『白球。どこまでも』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:甘木                

     あらすじ・作品紹介
夏の甲子園出場をかけた高校野球夏季大会○○県予選準々決勝、第二商業高校と江銘館高校の試合はわずか1点差で9回の裏を迎えていた。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
『八番、山本君に代わりまして代打、飯野君。背番号十五』
 市民球場に代打のコールが響き渡る。
 高校野球夏季大会○○県予選の準々決勝。第二商業高校と江銘館高校の熱戦は九回の裏の江銘館高校の攻撃を迎えていた。得点は一対〇。わずか一点差で第二商業高校がリードしているにすぎない。誰しもが今年の春の選抜に出場しベストエイトまで進んだ第二商業高校が一方的に試合を進めると予想していた。が、試合は皆の予想を大きく裏切った。ほぼ無名に等しい江銘館高校がエース高田の力投と堅実な守備によって失点を一点に抑え最終回まで進んできたのだ。
 第二商業高校は好投した先発の木村を下げ、九回の裏からは二番手ピッチャーの本山を投入。だが、それが誤算だった。この予選初登板となる本山はコースが決まらず四番菊池にフォアボール。次のバッター井口は内野ゴロに抑えたが、六番河合が置きにきたボールを叩いてクリーンヒット。ランナー一塁、三塁のピンチをつくってしまった。第二商業高校は本山を諦め、押さえのエース佐々木を出してきた。佐々木は安定した低め狙いで七番橋本を三球三振に取り、残るはワンアウトのみ。
 ここで代打が告げられた。
 このコールに誰もが驚いた。四打数三安打と当たりが続いている遠藤に代わっての代打だ。どうしていまここで好調の遠藤を下げるのだと不審がる声があちらこちらから漏れてくる。僕のいるライトスタンドでも『飯野って誰だ』『江銘館は勝つ気はないのか』『飯野が公式戦に出るのは初めてだって言うぜ。そんなヤツが代打で佐々木の球を打てるのか』なんて話し声が飛び交う。
 でも、この中で僕だけがこの代打を当然だと思っていた。
 だって。代打は兄ちゃんなんだもん。


 兄ちゃんはいつも手入れをしていた木製バットを持って、バッターボックスに入る。グラウンドをしっかり均すとバットを背負うように肩に乗せ大きく構える。まるで棒立ちのような格好だけど、これが兄ちゃんの構えなんだ。
 マウンド上の佐々木に顔を向けていた兄ちゃんは、ふいっと首を曲げライトスタンドの方に顔を向けた。何かを探すようにゆっくりと頭を動かす。
 兄ちゃんは僕に気がついたと思う。今日の試合はライトスタンドで見ていると伝えてあるし、なにより、視線が僕の方に向いたとき兄ちゃんは頷くように頭を上下させたんだ。兄ちゃんは口を動かした。ここからじゃ何を言っているのか分からないけど、僕には『いくぞぉ慎(まこと)。しっかり捕れよ』と言っているように思えた。




 *               *               *




「いくぞぉ慎。しっかり捕れよ」
 兄ちゃんの声に僕はここまでが外野と決めた排水溝の縁ギリギリに立つ。排水溝の向こうは背の高い雑草がおおい茂っていてとても入ることなんてできない。だから排水溝を越えたらホームランと決めている。
 バッターボックスに立った兄ちゃんは右手に持ったボールを真上に放り投げる。投げられたボールは高く上がり、次の瞬間には風を裂く鋭いバットスイング音と真芯でとらえられたボールが発する硬質な音が僕の耳にまで届く。
 ボールは空に突き刺さるように真っ直ぐに飛翔を続け、僕の遙か上を過ぎ去る。
「兄ちゃん、飛ばしすぎだよぉ。これ以上ボールなくしたら母さんに怒られるよ」
「悪ぃ、悪ぃ。これでも手加減したんだけどなぁ」
 僕の文句に兄ちゃんは笑ってこたえる。
 新興住宅地のまだ家が建っていない造成地。ここが僕と兄ちゃんの遊び場だった。近所には僕らに年の近い子供がいなかったから、僕と兄ちゃんはいつもここで遊んでいた。バットとグローブを持って陽が暮れるまでボールを追いかけていたんだ。ここはまるで僕たち専用のグラウンドのよう。
 兄ちゃんが打った球が捕れた時の高揚感、僕が打った球を兄ちゃんが軽々と捕る姿の綺麗さ、何時間やり続けていても飽きることなんてない。バットの重さ、ボールの感触、グローブのにおい。どれもこれもがキラキラしていて楽しかった。


