『リリー×リリー』 ... ジャンル:恋愛小説 お笑い
作者:こーんぽたーじゅ                

     あらすじ・作品紹介
俺の目の前にやってきた幼馴染のユイ。彼女が突如打ち明けたことは――

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「私、女の子のことが好きみたい」
 ぶほぅ、と突然の告白に飲んでいたコーヒー牛乳を吹き出した。
 ん? 何だって? 
 女の子が好きだって? 俺も好きだ。もちろん好きだ。男だしな、うん。そこは否定しないぞ。思春期だ、何がいけない。彼女と手をつないでウキウキランランで遊園地のゲートくぐりてぇ!! とか、一つのパフェを二人で食って「食べきれないよぅ」とか言われてぇ!! とか毎日悶々と思ってるけどさ。思ってるけどさ……
「お前、女じゃん!!」
 思わず指差して叫んでしまう。今変な妄想が行き交ったぞ! と責任転嫁もしようかと思ったが、やめた。応酬が怖いんだよ。俺はヘタレじゃねえ。
 そいつは盾代わりに使っていた俺の古典のノートから顔を覗かせると「きったねえ」と一言。おい、真っ白なノートが見事に泥水色だ。ふざけんな。声には出さないぞ。だから、ヘタレじゃねえって! 俺は誰に突っ込んでるんだ? まあいい。
 目の前の女子生徒は、ゴミクズのようにノートを床に投げ捨てて悠然と言った。
「だから何なのよ。きょうび性別の枠に囚われているのは愚かな日本国民くらいよ? いいかげん馬鹿みたいな固定観念から脱却しなさい。女性専用車両くらいじゃ釣られないんだからね!」
 あまりの堂々とした振る舞いに思わず尻込み。
「それはそうとしてどうして俺になんか質問するんだよ」
 ポケットティッシュで机をふきふきしながら俺は訊ねた。
 確かに目の前にいる君塚ユイは隣の家に住むいわゆる幼馴染で、幼い頃は夕暮れに染まる公園の中で奴隷同然にこき使われたどうしてか目から汗が出てくる思い出があるけどさ。そしてその関係性が今にも引き継がれてることにデモを起こしたいけどさ。そういえば小学生の頃に一度だけバレンタインデーにチョコをもらって、齧ったチョコの中身がイナゴだったときは本気で泣いた。虫駄目なんだよね。
 それにユイとは中学時代から現在の高校時代までほとんど事務的な会話しかしてないんだぞ。そう、最近会話したのは「苺ミルク買ってきてぇ」という会話。お金を払ってもらえただけ幸せだったなぁ。
「情報の発信源」
 そう言ってユイが指差したのは、俺の席から対角線上にある友人の清水の席。ユイから指差された清水は軽快に手を振ってみせた。
「あんた、ドージンシとかいうの描いてるんでしょ? 女の子同士が恋愛する……なんだっけ、花の名前だったなぁ……そう、『薔薇』だっけ?」
「断じて違います!」
 と、否定したのは「薔薇」のほう。まったく縁起でもない。
「えっ、じゃあ清水君が間違っていたって事? いやだ、メリケンサックは筆箱に入っていたかしら」
「会話に齟齬があったようです。描いてます。描きまくっちゃってます、はい」
 親友の命と、幼馴染女子の尊厳を守るために必死に否定した。隣人愛なんて俺はいつからその手の道に目覚めたのだろう。
 俺は同人誌のサークルで主に「百合」と呼ばれるジャンルの漫画を描いている。同人誌というのは漫画やアニメ、ゲームなどの作品が好きなもの同士が自費でその作品の漫画や小説の二次的な創作をしたものであり、百合というのはさっきユイから説明があったとおりで、女の子同士の恋愛のこと。ちなみに薔薇というのはその逆ね。まだちゃんとした製本もできない弱小サークルだけど、俺はそれなりに楽しんで描いているので気にしてはいない。ちなみに清水もサークル仲間だ。
「そこまで堂々と言われると逆に引くわね……まあいいわ、あんたはその手の知識にすごく長けてるんでしょ? じゃあ相談に乗りなさい」
 拒否権はナシなんですね。
「それはいいけれどさ、肝心の相手が誰なのかでもその対処法が変わってきたりするんだ。例えば先輩・同級生・後輩なんかでもずいぶんと変わってくるし、正直先輩相手なら俺は対処しかねるぞ。俺は同級生、もしくは後輩――これは下剋上とか言われるんだけどさ、それ専門で、ちなみに俺は18禁のエロはまったく駄目。やっぱりプラトニック・ラブは基本でしょ。そこはオーケーだったとしても相手のキャラによっても変わってくるし、例えばそうだな俗に言うツンデ――――むぐっ」
