
 リサは軽く頷く。

 ハメルンスを居間に案内する。
 居間はナンシーの配慮だろう、一流の食器に、何とも言いようのないお茶がセットされていた。
「さすがはナンシー嬢。私の好みをよくご存知で」
「お気に召していただければ光栄です、ハルメンス公爵。ところでお連れさんは」
 いつもイソギンチャクのように付いている執事がいないのを警戒して。
「クロードでしたら、奥方様の所でしょう。平民は平民同士、気が合うのかもしれませんね」
 平民と言う言葉に、ルカは驚く。
「彼は、平民だったのですか」
 どう見ても、あの立ち振る舞い。貴族としか思えない。
「あれ、まだ紹介しておりませんでしたか。これは失礼いたしました。彼は、クロード・ローラン」
 彼には門名がなかった。
「列記とした平民ですよ。もっとも貴族としての生活が長いですから。ちょうど私があなたぐらいの時ですか、父が何処からか連れて来たのですよ、私の遊び相手にと。今では大の親友ですがね」
 ハルメンスが門閥のわりには平民を蔑視しないのは、このせいだったのか。と、ルカは初めて彼の行動を納得した。
「彼は申しておりました。どの館へ伺うより、ここがよいと。奥方様からは学ぶことが多いと」
「母から?」
「ええ、私も前回と今回、あなたが居ない間に少し奥方様とお話いたしましたが、あの方はなかなかの女人ですね。王都の女人で、あそこまで国の行く末を考えておられる方も少ない。いや、男性ですら、あそこまでは」
 母は、彼とどんな話をしたのだろう。と疑問に思う反面、心地よい言葉には気をつけろ。それが洗脳の始まりだ。と言うレスターの言葉。
 ルカはレスターの言葉を振り切るように頭を振った。
「どうなさいました」
「いえ。母を理解していただいたのは、あなたで二人目ですので、少し」
「二人目と仰せになりますと、私以外にも奥方様をお認めになられた方が」
 ルカは頷いたが、それ以上は答えなかった。
 相手は平民。それもあんなバラックの。名前を言ったところで詮無い。
 ハルメンスも訊いてはこなかった。
 気をつけろ、心地よい言葉は。
「先日差し上げた本ですが、お読みになりましたか」
 ハルメンスは話題を変えてきた。
 本はその日の内に読んでしまった。
「ええ」と、ルカは我に返る。
「いかがでした」
「大変、興味を持ちました」
「何に」と言われて、ルカは答えに窮した。
 自分があの童話を読んで考えたことは、大変馬鹿げている。
 でもあの題名は『白竜伝説』。つまりただの童話ではない、伝説なのだ。伝説とは、過去になにかがありそれを教訓として書かれたものが多い。なら、こう考えるのが一番理論的。
「最終戦争ですね、世紀末とでも言ますか」
 そう言ったのはハルメンスだった。
 ルカは驚いたようにハルメンスを見上げた。
「あなたも、そう思われたのでしょう」
 ルカは軽く頷くと、
「白竜とは、何かの兵器を指すのではないかと、かなり巨大なエネルギーを持つ。おそらく惑星ぐらい破壊できるのでしょう」
「私もそう思いました。クロードに言ったら笑われましたけど」
「何を、私が笑ったのですか」と、クロードの声。
 二人は声の方に振り向いた。
「いかがでした、奥方様は」
 クロードはゆっくり二人に近づいて来ると、
「納得なされたようです」
「そうですか、それはよかったと言うべきなのでしょうか」
 村に帰るという奥方の夢を奪ったことになる。しかし、宮内部を向こうに回しては、ここ王都では生活できない。
「お手数掛けました」と、ルカは立ち上がり、クロードに対し丁寧に頭を下げた。
「いいえ。奥方様とお話をすると、いろいろと勉強になりますもので」
「勉強?」
「平民への援助です。我々もかなり以前からやってはいるのですが、なかなか奥方様のやるようにはいかないのです。金額だって我々のほうが遥かに多いのに」
 最後は愚痴になってしまった。
「クロード」と、ハルメンスに止められる。
 ルカはナオミがやっていることを薄々気づいてはいた。だがどの程度の規模なのかは一切知らない。あの区画も今回初めて行った。いや、王都から出たのは初めてだったと言うべきだろう。
「どうですか、今度私たちと一緒に市内を散策してみませんか。本当のネルガルの実態がわかりますよ」
 ルカは考え込んだ。ハルメンスの権限を持ってすれば、この王都を自由に行き来できるのだろう。外へ出てみたい。
 ハルメンスはわざとらしくポケットから携帯を取り出す。
「もう、こんな時間ですか。お見舞いに来たというのに、少し長居をしてしまいました。お体に障るといけませんので、ここら辺で失礼いたします」
 ハルメンスが立ちだそうとした時、クロードが包みを差し出す。
「あっ、忘れておりました。お見舞いに花と思いましたが、殿下はこちらの方が喜ばれると思いまして」と、包みを紐解く。
 中からはイシュタルの書物が三冊。しかも今度は絵本のようなものではない。本格的な書物だ。
「また、手に入りましたもので。よろしかったらどうぞ」
 ハルメンスは今度こそという感じでソファから立ち上がった。
「車までお送りいたしましょう」
「病み上がりということになっているのですから」と、ハルメンスはルカを制する。
「それに」と、言いつつハルメンスは窓の外に視線を向けた。
 見るとそこにハルガンの姿。
「長居をしてしまったようですね、彼が気にしてます」
 ルカはまずいと思う。
 ハルメンスはそんなルカの気持ちを察したのか、
「彼は私に何もしませんよ」と、自信ありげに言う。
 女人の奪い合いは力ずくではない。力で奪ったところで、女人が振り向いてくれなければ何の意味もない。それは誠意のみ。
 さて、この目の前にいる勝ち気な愛らしい女人は、どちらの男性を選ぶのだろうか。
「彼と私は、ライバルですから」
 あなたを賭けた。

 案の定、エントランスから出たハルメンスに、ハルガンは近づいて来た。
 ルカは気になり窓から二人の様子を窺う。
 二人は迎いの車が来るまで、何か言い合っている。ハルメンスの背後にはクロードが私兵のように立つ。
「君が自分以外のことで、これほどまでにむきになるとは、珍しいですね」
「とにかくだ、もう二度とこの館には来るな」
「ここは、あなたの館ではありませんよ。それとも、殿下がそのように仰せになられたのですか」
 そんなはずがないことを知っていながら、ハルメンスは嫌味げに言う。
「俺の独断と偏見だ。怪我したくなければ」
 ハルメンスはやれやれという感じに肩をつぼめて見せ、
「殿下が見ておられますよ」と、二階の部屋の方へ視線を移した。
 ハルガンは黙ってしまった。
 車が着き、運転手がドアを開ける。
 二人は二階の部屋の方へ一礼すると、車に乗り込む。
 車は静かに滑り出した。

 ルカの館の門を潜り抜けると、ハルメンスはクロードに問う。
「どうでした、毒のことで何か」
「カルテ通りのこと以外は」
「そうか」と、ハルメンスは腕を組む。
「ただ、村の言い伝えはいろいろと聞くことが出来ました」
「そうか、おちおちその話は聞こう」
「殿下の方は、いかがでした」
「正常だな、毒の後遺症はない」
 奇跡だ。
「ただ、ハルガンが私のことについて何か話したようだ。少し警戒なされている」
「やはり、始末した方が」
 ハルメンスはクロードのその言葉に苦笑すると、
「美しい人形も、手足をもいでしまっては、見栄えがしない」
「手足ですか」
「そうだ。それにあの手足はなかなかもげそうもないぞ。こちらも相当な犠牲を払わないと。出来ることなら、あのままそっくり欲しいものだ」
 リンネル、ハルガン、ケリン、そしてあの館の護衛たち。
「しかしクリンベルク元帥も、何をお考えなのか。あれだけの連中をあの館に集めて」
 個性が強すぎで、どの隊でもつま弾きにされたものばかりだ。だがそれだけに、彼らを使いこなせれば、ネルガル最強の軍隊が完成する。そしてルカ王子は少なくとも彼らの心を掴みつつある。
 あのハルガンが、あれだけ他人のことでむきになるとは。


 ルカが館に戻ってからは、何処で噂を聞きつけるのか客人は次から次へとやって来た。
 次に来たのはカロルだった。
 学校は休み。正式な見舞いの許可も取って来たのだろう。カロルは正面から車で堂々と元気よく乗りつけた。
 ルカは自室で懸命に調べ物をしている。
 今やルカの私室は、コンピュータールーム兼、図書室兼、ミニ研究室になっていた。
 その研究台の前、ルカは資料と何かを見比べていた。
 侍女に案内されてというよりも、勝手にずけずけと上がり込んだカロルは、ハルガンの真似をしてドアを開けてからノックをした。
 ルカはやれやれと言う感じに振り向く。
「やぁ」
「お久しぶりです」
 診療所にはちょくちょく会いに来ていたが、館へ戻ってからは暫く姿を見せなかった。
「見舞いの許可を取るのに苦労した」
 許可などいらないだろう。とルカは思った。塀を乗り越え果樹園を横切って館へ忍び込む。いつしかそこには、カロル専用の獣道ができていた。
「宮内部では、かなりお前のことが噂になっている」
「どんな?」
「正常かどうか。それで俺が様子を見てくることになったんだ」
 ルカは怪訝な顔をしてカロルを見る。
「風邪ということになっているのではありませんか」
「表向きはな。だけど皆知っているよ」と言いつつ、ルカの背後の椅子に座る。
「そうですか、それでどんな報告を?」
「お前は、どう報告してもらいたいんだ」
 口裏を合わせるということらしい。
「見ての通りで結構ですよ。別に、隠すこともない」
「そうか」と言いながら、カロルはルカの手元を覗き込む。
「何、やってんだ?」
「毒を調べているのです、僕に盛られた」
「クゼリじゃないのか」
「その毒でしたら、助かるはずがない」
 確かにそうだとカロルも思った。だがあの毒は、一般の人が容易く入手できないことも知っていた。特殊なルートを使わなければ。
「クゼリに似た塩基配列で、もっと弱い毒があるのではないかと」
「それで?」
 結論を急かすカロルに、ルカは軽く両手を挙げて見せた。
 カロルは笑う。お手上げか。
「奥方様から、何も聞いていないのか」
「聞きました、母よりリンネルから」
「それで」
 二人は黙り込む。
「信じられないと」
「あなたは信じられるのですか、あんな話」
「お前は、神の子だから、あり得ないこともないのだろう」
 ルカはむっとした顔をすると、
「本気で言っているのですか」
 冗談だとも言いがたかった。あの毒を盛られて生きていること自体、奇跡だ。それなのにこいつは以前と何らかわらない。理屈っぽく、全てを検証可能なもので割り切ろうとする。神でも悪魔でもいい、こうやって目の前で俺にはどうでもいい理屈をこねくり回して居てくれれば。
「まあ、そんなことどうでもいいさ。アパラ神が助けてくれたんだろう。お陰で俺は大変なことになっている」
 学校も稽古もさぼれない。お陰で脳味噌も体もぼろぼろだ。もっとも体の方は回復が早いのだが、脳味噌の方はそのうち焼きついて田楽味噌にでもなりそうだ。
 ルカもカロルの苦労がわかっているのか、それは悪いことをしたと言いつつ、内心では笑っていた。
 カロルは侍女の用意してくれたお茶をすすりながら、本だらけの部屋を見回す。装飾品が何もない。あるのは必要最小限度の椅子とテーブル。
「なっ、もう少し、貴族らしい部屋にしたらどうだ」
「貴族らしい?」
「ああ、せめて俺の部屋みたいに」
「あんなガラクタが一杯の」
 カロルの部屋は、豪華な調度品が所狭しと置いてあり、棚にはいろいろな宇宙戦艦のプラモやレプリカ、写真が飾られていた。
「ガラクタとは何だよ。俺にとってあれらは、目に入れても痛くないほどの宝だ」
「僕にとっても、これらは宝なのです」と、ルカは本を指し示し。
 カロルはむっとした。だが直ぐに二人は笑い出した。
 以前と何らかわらない。趣味に関しては平行線のまま。おそらく永久に交わることはないだろう。それを確認しただけでもカロルは幸せだった。

