『TRT アカイイト -完- 』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:湖悠                

     あらすじ・作品紹介
ある日、両親を猟奇的に殺害された主人公コーイチは、親友一樹との待ち合わせ場所で、化け物と遭遇する。そこに彼女が現れ――コーイチは残酷な戦いに巻き込まれていく。彼はその戦いの中で何を見るのか。そして、どんな運命と出会うのか……。

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 キミトボクヲツナグアカイイト、



 ボクハイマデモシンジテイル、



 キミガ……ウンメイノアイテデアッタト……。








 アカイイト


 ‐The Red Thread‐

 
 [TRT]


 
 序


 ◇◆◇◆


 
 その時、オレは興奮していた。
 心臓が激しく波打ち、息が荒々しく漏れていく。
「……く、くくくく」
 自然と笑みが零れた。その笑いは収まることなく、どんどん音量を上げていく。
「くく、ははっ、ははははははっ!!!」
 全てがどうでも良かった。ただ、この快感に浸っていて……他の事なんて全然考えなかった。
 生ぬるい液体をすくいとり、それを激しくすすっていく。気持ちの悪い音が、狭く薄暗い路地裏に響いた。
「おいしい……ナんてオいしいんダ……っ!」
 苦いような鉄の味。それはどんなものにも代え難いご馳走だった。
 その“汁”は見事に綺麗な紅で、ただでさえ大きなオレの欲求を、更に大きくしていく。
「ツぎは肉をタべるこトにしヨう……」
 目の前に置かれた“肉の塊”を食べやすいサイズにちぎり取り、口に放り込んだ。口に広がっていくその味。一言で言うなら――不思議な味だ。だが、その不思議な味に何故か惹かれる。俺は次、また次と肉を頬張っていく。
 次に、肉片から露出する“白い棒”を噛み砕いた。
「カたい、カたすギる。それに味もソんなにナい……」
 思わず吐き出した。肉は上物だというのに、その棒はとてもだが食べるようなものではない。口直しに、白い棒を包んでいる肉を噛みちぎっていった。やはり、肉だ、肉が美味い。我を忘れて貪りつく。――数分で一通りの美味い肉や汁をすすい、オレは立ち上がった。
「今日のハとてモ美味カったぞ」
 満腹となり、食べることのできなかった肉片にそう告げ、脚に力を注ぐ。――そして一瞬にして跳び上がり、オレは空を舞った。取り巻いていた薄汚い景色は一転し、偽りの希望を思わせる光の数々が俺の目を襲った。
「不快だ……何故コんなニもこの町が輝いテいるのだ? オレという闇が蠢いテいるというのに……」
 明かりの灯っていない小さな建物の屋上に着地し、溜息をつく。あの光の一つ一つがオレの存在を否定しているようで、胸がむかむかとしたのだ。……しかし、よく考えればどうでもいい。オレは彼らを捕食し、彼らはオレに捕食される。それだけのことだ。それに、もしあの光が邪魔なのなら、その光ごと喰ってしまえばいい。……腹を壊してしまいそうだがな。
「そロそろ眠ル時間か」
 瞼にかかる重さに気付き、小さく呟いた。
 夢でも見ることにしよう。その夢がどんなものかは知らないが、だがその夢は幻想にすぎない。
 ――オレの現実は、光を奪うこの時間なのだ。輝くものを喰らう、この瞬間なのだ……。
 そして、オレは幻想に全てを委ねた――。

 
 ◆◇◆◇

 
 第壱話 「開」


 其ノ一


「ん、んん……」
 眩しい光が瞼の隙間から入り込んでくる。そして鳥のうざったいさえずりや、近所のおばさんの騒々しい声が耳へと攻撃をしかける。
 ああ、分かったよ! 起きればいいんだろ? 起きれば!
 布団から激しく立ち上がり、着替えをタンスから手に取った。さっさと着替えを終え、一階へと降りていく。
「おはよ――って、またやっちまった」
 リビングにたどり着いても、誰かが待っているということはない。朝食を作る母も居なければ、新聞を読み漁る父だって居ない。
「ま、今更気にしてもしゃーねーな」
 食パンを手に取り、オーブントースターに投げ込む。それが俺のいつもの朝の行動。っと、焼けるまで少し時間があるな、ニュースを見ることにするか。
 床に放り投げられたチャンネルを手に取る。そして、テレビの電源を入れた。
 ――画面に蒼白な顔のアナウンサーが映った。何かを恐れるような、そんな表情だ。
「またあの事件か?」
 アナウンサーがこうなってるときってのは大体“あの事件”の時だ。そう、決まっている。“あの事件”程恐怖を与えるものはない。
『また惨い事件が起こってしまいました……』
 蒼白な顔で、アナウンサーは文を読み上げていく。
『市川市の狭い路地裏で、内臓と血液の抜けた遺体が――』
 そこでチャンネルを切り替えた。朝からこの手のニュースというのは気持ちが悪い。ただでさえ不味い朝食がさらに不味くなっちまう。しかし、どのチャンネルを回してもこの残酷なニュースが特集されていて、安全圏は子供向け番組のやっているチャンネルしかなかった。
「ほんと、迷惑なもんだぜ」
 テレビを消し、オーブンからパンを取り出した。慣れた手つきでマーガリン、ジャムを塗り、勢いよく頬張る。高校生だというのに、毎日毎日朝昼晩と数個のパンを食って過ごしているなんてな……。
 ――俺の名前は加藤 浩一郎(かとう こういちろう)。友達には“コーイチ”とか呼ばれてる。高校二年で、一軒家に一人暮らしだ。親族からの仕送りでなんとかこのシビアな世の中を生きている。
 俺がこうなったのも、全部……――。
「って、あれ!? こんな時間だったのか!?」
 時計を見てぎょっとした。7時半くらいだろうと思っていたが、時計の針はそんな甘い考えを吹き飛ばすかのように、残酷な数字を指していた。
 二階へ勢いよく駆け上がり、鞄を手に提げて玄関を飛び出した。もちろん鍵を閉めて。
「くぅ! 遅れたらアイツになんて言われるか……!」
 考えただけでぞっとした。何としてでも遅刻だけは防がなければ!!

 
 結果、俺はヘッドスライディングによるナイス滑り込みによって……――。
「コーイチ!! 10分もタイムオーバーしてるよ!!」
 ……普通に遅刻した。
 なんてことだ。いつもなら神の加護により、なんとか難を逃れるというのに。
「コーイチー、何で遅れたのかなー?」
 光がガンガンに差し込んでいる教室。だというのに何で俺の周囲は暗闇に満ちているのだろう。あ、目の前にクラス委員長の九頭原 紗枝香(くずはら さやか)が立ってるからか。
 九頭原 紗枝香。この世では珍しくなったポニーテールの持ち主であり、縛らなければ腰まで届く程で、その、言うのは気恥ずかしいが、美しいっていうか、こう……そうだ、触ったらとても気持ちのいいサラサラとした髪が特徴だな。クラス委員長のくせにそこまで髪を伸ばすのはどうか、と言いたいところだが、誰もこいつには逆らえん。だって俺でさえ怒ったこいつは怖いもん。逆らわないもん。だったら誰も逆らえはしないよ。その割にはのんびりとしてそうな顔をしている。だが顔は整っており、この学校では一位に選ばれてもいいくらい美人だ。美人? いや、可愛い子? ん〜、そこらへんを決めるのは難しいな。
 ――って、そんなこと考えてる暇じゃねぇ。紗枝香は鬼の形相で俺を睨んでいる。「おいおい怒るとシワが増えるぜ」なんて冗談かましたりでもしたら、あの世にいくより恐ろしい目に遭うだろうな……。
「何で遅れたか、知りたいか?」
 言うと、紗枝香は「ええ」と言って頷いた。
 わざとらしく彼女に声を落として言った。
「これはきっと男にしか分からず、そして女が聞いても頬を赤く染めるだけだが、それでも聞くか……?」
 そこまで言うと、紗枝香も少し戸惑い始めた。
「え? そ、それはその……えと、男の子特有っていうか、その、わ、私が聞いたらいけない様なプライベートなことなのかな……?」
 やべ、噴出しちまいそうだ。どんだけこいつそういうのに敏感なんだよ。  
 紗枝香の顔は、俺が何もまだ言っていないのに頬に朱が差し始めている。こいつほんっとにこの手の話題に弱いからなぁ。それに妙に知識もあるし。
「ま、そういうことだ。さ、もう満足だろ? 通してくれ」
 完全に沸騰状態な彼女の横を通り抜け、自分の席に座った。
「はわわわ……」
 ……紗枝香はいつまでああやってるつもりなんだ? まだ先生来てないからいいけど、でも公衆の面前で顔を赤らめて放心してるなんてなぁ。そっちの方が恥ずかしい気がするんだけど。――ま、いっか。
「おい、コーイチ」
 後ろから肩を叩かれたので振り返ると、短めの髪で眼鏡を掛けた、友人の実村 一樹(さねむら かずき)が呆れた顔をしていた。
「お前またピンクな事言っただろー。紗枝香はそういうのに弱いって分かってるくせに」
 ピンクな事って……相変わらず昭和みてぇな比喩を使う奴だなぁ。
 実村 一樹。一風変わったやつっていうかなんていうか。簡単に言えばもの好きって感じかな。おじさん臭い気もする。なのにどこか抜け目ない。なんか鋭い。多分紗枝香よりも俺を苦しめる相手だろう。ま、俺の一番の悪友なんだがな。
「弱いってわかってるからこそ楽しむんだろーが。一樹、お前は優しすぎんだよ」
 そう言い返し、もう一度紗枝香を見てみた。……まだ放心状態だった。
「あれで怒られたら紗枝香可哀想だよなー。誰かが助けにいかなきゃなー。あーあー、誰が助けにいってくれるんだろうなぁ」
 …………。
「あーあー。いっつもいつも、弁当を分けてもらって、なのに恩も知らないで、あんなところに放っておくのかぁー」
 ………ム。
「可哀そうだなぁー。いっつもいっつも誰かさんが遅刻して、その度頬を膨らませて。なのにそんな奴のために怒られるなんてなー」
 ……ムム。
「あーあー、可哀そー。誰かが助けてあげないとー」
 一樹がニヤッと悪戯に笑った。
 チッ、しつこいんだからー!
「あーっ、わかったよ! 責任はきちんととるさ!」
 席を立ち、再び紗枝香のところに向かった。
「ほれ、もどるぞ」
 態度はでかいくせに、意外と小さな紗枝香の背中をぐいぐいと押し、席に座らせて……――。
 そんな時、教室にドアが開いた。そこから入ってきたのは――担任だった。
「さて、朝のホームルー……加藤!!」
 不運な事に、紗枝香の席は窓際であり、廊下側の俺の席からは相当離れた所にある。……つまり、“消しゴムを落とした”といった類の言い訳をするのがほとんど、いや完全に無理なのだ。
 ここは諦めるしかない。俺は素直に顔の赤い担任についていくことにした。


 其ノ二
 
 ようやく昼休みがおとずれた。朝から説教で最悪だったなぁ。おかげで授業は全然集中できなかった――って全然関係ないか。
 まぁ、そんなことはどうでもいい。昼だ。今は昼なんだ。少ない駄賃で腹をどうにかして満たさなければ。
「お〜い、紗枝香〜」
 友達と机を合わせ、弁当を食している紗枝香に近づいていく。
 俺の目的はただ一つ。こいつとその友達から弁当を少しおすそ分けしてもらうことだ。
「いつもハイエナみたいにくるねー、コーイチも」
 冷たい視線で紗枝香は言う。まったく、誰がハイエナだ。どっちかっていうと俺は……あれ? ハイエナしか浮かばないんだけど、どういうこと?
「まぁ、ハイエナでもエキゾナでも何でもいいから、くれ。なんかくれ。頼む」
 頭を下げて頼むと、紗枝香をはじめとする女子達がそれぞれおかずを分けてくれた。
 そんな彼女たちに、俺は最高の笑顔を送る。
「マジでいつもありがとな。助かるぜ」
「いいよ。その、コーイチも大変だろうし」
 その紗枝香の言葉に、女子達も頷いた。俺としては少し複雑な面持ちだったが、
「……ありがとな」
 そう言って、その場を後にした。

 廊下を歩いている最中、俺は紗枝香の言っていたことを思い出す。『いいよ。その、コーイチも大変だろうし』か。
 実は――俺の両親は、中学3年生の時に死亡した。……殺害されていたのだ。
 俺が朝目覚めたとき、リビングは真っ赤に染まっていた。今でも忘れられない。腹部がえぐりとられ、頭と胴体、腕、脚がバラバラにひきちぎられていたあの有様を。一瞬、何がどうなってるのかわからなかった、あの惨状を。
 犯人は未だに捕まっていない。未解決であり、謎だらけの事件で、ある人は「まるで食い荒らされたかのよう」とまで言っている。とにかく訳の分からない事件だった。
 その事件の後、俺は独りぼっちになった。親族が俺を引き取ろうとしてくれたが、それを全て断り、家に居続けた。親族たちも、俺の気持ちを察してか、仕送りをして生活してもらう、ということにし、その一件を収めた。
 両親が居なくなったことで俺の心には大きな穴が開いていて、しばらくはずっと処理や清掃のされたリビングでぼーっとしていた。
 そんな時、紗枝香が俺を励ましてくれた。紗枝香とは親同士の仲が良かったため、昔からの仲で、ずっと一緒に居た。だからこそ、紗枝香の励ましは他の人たちの同情とは違い、俺の心を落ち着かせて前へと進ませてくれた。――紗枝香は俺の恩人であり、……片思いの相手だ。紗枝香は俺のことを幼馴染とでしか見てないかもしれないが、俺はそうじゃない。いつの間にかあいつのことが好きになってた。だから、あいつのことをよくからかうし、意地悪なこともしてしまう。まったく、俺も子供だ。


 紗枝香達から恵んでもらった様々なおかずたちと、さっき買ったパンを頬張りながら、俺は溜息をついた。いつ、この気持ちを伝えたらいいやら。もしかしたら拒否されてしまうかもしれない。そうなったら、俺は立ち上がることができるだろうか? 
 そう、正直に言えば怖いんだ。紗枝香を独占したい、でももし拒否されたら……怖い。
「でもそんなんじゃダメだよなぁ」
 分かってる。分かってるけど勇気がでない。やっぱり拒否されたときのことを考えてしまって……。
「何がダメなんだ?」
 ――ぎょっとした。後ろから突然声をかけられたのだ。
 この声は……一樹か。
「お、驚かせるなよ! 話しかけるならなんかこう……工夫してくれ!」
 一樹は首を傾げる。
「はぁ? 訳がわかんないぞ? ま、今に始まったことじゃないか。ああ、それよりもさ」
 ポケットから携帯をとりだした一樹は、少しいじってから画面を俺に見せた。――朝に見たあの事件の内容が書かれている文だった。
「おいおい、俺そういう類の事件嫌いなの知ってるだろ? やめてくれよ、マジで」
 一樹も俺の事情を知っている。ってか知ってながらも言うのかこいつは。
「ああ、悪い。それは分かってるんだけど、でもこれ相当近所で起きた事件でさ。ホラ、前ゲーセン行ったろ? あそこの近くなんだよ」
 ゲーセンなんていつも色んな所行ってるから、どこかなんて全然わからん。
「とにかく、今後はゲーセン控えたほうがいいかもなー……。あー、でさ。今夜の7時にここ来てくんねぇか?」
 一樹はまた携帯をいじってから画面を俺に見せた。えっと、地獄寺? っておいおい、何かすっげぇヤバそうな名前じゃねぇか。
「近くの新しく出来たゲーセンに近いから、ここ集合ってことで。俺達のゲーセン卒業祝いってことでさ。んで、これがそれなんだけどさ〜」
 興奮した様子で、一樹は携帯に映ったゲーセンの写真を見せる。おいおいおい、控えたほうがいいとか言いながら、ゲーセン卒業祝いでゲーセンかよ。なんか……とっても矛盾してる気がするんだが。
「これでかいんだぜ? やばいんだぜ? しびれるぜ?」
 知るか、と言いたいところだが……まぁ、悪くないな。一樹がいつも奢ってくれるから、俺の家計には影響がない。いって損はないってことだ。
 俺は親指をグッと立てて、了解の証を見せた。
「おー、ノリいいね! んじゃ、今夜ここなー♪」
 一樹は嬉しそうに笑い、どこかに行ってしまった。
 ……俺と昼食を食うつもりはなかったのか。なんかそれはそれで寂しいな、オイ。
 とりあえず昼休みが終わる前に、俺も昼食を終えておこう。
 風が吹く中、俺はただ一人で飯を食い終えた。



 其ノ三
 
 昼食を食べ終えてからは時間があっという間に過ぎ、今は放課後だ。
 一樹を探したが、いつの間にか帰ってしまったようだ。教室には数人の女子だけが楽しそうに喋っている。
 バッグにこっそりと入れていた携帯を開くと……まだ4時だ。時間までまだ3時間もある。
「コ〜イ〜チ〜!」
 ゲッ、紗枝香に携帯がバレたみてぇだ! くそ、結構コッソリと見たはずだったんだけどなぁ。
 恐る恐る振り向いて見ると、紗枝香の顔は朝見たような怖い顔になっていた。
「学校に携帯は持ってきちゃいけないんじゃなかったっけー?」
 まっずいなぁ、どう言い訳をするかぁぁぁ……。
「いや、その、これ携帯じゃないから。あれだから、あれ……小さいパーソナルコンピューターみたいなさ」
「余計ダメだから。無駄な抵抗は止めてさっさと――ってあれ? メール受信してるよ?」
 携帯の画面を見ると、紗枝香の言った通りメールを受信していた。――しばらくして、そのメールの相手が一樹であることに気付いた。
「へぇ〜、実村くんから?」
 お、おいおい、何普通に覗き込んでるんだよ!! 
 慌てて画面を隠したが、大体の文章は読まれてしまったようだ。
「え? そんなに隠すようなことじゃなかったじゃない。それとも、7時に集まって何か、えと、その、へ、変なことでも……するの?」
 何でお前はいつもそういうこと考えるんだっっ!! 何で顔を赤くしてんだよ!! ってか7時ってはぇぇよ! いやいやいや!! そんなこと言いたいんじゃなくて!
「ち、ちげぇよ! ただゲーセンで遊ぶだけだっつの! 変な妄想すんなよ、もう……」
 こいつの妄想癖は行き過ぎてる。まぁ、下ネタ吹き込んだのは全部俺なんだけどさ。まさかここまで敏感になるとは思ってなかったよ。
 っとと、肝心のメールの文章みてねぇや。どれどれ――。
『今日夜7時に地獄寺集合って言ったけど、場所を一瞬みせただけじゃわかんなかったろ? 地図の画像送るから見てくれよ。それと、7時まで少し用事があって、もしかしたら遅れるかもしんないけど、10分くらいは待っててくれな』
 ……まぁ、助かった。実際場所は適当に受け流しちゃったからな。――っていうか、遅れるかもしんないのかよ。何ていうか、最近寒くなってきたし、それに暗くなるのも早いし……ちょっと怖い。
「7時に、本当にその場所に行くの?」
 彼女は、まるで俺を引き止めたいとでも言わんばかりに心配している様子だ。
「ああ、当たり前だろ? 約束は守らないと」
 いつの間にか紗枝香の表情が、本当の意味で険しくなっているような……。
「でも、最近物騒だよ?」
 ――物騒、か。そういえば最近多いよな。――人があらぬ姿で発見される事件が。
 きっと紗枝香はそれを心配してるんだろうけど、きっと大丈夫だ。死体発見現場からは結構離れたところだし。
「俺は大丈夫だよ。紗枝香ちょっと心配しすぎじゃねぇの?」
 笑いながら言った。軽い気持ちだった。――だけど、紗枝香の表情は変わらない。
 何となく、俺は過去に両親が惨殺された後のことを思い出した。そういえば、あの時も紗枝香は同じ表情をしていなかったっけ? ――まるで、俺までもが両親の後を追ってしまうんじゃないか、と心配するような顔で……。思えばあの時なぜ彼女はあんな顔をしていたのだろう。俺が自殺するとでも思っていたのだろうか? それとも、俺が――殺されるとでも思ったのだろうか?
「コーイチ」
 溜息といっしょに、彼女は俺の名前を呼んだ。
「――絶対に無理しないでね?」
 静かに、彼女はそういい残し、教室を後にした。
 気付けば、教室は俺ただ一人になっていた。広いスペースにただ一人……。それは、俺の家を彷彿とさせて、何か気持ち悪さを感じた。
「……帰ろ」
 バッグを手に取り、教室を後にした。なんとなく背中が寒い気がしたが、きっと俺の気のせいだろう。
 
 
 家に帰るころには、時計の針が6時をさしていた。本屋に寄って立ち読みしてる間に随分と時間が過ぎたようだ。
 ……あと一時間で約束の時間だ。地獄寺はそう遠くないところだが、早めに準備をしておこう。
 自分の部屋に入り、なるべく温かくなるような服装に着替えた。今は11月の下旬だ。寒さは冬本番と言ったところで、油断したらどこぞの童話の少年と犬になってしまいそうだ。
 ふと、カーテンから外を覗いて見た。――随分と暗い。さっきまでそう感じなかったが、明るいところから見てみると結構視点が変わるものだ。
「こうしてみると、マジに化け物が出そうだな」
 俺の言う“化け物”というのは、例の惨殺事件の頭のトチ狂った犯人のことだ。その犯人の殺し方は凄く惨い。内臓を引き出し、血を吸い取り、首をすっ飛ばし……――死体の周りは血の海と化しているのだ。
 ぎゅっと拳を握った。俺はそいつが許せない。そいつが俺の両親を殺した奴かもしれないからだ。
 殺し方からその後の死体の様子まで……そっくりそのまま同じだ。あんな惨いことができるのも、そしてそんな技術があるのも、そうは居ない。
 早く捕まって死刑にでもなってほしいものだ。そうすれば世の中は安全になるというのに。そして俺の気も少しは収まるというのに……。
 ――ふと、俺は時計を見た。そしてぎょっとする。
「もうこんな時間かよ!!」
 ダウンをはおり、財布をポケットに無理やりしまいこみ、家から飛び出した。――その時は、もう化け物のことも惨殺事件のことも、そして紗枝香の忠告でさえ忘れていた。
 ただ走り走り、何とか地獄寺に着こうと必死で……。この先にある異様な空気にはまったく気が付かなかった。
 白い息がただただ漏れていく。暗い道は数本の電灯でなんとか照らされていたが、あまりにも薄暗く、それはそれで何か恐ろしい雰囲気をかもし出していた。
 何本目かの電灯を超えたとき、右の方に小さな寺が見え始めた。
「あれかっ!」
 狭い門のところで立ち止まり、携帯をポケットから取り出した。時間は7時10分を示していた。――新着メールは入ってきていない。一応来たことをメールしておこう。あいつも遅れるとか言ってたしな。
 ってか寒い。かじかんでなかなか文章を打てないぜ。くそ、この、こ、こうだっ!! よ、よし、今ようやく半分打てた。ま、まだだ、おらっ!
「っよし! 打ち終わったぜ」
 ……さて、やることは済んだ。済んだのは良いんだけど、すごく怖いな……。早く返信が来て欲し――。









「――ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁああっぁぁぁぁぁっ……ぁ…………っ…………」


 

 ――狭い境内に、絶望を告げる叫び声が響いた。
 俺はその叫び声を聞き、背筋は凍り、腰が抜けてその場に尻もちをついてしまった。
 さ、さっきのは、人の……悲鳴だよな? それも、あれは断末魔じゃないか……?
 くそ、びびってんじゃねぇ! なんとか立ち上がれ! もし、もしあの悲鳴が断末魔だったら犯人が、近くにいるかもしれないじゃないか! それに被害を受けた人も、もしかしたら生きてるかもしれない……!
「た、助けなきゃ。いや、でも、逃げた方がいいのか?」
 震える脚をなんとか奮い立たせた。どちらにせよ、立ち上がらなければ何も――。
「オい、子憎、ナにをシている?」
 ――全身が震え上がった。背後から何者かに肩をつかまれたのだ。
 落ち着け、落ち着くんだ。喋り方が少し不自然だが、もしかしたら今の状況を一緒に打破できるかもしれない。……いや、しかし、何故こんな寒空の下に人がこうもいる? ま、まぁ俺みたいな物好きなのかもしれないが。それにしても何か、こう、違和感を感じる。
「あ、すいません。実はさっきそこで――」
 振り向いたとき、俺は凍りついた。

 


 は、 背後に 居たの は、“人”で はなか った。



 


 
 第弐話 「戦」

 
 其ノ一

 両眼が縫い閉じられ、頭は数本髪の毛が生えているだけ。そして裂けた口からは赤い雫が滴り、その中に白い球体……眼球が――。
「う、うああああァァァァァァッッッ!!!」
 思わず走り出していた。さっきまで怖気づいていた脚。情けない話だが、今では自らの命を守るため、懸命に、激しく動いている。
 一体あれは何なんだ!? あれは……あんなのは化け物じゃないか!! そして口に咥えていたあの眼球……ま、まさか――。
 思考をめぐらせている途中で、俺は何かに躓いた。倒木かと思ったが、それはそんな生易しいものじゃなかった。
「あ、あぁぁぁ」
 思わず恐怖の声を漏らした。
 それは、肉の塊だった。他に言い表す言葉が見つからない。あまりにもぐちゃぐちゃすぎて……言葉にならない。それは鮮やかな紅で……でも、そこから白いものが……ウッ。
 恐怖と吐き気、両方に襲われた。地面に跪いたとき、脚に血の生暖かさが伝わり、それが引き金となって吐きこんだ。喉と目に燃えるような熱さが襲う。どうやら嘔吐物と一緒に涙まで流していたようだ。
 吐き終わった後、俺の脳裏に最悪の可能性が過る。この肉の塊は、もしかしたら……かず……き……の、いや、違う! そんなわけない!! そんなのっ!!
「見てシまっタか……。ソれは中々美味い馳走だっタぞ。確か少年の肉だっタな。誰かを待っテいるようダったが」
 なっ、しょ、少年の……――か、ずき? ……かっ、ぁ、あああぁぁぁぁぁあぁあああああああああああ!!!!!

