『きらわれもの』 ... ジャンル:リアル・現代 未分類
作者:餅村あさこ                

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『言わぬは言うにまさる』




 人が人を嫌うにあたって、その理由として挙げられる最たるものはやはり「容姿」だろう。何だかんだ言おうと結局のところ、一般的に不細工と言われる人々は集団の中心グループから省かれる。特に、中学生や高校生などの未成年から組織される集団の中ではそういった現象が顕著に現れる。極端な話、顔さえ良ければある程度のマイナス要素は目を瞑ってもらえるのだ。顔の良い男子同士、また顔の良い女子同士が固まり、やがてそれがクラスの中心となってゆく。どんな綺麗事を並べても、これは確かな事実である。
 もっとも、この場合は嫌われる理由と言うよりは「好かれない理由」、嫌われ者となる際の根本的理由と言った方が当てはまるかもしれない。
 しかし、松原綾子は例外だった。彼女の嫌われ要素は、顔の良さを加味しても到底目を瞑っていられるレベルの話では無い。と言うより、その顔の良さが彼女の嫌われ様に拍車をかけていると言えた。大方、ざまあみろと心中蔑んでいる者が大半なのだ。

「俺、ずっと松原の事好きだったんだよね。良かったら付き合ってもらえないかな?」

 重ねて言うが、綾子は顔は良かった。またそれが周囲の女子達の怒りを買う事となっていたのだが、とにかく誰が何と言おうと可愛いものは可愛いので、嫌われ者のレッテルを貼られた今でも彼女に交際を申し込む男子は少なくなかった。
「ダメかな?」
 札幌市立北陵高校、松原綾子。赤みがかった茶髪(もちろん地毛ではないが)、156センチの身長が160にも165にも見える小顔。綾子はにっこりと笑みを浮かべると、交際の申し込みを受けた。
「私も、前から後藤くんの事気になってたし」
 これは嘘で、綾子がいつも使う常套句。しかしその効果は計り知れなく、後藤は飛び跳ねて手を叩いた。意を決しての告白が成功した時の喜びというのは他の何物にも変えられないものがあり、彼の場合もその例に漏れなかった。そしてそのあと後藤はこれからよろしくという旨を伝え、兎にも角にも二人の交際は始まった。
「ねー、後藤くん。毎日一緒に帰ろうね」
 交際一日目の放課後、綾子は自転車を漕ぎながらそう言った。後藤にとってそれは願ったり叶ったりの話で、喜んで了承する。この「毎日一緒に帰る」とはつまり綾子にとっては「毎日家まで送ってね」という事なのだが、綾子はそれを言うまでも無い事だと理解していたのでこういう言い方になった。
「いや、全然送るよ。家近いし」
 綾子は残念に思った。そもそも二人の家が近いのでは、後藤にとってついでの様な帰り道になってしまう。綾子にとっては、後藤の家は遠ければ遠いほど良い。学校帰りの疲れた体で、毎日自分の家まで遠回りしてくれてこそ、綾子にとっては意味がある。大体、綾子の家から後藤の家まで一時間以上の時間を要するのが綾子の理想である。
「ふーん。嬉しい」
 綾子は形式的にそう答えた。
「毎朝、一緒に学校行こーね」
「えっ、朝はちょっと……」
 後藤は明らかに顔を歪ませた。
「何? 一緒に登校してくれないの?」
 綾子は後藤の顔を覗き込んだ。
「いや、そういう訳じゃないんだけど……。朝はちょっと」
「そういうことじゃん」
 綾子はそっぽを向き、口を閉じてしまった。
「ごめん! 行く行く、行くから!」
「別に無理しなくて良いよ」
 そう良い放つ綾子の言葉には明らかな非難の意が込められている。
「……無理してるんじゃなくて、ただ俺が綾子と一緒に学校行きたいから」
「本当?」
 後藤は頷いた。
「じゃあ、行こ」
「うん。明日、綾子の家の前でね」
 二人は綾子の家の前に着き、綾子は自分の自転車を停め、顔の前でひらひらと手を振った。
「バーイ」
 後藤はそれを見て、また綾子への想いを深めた。その仕草があまりに愛らしかったから。
「また、明日」
 後藤はそう言って自転車のペダルに足を掛け、再び太陽の沈む方角へと走り出した。
「………………」
 五秒ほど経ったか経ってないか、後藤は綾子の家を振り返った。既にそこには誰もおらず、後藤は寂しげに前を向き直すと自転車を漕ぐスピードを上げた。

