『青き春に 第一章、二章』 ... ジャンル:リアル・現代 SF
作者:kou轍                

     あらすじ・作品紹介
普通の高校生、榊広夢(さかき ひろむ)は、高校生活で自分を変えることを決意する。自分を変えることは、そんな簡単なことではない。ただ、決意したその日から、広夢の日常は変わっていく!「マジで自分を変えようと思ったら、間違いなく変えられるだろう」日常でありつつ、非日常な長編ストーリー!

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第一章 始まりの三日間

 俺は人と話すのが得意ではなかった。だから、高校でそんな自分を変えてみたいと思った。
 俺は、榊広夢(さかき ひろむ)。三月にあった高校入試で、家の近くにある進学校「西高」になんとか受かった平凡なる高校一年生だ。とりあえず、自己紹介はこれでいいか。
 さっきも言ったが、俺は人とはあんまり話せない。他人が嫌いなわけではないんだが、なんか他人と話すのが好きになれないんだ。
 でも、俺は決心した。
 高校生活で、そんな自分を変えてみせると。
 眼鏡から、コンタクトに替えたのと同時にな。


 四月下旬、一年生が入る部活を決めていた頃だった。
「で、どうすんだ、ヒロ?」
 ありきたりなあだ名で俺を呼んだのは、親友の松岡厚志(まつおか あつし)だった。こいつとは中学のときからのつき合いで、部活と勉強を共にやってきた仲間である。
「どこの部に入るんだよ?」
 厚志は弁当のハンバーグをまるごと口に運んでから、俺に訊いた。
 俺はまだ、どこの部活に入るのかは決めていなかった。
「部活見学、明日で終わりだぜ?」
 ゲップをしてから厚志が言った。
「聞いてんのか、ヒロ?」
 さっきから疑問符を続けている厚志に、俺はこう言った。
「俺は部活に入らない」
 玉子焼きを食おうとしていた厚志は、玉子焼きを弁当箱に戻して、
「ええ?」と言った。
「よく聞いてくれ」俺は真剣な顔で言っていた。
 周りは騒がしかったが、俺と厚志だけの空間は一気に冷めきった。
 そして、俺は厚志にこう唐突に言ってやった。
「俺は部活を創る」
 一瞬、厚志が硬直した。けれど、五秒ほど経ってから、
「どんな部活を創るんだよ?」
 と意外にも素早く返してきた。
「人助けをする部活だ」
 俺はまた唐突に言った。
「人助けぇ? 誰がそんなめんどくせーことするんだよ?」
「俺と厚志で」
 厚志はキョトンとした顔で、弁当を食い尽くした。
「俺とヒロでか?」
 俺はかなり真剣な目で「ああ」と言っていた気がする。
「俺、人助けは好きじゃねえけどなぁ……」
 人助けが大好きなやつ=ドMなやつと、俺は思うがな。
「まあ、いいか。他に楽しそうな部活はなさそうだし」
 厚志は俺の宣言をあっさりと受けたみたいだ。
「でもさあ、ヒロ」
 うん? と俺は適当に答えた。
「部室はどうするんだ?」
 普通を取り戻していた俺と厚志の空間が、またしても冷えた。
 やべ、考えてなかった。
「まさか、考えてないわけないよな?」
 そのまさかだよ、厚志。
「何ぃ?」
 げっ、怒っちまったか? こいつの考えは未だに分かんないときが多いんだよな。
「じゃあ、一緒に部室探そうぜ!」
「おっ、おう」
 ふっ、よかった。でも、いつ探すんだ?
「今日の放課後な」
 そう言って、厚志は一年五組の教室に帰っていった。

 俺のクラスの一年三組の、二時間続きの数学はつまらなかった。本当なら、一時間で済んだのだが、最後の時間の現代社会の先生の都合で、二時間続きになってしまったらしい。
 まあ、ちゃんとノートはとっていたけどな。ただ、一分おきにアクビをしていた気がする。
 今日は運良く、掃除当番には当たっていなかったぜ。
 そんで、俺は今、厚志との待ち合わせの場所である中庭の池の前で待っている。
「厚志、遅いなー……」
 厚志は、掃除当番に当たったから遅れる(ゴメンナサイの絵文字付き)、とメールを俺によこした。しかし、その割にはやけに遅いな。掃除は十分前くらいに終わったと思うんだが…
 俺がため息をついてから、二分後くらいに厚志が来た。
「悪ぃ。遅れちまって」
 厚志が中身の入ってない軽そうな鞄を、肩にかけ直して言った。
「何してたんだ?」と、俺は厚志に訊く。
「トイレ行ってた」厚志が答えた。
 やっぱりか。
「ほんじゃ、行こうぜ」
 何事もなかったかのように、厚志が言った。