「楽しそうですね」
 いきなり声を掛けられ二人が振り向くと、そこにリンネルが立っていた。
「リンネル、お前!」 休養中ではなかったのか。
「随分と早いお戻りですね」
 二人が驚いていると、
「里に居て殿下のことをいろいろ思うより、いっそ近くにいた方が、はるかに気が楽だということを悟りましたから」
 リンネルは三日足らずで戻って来た。
 護衛たちは賭けをしていた。大佐が何日実家に留まることができるかと。
 ハルガンなどは喜ぶだろうな、確か三日と賭けていたはずだ。
 ルカは思い出して笑った。
「何か」と言うリンネルに、
「十日は長すぎましたか」
 リンネルは苦笑した。
 帰宅の挨拶もほどほどに、リンネルはルカの立ち上げているディスプレーを覗いた。
「何をなされているのですか」
「毒の成分を分析していたのです」
「それで何かわかりましたか」
「お手上げだとよ」と、カロルは笑う。
 ルカはくるりと椅子をターンさせると、リンネルをじっくり観察する。
 リンネルも、また頭がおかしいと思われては困るので、この件に関してはもう何も言わないことにした。
 リンネルが何も反応してこないのを確認し、ルカは自分の意見を述べた。
「結論をいいますと、池に住み着いている白蛇を捕らえて分析することです。そうすればこの件の謎が解けます」
 白蛇は池に住み着いているのではない。あなたの体内にいるのです。と言いたいところだが、また休暇を十日も出されてはと思い、リンネルは黙り込んだ。
 言っても無駄ですよ。あの子が自らその力を欲しない限り、神として目覚めることはありません。そしてそれが、村には一番よいことなのです。彼が神として目覚めたときは、村に未曾有の異変が起きたときなのですから。いくら神が助けてくれるとはいえ、その前にどれだけの人々が犠牲になるか。何もない日常が一番幸福なのです。
 これは奥方様の言葉だった。
 だがリンネルはあの世の出来事を全てルカに話してしまった。
「彼の表皮でも手に入れることができれば、正体がわかるものを」
 絶対、青大将の突然変異だと思うのだが。
「彼ではなく彼女です。彼などと言うと怒りますよ、意外にヨウカ様は、デリケートな方であらせられますから」
 ヨウカとは蛇の名前。これは陛下も知っていた。
 いつしかリンネルは蛇に対して敬語を使っていた。
 ルカとカロルは怪訝な顔をしてリンネルを見る。
「リンネル、もう少し休んだ方が」
「いえ、私は大丈夫です」
「そうですか、ならいいのですが」と、ルカは心配ぎみに。
 リンネルは少し肩をおとして溜め息を付く。
 やはり奥方様に忠告されたとおり、あの晩のことは誰にも話さなければよかった。自分の胸にしまって。誰にも信じてもらえないのだから。現に言っている自分ですら信じられないのだから。この目で見ていなければ。夢、そうだ夢だったことにしよう。奥方様と私の。
 思いつめているようなリンネルを見てルカは、
「リンネル、午後から道場で少し汗を流しませんか。カロルさんもいることだし、かなり腕をあげたそうですから」
「俺、そんなこと言ってないぞ」
「その腕の痣が語っております」


 次の朝、ルカは左下の頬の痛みで目が覚めた。
 打撲は怪我したときより後からの方が痛む。虫歯であるかのように腫れ上がった頬。そこが虫歯でないことは青く痣になっているから。
 ルカは手鏡に顔を映し、腫れ上がった頬に冷却タオルをあてる。
 今日は一日中、この寝室から出られない。だが、まだハルガンよりましか。彼は今頃独房の中。
 しかし今日は一日退屈になりそうだな。隣の部屋にはコンピューターも本もあるというのに、行くことが出来ない。
 こうなった原因は、あの後がまずかった。
 ほんの少しカロルと手合わせするつもりが、いつしか本気になっていた。お互い、型より実践におもむきをおいていたのが、それに輪をかけた。
 リンネルとその部下が慌てて二人の間に割って入り二人を取り押さえた頃には、二人とも痣だらけだった。
「てめぇー、卑怯じゃねぇーか、引っかくとは」
 見ればカロルの頬に爪の跡、血までが薄っすらと滲んでいる。
「先に僕の足を踏みつけ、肘を入れてきたのはそっちだろう」
 ここら辺から既に型ではなくなってきていた。
「とにかく、坊ちゃまは血を拭き、殿下は顎を冷やしてください。後で痛みますよ」
 護衛たちは救急箱を持って来て二人の手当てをする。
 リンネルは二人を怖い顔で睨み付けると、
「殿下、誰から教わったのですか、こんな格闘を」
 だがルカは答えない。
 リンネルは護衛たちを見たが、彼らも視線をそらす。
 どうやら仲間を売る気はないらしい。訊くのが間違っていた。犯人の目星は付いている。
 視線を道場の隅にやると、そこに腹を抱えて必死で笑いを堪えている男の姿があった。
 リンネルは彼に近づくと、
「キングス曹長」
 リンネルはハルガンの名前ではなく家名を、それも階級つきで呼んだ。
 そうとう怒っている。
「私が居ない間に、殿下に何を教えたのだ」
 答える時間も与えられないままハルガンは独房入りになった。

 そしてその日の内に、クリンベルク家から大量のお詫びの品が届いた。
 届けに来たのはクリンベルク将軍の長子マーヒル。クリンベルク将軍直筆の詫び状まで添えられていた。
 受け取ったのはナンシー。奥方は出て来ないように言われた。それが礼儀だから。
「こんなに沢山の品を。カロル君も怪我をされたのでしょう。こちらからも何かお見舞の品を送らなければ」
「その必要はありません」とナンシーは毅然と言う。
「これはお見舞いの品ではなく、お詫びの品です。黙って受け取ることこそが、礼儀です」

 そしてルカは、皆に迷惑をかけた罪により、奥方の命によって寝室に閉じ込められた。
 近頃ルカは以前に増して行動が活発になってきた。
 ナオミは悩む。
「クリンベルク将軍には、大変迷惑をかけてしまいました。だんだん私の手には負えなくなってきました」
 本来村では、子供が十歳前後になると里親を探し始める。産みの親から育ての親へのバトンタッチだ。親が里親を探す場合もあるが、大概は子ども自身が探してくる。最初は親と里親の間を行ったり来たりしているが次第に里親のところへ居つくようになる。里親は一人とは限らない。里親を何人も持つ子もいれば、別の集落まで里親を探しに行く子もいる。子供から里親に選ばれた親は、人生の先輩としてその子に認められたことを名誉に思い、喜んでその子の人生の教育にあたる。だがここではそれが出来ない。この館から出られないのだから。この館にも人はいないことはないのだが、誰もがあの子より下の立場で、あの子と対等な立場で教えようとする者が少ない。
「困りました」と、ナオミは大きな溜め息をつく。
 リンネルにしてみれば、そんな風習は始めてのことで、子供は成人して職に付くまで、産みの親と一緒に暮らすのが当たり前で、家名を継ぐものなどは永久に親の元を離れることはない。
 ナオミも産みの親と庄屋という里親を持っていた。もっとも産みの親が亡くなってから庄屋に引き取られたことになっているが、庄屋さんの奥さんが好きでその前から行き来はしていた。そしてナオミの兄の里親は、レーゼ様だった。
「本当に困りました。リンネルさん、あなたに里親を頼むしかないのですが、あの子が王子であることを忘れて叱って頂きたいのですが」
 と言われても、リンネルも困ってしまった。
 自分はあくまで殿下の補佐であって。
 しかし、待てよ。そこで疑問が生まれた。
「殿下は、村では神の生まれ変わりのはず、でしたら村でも」
 神を下に置くようなことはしないはず。
「神も、ご成人なされるまでは、普通の子と同じように育てられるのです。成人なされても、特別に扱うことはいたしませんし、神もそれを望みませんから」
 現にレーゼ様も、皆と同じに働き皆と同じものを食した。
 なるほど、殿下が自分を神だと思っていないのと同じように、殿下の前世と言われるレーゼもまた、自分を神だとは思っていなかったのではないか。
 リンネルはルカのこれまでの行動を見ていて、そう確信できた。
 しかし過去のリンネルなら、これで納得しただろう。だがあのヨウカという大蛇を見てからは、殿下がただの人間だとは到底思えない。だが殿下はそれを、私の疲労から来る幻覚だと信じて疑わない。

「退屈です、死にそうです。せめて僕の部屋なら」
 やることが一杯ある。コンピューターも書籍も充実しているのだから。
 だからナオミは監禁場所を寝室にしたのだ。
 ルカは朝食を持って来てくれた侍女にぼやく。
 侍女は朝食をテーブルの上にセットしながら、
「今日一日おとなしくしていれば大丈夫ですよ。ハルガンさんなど、五日も出られないそうですよ」
「ハルガンも監禁されているのか」
「はい」と、侍女は楽しそうに答える。
 ルカが侍女のその様子に首を傾げていると、
「ハルガンさん、独房の中でいろいろわめいているそうですよ、特に殿下のこと」
「でしょうね」と、ルカは納得する。
 朝食が済み侍女が寝室から出て行くと、ルカは隠し持っていたイシュタルの書物を取り出しベッドの上で読み始めた。
 ハルメンスが今回くれた書物は三冊、どれも年季が入っていている。彼らはそれが使えなくなるまでは、新しいものを作らないとハルメンスは言っていた。本当にそれを裏付けるような書物だ。一冊は童話の白竜伝説を大人向けにアレンジしたもの。もしかすると逆なのかもしれない。この本を基に童話が出来たのかもしれない。そして一冊は、イシュタルの思想。彼らの世界には死後の世界がない。死ねばまた生き返るのだ。輪廻転生。よって彼らの世界には天国も地獄もない。神も悪魔も存在しないのだ。では白竜とは、どんな存在なのだろう。水神つまり神ではないのか? そしてもう一冊には、護身術から戦略までのことが記載されていた。一対一の体術から数十万の戦艦を率いての戦略。ルカは食い入るように読んだ。既にこの頃には辞書もいらない。そしてこの書物には続きがある。これはほんの障りだ。
 後の書物が手に入らない以上、とりあえず初歩の体術から学ぶしかないと、さっそく部屋で足の運びを練習したのだが、数少ない調度品とはいえ体を動かすには邪魔だ。
「やっぱり、道場か」
 扉の取ってに手をかけ押してみたが、扉にはしっかり電子ロックがかけられていた。道具さえあればこの位のロック、簡単に解除できるのだが。
 ルカは諦めて窓の方へ視線を移した。
「窓か」
 ここは二階。シーツをつなぎ合わせれば降りられない高さでもない。
「これしかないか」
 独りつぶやき、ルカは脱走の計画を実行に移した。

