『白梅』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:有馬 頼家                

     あらすじ・作品紹介
変わる事のない想いを……

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  ――仕事帰り。
 くたびれた身体を最終電車に詰め込み、心地良く揺れる電車の窓から、夜の帳の降りた流れる街の灯りをぼんやりと眺める。
 さっきまでは降っていなかった雨が、ふと思い出したかのように恥ずかしそうに降り始め、波立つ窓に映るとぼけたような色とりどりの灯りが、なぜか僕の心の深い場所をざわつかせていた……。
  街から離れ、急行の止まる駅を六つも過ぎた僕の街に着く頃には、電車に揺られる人の数も疎らになり、やけに広く感じられる車内では、乳白色の車内灯がやけに寂しくて、僕の心を遠い異国の旅人であるかのような不思議な感覚にさせる。
  ひときしり電車に揺られ、最後に大きな波を起こすと、電車は止まり、暗がりにぽっかりと浮かぶ小さな駅にその鈍重な巨体を横たえる。
 鉛が沈むような音を立て扉が開くと、僕は電車を降りる。と同時に雨の悲しげな冷たい香りが僕の鼻から、全身へと広がる。小さな駅の金属の屋根に雨がはじけ、切なげな音色を奏でている。――だが、割と僕はそんな彼等の曲がきらいじゃない。
  僕を降ろすと電車は、疲れた身体で最後の仕事にでも向かうかのように「よっこらせ」とゆっくりと動き始め、僕も知らない遠い異国へと向かうために、また夜の闇へと向かって消えていく。
 そんな彼の姿をいつものように見送ると、僅かに疲れた灰色のスーツの上着ポケットから水色の切符を取り出し、いつものように無人の改札を潜る。
  所々ちらつく蛍光灯の下、無機質な灰色の廊下を進む間、どうしようかと思案を巡らせてはみたんだけど、どうやらそれは徒労だったらしい。――駅前の自動販売機に寄り掛り、赤い傘をさした君が、片手に深い緑色の傘をぶら下げてつまらなそうにしている姿が、自販機の冷たい灯りに浮かんでいたから。


  雲ひとつ無い、寂しげな青い空――古びた色の松の木、冬枯れしたイチョウの並木。所々に焦げ茶色の地肌を覗かせる、無愛想な砂利の敷き詰められた中に浮かぶ、石畳。小さな橋の掛った古い池には、可笑しな色の鯉が優雅に泳いでいた。
 着慣れぬ黒い新調したスーツに身体を入れて、古い寺の境内をぼんやりと歩いていた僕が、ふと子供の好奇心に駆られ石段を上ると、そこに彼がいた――。
  閑散とした風景の中、凛として佇む見事な白梅。彼を意識した途端に、眩暈のするような、白梅の仄かに赤く色ずく透き通った香りが、僕の鼻をつきぬける。
  ――彼は寡黙だった。僕が親しげに近づいてくるのを黙って受け入れ、彼のいる高台から、僕が一緒に深い草色の大きな川の流れを見下ろすのを許してくれた。
 川の行く先を追いながら、さっきからカイロ代わりにズボンのポケットに入れておいた無糖缶コーヒーの蓋を開け、一口だけ唇をつけると、思った以上の熱さにすぐに飲むのを諦めた。
 代わりにジンジンと小波の立つ唇をそっと空いた手の指でさすりながら、もう一度彼を見上げた。
  ――白梅。思えば彼女との初めての出会いも、こんな季節だった。

  春。高校進学と同時に、僕と違い頭の良かった君は遠くの進学校へと進み、この街を離れていった。
 その君が、大学の二回生へと進級すると同時に「寂しくなった」と恥ずかしげにその白い肌を赤く染めこの街へ戻ってきたのも、君がこの街を離れたときと同じ、この小さな街の街道の並木が桜色に染まった時期だった。
 「まったく……」と、呆れ顔で君に言った僕だけど、君がこの街を離れてしまうとき寂しむ僕を心の部屋にしまい、君の未来のためだと引き止めたい気持ちを押し殺して笑顔で見送った僕だけど――本当はとても嬉しかったんだ。
 久しぶりにこの街で見た君の顔は、何処かキミの懐かしさを纏って、はっとするほど綺麗だった。

