『IF 荒廃の大地』 ... ジャンル:リアル・現代 SF
作者:もけ                

     あらすじ・作品紹介
この作品の舞台は 同じ日本ではありません。あくまで別世界だと思ってください。ロボットなどの知識も、それに付属する装備なども全てリアルさを追求なんてしていません。とりあえず、テンポのよさ、読みやすさ、エンタメ重視です。軍事系の知識を持つ人からは突っ込みどころ満載の内容ですが、まあスーパーロボット大戦のようなものだと思ってくださると幸いです。

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 時は西暦二〇二〇年。
 新宿副都心に建造された一〇八階建ての高級ホテル。
 その最上階会議室で、虎宮博士はシュヴァルツドライヴプロジェクト(SDP)の起動実験プランの説明会を行っていた。
 ヘリウムVによる核融合システムの開発に成功し、自称二〇歳(実年齢は不明)にして、ノーベル物理学賞を受賞したエンジニアたちのカリスマ。
 日本が生んだ希有の才能、虎宮沙良博士。
 幼い顔立ちと一四五センチの低長身だけに、天才小学生などと揶揄されることもあるが、年齢不詳で公式の記録には一切記載されていない。
 一説には三〇代後半とも四〇代かもと囁かれている。
 とにかく年齢に関する話だけはダブーとされていた。
 また、頭にはなにやら変な生き物が乗っかっている。生物なのか機械なのかわからないが、ぬいぐるみではないことは確かだ。
 そのような奇抜な格好と容姿は、おおよそ科学者に抱くあらゆるイメージを根底から覆してくれた。
 もしも一つの型に定義するならマッドサイエンティスト。この言葉が彼女を言い表すに相応しい呼称と言えた。
 そうして、その伏目がちな双眸が開眼し、その瞳に射すくめられたならば、大抵の人間は言葉を発する前に屈服してしまうだろう。
 もちろん議論やディベートで負けたことは無い。
 その二一世紀のアインシュタインと謳われた虎宮博士が提唱した、次世代エネルギーシステム、シュヴァルツドライヴ。
 顕微鏡クラスの極小ブラックホールを作り出し、その光をも吸引するエネルギーを利用して発電を行おうというのだ。
 論理的には無尽蔵のエネルギーが半永久的に供給される。
 そのための実験用プラントは、すでに九割がた完成しており、その内の七割は実際に稼動していた。
 プロジェクトの総予算は二四兆六千億円。
 国の開発事業としては戦後最大規模であろう。
 この、国家の威信を懸けた巨大プロジェクトはいま、最大の山場を迎えようとしていた。