 ルカは建物の壁沿いに人目を忍んで道場へと向かう。
 案の定、道場には誰もいなかった。ここは自分とリンネルが稽古をしない限り、あまり人が来るところではない。
 ルカは書物を足元に広げるとその練習に入った。
 どの位経っただろう、いきなり、
「イシュタルの体術ですか」
 ルカは慌てて振り向く。
 そこにはリンネルが立っていた。
 何時の間に? と思うと同時に、どうしてリンネルがイシュタルの体術を知っているのかと疑問に思った。
 ルカが問おうとするより早く、
「奥方様の許可は下りたのですか」
 ルカは下を向いてしまった。
「奥方様には内緒で」
 ルカは小さく頷く。
 リンネルは大きな溜め息を吐いた。
「その書物は、ハルメンス公爵からですか」
 リンネルに隠しても仕方がない。ルカは頷く。
「そのうち、その体術も教えて差し上げようと思っておりました。無駄のない足運びで、小さな体の方でも的確に相手の急所が突けますので。イシュタル人は我々より小柄だと聞いております。それでこのような型を編み出したのでしょう」
「リンネル、どうしてお前はイシュタルの体術を知っているのだ?」
「クリンベルク将軍は、とても研究熱心な方で、勝つためにはあらゆる戦術を学ぶべきだと常々口にされております。例え我々が蔑むような相手の戦術でも。私は閣下から直にその型を教わりました」
「クリンベルク将軍が」
 やはり強い人はそれなりの努力をしているのだなと、つくづく思い知らされた。
「とにかく奥方様に許しを請うて、寝室の鍵を開けていただきましょう」


 ルカとリンネルが道場で話し合っている頃、また見舞いの客人があった。今度の客人は宮内部お抱えの医者だ。
 こちらです。と侍女が案内しポケットの中のボタンで電子ロックを解除した。たがベッドはもぬけの殻、そこにルカの姿はなかった。
 手を差し込めばベッドはまだ暖かい。
 どちらへ行かれたのかしらと思って外を見ると、手すりに括り付けられたシーツを見た。
 まっぁ。と内心思いながらも、さり気なくそのシーツが客人の視線に入らないように立ち、
「居間でお待ちください。ただ今、殿下をお連れいたしますので」
 見つけ出してとは、客人の手前、さすがに付けられなかった。
「しかし、どこへ行かれたのかしら。今日一日はおとなしく寝ているようにと、奥方様の仰せなのに」
 医者は侍女のこの言葉を、ルカ王子の体調がまだ万全ではないのだと受け取った。
 そこへベッドメイキングの侍女が入ってきた。
「殿下でしたら、道場に行かれましたよ」
「道場!」
「はい。あまり寝ていると、体が鈍ると仰せになりまして、道場の方へ」
「お止めしなかったのですか」
「奥方様の許可が下りたのではないのですか」
 ルカの堂々とした態度。てっきり奥方様の許しが出たものだと思っていた。
「いいえ」と、侍女は首を振る。
 ベッドメイキングに来た侍女も、シーツがないのを見て、殿下が抜け出したことを悟る。
 だが結局、
「私が言って言うことを効くようでしたら、とっくにお止めしております」と、言うしかなかった。
 抜け出すほどの覚悟、殿下のことです。見つかった時の口実ぐらいとっくに考えているはず。
 どういたしましょうか。と、侍女は主治医を見る。
「そこへ、案内してくれますか」

「殿下」と、侍女。
 リンネルが相手をしている。
「リンネルさん、どういうおつもりですか。今日は殿下は、部屋で休まれると」
 客人の手前、監禁されているとは言えない。
 リンネルは叫ぶ侍女より、その背後にいる人物に目をやる。
 あの医者だ。
 リンネルの体内に、いっきに警告の電流が流れた。
 侍女はリンネルの視線に気づき、
「こちらは」と、医者を紹介した。
「お元気そうで、もうお体の方はすっかりよろしいのでしょうか」
 ルカはきちんと姿勢を正すと、
「先日は、大変お世話になりました」と、丁寧に頭を下げる。
「そちらもあれから風邪をお召しになったとか、もうよろしいのですか」
「お蔭様で、どうにか」
 回復したとは言いたいが、まだ本調子ではない。しかし殿下は正常だった。何の後遺症もないように見える。これには医者は驚いた。少なくともここへ来て殿下に会うまでは、いくら命が助かったとはいえ、何らかの後遺症はあると思っていた。
 医者はあれから数日、ヨウカによってうつされた蟲のため、高熱を発し床についていた。彼らの医学では原因不明、過労によるものだろうということになった。
 実はこの医者、夫人たちに言われ、ルカの様子を見に来たのだ。もしルカ王子が正常なら、どちらかが偽者のはずだ。それを確かめてくるようにと。それで病み上がりの体をおしてやって来た。
「毒を飲んだ方か、確かに本物でした」
 これは意識のない本人から直接血を取り、DNA鑑定をしたのだから間違いない。
 では今ここにいる人物が、ルカ王子の偽者。
 ルカは医者のところへ近づこうとして、リンネルに腕を引かれる。
「どうしました」
「いえ」と、リンネル。だが腕は放さない。
 ルカは仕方なくその体勢で、
「あちらの椅子に腰掛けませんか」と、医者を誘う。
「これはお気を使わせてしまい、申し訳ありません。まだ私の方は全快とは言いがたいものでして」
 立っているのが少し骨のようだ。
「無理をなさらなくてもよろしかったのに」
「ですが、あなた様は私の患者でありますし、どれほどのご回復をなされているのか気になりましたもので、私の力の至らなさで、殿下にもしものことがありましては」
 リンネルは医者の白々しい言葉を聞いて苦笑した。
「それで殿下、よろしければ血液を少しばかり頂きたいのですが」
「何のために」と、リンネル。
 警戒レベルは最高値だ。
「私は、殿下に窺っております」と、医者はリンネルに対しぴしゃりと言う。
「私は殿下の護衛だ」
 二人の剣呑な様子を見て、ルカが割って入った。
「リンネル、よいではないか」と、リンネルの腕を振り払い、医者の方へ正面を切った。
「有難う御座います。実は、何故これだけのご回復をなされたのか、今後の医学のために少し調べたいと思いまして」
 と言うのは口実。あくまでもDNA鑑定が目的。
「そうでしたか、実は私も調べて頂きたいと思っておりました」
 自分は特異体質で、生まれながらにこの毒に関しては何らかの免疫を持っていたのではないか。
 ルカが出した最終結論はこれだった。だから、自分の体を調べて欲しかった。あくまでも科学的な興味の範疇。
 ルカは医者の前で腕を捲り上げた。
 リンネルは慌てる。
 だがその時、聞き覚えのある声。
(だいじじゃ、奴は何も持っておらん)
 ヨウカはじろじろと医者をねめ回すと、
(ほー、奴らの医学でも、あの蟲を押さえることが出来るのか、意外じゃったのー。最も奴らが作ったものじゃきに、その制御ができなんだら、おかしいか)
 完璧ではないが、それなりに押さえ込んではいた。
 ヨウカの次元では思念こそが生きた存在。悪意の思念は、そのまま毒を孕んだ蟲となる。
 リンネルは思う。彼は思念が形を取るとは思ってもいなかっただろう。それがあんな形で自分の体内にかえってくるとは、いくら自業自得とはいえ哀れな気さえ起きた。
(病は気からと言うからのー)
 それは、気持ちの持ちようという意味ではないかと、リンネルは思った。
 ヨウカはリンネルのその思念を読んだのか、
(アホか、お前は。気持ちなどで病気になるか。もっとも気持ちも思念の一つじゃが。ようは体内を流れるエネルギー(気)じゃ。この流れが滞ると病気になるのじゃ、あのような蟲が付いてのー。じゃが、あれだって、お前らが解るように蟲のような形に見せているだけじゃ。本来は形のない只の思念(エネルギー)じゃ。それも負のな)
 医者はルカの腕から血を採取する。
 そこへ侍女から話を聞いたナオミがやって来た。
 その様子を見て少し慌てたが、リンネルが首を横に振り、尚且つ背後にヨウカの姿を見て、ルカに何の危害もないことを悟り、ルカに声を掛けた。
「ここで、何をしているのですか。今日は一日部屋でおとなしくしているように言ったはずです」
 ルカは俯くと、
「お腹が減らないのです。それで少し動こうと思いまして」
「それで武術の稽古ですか、部屋にお戻りなさい」
 ナオミは毅然と言い放つ。
 ルカはナオミを睨み付けると、
「僕は、彼には負けたくないのです」
 ナオミは呆れた顔をしながらも、ルカを諭した。
「ルカ、立場をわきまえなさい。あなたが立場をわきまえないと皆が迷惑するのですよ。彼は武をもって陛下に仕える身です。あなたは陛下が政に迷われた時、力を貸してさしあげるのがあなたの役割です。それまでに充分な力を付けておかなければなりません」
 それはルカも重々承知している。でもやっぱり、負けるのは悔しい。
「リンネルさん」
 母の怒りがリンネルに向けられたのではないかとルカは思い、慌ててリンネルを庇う。
「母上、リンネルは悪くありません。僕が強引に」
「ルカ、とにかく部屋にお戻りなさい。今度このようなことをしたら、もう一日追加します」
 ルカは仕方なく寝室へ戻って行った。
「反抗期ですか」と、医者。
「近頃、言うことを聞かなくて困りました」
 医者は医療器具と採取した血液をさっさと片付けると、挨拶もそこそこに館を後にした。

 医者を送り出した後、リンネルはルカのいる寝室へ向かった。
 ルカはふてくされたようにベッドの上に座っていた。
 その様子は、神の転生というよりも、母に叱られて脹れている腕白小僧という感じ。
 ルカはリンネルが入って来た気配に気づき、窓の外を見たままで声をかけてきた。
「なっ、リンネル。近頃母上はお変わりになられたと思わないか」
「奥方様がですか、どのように」
「うるさくなられた」
「うるさい    ですか?」
「いちいち人に指図するようになられた」
 リンネルは微かに笑う。
 ルカは振り向くと、
「何がおかしい?」
「奥方様のそれは、殿下がお生まれになられた時からですよ、今に始まったことではありません」
 そう、奥方様は子育ての全てをご自身でなされた、侍女をあまりお使いになられずに。近頃になって侍女に頼むようになったぐらいだ。
「そうなのですか」
 ルカは合点がいかない。今まで母をうるさいと感じたことはないから。
「お変わりになられたのは、殿下の方ではありませんか」
 近頃いちいち奥方様の言葉に逆らうようになって来た。診療所では少しそれが収まっていたようだが。
「僕が?」
「そうです。きっと奥方様のお乳がいらなくなられてきたのどしょう」
「僕はとっくに乳離れはしています。一人でだって寝られます」
 ルカは心外だと言いたげな顔をした。
「これは失礼なことをいいましたか」
 謝りながらもリンネルは楽しそう。
 頭がいいだけに一見大人びたことを言う。だがまだまだ心は子供。思春期の反抗とは少し違うようだが、雛はじょじょに親の手を離れようとしている。
「それより殿下」と、リンネルは話題を変えた。
 だがルカはまだ気持ちの整理が付かないのか、「何だ」とすげなく返事をする。
「主治医にはお気をつけください」
 ルカは不思議なことを言うとリンネルを見上げた。
「あの毒は一般の人が簡単に手に入れることが出来るものではないのです。宮内部お抱えの医師か、または特殊情報機関に通じるものでなければ。以後このようなことがあった場合は、町医を呼ぶことにいたしました。グラントのように町医にも腕の良い医者は沢山おります。殿下がご病気になられた時も同じです」
「リンネル」と、ルカは不審に思い彼の名を呼んだ。
「私は主治医を疑っております」
 リンネルははっきり言う。
「そうですか、わかりました。でも母上は」
 どのようなお考えなのだろう。
「奥方様も同意してくださいました」
 と言うより、これは奥方様のお考えだ。それを私の発案のように殿下に伝えることにした。あのお優しい奥方様が人を疑いになるという姿を、殿下に見せたくないから。
「ですから今回のような軽はずみなことは二度とやらないでください。もし注射器の針に毒でも塗られていたら、取り返しがつきません」
 そこまで主治医を疑うのか。とルカは内心思ったが、リンネルのあまりの真剣さに、
「わかった」とだけ承諾した。
「ただ僕は、どうしても毒が僕に効かなかったのか知りたかっただけです」
「私の言うことは信じていただけないのですか」
「白い大蛇のことか」
 そうですと、リンネルは頷いた。
「無理です。それより僕の体内に何かあるのです、毒を受け付けない何かが。きっとおもしろい分析結果を持ってきてくれますよ。それが解ればワクチンも出来るかもしれない」
 あくまでも科学的に追跡しようとするルカ。これではエルシア様のことなど話せない。
「あの医師は、殿下が楽しみにしているような分析結果は、おそらく持って来ないと思います」
「どうして?」
「彼の目的は殿下のDNAだからです」
「僕のDNA、そんなもの僕のカルテを見ればわかるはずです。今更調べなくとも」
 リンネルは苦笑すると、
「殿下が偽者ではないかと疑っているのです。本物の殿下は毒で亡くなられた。そして偽者の殿下を私たちが擁立したと」
「どうしてそのようなことを、お前たちがしなければならないのだ」
「王位継承権です」
 今度はルカが苦笑する番だった。
「それは僕にも法律上は継承権があります。でも現実的には、王子や王女が全て亡くなり、門閥の伯父、伯母、いとこが亡くなればの話です。だがそんなこと、あり得ない」
「さようです。まして奥方様に至っては、王位継承権より殿下を早く村に返したがっておられる」
 ルカは村の守り神。守り神のいない村では、村人たちが心細い思いをしている。
「ですが、人は哀れな生き物です。自分の思考の範疇でしか物事を捉えることが出来ないのです。常に玉座を狙っている者にしてみれば、殿下が、いや殿下はまだ幼いですから、殿下を取り巻く、つまり私たちが殿下を担いで玉座を狙うのではないかと思わざるを得ないのです」
「そんな馬鹿な」
「彼らにとって、王位継承権を持つものは、一人でも少ないほうがよいのです」
 ルカは黙ってしまった。これがここ王都の世界。
 ナオミのような存在の方がまれだ。誰もが我が子を玉座につけようと血眼になっている。


