『二月の桜』 ... ジャンル:恋愛小説 未分類
作者:純葉                

     あらすじ・作品紹介
願わくば 貴方との今が 永久であってほしい――…

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「奇跡を、起こしてくれないでしょうか。私だけのために」
「……それが、貴方の望みならば」

『二月の桜』

願わくば 花のしたにて春死なん


「御断りいたします」
 凛とした涼やかな声で桜子(さくらこ)はきっぱりと答えた。暖かな風が吹く温かい春の日のことだった。
 病棟横の小さな公園、桜の木の下のいつものやりとり。
「……そう、ですか」
 毎度のことなのだから、いい加減慣れればいいのに、今回もまた優(ゆたか)はがっくりと肩を落とす。
 そのあまりにも情けない姿にそれまでの真剣な表情を崩し、桜子はふっと笑みを浮かべる。この実直な青年のことが、彼女は好きだった。
「もうそろそろ、諦めますか?」
 試すように、からかうように、桜子は訊いた。まさか、と勢い良く顔を上げる優。その真っ直ぐな瞳はただ桜子だけを必死に求めている。
「そう……。優君は、こんな年増のどこが良いのでしょうね」
 何度目だろうか。澄んだ瞳を見つめ返しながら桜子は考える。
 自分が優に求婚されるのは、これで何度目だろうか、と。少なくとも二十回は越えているはずだ。
「全てです。七歳程度の歳の差など関係ありません。それに桜子さんは今でも十分に美しいです」
 優は熱のこもった返答をした。
 好いた男に自分を、特に自分の容姿を褒められて嬉しくない女はいない。しかし、桜子はそれを表に出すわけにはいかなかった。彼女は何度もそうしてきたように無理矢理感情を押し殺す。
「僕は医者としての桜子さんに憧れ、女性としての貴女を慕います」
 迷いのない声で優は告げた。
 奇跡の外科医。そう桜子は呼ばれていた。そのずば抜けた腕に救われた命は数知れない。過去に一度、彼女は高名な教授すら諦めた患者をまさに奇跡的に助けたことがある。桜子の名に奇跡の冠がつくようになったのはその出来事からだ。
 優は、そんな桜子の後輩にあたる医師だった。新米でまだ若い。けれど、一見大人しそうな彼は、少し異常なほどの情熱と積極性で幾度も桜子への求婚を繰り返した。
 さして親しい仲でもない相手に突然結婚を申し込むなど非常識であるし、女性を馬鹿にしていると言っていい。当然桜子も初めの頃は優に腹を立てていた。だが、二度や三度ならまだしも十回二十回と心の底から愛を告げられては、次第に情も移る。桜子への求婚と言う奇行にさえ目を瞑れば、優という男は真面目で誠実で勉強熱心な好青年だった。顔立ちはさっぱりと整っているし、すらりとした長身は白衣も似合う。今となっては、優と自分のどちらの想いの方が強いのか桜子には分からなかった。
 けれど、桜子は決して頷かない。
 正確には、頷けない。
 彼女には。優の想いに応えることは出来なかった。
「そういう風に言ってくださるのは嬉しいですけれど、私は医者を辞めるつもりはありませんので」
 桜子達の時代では、女性の権利はまだまだ弱かった。桜子は幸運にも実家が名家だったため、なんとか思うように就職することが出来たのだ。それが限界だった。いくら技術や名声を高めた所で女性に出世は望めない。だが、桜子はそれでも構わなかった。地位や金が欲しくて医者になったわけではないのだから。
 ただ、人を救い続けることさえ出来ればそれで良い。
 結婚して家庭に入ってしまえばそれが出来ない。だから、結婚も出来ない。
 桜子なりの断り文句だった。
 初めの頃は単に厭だ嫌だで押し通していたのだが、嘘をつくのもなんなので近頃はそういうわけにもいかなくなってきた。嫌いではなくなってしまったのだからどうしようもない。
 言い訳の種類も残り少なくなってきている。いずれは、本当の理由を話す時が来てしまうかもしれない。
「構いません。僕自身、桜子さんにはずっと医者を続けてほしい。貴女ほどの力を持った人ならば、それが当然です」
 この時代の男性の言葉とは思えない科白を優は吐いた。喉元になにかがせり上がってくるような辛さに耐え、桜子はだたただ苦笑する。一体なんと言えば、優は諦めてくれるのだろうか。