「まだ早すぎるのではないか?」
 起動実験に消極的な岩崎教授が異を唱える。
「何をおっしゃるかと思えば……。むしろ遅いくらいですよん。そう、あなたが担当するセクションみたいにねっ!」
 壇上に立った虎宮博士は、進捗の遅れている岩崎教授のチームを皮肉りながら反論した。
「だからこうして恥を忍んで進言しているのだ。私のチームが担当した制御プログラムは不完全で、まだテストに耐えうる仕様ではない。無謀な実験は失敗を招くだけだ」
「アハハ心配ないよー。そもそも制御する必要なんてないんだからさぁ。それに制御プログラムの仕様書とソースコードをざっと眺めてみたけど、あれじゃ駄目だよ。研究所の修士だってもう少しマシな仕様を提出できるんじゃないかな? でもね、だからといって気を落す必要はないよ。あんなものが制御できるのなら、人類はタイムマシンだって開発してるはずだからね」
「ど、どういう意味だそれは。何を考えている虎宮博士!」
 岩崎教授は席を立って怒鳴った。こめかみの血管が浮かび上がり、ヒクヒクと脈打っている。
「とにかく! 実験はタイムスケジュールに則り、計画通りに行うよー。いまは一分一秒が惜しいから、早く準備させるよう手配してねー」
 虎宮博士は脇に立っている秘書にそう命じた。秘書は無言で頷くと、連絡を行うべくその場を退席した。
「ま、待て! 私は反対する。この起動実験には異議を唱える。実験を強行するようなら、査問委員会の招集を行う」
 荒い息を吐く岩崎教授に相反して、虎宮博士は冷静だ。
 まるで、餌を求めて山から下りてきた熊を仕方なく射殺するハンターのように、憐れんだ視線を岩崎教授に送っていた。
「五月蝿いなぁ。好奇心を無くし、権威や権力を手に入れたがる技術者ほど醜悪なものはないねぇ。もういいや。ねえねえ誰かこいつをつまみだしてよ」
 岩崎教授の言葉を、あくびをかみ殺しながら聞いていた虎宮博士は、面倒臭そうに指示した。
「なっ、なにをほざくか、このケツの青い小娘が! た、たかがノーベル賞を受賞したくらいで天狗に乗りおって、貴様を学会から、いやこの世界から追放してやる!」
 虎宮の暴言に、岩崎教授は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「たかが……ね。うん。確かにたかがノーベル賞だよ。なんの価値も無いね。でもまあ研究資金を調達するくらいの役には立ったかな? それはそうと岩崎教授。周りを見てごらんよー」
 円卓になった会議室に居る科学者、政治家、投資家たちが岩崎教授に送る視線は、侮蔑以外の何者でもなかった。
 この会場の雰囲気、出席者の支持は、すでに虎宮博士が勝ち取っており、虎宮博士はプロジェクトを遅延させる病巣のように唾棄すべきものとして皆の目には映っていた。
「なっ、なんだきさまら……」
「おっほん。岩崎教授は疲れてらっしゃる。寛容なぼくは教授に休暇を差し上げることにしました! そうだなぁ、北海道にでも行ってクールダウンしてくるといいかも。それじゃー行ってらっしゃーい」
 虎宮が顎で合図すると、扉の両脇に阿吽像のように立っていた黒服のSPが、岩崎教授の両脇を抱えあげ、会議室から連れ出した。
 岩崎教授の言葉にならない恨み言が、退出したドア越しに聞こえてくるが、虎宮の関心はもう他のことに移っていた。
「さてと、それでは本題に入りましょうー」
 虎宮博士の双眸が妖しく光った。
「みなさまに、我々人類の更なる繁栄を約束する友人を紹介致しまーす」
 虎宮博士の言葉を聞いた要人たちは席を立ち、拍手でもって、虎宮の友人を歓迎した。
 これから起こる破滅のことなど、知る由もなく。




 北海道。
 かつては大自然に囲まれた未開の地。
 北海道開発庁という省庁があったくらい攻略が難しい自然の要塞であった。
 『であった』というのは、その言葉の通り。今はそうではないということである。
 北海道の自然も、人の作った建造物も、人工ブラックホール《シュヴァルツドライヴ》の暴走という人類史上最悪の事故により、全てが跡形もなく消え失せた。

 西暦二〇三〇年――。
 現在残っているのは、そこに北海道があったという事実と、国立図書館に残された膨大な資料。
 そして忌まわしい記憶のみだった。
 死者行方不明者の数、約五〇〇万人。
 それは北海道の総人口の八割を越える。
 全滅しなかっただけマシだったのかもしれないが、あくまでマシというだけ。

 そうして僅かに生き残った道民も、飢えと寒さ、舞い上がる粉塵に肺をやられ、次々とその命を失っていた。

 政府は事故を隕石の落下と国民に説明を行った。
 また、隕石には未知のウィルスが付着しており、生き残った道民は皆感染の恐れがあるため隔離する必要があるとも付け加えた。

 ある意味政府の対応は素早かった。

 政府は道民の保護活動法案を議会に提出し、強行採決した。道民の保護活動法。
 それは、保護とは名ばかりの隔離政策であった。
 保護法の施行により、道民は、自衛隊が配給する僅かな食糧と燃料で生活することを余儀なくされることとなる。
 一枚の毛布を巡って殴り合い、時には殺し合いも起こった。
 ウィルスの拡大を防ぐという偽の情報により、内地へ疎開することも許されない道民は、生きる目的を失い、完全に難民と化していた。
 政策開始当初は、同じ日本人として許せないと人権団体が騒ぎ立てたりした。
 だが、政府の狡猾な情報操作により。
 人々は北海道のこと、道民のことを、時が経つにつれ、記憶から忘れ去っていく。
 結局は、自分に関わりのないことは自然と忘れ去っていくのが人間というものだ。
 そのことを、誰も悪いとは言わない。