 DNA鑑定の結果は、百パーセントの確立で本人であることを証明していた。
「死ななかったのですか」と、某夫人。
 医者は相槌を入れるしかなかった。
「後遺症も?」
「まったくと言って、あるようには見受けられませんでした」
 夫人は忌々しげに扇を振る。
 あの毒をもって、助かる者がいるのか?
 夫人は医者の方へ踵を返すと、
「お前、私に偽物をつかませたのか」
 宇宙戦艦が買えるほどの大金をくれてやった。なのに、
「あれは正真正銘のクゼリです」
「では、何故」
「奥方様です。奥方様が巫女の力を使って」
「お止め! そんな話、聞く耳持ちません。この科学万能の時代に医者でもあるお前が。御殿医を首になりたいのですか」
 誰が御殿医にしてやったと思っているのだ。と言外に言う。
「申し訳ありません」
「一卵性双子という確立は」
「それはあり得ません」
 出産時、数人の医者が立ち会う。これは夫人も経験済みのこと。
「では、クローン」
「そりもあり得ないと思います」
 もしクローンなら早い段階で作らなければならない。さもないと年齢が同じようにならない。まして子供は大人と違い、数ヶ月の違いが目に見えて出る。大人なら五年や十年の歳差はさばを読むことができるが。
「まったく、役立たずが」
「申し訳ありません、今度はうまく」
「もうよい。ご苦労だった。食事を用意してあるから食べてお帰りなさい。後ほど連絡します」
 言葉の最後は、何故か穏やかになっていた。

 その頃下町では、一人の娘が物色された後、強姦されて殺されていた。下町ではよくある殺人だ。誰も興味を持つほどのものではない。無論治安局も、簡単な聞き取り捜査で終わりにする。ここ下町では、一晩のうちにこの手の殺人が何十件あるか知れたものではない。まともに扱っていたらきりがない。その娘は数日前まで某館に仕えていた。大金をもらい宿下がりをしたのだが、その帰り道に狙われたようだ。娘は危ない仕事だと知りつつ、病気の父を医者に診せるために引き受けた。だがその大金も何処にもなかった。無論、娘の身分がわかるものも。よって治安局では、身元がすぐにわからない殺人は、単なる強盗殺人として書類だけで迷宮入りにする。それに下町の美少女狩り(ここには少年も含まれる)は、貴族たちのレジャーでもあり、あまり深入りしない方がよい。
「腐りきっているよな、この星は」
 そして次の日、公園の池に医者が浮いていた。どうやら酔って足を滑らせたということらしい。

 夫人はソファに深々と座り、アルコールを手にしている。
「今度はうまく。ですって、同じ手が二度使える相手ではないわ」
 夫人はアルコールを一気に煽ると、グラスを床に叩きつけた。
「まったく役立たずが。それにしても、なんと悪運の強い子なのでしょう」


 そして月に一度の皇帝との会食。誰もがルカの健全ぶりには驚いたが、それを表に出す者はいなかった。社交儀礼の挨拶をされ、会食は滞りなく終わった。
 リンネルはルカが戻って来るまで、気が気ではなかった。控えの間で、檻に入れられた熊のようにうろつく。
 ルカが現れるや否や、
「何事も、ありませんでしたか」
「お兄様やお姉様に、お祝いの言葉をいただきました」
 そうでしたか。と、リンネルはほっとした。
 今回は事件があって間もなかったもので、延べるように提案したのだが、日が経つと出席しづらくなるとの奥方様の言葉で、出席した。だがリンネルの心は、ルカの姿を見るまでは不安に駆られどうしだった。こんなことなら、もっと強く反対すればよかったと。だがルカの顔を見たとたん、これでよかったのかもしれないと、考えを一変させた。
 やはり奥方様の仰せになることは間違いない。


 そして最後の見舞い客とも言うべき人が現れたのは、ルカが館に戻って十日も過ぎてからだった。ナオミはエントラスまで迎えに出る。
 彼女の腕には赤子が抱かれていた。
「生まれたの」
「ええ、元気な女の子」
「それはおめでとう。ご免ね、お祝いにも行けなくて」
「ううん」と、シモーネは首を軽く横に振る。
「それより大変だったでしょう。よく、ご無事で」
「あの子、近頃反抗期なのよ、それで死神にも見放されたみたい」
「まぁー」と、シモーネは笑う。
「誰が、死神に見放されたのですか」と、ルカがホールの方から走りよって来た。
「なんでもありませんよ」と、ナオミはこの都で唯一の親友であるシモーネを居間へと誘う。
「あっ、赤ちゃん。生まれたのですか」
 竜は元来、子供もが好き。水の神であり子供の守り神でもある。竜のその力は村を守る(子供を守る)時に最大限に発揮され、決して戦うためのものではない。ルカも御多分に漏れず子供は好きだった。
「ねっ、抱かせて?」
「落としたら、どうするの」
「では、こうやって床に座りますから、この上に乗せて?」
 ルカは胡坐をかくように座り、その上に赤子を乗せてくれるように頼む。
「そこでは赤ちゃんの体が冷えてしまいます。ソファの上で」
「ソファの上ならいい?」
 ナオミがやれやれという顔をする。
「ええ。お兄ちゃんですもの、可愛がってやってください」と、シモーネは言う。
「ねっ、男の子、女の子」
 ルカは立ち上がり赤子をじっと見詰めると、
「女の子だね、可愛いもの」
「ええ、ディーゼと言うの、よろしくね」
「こちらこそ、よろしく」と、ルカはディーゼの小さな手に自分の親指を握らせた。
 ディーゼはそれを口に持って行こうとする。
「あっ、なめたら駄目だよ、まだ僕、手を洗っていないから」
 ルカは慌て手を引っ込めると洗面所へ走り出した。
 その後姿をシモーネは視線で追い、
「よかった、元気で。もし」
 廃人になっていたらどうしようと思っていた。
「心配かけてしまいました」
「いいえ。連絡は頂いたのです。でもお会いするまでは」
 出産後で、自分の体もあまりかんばしくなかった。だから見舞いも遅れてしまった。
「こちらこそ、早く伺えばよかったわ」
 居間に入ると、既にルカがソファの上に胡坐をかいて座り、手で招いている。
「手も綺麗に洗ってきたし、今度は舐められても大丈夫だよ」
 シモーネは約束どおり、ルカの腕の中に赤子を抱かせた。
「重たい」といいながらも、ルカは嬉しそう。
 ナオミは、落としはしないかと気が気ではない。
「僕が、お兄ちゃんだよ」と、ルカはディーゼの顔を覗き込む。
「あら、笑うった。ルカお兄ちゃんのことがわかるのかしら」
 そんな楽しい一日が過ぎた。
「私もナオミさんに見習って、この子は自分の手で育てようと思っています」
「そうね、その方が、大変でも寂しさをまぎらわせるわ」


 それから数日のことだった。ルカは以前約束していた遊園地に連れて行ってもらえることになった。もっとも費用は全てルカ持ちだが。
 そして今日がその日。
 だがルカは、夕べから興奮してあまり寝られなかった。寝たのは明け方近くなってから。
 朝早く、「殿下、殿下」と呼ぶ侍女の声。
 ルカは慌てて飛び起きた。
 そうだ、今日は。
 時計を見るとまだ六時。
 よかった。と、ほっと胸を撫で下ろす。昨夜のうちに侍女に起こしてくれるように頼んでおいたのが功を奏した。
 急いで乗馬服に着替えると、馬小屋へ向かう。
 館の人たちには、今日はニルスと遠乗りに行くことにしてある。
 ルカに乗馬を教えたのはニルスだった。もっとも正式な乗馬は別の人に教わったのだが、山野を駆け回る方法を教えてくれたのはニルスだ。
 館の人たちは親切にも弁当まで作って二人を送り出してくれた。
「お気をつけて」