  夏。君がこの街を離れて以来、いつもは何処かうっとうしいこの季節だったけど、君が庭に植えた紫の朝顔、みずみずしい青と赤のアジサイが、あざやかに僕の日常を彩った。
  嫌がる僕を「せっかく着たんだから」と、子供っぽく頬を膨らませ、無理やり連れ出してくれた街の花火大会。
 その一輪一輪にクルクルと表情を変え、コロコロと歓声を上げる、風鈴の描かれた薄桃色の浴衣姿の君。色とりどりの花火が創り出す灯りにあてられ、幻想的に闇から浮かび上がる君の姿は、僕にはとても神々しく感じられた。

  秋。紅葉を見に君と二人でドライブがてらに旅行に行ったときの山間の景色……。二人で見た川鏡に映し出された赤や緋色に染まる山々の姿を、僕は生涯決して忘れる事は無いだろう……。
 「最近食欲が無いね」と、僕を気遣い台所で腕を振るう君の姿を、少し寂しげに眺める僕の視線に、君は気付いていただろうか。
 台所から食事を運んできた君を迎え、急いで煙草の箱をポケットにしまい、わざとあわてたように僕は煙草を灰皿に押し付ける。そんな僕を見て「食欲は無いのに、まだ煙草は止められないのね?」と、呆れたように大きく肩を落としてみせる君に、僕はおどけて笑って見せた。
 本当は、君に知られないかと、内心少しひやひやしていたんだ。

  冬。透明な冷たい風の吹く、無機質な色の空になぜか無性に心を揺さぶられるこの季節。
 夜になると、何時もは街灯だけの暗い街に一つの大通りにも青や赤、黄白色のイルミネーションが焚かれ、その無温の光が何故か温かく感じられたのを、今でも鮮明に覚えている。
 家に帰ると、玄関に立ったまま見慣れぬ楽しげな飾りに驚く僕の手を引き、二人っきりのクリスマスを祝った。自作の少し不恰好なケーキの蝋燭に明かりを燈し、電気を消したときの、あの何処か寂しいけれど、ワクワクするような感覚……。キミが居なくなってから、久しく感じてなかった自分を、ふと思い出してしまったよ。

  ――そしてまた季節は巡り、何度目かの冬を迎えたあの日。
 有休を使い病院から帰って来た僕を迎えたのは、雨が降る前の何処か湿った木の香りと、誰も居ない薄暗い部屋。そして、暗い茶色の机の上に置かれた、白い一枚の君からの手紙だった。
「……来る時が着たか」というのがその時の僕の正直な感想だった。
 どんな幸せな時間も、何時か終わりが来る。僕自身、こんな幸福な時間がいつまでも続くとは思っていなかったし、その寂しさと同時に、何処かその時が来るのを願っていたのかもしれない。
  ――いや、願っていた。

 手紙に指定された場所に行ってみると、そこは一軒のレンガ造りの小洒落た喫茶店だった。名前は、なんと言ったか――記憶は曖昧で、特に重要でもない。
  外見に相応しくアンティークな造りの店内に入ると、琥珀色のライトに照らされた店内には、ジャズの音色が響いていた。なんといったか――所々の旋律が、僕の記憶の糸を僅かに揺らしたが、ついにその名前を思い出す事は出来なかった。
 僕が思い出すのを諦め、けっして広くは無い店内を見渡すと、どうやら彼女はまだ来ていないらしく、空いていた窓際のテーブル席に腰掛けると、注文を取りに来た僕と同じ程の年齢の、ただ一人だけの店員にコーヒーを注文した。
  ちょうどその時、あの切なげな音色が響いてきた――「雨か……」そう僕が呟き、そっと窓の外を見ると、控えめに降る雨が、灰色のアスファルトに黒いまだら模様を描き始めていた。

  暫くするとコーヒーが来た。焦げた香木のような香ばしい香りの揺れる湯気を放ち、僅かにさざめく深い茶色の湖面は、鏡のように僕の姿を映し出したが、その揺れる湖面は僕の顔をも歪めて映し出し、今の僕の顔を完全に真似することは出来なかったようだ。
 そのことに少し安堵し、スプーンで一かきすると、砂糖を入れずにカップに口をつけた。が、僕が思っていたよりもコーヒーは熱く、カップを置くと、少しジンジンと波立つ唇を指で撫でながら、ふとまた窓の外に目を移した。