 しかし、事故から十年。
 忘れられた民、道民の不満は順調に膨れ上がっていた。





 何処までも続く荒れ果てた大地を、一台の特殊大型トレーラーが走っていた。
 車幅五メートル、全長二〇メートルの特殊車両は、日本の狭い一般道を走ることはできない。
 だが、そんな特別仕様も、この砂漠のような荒野を走破するにはちょうど良いのかもしれない。
 そのトレーラーを先頭に、まるで団子のように密集して、数十台のトラックと装甲車がその後に付き従っている。
 突き抜ける蒼天、圧巻とも言える白い入道雲。
 真夏の北海道はとても清々しく、都会の喧騒を忘れさせてくれる。

 だが心地良いのは空の景色だけで、地上はもう悲惨なものだ。草一本生えてない不毛の荒野が延々と続いている。
 ごくたまに草木が生えた地帯も見えるが、それは砂漠の中のオアシスのように稀な存在だった。

「一〇年前とはえらい違いだ」

 揺れる車中、大翔は草原を自転車で走っていた昔を思い出していた。
 そこにはまだ草木や川があり、姉妹も居た。だがいまは誰もいない。
 一〇年前の事故により全てを失ってしまった。
 特別学徒自衛官の制服で身を固めた若い男性。まだ少年と言っても過言ではない。
 左手でハンドルを掴み、右手には水が入ったペットボトルを片手に、だらしなく運転している。
 結城大翔(ゆうき ひろと)。
 若干17歳で士官であるニ尉という謎多き学徒自衛官。
 いつもニヤニヤと笑っているので、軽薄そうなイメージがつきまとい、泣かせた女性自衛官の数は一個師団にも及ぶという。
 そんな悪い噂が絶えない。
 それら噂は事実無根も甚だしいのだが、当の大翔は弁解すること無く、あくまで飄々としていた。その態度が更なる誤解を生む。
「結城二尉。そろそろゼロの着装準備にとりかかってください」
 融通のきかなそうな女性の声が、隣の助手席から響いた。
 技術者にありがちな化粧とは無縁のスッピンの女性。
 とはいえ彼女もまた大翔と同じ学徒自衛官のため、化粧をしなくても充分若く、魅力的であった。
 自衛官らしく短く切った黒髪に切れ長の鋭い瞳は少しキツイ印象を受ける。
 実際はどうかというと、やはりキツイ性格なので印象通りのイメージ通りで問題なかった。
「レンくんさあ。いまは夏だよね。北海道といっても、夏は結構暑いよね」
「北海道じゃありません。いまはバグネストです。何度言えば理解して頂けるのでしょうか。それよりも早くゼロを着装してください。時空歪曲率が上昇して、とっくに警戒レベルに達しているんですよ」
 レンは神経質そうに、助手席の前にずらりと並んだ計器パネルの内の一つに示される、時空歪曲率を現わすモニタを、キリっとした大きな瞳で追いかけていた。
「開発者って奴はさ、性能ばっかり追っかけてさ、中に入る人間のことなんてまるで考えてないんだよなぁ。つーかゼロの実戦データを取りたいから、おまえら北海道に行ってこいときたもんだ。人使い荒いと思わない?」
「牧野主任はちゃんと搭乗者のことも考慮して設計しています。それに、未評価の機体を量産するほど、日本の財政は裕福ではありません」
「知ってるよ。その財政赤字というかヤバイ位の借金をなんとかしようってのがこのプロジェクトなんじゃないの?」
「そうです。分かっているのなら早く着装してください」
「んー。でもあれって一種のサウナスーツなんだよ。一〇分で二キロは痩せちまうんだぜ。そうだレンくん。キミ乗ってみないか。マジで痩せるよ」
「わ、私は、太ってなんかいません!」
「冗談だよレンくん。でもなー、もう少しメリハリってものが必要だと思うんだよ。もう少し胸にボリュームがあったら完璧なのにねぇ。あ、俺はいまのままが好きだよ。ところでレンくんは彼氏とか作らないの? 意中の士官とかいないなら……さ」
「結城二尉。これが最後の警告です。これ以上ゼロの着装を遅らせた場合、東城一佐に職務放棄と報告を入れさせて頂きます。それでもよろしいのですね?」
「特務四科所属、結城大翔二等陸尉。ゼロの着装準備に入りますっ!」
 東城一佐の名を聞いた大翔は、それまでの軟派な態度を一変させ、キビキビとした動作で、ゼロのコンテナへと向かった。
 そんな大翔を、レンは半ば呆れながら見送った。