 

 一瞬、ある日の光景が広がる。まだ傷心の癒えていなかった時。紗枝香にだけ支えられ、高校を通う日々の中。
 まともに誰かと話せなかった俺に。
 人を避けていた俺に。
 彼は自然に話しかけてくれた。
『なぁ、一緒に昼食いにいかない?』
 昼休み。一人で売店に向かおうとする俺に、彼はそう言ってくれた。
 俺は黙ってついて行った。一言も口を開くことなく、ただ足を動かして行った。
 正直、食欲はなかった。あの事件以来、食べ物を見ても進んで食いたいと思わなくなり、特に肉は見るだけでも辛かった。
『俺が買ってきてやる』
 人がすし詰め状態になった売店の前で彼はそう言い、人ごみを無理矢理かきわけていった。
 数分後、彼は戻ってきた。手には、俺の気持ちを知ってか知らずか、カツサンドとハムとレタス、トマトが挟まったサンドイッチが握られていた。
 俺は初め、食べようとは思わなかった。適当にパンのところだけを少し食べ、それを袋に包み、適当に言い訳をして本人の居ないところで捨てるつもりだった。
 しかし、ベンチで腰を下ろし、パンの包み紙を互いに開けた時、俺は彼の持っているパンがコッペパン一個であったことに気づいた。俺の視線に気づいたのか彼はニコッと笑った。
『ああ、俺のは気にするなって。良いパンが運悪くお前の時に終わっちまってさ。でも俺コッペパンは何気に好きだしさ。だから良いんだよ』
 俺は、その言葉に甘えてしまったのだ。
 罪悪感を感じながらも、先ほど考えたように適当に言い訳をし、持って帰って食べるように見せかけ、近くのごみ箱にそれを捨てた。
 そして放課後。帰り道だった。いつものように孤独に帰っていく。そんな時だった。同級生の女子の話し声が聞こえてきたのだ。
『ねぇねぇ、実村 一樹って知ってる?』
『あ、知ってる知ってる! 両親が殺された子……たしかなんとか浩一郎って男子のためにパンを買ってあげたやつでしょ〜?』
 そうか、あの男子は実村 一樹と言うのか。その時初めて彼の名前を知った。
『そうそう! えらいよね〜。両親が殺されたって言う噂を聞いただけで、すぐに浩一郎って子のとこに飛んで行ったらしいよ〜』
 そんな噂が流れていたのか……。ただそう思い、立ち去るつもりだった。
 しかし、次に俺はこんな事を聞いてしまった。
『実村のお父さんって交通事故で死んじゃったんでしょ〜?」
 !?
『両親で働いてたみたいだけど、圧倒的にお父さんの方が収入多かったらしいからね〜』
『えっ!? じゃあ今大丈夫なのかな? お母さんも働いてるって話を聞いたけど……』
『だめっぽいらしいよ〜。そのお母さんが働いてる会社が波に乗ってないらしくてさぁ。収入低いから一樹もアルバイトとかをして支えているらしいよ』
 何で……だ?
 そんな状態で、何で俺になんかパンを買ってくれたんだ?
 金に余裕がねぇのに……。俺なんかのために金を使うのは無駄なはずなのに……ッ!
『多分思うところがあったんだろうねぇ。一樹』
『その浩一郎って子に自分を重ねたってこと?』
『お人好しだからねぇ。一樹って』
 ――俺は走り出した。帰ってきた道を逆戻りし、学校に向かって全力疾走で向かった。
 学校に着く頃、空は茜色に染まっていた。時間は5時を過ぎていた。
 ――バカだ。
 心の中でけなした。
 ――バカだ。バカすぎる。
 歯を食いしばって、けなし続ける。
 

 ――バカだ。俺は、バカだ……っ!

 
 ゴミ箱を漁った。あのパンを捨てたゴミ箱だ。パンを捨てた時から更に色んな物が捨てられていた。食べ残した残飯、飴の袋、プリント、プラスチック……漁っても漁ってもパンは出てこない。
 俺は知らなかった。あの時の彼――一樹が、苦しい生活を送っていることを。
 俺は分からなかった。たとえ相手がどんな境遇であれ、もらったものを捨てることがどれだけ愚かなことか。
『何やってるんだ!』
 ビクッとした。突然後ろから怒鳴られたのだ。
 後ろを振り向くのが怖かった。そこにいる奴がどんな表情をしているのか、見るのが怖かった。
 恐る恐る後ろへ振り向いた。

 そこには、一樹が立っていた。

『お前、何やってるんだ? 何か大切なものを捨てちまったのか?』
 言えなかった。もらったパンを捨てただなんて、とてもじゃないが言えなかった。
『うん。大切なもの……間違えて捨てた』
 俺はただただうなずいた。ある意味間違ってはいなかったから、嘘はついていない。
『そうか。なら俺も探してやる』
 一樹というやつは、本当にお人好しだった。きっと、困っているやつがいたら放っておけないやつなんだろう。
 俺は断れなかった。断るにはどう言えばいいのか、分からなかった。
『ったく、何を捨てたん――ん?』
 一樹がゴミ箱をひっくり返した時、あの時買ってもらったパンが出てきた。――それを、俺は咄嗟に掴んでいた。
 思わず目頭が熱くなった。自分がどれだけやっちゃいけないことをやったか……。罪悪感が俺の良心を締め付けていた。何も言い訳などできない。何を言われたとしても、返す言葉がない。だから、泣くしかなかった……。
『お前……』
 一樹がつぶやく。その顔はとてもじゃないが見れなかった。どんな顔をしているのか見るのが、怖かった。
 突然、頭をぶたれた――と思ったら、優しく撫でられていた。俺は涙を拭い、一樹の顔を見た。
 その顔は、優しく微笑んでいた。
『早く片付けて帰ろうぜ。その“大切なもの”は探し出せたんだし』
 ゆっくりとうなずいた。目頭がとてつもなく熱かったが、それ以上涙を流すことはなかった。
 帰り道、俺たちはパンを半分にし、一緒に食べて歩いた。いつの間にか、俺たちは笑っていて……いつの間にか、気づけば近くにいる存在になっていた。

 それからすぐに、一樹の母さんの会社が急に成長し、発展を遂げ、日本でも屈指の大企業へと変化を遂げた。母さんも昇進し、家に帰ってくることは少なくなったが、なんとか苦しい生活からは抜け出したという。
 そして、俺は一樹のおかげで食欲もだんだんと湧き始め、肉も食べられるようになった。
 一樹にはお金に余裕ができ、遊びに誘ったりしてくれる時は、何かと奢ってくれたりするようになった。俺としてはまだ奢ってくれることに罪悪感を感じるときもあるが、一樹が世話好きなのは知っていたので、断ることもできなかった。
 俺たちは、ずっと楽しく過ごしてきた。
 ずっと、ずっと……。 


 クソ、クソォォオオオオオオオ!!!!
 自分でも分からない間に、化け物に向かって殴りかかっていた――が、殴った拳がジンと痛んだ。硬い、なんて硬いんだ……俺ではとても壊せないような、岩のような体だ。――だが、それでも構わず殴り続けた。
「返せ! 返せよ!! そいつは、そいつは俺の友達なんだよぉぉっっ!!!」
 叫んだ。それが無駄な叫びと知りつつも、俺は魂の底から叫び続けた。
「俺を、俺を待ってたんだよ!! そいつは、俺を、俺なんかを励ましてくれたんだよぉぉっ! 親の居ない俺を、金に余裕の無い俺をっ! ずっと、ずっと励ましてくれたんだ!! なぁ! 返せ、返せ!! あいつを、一樹を返せぇぇぇぇっっ!!! あああああぁぁぁぁぁああぁぁっっっ!!!」
 喉がつぶれるほど叫びながら、同じ箇所を殴り続ける。
 そうしても意味はないのに。
 ――死んだ人間は蘇らないのに。
 また拳を振り上げたとき、腹部に大きな衝撃が加わった。化け物の蹴りだった。膝をつく俺。しかし、化け物の攻撃は留まることなく続いていく。脇腹を、腕を、頬を、頭部を……次々に殴られ、蹴られていく。
「うっセぇんダよ……。そんなに欲しけりゃ返しテやルよ、ほれ、受ケ取れ!!」
 口内に広がる気持ちの悪い血の味と、全身を襲う痛みにうずくまる俺。そんな時、頭に何かがぶつかった。暗くて最初はよく分からなかったが、手触りで分かる。これは……眼球だ。
「言っタ通り、返しテやっタぞ。ハハッ、喜びで何も言えナいか――ムッ?」
 歯止めが利かなかった。俺の心は怒りで埋め尽くされ、恐怖も何も生まれなかった。ただ、目の前に居るあの“悪魔”が憎かった。憎くて、壊したくて……そいつしか見えなくなっていた。
「クッソオォォォォ!!! 殺してやる!! 殺してやるゥゥッ!!!」
 近くに倒れていた石像を掴み上げ、化け物に殴りかかった。
 ――しかし、殴ったのは空気だった。化け物は既に俺の背後に回りこんでいて、そして肩をつかまれ――。
「お前も喰っテやる……あの少年と同ジよウにしてヤる!!」
 化け物は、口をあらぬ角度まで開いた。
 そこで俺は悟った。
 
 この大きな口に喰われることを。

 そして一樹や、両親の後へと向かうことを。
 
 

 紗枝香に、きちんと伝えておけばよかった。彼女に「好き」と、伝えておけば、後悔なんてなかった……。死ぬのが、こんなに怖くなかったのに……。
 死ぬ前にお前の顔が浮かぶなんてな。俺、本気で好きだったんだな、お前のこと。

 ――じゃあな、紗枝香……っ。



「お食事中のところごめんなさいね」
 女性と思われる高い声がその場に響く。そこで俺は瞼を開いた。
 そこには、長い一つ縛りの髪をぶら下げ、不思議な服を着た見覚えのある少女が、銃を腰に差し、刀を手に握って立っている……と思った瞬間、彼女は俺の目の前に現れていて――。
「ギュギャアアアァァァ!!!」
 ――化け物の顔を斬り裂いていた。
 その隙に俺は命からがらその場を離れ、数メートル離れたところに倒れこんだ。
「あれ? もう終わり? ……なわけない、か」
 少女は冷酷に呟く。
 振り向くと、目を疑う光景が――っていうか、今まで見てきた全てがもう目を疑うものばかりなのだが。……それはともかく、斬られたはずの化け物の顔がみるみるうちに再生していった。しかもその再生の仕方が生々しく、散らばった肉片がゆっくりと嫌な音を立てて集結していき、そこから先ほどと同じような硬い皮膚が出来ていく……う、うえっ。な、何なんだ? あいつもしかして不死身なのか!?
 化け物は少女に向き直り、ニヤニヤと冷酷に笑った。
「俺達は心の臓ヲ破壊しなイと命は絶たレない。お前モ殺喰(キルイート)を絶つ者なラ分カるであロう?」
「喰討士(イートハンター)っていうのよ? せめて死ぬ間際くらいには覚えておいたら?」
 互いに冷静かつ、殺意のこもった口調で言葉を発し合う。
 しかし訳が分からん。何の会話をしているんだ? きるいーと? いーとはんたー? それはともかく、暗くてよくわからないが、あの少女って――。
「死ぬ間際? それハお前のコとだロうっ!?」
 化け物はそう叫び、大きな口を開いて少女に襲い掛かった。もの凄い速さで少女に噛み付いていく――が、しかし、化け物が喰らいついたのは肉ではなく、空気だった。少女は化け物の攻撃をあっさりとかわし、化け物の上空を舞っていた。長い髪が空を舞う。その姿はまるで龍が踊っているようで、見る者を魅せる美しさがあった。少なくとも、俺はその姿に見惚れていた。
「ナっ!?」
 驚いて化け物が上空を見上げるが、それは既に遅かった。
「残念ね! マナーの悪い客の食事はこれで終わり!!」
 少女は笑って叫ぶ。
 上空から急降下し、化け物の頭へと刀を刺し込み、それを横へ斬り開いた。――その途端、大量の血が一気に吹き出て、その場を紅に染めてしまった。刀は、頭部から腹部までを貫いていた。つまり、やつの心臓は少女の刀によって“壊された”のだ。
 化け物から放たれた血は、俺にも付着した。見てみると、その血は異様な粘り気をもっており、垂れて糸をひいていた。こんな時に言うのもアレだが、この粘り気はまるで……い、いや、なんでもないことにしておこう。
「そんなまじまじと見ないほうがいいよ? 吐き気がすると思うから」
 少女は――いや、紗枝香はそう言った。
「紗枝香、お前……どうして」
 不思議な、まるでコスプレみたいな服装。マントを羽織い、その下にスカートの短いワンピースを着ていると言えばわかりやすいだろうか。そして腰に差した銃と握った刀。……あの戦いっぷり。それは、俺の知っている紗枝香ではなかった。
 彼女は非常に残念そうな表情を浮かべ、俺を見つめていた。
「コーイチには知ってほしくなかったんだけどなぁ」
 刀を腰に差された鞘に収め、紗枝香は俺に歩みよって手を差し伸べた。情けない話だが、腰が抜けていた俺にとって、その手はとてもありがたかった。俺は安堵の表情を浮かべ、その手を握る。引き起こされ、改めてその状況を見直す。そういえば、あの化け物、一樹を……。
「浮かない表情ね。もしかして死体を見ちゃった?」
 ゆっくりと頷く。――クソ、俺がもっと早く着いていれば、一樹はあんな目にはなっていなかったかもしれないのに……っ! 
 後悔が波のように押し寄せた。もし、もし俺がしゃんとしていれば、とずっと頭を抱えていた。
「あ、携帯鳴ってるよ?」
 紗枝香に言われて、ようやく着信音に気付いた。混乱していて、中々気が回ってくれない。クソ、何で紗枝香はあんなに落ち着いて――。
 携帯を開いたとき、目を疑った。そのメールの送信者の名前は、もうこの世から居ないと思っていた“一樹”本人だったのだ。
 メールには『わり、今日俺いけないや。また今度いこーな^^』と、短い文章が綴られていた。だが、普段ならムカつくその短い文章も、このときばかりは俺を安心させた。
「良かった……生きてたのかっ」
 携帯を閉じて溜息をついた。――一樹が生きてる。死んでいない。また明日、普通に会うことができる。……本当ならいつもどおりの事なのにな。今は凄く嬉しい。
 だけど、やはり人は死んでいる。一樹じゃない誰かが、あんな目に遭ってしまっている。なのに、こんなに喜んでしまっていいのだろうか? なんだか、複雑な気分だ。
「なぁ、紗枝香」
「何?」
「詳しく話してくれないか? あの化け物について。……お前について」
 月明かりだけが照らす地獄寺。そこに在るのは俺と紗枝香と、そして二つの“肉の塊”だけ。風は冷たさを増して、俺達を襲う。その風と一緒に肉の匂いまで運ばれてきて、俺は堪えようの無い吐き気に襲われた。
 その様子を察してか、紗枝香はある粒を俺に差し出した。
「その前に、薬。少しは気持ち悪さとかがなくなると思うよ」
 水道まで向かうのがだるかったため、水無しで喉に薬を投げ込んだ。その時少し舌に触れてしまい、口全体に痛みさえ感じるほどの苦さが広がった。
 うえええ……吐いたほうが楽だったかもしれないぞこりゃ。イタタタタタ……イタイ、痛いぞぉぉ。
 苦しむ俺に、紗枝香は苦笑いを浮かべた。笑いごとじゃないってマジで。
「場所変えよっか。ここなら人通りも少ないだろうから、あの死体とかは私の仲間が処理してくれると思うし」
 紗枝香の仲間、か。つまり化け物を殺せる能力のあるやつがまだ結構いるってことか? ――ともかく、俺は紗枝香から詳しい事を聞くために、地獄寺を後にした。


 
 其ノ二
 
 話し合い、か。そうだな。話し合いのベタってのは確かにここだな。
 ファミレス。ファミリーレストラン。憩いの場、ファミリーレストラン。なんかこう……アニメとかドラマとかでも話し合うのはファミ――いやいやいや!!
「なぁ、紗枝香。席に座ってアレなんだけどさ、場所をもっと違う場所にしないか?」
 その言葉に、向かいの席に座っている紗枝香は不機嫌そうな表情を見せた。
 こいつはマジで気付いていないのだろうか? あまりにもコスプレ臭いその衣装のせいで、周りからとてもイタイ視線を浴びていることを。
「言うの遅いよ。何? もしかしてファミレス苦手とか? 何か嫌な思い出でもあるの?」
 いや、何ていうか、嫌な思い出が現在進行形で構築されていってるんだけどなぁ。まぁ、いいか。あとでこれをネタにいじってやろう。
「もうここでいいや。そんなわけだから話してくれよ。さっきのことをさ」
 紗枝香の表情が一気に重いものになる。場の空気が一瞬にしてピリピリとしたものになった。
「……そうだね。何から話そうか。――あ、そうだ。まずはあの化け物のことについてだね」
 声を落とし、紗枝香は説明を続けた。
「あの化け物の名前は殺喰(キルイート)ていって、人を酷いやり方で殺し、そして内臓や血液などを食べる。今巷を騒がせてる事件の犯人も、本当は人じゃなくて殺喰の仕業なの」
 な、何だか始めっから信じられないような凄い話だな。だけど俺はこの目でそいつを見てしまった。今更嘘だとは思えない。なるほど、殺喰か……。
「殺喰は最近――と言っても30年くらい前なんだけど、それくらい前に生まれた人間の亜種のようなもので、世界中に出現してるみたいなの。――どれも決まって夜にね」
 そういや俺の両親が殺されたのも夜中だっつってたな。つまり、俺の両親を殺したのはやっぱりその殺喰ってやつなのか……。
 水を一気に飲み干して、彼女は続ける。
「殺喰は夜に出現し、捕食をして夜明けと共に身を隠して睡眠をとるらしいの。つまり人間とは反対ってことね。でも人間と違って睡眠中はその姿が透明になって、見ることができないっていうのが厄介なんだよ。あとは心臓を斬らないと死なないってとこが厄介かなぁ」
 溜息をつきながら話す彼女の様子を見ると、睡眠中に姿を消すことや、心臓を斬らないと死なないっていうのがどれくらい厄介なことかが分かる。確かに寝込みを襲えば一気に根絶できるかもしれないのに、そのチャンスも無く、しかも相手はこっちが眠る夜に活動するってんだからたまったもんじゃないな。それに心臓以外の場所を斬っても、さっきみたいに再生し、また同じように攻撃を始めるっていうのもなんか理不尽だ。
「次は私達の説明に移るね。私達のように、殺喰に対抗する力を持った人間のことを喰討士(イートハンター)ていうの。どういう因果か、私達も殺喰と同時期に能力が目覚め始めたの。夜にだけ備わる怪人的な力がね」
 殺喰と戦っていたときの紗枝香の映像が頭に浮かぶ。確かにあれは普通の人間にも、そして鍛えている人間にもほぼ不可能な動きだった。異様なほど高く空を舞える跳躍力に、刀を使いこなし、あんなに硬い肉さえ引き裂いてしまう腕力。どう考えてもありえない能力だ。……ふんふん、喰討士か。
「私も最初は自分の能力に気付かなかったんだけどね。でも中学1年生の時に殺喰に会って……。そこで逃げようと脚を踏み出したら、数十メートル跳んじゃってさ。それを両親に話したら、ようやく父さんが白状したのよ。私のことをね。どうやら父さんからの遺伝だったみたい。父さんは20歳頃に能力に目覚めたって言ってたなぁ」
 30年前あたりに殺喰が生まれ、そして喰討士が能力に目覚めた。つまり紗枝香の父さんは自然と突然覚醒したってことだよな? 遺伝とかそういうの関係なく。それって、何ていうか……不思議な気分だろうなぁ。
 紗枝香が、また水を飲み干して溜息をついた。……つかこれで5、6杯目くらいだぞ、こいつ。
「あ、ついでに私達喰討士は殺喰が近くに居る時や、殺喰相手じゃないと能力を発揮できないから安心してね」
 安心って、何に安心するんだ? ……まぁ、どうでもいいや。
 とにかくまとめると、30年ほど前、この世界に殺喰と喰討士が生まれた。殺喰は捕食のために人を襲い、喰討士は捕食する殺喰から、俺のような無力な人間を守るために生まれた……ってとこか。また、殺喰、喰討士は互いに人外な能力を持っている。殺喰の能力はとても厄介で、朝に姿を消す能力や、心臓以外の箇所はいくら斬っても再生するっていう能力がある……と。まぁ、こんな感じか。
 大体は分かった。なんかファンタジー臭が香る感じだけど、現実なのか……。まさに世も末ってやつだ。あれ? この言葉意味合ってるよね? なんか合い過ぎて嫌になるぜ。
「話は大体分かった? この話は皆に内緒――まぁ、言っても頭がおかしいとか言われるだけだね」
 それもそうだが、それ以前にこんな気分の悪くなるような話をふることなんて絶対にしたくないものだ。そんな話をしても、理解はされないし、盛り上がらないし、得なんてどこにもない。
「OK。秘密は守るさ。――ってか話ってそれだけか? ならさっさと店を出ようぜ」
 先ほどからずっと我慢していた事を口に出す。しかし紗枝香は眉の皺を寄せた。
「え? なんでよ〜! まだ何も頼んでないじゃない」
 彼女に、俺は「周りを見ろ」とジェスチャーした。――いつの間にか、店内は“違う次元が趣味の方々”であふれており、その視線は彼女……紗枝香に熱く注がれていた。
 現状に気付いた途端、彼女は顔を赤くして身を縮めた。
「お前の格好がそれほど魅力的らしいぞ。……まぁその現状を楽しむなら俺は文句は言わな――」
「かっ、帰るっ!!」
 顔を赤くしたまま、激しく立ち上がり、さっさと走って出て行ってしまった。まぁ、無理も無いか。
 一応追っておこう。なんていうか、色んな意味で心配だ。
 