 ここで結論を言うと、この二週間後に二人は別れる。その原因がどちらにあるのかと聞かれれば、きっと後藤は自分にあると言い、きっと綾子は後藤にあると言うだろう。きっかけは、普通に友達のいる後藤が時々綾子と一緒に下校できなかった事、また時々一緒に登校できなかった事。土日、後藤が私用で綾子と遊べなかったのも大きな要因である。その度に綾子はへそを曲げ、後藤を突き放した。こんな調子で二人はあっという間にすれ違い、あっさりと別れてしまった。綾子は不満を、後藤は綾子に対する愛情を抱いたまま。
 二週間というのはとても短い期間の様に思えるが、綾子にとっては別段珍しい話でもない。もっと早く別れた経験なら今までにあったし、そもそもの話が綾子にとっての後藤はそれ程重要な相手でも無い。後藤にとっての綾子はそうでは無かったが。
 ところで、後藤に対して交際中の秘匿を許さなかった綾子だが、今でも知らされていない事が二つだけある。
 一つは、何故後藤は付き合い始めの頃に一緒に登校する事を渋ったのか。もう一つは、実は後藤の家から綾子の家まで一時間半以上の移動時間を要する事。後藤は、交際が長く続く中で必要があればこれらの事を打ち明けようと考えていたが、結局綾子には最後まで知らされぬまま二人は別れた。
 ――この話は後藤の友人からまたその友人へ、またその話を耳にした者からその友人へ。松原綾子は嫌われ者。




『君子危うきに近寄らず』




 一般的に、中学校や高校の屋上というものは封鎖されており、生徒達が勝手に出入りできないようになっている。小説や漫画では生徒が屋上に自由に出入りできるような描写が普遍的だが、実際にはそんな事はなく、大抵の生徒は屋上に足を踏み入れる事は無い。
 とは言え、まあ、仮に開放されていれば……という話でも無いのだが、松原綾子は一人、教室最前列の自席で弁当箱に向かうのが常となっていた。その周りにはまるで綾子を隔絶するかの様な空間が自然と出来上がっていて、その狭間を越えるといくつもの男子グループや女子グループが笑い声を上げながら楽しげな昼休みを過ごしている。ただ、狭間と言っても、あまりにあからさまな事をするとクラスの雰囲気が重くなるので、せいぜい綾子の周囲には誰も座っていないという程度の話である。また、それぐらいが一番辛いのだが。
「今日帰りどっか寄ってこー」
「ねえ、ライブ見に来ない? 俺らのバンドが出るんだけど」
 陽気な喧騒を背中に感じながら、綾子は弁当箱の中のソーセージをつついた。別にもう慣れた事なので、逐一胸が痛んだりはしない。ただ、呆然と流れていく時間に倦怠感を抱きながら、綾子はソーセージを口へと運んだ。
 昼食が一通り済むと、今度は授業のプリントに手をつけたり、彼氏がいる時は彼氏の元へと会いにいったりするのだが、今日は小さくため息をつくと立ち上がり、教室を出た。当然、何か目的がある訳ではなく、ただ何となく廊下をうろつき、最終的にはトイレに行き着く。それだって明確な「目的」がある訳では無いのだが、一人落ち着ける場所としてトイレの個室を選んだ。
 暫く、個室の中で携帯をいじるなりして過ごしていると、ようやく昼休み終了の予鈴が鳴る。綾子はそれに紛れ込ます様にため息をついた。一日一日、この昼休みの時間をどう過ごすか。ある意味、綾子にとって最も身近で最も大変で、かつ毎日訪れる問題だった。
 綾子は、もう一度だけ大きくため息をついて、トイレの個室を出た。