「何か、後ろめたいですね」
「お気になさらないことです。そんなこと思っていたら、館からは抜け出せませんよ」
 ルカも腹を据えたのか、思いっきり馬の脇腹を蹴る。
 水のある木陰に馬をつなぐと、前もって用意してあった洗いざらしのニルスの子供の服(平民の服)へと着替える。
「これで何処から見ても、町の子だ」
 だがやはりどんな服を着ても、元来その人が持っている品性は隠し切れない。ルカの絹のような柔らかい白い肌が、木綿の服とミスマッチ。
 やはり駄目か。ニルスは片手で顔を覆いながらも、まあ、こういう子供も、まれにだが下町にもいる。と自分を納得させ、
「殿下、参りましょう」と、以前ショウたちが潜り込んできた抜け道をルカに教えた。
「ニルス、殿下と言うのは少しおかしくありませんか」
 それもそうだな。とニルスは考え込む。
「僕はニルスのことを伯父さんと呼びます。だからニルスは僕を甥っ子だと思ってルカと呼び捨てにしてください。それと、敬語もなしです」
 まあ、それが一番無難だろう。主を呼び捨てにするのはどことなく気が咎めるが。まして主はただの主ではない。皇帝のご子息だ。後で仲間に知れたら、何を言われるか知れたものではない。だが覚悟は出来ていた。殿下さえ楽しんでくださればそれでよいと。同じ年頃の子供を持つ親として、殿下にも遊園地を体験させてやりたい。
「さあ、行きましょう」
 塀を乗り越えると一台の車が止まっていた。
 中から夫人と三人の子供が降りてきた。
「紹介するよ、妻のカリンとダニエル、ボブ、ウイリーだ」と、三人の子供を紹介した。
「こちらはルカ」 王子と付けようとしたところ、
「ルカです。初めまして」と、ルカは三人の子供の握手を求めた。そして夫人には、
「今日一日、お世話になります」と、丁寧に頭を下げる。
「いいえこちらこそ、よろしくお願いします」と、夫人も頭を下げた。
 王子だと聞いていたからどんな人物なのかとカリンは緊張していた。噂は夫からかねがね聞いてはいた。平民出の奥方様の影響でとても庶民的な方だと。だが所詮は貴族、気難しいのでは、うまくお世話ができるものなのだろうかと不安に思っていたのだが、第一印象で少し安心した。
 車にルカを先に乗せて皆で乗り込む。四人乗りの車はぎちぎちになった。
「殿下、じゃなくてルカ。少し狭いですが我慢して下さい。これが平民の一般的な車なのです」
 ルカがいつも乗っているような車の中にテーブルがあり大きなクーラーボックスまで付いているのとはわけが違う。
 ルカは初めて乗る車の狭さに驚いた。お互いの体がぶつかり身動きが取れない。
 だが慣れればこれはこれで楽しい。
「あの、殿下は遊園地、初めて」とダニエルが言いかけると、
「ルカでいいです。弟だと思ってもらえれば、幸いです」
「弟か」と、一番年長のダニエルは困った顔をする。
 いくら本人に呼び捨てにしてもいいと言われても。分別ができる歳だけにダニエルは迷った。
「ではこういうのはどうですか」
 ルカはある考えを提案した。
「今から、僕を殿下とか君とかさんを付けて呼んだ人は、バツいち。バツの多い人が最後に罰ゲームをする」
「罰ゲームって?」と、ボブが訊く。
 ルカは暫し考え、
「荷物持ち」
「荷物持ち?」
「ネットで見ました、遊園地の帰りはお土産が多くなるのを。それを車まで運ぶのが大変だということも」
「なるほど、それはおもしろい」と、ボブ。
「やろう、やろう、そのゲーム」と、ウイリーがはしゃぐ。
 ウイリーは八歳。ルカより二歳上なのだがルカに比べれば幼く見える。だが一般的に八歳の子はウイリーのような反応を見せるものだ。ルカが大人びているだけ。
 カリンもウイリーとルカを見比べそれを感じていた。
 まあ、大人の中で育てられたからな。というのがニルスの意見。
「カリン夫人、夫人も」と、ルカが言いかけたとき、
「殿下」
 さっそくニルスが言ってしまった。
「親父、バツ一。兄貴、メモ取っといてくれ」
「ちょっ、ちょっと待て。俺も入るのかよ」
「当然だろう」
 ニルスは何を言いかけたのか忘れるところだった。気を取り直し、
「ルカ」
 なんとなく呼びづらいと思いながらも、
「カリン夫人はおかしいのではないか。俺が伯父さんなら、妻は伯母さんだろう」
「そうですね、では申し訳ありませんが、伯母さんと呼ばせていただきます」
「申し訳ないどころではありません、光栄です」とカリンは嬉しそう。
「王宮では、ご夫人たちのことをそう呼ばれるのですか」
「はい。特に僕は」と言いかけて、ルカは言葉を切った。
「何人もおりますから」と、話をはぐらかす。
 実際は違った。ジェラルドたちやルカのいとこのハルメンスまでもが伯母を伯母と呼ぶが、自分にはそれは許されなかった。もっともいとこの中で自分をいとことして認めてくれるのはハルメンスだけ。自分の体内に彼女たちと同じ血が流れているということを、彼女たちが嫌うからだ。村の言い伝えがなかったら、僕は生まれることすら許されなかったのだろう。どうして体内にいる内に処置しなかったのか。と彼女たちが宮内部に抗議したという噂を耳にしたことがある。
「じゃ、でん」と言いかけて、ボブは慌てて言い直す。
「ルカは俺たちのお袋を夫人と呼んだら、バツいちだからな」
「おいボブ。今、殿下って言わなかったか」
「言ってない、言ってない」と、顔の前で手を振る。
「半分言いかけたから、バツ半分な」
 ダイエルがメモ帳に半分と書きかけようとした時、
「半分はないだろう、おかしいよ」と必死で抗議する。
 殿下という意味がわかっていないウイリーが、ここでは一番有利なようだ。
「なっ、ルカ。お前六つなんだろう。じゃ、俺より年下なんだから、俺のこと兄貴と呼べよな」
「ウッ、ウイリー」と、皆が一番下の弟を取り押さえた。
 ただですら狭い車が、中で暴れたのでは余計に狭く感じる。
「なっ、何てこと言うんだ」
「そうですね、ウイリー兄さんの言うことは正しいですよ」
「ほれ、見ろ」と、ウイリーは勝ち誇ったように二人の兄を払いのけた。
「俺、弟が欲しかったんだ」
 ニルスとカリンは顔を見合わせてしまった。

 そうこうしている間に、いつの間にか遊園地に着いてしまった。
「降りろ」というニルスの号令で、子供が四人降り立った。
 改札口を潜るとそこは別世界だ。子供の天国。リズミカルな音楽に子供たちの歓声。こんな沢山の子供を見るのは初めてだった。その賑やかさにルカは気をされた。
 通路の中央に立ち止まって呆然としていると、
「こんな賑やかなところは初めてだろう」
「ええ」
 ネットでその音も聞いてはいたのだが。
 館は大人ばかり静かな所だ。せいぜい声がするとすれば、カロルが来たときぐらい。
「行こう」と、ニルスはルカの手を引く。
「通路の真ん中に立っていると、邪魔にされるから」
 案の定、ぶつかって来る者もいた。道を歩いている子供たちは前など見ていない。誰もが自分のやりたい目的地のことしか考えていない。その乗り物はあっちだ。それを見るならこっちだ。ショーが始まってしまう。
 ニルスはルカをベンチのある所へ連れて行った。
「まず、何に乗るか計画を立てよう」
 むやみにうろついては時間のロス。それに乗り物に乗るための待ち時間を考えると、一日などあっというまに過ぎてしまう。
 ルカはルカでこのままボーと、行きかう人々の波を眺めていてもいいような気がした。
「どうしました?」
 ルカはニルスに向き直ると、
「人が一杯だと思いまして」
 こんな沢山の人を見たことがない。まして子供を。着ている物もさまざまだし、どの子も活気に満ちている。王都で会う自分の兄弟たちとはまるで違う。
「そうですか、それより何に乗りたいですか」
 敬語もいらないといわれても、やっぱり自分の子供に対する態度とは自ずと違ってくる。
 ニルスはテーブルの上に遊園地の案内図を広げる。
 いち早くボブが、
「俺、これ」と、案内図の一部を指す。
「俺は、こっち」と、ウイリーも負けていない。
「お前たちは黙っていろ」
 ルカは気の毒そうに三人の子供たちを見た。そして、
「僕は何も知りませんから、兄さんたちに合わせます」
「ほれ見ろ。じゃ親父。これから行こうぜ、この近くだし」
 こういう時に主導権を握るのは次男のボブだ。
「駄目だよ兄貴、それ、行列が出来ているもの」と、ウイリーは行列の最後尾を指し示す。
「そうだな、今から並んだとしても乗れるのは一時間後だろうな」
「そうだよ、それよりあっち」と、ウイリーは自分の乗りたい物を指し示す。
「あんな子供だまし」と、ボブは脹れる。
 既に兄弟喧嘩が始まろうとしていた。
 その時、
「よっ」と、ルカは背中を叩かれた。
 振り向くと、そこに服は自分たちと同じ木綿のシャツだが、その顔には見覚えがあった。
 ルカが「カロル」と言うのと、ニルスが「坊ちゃん」と言うのがかさなる。
「どうして、ここへ?」
「リンネルに頼まれたに決まってんだろう」
「大佐に!」
「お前な、事を起こすにはしゃべり過ぎなんだよ。あれじゃ皆が知っている」
 皆で知っていて、ルカが抜け出すのを黙認した。
「尾行されていたの、気づかなかったのか?」
 ニルスは大きく首を横に振る。全然知らなかったと。
「まったく呆れた奴だな。それでよく護衛が勤まるものだ。こいつにもしものことがあったら、お前、どうする気だったんだ」
 言われればそうだ。今までそんなこと考えなかった。ただ、殿下に遊園地を見せてやりたかっただけ。
「それで、館で見かけたような人たちが、周りをうろうろしているわけですか」
 ルカは既に気づいているようだった。先程から自分たちに距離を置きつつ移動している者の存在を。
 カロルはルカの視線の方を見た。するとそこに、
 カロルはやれやれという感じに片手で顔を覆いながら、
「まったくあの馬鹿、隠れているつもりで丸見えじゃねぇーか」
 カロルはニルスの向かいに座ると、
「ニルス、今からは俺の責任だ、こいつに何かあった場合はな」
 ルカの館から正式な外出願い書が出ていた。それで親衛隊を管轄しているクリンベルクが動くことになった。実際ルカ王子の身辺警護の任務を与えられたのは、第六親衛隊の隊長なのだが、カロルも一緒に付いて来た。
「坊ちゃんが殿下のお傍に付いていて下さるのなら、こちらも心強い」などとおだてられ
カロルもすっかりいい気になる。
「本当にカロルさんなのですか、クリンベルク将軍の」
 子供たち三人は、やはりここでも嬉しそうな顔をした。あのショウと同じ顔を。
 クリンベルク将軍を慕うのはいい、だが戦争は。ルカは子供たちの顔を見て不安を覚えた。
「こら、失礼なこと言うな」と、ニルス。
「いいさ。こんな所に本当ならいるはずないものな、それもこんな恰好をして」と、カロルは両手を広げ、今自分が着ている服を見せた。
「それより、お前らにいいものやるよ」と、カロルはタグの入った腕輪を六つテーブルの上に置いた。
「これって、VIPの」
 この腕輪はこの遊園地の全ての施設を優先的に使用できるものだ。無論貴族のための、それも上流貴族のものだ。
「いいの、これ?」
 これを見せれば入り口すら違ってくる。もう行列を作って待つ必要がない。と同時にこの遊園地内なら本人居場所も確認できる。どんなにバラバラに動いても迷子にならない。
「何なんですか、これ」
 子供たちは知っていても、ルカは知らなかった。
「まあ、腕につければわかるよ」
 既にボブは腕につけていた。
「さて、じゃ、何から行く?」と、ダニエル。
「決まってんだろう、あれ」と、弟二人はこの遊園地で一番人気のあるアトラクションを指した。
 あまりの長い行列に乗るのを諦めていたのだが、これさえあれば。
「よし、行こうぜ」と、ウイリーは兄貴気分にルカの腕を引っ張った。
 子供たちは駆け出す。
 ところが乗り場に着くと、
「お前、あの人形の横に立ってこいよ」と、カロルはルカを突き飛ばす。
 あれ? とルカは怪訝な顔をしその人形を指しながら、言われたとおりに人形の横に立った。
「僕は、まだ小さいですね」と、コンパニオン。
「駄目だ」と、カロルは片手で顔を覆った。
 ここへ来ては自分もこれに乗りたかったのだが、カロルは三人の子供たちの方を向くと、
「お前らだけで行って来い。俺とこいつは上で見ているから」
「いいのか」
「ああ、いいよ。ここへ来てこれに乗らなきゃ、話になんねぇーだろー」
「うん」と、子供たちは嬉しそうに駆け出し、入り口で堂々と腕輪を見せた。
 並んでいる人たちを尻目に、子供たちは別の通路からその乗り物に乗り込んだ。
 三人の後姿を見ながら、ルカはカロルに訊く。
「どういうことなのですか」
「お前はまだ小さくて乗れないってことだよ。あの人形より小さいと駄目なんだ」
「ふーん、どうして?」
 はぁっ?
「だから、どうしてあの人形より小さいとだめなの?」
「危ないからだよ。体が小さくて装置に固定できないんだ」
「だったら、装置の方をもっと小さく作ればいいのに、僕でも乗れるように」
「そうじゃなくて」
 カロルがどう説明しようかと迷っていると、
「坊ちゃんは乗らないのですか、殿下でしたら俺が」
 子守をしてるってか。ハルガンの言葉を借りれば、この生意気なくそガキの。
「俺は、何度も乗ったことがあるからな。それに今日は遊びじゃないし」などと、カロルはかっこをつけた。
「それより、来いよ」と、カロルはルカの手を引くと、上へ登るエレベーターへと乗り込む。
「どこへ、行くのですか」
「奴らの幸せそうな顔を見てやるのさ」
 子供たちはコースターの前列に乗り込んでいた。ルカたちの姿を見つけると、大きく手を振る。
 カロルもそれに答えて手を振る。
「お前も、手を振ってやれよ」と、ルカに促す。
「ほら、始まるぜ」
 コースターはゆっくりとラインを登り始めた。登りきったところで、降りてくるというより落ちているに近い勾配だ。
「こっちだ」と、カロルはルカの手を引き、通路の反対側に駆け寄る。その目の前をコースターが物凄いスピードで飛んで行く。凄まじい轟音。一瞬、周りの音が全て消えた。
「さあて、これで二十分近くは戻ってこないな」
 カロルはルカを隣接する喫茶店に連れて行き、そこで飲み物を頼む。
 すっかりニルス夫妻のことは忘れていた。
「仲がいいのね」とカリン。
「ああ、兄弟のようだ」