 店から出ると、突き刺すような寒さが俺を迎えた。いるかなぁ、と心配したが、ものすごく目立つ姿をしていたので、すぐに紗枝香を発見できた。
「うう……寒いっ」
 駆け寄ってみると、寒さに身を縮めていた。それもそうだろう。このコスプレみたいな格好は短いスカートだし、そこまで厚い服じゃない。しっかし……説明のしずらい服だなぁ、コレ。ってか短いスカートだから戦闘の時によく見ていればパンツが見えたんじゃないか? く、くそっ、もっと良くみていれば――って、いやいやいや、何エロスなことを考えているんだ俺は。
 コスプレみたいな格好をし、寒さに震える紗枝香を見ていると、こちらまで寒くなってきたので、着ていたダウンを彼女にかけてやった。
「あっ」
 寒さのせいか、背後に俺が居たのに気がつかなかったようだ。彼女は驚いたように俺を見つめた。
「突然飛び出していくなっての。しかもそんな格好で。ってか今まで寒くなかったのかよ」
 紗枝香は恥ずかしそうに目を逸らす。
「だ、だって、戦って少し体が温かくなってたし……。それになんていうか、コーイチに……」
 最後の方は口がもごもごしてよく聴きとれなかったが、なんか俺の名前を言ってなかったか?
 不思議と顔も赤くなってるような気がするんだけど、熱か?
「おい、お前大丈夫か? 熱でも――」
 と額を触った時、紗枝香はびくっと飛び跳ね、
「は、はわわ……も、もう夜もお、遅いし、私、か、帰るねっ!」
 何度も言葉を詰まらせながら、さっさと走っていってしまった。
 う〜ん、額を触るのってセクハラなのか? あいつ結構そういうとこ敏感だけど、額を触ってあのモードになるのっておかしくないか? もう、どこからどこがセーフゾーンなんだかまったくわからん。あいつの場合は特にな。下なほうで表現すると、あいつは全身せいか――ゲホン! ゴホン!!
 ……はぁ、今日は色々と疲れた。もう帰ろう。
 
 

 夜道を歩いて行く。
 
 不思議と恐怖は感じなかった。
 
 何故だろう?
 
 恐怖よりも、眠気の方が勝っている……。

  
 
 

 
 ◆◇◆◇


 オレは低い建物の屋根に座っていた。
 その景色はいつもと同じ。無駄に光が蠢き、輝き、そして満ちている。
「壊しタい……」
 その明かりの一つ一つを眺め、オレは呟いた。……そもそも、このような作られた光は存在してはいなかったのだ。この地球という惑星を照らしていた光は、太陽や月、その他さまざま星々らだ。このような目障りなものが作られる必要性がどこにあったのだろうか。
 ククク……最近何故だかこんなことばかり考えているな。オレはどうやら彼らのことが嫌いなようだ。いや、彼らの作ってきたものが嫌いなのか――。
「見つけたぞ! 殺喰だ!! 本部、応援頼むっ!!」
 背後から耳障りな叫び声が響いた。どうやらオレを邪魔する奴がきたらしい。
 振り向いてみると、若い雄が通信機と思われるものをしまい、刀を振り上げてオレに襲い掛かっていた。――度胸は良いが、隙だらけだ。
「斬った!!」
 と若い雄が叫んだ時、オレはそいつの背後に立っていた。まったく、何を斬ったのだか。
「な……確かに俺は――ぐぎゃああぁぁっっっ!!」
 喋る雄の背中に、オレの腕を刺し込んでやった。腕に心地良い温かい汁が滴っていく。その瞬間、溢れんばかりの食欲が俺の全てを支配した。
「ぐ、がぁっ、あああぁぁぁっ!」
 若い雄は、尚うめき声を上げていた。中々しぶとい奴だ。
「若造。オ前は生キたイか……?」
 そいつは首を激しく縦に振った。なるほど、生存本能はこんな時にでも働いているのか。
「おねが……だすげでぇ……」
 ――何て言ってるかよく分からん。涙を流し、汚らしい鼻水や唾液をたらしながら喋るその様子をみると、すごく腹が立つ。これもオレの本能ってやつか? なら、オレは本能に従うことにするか。
 刺し込んでいた腕を勢いよく引き抜く。そこから大量の赤い汁が激しく飛び出していった。
「どうセお前ハ死ぬのダ。無意味な死ヲ遂げルくらいナら、オレの為に死ンだ方が良イだろウ?」
 絶望の表情を浮かべるその雄の頭に、大きく開けた口でかぶりついた。
「あ、あああぁぁぁぁっっ!! う、うあぁ!! やめ、やめ……やめろおおおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉっっ!!!!」
 若い雄は叫ぶ。非常に耳障りなので、さっさと頭をつぶすことにした。
「う、うぐあっ!!! こ、このおにぃぃ!!! ばけものめぇぇぇぇぇっっ!! くそ、くそおおおぉぉおお――おごォォッ!!」
 鈍い音と共に硬い殻が割れ、気持ちの悪い液体がぬるぬると流れ出てきた。
「ァッ…………」
 
 若い雄は何も言わなくなり、“ただの肉”となった。
 
 さて、食事を始めるか。この肉がオレを邪魔する存在だったことは腹ただしいが、肉を無駄にするほどオレも愚かではない。
 そして、オレは肉を――。


 
 
 ◆◇◆◇



 第参話 「予」


 
 其ノ一

 ……なんとも目覚めの悪い朝。
 いや、目覚めが悪いのは毎度のことなんだけど、やっぱ昨日にあんなグロイ物をみた後じゃ……まぁ、どんな夢を見るかなんて、想像できないわけがないよな。
 ゆっくりと体を起こし、一階へと下りていく。体が妙に重く、階段の一段一段がとても辛かった。
「風邪でもひいてるのかな」
 リビングに置いてある棚から体温計を取り出して脇に挟んだ。……しばらくしてピッという音が鳴り、体温計を覗きこむ。
「……特に熱はないのか。う〜ん、やっぱ昨日のアレかなぁ」
 よく見ると、手も真っ赤に腫れている。そういや全力で殴ってたもんなぁ。やっぱ昨日の疲れが残ってるんだな。
 食欲もわかなかったため、俺は朝食をとらずに家を出た。
 空は俺の気持ちを代弁しているかのように、厚い雲に埋め尽くされていた。雨が振る気配はない。なんとも中途半端な天気だ。
 テンションの上がらないまま、通学路の曲がり角に入ったその時だった。誰かと肩が接触した。
「おわっ、あー、すいませ――って、コーイチじゃないか!」
 俺とぶつかった人物――一樹が驚いた顔で俺を見ている。
「何だ、今日は随分と出るのが早……ってどうした?」
 一樹が生きてる。いや、それは普通のことなんだよな。普通のことなんだけど……っ。
 俺は我慢できず、一樹を――。
「いったぁっ!! おまえ、いきなり何で殴るんだよぉっ!」
 ――思いっきり殴った。
 言いたい程は山程ある!!
「うっせぇぇ! 昨日はよくもバックれてくれやがったなぁ!! おかげで怖い目にあったんだぞ!!」
 あんな目に遭うとは本当に思ってもみなかった。まぁ、遅れた俺も悪いかもしれないけど。
「ああ、昨日は確かに悪かった。だからこうしてお前を迎えにいって、起こそうかと思ってたんだけどなぁ。ってかお前知ってる? 地獄寺付近で事故があったらしいぞ?」
 事故? ニュースを見てなかったから初耳だな。いや、っていうか地獄寺って……。
「物凄いことになったみたいでさ。人がぐっちゃぐちゃになったらしいぜ?」
 “人がぐっちゃぐちゃ”……? おい、もしかしてそれって、昨日のアレのことなんじゃないのか? そういえば喰討士の連中が処理するとかどうとか言ってたなぁ。いや、でも事故って……警察も死体を調べるんじゃ――って、もしかしたら喰討士は警察にも精通してるのか? 一応世間を守ってるわけだし。
「ん? どうした考え込んじゃって。――あ、それとお前は嫌いな話題だろうけど、一応言っとくぜ」
 そこで一呼吸おいてから一樹は続けた。
「また出たらしい。おかしな殺人鬼が。それもここ霞川町で……しかも住宅の屋根で殺ったらしい。その家の住民が外に洗濯物をとりに出たら、辺りが血と肉片だらけで、屋根を見てみたら……まぁ想像できるよな」
「お前良くそんなグロイこと平気で言えるよなぁ。まぁ、それはともかく恐ろしいな」
 そこで「ああ」と一樹は相打ちを打ったが、俺の考えている“恐ろしさ”をこいつはわかってないだろう。
 地獄寺も霞川町の中にある寺だ。その地獄寺でもあの殺喰ってやつが出たのに、まさか同じ町の中で、しかも住宅の屋根で……ちっ、考えただけでも嫌な鳥肌が立っちまう。あんな恐ろしい奴がまだ居ると思うと、知り合いまで殺されるんじゃないか、って心配しちまう。
 俺のような何の力もない奴にとって、殺喰は絶望の象徴のようなもんだ。昨日のアレで良く分かった。普通の人間じゃあんなのに太刀打ちできやしねぇ。だと言うのに、あいつは――紗枝香は戦っているという。……それが何だか複雑な気分だ。別に女が戦ってるからとか、そんな小さな理由じゃない。俺を支えてくれてたりしていたあいつが、俺を支えながらも町の平和さえ支えていたと考えると、自分が情けなくて仕方が無い。心を支えてもらって、更に命まで助けてもらって……なのに俺は何もできない。俺は紗枝香を守ることができないし、心の支えにだってきっとなってない。むしろ負担をかけていると言ったほうが正しいだろう。
「んー、お前どした? 今日は妙に溜息ばっかじゃないか?」
 呑気に一樹は言う。
 何も知ってないお前がうらやましいぜ。無知ってのも中々幸せなんだねぇ。
「あー、俺の選択した話題がやばすぎた? やっぱコーイチにはちょっと刺激が強すぎたからかなぁ? なら、これなんてどうだ? “30センチまで達しました。それも全部、この薬のおかげです”ってさ」
「詳しく教えろ!!」
 そこから、俺たちは下らない話題を学校に着くまで繰り返していた。その過半数が下ネタだったが、話している間に俺は殺喰や喰討士といった複雑なことを忘れていった。
 その調子で、自分達の教室に着いていたのだが、それからも下ネタ話題は尽きることがなかった。
「――でさぁ、その女優の声が相当でかいの! このときばかりは一人暮らしが幸せに思えたね、俺は」
「あー! ずりぃぞコーイチー! 今度お前の家で見せてもらうからなぁ!」
 現在、俺たちは大人のビデオについて話している。俺は一人暮らしなので、そういうのを人目など気にせず見ることができるのだ。我が暮らしの一番良いところだな。
「そういえば一樹は無修正見たこと無かったんだっけ? あれはいいぜぇ、なんてったって全部丸見えだからなぁ」
 そう言うと、一樹は興味深そうに目を輝かせる。
「へぇ、すごいな。それどこで手に入れたんだ?」
「え? いやぁ、実は紗枝香の親父さ――っと、紗枝香はいねぇよな」
 辺りの安全を確認し、話を続けた。
「紗枝香の親父さんが、俺にこっそりくれたんだよ。“たまには癒しが必要だろ?”って親指を立てて言ってたぜ」
 あの時は確か、紗枝香が俺を夕飯に招待してくれたんだったかな。酔った親父さんが内緒でくれたんだよなぁ。懐かしいぜ。
「それ紗枝香にばれたらまずくないかぁ? 家庭問題になると思うぜ?」
 一樹が心配した様子で言う。まったく、こいつも中々びびりだなぁ。
「ああ? なんねぇなんねぇ。男には癒しが必要だって、紗枝香もきっとわかってくれるは――」
 その時、俺は背筋に悪寒を感じた。……俺の本能が告げる。「逃げろ」と。
「あ、一樹、俺トイ――」
「コーイッチ♪」
 まずい。襟をつかまれた。
 やばい。捕まった。
「さっき私の名前が出てなかった〜? あと家庭問題がどーとか……」
 ま、まずいぞ。これはまずい。何とか言い逃れをしないと、親父さんの面目が丸潰れだ。ここは紗枝香が最も苦手とする下関係のネタ――つまり下ネタで乗り切るしかない。
「い、いや、何でもないって。あ、そうだ、それより、お前今日保健体育の教科――」
「その手にはのらないよ〜? 保健体育は教育だから」
 中学校の頃、保健体育という単語が出ただけで顔が赤くなってた奴がよく言うぜまったく……。
 なら仕方が無い。ここは強硬手段だ。
 あ〜、強硬手段というのは……まぁ、とりあえず、我が高校の制服は純粋な白だ。なので、見たくなくとも(俺はそんなこと一欠けらも思ってないけど)透けて夢のような光景は見えてしまうものだ。ま、この季節ならば厚着をする女子生徒も多いわけなのだが。しかし俺は他の男子のように甘い目をしているわけではない。真上から服の中を覗けば――お、おおっ! 今日の紗枝香は……っ。
「お前今日黒の――」
 その瞬間、俺の股間に蹴りが入ったのはご愛嬌とさせていただこう。


 其ノ二
 
「痛っ! あー、痛い。まだ痛いよコレ」
 昼休みまでの授業の間、俺は死んでいた――精神的にも、下半身的にも。
「お前そりゃ自業自得だって」
 呆れたように一樹は言う。ったく、そういうお前だって中々ノリノリじゃなかった?
 ってかまさか蹴りが入るとは思わなかったなぁ。俺何かいけないこと……言ったには言ったか。
「あの調子じゃ、お前弁当もらえそうにないな」
 一樹の言葉がグサッと胸に刺さる。ああ、俺のおかず達……。朝飯食べてこなかったから、あのおかず達がないと腹を満たせないぜ、これじゃあ。
「ま、たまにはいいんじゃねーの? と、言うわけでさっさと売店行こうぜ。まぁ、今じゃ人気の無いパンしかないだろうけど」
 まぁ一樹の言う通り、たまには売店ってのもいいか。
「ああ、そうだな。腹が減っては戦はできぬっと」
 俺は目の前の希望を見つけ、上機嫌になりながら歩き出す。
 そのまま「誰と戦をすんだよ」という一樹のツッコミをスルーしつつ、売店へと向かう。売店……か。一樹と俺が仲良くなるキッカケだ。ま、少しくすぐったい思い出だからあんまり思い出したくはないけど。
 さて、時間は遅いが、それなりなパンが――。

 校庭にポツンと置かれたベンチに、俺と一樹の二人。
 俺の手の中には、コッペパン、マーマレードジャムパン、フランスパン――いや、いやいやいや!! これはおかしい! 絶対におかしい!!
「まぁ、納得しろよ。これが現実だって、コーイチ」
 一樹の手の中には、イチゴジャムパンとメープルシロップの塗られたフランスパンがある。もうこれはツッコむしかあるまい。
「何で!? 納得できねぇよ!! 何だ、俺のこの地味ーズセット! 味つきがマーマレードジャムパンだけじゃねぇか!! ってか何だマーマレードジャムパンって! なげぇよ!! 名前なげぇよ! かむわ!」
「そっちかよ。もっとこう、マーマレードジャムパンってなんだよ! 聞いたことないよ! とかで良かったんじゃないか?」
 一樹、それはお前が勝利のパンを持っているから言えるんだよ。イチゴジャムパンにメープルシロップ付きフランスパン? 何でお前の順番の時それが生き残ってるかなぁ……? 俺の時にはもうこの三つの残兵しかのこっていなかったよ。もう、選ぶ余地なかったよ、コレ。あの時みたくとっかえてくれよ……なんて。これは罰が当たったのかもしれねぇなぁ。
「はぁ……紗枝香怒らせなきゃよかったなぁ」
 あいつが下ネタ弱いの知ってたけど、まさかあそこまでとは思わなかったなぁ。あー、いや、でも下着の色言われればそりゃ怒るよなぁ。あー……失敗した。後で謝っておいたほうがいいな、コリャ。一樹に一緒に来てもらおう。じゃないと気まずくて気まずくて……。
「なぁ――」
 声を掛けようと思った時、腕時計を見ながら一樹がベンチから立ち上がった。 
「そろそろ時間だ。俺委員会の仕事あるから先いくぜ。紗枝香との事は、面倒なことになる前にちゃっちゃとかた付けとけ」
 一樹はそう言ってどこかへと行ってしまった。
 ベンチには俺一人。……寂しいし寒いので教室に戻ることにした。
 相変わらず重い足取りで教室までの廊下を歩いていく。教室に入ったら謝ろう。勇気を出せ、俺。
 そしてドアを開けた――が、そこに紗枝香は居なかった。どこを見ても紗枝香は居ない。居るのはあいつと仲がいい女子達だけだ。
「あれ? もしかして紗枝香を探してるの?」
 俺の様子に気付いたのか、その女子が声をかけてきた。
「ああ」と肯定すると、何でかわからないがにやにやして、
「紗枝香は家の用事があって早退するんだって。謝るのなら家に行ったほうがいいんじゃない?」
 と言い、女子の塊へと戻っていった。……家までいくのか。そいつはキツイな。っていうか何であいつニヤニヤしてたんだ?
 時計を見ると、まだ昼休みの終わりまで時間があった。一樹も居ないことだし、他の仲が良い男子もどっかへ行ってるし……寝るか。
 結局、俺は昼休みも次の授業中もずっと寝ることとなる。
 ――起きた頃には皆既に帰り始めていた。
 ボケーっとしながらも、これだけは分かる。皆、ひどすぎ。
 頭をかきむしり、鞄を手にとって教室を後にした。まったく、皆起こしてくれてもいいじゃないかよ……。
 少し冷えた昇降口に辿り着いた時、その寒さである事を思い出した。
「謝りに行くんだったっけ……?」
正直家まで行くのは気が失せるのだが、まぁ行かなきゃいけないよな、これは。
「あー、マジで言うんじゃなかったぜ」
 後悔をぶつぶつと呟きながら、厳しい寒さの中へと足を踏み入れていった。
 