 放課後、綾子は珍しく古本屋に立ち寄った。後藤と別れたばかりで暇を持て余していたというのもあるが、何か昼休みに読む本が見つかればというのがその最たる理由。綾子は古本屋の駐輪場に自転車を停め、自動ドアを開き中へと進んだ。
「いらっしゃいませー」
 綾子はいつも面白く思う。接客業に就いている人々は、自分を他の人と等しく扱う。クラスの中心人物も、綾子の様な立場にいる者も、一歩校舎の外へと出れば全ては同等。それは言うまでも無く当然の事なのだが、その度に綾子は新鮮な感覚を味わっていた。それどころか、自分は顔が良い分、男性の店員は自分を微かに優遇するという事も理解している。それが理由で、綾子は普段から用も無くコンビニや本屋などに足を運ぶ様にしていた。
 ただ、今日は純粋に本を探しに来た訳で、綾子は店内の従業員に目を配りつつも目的のコーナーへと進んだ。
 この店は、基本的に一般書物よりもコミックに力を入れている。その結果、当然の如く小説やエッセイ等は店の隅へと追いやられ、またそれらのジャンルは区別されず一緒くたに並べられていた。酷い扱いだったが、重厚な小説からふざけたような内容のものまで肩を並べている様子は少し面白く、綾子は意外と気に入っていた。
『授業の度にお前にルーズリーフ配んなきゃいけない奴の身にもなれよ』
 一冊の本が目に入った。表紙にでかでかと陣取ったそのフレーズが妙に面白く、綾子はそれを手にとった。
 それは一人のお笑い芸人が書いた本で、表紙のフレーズの様に相手に精神的ダメージを与える語録ばかりを数百個集めたという非常にユニークな内容だった。綾子はページをペラペラと捲り、気がつけば小さく笑ってしまっていた。
(買っちゃおうかな)
 基本的に一ページに一つのフレーズずつしか載っていないので、凄いスピードでページが捲られていく。そのどれもが独創的でバカバカしくて、綾子は夢中になって指を動かした。
『いつも見かけないけど昼休み、どこいってんの?』
 綾子の指がピタリと止まった。弾んでいた目元が、ゆっくりと濁っていく。綾子は目を閉じ、大きく息を吸って、そして吐いた。
 綾子はその本を元あった場所に静かに戻すと、何も買わずに店を後にした。