 バグネスト。
 かつて北海道と呼ばれていた土地は、現在ではそう呼称されていた。
 もっとも、バグネストと呼称するのは本土の人間か役人くらいで。道民は皆、北海道と呼び続けていた。
 核融合エンジンを実用化し、ノーベル物理学賞を受賞した天才科学者、虎宮沙良博士。
 彼女はその功績に満足する事はなく、更なる研究に没頭した。
 博士の次なる研究は、極小ブラックホールを利用したエネルギープラントの開発だった。

 シュヴァルツドライヴプロジェクト(SDP)。

 政府は国家規模のプロジェクトとして博士の研究をサポートした。
 なにせ完成すれば無限のエネルギーが得られるだけに、その開発は全世界から注目された。
 だが、全ては絵に描いた餅。
 計画は失敗に終わってしまう。
 極小とはいえ、圧縮された巨大質量の暴走は、実験施設はおろか、施設のあった北海道そのものを跡形も無く消失させるだけの威力を持って暴れ狂った。
 そうして、日本の地図より北海道は失われた。
 直径五〇キロに及ぶ巨大クレーターが、実験施設のあった旭川市を中心に広がり、その衝撃の余波は青森県まで及んだ。
 そして、悲劇はそれだけで終わらなかった。
 暴走震源地では時空の歪みが生じ、施設後を中心とした半径約二〇キロ以内には、立ち入りが禁止された。
 その半径こそが、疑似ブラックホールのシュヴァルツシルト半径《事象の地平面》に他ならなかったのである。

 実験施設と北海道は崩壊したが、ブラックホールが出現したということは、ある意味、実験は成功したとも言える。
 無論。そのようなことを政府が公表するわけはなく、ブラックホールの出現は国家機密扱いとなっていた。

 そして、学徒自衛官。
 それは被災孤児たちの救済として、政府が行なった政策の一環であった。
 事故によって被災し、身寄りを失った子供たちをバグネスト復興のため、自衛官として派遣できるよう幼少のころより特殊な教育を行い、個々の能力にあったスキルを開発してゆく。
 学徒自衛官は一五〜十八歳くらいまでの少年少女たちで構成されている。
 この部隊のほとんどが、その学徒自衛官で構成されていた。

 トレーラーに連結されたコンテナのハッチを開けると、中に溜まった熱気が大翔の頬を突風のように撫でる。
 やれやれとかぶりを振って、大翔はコンテナに一歩足を踏み入れる。
 中はサウナ室として利用可能なくらい、こんがりと熱されていた。
 大翔の口からため息が漏れる。
「レンくんさあ。ひょっとして空調壊れてんの」
 大翔はインカムを通じてレンに愚痴を吐いた。
「経費節減とゼロの耐熱試験にもなるので、コンテナ部の空調は切ってあります」
「おいおい、ゼロって精密機械だろ? そんな乱暴に扱っていいのかよ」
「ですから耐熱試験も兼ねていると言いました。何か不満でも?」
「だからって俺たちまで一緒に試験することはないんじゃないの?」
 澄ました態度のレンに文句を言っても、のれんに腕押しだと判断した大翔は、それ以上は何も言わず、ゼロの着装準備に取りかかった。
「キミたちも大変だな」
 コンテナトレーラーに付き従っていたトラックに搭乗していたゼロの作業員たちが、重たそうな器材を持って、くそ暑いコンテナの中に入ってくる。
「任務でありますから」
 体育会系のさわやかな笑顔の作業員数名に囲まれ、大翔はやれやれと肩をすくめた。
「ったく。経費節減もなにも、このトレーラーには核融合エンジンが積んでるんだからエアコンの電力くらいケチってどうするよ」
「結城二尉、核融合エンジンはゼロの運用時に使用されます。トレーラーは通常、燃料電池によって運用されているので、ロバイン三尉はケチっているわけではありませんよ」
 沢井陽菜という名前の技術下士官が生真面目に答える。階級は一等陸曹だった。
 彼女もまた大翔と同じ被災孤児で、学徒自衛官としてこのプロジェクトに参加している。
 レンとは対照的に明るく、笑顔がチャーミングな女の子だった。