 思わず力説していた俺の視界が突如真っ暗になる。それだけではない、生命の危険を感じるレベルでの息苦しさも感じる。密封された鼻と口では酸素を補給できず、ブラックアウト寸前で視界が復活した。
「そういう長々とした話はやめて。二次元と三次元を行ったり来たりで脳みそが煮えくり返ってサザエのつぼ焼きみたいになりそう」
「それは美味そうだ」
「死にたい?」
「遺書を書いてないので死ねません」
「じゃあ今すぐ書く?」
「書きたくないです。死にたくないです」
 くそう、本来の俺はこのままじゃないってのに……なんて台詞は通貨インフレを起こしたお金くらい意味が無いんだろうなぁ。パリの市民を気取って革命を起こそうなんて猛獣の如き衝動は金輪際心の奥の檻に閉じ込めておこう。
「柔道着の入ったトートバックでも凶器になるのね……まあいいや、私が好きなのはあの子」
 ユイが指差したのは教室の隅で本を読んでいる少女だった。名前は樋口京子。いつも教室で本を読んでいる、いわゆる一匹狼の生徒だった。今まで親しくなろうと近づいた生徒は悉く玉砕していた記憶がある。
「まーた攻略しにくそうな女の子を……」
「だからそうやって二次元的に解釈するのはやめなさい」
 おおう、その殺人的な笑顔が怖い。
「でもまたなんで樋口さんを好きになったの?」
 正直に言ってしまえばユイと樋口さんは対照的なキャラだ。どう考えても接点が無い。そこを飛び越えた何かエピソードがあるに違いなかった。
「人が人を好きになるのに理由って必要なのかしら?」
 あまりに言葉の意味が深すぎて返答に困ってしまった。ユイが言いたいのは「一目惚れ」ってことだろう。これが男相手だったら素直に応援……した、のに。
 ユイは急に恥ずかしそうに手をモジモジさせながら言う。
「だって……あの日の目を知らないくらい透き通ってすべすべの肌に、ゼリーみたいに今にも崩れてしまいそうなほどに柔らかい弾力がありそうな桜色の唇。知的で鋭い眼鏡の奥に隠されたリスみたいに可愛らしい大きな目……この前体育の時間に見ちゃって悶え死ぬかと思ったわ。あれは凶器ね。鼻筋も通ってるし、未発達な体も愛らしくて私、今にも抱きしめてしまいそうだもの。いかにも深窓のお姫様って感じがしない? それになんといってもあの他者を引き寄せない雰囲気。そのベールの向こうには何があるのかって想像しただけで夜も眠れないのよ」
 俺よりもすごい勢いで、それこそマシンガンのようにユイはまくし立てた。身振り手振りも交えたせいで言い終えた後では、はあはあと頬を赤くして肩で息をしていた。
「まあ、ユイの樋口さんへの愛情はよくわかった」
 むしろ分かりすぎたくらいだ。
「で、ユイは樋口さんと恋人になりたいんだろ?」
「恋人なんて、そんなっ」
 これは意外な素顔だ。猛獣のようなユイが今、俺の目の前で悶え苦しんでいる。それも恋する乙女の目でうっとりとなんてしちゃってさ。思わず写真を撮っておきたいと思った。
 確かに少しつんけんした女の子と、大人しい感じの女の子とのカップリングはありだな。普通はつんけんした女の子が積極的に行くところだけど、俺の頭の中では大人しい女の子のほうが積極的になった図が浮かんでいた。か、描きたい……
「で、今日中に告白できるようにセッティングして欲しいの」
「へ?」
 あまりに突然の申し出に急に現実に戻される。今、なんとおっしゃいました?
「思い立ったが吉日、今日告白したいの」
 まあ想っていた時期は計り知れないけど、なんて付け加えられても俺の口はあんぐりと開いたまま閉じることをすっかり忘れていた。拒否権はやっぱり……ないよね。
「確認、今まで樋口さんと会話したことは?」
「挨拶、まで。恥ずかしいのよ、それでも」
「それで告白を? できるの?」
 失礼だと分かっていながら訊いてしまった。挨拶だけで恥ずかしがっているようでは、告白なんてもってのほかじゃないだろうか。それに、
「樋口さんもユイみたいに同性愛者とは限らないんだぞ。っていうかその可能性のほうが高いし。いきなり告白なんてしたら相手も迷惑じゃないかな?」
 俺の言葉にユイは大人しく首を振った。
「いいの。私の、思いさえ分かってもらえたら。それで。恋人になんてならなくていい」
「……分かったよ」
 まだ腑に落ちない部分もあるけれど、ユイにそんな大人しい姿を見せられた以上後には引けない。まだ確たる策はないけれど、やってみるだけやってみないと俺の命のほうも危ないような気がした。