『虎の尾を踏む』




 綾子は、老人を労わらない。それは綾子本人の性格の歪みによるところもあるが、それよりも大きな理由として、はっきり言ってしまえば綾子は老人というものが嫌いなのだ。皺だらけの皮膚、緩慢な動き。自分も将来的にそうなる事は分かっているからこそ、それを目にするのが不愉快だった。
 ちなみに、綾子の祖母は極端な体力の低下とアルツハイマー型認知症である事から現在入院中だが、それすら綾子にとっては例外でなく、綾子は出来る限り祖母との面会の機会を断るようにしていた。
『次は、北団地橋。お降りの方は降車ボタンをお押し下さい』
 午後四時半、長々とした授業を終えた綾子は満員のバスの車内でもしっかりと座席を確保していた。この日は朝から大雨で、それ故夏季にも関わらずバスの中は北陵高校の生徒で溢れ返っている。
 綾子は、疲れた様に首を捻った。そしてそのまま目を瞑り、出来る事なら眠りにつこうと思った。
 誰かが綾子の肩を叩いた。
 疲れている綾子は苛立ちを覚えたかと思いきや、こういう状況で誰かから話し掛けられるというのは少なからずワクワクしてしまうもので、綾子は閉じかけた目を大きく開いてから後ろを振り向いた。
「席を譲りなさい」
 それはスーツに身を包んだ中年男性だった。綾子の二列後ろの席に座っているその男性はそう言うと同時に綾子の横を指差し、なるほどそこには六、七十歳ほどの女性が立っている。
 綾子は、明らかな不快感を露にした。目を細め、突き刺す様な視線で中年男性の顔を睨む。
「ここ、車椅子の方の優先座席ですけど」
 一瞬、周囲の目が綾子に向いた。綾子に席を譲れと促した中年男性も、想定外の返答に目を丸くする。
 確かに、車椅子利用者の優先座席というのは一般的な「優先席」と違い、老人や妊婦等の為に設置されている訳ではない。だが、他の乗客にも見られている中で席を譲る様に促され、実際に自分の隣には明らかに席を必要としている老人が立っているという状況で、綾子の他の誰がこんな風に反論するだろうか。
 そして、綾子は続けた。
「大体、あなたも席を必要とするほど年を取っているとは思いませんけど。あなたが席を譲れば良いんじゃないですか」
 確かに、その男性は三十代半ばからせいぜい四十台。現役の高校生とは比べるべくも無いが、彼も体力的に衰えているとは言えないだろう。私に注意するぐらいならあんたが先に譲れ、と言いたくなる綾子の気持ちも分からないでは無い。重ねて言うが、それを実際に言葉にして反論しようとは到底思えないが。
 綾子は言い切ると中年男性の言葉を待つことなく前を向き直し、一日の疲れをとる様に目を瞑った。




『恋は思案の外』




 充分にしつけられた犬は、基本的に飼い主を裏切らない。飼い主の意思一つでどこへでも行き、飼い主の指先一つでどうにでも動く。これを最たる理由として、綾子は自分の家で飼っている犬を大層気に入っていた。
 綾子にとって、恋愛感情を含む異性との交際はこれの延長線上であり、交際相手が自分に尽くしてくれる事こそを何より望んでいる。それは究極に自己中心的な恋愛であり、だから綾子は一人の相手にいつまでも拘らない。しかしその結果、綾子は彼氏のいない時期というものをほとんど味わわずにこの青春時代を謳歌する事になる。
 何故なら、その過程自体は別にして、綾子がこれまでに多数の異性と付き合ってきたというのは周知の事実であり、綾子は基本的にそこまで理想の高くない、ある程度の相手なら簡単に交際を承諾してくれる美人、という認識を受けている。となれば、綾子が彼氏と別れる度にまた新しい相手、別れる度に新しい相手、と絶え間無く続いてゆくのはある程度自然の流れだった。
 しかしだからと言って、綾子の敷居がそこまで低いものになっているという話では無い。綾子が元来持つ近寄り難さに前述した経緯が加わり、ちょうど程好い敷居の高さを保つ。その結果として、綾子は絶え間無く異性からの告白を受けるが、その相手は綾子が見向きもしない様な不細工な男子ではなく、そこそこ女子からの人気のありそうな相手ばかりとなる。ともすれば、綾子がわざわざその告白を断る由も無く、次第に「交際の申し込みを断らない女」という認識を受けるのも、また自然の流れだった。
 こうして、この話を聞いたそこそこの人気者達はまた綾子の元を訪れ、綾子はそれら全てを受け入れる。そしてそれはまた綾子が告白を断らない女だという定説を周囲に再認識させ、再び異性が綾子の元へと集う。永遠に続く、無限とも思える様な循環。そしてその形式的に定められたかの様な循環から考えれば、今綾子に彼氏はいないので、誰かが綾子に交際を申し込む「番」である。