 
 其ノ三
 
 
 冬は日が落ちるのが早い。5時だと言うのにほとんど夜のような暗さだ。
 紗枝香の家は高校からだと中々遠い。あいつは自転車で行き来しているだろうからまだいいが、俺は自転車なぞで通学なんてしていない。つまり徒歩。徒歩で自転車通学しているやつの家まで行こうというのだ。徒歩だけにトホホ……。
「ううっ、さぶっ」
 ダジャレを考えてたら余計に寒くなってきた。ああ、愛が欲しい。愛があれば暖かくなれるのに――って、俺はアホか。どうやら寒さで脳までやられちまったみたいだ。
 冷たい風が吹き止まない路地を歩いて早1時間。そこでようやく見慣れた家々を発見した。
「もうすぐだな……」
 寒さでキンキンと痛む耳を抑えつつ、相変わらず重い足取りで紗枝香の家を目指した。どこかの童話の最後を彷彿とさせる危険な眠気を感じ始めたその時、ようやくあの家を見つけることができた。
 その家は、まぁ一言で言うなら“異質”だ。周りの、現在の日本では普通である洋風な住宅とは違い、和風の佇まいの平屋で、敷地は家二つ、三つ分くらい大きく、庭で小さな運動会でもやれそうな程だ。そういや、昔は良くここで鬼ごっこをしたものだな……。
 それにしても入りづらいよなぁ。錆び付いた大きな門があるんだもん。これ開けるのを、いつも躊躇しちゃうんだよなぁ。何か、開けると怖い人が出てきそうな感じで、さ。
「しつれいしまーっす」
 力いっぱい押すと、金属が擦れる嫌な音と共に門が開いた。砂利道を歩き、玄関までやってきたとき、心臓が激しく鼓動した。もし紗枝香が出てきたらどーするか……ちょっと気まずいだろうなぁ。
 勇気を振り絞り、インターホンを押した。あー、気が重いぜ。さっさと謝って、さっさと――は帰れないか。
 しばらくしてこちらに向かってくる足音が聴こえた。……よし、頑張るぞ!
 ドアが開く――。
「おー、浩一郎くんかぁ。どうしたんだい? あーもしかして紗枝香に用があったのかい?」
 出てきたのは、眼鏡を掛け、スポーツ刈りに近い頭髪の中年男性――紗枝香の親父さんだ。いつもと同様に優しい笑顔を浮かべ、こちらを見ている。
「ええ。紗枝香に用です」
 しかし親父さんは困ったような顔をして首を横に振った。
「悪いねぇ、今紗枝香はちょっと……あ、そうだ。丁度浩一郎くんと話がしたかったんだよ」
 話? それはもしかして、殺喰と喰討士の話だろうか?
「まぁ、ここじゃ寒いだろうから、中でこたつにでも入って話そうか」
 その言葉に従い、家の中へと入っていった。長い廊下を歩き進み、和風の客間に着いた。我が家のリビングに相当する畳張りの客間に入り、部屋の中央に置かれた大きなコタツに親父さんと向かい合う形で足をもぐらせた。
「この頃は寒いからねぇ。こたつでもないと凍えてしまいそうだ。……さて、それじゃ本題に入ろうかな」
 先ほどまで緩んでいた親父さんの顔が、一気に真剣そのものになる。もうこれだけでわかる。これから始まる話は、やはり殺喰と喰討士の話だ。
「紗枝香から聞いたよ。君も襲われたんだって? あの化け物――殺喰に」
「ええ。喰われる寸前に紗枝香に助けられましたけどね。……えっと、紗枝香の話だと親父さんも喰討士なんですよね?」
 親父さん苦笑いを浮かべながら頷いた。
「親父さんじゃなくて、雄介さんって呼んで欲しいんだけどねぇ。まぁそれはともかく、僕もたしかに喰討士だよ。喰討士の機関――人間守護機関(ディフェンダー)に属している、正式の喰討士だ。もちろん紗枝香もね」
 でぃふぇんだー……? ていうかやっぱりそういうのがあったんだな。うまい具合に殺喰の事件が処理されることを不思議には思ってたんだ。
「人間守護機関は、まぁ簡単に説明すれば喰討士の軍隊みたいなものだ。喰討士に目覚めたものは大体所属している。武器や防護服などを支給され、殺喰の出没する地域のパトロールや、現場の処理、殺喰の研究などもしている」
「軍隊!? す、すごいんですね。それに、殺喰の研究……ですか?」
「ああ。……まぁ、研究の話は聞かないほうがいいと思うよ。気分が悪くなるような解剖などが行われているからね」
 うっ……あんな化け物を解剖しているのか。まぁ、でも解剖すれば弱点などがわかるかもしれない。だけど、あれを解剖するのか……。ちょっと、いやかなりキツイ現場だろうなぁ。
 ん? でもさっきの話で少し疑問があるな。
「喰討士に目覚めた人って、どういう風に判断するんですか? 戦っている姿を見ない限りはわからないんじゃ……?」
 親父さんは少し考え込み、そして残念そうに首を振った。
「残念だけどそれは君には話すわけにはいけないんだ。これは機密事項でね。喰討士には手始めに教えられることだが……まぁ一般人では理解できないだろう。それに気分が良い話じゃない。聞かないほうがいいと思うよ」
 ……なんていうか、話から推測すると結構エグいことをやってるってことなのかな? 少し疎外感を感じるが、親父さんが言うのなら止めておこう。この人の話には妙な説得力があるからな。
「――そうだ、忘れるところだった。何故かは私にも良く分からないけど、君に話さなければならないことがあるんだ」親父さんが少し引っかかる言い方をして、地図を取り出した。群馬県の地図のようだ。「君は群馬の地理には詳しい方かい? さすがに住んでいる県だから少しは知識はあるだろ?」
 まぁ、確かに少しならわかるが、その少しっていうのは、温泉やらそこらへんの文化だ。メジャーな事しか知らん。
「全国で殺喰は出現している、らしい。世間が混乱と恐怖に包まれないように、人間守護機関の人間が事件の処理に奔走しているわけなんだが、実は皆奔走している間にある事に気付いてね」
「あること、ってなんですか?」
「最初にわかったのは、殺喰が出現する地域が関東を中心に広がっている事。そして、二つ目にわかったのは、最も殺喰が出現する箇所が、ここ、群馬県だということだ」
 そ、そうだったのか。いや、でもまぁ確かに俺もニュースを見ていて、最近群馬の周りがおっかなくなってるなぁ、とは思ってた。でも、まさかこういうことだったなんて。
「しかも、群馬県に出現する箇所をまとめると……」親父さんがポケットからメモとボールペンを取り出し、点を書き記していく。「――書き終えた……。さて、これを見てくれ。見ればわかるだろうが、ある市に出現箇所が集中している。さて、どこかな?」
 地図を覗きこんだ。点が結構散らばってたりもするが、確かに明らかに点がある市に集中している。そして、その場所が――俺達の住んでいる、前橋市霧川町。
「何故かわからないが、私達の住む霧川町に出現が集中しているんだ。ここ一か月の間の殺喰の事件の全てがここ霧川町で起こっている。事故で処理しているものもあるのだが、あまりにも起きすぎて殺人事件として処理しなければならないものもある」
 確かに、ずっと事故事故と言い切るには限界があるもんなぁ。だが、それにしても……ショックだ。霧川町でそこまで殺喰による事件が起きていたなんて。
 俺の不安の気持ちを察したのか、親父さんはにっこりと微笑みかけた。
「大丈夫。人間守護機関もさすがに異常を感じ、徐々に喰討士を増やしている。まぁ、それ以外の問題もあるんだが……それはこれから話そう。あー、えっと、紗枝香から聞いたよね? 30年程前――正確に言えば28年前……あー、今が2010年だから1982年になるね。殺喰が出現しはじめた時期だ。ここで少し、僕の体験談を話させてもらおうかな。……丁度あの頃僕は10歳で、確か夜の道を歩いていたんだ……」
 遠い目をして親父さんは溜息交じりにそう言った。苦虫を噛み潰したような表情をうかべていることから、よほど悪い思い出なのだろう。
「暗い道で、奴に会ったのさ。……今でも忘れられない。おぞましいばかりに見開かれたあの鮮血の紅をした眼光。灰色の肌と相対するかのように金色に輝く長い髪。そして鋭利に尖った長い爪と刃のような牙。――初めて会った殺喰だ」
 話す彼の表情は真っ青だった。今までに見たことのない表情から、どれだけその殺喰が恐ろしかったのか分かる。……しばらくして、話を再開した。
「僕はそんな中で力に目覚めてね。落ちていた鉄パイプで辛うじて身を防いだり、攻撃をかわしたりしていた。いくら力に目覚めたからと言って、僕はまだ小学生だ。訳もわからず逃げたり避けたりするのが精一杯で攻撃なんてできるものじゃなかった。でも幸運なことにその殺喰は去っていってね。それから色々あって、人間守護機関にも所属し、僕もようやく戦えるようになったんだが……。――あれは高校1年の時だった。僕はあの金髪の殺喰と再会したんだ。正直なところ、僕は自分の力を過信していてね。今では愚かだったと思うが、調子に乗って金髪の殺喰に勝負を挑んだんだ。丁度金髪の殺喰を見かけたものだからね……」
 彼は立ち上がり、壁にかかった水墨画の絵をどかした。――そこには古びた刀が置かれていた。親父さんは複雑な表情で刀を手に取り、しばらく見つめた後に鞘から刃を解き放った――と思ったが、刃は無かった。
「これは僕自身への戒めだ。あの時自分に過信しすぎた僕は金髪の殺喰に負け、刀を折られた。でも、僕は今生きている。殺されるかと思ったら5人ほどの仲間が駆けつけてくれてね。でも、僕はその仲間が戦っている最中に逃げ出したんだ。その場を今すぐにでも離れたくてね。それに、5対1の勝負なら既に勝ち負けは決まっている……なんて、そう思っていたんだ。翌日の朝、テレビを見て僕は驚いた。アナウンサーは告げた、街外れで5人の変死体を発見……――僕を助けた仲間5人が、殺されていたんだ。あの5人はとても戦いなれているように見えた。それなのに、たった一体の殺喰が5人を喰らってしまった……。今だにその殺喰は討伐されていないらしい。僕もそれからこんなになるまで、その殺喰とは相容れなかった」
 親父さんは、その体験を忘れてはいけないと思っているのだろう。顔を見ると、今でも逃げた事の罪悪感に苛まれているようだ。……しかし、何故俺にこんな話をしたのだろうか? 親父さんにとっても話しにくいことだし、それに俺に話す理由がよくわからない。それ以外にも疑問はある。話に出てくる、強い力をもった金髪の殺喰。そんな殺喰が今だに殺されていないなんて……。
 明かりは点いているのに、客間は妙に暗く思えた。なんとなく外を眺めると、先程よりも暗くなっていた。金髪の殺喰の話を聞いたからか、俺は紗枝香のことが少し心配になっていた。 
 刀を元の場所に戻し、こたつに戻った親父さんが再び口を開いた。
「何でこんな話をしたか、疑問に思っただろう? 実は今から話すことは僕も驚いたことでね。……率直に言おう」
 話の流れで、俺は何となく頭にあるニュースが浮かんだ。もしや、いや、そんなはずは……と心の中で繰り返す。しかし、俺に突きつけられる現実は、まさに想像通りのもので――。
「仲間が殺されたんだ。この町の住宅の屋根で――金髪の殺喰に」
 最悪だった。考えたくもない。俺みたいな凡人には恐怖しか与えない話だ。
「近くで目撃証言があってね。殺し方といい、間違いない」
「そんな……」
 思わず口にしていた。5人でかかっていっても殺せなかった殺喰が、この町で人を殺している。考えただけでもぞっとする話だ。
 俺の心情を察したのか、親父さんは俺の肩を優しくたたいて笑って見せた。
「大丈夫さ。実はその事で人間守護機関で隊が編成されてね。紗枝香もそれに出てる。――本格的に金髪の殺喰討伐を考えているんだ。いくら金髪の殺喰でも、そこまで大勢の相手はできまい」
「紗枝香も!?」
 俺は立ち上がっていた。あいつまでもがそんな強い奴の討伐に向かうなんて……。5人で勝てなかった相手だぞ? 多分、今回はそれよりも多くの人が集められているんだろうけど、不安だ。
「――心配かい? 紗枝香が」
 親父さんはいつもと同じ優しい表情に戻っていた。俺にはよくわからなかった。何故自分の娘がそんな危ない事に参加させられるのに、こんなに落ち着いていられるのだろうか。
「親父さんは心配じゃないんですか!? 紗枝香はまだ高校生ですよ!? それにあいつは、女だし――」
「浩一郎くんは何か勘違いをしていないかい?」
 勘違い? 何のことだよ! 
 俺の逸る気持ちを抑えるように、親父さんは優しく微笑んだ。
「あの子は強いよ。僕以上に……。何故か分かるかい?」
 広い客間が、このときはより一層広く感じた。こたつの温かさもよくわからない。このとき俺は感じていたのだ。――自分が、何も知らなかったことを。紗枝香のことを密かに想いつつも、彼女のことなんて何も分かっちゃいない。だから親父さんの質問に、俺は答えることができなかった。
 しばらく沈黙が続いた。安心したのか、それともがっかりしたのか、親父さんは溜息をつき、俺に言った。
「守るものがあるからさ。この町の人々や、私たち家族、学校の友達、そして――浩一郎くん、君だ」
「俺……ですか?」
「ああ。紗枝香は何よりも、君を守りたいと思ってるはずさ。だから僕の反対さえ押し切って……」
 え? 今、何て……――。
 質問しようとしたときだった。突然サイレンが鳴り響き、アナウンスが流れた。
『敵接近中。敵接近中。喰討士はただちに準備し、応戦せよ。繰り返す……』
 長い間、そのアナウンスが流れ続けた。
 敵接近って、まさか殺喰が近づいてきているのか!?
 慌てふためく俺をよそに、親父さんはゆっくりと立ち上がり、どこかへと歩いていく。
「お、親父さん!!」
 呼び止めようとしたが親父さんは、
「そこに居れば安全さ。いいかい、間違っても外に出ようなんて思わないでくれ。君に何かあったら紗枝香に何て言われるやら……」
 とそう言い、さっさと走っていってしまった。取り残された俺は、ただただ立ち尽くしていた。
 さっきアナウンスが流れてたけど、敵ってのは多分殺喰のことだよな。その後、喰討士は応戦とかどうとか言ってたけど、ここって喰討士がそんな居るのか? 確か使用人は居た気がするけど……もしかしてその使用人が喰討士か?
 ここに居ろって言われたけど、待ってるだけってのも中々不安だ。外の様子がわからないし、第一窓があるんだからここから入ってこられたら――。
「おわっ!」
 思わず声をあげてしまった。窓から外を見ると、そこには刀を持ち、マントを羽織り、とても分厚い不思議な服を着た男性が立っていた。恐らく、喰討士だ。もっとよく見ようとしたとき、窓は厚いシャッターで閉められてしまった。こ、この家は文字通り要塞じゃないか……。
 それから何分間か、俺は客間でずっと突っ立っていた。1分1分が、この時どれだけ長く感じられただろうか。物音さえ聞こえないので、外の状況がまったくわからない。……この状況は逆に俺に大きな不安をもたらしていた。
「まだ戦いは終わらないのか」
 痺れを切らし、客間から抜け出そうとしたその時――突然後ろから轟音が聞こえたかと思うと、客間は土煙に覆われた。
「ゲホッ! ゴホッ! い、一体何だ!?」
 困惑していると、やがて土煙は晴れた。……だが、土煙は晴れるべきではなかった、と俺はこの時実感した。
 客間を守っていたシャッターには大きな穴が空き、窓ガラスは割れて、床中に散らばっていた。よくガラスの破片を見てみると、一部の破片には血液が付着している。まさかと思い、シャッターや窓の反対側を見ると――先ほど見えた男性が血だらけで倒れていた。
 ま、まさか殺喰にぶっとばされてきたのか!? ってかどんだけ強い力なんだよっ!!
「だ、大丈夫ですかっ!!」
 見た目だけで言えばまだ助かるであろう傷だ。今救急車を呼べばなんとか助かる! とりあえずこの人を安全なところへ――。
「おヤ? 何でこコに普通ノ奴が居るンだ?」
 背筋を襲う冷たい感覚。この感覚を味わうのは……二度目だ。
 振り向くと、“そいつ”は笑みを浮かべて立っていた。
「ヘヘヘ……うマそうダ。さっサとそコの奴と一緒ニ喰っちマいたイもんダぜ……」
 両目は潰れているのか元々ないのか塞がれており、口は耳近くまで裂けている。肌は青白く、指からは鉄のような爪。凹凸がたくさんあるその体は……とてもじゃないが人間ではない。 
 ――殺喰。人間を捕食する存在……。クソッ、俺は何もできねぇ!! また、俺は何もできないのか……っ!
「そうダな、まずお前かラだ……。美味そウな体……」
 気持ち悪い口調で日本語を話すその姿は、ゲームや映画などに出てくる“ゾンビ”を彷彿とさせた。しゃべるゾンビ……考えてもみなかったが、しゃべらないゾンビよりも恐ろしい。
「死ネっっ!!」
 鋭い爪が俺めがけて襲いかかる。思わず瞼を下ろした。
 俺は死ぬのか……まだ、まだアイツに謝っていないっていうのに。アイツに、まだ俺は何も……俺の想いを――。

「死ぬのはあんたの方よっっ!!!」

 その場に少女の叫び声が響いた。


 
 第四話 「兆」

 
 其ノ一

 瞼を開けると、あの特殊な服を着た紗枝香が、殺喰の爪を刀で押さえ込んでいた。
「もー! 何でまたコーイチが居るかなぁっ!?」
 ど、どうやらまだ怒っているようだ。まぁ、仕方ないか……。
「お、俺はただ、その……っていうかこっち向いてないで戦えよっ!」
 彼女は頷いて殺喰に向き直る。
「それも、そうねっ!!」
 殺喰の爪を薙ぎ払い、紗枝香は目に留まらぬ速さで殺喰へ斬り込んでいく。
「なめルなぁっ!!」
 片腕の爪で刀を受け止めた殺喰は、もう一方の爪を彼女へ突き立てた。――その瞬間、俺は叫びそうだった。しかし、俺が叫ぶよりも先に、紗枝香は飛び上がっていた。
「空中かラ攻め込んデも、結果は同ジだ!!!」
 殺喰が防御の構えをとる。俺は心配して紗枝香を見たが、驚くことに彼女は笑っていた。
 だ、大丈夫なのか? 紗枝香っ!
「私をそこらへんの人間と一緒にしないでほしいなぁ!!」
 俺はその瞬間目を疑った。紗枝香が突然速さを変えて急降下したのだ。
 そして、刀と爪がぶつかる――。
「ナ、何っ!?」
 突然の急降下もあり、刀の威力は爪の防御の硬さをも上回っていた。――爪は真っ二つに割れ、刀は勢いを失わずに殺喰の体を切り刻んだ。
「グゥァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
 甲高い断末魔の後、殺喰の体から大量の血が噴出した。
 ――勝った。男の喰討士でも苦戦した殺喰に、紗枝香は短時間で……そうか、そうだな、親父さんの言った通りだ。紗枝香は強い。強すぎる……。
 紗枝香はこちらに向かいつつ、刀に付いた血をはらい、鞘に刃を収めた。
「大丈夫か!」
 全てが決した直後、喰討士と思われる数人の男性がぞろぞろと室内へと入ってきた。
「今全部終わりました。そこの人が負傷したみたいなので、後はよろしくお願いします」
 紗枝香は冷静にそう言って、俺に向き直った。……ふ、不機嫌そーだなー、あははー。
「何でコーイチがここに居るの? 是非理由を教えてほしいんだけどなぁ」
 穴の空いたシャッターの前に立ち、彼女は俺を睨んだ。
「いや、これは……なんつーか。あ、謝ろうと思ってきたんだよ!」
 なんで俺が謝らないといけないんだろう、っていう疑問が頭の中にふつふつと浮かんだ。まったく、下着の色を言ったくらいでそんなにおこ――。
 

 ――紗枝香を見つめた時、俺は気付いた。紗枝香の数メートル後ろにある人……いや、あれは人じゃない!!


「紗枝香ァァッ!!! 後ろに殺喰がっっ!!」
 俺の声が響いた瞬間、彼女は刀を引き抜いていた。……しかし、後ろにいる殺喰のスピードはそれを上回っていた。
「紗枝香ッ!!」
 殺喰の爪は紗枝香の肩を貫いていた。血が吹き出る様子を見たとき、俺の頭は真っ白になった。
 しかし、彼女は倒れなかった。刀を振り、その腕を断ち切った。
「ふム。中々素早イ動きをスる」
 再生する腕を眺めながら、殺喰は悠長にそう呟いた。
 紗枝香は肩に刺さった爪を引き抜き、殺喰を睨む――と、彼女は途端に目を丸くした。
「あ、あんた……金髪――目は紅!?」
ハッと息を呑んだ。そうだ、今危険と言われてる殺喰は確か金髪で紅い目をしてる――ってまさに目の前にいる奴じゃないか!
 親父さんの話が頭によぎる。5人の喰討士をたった一人で皆殺しにしたバケモノ……そんな奴を目の前にしているこの状況は、一番考えたくなかったシナリオだ。
 金髪の殺喰は楽しそうに俺たちを眺めていた。いままで見た殺喰に比べて口は小さかったが、笑みを浮かべた時に見えた鋭い牙からみえる血痕を見たとき、改めて危険を感じた。
「なかナか良イ表情ヲしてくレる。おかゲで気分ガ盛り上がッてキた」
 こ、こいつ、既に人を……喰ってる。口から滴る血、そして爪に多く付着した赤い肉片。く、くそ、吐き気が……!
「あんたが……金髪紅眼の殺喰っ!!! ――殺してやるっ!!」
 力強く紗枝香が斬りこんでいく、しかし、どの斬撃も軽く受け流されていく。つ、強い……!
「そコらノと一緒ニしてモらっては困ルな!!」
 紗枝香の振りかぶった攻撃がかわされる。刀は勢いを失わず、地面に深く刺さった。まずい、あれじゃ隙だらけだっ!!
 駆け寄りたかった。走って行って、何もできなくても、紗枝香の近くへと行きたかった。でも、足が動かない。動こうとしやがらない。ち、ちくしょう! 震えが、止まらねぇ……っ。
 金髪の殺喰が爪を突き立てる――が、溜息をついてそれを下した。そして辺りに集まり始めている喰討士たちを眺める。
「中々野次馬が増えテしマった。貴様ハまだ殺しテはならナい……が、ソれにしてモ拍子抜ケだ。もウ少し強いと聞イていたのダがな」意味深な事を言い、俺達に背を向けた。「でハ、またな。少女、そして――そコの少年よ」
 金髪の殺喰はそう言って、喰討士の壁を切り崩して、どこかへと跳んでいった。
 正直ホッとした。圧倒的な戦力の相手が、紗枝香を殺さずに運良く逃げ出してくれたのだ。力を持っていない奴としては普通の考えだろう。
 とりあえず、良かった。殺喰が何やら意味深な事を言っていたが、そんなの関係ない。今はただ、生きているということを――。
「待て……」紗枝香の口から、憎しみのこもった低い声が発せられた。「待て!! 逃げるなぁっ!!」
 俺が駆け寄ろうとした途端、紗枝香はそう叫び、殺喰の後を追って行った。その時の表情は凄まじいものだった。怒りに駆られ、我を忘れてるかのような……。
 い、いや、そんな悠長なことを考えてる暇じゃない!
「おい! 紗枝香、落ち着け!! おい! 紗枝香ぁぁぁぁっっ!!!」
 紗枝香は俺の呼びかけに答えなかった。無視しているのか、それとも激情のあまり俺の声が届いていないのだろうか。
 クソッ、あのバカ! 5人で敵わなかった相手だぞ!? 一人で勝てるわけねぇじゃないか!! 第一さっきだって死にかけたんだぞ!? せっかく助かった命を……くそ、待てよ、紗枝香ぁぁっ!!
 俺は走りだしていた。紗枝香が向かったほうへと。彼女を止めるために。――止められる可能性が低いとは分かってる。でも今あいつを追いかけないと、何だか俺の手の届かない場所まで行ってしまいそうで……心配で、走らずにはいられなかった。
 靴を履いていなかったので、足の裏がじんじんと痛む。寒く、暗い夜道を走っている間に、だんだん紗枝香の足取りがつかめなくなっていった。
 畜生! なんて足の速さだっ! 徒競走やマラソン大会では俺が勝ってたっつーのにこのザマかよ! クソッ、まだまだ負けてられるかってんだ!!
 ふらふらになりながらも、俺は走った。眠気と疲れで意識が朦朧としながらも、どこかへと向かって走り続けた。
 自分が情けない。守られてばかりいるっていうのに、あいつを見つけ出すことさえもできないなんて。――励ますこともできないなんて……!
「紗枝香っ……」
 体力の限界を感じ、住宅が周りに立ち並ぶアスファルトの地面へと膝を落とした。
 くそっ、肺がじんじんと痛みやがる。情けねぇ。情けねぇけど立てねぇよ! クソ、クソォッ!!
 紗枝香に対する心配。そして自分に対する情けなさ。そういえば、こんな感情、前にも……そうだ――昔、まだ小学生で紗枝香を女として意識していなかったころ。紗枝香が突然居なくなってしまった事があった。確かその時も走り回ったよな。走って走って、諦めそうになったとき、あいつの泣き声を聞いたんだ……。同級生のいじめっこ野郎に、紗枝香が俺から貸りたノートを川に捨てられて、あいつ躍起になって川場を探してたんだよな。川原に座り込んで、ずっとずっと泣いていて……俺が来た時、無理やり笑ったんだ、あいつは。『……川に流しちゃった、え、えへへ……』って、すべて自分のせいにして……。
 俺は立ち上がった。あいつをあの時みたいに探し出さなきゃならない。あの時は何も言えなかったけど、今回は絶対見つけ出して、そして言ってやる。
「――バカ……ってな」
 あてはなかった。でも、何となく、俺はまた行ってみた。思い出の川原へと。