 ●

「挨拶で緊張するならラブレターなんてどうだ?」
 昼休みが終わり、五時間目の休み時間にユイに俺の考えを話した。
 これなら百合だとか薔薇だとか関係なく古今東西で通用する手段だろう。それに言葉では言いにくい場合なんて効果覿面だ。
 俺の提案にユイは口を尖らせた。
「百合男子にしちゃ、普通の答えね……。却下、愛情は口で言ってこそだわ」
「会話もできねえくせにまったく変なこだわりを持ちやがって……で、なんて言うのか台詞くらいは決めてんのか? まさかそこまで決めろ、なんて言うんじゃあるまいな。あくまでユイの告白なんだからさ」
「それくらい決めてるわ、よっ」
 ユイの裏拳がみぞおちに抉りこむ。あまりの衝撃に思わず膝を突いて蹲った。
「じゃ、じゃあ試しに俺に言って、見ろよ……」
 ぐうう、立ち上がれん。
「お、オランダに……一緒に移住しない?」
「あほか!」
 おおっ、立ち上がれた! それにしても……
「ふざけてんのか!」
 俺は五時間目の授業、板書をノートに写すことも忘れてずっと策略を練っていたのだぞ。いや、たまにユイ攻めとユイ受けを交互に想像してトリップしてたけどさ……やっぱり三次元じゃ無理だったな、想像が生々しすぎて困る。
「冗談に決まってるでしょ」
 ユイはまたもや恥ずかしそうにはにかみながら、
「あっ……あなたのことが、好き……になってしまいました。できればその……まずはお友達から始めませんか?」と言った。俺はこの眼福を脳みそのフィルムにあと何枚焼き付けられるんだ?
「正攻法だな。ベタだが、一番成功率が高い」
「そうかしら……照れるわ」
 ここで俺はユイの目の前で大きく腕で×印を作った。思わずユイもひるむ。
「しかし……このままではベタ過ぎる。シチュエーションというものも必要だ」
 まあそれ以前にいきなり同性から告られてそいつと友達になれますか、と聞かれてハイと答えられるかという問題もあるけどさ。それに相手は難攻不落の樋口京子。このままでは成功率は低い。
「“吊り橋効果”って知ってるか?」
「あの、吊り橋での恐怖心からの心臓のドキドキを恋愛のドキドキと錯覚させるあれ? まさしく二次元に耽溺してる百合野郎が考えそうなことね……」
 いちいち揚げ足を取るの、やめてもらえませんか?
 ユイは怪訝そうな表情で続ける。
「でも、どうやってその吊り橋的状況を作るの? この町にはそんなもの無いわよ」
「なにも吊り橋だけじゃない。そうだな、誰かが樋口さんを襲撃してユイが救うっていう手もあるぞ」
「誰かって、あんたしかいないじゃない……私の樋口さんを襲うですって? 死にたい?」
「いえ、この発想はあまりにも二次元的過ぎたな……思い出した、俺が生活してるのは三次元世界だった。いやはや、すっかり忘れていたよ」
 俺の苦しい言い訳に、ユイは何とか納得してくれたようだ。いいと思ったんだけどなぁ“吊り橋効果”。けれど命には代えられん。

 そんなこんなで次の休み時間にも、はたまたその次の休み時間にも俺たちの話し合いは一向に進展せずについに放課後になってしまった。それにしても、俺はユイがどうして今日じゃなくちゃいけない理由が何なのかずっと聞けずにいた。なんだか焦っているようで、でもそれは聞いちゃいけないような、そんな気がしたんだ。
「もうあれこれ考えても仕方が無いわ。下手な策略なんかよりも特攻あるのみだわ!」
 それって俺いらなかったんじゃないの?