 そうしてどういうわけか支給された作業服ではなく、養成学校の制服を着ていた。
「沢井……陽菜くんだっけ? 冗談だよ。冗談。俺も馬鹿じゃない。それくらい知ってるさ」
「し、失礼しました!」
「そんなに恐縮しなくていいよ。階級なんて飾りだからさ。それよりどうして制服着てるの? 目の保養になるから俺は全然オッケーなんだけど」
「あ、はい。作業服ってもの凄く汗かくんですよね。それに作業服を着ないとダメだって規則は無いので、通気性の良い制服のほうが動きやすいので」
「なるほど納得の理由だ。そんじゃま、怖いお姉さんが着装するのを首を長くして待ってるんで、手早く済ませちまおうぜ」
「了解しました」
 沢井一曹は大翔が見守る中、ゼロの収納されたハンガーコンテナの安全装置を解除してゆく。
 開かれたハッチの中には、大翔の体型に合わせたインナースーツがぶら下がっており。
 そうしてその奥には、金属の塊が静かに鎮座していた。
「結城二尉、お願いします」
 沢井一曹はそのまま奥にある金属の塊の方へ、部下を引き連れて向かった。
 大翔はそんな沢井のモチベーションというかハイテンションに気後れしながらも、着ている軍服を脱ぎ、ハンガーに吊ってあるインナースーツを取り外してダラダラと着替えた。
「ロバイン三尉、ゼロの安全装置、全て解除しました。起動用パスコードを入力し、核融合エンジンを始動してください」
 沢井一曹の嬉々とした声が、インカム越しに響く。
 インナースーツに内蔵されたスピーカーの感度は良好のようだ。
「こちらロバイン三尉。ゼロの起動パスコード入力しました。核融合エンジン始動スタンバイお願いします。
「了解しました。燃料ヘリウム注入開始します」
「タービン内圧力増加」
「加速率上昇。対消滅機関起動電圧まであと八〇、七〇……」
核融合エンジンを起動させるのにかかる時間は五分から一〇分だった。
「俺はストレッチしてくるから後よろしく」
 インナースーツを纏った大翔は、くそ暑いコンテナから飛び降りた。
「あ、はい。いってらっしゃい」
 沢井一曹の返事を待たずにコンテナから外に飛び出すと、大量の砂ぼこりが舞った。
 細かく砕けてパウダー状になった砂の粒子は、足元に絡み付き、歩く度にキュッキュッと嫌な音を立てる。

 まるで月の大地だった。

 月を舞台にした映画を撮影するならこれほど適したロケーションは他にないだろう。
 これがあの自然豊かな北海道《バグネスト》の姿なのかと思うと、大翔はやりきれない気持ちになった。
 しばらく歩いて、剥き出しのコンクリート片の上に立った。
 ここなら埃が舞う事も無い。
 大翔はそのコンクリートの上で器用にストレッチを行った。
 できるだけ筋肉をほぐしておかないと、ゼロの負荷に耐えられず肉離れを起こす。
 最悪は靭帯断裂もありうるのだ。
 事実、ゼロの実験中に故障したテストパイロットの数は枚挙に暇ない。
「しっかし、ゼロでこのザマだ。ゼロワンのパイロットなんて人間につとまるのかよ。まっ、俺のしったこっちゃないけどな」
 大翔は汗だくになるまでストレッチを続けた。
「結城二尉。ゼロの起動準備が整いました。速やかに帰投してください」
 インカム越しのロバイン三尉は、まるで怒ったような声に聞こえる。
 もう少し愛想が良ければ可愛いんだけどなあと大翔は考えながら、インナースーツのドライモードで汗を乾燥させると、コンテナに戻った。