 其ノ二
 
 川原のあたりは、より寒かった。夏には心地よいそのせせらぎも、冬には寒さに追い討ちをかけるかのようだ。
 ダメ元で川原を歩いていく。もしここにいなかったら、次はどこを――。
 その時、前方に人影を見つけた。座り込み、顔を落としている。溜息をついて、俺は駆け寄った――紗枝香のもとに。
「よぉ、探したぜ」
 紗枝香の隣に座ると、彼女は顔を上げ、俺を見つめた。……その顔は、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。なのに、彼女は笑っていた。
 ――あの時と同じだ。ほとんど変わらない。その笑顔を見てると、胸が苦しくなる。
「えへへ、また見つかっちゃったね」
「えへへ、じゃねぇってんだよ。なんであんな無茶をしたんだよ」
「だって、だって……」
 紗枝香はまたうつむいてしまった。そんな彼女に、俺は何の言葉もかけてやれなかった。
 しばらく続いた沈黙の後、紗枝香は口を開いた。
「悔しかったの。あいつにようやく対面したのに、先手を取られて、しかも逃げられて……」
「むしろ運が良かったって考えるべきじゃねぇのか? 聞いた話じゃ5人の喰討士を皆殺しにしたんだろ?」
 しかし彼女は首を横に振った。俺にはその理由がわからなかった。
「お前、何で……」
 その時ばかりは寒さを忘れていた。川原のせせらぎさえも、耳には届かない。ただ、紗枝香の妙な態度だけが俺の脳で蠢いていた。
 彼女は決心がついたかのように溜息をつき、顔を上げて俺をみつめた。とても悲しそうなその顔は、俺が初めて見る表情だった。
 そして、彼女は言った――。
「あの殺喰は、私にとって許せない……ぇぐっ……存在なの……っ。だって、あいつは……ぅっ……あいつはコーイチの人生をっ、コーイチの幸せを奪ったやつだから……っ!!」
「えっ……」
 俺は一瞬凍りついた。俺の人生、幸せを壊した存在――まさか……っ。 
 そして、彼女は涙を流しながら、叫ぶように言い放った。
「あの殺喰は、コーイチのお母さんやお父さんを殺した奴だから!!」
 ――一瞬、冷たく、鋭い風が通り抜けていった。俺はただただ口をぽっかりと開け、紗枝香を見つめていた。 
 俺の両親を殺した奴……。
 あの時の映像が蘇る。部屋中に散らばった肉片や血。そしてそれをぼうっと見つめる俺。
「あの時の犯人が、あの金髪……?」
 本来なら納得できるはずなのに、俺には実感が沸かなかった。何故だ? 心にある妙な違和感。……考えすぎか、ただ単にあれから既に何年も経っていたから……いや、でも――。
「あの日から……ぇぐっ……コーイチが塞ぎこんで……っ、わたしっ、許せなかった! コーイチをあんなのにした殺喰と、何もできなかった無力な自分がっ!!!」
 彼女は立ち上がり、俺に背を向けた。足元に、ポタポタと涙が落ちているのに気付き、俺も立ち上がった。
 ――彼女の背中はとても小さくて、今まであんなに戦っていたとは思えないほど細い体だった。できるなら抱きしめたかった。その小さな体を包み、俺が支えてあげたかった。でも、俺は――。
「しばらくして、その殺喰の特徴を聞いて、それから……父さんに、本格的に稽古をしてもらうようにして、殺喰とも実際に戦って、金髪の殺喰とも戦えるように機関に入って頑張った……っ。なのにっ」
「お、おい! 何でだよ、何で俺のためなんかにそんなっ――」
 何となくわかっていたのかもしれない。俺は、その答えが聞きたかっただけかもしれない。ここまで来て、その理由はもう――。
「決まってるじゃない!!!」
 彼女は涙を落としながら、必死に叫んだ。それと同時に、俺は動いていた。
「私はっ、コーイチの事が――」
 その言葉は、途中で途切れた。
「えっ……」
 彼女は小さくそう呟く。
 ――俺は、彼女を後ろから抱きしめていた。
「俺は、俺はお前のことが好きだ!!」
 全力で、心の底からそう叫ぶ。紗枝香の小さな肩が、少し動くのを感じた。
 ……そうだ、こいつの体はこんなに華奢なもんだったんだ。なのに戦って……俺のために、俺が果たすべき復讐を、彼女が代行しようとして……でも俺はそんなことっ――。
「俺はお前が好きだから……っ、だから、危ないことなんかしないでくれよぉっ!!」
 ぎゅっと強く抱きしめる。目頭が熱くなり、気付けば大量の涙を流していた。
「心配だったんだぞ……っ! お前が、遠くにいっちゃうと思って! 母さんや、父さんみたいに……届かないところにいっちまうって!! 心配……っだったんだからな!!」
「コーイチッ……、う、ううっ、だっで、だっでぇっ!」
 紗枝香の声は涙と鼻水で、まともに聞き取れるものではなくなっていた。しかし、それは俺も同じで、何かを喋ろうとしてるのに、言葉が涙に遮られた。
 せせらぎの音しか聞こえないはずの静かな川原に、俺達の涙声が響いていた。ずっと、ずっと、互いに涙が止まるまで――。


 
 しばらくして、俺達は川辺に座り込み、川の流れる様を眺めていた。
 何と話を持ちかければよいのか、俺にはわからず、紗枝香が喋りだすのをじっと待っていた。
「あの……さ」
 ようやく紗枝香が口を開く。
「コーイチ。さっきの、その、告白って受け取って……いいんだよね?」
「いいも何も、あれは告白以外の何物でもないぞ?」
 少し照れくさかった。よく考えてみれば、俺もよくできたものだ。あんなにシャイボーイだった俺も、なかなか成長したもんだ、うん。
「あの、じゃあさ。私も返事返していいかな?」
 ドキっとした。あ、あの時にもう言いかけてたじゃねぇか! 
 紗枝香と目が合い、俺はどぎまぎとした。心臓が激しく波打っている。
「わ、私も、好きだよ。ずっと、ずっと前から……だから、付き合って、ね?」
 顔を赤くして言う彼女が、愛しくてたまらなかった。思わず抱きしめてしまいそうになったほどだ。
 しかし、改めて言われると照れるな。顔を見ただけでも心が弾むというか、なんというか。
「そ、その、帰ろうぜ? 結構探したから時間も中々くっちまっただろ」
「う、うん。そうだね――クシュン!」
 彼女が小さくくしゃみをした。ああ、良く見てみれば、ヘンテコリンな服は上が半袖で下がミニスカートじゃないか。こんな真冬の格好とは思えないチョイスだ。
 やれやれ、と上着を脱ぎ、彼女に渡した。
「え、でもコーイチが……」
「いいのいいの。お前のその服装は見てるだけで寒くなってくるからな。ってかなんでそんな服装なんだよ? 考えてみれば戦ってるときっていつもそれじゃないか?」
「これには理由があるのっ! まぁ、歩きながらでも説明……クシュン!」
「あー、明日に説明してくれ。今は寒いし、なんつーか、今は頭に入ってこなそうだし。ってか着ろよな?」
 ようやく上着を羽織った紗枝香だが、まだ体を震わせていた。
 ――少し恥ずかしくもあったが、だがこの状況なら仕方がない。
「ほれ、こうすれば少しは暖かいだろ?」
 彼女の肩を持ち、こちらに引き寄せた。その時小さな悲鳴をもらしたが、結局抵抗も何もせず、頬を赤く染めながらくっ付いて歩き始めた。
「な、なんか、あ、熱くなってきた……」
「そうか? 多分風邪だな。風邪ってのはうつすと治るらしいぜ?」
 迷信だけどな。
「大丈夫だよ! 私絶対明日も風邪引かないし、コーイチにも引かせないよ!」
 何でそんなに気合入れて言うんだ? と言おうとしたが、表情で伝わったらしく、
「あ、明日は……一緒に登校するんだから……っ」
 と照れながら言っていた。
 まさかあそこからこういう展開になるとは思いもよらなかったが、でもこうなってよかった。彼女が笑っていて、俺も幸せならそれでいい。これからはそんな日がきっと続いていくのだ。きっと……。

 
 しばらくして、紗枝香の家にたどり着いた。少し名残惜しいが、俺は紗枝香の肩から手を離――そうとしたが、彼女が俺の服を掴んでいた。
「あっ、えと……ね、ねぇ。今夜は家に泊まらない? って、あはは、無理か。着替えもないし、荷物もないし……」
 そう言って、寂しそうに俺の服から手を離した。
「それじゃ、な」
 俺は家に向かって歩き出そうとしていた。
「あ、ちょっと待って!」
 そんな俺を、紗枝香が呼び止めた。そして、振り返った瞬間――キスをされた。柔らかい唇が、俺の唇に……触れた。
「ば、ばいばいのキスと言うことで……あはは、早かったかな?」
 頭が真っ白になって、よく何が何だか考えられなくなっていた。ただ、今もの凄く幸せだ、ということだけは心身共に感じていた。


 幸せすぎて、俺はすっかり忘れていた。

 ――心に浮かんだ違和感など、とうに消えていた。


 



 第伍話「予感」
 
 
 ◇◆◇◆

 気がつくと、オレは高い建物――振る寂れたビルの上に座っていた。
 いつもいつも、オレはこうして目覚める。寝ぼけている時間が長いのか分からないが、気がつけばこうして瞼を開け、毎回毎回違う場所に居るのだ。一体オレはどこで眠り、どこで目覚めているのだろう。そしてどんな夢を見て、どんな幻想を抱いているのだろう。
 今いるこの場所は……少し懐かしいかもしれない。ここであの若造に再会したのだったか。二度も見逃してやった幸運な若造は、今はどのように過ごしているのだろう。強くなっていればオレは満足なんだがな。
「さテ、そろそろ行クとしヨう」
 丁度良く腹を空かしている。食事をするなら今だろう。
 そうして立ち上がろうとしたが――強い殺意に気付き、オレは飛び退いた。
 それは一瞬だった。飛び退いたにも関わらず、オレの右腕は“エモノ”に斬り裂かれていた。なんとも久しい感覚に、オレは一種の興奮を覚える。
「久シい……久しイぞ。オレの体ガ裂けるナんて……」
 体勢を立て直し、“エモノ”を構えるそいつを見つめた。その時、オレはどれだけ驚いたことだろう。革製と見られる服を上下に着て、眼鏡を着用したその中年男性は――。
「オオ……お前ハあの時の少年カ。久しイな。随分と老ケたようダが、匂イは変わラない。いや、だガかなリ強くナったミたいだな?」
 そいつは殺気と憎悪に溢れる瞳で俺をにらみつけ、言った。
「黙れ。誰のせいで、誰のせいでこうならなければならなかったと思っているんだお前は。僕はずっと縛られ続けてきた。お前に……“金髪紅眼”のお前にな」
 金髪紅眼……ああ、オレの特徴のことか。
 それにしても凄い殺気だ。くくく、嬉しいねぇ。今日は随分と楽しめそうだ。だ、が、戦う前に一つ確認しておかなければならないな。
「オレの事を“金髪紅眼”と言っタな。だが間違えてテくれルな。オレはそこラの……“キライーツ”ダったか? マぁ、とにカくあんナ下の奴らとは格が違ウ。オレには名前がアる。ラフィーゼと言ウ名前がな」
「僕の名前は九頭原 雄介だ。地獄に逝く前に覚えておけ。……さて、質問に答えてもらおうか」
 油断することなく、刀を強く握りながら九頭原はオレに近づく。
「質問?」
「ああ、質問だ。何故今日我が家に奇襲を行った? それも団体で。団体で奇襲を行うなんてお前らしくもない行動だろう?」
 我が同族の中にも人間のように群がって行動する愚か者が居たのか。しかし、何故それにオレが混じっているんだ? 寝ぼけていたかもしれないが、そんな記憶は……ない。
 オレは黙っていた。それは何も分からず、言葉が思いつかなかっただけだったのだが、九頭原はそれをどう受け取ったのか、大きな溜息をついた。
「まぁ、いい。多少の犠牲は払ったが、お前以外の奴らは皆殺しにしたのでな。しかし解せないことがまだある。いや、これは個人的に納得できないことか……」
 九頭原は眉を寄せ、刀をより一層強く握った。半端のない量の殺気が九頭原を包み込んでいく。
 オレがニヤリと笑ったとき――九頭原は目にも留まらぬ速さで斬撃を繰り出した。
「何故だっ! 何故加藤らを襲った!!」
「オレ達が人間ヲ襲う理由は分かっテいルであろウ? オレは喰いタかったかラ喰った。……それだケだっ!!」 
 繰り出される斬撃を爪で防ぐ。だが力でこちらが押されている。こんなことは初めてだ。
 憎しみで強くなる……中々いいじゃないか。散々喰ってきて良かったってものだ。
「加藤ら夫婦とは中学の頃からの仲だった! お前に、お前なんかにあの二人の幸せを壊されて……僕はようやく自分の未熟さに気がついた!!」
 あの時とは刃が違う。それにこもっているものも違う。あの時の九頭原はただ自信だけに満ち溢れているだけのガキだった。……それがこのように重い一撃を放てるようになるとはな。
 オレが喰った“加藤”というのに、それほど入れ込んでいたのだろうか? よく覚えていないのだが。
「それまではお前が僕の前に現れなくて安心していた。過去の戦いを忘れたかったし、自信を失っていたからな! だが、加藤たちが殺されて、あの子だけが残されて……お前を殺せなかったことを後悔し始めた!! お前を殺すために娘共々腕を磨き、そしてお前を探すために喰討士の機関にも参加した。そしてようやくお前と再会できた!」
 九頭原の言葉に、俺は笑みを返した。
「ハハハ!! 涙の再開ト言うんダろう? コウいうのハ!」
 刀を右の爪で振り払い、左の爪を突き立てた。
「違うなっ!!」
 しかし、九頭原はオレの左腕を蹴り上げ、体勢を整えて間合いを取り直す。
「血の再開と言ったほうが正しいだろう!!」
 胸ポケットから小刀を数本取り出し、オレに投げつける。避けられない速さだったため、防御として小刀を爪で切り落としていく。しかし、オレが切り落としている間に、九頭原はオレの懐に入り込んでいた。
 クソ、しまっ――。
「地獄に堕ちろっ!!」
 刀は、オレを斬り裂いた――。

 


 思い出した。そうだ、確かにオレは加藤とやらの家で男と女を喰らった。確か、オレは加藤とやらの家の……そうだ、二階の一室で目を覚ましたんだ。そしてふらふらと肉を捜しているときに、加藤浩一郎という名前が書かれた札を見つけた。何故かあの名前が頭に残っていたんだ。




「ぐ、ぐくぅっ」
 どうやら刃はオレの心臓から反れたようだ。血が出ているが……すぐ修復するだろう。
「なっ、殺せていなかったのか!?」
 立ち上がり、動揺する九頭原を見つめた。
「おイ……九頭原、思い出シたゾ。“加藤”トやらヲな。男か女かわかラんが、どちラかの名前ハ浩一郎とやラであロう?」
「違う! 浩一郎は子供だ! お前の喰った奴らの子供だ!」
 子供? オレの喰らった奴らの子供?
 オレが喰らった奴らは覚えている。美味い肉だった。だが……子供だと? オレは子供などあの家では見ていない。家の隅々まで歩いたはずだが、子供などあそこには……。
「子供……!? グ、ウウアアアァァアアッ!!」
 突然頭がつぶれるかのような痛みがオレを襲った。何かが頭の中で蠢いていく。
 そうだ、そう、オレは――……? あぐ、ぐああ、あああがががぁぁっ!
「クズハラァ……ッ! 貴様、オレニ何ヲシタァァァッ!!」
 九頭原を睨みつける。しかし、その表情は思っていたものとは違う。困惑、の表情だ。
「何をした、だと? 僕は何もしていない! お前一体どうし――」


 頭に映像がよぎった。
『紗枝香ァァッ!!! 後ろに殺喰がっっ!!』――少年の声。
『あ、あんた……金髪――目は紅!?』――少女の声。
 

 オレは……ああ、そうか、そうだった。
「九頭原、今回はコれで止メとシよう。用事がでキたのデな」
「な、何だとっ!?」
 九頭原を退け、夜の街を跳んでいく。
 恐らく、オレの考えが正しいのなら、
 
 ――オレは、アイツが来るのを待つだけだ。



 ◆◇◆◇


 

 其ノ一
 
 目が覚めたとき、心臓が高鳴っていた。今日が初めてじゃない。意識はしていなかったけど、俺は何度もこの夢を見ていた。
「そ、そうか。そういうことだったのか……」
 俺が見た夢は、金髪の殺喰の夢。対面していたのは……親父さんだったと思う。――いや、でもなんとなく感じていたんだ。俺は多分こういう運命だって。そう、だってシチュエーションそっくりだもんな。
「俺はっ、ハ○ーポ○○ーと同種だったのかぁぁぁっ!!」
 だってそうだよね、これ? 某魔法小説の主人公だって両親殺されたけど自分殺されてないし、宿敵の映像を見ることできてたし、もうまさにハ○ーじゃん! なるほど、俺ってそういう宿命を背負っていたのかー。あー、なんか今日魔法使えたりしてー……。
「……アホくさ」
 んなわけあるかってんだ。ただの夢だろ。親父さんと金髪は昨日会ったから記憶に残ってるだろうし、それなのに映像がぼやけてたりしたし、なんかよく内容わかんなかったし。
 嫌な夢みちまったなぁ。今何時だ……?
 目覚まし時計を手にとると、いつもより何分か早い時間だ。つまり、目覚ましよりも早く起きてしまったということだ。こういうとき、損した気分になってしまうのは俺だけではあるまい。あー、さっさと着替えて飯食ってぼーっとしてるかなぁ。
 そうして、俺は一階へと下りてった。
 
 早く身支度をし、早く飯を食べ、早くテレビを入れたため、なんだか凄く暇になっていた。テレビもぱっとした番組はないし、ニュースは相変わらず殺喰の殺人で持ち切りだし。世間は殺喰の仕業だなんて知っちゃいないけど。
「暇だねぇ……今日は少し早めに登校でもしてみるか?」
 それもいいなぁ、と鞄を持ち、玄関へと向かう――と、突然チャイムが鳴った。誰だろう、とドアを開けると、
「お、おはよう! コーイチ!」
 紗枝香だった。そういえば昨日一緒に登校するとか言ってたけど……うう、は、恥ずかしいぞこれは。
「よ、よぉ。どうしたんだ? 道にでも迷ったのか?」
 ちょっとしたジョークを飛ばす。
「ちがうでしょ! 迎えに来たんだよ。その、昨日に言ったから、さ」
 顔が熱い……! 季節外れの汗が出ちまいそうだ。紗枝香の顔を見ると、顔が真っ赤だ。こいつも照れてるっていうか、緊張してるっていうか……ああ! 胸がドキドキする!!
「そ、そうだったな。じゃ、いくか?」
 靴を履いて紗枝香と寄り添い、通学路を歩いていく。自然と周りの奴らの視線が気になってしまう。俺と紗枝香は学校では名コンビとして知られているらしいから、きっと二人で歩いている分には「あの二人かぁ〜」と、さほどは気にならないんだろう。でも……今回はどうなんだろうか。かなり距離が近いし、それに互いに顔は真っ赤。い、いや、そんな事気にしちゃいけないんだ。堂々としていよう。堂々と!
 手、繋いだほうがいいのかな? でも恥ずかしいしなぁ。あー、しかしこっちからエスコートしないと男としてダメだっ!
「あっ」
 思い切って手を握った。彼女の口から可愛らしい声が漏れる。顔を見ると、少し複雑そうな顔をしている。だ、だめだったか?
「あ、あのさ」
 その言葉に思わず唾を飲んだ。
「こうした方が、恋人っぽくない?」
 そういうと、紗枝香は一旦手を離し、指と指が絡まるような形にして、再び手を握った。あ、ああ、なるほど。確かにこのほうが恋人っぽいですわ。あ、あはっは……。
 照れていたからかもしれない。いつもは寒さを感じる通学路なのに、今日はまるで真夏のようだった。
「あ、あのさ、せっかくだから、昨日説明するはずだったアレ、言うね?」
 アレ? アレって何? バイバイのキスのこ――って何考えてるんだ俺はぁっ!! どんだけ思春期まっさかりなんだ俺はぁぁぁっ!! アレってアレだよな、あのヘンテコリンな服のことだよなっ!!
「あの服はね、喰討士の戦闘服なの。あれはあれで能力を高めるものなのよ。ある商人が売っているらしくて、喰討士のみがその力を発揮できるらしいよ。それをどう作ってるかは商人の秘密らしいけど……。それで、その服にも色々な型があって、防御型……いわゆる防弾服みたいな、相手の攻撃を受けても致命傷を避けてくれる硬い鎧みたいなものね。増筋型……名前の通り、喰討士の筋力を高めるものね。ドーピングコンソ……やっぱなんでもない。で、最後に瞬速型……私の着ている戦闘服がこれね。防御力は低いけど、並外れた速さをもつことができるの。まぁ、冬には寒いんだけどね」
 紗枝香の説明を聞き終わった時、ある疑問が頭に浮かぶ。
「へぇ……あー、でもさ、その三つの能力を兼ね備えた戦闘服ってないの?」
 せっかくだから三つ全部あわせたほうが生存率も高くなるだろうしなぁ。
「一応あるらしいんだけど……あまりにも高価すぎて商人から買える人があんまりいないんだって。一応父さんの戦闘服はそれに近いらしいけど、防御専門とかの服に比べたらそれぞれの能力はやっぱり低いって言ってたよ」
 なんかゲームみたいな設定だなぁ。まぁ、世の中そう上手くはいかないってことなのかもしれないけど。
 ってか、恋人らしくしてるのにこういう話題はないよなぁ。あー、なんかこう、恋人みたいな……、あっ、そうだ。
「なぁ、俺今日お前の家に泊ま……ぁ」
 俺のバカァァッ! 何下心満載な話題提示してんだ!! しかもよく見てみれば周りの奴ら俺らのことすっごいみてんじゃん! そりゃ手つないでるし、やっぱり注目浴びちゃうよなぁ……! やばい、これはやばい。今の発言聞かれてたら……。
「えっ! きょ、今日!? う、家に――ふがむごっ」
 慌てて紗枝香の口を塞ぐ。
「ば、バカッ、大きな声で言うなっ!」
 道を逸れ、人通りの少ない道へと入り、紗枝香の口から手をどかした。
「い、いきなりでびっくりしたよ!! で、家に、その、泊まるのって……」
 自分からその話題を提示したが、しかし、ちょっと後悔だ。下心をもっている、なんて思われたら……こ、ここは何とかして正当な言い方をしないと!
「ほ、ほら、昨日言ってただろ? いつも俺一人だから、一緒に、なんてさ、ははは」
 やべぇ、何が“一緒に”なんだ? なんかやばくないか? 言い方やばくないか? 案の定紗枝香の顔は真っ赤だ。ああ、こいつこういうの苦手なんだよなぁ。
「わ、わかった。いいよ?」
 彼女は微笑んでそう答えた――が、最後に照れたように、
「そ、その、初めてだから、や、優しくしてよね……」
 という問題発言をしたことにより、俺は一日中頭がパンクすることとなる。
 