「俺、松原に告白する」
 朝のSHR前の廊下で川越康介は言った。
 校則違反ながら髪を少しだけ茶色く染めた、女子生徒から人気の高いバンドマン。特に彼が務めるのはバンドの華であるボーカルであり、去年の学園祭で開催したライブでの評価はすこぶる良かった。
「まじ?」
 川越のクラスメイト、坂本は目を丸くして聞き返した。目を丸くしたのは、綾子の素行の悪さを人から聞いて知っていたからである。もっとも、綾子の素行の悪さなら川越も充分すぎる程理解しているのだが、どうやら、綾子に告白しようとする者達にとってはそんなもの関係無いらしい。
 素行の悪さなど関係無いと言って綾子と付き合う事になり、綾子の性格の悪さは流石に受け入れられないと言って別れてゆく。馬鹿馬鹿しく思える様な話だが、綾子と付き合った事のある男子生徒達は皆口を揃えた様にこう話す。
「うん。松原今フリーみたいだからな」
 川越は、普段綾子の事を「あや」と呼んでいた。それは一年生の時に同じクラスだった事を考えれば普通の話だが、とにかく今綾子の事を松原と呼んでいるのは建て前である。
「ふうん。で、告白するとしたらどうすんの?」
 坂本は川越に顔を寄せ、声を小さくして尋ねた。川越は少し考える様に唸ってから、同じく声を小さめにして答える。
「ま、向こうも俺の事は知ってる訳だしメールで言うよ。誰か、今松原と同じクラスの奴からアドレス教えてもらう」
 少なくとも、下の名前で呼ぶ程度には仲の良かった川越が今現在綾子のメールアドレスすら知らされていないのにはまた別の理由があるのだが、その理由は川越当人すら分かっていなかった。
「なんだ、別に俺に相談するまでも無く全部決まってるんじゃん」
 坂本は拍子抜けした様に笑った。
「まあ、別に相談したかった訳じゃなくてただ報告しとこうと思っただけだから」
 川越も笑顔を返し、それを受けてまた、坂本は「なんだ」と言って笑った。
「そんじゃ、せいぜい頑張れよ。応援しといてやる」
 坂本がそう言い終わるのと同時に朝の予鈴が鳴り響き、二人は慌てて教室へと入っていった。

 夜。川越は加藤という今の綾子のクラスメイトにメールを送った。
『突然ごめん。あやの今のメアド教えてくれない??』
 何分と待たずして、加藤からの返信が届く。

『ayaaya.y-tsg58.2@ezweb.ne.jpだよ』

 順調に推移しているかに見えた、いつも通りの良く見る風景。
 川越は綾子にとっても理想的な相手であり、もし本当に順調に推移していたなら、少なくとも暫くは確実に幸せな時間を過ごせた筈だった。
 だが、時に現実というものは信じられない様な出来事を平然と起こす。それを、綾子、川越、加藤らの三人は充分に思い知る事になった。この一通のメールを引き金として。




『事実は小説よりも奇なり』




『川越くんに綾子のアドレス教えて良い?』
 時間は少しだけ遡り、川越が加藤からメールの返信を受け取る少し前。加藤は、一応事前に確認をとっていた。本心ではあまり綾子と関わりたくない、業務連絡的な味気無いメール。
 綾子は、携帯に届いたそのメールを開くとほぼ同時にして、自身の経験から川越と加藤の間でどういうやり取りがあったのかを理解していた。
『良いよ』
 綾子は即答した。メールがきちんと送信された事を確認すると、内心に留めておくべき笑みが零れる。今回は後藤の時と違い、綾子は本当に以前から川越の事を気に掛けていた。綾子にとっても、そういう相手と付き合うのは久しぶりであり、思わずにやけてしまうのも仕方ない事だった。
 パチン。綾子は携帯を閉じ、川越からのメールを待った。