「この間はご免」と、カロルはドリンクをストローでかき混ぜながら。
「お互い様だろー」
「でも、俺には立場というものがあるから」
「母が言ってました。子供の喧嘩に、大人があんなに出るのはおかしいと」
 奥方様の言いそうなことだとカロルは納得しながらも、
「村では、もしお前に怪我でもさせたらどうなるんだ」
「どうにもならないよ。喧嘩両成敗。お互いに罰せられて終わりだそうだ」
「神なのにか?」
「村では別に神を特別視するようなことはないそうだ。悪いことをすれば神でも叱られるらしい」
 神を叱る。神にげんこつでもくれるのか、よく俺が親父から貰うように。カロルはそれを想像した。村人のそこら辺の態度がカロルには理解できない。だったら最初からこいつを神などと言わなければいいのに。神と言うならやはりもっと大事に扱うべきだろう。
 もっともこいつ自体が自分を神などとは思っていないから、横柄な態度を取ることがない。それに村人たちは甘えているのか。わからねぇー。
「何、考えている?」
「あっ、俺だったら神はもっと大切にするなと思ってよ」
「神なんて、信じていないくせに」
「そらそうだ」と言いつつ、だがカロルはアパラ神に誓った。こいつの命を助けてくれるなら俺は学校をさぼらないと。そして今まで、その誓いは破っていない。破ったらこいつが居なくなるような気がするから。神など信じていないのに。それほどまでにこいつの帰館は奇跡だった。あれは絶対神が救ってくれたとしか言いようがない。


 三人の子供たちが戻って来た。
「やべぇー、口から胃が飛び出すかと思った」
「俺なんか、心臓」
 などと言いながら、足取りもおぼつかなくふらふらと歩いて来る。
「楽しかったか?」
「まだ、コースターに乗っている感じだよ、床がふわふわしている」
 平衡感覚がまだ麻痺しているようだ。
「次は、何に乗る?」
 それから五人は手当たり次第に乗り物に乗った。
 最初の頃こそ緊張していた三人も、いつしかため口を利き合う仲になっていた。
「やっぱり子供は子供同士なんだな、殿下のあんなに笑う顔を見るのは初めてだ」
 ルカはどちらかと言うと物静かなイメージの子だった、あまり笑うこともなく。これはカロル以下数名の者をはぶいてのイメージだが。
「やはり大人たちの中だからでしょうね、お可哀想に」
 遅めの昼食は軽いもので済ませた。腕輪があるから貴族専用の高級レストランにも入れるのだが、あんな所できどって食べるより、この方が美味い。