 摩周湖のほとりで、釣り糸を垂らす少女が一人。
 竿はなく、糸だけが濁った湖面に沈んでいる。
 かつてはアイヌ民族から神聖な湖として崇められ、驚くほどの透明度を誇った聖なる湖。
 それが摩周湖だった。
 そんなアイヌ民族が自然神として親しんでいた摩周湖も、いまでは濁りきった湖でしかないのだが……。
 湖心に浮かぶカムイッシュ《神の島》や、東岸のカムイヌプリ《神の山》も、今はもうその原形を留めていない。
 唯一の救いは、砂漠化はしておらず、まだ草木が多少なりと残っているということだろう。
 少女の瞳は絶滅した蝦夷狼にも似た鋭さを持ち、真剣そのものだった。
 学徒自衛官養成学校の制服をまとっているが、どうみても生徒には見えない。
 中学から高校生くらいの年恰好。赤い燃えるような髪の毛をツインテールにした寡黙な少女。
 この釣り糸には今日の飯の種がかかっている。
 ここ二日余り水と木の根しか食べてない少女にとって、魚釣りは遊びではなく、立派な狩猟行為なのだ。
 少女の脇には、身の丈二メートル近くある初老の偉丈夫が、大地に根を生やしたかのように立っていた。
 偉丈夫はアイヌの民族衣装《アットゥシ》を纏い、顔や腕に独特の刺青を彫っていた。
 糸を垂らすこと一時間。
 その間二人は、まるで自然の一部であるかのように振舞い、事実風景に溶け込んでいた。
 微かに糸が張る。
 少女は焦ること無く、指先を器用に動かし糸に緩急を付ける。
 糸には手作りの疑似餌が付いていた。
 湖中では、それが生きた昆虫のように蠢いているのだ。
 大きなアタリが少女の指へ伝わってくる。
(――きた!)
 確かな手ごたえに、少女は思わず舌なめずりをする。
 しかし、ここからが最も大変な作業なのだ。
 頑丈なテグスならば、このまま一気に釣り上げれば良いだろう。
 だが、この糸は服の繊維を解き、幾重にも編んで作った手作りの糸。
 伸縮性はあるが、強度はいまひとつだった。
 少女は根気よく時間をかけて獲物を弱らせ、完全に体力を失ったニジマスを釣り上げた。
 それほど大きくもないが、貴重な食料に少女は飛び上がるように喜んだ。
「やったっ!」
「よくやったな美羽。美優も喜ぶだろう」
初老の偉丈夫は、少女――美羽――にそう声をかけると、ニジマスを腰に吊るした麻袋の中に入れた。
「もう一匹釣っていい?」
「駄目だ。今は数を増やさなければならない。三日に一匹だ」
 偉丈夫はそういうと、未練がありそうな美羽の腕を掴み、摩周湖を後にした。


「シャクシャインはどうして配給を貰わないの?」
 帰路の途中、美羽はシャクシャインと呼ばれる偉丈夫に尋ねた。
「国からの施しは受けない」
 ぎろり、とシャクシャインが美羽を睨む。その熊のような眼光に美羽は思わず怯んだ。
「わたしはこんな生活でも構わない。だけど美優が可哀相だよ」
 美優とは美羽の妹のことだ。
「美優を連中に引き渡したいのか?」
「そうじゃないけど。美優のために配給を貰うのは正当な権利じゃないの? 連中はここをこんなに滅茶苦茶にしたのよ。その責任は負うべきだわ」
「もちろん奴等はそれ相応の報いを受けるべきだ。だが連中からの施しは受けん。これは誇りの問題だ」
 シャクシャインはそれきり黙ってしまう。
 そうなるともう話しかけてもで返事が返ってくる見込みはないので、美羽も何も言えなかった。

 約数十分。
 平坦な荒野を歩いてゆくと、元々は旅館かホテルだったと思われる廃虚のビルがあった。

 恐らく十数階建てだったのだろうが、二階より上は吹き飛ばされており、剥き出しになった二階とかろうじて雨露をしのげる一階部分、それに地下室があった。
 ここが美羽とシャクシャイン、そうして二人の会話に出てきた美優の住居であった。