 俺と厚志は、周りの先輩達の熱心な部活の勧誘を回避しながら、部室棟をウロウロしていた。
「どこか空いてねえかな……」
 部室棟は文芸部、コンピュータ部、軽音楽部……と、どこもかしこもありきたりな部で埋まっていた。
「ここは、アニメ部か……」
 俺よりも、厚志のが張りきっているのはなぜだろうか。
「うーん、ないなぁ……」
 西高は進学校だが、部活はけっこう充実しているからな。たぶん、この部室棟はれっきとした部活で埋めつくされてるのだろう。
 俺がそう思いながら歩いていると、
「おい、あったぞ!」
 厚志が、ついに財宝を見つけだした船長のように言った。
 厚志が見つけたものは、部室棟の一番端にある空き部室だった。
「ここを部室にしようぜ!」
「ちょっと待った、鍵がかかってるぞ」
「職員室から借りてきてくれよ」
 はあ? なんで俺が鍵取りに行かなきゃいけねえんだよ。
「早く」
 仕方ねえなぁ…
 というわけで、俺は部室棟から別館の職員室へ移動した。鍵は、「勉強のために部屋を使いたいんです」と言って、まんまと手に入れた。
 そして、別館から部室棟へと走って移動した。
「はあ……」
 俺は厚志の「お疲れさん」という雑音を無視して、取ってきた鍵で部屋のドアを開けた。
 そこには、しばらく使ってなさそうなボロボロの長テーブルと、これまたボロいパイプ椅子が四脚置いてあった。部屋の広さも、部室として充分あった。
ところが、部屋の隅には俺たちにとって絶対必要のないものまであった!
「げっ!」
 厚志が目の色を変えると、それがこっちに向かってきた。名前は言わなくてもお分かりだろう。
「くっ、来るなぁ!」
 その黒いのが大の苦手な厚志は、一目散に部屋から逃げだした。
「やれやれ……」
 近頃の若者は虫嫌いなやつが多いのだろうか、こんな状況下でまともに行動できるのは俺ぐらいで、クラスの男子でも大半は逃げだすだろう。
 だからって、俺はゴキブリ好きじゃないぞ。
「めんどくさいなぁ……」
 俺はこの状況からさっさと退散したいので、廊下の掃除用具入れから箒を取り出し、そいつで黒の高速魔弾をぶっ叩いた。
 魔弾はあっけなく絶命した。
「ふう」
 俺は魔弾の死骸をちりとりに入れ、ダストシューターに放りこんだ。
 その魔弾は、一つ見ると次は三十現れるというから、早いとこドラッグストアでゴキブリ駆除用の装置を買っておくとしよう。
 俺が魔弾を片付けて床を掃いていると、厚志が戻ってきて、
「あっ、あいつはどうなった?」
 雨に濡れたチワワのようにブルブル震えながら言った。
「捨ててやったぜ」
 俺は少し勝ち誇った顔で言ってやった。
「へっ、俺を見て怖くて逃げたんだな、あいつは。ハハハ」
 黙れ。お前は何もしてないだろ。
「まっ、ありがとさん」
 はあ〜…
「そんじゃ、次はいよいよ部名決めだ!」
 厚志が変に喜んでいる間に、俺はペンとルーズリーフを鞄から取り出した。
「でもさあ、ヒロ」
「ああ?」
「なんで、人助けの部活なんか創るんだ?」
 厚志がボロいパイプ椅子に座って言った。
 俺がこの部を創ろうと思った理由、それは……
「人と関わりたいからだ」
 これが第一の理由だ。
「人と関わるのは他の部活でもできるんじゃね? なのに、なんでわざわざ部活を創るんだ?」
 厚志が珍しく俺に問い詰めてきた。そこで、俺はこう言った。
「俺は、普通とは違うことをやってみたいんだ」
 これが第二の理由。または真の理由だ。
「ふーん」
 厚志は返す言葉がないみたいだ。さらに、俺はこう言ってやった。
「この部を立ち上げれば、可愛いコが相談に来るかもしれないぞ」
 すると、厚志の表情が一変して、
「おおっ、そうか!」
 と、嬉しそうな顔で大声をあげた。
「うるせえよ」と俺は言ったが、厚志の耳には届かなかったようで、
「早く部名決めようぜ!」と言いだした。
 部名か……
 俺は顎に手をもってきて考える。―部名で部活の良し悪しが決まるようなもんだからな。下手につけると後々面倒かもしれんし。
 俺がそんなことを想像してると、厚志が一息に言った。
「ヘルプクラブ」
 なんだその名前は。なんか、こっちが助けを求めてるみたいじゃねえか。
「却下」
「ダメか?」
 ダメに決まってんだろ。そんなんじゃ、活動志願の書類を出しても生徒会の門前払いを食らうだけだ。
「他にか……」
 厚志は再び黙りの世界に戻った。
 俺も黙りの世界に入るが、なかなか良い部名が思いつかない。
『お助けクラブ』うーん、普通すぎる。
『Being For Students』……難すぎるな。
 うーん、思いつかん。
 十分ほど無音の空間が続いた。ここで例の魔弾がまた現れたら面白いのにな。俺がそう思っていたときだった。
「これだ!」
 厚志の声が静かな空間をぶち壊した。そして、こう言った。
「身心向上部!」
 身心向上……部?
「適当すぎねえか」
 十分以上考えたのにこれかよ。まあ、さっきの『ヘルプクラブ』よりマシだけど。
「まあ、いいじゃん。名前なんてまた後で変えればいいんだし。それに、まだ顧問すらいねえし」
 まあ、そうだな。
「んじゃ、そろそろ終わるか」
 気づけば、時計は既に夕方六時を回っていた。