 其ノ二
 
 昼休み。あれ? もう昼休み? なんか通学路でのあの一件以来記憶が定かじゃないんだけど……。あれは冗談だったのか? それとも――ああ!! これ考えるの何回目だよ!! じょっ、冗談に決まってるだろあんなの! 恋人開始2日目であんな発言がでるわけ……いや、でも今までずっと近くで過ごしてたから、あ、いやいやいや、もう何考えてるんだ俺は!
 あーっていうか、ぼーっとしてたから売店出遅れたなぁ。またあのマイナーな組み合わせは勘弁――。
「コーイチッ、お昼一緒に食べよっ」
 顔を上げると、紗枝香がニッコリと笑顔を浮かべて机の前に立っていた。妙に上機嫌だな、と思ったら、手には二つの弁当。ま、まさかっ、こ、これが――ラブラブ二人っきり弁当タイム!? や、やばくない? 結構周りは人が……ってなんかすごいニヤニヤされてるんだけど!! 一樹の野郎も、女子に混じってすごい気持ち悪い笑みを浮かべてるんだけど! くっそ、あの野郎……。
「ねぇ、早くたべよーよぉ」
 せ、急かすな紗枝香っ! お前はこの状況がわからねぇのか! ここじゃとても食べれない。なら仕方がないか、面倒だが……。
「おし、食べよう。場所を、そうだな、屋上に変えて食べよう」
「えー、めんどくさ――」
「異議は私、加藤 浩一郎が原則として認めません! 屋上でたべますよーっ」
 小声で言い、そそくさと教室を後にした。……紗枝香が俺の服を摘んで歩いているから、結局視線は浴びることにはなったが。
 屋上に着くと、寒い風が俺たちを襲った。いや、まぁあの視線に襲われるよりはマシだ。……さて、職員室から昔盗んだ鍵を使ってっと。
「え、え、えーっ!? な、何で鍵を閉めるの!? ま、まさかコーイチ、こ、ここで――」
 ま、まままままままっ、待てぇぇぇぇぇぇえええ!!!
「ちっ、ちげーよ!! あいつらが屋上に介入してきたらやばいだろ!? へ、変なこと考えるなって!」
 ――いや、否定をしているが、今は確かにチャンスだぞ? 屋上で二人きり、しかも鍵は掛かって……って、やめろ! 黒い俺やめろ! 煩悩に負けるな、俺!! 白い俺カムオン!!
「さ、さっさと飯を食おうぜ?」
そうだ、今は性欲を出すところじゃなく、食欲を出すところだ! もーさっさと食ってしまおう! 腹も減ったし! 
 紗枝香が弁当を包んでいた布をほどき、弁当箱のふたを開ける――と、美味そうなおかず達が姿を現した。たこさんウィンナーにコロッケにナポリタンにからあげ……ああ、いつもはおすそわけでそろえていたおかず達……でも今は一気に全てが俺の目の前にぃぃっ! ってあれ? 食べたいんだけど箸が無いんだけど。
「私一回こういうのやってみたかったんだよね〜♪」
 紗枝香はにっこりと微笑み、俺の弁当に箸をもっていく。まさか……。
「はい、あ〜ん」
 箸につかまれたたこさんウィンナーが目の前に――いやいやいや、これはちょっと、なんていうか、ちょっとじゃなくてかなり恥ずかしいぞ。何だ、今日は。恥ずかしいメドレーじゃねぇか。
 あー、でもこの紗枝香の笑顔を見たら……いくしかないだろう。
「あ、あ〜んむっ。むぐむぐ……」
「ど、どう?」
 ――むっ! こ、これはぁっ! たこさんウィンナーを頬張った瞬間、俺の口の中に想像とはかけ離れた味が広がった。
「美味い、美味いぞっ! なんかたこさんウィンナーに革命が起きてるぞ!! 普通のウィンナーとはこう、言葉で表せない本質そのものがかわっているっていうか、なんか違うぞこれっ!」
「そう? 喜んでくれて嬉しいな。あ、じゃあ次はこれ、はいあ〜ん」
 次はコロッケを差し出された。コロッケ……マイ弁当ランキングの栄えある一位に輝くおかずだ。
 無論、俺は何の迷いもなく口を開けた。
「むぐむぐ……んん! 美味い! コレ冷凍じゃないだろ!?」
「えー! 分かる!? 実は手作りなんだ! あ、じゃあコレは?」
 と、そんな感じでどんどん頬張っていき、気付いた頃には俺の弁当は空になっていた。いやぁ、本当に美味しかった。なんつーの? こう……クサい台詞を言えば愛がこもってるっていうか、な。
「いやぁ、美味かった。さて、次は俺が餌付けする番――ってあれ?」
 紗枝香の弁当箱を覗くと、既に空になっていた。い、いつの間に食ったんだこいつ。
「餌付けって、言い方がなんか嫌だなぁ。ついでに私はちょくちょく食べてたからねー」
「なんだよー、俺もやりたかったぜ。あーんってな」
 悔しそうに溜息をついてから、俺は空を見上げた。空は灰色の厚い雲で覆われていた。
 そういえばテレビで、今日の夜に雪が振るっつってたな。今夜は寒くなりそうだ。あ、今夜っていえば紗枝香の家に泊まるんだったな。あー、楽しみっていうか、ドキドキするっていうか、あー……。
「どうしたの? ぼうっとして」
 突然紗枝香に顔を覗き込まれ、俺は心臓が高鳴った。紗枝香の顔がこんなにも近くに……。そ、そういえば昨日キスとかしたよなぁ。
 今、しても大丈夫、かな? 
「紗枝香……」
 名前を呼び、顔を近づけていく。紗枝香も俺の考えていることがわかったのか、瞼を閉じて俺を迎えた。そして、唇と唇が合わさった。あの時は一瞬だったからよく分からなかったが、なんとも柔らかい感触だ。
 しばらくして、互いに唇を離しあう。
「紗枝香……」
「コーイチ……」
 すごく良いムードになり、俺が紗枝香の腰に手を回したとき――昼休み終了5分前の鐘が鳴り響いた。二人、慌てて顔を逸らし、少し距離をとった。 
「あ、じゅ、授業始まっちゃうね」
「お、おう、そうだな」
 チッ、何て時に鳴りやがる。教師の陰謀か?
 なんというか、もしあそこで鐘が鳴らなかったら俺はどうしていたんだろう? さっき俺は――って、ああああああぁぁぁぁ!!!
「あ、お、俺トイレ行きたくなっちまった! わり、先行ってる!」
 思わず走り出した。まずい。これは非常にまずい。
「え? ちょ、ちょっと〜!?」
 紗枝香から逃げ切り、屋上から階段を急いで下りていく。そして一番近いトイレに入って一息ついた。俺としたことが、油断していた。欲望が形となってある部分に現れていたのだ。コレを紗枝香に見られたらまずかった。
「ったく、俺は……」
 次第に欲望が収まり、溜息をついて鏡に向かった――その時だった。
「う、うぐうああぁっ!」
 頭部に激痛が襲った。まるで頭が割れてしまかのような痛みに、膝を落としてしまう。何か、何かが俺に伝えようと……伝える? 何を、俺は……。
 この痛みは……っ、普通じゃない!! 内側から、何かが溢れだすような感じだっ。
 しばらく痛みに苦しみ、もがき、そして遂には意識が遠のいていった。
 

 ――目の前に映像が浮かんでいく。ここは、病院、か? マスクを付けた医師が何人もいる。
 突然、視点が赤い何かに移った。これは……赤ん坊? 医師に抱かれた赤ん坊、が……声もださず、動か……ない、で、目を、閉じて……。
『この子は、もう……』
 医師は……言う。そして、医師の前で一人の男性が倒れこみ、大きな声で泣き叫んだ。
 あの赤ん坊……見たことが、あ、ある? 
 また突然景色が変わる。病室に、ただの肉塊となった赤ん坊が一人横たわっている。
 そうだ。見たことがある。この景色も、そしてあの赤ん坊も。
 近づいて行く。赤ん坊に近づき、そして赤ん坊を見つめる。
 ――俺? これは、加藤、浩一郎? いや、ま、さ、か、俺……は、おれ、は……――。
 
 
 次の瞬間、俺はその部屋の天井を見ていた。そして……力強く泣いた。
 しばらくすると、たくさんの人が流れ込んできた。それぞれが俺を見て多種多様の表情を浮かべる。恐怖、驚愕、歓喜。先程泣き崩れた男性は、これ以上ないくらいの笑顔を浮かべ、俺を抱き上げた。
『ありがとう……! ありがとう、浩一郎!! 生きていてくれて、ありがとう……っ!』
 ――父、さん? 父さんだ。少し皺が少なかったり、髪があったりするが、間違いない。でも、これは一体? 何故こんな、これは――う、ウウグアアアァァァァアア!!!!
 再び、頭に割れるような痛みが走る。
 
 色んな映像が浮かんでいく。俺の知っている風景。俺の知らない風景。
 
 その映像の中で、俺はある光景を見てしまった。この、この映像は……!?
 
 人が裂かれる映像。人が壊れる映像。人が、人でなくなる映像。
 
 まさか、まさか……いや、い、嫌だ、見たくない、やめてくれッ!! 俺は、おれはっ……!! ……俺はぁぁぁぁぁっっ!!!



 うあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!











 第六話 「交叉」


 
 其ノ一

 瞼を開けると、見慣れない天井が見えた。とても高い天井だ。ここは……どこだ? 俺は――。
「おや、起きたようだね」
 この声は親父さん――そうか、ここは九頭原家か。どうりで高い天井な訳だ。そしてこの和風の部屋。襖と壁に掛けられた立派な屏風や、立派な刀が置かれている家はここらへんでは九頭原家しかない。
 体をゆっくりと起こした。まだ少し頭がクラクラとする。
「……何で俺はここに?」
「学校のトイレで倒れたと聞いてね。この家は“今現在の”病院より迅速に対応、処置できる。だから学校の人につれてきてもらったのさ。しかし……どうして倒れたんだい? 貧血というわけではなさそうなんだが」
 何も答えられなかった。いや、“答えるべきではなかった”と言うべきだろう。俺でさえ混乱しているんだ。いや、事実を認めたくないだけかもしれないけど。
 もうここに居るべきではないかもしれない。今日は自分の家で……。そう思い、立ち上がろうとしたが、脚がなかなか上手く動いてくれない。これではあれほど遠い俺の家まで行き着くのは不可能だな。
「無理をしないほうが良い。今日はここに泊まっていくつもりだったんだろう? 紗枝香から聞いたぞ〜、ははははは」
 親父さんは嫌な笑みを浮かべてそう言った。……そうだな。親父さんが何を考えているかはあえて判らないということにするが、俺は紗枝香と――。……まぁ、多分、今日は大丈夫だろう。この家に居たとしても、“奴”は襲い掛かってはこないはずだ。
「紗枝香はもうすぐここに来るさ。今おかゆをつくっていてね。君に食べさせたいそうだ。――そういう事だから、邪魔者は去るすることにするよ」
 親父さんはゆっくりと腰を上げ、ゆっくりと歩いていく。襖をあけたとき、突然振り返り、
「紗枝香をよろしく頼むよ。あの子は力は強いけど、心はやはり女の子だ。……支えてやってくれ」
 俺の返事を聞く前に、親父さんは行ってしまった。
 ……親父さん。俺は、もう自分の運命を悟ってしまったんだ。できれば、これからも紗枝香を支えていきたい。でも、それは許されない。だって、俺は知っちまった。自分がどういう存在で、どういう存在と戦わなければいけないのか。――その結果どうなってしまうのか。
 俺はもう――。
「あっ! コーイチ!!」
 親父さんが開けっ放しにしていた襖から、おかゆを持った紗枝香が顔を出した。
「もう! 心配したんだよ! 突然倒れたって聞いたから……っ!」
 おかゆを床に置き、紗枝香が俺に跳んで抱きついた。目には涙を浮かべている。……心配させちまったんだな。
「もう大丈夫だ。すこし足元がふらつくけど、俺は元気さ」
 そう言って、優しく頭を撫でた。頭を撫でていくうちに、俺の中に一つの願望が生まれた。その願望を形にするには少し早すぎるかもしれない。でも、俺にはもう時間がない。だから――。
「紗枝香。突然で悪いんだけどお前の部屋に案内させてくれないか? お前の部屋でおかゆを食べたい」
 彼女はきょとんとした顔で俺を見つめていた。すこし考え込んでから、彼女は首を縦に振った。下心丸見えだったかもしれないな。だけど、俺は行っておきたかったんだ。お前の部屋に。きっと、これが最後のチャンスだから。お前と……お前と出会った形を残す、良い証拠だから。
 紗枝香に支えてもらい、立ち上がった。そのまま彼女と寄り添って広いこの家を歩いていく。
「あそこが私の部屋だよ」
 “紗枝”と書かれたプレートが貼ってあるドアを指差し、彼女は笑った。
「女の子の部屋に入るなんてコーイチも大胆だなぁ。私としては、少し嬉しかったりするけど」
 ドアを開け、部屋に入った。とても可愛らしい部屋だった。ベッドやカーテンはピンクで、絨毯はオレンジ、タンスや机の上には可愛らしいぬいぐるみがいくつか置かれている。長い付き合いだったのに、初めて入るんだな、俺。
「まぁ、座ってよ」
 小さな丸テーブルの上におかゆを置いた紗枝香に、近くのクッションの上に座るよう促がされ、俺は腰を下ろした。
「今暖房入れるからねー」
 そう言い、紗枝香は俺に背を向けて暖房器具をいじり始める。――俺はもう抑え切れなかった。立ち上がり、紗枝香へと近づいていく。
「あれ? コーイ――」
 振り向いた紗枝香の唇を強引に奪った。いつものようなキスではなく、舌を彼女の口に滑り込ませ、激しく彼女を求める。
「んっ、んん、んんんっ!」
 困惑して、最初の方は慌てていた紗枝香だったが、次第に落ち着きを取り戻し、
「ん……ぷはぁ、んんっ、んっ」
 俺の求める舌に応え始めた。互いの唾液を貪る。何度も何度も舌を交わらせ、互いに息が激しくなってきたところで唇を離した。
「コーイチ……」
 紗枝香の目はとろんと垂れていた。もう、俺が何を求めているか判っているのだろう。
「こ、コーイチ……まだ、まだ早いよぉ……っ」
「わかってる。わかってるけど、時間が――いや、お前と形を残したいんだ」
「形?」
 そう、形だ。きっとそれは身勝手なことなんだろう。身勝手な思いなのだろう。しかし、俺はもういなくなってしまうかもしれない。彼女には話せないが、俺は戦わなければならない。一人で、だ。
「お前と、結ばれた事の形を残したい。俺もお前も、明日どうなっているかわからない身だからな」
 そう言ってごまかした。紗枝香は殺喰と戦う危険に付き纏われているため、どうなるかわからない身だ。しかし俺は……紗枝香はどう受け取ったのだろうか。この言葉の意味を、どう受け取るのだろう。
「私は死なないよ。そしてコーイチも……守ってみせる」
 綺麗な眼だった。嘘も飾りもない。ただ純粋に、誠実に、俺を見つめ、俺を想っていてくれている。

 ――だからこそ、苦しい。
 
 何も言えないことが。本当の事を言えず、何も相談できず、一緒に戦えないことが……。
 

 ――だからこそ、愛おしい。
 
 俺だけを見つめ、俺だけを想い、そして守ろうとしてくれることが……。 

 
 大好きだ。
 俺は間違いなく、何の偽りもなく、紗枝香を愛している。
 だからこそ、そう、だからこそ形を残したい。お前だけを愛したからこそ、お前だけに愛されているからこそ。
「紗枝香……」
 見つめ合う。互いに、誠実で、切実な思いで、瞳の中を覗き合う。
 紗枝香が瞼を下した。
「……よ」
「え?」
「いい、よ。コーイチ……」
 きっと不安を胸に抱えているのだろう。
 俺の考えが見えないから、不思議で、不安で……でも俺を信じたくて。
「紗枝香……っ」
 力強く、彼女を抱きしめた。
 愛おしかった。
 何よりも、どんなものよりも、愛おしかった。
「ありが……とう」
 そして――。



 俺達は、結ばれた。  






 其ノ二



 紗枝香は俺の腕の中で眠ってしまった。……疲れただろうな。初めてだったみたいだし。――さて……。
 ゆっくりとベッドから下り、彼女の部屋を出た。
 トイレはどこだったかな……。

 
 ◇◆◇◆
 

 
 ――どうやら、オレの考えはやはり正しかったらしい。
 結晶が降り続く中、九頭原家の家をじっくりと眺め、そしてゆっくりと背を向けた。 
「明日勝負ってコとカ、少年よ」
 小さく呟く。明日、オレは決着をつけなければいけない。全ての始まりに。
 オレから何故か生き延びた少年。傍から見れば奇跡の物語だ。だが、それは奇跡なんかじゃない。それは、運命というのだ。断ち切ることのできない、運命の鎖。
 その鎖を、オレが断つか。それとも少年が断つか、それとも――。
「フフフ、楽しミだ……」
 

 そして、オレは闇へと溶け込んでいった。  


 ◆◇◆◇


 トイレから出て、静かに彼女の部屋へと戻っていく。
 やはり、そうだ。俺の考えはやっぱり合ってたみたいだ。――でも、もう後悔はない。こうなることは運命だったんだ。変えることのできない運命……そういう重たい現実だったんだ。今まで、その重たい現実から俺は逃げていた。俺自身がそう望んでいたわけではないが、確かに逃げていたんだ。――だから、俺は今度こそ見つめようと思う。自分の運命を。
 

そして、俺は彼女の居る部屋へと入っていった。







 

 第七話 「鎖と現実と幻想と」 










 其ノ一

 とても瞼の軽い朝だった。こんなの久しぶりかもしれない。日差しがなんとも心地良かった。そして、ベッドの中も中々暖かくて……ああ、そうか。紗枝香と昨日は――。
 俺の腕を枕にする彼女を見ると、安心しきった顔で気持ちよさそうに寝ていた。その顔を見て、胸が苦しくうずくのを感じた。
 時計を見ると、登校するはずの時間はとっくに過ぎていたが、今日は祝日で学校は休みだ。俺も紗枝香も部活には入っていないので、今日一日は自由の身というわけだ――が。
「時間がもう無い……」
 ゆっくりと体を起こし、彼女が起きないように腕をどかした。
 お前はまだ眠っていてくれ。……行って来るよ。最期の思い出作りに。
 服を適当に着繕い、九頭原家の玄関まで足早に歩いた。彼女に悟られてはならない。まだ、今は――。
「おや? 浩一郎君じゃないか」
 玄関にたどり着いたところで、ばったりと親父さんに出くわしてしまった。
「どこに行くんだい? こんな朝早く――ってほどでもないか。紗枝香はまだ起きてないのかい?」
「紗枝香はまだ部屋で寝て――るんじゃないでしょうかっ!!」
 や、やべっ! ついつい言ってしまった! これじゃ紗枝香と一緒に寝たと言うのと同じじゃねぇか!!
 案の定親父さんはにやりと笑みを浮かべる。
「浩一郎君! やはり君も男だねぇ! ……僕としては正直複雑な気分だが……まぁ、相手が浩一郎君なら何も文句はないよ! で、どうだったんだい? 僕も初めての時は結構苦労――あいたたた!!」
 突然親父さんは30代半ばと見られる女性に耳を引っ張られ、どこかへ連れて行かれてしまった。……初めて見るけど、多分奥さんだろう。どうせなら挨拶していきたかったが、そんな事をしている間に紗枝香に遭遇してしまったら気が変わってしまいそうで怖い。あいつの寝顔を見たときも決心が少し揺らいだからな……。
 ここに未練はありまくりだが、行くとしよう。最後くらいちゃんと拝んでおこうじゃないか。俺の生まれ故郷を――。
  
 
 
 外はまさに銀世界と言えるほど綺麗に埋め尽くされていた。歩く度に、かき氷をスプーンで崩していくような音。俺は結構この音が好きだ。とても、懐かしさを感じる、優しい音だ。でも、それと同時に残酷で、悲しい音でもある。今の俺にとっては特に。
 俺はゲーセンのある街へと向かっていた。別にゲームがしたかったわけではない。ただ、そこに行けばあいつに会えるだろうと思ったからだ。
 ゲーセンに向かう道中、嫌な思い出となった場所を見つけた。――地獄寺……。あの時は夜だったから怖かったが、境内は意外と普通なんだな。あの時は幽霊でも出るかと思ったが……まぁ化け物はでたけどな。
 賽銭箱を見つけたので、たまには神頼みも良いなと小銭を投げ入れた。しかし、入れてみるとどう頼んでいいか分からず困った――時であった。
「お、コーイチじゃないか」
 振り向くと、あの時は随分と心配させてくれやがった眼鏡野郎――一樹が立っていた。神頼みが効いたのかな。まだ何も頼んでなかったけど。
「こんなところでどうしたんだ? 確か紗枝香の家に泊まってたって聞いたんだけど。どうだった? 何かあったか?」
 にやにやしながら一樹は言う。フフッ、お前ならそういう話題を提示してくると思ったよ。ほんと、想像しやすい奴だ。
「聞きたいか? 勝ち組の話を」
 誇らしげに言うと、一樹はオーバーリアクションで驚き、じっと俺を見つめた。
「お前……まさか、大人の階段をのぼっちまったのか? ああ、何てことだ。まさかお前に抜かされるとはっ!!」その反応に、俺は腹をかかえて笑った。そんな俺を見て、一樹はムスっとした。「確かにお前と紗枝香は超〜〜バカップルだったけどよぉ。早い、早すぎるぜ!」
「超バカップル? そ、そうだったか?」
「そうだったって!! 友達からお前と紗枝香が付き合い始めたって聞いた時はびっくりしたけどよ〜、お前と紗枝香の様子見てたらもっとびっくりした。っていうか、今のお前の発言にもびっくりしてるんだけどな。まぁ、でもお前らは前から仲良かったし、カップルっぽかったけどな。だから早いだろうなとは……でも早すぎだぜぇぇぇ、チクショオオオ!」 
 また笑いがこみあげてきた。そういえばこいつとはいつもこういう下らない話を言い合ったよな……。それはいつも尽きることなくて、俺から提示したり、一樹から言ってきたりしてさ。
 笑いが収まったとき、俺は境内の鐘を鳴らした。なかなか耳に残る音が静かな境内に響き渡る。手を合わせ、俺は祈った――と言うよりは、宣言した。
「へぇ、珍しいこともあるもんだな。コーイチって滅多にこういうことしなかったのに」
「そうだったか? ってか寺にコレしにきたんだから珍しくもないだろ? っていうかお前は何でこんな所に来たんだよ」
 一樹は突然複雑な表情を浮かべ、空を見上げた。何となく、俺も同じく見上げてみた。……昨日と同じく、分厚い雲に覆われている。
「俺自身よく分からなかったんだけどな。……ここに来なきゃ一生後悔するような気がしたんだ」
 白い息がふわりと空気に溶けていった。一樹は静かに笑う。
「ハハ、なんか変だよな。俺もそう思ったんだけどさ。でも、来ちまった。今じゃ、来て良かったと思うよ」
 一樹の笑顔を見て、俺の涙腺が少し緩まった。後悔、か。俺はこの選択に後悔しているのだろうか。もし、俺がこのまま"奴"を見過ごして生きていけば、きっとクラスの連中や、一樹、そして紗枝香と、いつもとなんら変わらない日常を過ごしていけるのかもしれない。……でも、俺の大切な人々がいつの間にか居なくなるなんて耐えられない。俺の勝手な選択のせいで、見ず知らずの人間が犠牲になるなんて、耐えられない。――俺が、俺自身が、何も守れないなんて、耐えられない。
 やさしく、一樹の肩をポンッと叩いた。
「俺もここに来て良かったよ。じゃなきゃ、一生後悔するとこだったさ」
 俺の言葉に、一樹は首をかしげる。
「コーイチ……?」 
 その声を無視し、ゆっくりと地獄寺の外へと歩いていく。境内を歩いたのは俺と一樹だけだったようで、地面はまだ多くの雪に覆われていた。小さくてやわらかくて、そして優しい足音。そこに、雫が垂れ落ちる音も次第に加わっていった。
「コーイチィィ!!!」
 背後から一樹の叫び声が聞こえた。――俺は振り返らない。
「また今度、ゲーセン行こうなぁぁっ!!」
 ――俺は、振り返らなかった。



