『手紙』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:ケイ                

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 後悔、それは誰もが一度はしたことのある思い。取り返しのつく後悔もあるし、手遅れな後悔もある。
 俺の場合は気づくのが遅く、手遅れな後悔だった。

 俺の名前は木田俊之、二十六歳の社会人だ。
 俺の家族は女手一つで、俺を育ててくれた母さん一人だけだ。
 兄弟はいないし、親父は俺が生まれる前に死んでしまった。
 大学生までは田舎で二人暮らしをしていたが、卒業と同時に、家を飛び出した。
 その理由は俺の夢にある。俺の夢は、上京して俳優になることだった。
 母さんは反対した。一人息子だから心配だったのだろう。俳優なんて売れなければ、辛いし大変なんだよ。
 そう言って、必死に説得しようとしていた母さんの姿を覚えている。
 俺はそれを振り切って上京した。小さい頃に見た、ドラマの俳優に憧れて抱いた夢を、諦めきれなかったからだ。
「大変でも俺はやる、自分が必死にやって駄目だったらすっきりするからそれでいい」
 そう言って飛び出した。それ以来、気まずくて田舎には帰っていなかった。
 そんな生活が四年目に入ろうとしたときだった、俺のぼろいアパートの郵便受けに、一つの封筒が入っていた。
 最初は、保険の勧誘か何かかと思ったが、差出人の欄には、知っている名前が書いてあった。
 家の近所で、駄菓子屋をやっていたおばちゃんだ。いつも俺に優しくしてくれて、学校が終わるといつもそこに行っていた。
 手紙には、信じられない内容が書かれていた。

  俊之君へ
 俊之君、大変なことが起こりました。あなたのお母さんが病気で倒れて入院したのです。
 そちらも仕事が忙しいと思いますが、お母さんのお見舞いに行ってあげなさい。
 お母さんもきっとあなたを待っていますよ。入院した病院の名前や、電話番号を書いておきます。

 もちろん、手紙の内容はこれだけじゃない。でも俺はここから後はほとんど目を通していない。
 最初の数行を読んだ瞬間、手紙を持ったまま家を飛び出したからだ。
 母さんが入院した病院は大病院らしく、住んでいた田舎ではなく東京にある病院だった。
 俺はすぐにタクシーつかまえて乗ると、手紙に書いてある病院の名前を見せた。
 東京の病院まで運ばれてくるというのが、俺の不安をさらに掻きたてた。

 病院に着いた俺は、運転手に一万円札を渡すとタクシーから降りて、病院の正面玄関に走った。
 受付のカウンターには、二十歳前後と思われる女性がいた。
「あの……ここに、俺の母が……運ばれたって聞いたんですけど。……面会できますか?」
 カウンターまで全力疾走した俺は、肩で息をしながら何とか用件を伝えた。
「失礼ですけどお名前は?」
 カウンターの女性は、俺の風貌に少し戸惑いながら尋ねてきた。
 無理もない。今の俺は、新しい役のために髭や髪の毛を伸ばしていたからだ。
「木田です、木田俊之。母の芳江がいるはずなんですけど」
 俺は慌てて同じことを言いながら答えた。
「木田芳江さんは、二階の三十三号室にいらっしゃいます」
 それを聞くと、俺は階段に向かって走った。
 階段を三段飛ばしで上り、二階の廊下で中年の医者を見つけて、急いで呼びかけた。
「先生、先生、……木田俊之です、木田芳江の息子です」
「ああ、木田さんの……どうぞこちらへ」
 そう言われて案内されたのは、小さい一人用の病室だった。
「母さん!」
 思わず叫んで歩み寄った。母さんは弱々しく微笑んだ。
「久しぶりだね……俊之」
「何言ってんだよ、大丈夫なのか?」
「大丈夫、母さんが強いのは昔から知っているだろう?」
 俺は少し安心して椅子に座った。
「木田さん、ちょっと……」
 さきほどの医者に呼ばれ、別室に案内される。
「率直に申し上げますよ、お母様はがんです」
 俺は全身の力が抜けるのを感じた。
「がんって……助かるんですよね?」
 医者は下を向いたまま答えた。
「見つかるのが遅すぎました、せめて一年早かったら……」
「もう助からないんですか?」
「今は抗がん剤で治療をしています。手術もしてみますが、助かる可能性は……」
 医者はそこで言葉を濁した。
「俺……どうすればいいんですか? 何をしてあげれば?」
「近くで、見守ってあげていてください」
 医者はそう言って部屋を後にした。