 ***

『突然ごめん。あやって今彼氏いる??』
 川越は、自宅の部屋で携帯に文章を打ち込んだ。当然、この言い回しは建て前であり、川越は今綾子に彼氏がいない事を知っている。
 親指が、送信ボタンを押した。するとすぐに「送信しました」の文字が表示され、川越は一旦携帯を閉じた。実際、今川越はそれ程緊張していない。それは、綾子が告白をほとんど断った事のない人間だというのもあるが、結局の所、川越も自分が女子から人気の高い人物だと理解していた事に起因する。もっとも、川越の場合のそれには綾子の様に捻くれた感情は含まれていないのだが、ただ、川越がこれまでにどの様な人生を送ってきたかを考えれば、この様に多少傲慢な意識を心の奥底に抱えていても仕方のない事である。
『びっくりしたあー! 当然どうしたの? いないよ!』
 返事はすぐに返ってきた。それを見て、川越はまた間髪入れずにメールを打つ。
『あのさ……。俺、ずっとあやの事気になってたんだよね。もし今あやがフリーなら、付き合って欲しい』
 川越は、すぐ本題に入ると初めから決めていた。何故なら、川越にとって今もっとも重要なのは綾子と付き合う事であり、無駄に二通三通と前置きを挟むよりも、とにかく早く色好い返事を欲しがっていた。
 川越は流石に少し緊張しながら、送信ボタンを押した。
 ……四分、五分、六分。メールの間隔が空く。これに、川越は少し違和感を覚えた。綾子なら即返事をくれるものとばかり考えていたのだ。
 もしかしたら、振られるかもしれない。川越の頭を不安が過ぎった。ほぼ現実味すら帯びていなかったそんな考えが、川越の中で大きく膨らむ。
 その時、メールを受信した合図に携帯が振動した。川越は折り畳まれた携帯を反射的に開き、松原綾子の名を確認した。
 息を呑み、頬が赤らむ。川越は意を決し、メールを開いた。
『本当!? えっ、いや、今びっくりしすぎててヤバい!』
 それが一行目。本文は、改行を挟んだ後に続いた。
『もし……川越くんが冗談で言ってるんじゃないんなら、是非、お願いします』
 川越は、一人でいるにしてはとても大仰な、ガッツポーズでその喜びを表現した。

 ***

 川越の告白から、更に数時間が経った。
 川越にメールアドレスを教えた後、加藤もまた自宅の部屋で告白の結果を待っている。実は、加藤も川越に対して恋心を抱いており、その心中は穏やかでは無かった。よりにもよって、川越の告白の相手はあの綾子である。
 天井を仰ぎ少しだけ呆けていると、携帯が鳴った。届いた二通のメールの送り主は、川越と綾子。
 加藤はため息をついた。ここで二人からメールが届くという事は、つまりそういう事だ。加藤はメールの受信ボックスを開き、川越のメールを先に読んだ。
『綾子と付き合う事になった!! マジありがと!』
 加藤の心の奥底から、嫌悪感がどっと噴き出す。
 怒りなのか、嘆きなのか。筆舌叶わぬ感情を何にぶつければ良いのか分からず、加藤は手の中の携帯を握り締める。
(……メール、返したくないな)
 だが、川越からすれば加藤の恋心など知る由もなく、いくらなんでもそれは不自然だと、加藤は自分を言い聞かせる。
 もし、明日学校で川越から笑顔でこの話をされたりしたら、一体自分はどんな顔でそれを聞けば良いのだろう。加藤はそんな事を考えながらメールの返信は後回しにし、先に綾子のメールを読んでみる事にした。
 恐らく、綾子も川越と同じく付き合う事になったとの報告だろう。加藤はそれを直視するのが嫌で、少し目を細めて、そのメールを開いた。

『川越くんからメール来ないんだけど』

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。
 直後、糸の様にか細い一つの考えが頭の中に浮かぶ。それは、恐怖にも似た一抹の不安。震える手で、たどたどしく携帯のボタンを押した。
 一番始め、川越に送った一通のメール。全ての引き金となった、始めのメール。
 加藤が川越に教えていたのは、綾子と同じ名前をした、別人のメールアドレスだった。

2009/03/01(Sun)10:43:41 公開 / 餅村あさこ
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