 其ノ二

 昔は雪が降ればすぐに雪だるまを作ったものだ。父さんや、母さん、そして――紗枝香と。
 俺はおもちゃなどが嫌いで、体を動かすことが好きなガキだった。そんな俺が、何かを創るということを見つけたとき、思いついてしまったのだ。決してやってはいけない行為を。
 手に入らなければ、創れば良い、と思った。気に入らなければ壊してしまえば良い、と思った。けど、あの時の俺はわからなかったんだ。いつの日か、雪だるまは溶けてしまう……という真実が。雪だるまを日陰に置くとか、溶かさないように冷蔵庫に入れるとか、そういう事もできたかもしれない。……でも、結局は雪だるまは最初のような立派な姿を保ってはいられない。結局、醜い姿になっていくのだ。――果たしてそれが雪だるまにとって幸せなことなのだろうか?
 ――俺が、醜い自分から目を背けることは、果たして良い考えなのだろうか?
 ……俺は地獄寺でこう宣言していた。「自らの醜い姿を受け入れる」と。
 
 高台で、俺は霞川町を望んだ。人の姿をそこから見ることはできなかったが、自分が守ろうとしているものの規模を感じ取った。国や、世界規模で見つめれば小さな町だが……こう見ると大きく感じる。日常で何も感じずに見かける、多種多様な家々。紗枝香との強い思い出ができた河原。決意した地獄寺。日々、通っていた高校。周りの家々とは違って大きい紗枝香の家――全てが愛おしい。今目に見える全ての物が、俺の心を締め付ける。そして、励ましてくれる。
 無数にある家々。その家々に、守るべき人がいる。たとえ直接関わりのなかった人がいたとしても、それでも構わない。この町に、一緒に住んでくれた。それだけで、俺はいいんだ。
 あの川は、実はあまり清潔じゃなかった。いつも行く度にゴミがいくつか浮いていた。でも、川はいつまでも流れていてくれた。俺達が人形のように小さい頃から、今に至るまで、ずっと。俺と――いや、俺達の人生と共に、ずっと流れていってくれた。
 地獄寺。嫌な場所のはずなのに、一樹と会ったことでそして最後に話せた事で、守るべき場所の一つとなっていた。守ろう。絶対に、守ろう。
 高校。あの高校の名前は、実は霧川高等学校。……普通の名前だろ? 普通の名前の普通の高校。そこに、俺は毎日通っていた。そこで普通に皆と話して、怒られて、笑って、泣いて……。本当なら、失いたくない。できれば、このまま、ずっと通っていたい。でも、駄目だ。俺は、俺には守るべき責任がある。――だけど……最期にまた学食のパン、食っときたかった……なんて、な。
 九頭原の家――紗枝香。俺が、俺がこの町を守るよ。皆を、守って見せる。俺ができるのは、大元を倒せるだけ。だから、後は頼む。俺がいなくなっても、この町をずっと愛していてくれ。俺を――愛していてくれ。
 息を大きく吸った。そして、愛おしい景色に背を向けた。
「もう、迷わない」
 俺は向かった。運命の始まりの場所へと。暗くなってゆく空を見つめながら、“俺という存在”が始まったあの家へと――。



 自宅のドアを開け一人には広すぎた家内へと入っていく。まだ5時だというのに真っ暗だった。
 携帯がポケットの中で揺れた。――紗枝香からの何十回目かの電話を、俺はまた見送った。あえて電源を切ることはしなかった。彼女の存在を、少しは感じていたかったからだ。
 さて。
「行こうか。約束の場所に」
 そう呟き、俺は二階へと向かった。一段一段を、ゆっくりと踏みしめていく。そして、着いた。――加藤浩一郎と書かれたプレートが貼られた部屋の前に。ドアを開け、部屋を見渡した。今更だが、もう少し色々と飾っておくべきだったな。自分で言うのもアレだが、何とも殺風景な部屋だ。
 ずっと夜を共にしてきたベッドに腰掛ける。そして待つことにした。奴の到来を。――待っている間、ふと一樹や紗枝香の顔が浮かんだ。……もっと言いたいことはあったんだけどな。俺は……いや、だめだ。悟られちゃいけないんだ。 
 窓から空を見上げた。星は見えない。最後くらい……見せてくれてもいいだろうに。
 ――そして、その時は来た。
「待たセたな」
 顔を上げると、そいつは机の上に腰掛けていた。
 ドラキュラが着るような黒い衣服を身に纏い、暗闇の中でその紅の瞳をギラギラと輝かせていた。
「答エは出タか?」
 金色の髪をいじりながら、その殺喰――ラフィーゼは俺を見つめていた。どうやらラフィーゼも答えが出ているらしい。
 俺は頷いてみせた。正面から、ラフィーゼと戦うことにしたのだ。
「そウか……」
 ラフィーゼは爪を尖らせ、俺に向かって歩き始めた。
「邪魔者が近づいテきてイる。さっサと始めヨう」
 そして――。






 ◇◆◇◆

 
 


 玄関のドアを開けた。胃が随分と重たい。無理をして喰いすぎたかもしれない。
 外に出ると、結晶が舞っていた。結晶はオレの体にも降りかかり、そして――消えていった。
「浩一郎。やハり、消えルのはお前だっタのか……」
 それは、オレが望まない結果だったのかもしれない。オレは、もっと違うものを望んでいたのだろう。……心にぽっかりと大きな穴でも空いたような気分だ。
 運命はやはりオレにも浩一郎にも断つことはできなかったのだ。オレはこの運命を生き、そしてまたこれからも喰らっていくのだろう。――戦っていくのだろう。
「――待ちなさいよ」
 少女の声。
 やはり神という奴は悪戯好きのようだ。悪いタイミングに、とても悪い駒を差し向けてくれる。
 オレは少女に向き直った。殺気を奮い立たせ、オレを睨むその少女の顔は親父のものと同じくらい、いやそれ以上の何かを感じさせた。
「何でこの家から出てきたの! ――ッ! その血は何ッ!? も、もしかして……お、お前コーイチを……」
 オレはニヤリと笑い、口から血を滴らせた。ねっとりと流れていくその血の生暖かさが、なんとも心地よい。
「少年、浩一郎は……オレが喰らっタ」
「……えっ?」
 オレはククク、と笑い、もう一度言った。
「浩一郎は、オレが喰ラった!!!」
「――ッッ!!!」 
 少女、紗枝香は刀を抜き、オレに迫った。爪で防御の構えをとり、紗枝香の刀を受け止める。
 今まで受けた一撃の中で、最も重い斬撃だった。
「なっ、何でよぉぉぉぉぉッッ!!! ……何で、何でコーイチを殺したのよぉぉぉぉッ!!」
 少女は泣き叫びながら何度も何度も斬撃をオレに加えていく。親父のものよりも速く、そして重い一撃一撃に感心する。しかし、いつまでも守りの姿勢をとっているわけにはいかない。
「運命にハ逆らえナい!! オレと浩一郎が争イ、そしテオレが勝つのは運命ダったのだ!!」
 斬撃が加えられる寸前、右に跳んだ。左腕を斬りおとされたが、まだ右腕が残されている。
「なっ!?」
 隙だらけの彼女に、爪を突き立てる――しかし、右腕を蹴り上げられ、狙いは外れて空をきった。
 隙の出来た両者は、間合いをとるために互いに後ろに跳ぶ。
「まさか父親と同ジ手を使うとハな。流石に強い」
 再生していく左腕を眺め、息を切らしてオレは言った。少女が、鋭い眼差しでオレを睨めつける。
「……私も父さんも、お前を殺すために訓練に励んだ。私はコーイチを守るため、そのために強くなったのに……」少女の刀を握る手に力が加わった。「何で、何でお前は奪っていくんだァァァァァアアアアアッッッッ!!」
 刀を大きく振り上げ、オレに飛び掛る。――大きな隙がある。ここは攻撃を……いや、彼女の攻撃は瞬速だ。こっちが攻撃を加える前に刀が下ろされるやもしれない。ここは防御の構えだ。
 しかし、少女の攻撃は予想を上回る威力だった。爪で攻撃を受け止めたつもりだったが、あまりの威力に耐え切れず、オレは玄関のドアを突き破り、リビング前の廊下まで吹き飛んだ。砂煙が立ちこめて少女の姿を確認できない、そう思った矢先――紗枝香が刃と殺意をオレに向け、砂煙から飛び込んできた。
「こんナに騒いでイたら野次馬とヤらに群がラれるんジャないか!?」
 興奮で笑みを浮かべながらオレは叫ぶように言い、少女の斬撃をかわす。しかし、少女にはオレの声が届いていないらしい。ただひたすらオレに斬りかかってくる。どうやら家の中で戦うのは少し不利なようだ。何故なら、オレがこういう狭いところでの戦いに慣れていないこともある。それに……、それに、もし、もしも紗枝香がアレに気付いてしまったら――え?

 今、何を――。

「!?」
 思わずぼーっとして隙ができていた。少女の斬りあげた刃を交わすことができず、何とか爪でかろうじて防いだものの、体が飛び上がり、階段を数段昇った所で倒れてしまう。
 何故オレは意識が一瞬戦いから遠のいたんだ……? まさか、いや、だがオレは――。
「死ねぇぇぇえええぇっ!!」
 重みのある斬撃を何とか退け、オレは二階へと後退する。息を切らし、訳のわからないまま、ただただ走って行く。
 チッ、何ぼーっとしているんだ、オレはっ!! 今は戦っているんだぞ!? 

『誰と?』

 敵だっ!! オレの敵だ! オレを憎み、オレを亡き者にしようとしている敵だっ!!

『彼女は敵?』

 そ、そうだ。おれにとって、彼女は……。

『本当に、敵?』

 ……お、おれは……――。

『俺たちが望んだ事はなんだ?』
 
「!!!」
 気が付くと、おれは彼の部屋に逃げ込んでいた。赤い血に染まり、肉の塊が置かれたその部屋に。その時、全ての記憶が信じられなくなっていた。自分自身が、信じられなくなっていた。
 おれは何を望んでいたのだろう。おれは、何でこんなことをしているのだろう。
 おれは――。
「見つけたぁぁぁっ!! もう逃さない! 今度こそ――」
 そう言い、刀を向けた彼女の動きが止まる。
 彼女の視線は、肉の塊に向けられていた。……そう、おれが先ほど喰らった肉の塊に。
「え? どういうこと……?」
 血まみれの肉の塊の色は青白く、

「な……んで……」
 
 口は耳まで裂け、

「こ、殺されたのは……」
 
 目だったところは紅に染まっており、

「コーイチなんじゃ……」

 頭は、








 ――金の頭髪だった。







「何で、何で……? ど、どういう事? お、お前は誰? 金色の殺喰が二体も――」
 おれは動き出していた。隙のできた彼女に爪を立て、襲い掛かった。彼女もおれの殺気に気が付き、刃をこちらに向けたが、それは少し遅かった。
 ――その瞬間、肉を突き刺す鈍い音が部屋の中に響く。
「な、何で……」
 少女はおれを見つめた。その顔は驚愕の色に染まっている。一瞬にして起こった今の現状が信じられないようだ。
 ――血がその場を朱に汚していく……。夕暮れに染まるように、部屋が茜色へと変貌していく。
「どうして……なの?」
 少女の目から涙が零れる。その顔は哀に染まっていた。
 おれは笑った。何故笑っているのか、自分でもよくわからなかった。



 
 



 

 ――刀が、おれの胸を突き刺していた。 



 






 最終話「血の色」







 爪は彼女の頭部から数センチ離れたところに突き刺さっている。これは、手元が狂ったわけではない。
「ど、どうして? 何で攻撃を外したの……っ?」
 ――わざと、狙いを逸らしたのだ。
「……何で? 何でよ!?」
 パニックになって叫ぶ彼女に、俺は笑って見せた。優しい表情で――愛する紗枝香に。紗枝香は目を丸くして俺を見つめた。どうやら彼女も気付いたらしい。
「へへへ……お前容赦ねぇな。なかなか痛――グハッ!」
 狭い一室に、少年の声が響く。
「う、嘘……こ、コーイチ、なの?」
 紗枝香は大粒の涙を流していた。紛れもなく、その少年――加藤浩一郎の声を出していたのは、俺だった。
「危なか……った、はぁ、あともう少し、ラフィーゼの、精神との結合……が遅れていたら、俺はお前を――殺しているところだった」
 力なく笑いかけ、胸から刀を抜き取った。そこから大量の血液が噴出したが、それは今となってはどうでもよいことに思えた。体に力が入らない。まぁ、それもそうだろう。こんなに血を流せば、普通の人間なら死んでるとこだ。
「何で、どういうこと、なの……?」
 紗枝香が疑問の表情を浮かべるのも当然だろう。俺でさえ、初めて分かったときは混乱した。混乱し、脳が情報のパンクをおこして倒れちまった……学校のトイレでな。
「まず、そこにいる金色野郎は偽者だ。俺――殺喰である方の俺に、何やら……憧れでも、抱いていたの……はぁっ、だろう。先程、殺喰である俺が始末した」
 まったく邪魔な奴だった。魂と魂とで、俺とラフィーゼが対立していたというのに、まんまとやってきやがって……。おかげでラフィーゼの食欲が勝り、俺の精神が負けるところだった。……だが、こいつは――いや、もう時間がない。詮索はやめよう。
「わけがわからないっ! 何でコーイチが、金髪の殺喰の体で、こうやって話しているのか、何で、一体何が!?」
「今、から……はぁっ、話してやるよ。俺の……真実をっ」
 段々苦しくなるのを我慢しながら、俺は話し始めた。



 俺は、元々殺喰と同等、もしくはそれ以上力をもった存在だった。今はよく覚えていないが、ただ、自分の名前だけは鮮明に浮かぶ。"ラフィーゼ"だ。殺喰の中でも不思議な力をもつ奴で、そうだな……人間の言葉に当てはめるなら"魔術"のようなものが使える、と言ってもいいかもしれない。とにかく、そんな特別な殺喰だったんだ。
 何故生まれたかは、もう何十年も過ごしている間に記憶が薄れていったから、俺もわからない。殺喰なのか、それとも他の奴らとは違う存在なのか……それさえもわからない。ただ、俺の脳を支配していたものは"食欲"で、ただそれだけを頼りに生きてきた。初めの方は食べることに夢中だった。だが、次第に違う欲求が生まれた。――俺は、人間になりたいと思った。楽しそうに話す親子や、友人とバカみたいに笑いあったりする奴ら、寄り添って歩く恋人……そんな人間達を見ている間に、自分の生き方のつまらなさに気付いた。そして、俺を人間にさせる一番の出来事は、紗枝香の親父との二度の対面だった。最初は恐れのあまり何もできなかった人間が育ち、そして挑んでくる様は、俺の心を非常に揺れ動かした。
 人間の子に興味を持ち、ある日俺は人間の子供、つまり赤ん坊が産まれる場所――産婦人科の病院に忍び込んだ。その施設の中にいる赤ん坊を見て、俺は驚いた。それぞれ皆顔が最初から異なり、同じ人間などどこにもいなかった……。そして帰ろうと思ったとき、俺はある赤ん坊を見つけた。……その赤ん坊は他の赤ん坊とは違い、熱を感じず、息をしていなかった。医者に抱かれている"肉塊"、そしてそれを涙を流しながら見つめる、父と思われる男性。そんな赤ん坊や、その親に哀れさを感じたのかもしれない。昔ある奴に、人間と結合できる方法を教わっていた俺は……その方法を使って赤ん坊を蘇生させた。――自分の体を犠牲にして。
 そして赤ん坊が、ラフィーゼの精神を伴って生き返り、その名前が"浩一郎"つまり、俺だ。俺は死んだはずの人間だったんだ……。


「コーイチが、死んでいた……」
 俺は力なく頷いた。
「ああ……っ。どうやら……っ、産まれた直後に、死んでしまったらしい」
 段々息が元に戻り始めてくる。傷跡に目をやり、その理由がわかった。……深く溜息をつく。
「その後を話そう。この後が、大事なんだ……」


 俺は"加藤浩一郎"として生きる――はずだった。だが、そう甘くはいかなかった。――記憶だ。殺喰だったころの記憶が俺の頭に残り、そして能力さえもほとんど変わらずに残っていた。……それに気付いたのは1歳の頃だった。人間の子供として生きることは許されなかった。時々"人間に対しての食欲"が出る事や、子供じみたことができない自分自身に、段々嫌気や怒り、そして普通に生きている人間の子供達への嫉妬が募り始めていた。
 5歳くらいの時だった。俺はある少女に出会ったんだ。その少女は俺に会ったとき、笑いかけてこう言った。「遊ぼう、こーいちくんっ」てな。何で略して呼ばれるのかよく分からなかったし、妙に他の子と比べて明るすぎなその少女に、最初は戸惑いを感じていた。……だが、少女と接している内に、俺は段々嫉妬が違うものに変わっていった。――それは新たなる"望み"だ。俺の望んだもの、それは"彼女と同じ歩幅で歩く"事だった。もしかしたら、それは恋だったのかもしれない。殺喰の精神が残っていた頃の、初恋だったのかもしれない……。
 小学2年生の頃、少女は俺に雪だるまの創り方を教えてくれた。……俺は驚いた。今まで破壊することしか知らなかった俺に、創造する喜びをその少女は与えてくれたんだ。――そして、少女の創った綺麗な雪だるまと、俺の創った不細工な雪だるまを並べたとき、ある事に気付いた。"創造すること"そして"二つ並べること"だ。――俺は禁忌を犯した。バカだったんだ。目の前にある喜びや希望だけに目がいって、その先にある悲しい現実を見ようとしていなかった。
 
 俺は、創ってしまったんだ。人間としての加藤浩一郎を――。
 
 俺は、放ってしまったんだ。殺喰としてのラフィーゼを――。
 
 二つの人格に分け、人間には人間としての記憶だけを、殺喰には殺喰の本能だけを分け与えた。そして朝目覚め、夜眠るまでの体を加藤浩一郎の意識にし、夜眠り、朝起きるまでの体をラフィーゼの意識にした。こうすることにより、殺喰の記憶に縛られることなく人間として浩一郎は生きることができるし、殺喰のラフィーゼも食欲を抑えることなく行動できる。


「……だがこれは間違いだった。その結果、ラフィーゼは俺――浩一郎の両親を殺し、他たくさんの殺戮を繰り返してしまった。二つに分けてしまったために、ラフィーゼの鎖が無くなってしまったんだ……」 
 俺は両親が死んだ時、涙を流せなかった。何が起こったのかがわからなかったのだと、今までずっとそう思っていた。しかし、それは違ったんだ。自らの半身が殺したから、無意識的に悲しみがそこまで募らなかったのだ。ただ、空虚感を感じていただけだった……。
 そのまま紗枝香に抱きついた。力の入らない体を彼女に預けた。
「だけど、親父さんやその他の喰討士がラフィーゼを追ってくれた。そして、紗枝香、お前がもう一人の俺の暴走を、ここでようやく止めてくれたんだ……。もし、もっと遅くなっていたら……きっと被害が更に広がっただろう。でも、もうそれも終わりだ。ラフィーゼは――鎖で繋がれた」
「そ、それじゃ、もうラフィーゼは出てこないんだよね? コーイチは、コーイチとして、今までも暮らしていけるんだよねっ!?」
 紗枝香の表情は少し明るかった。希望を感じていたのだろう。 
 確かに、ラフィーゼを追い込んだおかげで、俺はラフィーゼを結びつくことができ、今の俺は浩一郎の精神に近い。でも――。
「それは……無理なんだ……っ。紗枝香っ」
「え? どうして!? だって今はコーイチの――」
 その時、紗枝香が俺の顔を見て目を丸くした。それもそのはずだ。俺の歯がありえないほど鋭く尖っていたのだから。
「俺は人間でもある。でも――殺喰なんだ……っ!」
 彼女から体を離し、自分の手を見せた。
 五本の指先には、鋭く長い爪が伸びていた。
「あの頃、まだ小さいころは"食欲"をまだ抑えられた。でも、今はあの頃ほど抑えられない……。"食欲"が高まると俺は殺喰としての自分を抑えきれなくなる。俺は、俺は……人間でも、そして殺喰でもある――バケモノなんだ!!!」
 立ち上がり、両腕を広げた。
 俺の、最期の願いをかなえるために。
「頼む、紗枝香……っ」
 涙が目からあふれ出る。滝のように。俺の顔を伝っていき、床にぼろぼろと落ちていった。
「俺を――殺してくれっ!!」
 これが、俺の最期の願いだった。自分の真実を知ったときから、こうしよう、と考えていた。何度も迷い、違う選択肢を選びそうになったが、それでも、この考えにたどり着いた。
「そ、そんな……っ」
 紗枝香は首を振ってそれを拒否する。
 わかってくれ、紗枝香……俺は、俺の願いは――。
「頼む! このままじゃお前を殺してしまう。そして、他の色んな人達を殺しちまうんだっ!!」
 しかし、紗枝香は刀を取らない。床に落ちた、血まみれの刀を見ようともしない。ただ、ただ信じられない、と言わんばかりに俺を悲痛の表情で見つめる。
「俺は、もう嫌なんだ。人間を、俺の大好きな人間達を殺すのは、もう嫌なんだ……」
 いつの間にか人間に対する気持ちは変わっていたんだ。人間に抱いていた嫉妬や羨望は、ある事をきっかけに好きという気持ちに変わっていったんだ。
「でも、私は――」
 紗枝香は震えていた。震えながら、血まみれの刀に視線を落とし、そして――握った。
「さぁ、早く、早く殺ってくれ……。頼む、早く……」
 しかし、紗枝香は首をぶるぶると振り、俺の願いを拒んだ。
 ――紗枝香っ!
「い、いやっ! 無理、だよぉ……私にはっ、無理っ! だって、だって、私コーイチが――好きなのにっ!!」
 俺は優しく微笑んだ。涙を流し、震える声で、微笑みかけながら彼女に言った。
「俺も、大好きだ。お前を……愛してる。だから、だからこそ、お前に殺されたい。長く、そして短かったこの生涯で、唯一愛したお前に……俺を、解放してほしいんだ……っ」
 紗枝香は俺を見つめた。大粒の涙を流し、彼女は刀を見つめた。そしてゆっくりと瞬きをし、頷いた。
 