 それから、俺は毎日見舞いに行った。欲しいものは全部持ってきたし、やってほしいことも全部やった。母さんが笑えば、俺も嬉しかった。
 そのおかげで、俺も少しだけ現実を忘れられることができた。だが逆に、自分が死にゆくことも知らずに、無邪気に笑う母さんを見ると、心が激しく痛んだ。がんの告知は、しないつもりだった。
 手術の日、いってきます、とまた無邪気な笑顔を見せて、母さんは手術室に運ばれていった。
 俺は、手術室の前にある椅子に座って激しく後悔をした。
 何であのとき家を飛び出したんだろう? 何で毎年帰ってやらなかったのだろう? 何で親孝行をしなかったのだろう?
 何でもっとそばにいてやれなかったんだろう? 何でもっと笑顔にさせてやれなかったのだろう?
 後悔の気持ちはいくらでも出てきた。
 手術が終わって、出てきた医者が首を横に振り、俺は、さらにがっくりと肩を落とした。

「今夜が恐らく……」
 ドラマのような台詞を言われて、俺は母さんの病室に行った。
 病室に入ると、眠っている母さんがいた。俺は静かに椅子に腰掛けた。
 起こさないようにして、母さんの手を握った。まだ温かかった。
 母さんを見ていると、涙がこぼれそうになった。手術の日の後悔が蘇る。
 無性に四年前の自分に手紙を送りたくなった。俺は机に置いてあった紙とペンを持ち、がむしゃらに書いた。
  
  四年前の自分へ
 お前自分の夢なんて後にしろよ、四年後からでも間に合うだろ?
 母さんと一緒にいれるのも後四年だけなんだぞ?
 もっとそばにいてあげろよ、もっと笑顔にさせてやれよ。
 もっと親孝行してやれよ。もっと、もっと幸せにしてやれよ

 そこまで書いて俺はペンを床に投げ捨てた。
 神様、頼むよ、頼むからこの手紙を四年前の馬鹿な俺に送ってくれ。
 頼みます、お願い、お願いします。
 ペンを投げ捨てた音で目を覚ました母さんが、俺を見てにっこりと微笑む。
「母さん、俺……何にもしてあげられなくて……ごめんな」
 俺は子供みたいに泣きじゃくりながら言った。
「いいのよ……」
 自分の死期を悟ったのだろうか、穏やかな顔になっていた。
「トシちゃん」
 昔、俺が小学生の頃に母さんから呼ばれていた名前だ。恥ずかしいからやめてくれと、中学校になったときから母さんに使わないように言ったのを覚えている。
「トシちゃん……ありがとう」
 母さんはそれだけ言うと目を閉じた。横に付いている機械が、赤い光を発しながら音を鳴らす。
 医者や、看護婦がやって来る。医者が首を横に振る。目が涙で滲み、何も見えなくなった。



 頼むよ、神様。この手紙を送ってくれ。お願いします。

 

2009/01/26(Mon)15:39:13 公開 / ケイ
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■作者からのメッセージ
初のショートで緊張してます。短いので伝えたいことを伝えるのが大変でした。
王道というか、誰かが書いていそうな小説になってしまいました(汗
下手な文章を読んでいただきありがとうございます。
連載も引き続きがんばりますので、この下手な文章にまだ付き合ってくださる方がいるなら、そちらも読んでもらえたら幸いです。

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