 その夜、俺は少し変わった夢を見た。
 俺は誰かと二人で暗い裏通りを歩いていた。
「この…に…です」
 その人は、俺に何か言っていた。
 しばらく進むと、ガラの悪そうな人たちが集まっていた。
「……じゃねえか」
 連中の一人が、俺に何か申しつけてきた。
 …………
 ………
 ……
 …
 残念ながら、この夢の続きは覚えていない。


 翌日、俺は遅刻せず学校に着き、一・二時間目の授業を終えた。そして、休み時間にこんなメールが厚志から送られてきた。

 気の弱そうな先生連れて部活に来い
      ---END---

 ふざけんなよ。一体どうやれっていうんだよ。
 俺はメールを無視し、三時間目の授業を受けた。

 昼休みを厚志との雑談で過ごし、五時間目の授業も頑張ってこなし、休み時間俺は廊下をブラブラほっつき歩いていた。
 暇だな、と俺が頭にそう思い浮かべながら歩いていると、こんな光景が俺の目に映し出された。
「先生、オレの小テスト満点なのに、なんで満点じゃないんだよ!」
「あっ、ああ、それはだね……」
 いかにも口うるさそうな男子生徒と、見るからに貧弱そうな物理の男の先生が、口論を繰り広げていた。
「そっ、それは字がちょっと、読めなくてね……」
「読めない? オレの友達、みんなオレの字読めるんだけど?」
 やれやれ、可哀想な先生だな。少しくらい抵抗してもいいのに。
「わっ、わかったよ。まっ、満点だね……」
 口論に負けた先生は、男子生徒の小テストに赤丸をふった。
「ありがとよ」
 男子生徒は、笑いながら教室に入っていった。
「はあ……」
 先生はため息をつき、よろよろと元気なさそうに歩き出した。
 その時、俺の頭にさっきのメールがよぎってきた。いや、待て。落ち着け、俺。いくらなんでも、先生を脅すのは良くないだろう。考えるんだ、俺。あんなメールに惑わされるな。
 けれど、俺はあのザコメールに勝てなかった。俺は、よろめきながら歩く先生に近づいた。そして、こう言った。
「先生、ちょっといい取引しませんか?」
「えっ、ええ?」
 先生は冷や汗を垂らしながら、怯えた目で俺を見る。俺は財布から千円札を取り出した。
「こんだけやるからさ。ちょっと俺につきあってくれないか?」
 バカ、何を言ってるんだ俺は。千円くらい、中学生でも持ってる金だぞ。そんなんで、先生が引っかかるはずないだろ。
 しかし、事態は面白く展開した。
「つ、つきあうって、何をすればいいんだい?」
 この先生、千円で引っかかりやがった。
「そっ、そうだな。じゃあ放課後、俺についてきてくれないか?」
 なんか、俺もどもっちまってる。
「ほっ、放課後、何をすればいいんだい?」
「何でもいいだろ。別に、危ないことはしないからさ。なっ、いいだろ」
「わっ、わかったよ。じゃあ、放課後ね……」
「ああ、放課後な。中庭の池の前で」
「うっ、うん……」
 とりあえず、交渉は成立した……みたいだ。って、おいおいおい……
 俺、先生を従わしちゃったよ。いいんかな、これで。
「やべっ、あと二分だ」
 俺は残り一時間の授業を受けに、三組の教室へ走った。