「……俺は、幸せだった」
 
 ――紗枝香が刀を構える。

「人間になって……良かった……」

 ――紗枝香が刀を振り上げる。

「……お前に会えてよかった……」
 
 ――紗枝香が刀を強く握る。

「……お前を愛して……良かった……」
 
 そして――。






『遊ぼう、こーいちくんっ』
 紅く染まる空の下、少女が俺に話しかける。
『なんでこーいちなんだ? おれはこういちろうだぞ』
 質問する俺に、少女はきっぱりと答えて見せた。
『だって、ながいんだもん』
 俺は唖然とした。ただただ、この少女が何を考えているのかを模索した。――しかし、まったくわからなかった。
『はぁ、まぁいいや。おまえさえかだっけ? いいよ、遊んでやる』
 そう言うと、少女は太陽のように明るい笑顔を見せた。 
『やったー! これでわたしたちともだちだね!』


 友達のいなかった俺に、まわりの奴らに怖がられていた俺に、お前は明るくそう言ってくれた。そのおかげで、俺は人間でい続けたいって、本当の人間でいたいって思えた。




 
「ありがとう、紗枝香っ……」



 
 
 想いが――様々な想いが、涙となって溢れて行く。



 


「コー……ッイチ……ッ!!! うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっっっ!!!!」 


 


 ――悲痛な叫びと共に、刀は振り下ろされた。


 

 俺の体が裂けていく中、一瞬だけ、赤い糸が見えた。
 
 糸は俺と紗枝香を結び、揺らめいていた。

 
 その赤い糸は紗枝香と俺をずっと結び続けていたものだ、と信じて瞼を閉じ、眠りについた――。





 

 








 エピローグ 「君ニ会イタイ」






 
 そこは山の奥だった。とても冷たい風が自然の産物達の間を通り抜ける。
 木々は揺れ、カサカサと葉達が合唱を奏でていく――そして、歌い終えた葉は、死んでいく。そんな死んでいった葉達を踏み歩く者が一人。山に住むもの達が一斉にその人物を見つめる。
「怖がらなくていいのよ。大丈夫、私だから」
 女性の声が響く。途端に、動物達が草木から飛び出していった。その中から、女性が狸の子供を抱き上げた。
「確か去年も会ったね。元気にしてた?」
 狸の子供が嬉しそうに鳴き声をあげる。女性は優しく微笑んだ。
 その女性は毎年毎年、そこに訪れていた。普段人が来ることのないこの山。そんな山に立ち入る珍しい客人を、最初動物達は恐怖の目で見ていた。しかし、とある姿を見て、動物達は恐怖の目から興味の目へと移り変わって行った。
 狸の子供を下し、女性はある石の前に座った。大きなその石には、「コーイチ」と刻まれてあった。
「今年も……来ちゃった」
 女性が震える声で言った。
 石は何も言わない。
「今年で6回目。コーイチが居なくなって……6年目。コーイチを殺して……6年目」
 女性の――紗枝香の目から涙が流れ落ちていった。
「こうして泣くのも……6回目だよ」
 泣きながら、紗枝香は石に向かって笑いかけた。
 動物達が鳴き声をあげながら紗枝香に体をすりよせていく。まるで、毎年毎年石の前で涙を流しに来る客人を励ますかのように。
「……ありがとう」
 動物達の頭を優しく撫でた。
 しばらくして、風が弱まった。それを確認し、紗枝香は線香にライターで火を付け、それを石の前に置いた。
「あとね、コーイチ。今年も報告があるの。コーイチと私の子供……黒斗(くろと)が、喰討士として目覚めて……人間守護機関で今特訓をしてる。だから今年は一緒にこれなかったの」
 彼女は複雑な表情を浮かべた。
「できれば、黒斗は巻き込みたくなかった……。でも、どうやら喰討士の遺伝子はほぼ100%受け継がれるみたい。だから、いずれはって思ってたけど……こんなにも早く……」
 息子の顔を、紗枝香は思い浮かべた。
 あんなに可愛かった黒斗。口数は他の子と比べて少ないけど、私にまだまだ甘える可愛い子。そんなあの子が、6歳という年齢で戦いの訓練をさせられるなんて。
 まったく、つくづく殺喰を恨む人生だ、と彼女は思った。
 紗枝香は空を見上げた。夕暮れの朱に染まる空を、切なさや虚しさを感じながらも、ずっと空を眺めていた。
「あの空の向こうに、コーイチはいるの?」
 また、彼女の目から涙がこぼれ落ちていく。
「……あの空の向こうに行けば、私はコーイチに会えるの?」
 群がる動物達も見えなくなってしまうほど、悲しさや、寂しさが彼女を支配していく。
「会いたい、会いたいよぉぉっ……! コー、イチぃぃぃ……っ!!」
 その場に泣き崩れた。延々と、雫が彼女の顔を伝っていく。
 
 浩一郎が死んでから、彼女の心はずっと、寂しさや悲しさに支配されていた。浩一郎との間にできた子供を、17歳という若さで周りの反対を押し切って産んだのは、最愛の人との最後の愛の形を残したかった事もあったが、何よりも、心の中の静寂を消し去りたかったからだった。
 黒斗と名づけた息子を、浩一郎の影を感じつつも、愛して育てていった。それと並行させて、殺喰の討伐もこなしていった。何故か霞川町で殺喰が一体も出現しなくなったので、九頭原家を新しく殺喰が出現し始めた地域に移し、そこを拠点に討伐を行っていった。
 今まで何かを守るために戦っていた紗枝香は、戦う意味を失い、憎しみという黒い感情だけで殺喰を殺していった。

「でも……やっぱ駄目なんだね……っ」
 涙を服の裾で拭い、立ち上がった。
「現状を打破するためには、憎しみだけじゃ何もできない。それが、ようやくわかったよ」
 ポケットからある紙を出した。その紙はところどころに赤い染みがあり、少し破けた箇所もあった。 
「コーイチの遺してくれたこれ……。この謎を、私が解いてみせる。暴れるだけじゃ、憎しみだけじゃ現状は打破できない。だから、私なりに探してみせる。殺喰が、本当はどんな存在で、どんな思惑とともに生まれたのか……。黒斗には悪いけど……私一人で、探して見せる。あの子を、そんな所まで巻き込むわけにはいかないから」
 そして、通ってきた道を歩いて行く。これからどこへ行くのかもわからない。これからどのような道が広がっているかもわからない。しかし、きっとゴールはある。どんな道にも、必ず――。
 
 空は、真っ黒になっていた。 







 


 
 エピローグ2 「コーイチの遺した文」






 もう時間がない。俺の精神を、ラフィーゼが支配し始めている。だから、短く書こう。
 先程、金髪紅眼の殺喰を、ラフィーゼが殺した。恐らくラフィーゼを真似た者か、もしくは元々ラフィーゼに容姿が似ていたものだろう――なんて、俺は考えたのだが、奴は最期におかしな事を言って死んでいった。
「オれ達は……命令されタだけダ……! おレはお前なド……!!」
 その後を聞く前にラフィーゼが殺してしまった。だが……確かな違和感を感じる。
 もしかしたら、殺喰という存在の上に、さらなる脅威があるのかもしれない。いや、もしくは、殺喰を利用している人間が存在するのかもしれない。
 
 ラフィーゼがもうすぐ俺の精神を支配する。俺としても、なんとか止めるよう努力するが、ラフィーゼが殺戮を始めるのも時間の問題だ。
 恐らく、紗枝香は俺の家に向かっているだろう。電話やメールの返事が来ず、不安にかられ、俺の家へ出向いてくるだろう。
 そこで――こんな事を考えるのは、とても身勝手だとは思うが、俺をひと思いに殺してくれることを心から望んでいる。
 
 もう少し、書いておこう。
 この県、特にこの町に殺喰が集まる原因は、恐らく俺だ。
 ラフィーゼの偽物が出ており、そしてそれを操る者がいたとするならば、恐らく俺が狙いで殺喰を多く送りこんでいたのだろう。意図は不明だが……。
 最後に、紗枝香。もしお前がこの文を読んでいるならば、伝えたい。
 愛してる。何よりも、どんなものよりも、愛し


 
 ――文章はそこで終わっている……。







 エピローグ3 「父」





 浩一郎と、ラフィーゼとが一つになった夜、そんな事など知らない雄介はある疑問に駆られていた。

 浩一郎の行方がわからなくなったことも気がかりだったが、それと同じくらいに、人間守護機関上層部のの一言が気に掛かっていた。
「何で上層部はあんな事を……?」
 今だにわからない。何故浩一郎にあんな事を言わなければならなかったのだろうか。別に教えなくてもよかったはずだ。人間守護機関や、殺喰の出現場所、そしてラフィーゼのことも。なんとか自然な形に丸めこんだものの……疑問だけが残る。何故上の連中が浩一郎にそれを伝えろ、と言ったのだろうか。いや、それ以前に何故上の連中が浩一郎を知っているんだ? ラフィーゼの惨殺事件での珍しい生存者だからか? その珍しい生存者の浩一郎を防衛、もしくは観察するため、人間守護機関の事を教えるのだと思ったのだが、しかし違和感を覚える。
 それに、ラフィーゼが起こしたとされる加藤家一家惨殺事件の概要を浩一郎にいつか詳しく教えろ、と上の連中が言った事も疑問が残る。まだ私の口からは話していないが……。そういえばそのメモが誰かに読まれた痕跡があったが、紗枝香だろうか。まさか話さないとは思うが、もしかしたら何かの拍子に……。
 縁側に腰かけ、缶ビールを開けながら、外の白い景色を見つめる。この景色を見ると、疑念の思いが嘘のように晴れていく、そんな気がした。
「お隣、いいかしら」
 妻の早苗が雄介の隣に腰かけた。いつ見ても変わらない……。雄介は溜息をつきながらそう思った。
「なぁ、早苗」
「何?」
「いや……何て言うか、僕と結ばれて後悔してないかな、て思って。」
 その言葉に、早苗は笑顔で答えた。
「何言ってるの? 後悔してたらここまでついてこないわよ」
 そうか、と照れながらも雄介は呟いた。
 彼は思う。できるならば、こんな時がずっと続いてほしい、と。殺喰や喰討士など関係なく、普通に娘の日常を夫婦で見守って、娘に彼氏ができた時は複雑に思いながらも祝福して、そして……できれば娘の花嫁姿を見たい。――そうだなぁ、花婿は浩一郎君がいいなぁ。あの二人が成長していく姿をずっと眺めていたい。あの二人の幸せな姿を、見ていたいものだ。――そう考えると、彼の心が少し温かくなった。
「浩一郎君……早く見つかるといいわね」
 早苗がそっと呟く。
「ああ。そうだな……」
 ふいに、妙な胸騒ぎを感じた。先程まではそんなことなかったのに。
 そんな中、門の方から騒がしい声が響いてきた。
「何かしら……?」
「――行ってくる」
 急ぎ足で門の方へと向かう。嫌な予感がする……。
「おい、何事――」
 玄関から外に出て、門の辺りを見ると、そこには血まみれの紗枝香が、何かを背負ったまま倒れていた。その周りには使用人として配置されていた喰討士達が集まっている。胸の鼓動が早くなった。
「おい!! 何があった!? 何故、何故紗枝香が倒れているんだ!!??」
 喰討士の一人の一人が答える。
「いえ、それが……殺喰を背負ってきたようなんです。紗枝香様は多少の怪我をなされているものの、命に別状はありません。この血はこの殺喰のもののようです」
「な……一体どういう――ッ!? こいつは……」
 紗枝香が背負っていた殺喰を見て飛び上がりそうになった。あの殺喰だ。あの忌々しい殺喰――ラフィーゼだ。
 そんな中、紗枝香が意識を取り戻したようで、ふらふらと立ちあがった。 
「さ、紗枝香!? な、何故こいつを? 一体何が……」
「お、とうさん……? お父さんっっ!! こ、コーイチを、わ、私はコーイチを……っ!!」
 その目には涙が浮かんでいた。
「お、落ち着け! 浩一郎君がどうしたんだ!? まさか、まさかこいつにっ!?」
「ち、違うの! 実は――」

 それから、信じられないような事を紗枝香が話し始めた。
 浩一郎とラフィーゼがほぼ同一の存在であったこと。そして、浩一郎とラフィーゼが融合し、それを紗枝香が殺したこと。
 最初こそ半信半疑だったものの、浮かび始めた疑念と照らし合わせると、妙に自然な感じがして逆に怖かった。
 だが、そんな事よりも……。
「浩一郎君が……死んだ」
 自分の息子のような存在だった。そんな彼が……死んだ。彼がラフィーゼだのなんだのと同一だったことなど、どうでもいい。それでもいいから、生きてほしかった。生きて生きて、紗枝香を幸せにしてやってほしかった……!
 虚しさと悲しさが涙腺を痛めた。しかし、泣くわけにはいかなかった。紗枝香の顔を見れば、彼女がどれくらい泣いたかがわかる。目の周りは赤く腫れあがり、涙が流れた後がある。浩一郎を、本当に、精一杯愛していたんだ。その彼女の前では、泣けない。
 今は冷静に現状を判断しよう。大人として、この状況をどう思うか、それが大切だ。
 今までの人間守護機関上層部の動きをみると、何故か浩一郎に固執する面が多かった。浩一郎の両親が殺された時以来、どうも上層部は浩一郎を監視し続けていた。それはつまり……もしかすると、上層部は浩一郎がラフィーゼと関係のある存在だと気付いていたのかもしれない。
 死んだ殺喰はサンプルとして人間守護機関に預けるのが普通であったが、どうもそうする気が雄介には起きなかった。息子のように可愛がっていた浩一郎をサンプルとして見ることはできなかったし、何より、人間守護機関の闇の部分が露わになったことで、拭いようのない不信感を抱いていた。
 墓を――そう、墓を作ってやろう。誰にも見つからない所に。九頭原の者にしかわからない所に作ってやろう。浩一郎への、せめてもの弔いだ……。
「紗枝香、少し遠出するぞ」
「え……?」
「さっさと着替えてくるんだ。九頭原家が所有している山がある。そこに、浩一郎君を弔ってあげよう」
 弔う……その言葉を声に出した時、目頭がまた熱くなった。死んだ、浩一郎は、死んだのだ……。
「お、父さん……う、うん、わかった」
 紗枝香は慌てた様子で家の中へと入って行く。玄関辺りで心配そうにこちらを見た――が、何事もなかったかのように家の中へ走って行った。何故だろう、そう思った時、雄介はあることに気付いた。
「あ……れ? 僕は……な、泣いて……」
 気がつかなかった。いつの間にか涙腺は崩壊して、大粒の涙が零れ出していたのだ。
 しまった、と彼は思った。紗枝香に見られてしまった。こんな姿を。それに、他の者にも……。
 しかし、涙は収まる所か、次第に滝のように流れ始め、声まで出てしまうほどになった。

  
 もう関係あるまい、と雄介は思い、大声を出して泣いた。
 
 彼が描いていた幸せの日々は、とうに消えていったのだ……。 
 



 エピローグ4 「次へと続く野望」







 狭く、暗く、ホコリっぽい通路を歩いて行く。足音が歩く度に大きく響いて行く。
 できればこの通路は通りたくないものだ。こんな不衛生でジメジメとした場所は嫌いだから。日の光の届かない場所など、何の喜びも生まれん。
「まぁ、今回ばかりは仕方がないか」
 自分に言い聞かせるように呟く。そんな小さな声でさえ響き渡ってしまうからうんざりする。
 ようやく通路の奥までたどり着いた。
『認証カードを提示してください』
「声音認証にしてくれ。その方が手っとり早い」
『了解――確認しました。どうぞ』
 扉が自動的に開く。室内に入ると、既に人が居た。
 頭は白髪で、口の周りにも髭を生やし、顔に……特に額に皺が多いその人物が、不機嫌そうな顔で俺を出迎えた。
「30分の遅れですぞ。一体何をなされていたのです」
 ははっ、お怒りのようだ。
「すまない。例のものを取りに行ってたのでね」
「例のもの……ああ、ラフィーゼ様ですか。やはり移動されてあったのですね」
 頷いてから室内にある椅子に腰を下した。
「ああ。我が弟は九頭原の連中に隠されていたようだ。それにしてもあんな山奥まで出向くのはつらかったよ。それに山の動物達が邪魔をするのでね。ああいう手を動物達に使うのは気が引けたが……皆殺しにして何とか墓を発けた」
 しかし何故動物達があれほどまでにラフィーゼをかばおうとしたのだろうか……? 俺に殺されるということがわかっているはずなのに何故……?
「まぁ、しかし、何はともあれ手に入れたのでしょう? では私達の作戦は成功ですね」
「ああ。全て寸分狂わず上手くいっている。後は君の駒が上手く動いてくれれば、それでいい。今何歳だったかな、彼は」
「今年で10歳になります。あと7年……ですか。これから長くなるのか短くなるのか……」
 彼は溜息をついた。およそ40代前半だというのに、仕草が彼をもっと上の年代に思わせてしまう。それに老け顔だしなぁ。
「ん? 私の顔に何かついてますかな? まぁ、それはともかく、アレはどうするのです?」
「アレ? 何のことだい?」
 写真を渡された。随分と傷んでいるその写真には、女性が一人写っている。
「ああ、あいつの娘か。彼女は放っておいていい」
「何故です? きっと私たちを邪魔しますぞ?」
 俺は笑顔で返した。
「だって、全てが上手くいきすぎたらつまんないじゃないか」
 彼は口をあんぐりと開けて呆けていた。それがおかしくて、また俺は笑った。
 そう、そうだ。全てが上手くいきすぎちゃあつまらない。少しはイレギュラーもないと、快感がない。困難な道のりを超えた後にこそ、大きな達成感が得られるものだ。俺のゴールは、人間にとっては世界の終わりであり、そして、俺にとっては世界の始まりである。
「そうだ。兄さんの息子達はどれくらい成長しているんだい? 今までは駄目な奴らばかりだったが」
「前よりは良いものが生まれていますが、やはりあなた様のお兄様よりは能力が劣化しています。それに、長男を超えるものも生まれません。やはりラフィーゼ様を――」
「駄目だ。あれは兄さんとは違って能力が俺くらいにある。兄さんのような中途半端な能力じゃないからね、もったいないよ。それに――」
 彼の首元を思いっきり掴んだ。
「ラフィーゼは唯一生きている家族だ……。力を有効に使わなかった兄さんや、できそこないの妹ならなんと言っても良いが、ラフィーゼはあんな奴らとは違うんだ。あいつは特異な能力を多く持っているんだ。人間との結合、そしてそれぞれの分離……そんな事を出来る鬼族はもうあいつしかいない。そんなあいつを? 君はいつからそんなに偉くなったんだい?」
 彼は恐怖の表情を浮かべながら、謝罪の言葉を述べた。
「ず、ずいまぜん……ッ」
 壁に放り投げ、改めて椅子に座りなおす。
「わかればいいんだよ。わかればね」その時、俺はある事に気付いた。「あ、そうだ。例の組織の動きはどうだい? 俺達の計画に気付いているかな?」
「人間守護機関……の連中ですか。大丈夫です。私達の計画になど、まったく気付いていません――あなたの考えている通り、まったく気付いておりませんよ」
 その言葉に、俺は笑みを浮かべた。




 
 さて……もうすぐで始まる。

 あと7年。たった7年。その7年がこんなに遠く感じられるなんて。

 楽しみだ。ラフィーゼ。

 楽しみだ。父さん……!

 父さんの血を受け継ぐ者達の戦争が、もうすぐ始まる……!
 





 






 -終わりに-

 
 私は世界を見ていた。
 彼と、この世界を眺めていた。世界は時に戦に溢れ、時に衰に落ちていった。その繰り返しの中で、人間は強くなっていった。
 私と彼は、それを喜んで眺めた。
 いつしか、その成長が、私達に害を及ぼすともしらず……。





 -TRT- アカイイト


 
 終わりは、始まりである。 

 
 悲劇の終わりは……それもまた、悲劇の始まりなのであろうか――。
 


 [終]
 
    
 


 

2009/06/13(Sat)14:12:30 公開 / 湖悠
■この作品の著作権は湖悠さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 ども! 湖悠です!
 
 と、いうわけで、エピローグも書き終えました。これで第一幕は終了です。第二幕は膨大な量になりそうなので、来年再来年あたりになるでしょうか。遅かれ早かれ来年以降になるので、しばらくの間は皆さまの小説の感想レスなどを中心に行っていきたいと思います。

 それにしても、まさか200枚を超えていたとは、そこまで長くもないだろう、と思ってました。受験のさなかに何をやってたんだ自分は^^;
 長かったような短かったような。
 とりあえず反省としては、

 ・学校でのエピソードが足りなかった。

 もう少し、コーイチ、一樹、紗枝香、その他の人たちとのエピソードを描けていれば、と後悔しています。全体的に展開が早かった感じが。

 ・キャラの掘り下げがあまりできていなかった。
 
 上にも似ていますが。一樹や紗枝香の掘り下げが少なすぎた感がありました。

 ・戦闘や、説明などの描写

 最後らへんは単調になっていた気がしました。また、説明が長すぎる面も。

 次回作ではこれらをきっちりと反省していきたいと思います。

 それでは、これで失礼いたします。
 今まで皆さまありがとうございました!!
 
 
   


 



4月1日 加筆修正
4月2日 第2話 其の一 追加
4月3日 一樹との思い出 追加&加筆修正
4月4日 修正されてなかった箇所があったので修正&どうせなので其の二やらその他様々な箇所を追加&修正
4月8日 第3話 其の一、二 追加
4月12日 第3話 其の三 追加
4月17日 第4話 其の一 追加
4月19日 加筆修正
4月24日 第4話 其の二 追加
5月3日 第5話 其の一 其の二 追加
5月16日 第6話 追加
5月17日 修正
5月29日 第7話 追加
5月30日 修正
6月1日 細かい誤字等を修正
6月6日 最終話 追加
6月10日 エピローグ1〜4 追加 & 投稿終了
6月11日 修正
6月13日 修正&題名を完結にしました。
 


※多少グロイ表現や、過激な描写がありますので、食後の方や、そういう表現や描写が苦手な方はご注意ください。


 最後に。
 あの人のエピローグが無いのは、ちょっとした伏線です。
 

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。