 昼食後は少しぶらぶらと遊園地の中を散策した。
 射撃場の前で止まる。旧式なゲームだ。シューティングゲームもあるが、何故かこのゲームもすたれずにある。
「あそこに並んでいる物を撃ち取ると、それがもらえるんだぜ。やってみるか?」
 三人の子供たちは、的が動いているだけになかなか当らない。だがカロルは、十発ともすべて命中させた。それも構えてから撃つまでの動きが早い。
「坊主、やるな」と、店主が感心する。
「当たり前だ、俺の親父は騎士なんだぜ」
 騎士と言えば貴族の中でも最下層。彼の実際の身分とは雲泥の差だ。
「やるか?」と、カロルはルカに銃を差し出す。
 ルカは少しためらう。そもそも人を殺すような道具を握るのが好きではない。だがカロルは、そんなルカの手に強引に銃を握らせた。
「リンネルに教わらなかったのか」
 ルカは頷く。剣は教わったが、銃の扱い方はまだ教わっていない。
「剣は貴族の嗜みだからな。だがいざ本番になれば、プラスターの方がはるかに役に立つ」
 カロルはそう言うと、ルカに銃の握り方を教えた。
「いいか、両手でこう持って」
 構えさせて、撃たせた。
「的ははずれたが、要領としてはこんな感じだ。もう一度やってみろよ」
 カロルは短銃、ライフルと意のままにこなした。
「すげぇーな」と三人の兄弟たち。
「当たり前だ」と、カロル。
 こんな所ではずしたら、それこそ親父のげんこつが飛んで来る。
 ルカはそんなカロルをじっと見詰めていた。
「どうした?」
「いや、なんでもない。ただ、僕には銃はいらない気がしただけ。もっと便利な武器があるような」
「もっと、便利な?」
「うん、よく解らないけど、そんな気がする」
 そう、もっと便利な。自分の意のままに変化し、動く武器。
 何なんだろう、この確信めいた予感は。
 カロルはそれを別の意味に捉え、
「まあ、お前にはいらないな。お前が銃を手にするようじゃ、その艦隊は終わりだからな」
 皇帝は軍の最高司令官だ。王子もその後に続く。よくよくは宇宙艦隊の指揮官になるのだが、指揮官自らが銃を手にするようではその艦隊は全滅だ。それにこうやって町を歩けば、親衛隊が護衛に付いている。王子の階級によってその数は違うが、それでもいざとなれば彼らが盾になる。
「坊主、その腕じゃ、親衛隊にでも志願する気か」
 それを聞いてニルスは笑っていたが、カロルは店主に話を合わせる。本当は店主よりもルカに聞いてもらいたかったのだが、
「親衛隊か、悪くはないが、尊敬も出来ない奴のために、命は張りたくないな」
「坊主、しー」と言って、店主は慌てて周りを見回す。
 親衛隊が護衛するのは、皇帝陛下を始めその一族。それを尊敬できないと言う事は。
「そんなこと、口にするな」
 カロルは軽く笑うと、
「親衛隊になるぐらいなら、こいつならいいと思う奴に、私兵で雇われた方がいいな」
「なるほど、その腕なら誰でも欲しがるだろう」
「そうかな」と言いつつ、カロルは横目でルカを見た。
 だが肝心な奴は、欲しがっている様子がない。
 それからまた暫くぶらつき乗り物にも乗ったが、子供たち全員、午前中ほどの勢いはなくなっていた。
「疲れたか?」
 まだまだと言うものの、ウイリーなど歩くのもおっくげだ。
「そろそろ帰るか、少し早いが」
 ルカに至っては、すべてが初めての事だらけだったので、かなり疲れた様子だ。
「土産、買おうか」
「あっ、忘れていた」と、ルカ。
 ネットで見た遊園地の帰りの姿を思い出す。
 罰ゲームのチェックはどうなっているのかと思ったが、既にそのメモ自体がどこかに行ってしまったようだ。
 母に何か買って行こう。と思った瞬間、急に母を思い出し館に帰りたくなった。
「帰ろうか」
「疲れましたか」
 ルカは軽く頷く。
 土産屋に寄り定番の菓子を買うことにした。ルカは館のひとりひとりの顔を思い出し指折り数えている。
「おい、ひとりひとりに買っていたらきりがないぞ。こういう時は、でかいのを幾つかまとめて買えばいいんだ」
「でも皆に行き渡らなかったら」
「お前、こういうのは気持ちなんだ気持ち」
 結局、カロルに言われたとおりに買うことにしたのだが、いざレジの前に立って、ルカはお金を持っていないことに気づく。
 カロルはやれやれという顔をして、自分のカードを取り出す。その時、背後から現金を握った手が伸びた。
「これで」
「畏まりました」と店員。
 ルカとカロルが振り向くとニルスが立っていた。
「沢山、頂きましたから」
 ルカはここへ来る前に、前もってニルスにお金を渡しておいた。今日一日、付き合ってもらうお礼として。
「でも、悪い」
 ニルスはいい。と首を横に振るのだが、ルカは利かない。
「館に戻ったら返します。それまで貸してください」
「では、そういうことにしましょう」
「まったく、言い出すと利かないな」
「そこが殿下のいいところでもあり、悪いところでもあるのですよ」と、ニルスはルカの長所も短所もひっくるめて好きだと言いたげだった。
 結局荷物はカロルが持たされた。
「どうして、俺が?」
「だって君は、僕の護衛だろう」
「護衛だが、荷物持ちではない」
「私が持ちますよ」と、ニルスはカロルの手から荷物を受け取る。
 それからも暫く土産店は続いた。帰り道は土産店の行列だ。だがどの店も混んでいる。そんな中、ルカはあるアクセサリーの店の前で足を止めた。
「母上にも、何か買っていこうかな」
「あのな、そういう物はお前のお袋は身につけない」
「どうして?」
「お前のお袋が身に着けるような物は、あっちじゃないと売っていない」と、カロルは上を指差す。
 天上界と言われ、三階は貴族たちの社交の場になっている。三階はホテルからアトラクションまで全て上空の通路で結ばれ、彼らは一度も地面に降りる事無くこの広大な遊園地を行き来することができる。彼らは平民と同じ道は歩かない。そして一般の平民は許可なくこの空間には入れない。
「行ってみるか?」
「でも僕、お金持っていませんから」
 今度はニルスに借りるというわけにもいかない。上にある品は、そんな中途半端な金額でないことぐらいルカでも知っている。
 すると、「ジャーン」と言いながら、カロルは上パケットからカードを取り出す。
「リンネルから預かってきたんだ。これ、お前のだ」
 よく見ると、自分の名前が書いてあった。本人を識別するタグも埋め込まれている。先方が不審に思えば、指紋でも網膜でも本人確認の請求ができる。
「行こうぜ」と、カロルはルカを促す。
 上へ登るとがらりと雰囲気がかわった。今まで雑多な色と音で溢れかえっていた通路が、簡素化された。床は綺麗に磨きぬかれた花崗岩のような石が引きつめられ、壁も淡いブラウンの落ち着いた色調になる。少し行くと重々しげな扉がある。この向こうが貴族のためのショッピングモードだ。
「腕輪があれば、この扉は開くぜ」
 だがニルスたちは臆した。
 だいたいこの通路に入った段階で、足が浮きだっている。
「いや、俺たちはやっぱり、下で待っているよ」
「そうか、じゃ、ちょっと待っててくれ。ルカ、行こうぜ」
 カロルもルカもこういう雰囲気には慣れているので、一向に気にしない。それより今までの雰囲気の方が、ルカにとっては初めてだった。やっとこれで、いつもの場所に戻ったような。
 扉の向こう側にもいろいろな店があった。下の店と広さは同じ。ただ人が少ないだけ広々と感じる。カロルは宝石店までルカを案内した。
 店内には遊園地のキャラクターをモチーフにしたものが雰囲気よく並べられていた。庶民のところ狭しとはわけが違う。スペースを巧みに取りその宝石だけが輝いているように見せる。
「好きなのを選べよ、この店のものならどれでも大丈夫だ」
 ルカはショウケース越しに中のアクセサリーを見る。
「気に入ったのがあれば店員に言うといい、手にとって見られるようにしてくれる」
 だが呼ばなくとも店員が近づいて来た。
 綿のシャツ。本来ならこのような場所に来る身分ではない。
 では、何故? 店員は警戒しながらゆっくりと歩み寄る。そして、気づいた。
「これはクリンベルク家のカロル様」
 子供に対しても店員は様をつけて呼んだ。
 カロルにとってここはよく姉と出入りしている店だった。姉の荷物持ちとして。
「どうなされたのです? そのお姿は」
「似合うか?」と、カロルはわざとおどけて見せる。
 店員たちは笑いを堪えた。
「今日は、シモンお嬢様はご一緒では?」
 店員にとってお客はシモン。宝石に興味のないカロルは眼中になかった。
「今日は、こいつの荷物持ちだ」と、カロルはルカのことを親指で指す。
「こちらの方は?」と、店員はカロルに小声で訊く。
 カロルと一緒ということは、しかもカロルが荷物持ちともなれば、身なりは身なりだが身分の低い方ではない。ふざけで平民を装っているのか。しかし見たことはない。
「奴か?」
 店員は粗相がないようにと前もってその身分を知りたかったのだが、
「そのうちわかるよ」と、はぐらかされてしまった。
 カロルの口の利き方からして、いとこにでもあたるのだろうと店員は目星を付けた。
「どうした、決まったか」
「あまりいろいろ見ると、かえって迷いますね」
「何を、お探しでしょうか」
「母親へのプレゼントだそうだ」と、カロルがルカの代わりに答える。
「お母様に」
 店員は値の張る方へ導こうとするが、ルカはある物の前で足を止めた。
「これが、いい」
 ルカが決めたのを見て、カロルが寄ってきた。
「どれ」とケースを覗き込む。
「何だ、こんな小さいの。もっとでかいのがあっちにあるぞ」
「でも、これとても綺麗です」
 大きさは大人の小指の先ぐらいで、雫をかたどったようなペンラント。ただ色が白地に緑がかったものと赤みがかったものがあった。それでルカは悩んでいる。
 どちらの方がよいか。値段は一向に気にしていない様子だ。
 カロルは値段を即座に見て、小さいのに高いと思った。
「こちらの品は」と店員が説明に入ったが、ルカは聞いてはいない。カロルはもとより宝石に興味はない。
 かわいそうに店員の言葉だけが空回りをしている。
 やっぱり母上はピンク系の方が似合うかな。でもこちらも捨てがたい。結局ルカは二つ買うことにした。
「おい、二つ買ってどうするんだ」
「一つは母のお土産に。もう一つは今日一日お世話になったカリンさんへ」
「お前な、値段見てからにした方がいいな」
「買えないですか、このカードでは」
「そうじゃなくて」
 普通平民は、こんな高価なものは身に着けないと言いかけて、こいつには言っても無駄だ。おそらく俺の言う意味が通じない。価値観が俺たちとは少しずれている。
 まあ、値段を言わなければ相手も気づかないだろう。あまり華美なものでもないから、見る奴が見なければその価値はわからない。
 確かにルカはこの石の宝石としての価値はわからなかった。だが鉱物としての価値は理解していた。もし船が遭難した場合、この石があれば生命維持装置を暫くの間は作動させておくことが出来る。
 一番この石を理解していなかったのはカロルだろう。宝石としての洗練さも鉱物としての利用価値も。
 精算の段階で、ルカの身分は相手に知れた。それで周りの態度が急変する。今までも粗相に扱っていたわけではないのだが。今まで以上に態度が丁寧になった。王子や王女には浪費家が多い。金の本当の値打ちを知らないから。そんなお客が一人増えることは、店にとってはこの上ない喜び。これを機会にひいきにしてもらおうと。
 カロルをよく知った店員がカロルに耳打ちする。
「王子様なら王子様と、最初に言ってくれませんか。あなたがあまり気安い口調でお話なさるもので」
 せいぜいカロルと同格かと思っていた。
「カロル様がお仕えになられる館のお方ですか」
 奴だったらどんなに幸せか。とカロルは溜め息をついた。
「違うのですか」
「そう、違うんだよ、あいつならよかったのに」
「あいつ!」
 店員は驚いたようにカロルの顔を見た。
 いくら親しくとも、他の王子や王女にはこんな言葉は使えない。いくら親友だからと言われても、自ずとそこには主と従の関係が出来るし、それを求められる。いい例が剣の相手だ。相手に怪我をさせないどころか、負けてやらなければならない時もある。それがカロルは嫌だった。それで王族とはあまり付き合わないようにしていたのだが、父の仕事上そうもいかない。彼らと付き合った後は必ずふて腐れた。酷いときなど従者にあたる。だがこいつは違った。こいつの前では人間の作った価値観など通用しない。
「お待たせいたしました」
 店員は綺麗に包装した箱を持ってくる。
「こちらが赤い方、こちらが緑の方です」
 包み養子が解りやすいようにピンクの花柄と葉の柄になっていた。
その心遣いに、「ありがとう」とルカは頭を下げる。
 そこで礼を言うか。だいたい自分で受け取るか。支払いも自らカードを出した。
 普通そういうことは従者にやらせるものだ。とカロルは思いつつ辺りを見回す。俺しかいない。つまりここでいうなら、俺がやるべきことだ。
 まったくと思いつつも、掛けた言葉は、
「行くか」
 ルカは嬉しそうに頷いたが、暫したたずみ、
「無駄使いしたといわれるかな」
「誰に?」
「母上に」
「そんなこと言わないだろう、お前のお袋なら」
「どうして?」
「その包みの中には、お前の心が入っているからさ」
 店員たちは出口まで送った。
 下に降りると、皆が待ちくたびれたような顔をしていた。
「すまない、遅くなって、こいつが」
 のんびり選んでいるからという言葉は呑んだ。
 ルカはカリンの前へ行くと、
「これ、今日は一日お世話になりました」と、葉の模様の方の包みを差し出す。
「私に?」
「よかったら使って下さい」
 貰ってよいものかどうか、戸惑いながらカリンは夫の顔を見る。
「くれるというのだから、頂いておけば」
「では、喜んで」
 本当にカリンは嬉しそうだ。
 帰りは貴族専用のゲートから出て腕輪は返した。さすがに一般ゲートとは違い造りも重々しい。そして人も疎らだ。ゲートを出れば既に高級車が待機している。仮に車まで歩くような人たちでも、その着ている服は、ルカたちのような恰好をしているものは一人もいなかった。カロルを始めニルスたちが少し劣等感を感じているのに対し、ルカは平然としている。奴のこういう感覚が俺には理解できない。とカロルは首をひねる。結局腕輪の特権は乗り物だけ。一流レストランで食事をすることもなかった。昼食も夕食もバイキングや屋台で済ませた。ルカはナイフもフォークも使わずに食べる食事が珍しくて、かえって喜んだ。
「さて、車を持ってくるか」と言ったところで、ニルスの車は一般の駐車場に止めてある。ここからでは遊園地を半周しなければならない。それにあんな車をここへ持って来たのでは、かえって惨めさが増す。
 やはり、出口を間違えたか。
 こっちの出口の方が近い。と坊ちゃんに言われて出たものの、やはり後のことを考えるべきだった。
 さて、どうするか。と考えているところに、
「俺の車で送るか。近くに止めてある」
 それは助かる。と思った時だ。
 補聴器式の通信機が鳴る。
 ニルスは慌ててそれを耳に入れた。
(狙われている。人数は五人。そのまま自然なそぶりでアーケード伝いに駐車場へ行く振りをしろ。その間に俺が始末する)
 ニルスは家族の顔をひとりひとり見る振りをして周囲を見回す。建物の屋上、銃口らしきものが光っている。だが全員の人数を確認することはできなかった。
ニルスはその銃口とルカの間に立つようにして、
「殿下、疲れておりませんか」と、自分の方へ抱え込むようにルカの手を引く。
 それに疑問を感じたカロルが、視線でニルスに訴える。
 ニルスも視線で答えた。
 だがこの二人の視線での会話をルカも読んでいた。
 何かあると悟ったルカは、ニルスの視線の先に銃口を見た。
 狙われているのは、おそらく僕。
「カロル、その子供たちを頼む。これは命令だ」
 言うが早いか、ルカはニルスの手を振り切りアーケード沿いに走り出す。
 慌てて追おうとするカロルに、
「命令違反は、軍法会議だ」
 ルカは振り向きざまに怒鳴り、また走り出す。
 ニルスは慌ててルカの後を追う。それと同時に数人の者が動いた。
 カロルは軍人の子、命令違反という言葉はカロルの行動を悩ませた。
「坊ちゃん、後は我々に」
 第六親衛隊だ。
「命に代えても、殿下はお守りいたしますから」
 離なれなければ、彼らを巻き込んでしまう。
「殿下!」
 ルカに追いついたニルスが、ルカの体を自分の体で覆った。
「殿下、もっと小さくなって」と、ルカの頭を自分の胸に押し付ける。
 そこへ第六親衛隊がカバーに入る。誰もが自分の身を盾にしていた。
 だが彼らが鬼ごっこをしている間に、屋上ではけりが付いていた。音もなく、ただ五つの閃光が散る。その光の先で小さなうめき声。中には柵越しに真っ逆さまに落ちるものもいた。ドスンと鈍い音。だがルカの居るところまでは遠すぎてその音は聞こえない。
 一人の男が、ルカの方をめがけてプラスターを構えて走り込んで来る。親衛隊のひとりがそれに応戦した。だがそれより早く、その男は背後から延髄を撃ち向かれていた。彼が狙ったのは大脳などではない。生命点。つまり呼吸と心拍を司っている延髄だ。そこをレーザーで的確に焼き切る。
 男が倒れた数メートル後ろに、その男が立っていた。片目にはスコープを着け、背丈近くある長い狙撃用のプラスターを肩に担いで。
「レスターか? どうやってここへ」
 レスターは屋上で狙撃していたはずだ。それが一瞬にして地面に立っている。
 見ればレスターの頭上でワイヤーが大きく揺れている。あのワイヤーでアトラクションの芸人顔負けの離れ業を。しかも着地するより早く男の首を打撃ち抜いていた。
 レスターはスコープを頭上にずらすと、ニタリと笑い近づいて来た。
 倒れている男の前でいったん足を止めると、
「危なかったな、六人目がいるとは。奴さんらもそうとう本気らしい」
 これだけの刺客を放つとは。と呟く。
 レルターは自分の上着で銃を包みながら、ルカの方へ歩いてきた。
 カロルたちもルカの方へ駆け寄る。
 遊園地の方でも警備員は雇っていたが、彼らが駆け付けて来たときには既に事は済んでいた。
 これだけの狙撃事件があっても周りは意外に冷静だった。これが一般平民の所で行われていたなら、かなりのパニックになっていたことだろう。貴族たちはそれぞれに護衛を雇っている。彼らが速やかに自分の主だけは安全な場所へと避難させた。そのせいだろう、周囲はシーンと静まり返っている。その中、ウイリーの泣き声だけが響いた。
 ルカは近づいてくるレスターをじっと睨み付けている。その目には涙。
 レスターは我が主であるルカの前に片膝を付くと、
「ご無事でしたか」と、声を掛けた。
「何も殺さなくとも、あなた程の腕でしたら、僕を守れたはずだ」
「ルカ!」と、カロル。
 命を助けてもらったんだ、そんな言いぐさは。と体を乗り出して抗議しようとしたら、そんなカロルの肩をレスターが押さえた。
「それは、俺の腕を認めているということかな。それとも俺の残虐さを非難しているのかな」
 ルカは自分の非を悟り、慌ててレスターを睨み付けていた視線を地面に移した。だが心のどこかではレスターを許せない。
「すみません。本当は礼を言うべきなのに」
 レスターはルカの顎に手を当てると、彼の顔を持ち上げ自分と視線が合うようにした。
「気にしてない、そう言われると思っていたからな」
 そしてルカの涙を指先で拭き取る。
「宇宙は広いな。自分を殺そうとした殺し屋のために流す涙もあるんだ。俺が死んでも泣いてくれるのかな」
 レスターはじっとルカを見詰めた。
「確かに、俺の腕なら奴らを殺さずとも済んだ。だが俺が生かしたところで、奴等は殺される。成功してもな。ましてしくじったのなら尚更だ」
「成功しても、どうして?」
 レスターはルカの頭の上に大きな手を乗せると、
「殿下はあのヤブ医者が死んだことは知っているか」
 ルカも涙を袖で拭いながら、
「ええ、ハルガンから聞きました。酔って池に落ちたそうですね」
 ハルガンはざまー見ろとばかりに笑っていた。
「うちの館には、酔っていなくとも池に落ちる奴がいるがな」と、レスターは笑う。
 ルカはむっとした。
 レスターは笑いをやめると真顔になって、
「本当に事故だと思っているのか」
 それにはルカも答えられなかった。その話を聞いて以来、もしかしたら他殺。ということばが常に頭を過ぎる。だが事故であって欲しいという思いが、それを否定し続けた。
「まさか本気で事故だと思っていたわけじゃないだろうな、お前ほどの智者が」
「そう思っては、いけないのですか」
 レスターは笑った。しかも今度は大声で。
 大きな手でルカの頭をかき回すように撫でる。だがその手がぴたりと止まった時、
「口封じだ」
「でも、黒幕は誰もが知っていると。だったら何も今更」
「黒幕は、皆が知っているということを知らない。だから同じ事を何度も繰り返す。そして自分の気持ちを安心させるために、駒は駒として消す」
「愚かです」
「人間はそんなものだ」
 ルカは黙ってしまった。だが憤りに強く握り締めた拳は震えている。
 そんなルカをレスターは暫し見詰めていたが、
「殿下、一つ頼みがある」
 ルカは我に返ったように、「何でしょうか」と訊く。
「将来、あなたが俺に依頼をするようなことがあり、もし俺がしくじった時は、その時は容赦なく俺を始末してくれ」
 ルカは唖然としてしまった。最初、レスターが何を言っているのか解らなかったほどだ。
「そっ、そんな、僕はこのようなことはあなたに、いや、あなたどころか誰にも」と言いかけた時、レスターがルカの唇に指をあてた。
 ルカはその手を払いのけ、
「僕は」
 だがレスターはまた塞ぐ。
 レスターは反対の手の人差し指をルカの目の前に立てると、それを軽く左右に振り、
「今は必要ないから、そう思うだけだ。未来のことは解らない。だからくだらない事は口にするな」
 必ず俺を必要とする時が来る。その時こいつは俺を駒として扱える。今日は涙で一杯のこの瞳も、いざとなれば冷酷な閃光を放つ。レスターはルカのエメラルドのような瞳からそれを読み取った。だが駒として扱った人間をこいつは忘れることがないだろう。俺はこいつの心の中に永遠に生きることが出来る。殺し屋冥利に尽きるじゃないか。
 レスターはまた軽くルカの頭に手を置くと、
「ニルス、お前の車は使うな。最後の土産として俺だったら爆弾を仕掛けておくぜ」
 その言葉に親衛隊が反応した。隊長が部下の一人に車を点検してくるように指示する。
 レスターは彼らの動きを覚めた目で見詰めながらも、
「殿下、こいつらは腕が良い。元はロイスタール夫人の館の警護をしていた奴らだからな。後はこいつらに護衛してもらえ」
 ロイスタール夫人と言えばジェラルドお兄様の母上。第一王位継承者の館の警護をしていたことになる。それがどうして、僕のことなど?
 ルカがそう思考している間に、レスターは迎えに来た車に乗り込んでいた。