 ●

 ユイは一目散に教室を飛び出し、靴をダッシュで履き替え、陸上部もかくやと言うほどのスピードで校門の前まで駆けていくと、そこで二人で息を整えながら樋口さんの到着を待った。これもユイのこだわりらしい。
「き、緊張する……」
「おい、そんなにスカート強く握ったら皺になるだろう!」
 俺の何気ない注意に、ユイは急に遠い目をして言った。
「いいのよ。皺になっちゃっても、それでも。もう、いいの……」
 どうしてだろう、俺はこのときユイが遠くに行ってしまうようなそんな錯覚を覚えた。そう思わせるほど、ユイは今回の告白に人生をかけているのだろうか。相手はどうであれ告白なんだ、緊張するのは当然だ。
「ほら、あんたがこんなとこにいたら告白できないじゃない! しっしっ」
 犬を追っ払うように手を払うユイの表情は元に戻っていた。もとから俺の見間違いだったのだろうか。俺は仕方なく、校門から少し離れたバス停の前で見守ることにする。
 成り行きでついてきてしまったけれどよく考えたら俺はあくまで参謀なんだし、ここまで見ておく必要は無いんじゃないのか。
 暇をもてあまして英語の単語帳でも捲ろうかと思っていた矢先、ユイの体が雷撃を受けたようにびくんとはねた。きっと来たんだ。ユイは手のひらの「人」の字を三つ飲み込む仕草をしていた。
 人が多ければ場所を移すらしいが、あいにくもう帰宅部の連中は帰ったし、部活に入ってる連中はもうそれぞれの活動に取り掛かっている。場所を移す必要はなさそうだ。
 樋口さんはその持ち前のクールな表情でユイの前を通り過ぎようとしていた。ユイは過ぎ去る寸前のところで引き止めた。二人で何か一言二言会話をしている。ユイの表情は……うわぁ、ガチガチに緊張してるじゃん! 顔はすでにトマトのように真っ赤だった。
「がんばれ、よ」
 思わず声援が漏れる。人の告白はこそこそ見ていい代物だとは思わなかったけれど、どうしてだか俺の足は地面に釘付けになったままだった。百合好き、っていう感情は関係ないんだと思う。
 二人の会話が止まる。
 いよいよ、か。
 ユイの顔はゆでだこのようになり、今にも顔から煙が出てきそうだった。
 俺は思わず手を合わせる。そのとき感じた己の手のぬくもりが、今は冬だったんだと思い出させてくれた。吐く息も白い、何よりも寒い。それを俺は忘れていたんだ、今の今まで。ユイは寒くないだろうか、口は上手く回るだろうか。神様、よろしくお願いします。
 せめて、ユイの決心のときくらい、目は瞑っておこうと思う。
 あくまで、個人の戦い。
 それが告白する者への礼儀のような気がした。
 どれくらい時間が経っただろうか、ずいぶんと長い間目を瞑り、手を合わせていたような気がする。俺は真横で止まった革靴の音で目を開けた。
 俺の横で平然と立ち止まり、バスを待っていたのは樋口京子。表情には昼休みから一寸の乱れも伺えない。ここに樋口さんがいるってことは……
 俺は校門に駆け出していた。そんなに距離は無いのに、びっくりするくらい時間がかかったような気がした。ユイの下にたどり着くまでは良かったけれど、俺は何をしていいのかわからず、ただ佇立しているだけだった。
「ふ、振られちゃったよぅ。私、振られちゃったよぅ」
 俺の目の前では、ユイが何倍にも小さくなってしまったように顔を手袋をはめた手で覆い、止めどなく流れる涙を拭うのに必死になっていた。ふえええん、ふえええん、と泣き声は止まない。
 俺は目の前で泣きじゃくっている幼馴染の女の子を黙って見ているだけ。何も、できない。胸が抉れてしまうほど、苦しい空気が辺りを染め上げていた。
「帰ろうか」
 やっと振り絞って出せた言葉は、慰めの言葉でも何でもない普通の言葉だった。
 ぐっ、と唇を噛んだ。
 錆臭い――冬の味がした。

