『いつかまで』 ... ジャンル:恋愛小説 未分類
作者:藤野                

     あらすじ・作品紹介
女の子同士の片思いです。

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 可愛そうで、哀れなのだった。繋がらないものを無理やりつなげようと必死になっている。
 混ざりえないものを縫合しようと。所詮違うもの同士なのだから、縫い合わせた糸目からいつか全部がボロボロと千切れてぐちゃぐちゃになって、もとより酷い有様になったとしたって、そんな結末が来ることを知りながらも、由紀は彼女を自分の傍に縛り付けておけるのなら何でもする。たとえその果てに自分の心臓を生きたままくりぬかれるより悲惨の未来があるとしても。由紀の意識が保たれている間にあのやわらかくて何よりも愛する温もりがあるのなら、彼女は自分の命だって惜しくはなかった。

 二人でいるときには、まるで中毒患者が麻薬を掌に握り締めているように、由紀はナツの体を抱きしめることで精神を保っている。縋りつくように両腕に囲った体は小さく儚い。まるで子供が大切にするガラス細工みたいだった。強く触れたら簡単に壊れるだろう。だけど由紀が選んだのは儚い幽霊を抱きしめるやさしい力ではなくて、宝物を頑是無く自分の胸に押し付けて仕舞い込む子供の暴虐だったのだから、ナツの呼吸すら押しつぶすような腕の力を緩めることはない。やわらかい黒い髪が頬をくすぐり、すぐ傍に見える耳たぶの裏側に唇をつけて、ナツがくすぐったいと身を捩ったって逃がさない。放課後の帰り道、自分の部屋に連れ込んで、二人きりでナツの傍にいれば、先まで蓋をして押さえつけていた彼女に触れたいと願望は簡単に心に満ちて溢れた。一人部屋の質素なベッドに手を引いて腰をつき、後ろから抱きしめて、その体をどこにも行かすまいと己の腕で縛りつける。抱きしめる。

「ゆき、」
「黙って」

 強く抱きしめた体は柔らかくて自分の中にすぐ溶け込んできそうなのに、決して呼吸のリズムを永遠に同期しない。由紀にそれは許されることではない。だから代償するように、彼女の暖かな体温を自分のそれと共有させる。腕に力を込めるとすぐ傍で鼓動を打つナツの心臓の音が聞こえた。ど、ど、ど。彼女の心臓は自分と同じようなタイミングで音を打ちながら、決して同じ音ではないのだ。なりえない。そのことに果てない絶望を覚えながら、由紀はナツの言葉を遮った。痛いほどの力に戸惑った彼女があげた声を拒絶する。氷のように鋭く、そして縋るような響きの由紀の言葉に、ナツが戸惑う気配が届いたって、由紀は多少の良心の呵責を感じる余裕すらない。彼女を抱きしめるという行為を、彼女にすら邪魔されたくない。由紀は必死だった。細い腕でナツを抱きしめて、気高い小鹿のように愛らしい瞳を苦しげに細めながら、ナツを自分の体に押し付けるのに懸命になっている。
 いとおしい体温を、どこにも零さないようにと。
 ぬくもりが等しくなればいつかは彼女が自分の一部になって、ずっと一緒に居られるように体が改変させるのではないかとさえ妄想したこともあった。自分のその愚かな願いを心の中で自嘲しながら、しかし捨てられない幻想はいつだって切ない苦しみを伴って由紀を苛む。決して実現できないと知っている。彼女がほしくたって、彼女は決して手に入らない。
 皇かなナツの黒髪からは甘いシャンプーの香りがした。どこもかしこもたおやかで甘くて、本当にこの体の中には自分と同じ生臭い臓器が納められているのかと疑うことも多かった。居心地悪そうに多少むずがる仕草すら愛しい。ナツちゃん。ナツ。こんなに愛しいのに、だけどこの体は永遠に由紀のものにはならないのだ。

(こんなに、好きなのに)

 どんなに距離を縮めても、本当は指先すら届いていない。彼女の首筋に頭をうずめる。彼女は振り向いてくれることはない。ただの遊びだと思っているから、由紀の接触など単なるじゃれあいの果てくらいにしか思っていないのだ。由紀を、見ない。合わさることのない視線は、体勢のせいでもあるのに由紀の心を引っかいた。見ても、くれない。だって私は彼女を得られないから。せめて、抱きしめられる位置に自分を置いてくれることが由紀の救いになっている。それだけが、彼女の精神を支えている。
 それでも見つめるのは背中ばかり。

(……ナツちゃん)
 振り返らない背中ばかりを、見つめている。

 いつまでも一緒に居られないことなんて知っている。どうして自分はこの体に生まれてしまったんだろうか。そして彼女は。あるいはどうして彼女に恋をしてしまったのか。決して彼女に繋がることができない体の中に、それでも彼女に繋がらなくては乾いて朽ちる心を抱いて、その矛盾のどこにも救いを見出せない。一番傍に居てほしいひとなのに、傍にはずっと居られない。