「隊長、やはり時限装置が」
 古来からの方法だが、目的の人物を暗殺するにはこれが一番。
「はずせるか」
「時間をいただければ」
 親衛隊の隊長はカロルに視線を送った。
 カロルはそれを受け止め、
「俺の車で帰るか」と、ルカを誘う。
「お願いします。彼らも」と、ルカはニルスたちを示す。
「ああ、わかっている」


「ずげぇー、これが車かよ。まるでホテルじゃないか」
 三人の子供たちは大はしゃぎ。
 ルカは車の一番奥の座席でじっと車窓から外を眺めていた。
 子供たちは母親に注意され静かになる。
「ショックだったのかな」
 黙り込んでいるルカを見て子供たちが言う。
「そんなことはないだろう。あいつは自分の命が狙われたぐらいでビキビキするような奴じゃないから」
 そう言いながらカロルはルカの方へ席を移動した。
「おい、ルカ」
 肩に触れたとたん、ルカの体が倒れて来た。
 カロルはそれを慌てて支え、
「なんだ、寝ているのか。疲れたのかな」
 その寝顔はまさに六歳の子供、あどけない。
「侍女の話では、昨夜はあまり寝ておられないとのことです」
「寝ていない?」
 カロルはまた何かあったのかと心配したが、
「楽しみにしておられたようです、今日を」
 やはりルカも子供。遊園地に連れて行ってやると言われれば、夜も寝られないようだ。
「へぇー、遊園地ごときでな」
 カロルはルカの意外な一面を見たような気がした。
「まだ、六歳ですからね」
 そう言われればそうだ。だが話をする限り六歳とは思えない。
 ニルスの子供たちも、狙撃などという初めての経験と疲れから、いつの間にか静かになっていた。寝息が聞こえる。ウイリーに至っては、あれから母親の手を離さない。さすがに自分より年下のルカがいるせいか、抱っことまではいかなかったが。
「可哀想な子としたな」
 怖い思いをさせた。
「致し方ありません。それより全員、無事で怪我もなかったことがなによりです」
「そうだな。レスターの腕は聞いてはいたが、噂以上だ。俺がゲームで人形を撃つのとはわけが違う」
「坊ちゃんの腕もたいしたものですよ、子供たちが感心していました。親父より上手いと」
 妻のカリンがそれを聞いて笑う。
「しかし恐ろしい人物ですね、レスターという男は。自分の主すら囮に使うとは」と、親衛隊の隊長。
 最初からレスターはルカを囮にするつもりはなかったのだろう。結果、そうなってしまった。
「いや、こいつが奴の腕を信じて囮になったのだろう」
「そうだと思います」と、ニルスもカロルの意見に同意した。
「的が急に走り出せば、刺客たちもあせって体を乗り出す」
「そこをレスターに狙撃させたのですか」
「ああ、こいつならやりかねない。意外にこいつ、自分の部下たちを信頼しているからな。俺には真似ができないことだ」
「そこまで考えておられたかどうか。だが信頼が篤い分、批判も厳しい」
「しかし、六人目は危なかった。少しでもレーザーの照射距離設定を誤れば、男を貫通したレーザーがあなたを。あれは危険な賭けだった。我々に任せればよかったものを」
 ニルスは親衛隊の隊長のその言葉を制し、
「レスターにとってあれぐらいは当たり前のことなのです」
 一瞬にして相手との距離を測りプラスターにセットする。銃に自動でやらせるよりはるかに早い。
 ニルスは上着を脱いでルカに掛けてやろうとした時、
「お前の座席の後ろに毛布が入っているから、出してくれ。二、三枚入っているはずだ。子供たちにも掛けてやれ」
 ニルスは椅子を倒し毛布を取り出すと、カロルに渡す。と同時に車窓を見て、道が違うことに気づいた。
「ああ、俺の館に向かっている。ナオミ夫人には既に連絡済みだ。一晩借りると。お前らも泊まって行くといい、俺の客人として。どうせ部屋は無駄に空いているんだから」
「そんな、閣下にお会いしたら」
 俺はどうすればいいんだ。
「その心配はいらない。親父は会議で暫く留守だから」
 しかし、と困り果てているニルスを尻目に、カロルはニルスから受け取った毛布を丁寧にルカに掛けてやると、「俺も寝る」と言って目を閉じる。
 子供たちは全員寝た。
「やっと静かになったな」と、ニルスはほっと溜め息をつく。
 妻が、自分の子供ですよ。と笑う。
 常日頃子供と一緒にいることが少ないニルスにとって、家庭サービスは宮使いより疲れる。
「しかし、噂には聞いていたが、あれほどとは」と、親衛隊の隊長はいまだレスターの腕に感心している。
「部下に欲しいですか」
 でもあなたでは無理だ。という言葉が暗黙の中に含まれている。
「閣下ですら使いこなせなかったと聞いております」
 確かにとニルスは思った。
「彼とは何度か、閣下の命令で組んで要人警護をしたこがあるのですが、その時は挨拶どころか姿すら見せなかった。今回のように彼が膝を屈して、あのように親しく話をするのを見るのは初めてだ」
 館でも我々と口を利くことはめったにない。リンネル大佐も彼のことは勝手にやらせているようだ。ただ見張りの当番を決めておけば、その時だけはそこに居る、仲間の輪の中には入らず。
「しかし、王子様と言うから、もっと気位が高いのかと心配していましたが」
 実態は、
「このお方は特別だ。他の方々ではこうはいかない」
「そうでしょうね、だからあなたでも宮使いが勤まる」と、カリンは笑う。
 ニルスはやれやれと思いながらも、確かにと内心納得していた。
「自分のことより他人のことか」
 普通の王子なら、自分の周りに子供たちを立たせていただろう。それが、
「あの時、飛び出したのは俺たちを守るため。自らが囮になったんだ。これは部下の腕をよほど信じていなければ出来ないこと。俺の態度から誰かからの指示があったと踏んだのだろう。誰が指揮を取っているにしろ、このお方は俺たちを信じている。だからあんな行動が取れるんだ。だから俺たちもそれに答えるために必死になる。俺の家族のために自らのお命を投げ出されては、今度は俺が殿下のために自分の命を投げる番だろう。殿下があれだけ距離とってくだされば、少なくとも俺の家族は安全だ」
 三人は黙り込む。
「殿下が囮になって下さったおかげで、レスターはやりやすくなった」
「だが殿下はそこまで考えていたとは思えない。ただ私の家族を守るために。だがレスターはそこまで考えていた節がある。このお方ならこう動くと。それで狙撃の場所を選んでいたような。それが証拠に、殿下が彼の行動を非難された時も、その非難を甘んじて受けていた。あのような行動を取られた殿下が、自分の行動を非難することぐらい知っていたんだ」
「でも、もし、殿下が違う行動を取っていたら」
 普通の王子のような。
「その時はレスターのことだ、容赦なく見捨てただろう」
 現にそうやって要人を見捨てたこともあった、護衛する価値がないと。
 あの時、閣下はカンカンに怒っていたが、レスターは気にも留めていないようだった。
「そっ、そんな」
「彼らは殿下を試しているんだ、自分の主に相応しいかどうか。それに合格すれば潔く膝を屈する」
 ハルガンもケリンもレスターも。俺もそんな仲間に入りたいが、彼らほどの腕を持ってはいない。


2009/04/17(Fri)22:33:14 公開 / 土塔 美和
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