 ●

 河原を歩いている。
 ユイと、二人で。
 ユイはすでに泣き止んでいて、俺はとりあえず一安心した。俺はやっぱり慰める言葉の一つも言えずに、ただただユイの放つ愚痴や後悔に相槌を打つだけだった。
「やっぱり駄目ね。一日でどうにかしようだなんて。私が甘かったよ。甘っちょろかったよ。激甘だ。あんたをパシらせるみたいに世界はそう簡単に回ってはくれないのね。あー、私なんであんなこと言っちゃったんだろ。ずっと想っているだけで幸せだったのになぁ」
「しょうがないよ、次の恋を探せばいいんじゃないかな」
 次の恋は男にもチャンスがあったりするのだろうか。やっぱり次も女の子だけなのかな。
「そんな簡単な話じゃないのよ」
「そうだよな。振られた人間にすぐ『新しい恋をしろ』なんて無理だよな俺が間違ってた」
「そうじゃなくて!」
 ユイは駆け出した。冬になって白く枯れてしまった草花を蹴散らしながら、俺の前をずんずんと走っていく。そして五メートルほど先で叫んだ。
「私、明日転校するんだ!」
 俺は思わず足を止めていた。頭の中が真っ白になって今にもパニックを起こしそうだ。
 転校? そんなこと、今日一切言ってなかったじゃないか。先生だって、HRで何にも言わなかったじゃないか。それに明日だなんてそんな急に……。俺はポケットの中の財布をぎゅっと握り締めていた。
「このことは先生と仲良いやつにしか言ってない。だって照れくさいでしょ? 転校なんて、前で挨拶させられるんだよ? ありえないって。明日私がいなくなってから先生が報告してくれるみたい。迷惑かけっぱなしだったよ」
 ユイが、いなくなる。はっきりと心に突き刺さった言葉が俺の影を縫い付ける。もう歩けなくなるんじゃないかってくらい、深く。
「だから今日は全部言いたいこと言いに来たんだ。あんたにいろいろと命令したりさ、それと、さ……」
 ユイの声が急に細々しいものになる。俯いて、声を出すのも苦しそうに、それでも続きを搾り出す。
「好きな子に告白したりさ!」
 振られちゃったけどね、と小さく付け加えた後ユイの目から涙が溢れ出した。俺たちの真横を流れる、川のように激しく、だけど冷たい川の水とは対照的に感情のこもった奔流が頬を伝っていく。
 俺は再び走り出した。
 縫い付けられた影を置き去りにするくらい早く!
 今度は、何もできないんじゃない。俺も決心した。
 俺は走りながらユイの手を取った。そのままつんのめって転びそうになるユイを尻目に、ぐいぐい走る。走る。走る! 思えば、ユイの手を取って先を走るのは初めてのことだった。
 俺も蹴散らした。
 真冬の草を! 
 冷たい大地を!
 まだショックだ。虐げられてきたけれどユイは俺にとって大事な幼馴染だった。
 小学生のときのバレンタイン。イナゴチョコ。
 思わずリフレインした光景を振り返るように、ポケットの中の財布に目を落とす。中には赤色の小さなカードが入っている。もう何年も日が経って、よれよれになってしまった手書きのカード。「ハッピーバレンタイン」とユイの手書きで書かれたバレンタインカード。
 俺はそれを何年も持ち続けていた。もちろんユイの感情は昔から変わらず女王様と下僕みたいなそんな程度だろう。このカードを持ち続けているのを見られたら笑われる、けなされる。だから俺はずっと秘めていた。
 ユイへの感情を。
 好きなんだ、って。
 ユイが女の子に恋をしたって聞いたときはびっくりした。ほんのすこし落胆もした。手助けをしている自分が後ろめたくも思った。悔しかったんだ。
 ユイはたとえ相手が女の子であれ、普通に告白した。すごい勇気が必要だっただろう。俺はその勇気をもう何年も奮い立たせられずにいたんだ。ユイはやっぱりすごい。俺が手を引いて先を突き進むなんて恐れ多いくらいにすごい。
「ちょっと、手ぇ、話なさいよ! 鋏でその腕ぶった切るわよ、馬鹿!!」
 俺の恋心は昼休みで粉砕してしまった。
 もうこの心は打ち明けることはないだろう。俺の心の中でこの枯れ草たちのように蹴散らされていくに違いない。でも今だけはほんの少し夢を見たかった。手を切られても構わないから、できるだけ枯れないようにこの思い出を焼き付けるために――走りたかった。
「離してよ! なに? 手を切られるだけじゃ飽き足りないって? じゃあ今すぐ命を奪ってあげるよ、さあ顔面差し出しなさい!!」
 どうしてだろう。いつものユイの罵声がイナゴなんか入ってない、純粋なチョコレートのように感じられたのは。

【了】

2009/03/29(Sun)00:49:28 公開 / こーんぽたーじゅ
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■作者からのメッセージ
 主人公は変態ヘタレです
 ヒロインは百合です
 そして書いている作者も変態です
 どうもすいません、はじめに謝っておきますこんぽたです。登竜門に作品を投稿させてもらうのは夏以来ということで、この掲示板もずいぶんと変化して私は軽く浦島太郎状態を味わっている次第です。
 登竜門投稿とは別に長編を書いていたさなか、急に短編が書きたくなり、自分の中の燃え上がるような衝動を一気にぶつけたらこのような作品ができてしまいました。でもそこの奥さん! そんな衝動ってありますよね! ね!! ……失礼。
 本当は投稿しないつもりで自分のPCに眠らせておくつもりでしたが、久々に開いてみたら急に誰かに読んでほしくなって投稿を決めました。内容は万人受けする内容では決してありませんが、読んでいただいた方全員に感謝の意を示したいと思います。
 ではでは、

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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