 放課後。
「マジかよ」
 俺の目に飛び込んできた光景、それは……
 中庭の池の前で待つ、さっきの物理の先生の姿だった。まさか、本当に来るとは思ってなかった。
 先生は、オドオドした表情で俺を待っていたので、俺は先生のもとへ走った。
「よお!」
「ああ、さっきの…」
 先生は、俺がさっき渡した千円札を持っていた。
「これ、返すよ……」先生が俺に千円札を返した。
「えっ、いらないの?」
「いや……他人のお金を頂くことはちょっと、出来なくてね……」
 ああ、そうっすか。ほんじゃ、もらっときます。元々、俺のだけど。
「それで、僕は何をすればいいんだい?」
 先生はなぜか緊張しながら、俺に訊いた。
「部室棟まで来てくれ」
 もはや、俺が先生に命令しているぞ。いいんかな、これで。
 俺は先生を例の部屋に案内した。

「おお、ヒロ」
 部屋の前では、既に厚志が待機していた。
「連れて来たぜ」
 俺は先生の左側に立った。先生は「どうも」と不安そうに言った。
「へえ、面白そうな先生じゃん」
 厚志が先生に顔を接近させて言った。先生は、さらに不安そうな顔で一歩下がった。
「なっ、何なんだ……」
「まっ、とりあえず、部屋に入ろうぜ」
 俺は鍵を開けて部屋に入った。ふう、どうやら昨日の黒いのはいないようだ。
「座ってくれよ。先生」
 先生は椅子にゆっくりと腰掛けた。まだ不安げな顔をしている。
「まず、自己紹介からだな。俺は、榊広夢。んで、こいつが松岡厚志」
 厚志が、先生に「よろしく!」といつもの大声で言った。
「ぼっ、僕は、萌指山公一(もやしやま こういち)。どうぞ、よろしく……」
 名字がいかにも貧弱そうだな。って、そんなことはどうでもいいか。
 自己紹介が終わったところで、俺は話を本題へと持っていく。
「それで、先生にちょっと頼みがあるんだ」
 萌指山先生はビクビクしながら、「はっ、はい」と答えた。
 俺は用件を全て話した。
「ええっ、僕が君たちの部活の顧問に?」
「おう」
 俺がこの先生に狙いをつけたのは、このためだった。西高の部活は、顧問がいないと同好会としても認められない。だから、俺は、この先生なら顧問を引き受けてくれると思い、ここまで連れてきたのだ。
「こっ、顧問って、何をすればいいんだい?」
「うーん、まあこの部屋の火元責任者と、鍵の管理だけでいいっすよ」
 俺は適当に言った。まあ、本当にこんだけ引き受けてくれるだけでいいんだけど。
「わかったよ。僕が顧問を引き受けるよ……よろしくね」
 なんと、萌指山先生は簡単に顧問を引き受けてくれた。あと、疑問符以外の台詞を初めて三点リーダで終わらせなかった。
「それと、君たち……」先生がまた三点リーダをつけて言った。
「何すか、先生?」厚志が訊く。
「この部屋、もうちょっと掃除したほうがいいんじゃないかな……」
 ほこりっぽい床を見て、先生が言った。
「そうだな」
 俺も先生の意見に同意した。
 というわけで、俺たちは部屋の掃除を開始した。途中、あの黒いものが出たりとハプニングもあったが、二時間ほどかけて部屋の掃除が完了した。
 この日の放課後の活動は、顧問の獲得と部屋の掃除で終わった。