  暫くして、僕が二杯目のコーヒーを頼もうか思案していると、店の扉のベルが懐かしげにさえずり、僕の待ち人の到着を知らせた。
 店に入ると、しばらく彼女は少し濡れた黒い長い髪をハンカチで拭きながら、何処か拗ねたように何かを呟いていた。しかし、すぐに席に着いていた僕の姿を見つけると、申し訳なさそうに少し笑いながら僕の前に腰掛けた。
  彼女と僕の前に僕にとっては二杯目のコーヒーが置かれると、彼女は関を切ったように話し始めた。
 コロコロと表情を変えながら、嬉しそうに話す彼女の口から出てくる話題は、『その男』の話が大半だった。なんどもセピア色の記憶と交差する彼女の口から、僕じゃない別の男の名前が出てくるのは、僕の心に軽い嫉妬のようなもの芽生えさせるのだったが、きっと彼女はそんな事は思いもしなかっただろう。
  ――外の雨が止み出した頃、ちょうど彼女の話題も一段落して、僕と彼女の間に香木の香りの空白が生まれた。
 彼女が何か言おうとした時、それまでずっと黙って笑顔で聞いていた僕のほうから先に彼女の言葉を遮った。
「――それで、そいつはお前の事を大事にしてくれそうなのか?」
 すると、彼女は言いかけた言葉を飲み込み、恥ずかしそうに、でも何処か寂しげに
「……うん」
 と、一言だけ漏らした。僕もその言葉を聞くと、満足気に、そして心の何処かで感じた寂しさを押し殺しながら、「そうか……」と頷いてみせた。
 その頃には、すっかり雨も上がり、窓の外には真新しい空気が満ちている――そんな気が僕にはしたのだった。


  僕はまた一口だけ軽く缶コーヒーに唇を当て、その中身が充分に冷めているのを確認すると、胸のポケットをまさぐり、懐かしい煙草の箱を取り出した。
「……ま、今日ぐらいは勘弁してくれや」
 そうキミに謝ると、その淡い青の煙草の封を切り、箱から煙草を一本取り出し口にくわえると、オレンジのシールが張られた青い百円ライターで火をつけた。
 その煙を吸い込むと、ジジッ……という煙草の焦げる寂しげな音と共に、肺一杯に懐かしい味が広がった。流石に久しぶりすぎて、頭が一瞬くらっとしたが……こうで無くては。
 肺に溜まった煙を上を向いて吐き出すと、白い薄い煙が視界の青空に広がった。それはまるで雲のようだ――。
「……これで何とか我慢してくれ」

「……お父さん!」
 ちょうどその時、彼女の声がした。
 煙草をくわえたまま、ゆっくりと声のした方を振り向くと、そこには輝くような白無垢姿の彼女が居た。その姿は、あの日のキミの様に美しく、そしてとても神々しかった。
「……馬鹿、お前白無垢着たまんま、出歩く奴があるか! 汚れたらどうすんだっ!」
 そんな自分のささやかな動揺を隠すために、僕は殊更大きい声で君を怒鳴りつけた。
「……だってお父さんが勝手に出歩くからいけないんでしょ!?」
 君は負けじと声を立てる。こんな意地っ張りなところも、キミにそっくりだよ。でも、それはそれで僕も後に引けなくなってしまう。
「係りの奴を呼びに来させれば良かったじゃねぇか!」
 別に本当に怒っているわけではないんだよ。本当は謝りたいんだけど、こうなったら意地の張り合い……そういえば、キミともたまにこんな風に意地を張り合って喧嘩してた事もあったっけ。
「行ってもらったわよ! でも見つからなかったって、みんな焦ってたんだから仕方が無いじゃない!」
 君はおしろいを塗った頬が少し赤らんで見えるほどの勢いで僕をまくし立てる。
「そもそも、煙草を吸いにこんなに遠くまで行かないでよ!」
 そんな事を言うキミに似て可愛い瞳に、薄っすらと涙のダムが築かれる。
――まいったな……昔からこれには弱い。
「ぐっ……そ、そうか、俺が悪かった」
 きまっていつも先に謝るのは僕のほう。謝りながら、頭をガサガサとかく癖も昔のまま。もっとも、昔のように髪もそんなに多くはなくなったし、白髪も増えたけど……。
「じゃぁ、行くよお父さん……」
 そう言うと、君は僕のほうに手を差し出すのだが、一度僕は自分の缶を握った手を見ると、湧き上がってくる寂しさを押し殺して、差し伸べられた手を断った。
「ああ、判った、すぐ行くよ」
 そう言うと、君は拗ねたように僕に念押しをする。そんなに大声を出さなくても、僕はまだ君が思うほど老けてはないつもりだし、身体だって、まだまだ君を守れる自信がある――。