 風が吹けば良いのに、と桜子は祈った。桃色の幕で優を隠して欲しかった。
「私は、子供を産む気もないのです」
 それは、ある意味本当であり、ある意味では嘘だった。桜子は昔から子供好きだ。我が子ならばさぞ可愛いだろうと思う。きっと自分は慈しんで育てるだろう。ひょっとすると、そのためだけならば、医者を辞めてもいいかも知れない。目の前の青年も、きっと優秀な父親になれるだろう。
「構いません。僕は貴女さえ居てくれるのならば、それで充分です。桜子さんの何かが問題で、僕の伴侶に相応しくないなどということはあり得ません。僕は貴女以外は何もいらないし、貴女のためならば何でもします」
 聞いている方が恥ずかしくなるようなことを優は大真面目で口にする。
 相応しくないなど、か。
 桜子は心中自嘲する。自分ほど優に相応しくない女性もそういないだろうと思った。
「本当になんでもしてくれるのですか?」
 悪戯っぽい顔を作って桜子は尋ねる。神妙に頷く優。
「はい。それで桜子さんが僕を受け入れてくれるのならば、何でも」
「では、院長になってください」
 優はきょとんとする。
「院長というのは、病院の院長のことですか?」
「ええ。いくら優君が結婚しても私を縛らないと言ったところで、世の中はそれを許さないでしょう? 結婚すると決まった途端私は職を取り上げられてしまうかも知れない」
「そんなことさせません!」
「ならば優君が、この病院の院長になってしっかり私を覆い続けてください。そうしてくれるのならば、私は妻として貴方の隣に立ちましょう」
「本当ですか? 桜子さん。もしも僕が院長になれたら、そのときは本当に……?」
 興奮気味の優に桜子は小さく微笑んだ。
「もしも本当に優君が院長になれて、かつその時まで私を想い続けていたらなら、……結婚も考えましょう。ただ逆に言えば、その二つが達成出来ない限りは絶対にダメです、よ……」
 後半の言葉はおそらく優の耳には届いていない。
 子供のように手放しな笑みを浮かべる優に、ひょっとして自分の意志はちゃんと伝わってないのではなかろうかと桜子は不安になる。
 彼女たちの時代、病院の院長などは完全に世襲制だ。桜子達の勤める病院の現院長には偶然にも息子はいなかったので、その気になればあるいは本当に優が時期の院長になることも出来るかもしれない。可能性はある。
 しかし、それはつまり、優が元院長の義理の息子になるということ、桜子以外の女性と結婚してしまうということだ。
 院長になることと、桜子と結ばれることは決して両立しない。要するに、これもまた桜子なりの遠回しな拒絶だった。
 どうやら、今の優はそこまで意識が辿り着いていない。
 まあ良いかと桜子は心の中で呟く。
 優とて馬鹿ではないのだから、じきに桜子の言葉の意味に気がつくだろう。それまでは、夢を見させてあげるのも悪くない。
「さて、そろそろ戻りましょう。優君が私を攫っていくのにはみんな慣れているでしょうけれど、仕事を疎かにするのは良くありません」
「はい!」
 はきはきと返事をして、優は颯爽と病院へ駆けだした。どんどん遠ざかっていくその背中をゆっくりと追いながら、桜子は僅かに目を細める。優の存在が、今の彼女には少し眩しかった。
 時々。
 本当に時々、桜子は色々なものを恨み、呪う。
 残酷な運命だとか、
 無情な時の流れだとか、
 禁忌と知りながら、未だに優に甘えようとする自分だとか、
 それら色々を、桜子は呪う。

2009/02/26(Thu)14:08:31 公開 / 純葉
■この作品の著作権は純葉さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも初めまして、純葉(いとは)と申します。
初投稿ということで、すみませんと言う感じなんですが。
お付き合い頂ければ幸いです。

今作の最大のコンセプトは、短く、わざと言葉を少なくすること。
極力説明的になることを避け、雰囲気を楽しんで頂けるよう意識しました。
分かりずらいと感じた方は申し訳ございません。
こんな純葉ですが、精一杯ラストまで頑張りたいと思いますので、
最後までよろしくお願いします!
感想・アドバイス・忠告等、ございましたらぜびぜひ、お願いします^^

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