 でも、兄ちゃんが小学校に通い出したら、僕らだけの野球は終わりを告げた。
 造成地には家が建ち並んで空き地はなくなっちゃったし、僕自身が兄ちゃんの野球センスに追いつけなくなって野球は自然とやらなくなった。その代わり兄ちゃんは学校の仲間と野球をすることが多くなった。兄ちゃんの友達や上級生を見わたしても兄ちゃんより上手い人はいない。僕はそれが嬉しかった。だって僕はそんな凄い兄ちゃんの打球を捕ったことがあるんだから。
 小学校三年生になって兄ちゃんはリトルリーグに入った。兄ちゃんは僕にも入れよと誘ってくれたけど、元々運動神経が鈍いため野球には見切りをつけ、兄ちゃんを応援することに専念した。そこでも兄ちゃんの活躍は凄かったんだ。四年生の時にはレギュラーに選ばれた。四年生でレギュラーなんて兄ちゃんだけさ。六年生の時には強肩を見こまれて外野手からピッチャーに転向し、『投打のバランスが取れた逸材』なんて新聞で紹介されたこともあるんだ。
 中学生になって兄ちゃんはリトルシニアに誘われたけど、家にあんまりお金がなかったこともあって地元の公立学校に進んだ。だけど、そこで兄ちゃんの才能は一気に開花したんだ。市大会、県大会、中体連。色々な大会に出場しては上位に食いこむ実力校として地元じゃ誰もが知っている学校になった。もちろん兄ちゃんのことは『豪腕、豪打の飯野』って、みんな知っている。僕も学校じゃ兄ちゃんの弟であることが自慢でしょうがなかったよ。
 そして兄ちゃんは推薦で地元の江銘館高校に入学することが決まった。他県の野球が強い学校からの誘いもあったけど、兄ちゃんは野球がそう強いわけじゃない江銘館高校を選んだんだ。入学金や学費が免除される特待生ってと言うこともあったけど、自分が入っていちから強いチームを作りたいって気持ちが兄ちゃんにはあったみたい。
「強いチームが勝つのは当たり前すぎて面白くない。やっぱ弱いチームが俺の力で強くなって強敵を倒すのがカッコイイんだよ。そして俺のピッチングとバットで甲子園に行くんだ」
 入学式の前日、兄ちゃんはこう言っていたからね。


 でも、兄ちゃんの夢は一年の夏休み前に終わった。
 練習前のランニング中に交通事故に遭い右足を大ケガをした。軸足である右足を痛めたせいで踏みこみができずピッチャーを諦めるしかなかったんだ。でも、兄ちゃんは野球を諦めなかった。
 足が悪いからレギュラーにはなれなかったけど、バッターとして──代打として──の道を進むことにしたんだ。毎日、野球部の練習をして、家に帰ってきてからも素振りは欠かさなかった。手にマメができても、そのマメが潰れても、ずっと振り続けていた。そのせいで兄ちゃんの手の平はいつもゴワゴワだった。
「慎、みろよ。俺の手は天然グローブだぜ」なんて笑いながら硬くなった手を触らせてくれたこともある。
 兄ちゃんは三年間ひたすら練習を続けたんだ。公式戦に出る機会はなかったけど、兄ちゃんの後輩たちが試合に出るのをベンチで見ていても、一度も愚痴なんか言わないで黙々と野球を続けていたんだ。