  そんな事を思っていると、君は急に立ち止まって、寂しげに空を見上げた。
「雲……」
「ん?」
 突然、ポツリと寂しげに君の口から零れた言葉。
「雲、出てないね……」
 君がそう言いながら空を見上げると、僕もつられて、寂しげなあの青空をじっと見上げた。……雲出てないね。
「雨が降るのは流石に困るけど……雲が無いと……」
 青空から目を離し君を見ると、君は寂しそうに笑いながら僕のほうを見ていた。
「なぁに……」
 そんな君の姿を見たくは無いから、煙草を咥えて深く一呑みすると、その肺に満たされた白い煙を空に向かって吐き出した。
「だから、こうやってお父さんが雲を作ってるんだよ」
「そんなんじゃ駄目だよ」
 そんな僕に、君は殊更笑ってくれる。
「そうか?いけると思うぞ」
 おどけて笑ってみせた僕に、笑いながら送って来ていた君の視線が、急に悲しげに曇る。
「……お父さん」
「ん?」
 君は何かをためらうと、急に笑顔になった。
「――ううん、なんでもない。早く来てね」
 どこか無理して笑う君の笑顔……やっぱり、ばれたかな。キミに似て、妙なところで勘が鋭いからね。
 そう思いながら、僕は何度も振り返って念押しをする、着物の端を握って小走りで石畳を消える懐かしいキミの姿を見送った。

  ――そう遠くは無いいつか、またキミに会う事が出来そうだ。
 キミと会ったら何を話そう。……やっぱり僕はキミに良く似た女の子の話をするだろう。キミが見ることの出来なかった、僕と女の子の話を。キミは怒り出すかな。喜ぶかな。
 送り出すまでと決めてた禁煙だけど。もう君は大丈夫、いつかキミと同じ青空に消えていく僕の代わりに、きっと君を守り通せる人が出来たから……

  でも、煙草もこれっきりにして、また禁煙してみようかな。
  ――会ってみたい人が出来たから。
「それまで少し、待っていてくれるかい?」
 そう言うと、僕は煙草を空いたコーヒーの缶の中に放り込み、ゴミ箱に捨てる。
 ――もちろん、あの時みたいにキミに怒られないように、分別したさ。缶は缶入れ、潰した煙草の青い箱は、チョット迷ったけど、ちゃんと燃えるゴミにね。


  ――石畳を歩き出した僕の頬を、白梅の仄かに赤く色ずく透き通った風が、優しく撫でた。あの時と同じように――。

2009/02/28(Sat)08:16:49 公開 / 有馬 頼家
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■作者からのメッセージ
 こんにちは、『永遠の練習生』こと頼家と申します。
今回「勉強の為に!」と、ショートスタイルの作品を作ってみたのですが……難しいです。恐るべしショート×2(?)……!(血涙)
 ショート、現代、一人称と、全く違うジャンルに勢い込んで飛び込んだのは良いものの、地の文等の書き方がわからず、ペラッペラの感が拭いきれません。
 更に不幸な事に、書き始めた頃は雨が降っており、その雰囲気で書き始めたのですが、一旦筆を置いて、日にちが経って続きを書こうとしたところ、全く文章が浮かんで来ないという始末。よって、作品にツギハギ感を感じられるかと思います……申し訳ありません。どうやら苦手分野の香りがそこはかとなく醸し出されています。
お時間があれば、是非ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いします。
 頼家

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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