 美羽とシャクシャインが廃ビルの手前まで来ると、彼らの気配を感じたのか、ビルの中から真っ白な肌をした蒼い髪の少女が飛び出してきた。
 彼女もまた、美羽同様に制服を着ているが、学校に通っているかどうかは定かではない。
「おかえりなさい。おねえちゃん。おとうさん」
 美優は美羽に勢いよく抱きついて、美羽も嬉しそうにそれを受け止めた。

 そしてひとしきり抱きしめあった後美羽から離れると、今度はシャクシャインのにしがみつく。
 シャクシャインは美優を軽々と持ち上げると、そのまま廃ビルへと向かった。
 五歳で両親と死別し、美羽と共にシャクシャインに拾われて育った被災孤児の美優。
 三人で暮らすようになって一〇年の歳月が流れたが、まだ二人が狩りに出て家を空けると、待っている時間に不安がつのる。

 ――五歳だった当時、運良く生き残ったものの、いくら待っても両親は戻ってこない。自分の周りには沢山の人が倒れていた。みんな動かなかった。
 美優自身もショック状態に陥って、一歩も動くことなどできはしない。
 このまま死ぬのだろうと、幼いなりに美優は感じ取っていた。
 両親の生死も分からず、死体が積雪によって埋もれてゆく様を見ていると、自分の心も無気力さに満たされていく。 
 それでも良かった。生きたいという気持ちはあったが、助かるとはとても思えなかったから。
 僅か五歳の少女をそこまで悲観的にしてしまうだけの地獄がそこにはあった。
 そんな、泣く気力すら失い、壊れた人形のように横たわっていた美優を抱き上げたのは、太い腕の偉丈夫、シャクシャインだった。

 彼女の小さな命は、シャクシャインの大きな腕の中に収まることで九死に一生を得た。


 そんな美優の抱擁には、無事に帰って来た二人への感謝と安堵の意味が込められていた。
「今日はニジマスを釣ってきた」
「やったー。じゃあ腕によりをかけて料理するね」
 美優はシャクシャインに頼んで地面に降ろしてもらうと、彼の腰に付いた麻袋を解いてビルの中へ急いで戻っていった。
「早く早く」
 廃ビルの入り口で、美優が手招きをする。
「さあワシらも帰ろう」
 シャクシャインが美羽の肩に手を添える。
 その大きな掌は、美羽にも絶対の安心感を与えてくれた。


 一時間後、三日ぶりのたんぱく質をゆっくりと味わって食べると、美羽は疲れたのかそのまま眠ってしまった。
「もーおねえちゃん起きてよー、こんなところで寝ちゃいけないんだよー。行儀が悪いっておとうさんに怒られるよー」
 美優が美羽を起こそうと揺さぶるが、美羽は気持ち良さそうに眠るだけだ。
「そのまま寝かせてやれ。寝床へはワシが連れて行く」
 シャクシャインは、眠った美羽を軽々と抱かかえる。
「あーずるい。あたしも連れってってよー」
 美優はそういうと、余ったもう一方の腕にぶら下がった。
「今夜は少し暑くなりそうだ。暑いからといって裸で寝るんじゃないぞ」
「はーい」
 と、シャクシャインの腕の中で美優は答えるが、朝になって目が覚めると、決まって服を脱ぎ散らかしてしまっており、美羽とシャクシャインを閉口させている。
「本当だな?」
「た、たぶん。というか、がんばる」
「よし」
 シャクシャインは二人を両腕に抱え、地下に作った寝床へと向かった。
 今はいい。夏の間は生活にも余裕があった。
 たとえブラックホールによって大地を飲み込まれたとは言え、季節は必ず巡ってくる。
 長い冬をどう乗り越えるか。
 それはシャクシャインにとって頭痛のタネであり、課題であった。
 この極限の北海道《バグネスト》で、配給にも頼らず、ひたむきに暮らす美羽たち。
 彼らはこの地、北海道《バグネスト》が、権力者たちの利権のために、再び利用されようとしていることを、まだ知らない。

2008/10/12(Sun)23:05:52 公開 / もけ
■この作品の著作権はもけさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして
これはフリーゲームに使うはずだったシナリオを少し直して投稿したものです。
元がシナリオのため、行数制限などの問題から文章がぶつ切りになりがちです、出来る限りなおしていきたいとは思いますが、指摘があればどんどんお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。