 *               *               *




 兄ちゃんの高校生活三年目にして最初の試合が始まる。
 壊れている右足に荷重がかからないように左足に重心を置き、全身が反ったような独特のポーズ。そのスタイルに周りからは失笑とも揶揄ともつかない雑音が聞こえてくる。誰も兄ちゃんがどれだけ苦しんだ末にあの打撃姿勢を手に入れたかは知らないんだ。
 でも、僕は知っている。すぐにみんな兄ちゃんの凄さを知ることになることを。


 佐々木の一球目は外角低めに流れわずかにストライクゾーンを外れボール。内野ゴロを打たせるつり球だけど、兄ちゃんは構えたまま動かない。
 二球目。地面に手を擦りつけるような投球フォームのアンダースロー。佐々木の指先からボールが離れた刹那、きぃぃんという硬質な音と共にボールがライト方向に跳ね返された。槍のように真っ直ぐに。
「ファール!」
 ボールはわずかにポールを逸れ、審判が両手を広げ大声でコールする。
 一塁側も三塁側も皆息を呑んだように静まったまま兄ちゃんの振りに見とれていた。
 ホームを目指していたランナーが塁に戻るのと同時に、第二商業高校がタイムをとった。内野手たちがマウンドに集まる。グローブで口を隠し話し合っている。
 きっと兄ちゃんの選球眼の良さ、振りの凄さに驚いているのだろう。話しながらも何度も兄ちゃんを盗み見ているのが分かる。なのに兄さんは気にする風もなくバットを構えたまま静かにマウンドを見ていた。
 話し合いはついたのか、キャッチャーが佐々木の尻を叩き駆け戻っていく。内野手たちも各々のポジションにつく。
 試合再開。
 マウンド上の佐々木はセットポジションに入ったまま何度も一塁ランナーに目をやる。だが一塁ランナーの河合のリードは小さくすぐに塁に戻ってしまう。
 ランナーのことは諦めたのか佐々木が真正面を向く。同時に河合がまたもリードする。
 その時、一塁手がぱんっとグローブで河合の肩を叩いた。
「アウト!」
 一塁審判が右手を大きく上げる。
 第二商業高校の一塁手がやったぁとばかりグラブを叩いてガッツポーズする。
 隠し球。
 河合が崩れ落ちるようにしてその場に座りこんでしまう。
 この瞬間、試合も、兄ちゃんの公式戦初打席も、兄ちゃんの三年間も終わった。
 兄ちゃんはヘルメットを前に深く下ろし、バットを肩に乗せたままうつむく。
 外野手もキャッチャーも第二商業高校ナインすべてがマウンドに集まってくる。まるで優勝でもしたかのように満面の笑みを浮かべ喜び合う。この試合がどれだけ苦しかったかを身体全体で表現している。
 キャッチャーもいなくなったバッターボックスに立っていた兄ちゃんは顔を上げライトスタンドに顔を向けた。頷いたかのようにヘルメットが揺れる。
 兄ちゃんはヘルメットをかぶり直しバットを構えると、跳ね上げるように右手を動かした。まるで手にボールを持っているかのように。そして鋭くバットを振り抜いた。
 その時、僕の目にはあるはずのない白球がライトスタンドに向かって一直線に飛ぶのが見えた。白球は僕の遙か頭上を越えぐんぐんと伸びていく。スタンドの誰もが勝利に歓喜する第二商業高校ナインを見る中、僕だけが振り返り球場を越え進む白球の行方を追う。
 どこまでもどこまでも白球は飛んでいく。小さく、小さくなりながら、真っ青な空に溶けていった。


 おわり

2009/03/12(Thu)07:32:51 公開 / 甘木
http://sky.geocities.jp/kurtz0221/
■この作品の著作権は甘木さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
たった一つのボールを巡って競い合う人間の姿って美しいと思いませんか?

この作品はWBC予選に影響されたわけじゃなくって、ユニコーンの「デーゲーム」って曲が元ネタです。ユニコーンが再活動するって知った時、なぜだかこの曲が頭に流れてきて思いつきました。
稚拙な作品ですが読んでいただけたら幸いです。

3/12 羽堕さんの御指摘により微修正しました。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。