 ナツは決して由紀を、由紀の望む形で見てはくれない。

 おんなとおんな、そういう性の壁を越えて自分は彼女を好きになった。それがどんなに困難な道か知っている。しかし歩む茨の道で、あまたのとげにいつか足を切り取られるようなことになっても、由紀は構わなかった。彼女が傍に居てくれるのなら、どんな批判も侮蔑も由紀にとっては問題にならない。由紀の大事にする箱庭には、ナツという少女しか要らないのだから。彼女を唯一としてそのすべてだけを望む、貪欲でありながら無欲である由紀の最大の不幸はそこだった。だって由紀が抱く感情を、ナツは決して共有してはくれない。
 どんなに好きだと告げても、ナツは笑う。何言ってるんだと、由紀の真情を真実ともしてくれない。ナツにとっては女同士、しかも姉妹のように育ってきた由紀の間に育む情など、友に向ける愛情以外のものを知らないのだ。それ以外ないと、頭から決め付けている。暗にそれを由紀に告げる微笑を見るたびに、由紀は自分の体を呪った。
(わたしのからだが、おんなでさえなかったら)
(あなたはわたしをすきになってくれたんですか)
 由紀に優しく笑いかける彼女の表情は、決して恋の混ざったものにはなってくれない。由紀は彼女のすべてがほしいのだから、彼女と由紀の間の温度の差は大きすぎた。決して振り返ってもくれないナツの背中を見つめながら、行き場も示してくれない情海の闇の中で唇をかみ締めて立ち尽くすしか出来ない。由紀はこの恋に対して、なんとしても得たくて仕様がないこの恋情において、まったくの無為であった。哀れなほど。ああ、あるいは恋が縛り付けるだけのものであったのなら。ナツの意思など無視をして、自分の傍に繋ぎとめることが出来たのなら。それを恋だといえるだけの、それをして失うものを躊躇しないエゴイズムが自分にあったなら。しかし彼女を自分の傍に繋いでおきたいという願望を抱きながら、それでも彼女の笑顔を愛してしまった由紀には出来なかった。出来ない。彼女の笑顔を、自分に許された部分の愛情すら永遠に失うことなんて。

 彼女の背中においていかれたまま、足元はぬかるんでどこに行くことも出来ず、どこに行けばいいのかも分からず。誰か彼女を意気地なしと笑うだろうか。どこに歩むこともできない愚鈍だと。しかし本当に得たいものの前でこそ人は無為になるものだ。強い光の中で、目を開けることすら出来ないように。
 たった一つだけなのに、ほしいものが、多すぎた。手に入らないもののほうが多いのに。
(すきになって、くれるんですか)


「子供がほしいです。私とナツちゃんの子供がほしいです」
 だってそうしたら一緒にいてくれるでしょう。何かに憑かれたように、ゆらりと焦点をナツの首筋に合わせる由紀の表情は洞だ。これから母親に捨てられると知りながら、彼女の手をひかれるままに握っているかわいそうな子供のような。得たものはいつか失うしかないと知っている由紀は、麗顔にはめられた二つの瞳に絶望を乗せて、ナツを抱く。傍に居てほしいものの傍に居ながら絶望しか出来ない。これも一つの地獄だろうか。
 ぬれた唇から吐息のようにこぼしたその言葉に意味などなかった。決してなしえぬと知っているからだ。混ざりも合えぬ卵子同士を結び付けてたって、細胞が育ち行くはずもない。たとえば生と死が繋がらないように、夜と朝が重ねられないように、交じり合えぬものを無理に交じり合わせたって生まれるものなど何もない。それどころか、合わぬ歯車同士がお互いをすりつぶして最後には二つとも壊れてしまうみたく、いつかは全部だめになる。必ず、だめになる。

 しかしそれを理解したうえで、何かの証がほしかった。自分が彼女を愛したと、自分は彼女のそばに居るのだと、その、証を。

 自分とナツの遺伝子だけで交じり合った子供が居たら、由紀は何よりもその子を守って、決して何者にも傷つけさせない。大事にする。そうすればナツも自分の傍にいてくれるだろう。自分と彼女と子供の三人で形作られた閉ざされた箱庭。それはどんなに美しく、由紀の胸を熱くするのか。しかしすべて、かなわぬ妄想なのだ。ナツはそんなこと望んでいない。自分だけだ。ナツと由紀は、その意思すらも等しく出来ない。だからナツは、由紀の言葉に小さく笑って、まったくの冗談に対する調子で告げるのだ。馬鹿だなと。

「そういうのには、なれないだろ、私達は」

 何度与えられても由紀の呼吸をつぶす言葉しか、由紀にくれない。
 そうですね、と頭を黒く塗り潰す絶望を耐えながら肺の奥から無理やり掬い上げた吐息が、彼女の肌に当たって跳ね返る。こんなに近くに居るのに、放たれる呼吸すら、彼女に溶かすことが出来ない。ましてや体など。心など。
 ぎし、腕に力を込めたと同時になるベッドの音。合わぬ歯車の悲鳴に似ている。どうしてもナツを逃がすことの出来ない両の腕を呪い、哀れみながら、それでもいつか完全に失われる日まで、絶対に交じり合わないものを、必ず駄目になるものを、繋げようとしていた。

2008/12/12(Fri)01:43:49 公開 / 藤野
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■作者からのメッセージ
一時期『百合』的な作品に嵌っていたので書いてみました。
ご指南いただければ幸いです。

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