 俺が部活を創ると言ってから、三日目の朝。
「これどうだ!」
 朝っぱらから元気に三組の教室にやって来たのは、厚志だった。
 厚志の手にあったものは、一枚の画用紙だった。さらに、厚志はポスター用のマジックペンまで持参していた。
「これで、俺たちの部活の宣伝ポスター作らねえか?」
 厚志が、目を輝かせながら言った。
「勝手に貼っていいのか?」
 俺は、厚志の目の輝きを無視して言った。確か、ポスターに関しては、『生徒会の許可が必要』と校則にあったぞ。
「いいじゃん、別に。生徒会もそんなこと気にしないだろ」
 いや、気にするからそうやって校則に入れてるんだろ?
「とにかく、早くポスター作ろうぜ」
 厚志がしつこいので、俺もポスター作りに加わった。対したポスターじゃないから、作るのには十分とかからなかった。
「よしっ、できたっ!」
 厚志が完了の声を上げると、朝の予鈴のチャイムが鳴った。チャイムを聞いて、厚志は五組に戻っていった。
 朝のホームルームが終わると、厚志からまたメールがきた。

 あとでポスター貼っとこうぜ☆
     ---END---

 …貼っておくか。

 昼休み、俺と厚志は、生徒会が目を向けなさそうなところにポスターを貼った。
 ポスターの内容はこんな感じだ。

『今年の四月からオープンした同好会、身心向上部! 若き青年である皆さんのお悩みに答えていきます。平日の放課後はいつもやっています。是非、お気軽にお越しください』

 ……一部おかしな箇所があるような気もするが、まあいいか。とりあえず、生徒会に処分されないよう祈っておこう。
 放課後、俺と厚志は部室に入った。萌指山先生は、今日は出張でいないそうだ。
「誰も来ねーな」厚志がだるそうに言った。
「あんなポスターだから、誰も来てくれないんだろ?」
 俺は少し強がって言ってみせたが、実はちょっと寂しかった。
 しばらくすると、
「トイレ行ってくる」
 そう言って、厚志が部屋から出ていった。
 俺は暇をつぶそうと、持参してきたトランプを取り出した。そして、一人でトランプタワーを黙々と作っていった。
 けど、飽きて五分ほどでやめてしまった。
 はあ〜……と、俺がため息をついていたときだった。
「すみません」
 ドアを開けて、一人の女子生徒が部室に入ってきた。その女子生徒は、同じクラスの桜井沙弥(さくらい さや)だった。
「えっと、同じクラスの桜井さんだっけ?」
 俺が訊くと、「はい」と桜井さんは優しく答えた。
「榊広夢くんですよね?」
 桜井さんは、俺の名前をちゃんと覚えていた。三組では、入学式後のホームルームで皆それぞれの自己紹介をしたが、俺はクラスの女子の名前なんてほとんど覚えてなかった。
 それなのに、桜井さんは俺の名前をちゃんと覚えていた。俺って、なんかダメだな。
「あの、裏の階段のところにあるポスターを見て来たんですけど、えっと…頼みごとを聞いてもらえませんか?」
 なんと、桜井さんは身心向上部の最初のお客様だった。しかも、あんなところに貼ったポスターを見て来てくれるとは。
 世の中、奇跡というものはけっこう身近にあるものなんだな。
「頼みごととは、どんなことですか?」
 俺は少し嬉しそうに訊く。
「帰り道、一緒に来てもらえませんか?」
 桜井さんは、少し恥ずかしそうに言った。
「帰り道、ですか?」
 なぜか、俺も少し動揺しながら言った。
「はい。私の帰る道は、西高の東門を抜けた方向にあるのですが、」
 桜井さんは、不安げな表情をして話しだした。
「いつも通る表通りが工事中で、私は裏通りを通らなければならないんです。でも、昨日裏通りを通ったら、不良の人たちに絡まれそうになったんです」
 俺は桜井さんの話を聞いて、少々背中がぞくっとした。
「私、怖くて大声を出して逃げたんです。幸い、昨日は大丈夫だったんですけど、今日また同じ道を通るのが怖くて……」
 桜井さんは、悲しい顔をしていた。そんな桜井さんを見て、俺はつい言ってしまった。
「わかりました。協力しましょう!」
 俺、何言ってんだろ。
「ありがとうございます」
 桜井さんはそう言って微笑んだ。この微笑みを見て、俺はなんだか嬉しい気持ちになった。
「ふーっ、スッキリしたー」
 KYな厚志が、トイレから戻ってきた。
「おや、この人は誰だ? まさか、ヒロ……」
「お客さんだ」
 厚志が誤解を招く発言をする前に、俺は言った。
「一年三組の桜井沙弥です」桜井さんが厚志に挨拶した。
「三組? ってことは、ヒロと同じクラスじゃん」
 厚志は驚いた声を出すと、俺にこう耳打ちしてきた。
「お前、こんな可愛い娘と同じクラスなのか? なんで言わなかったんだよ」
「何言ってんだよ。俺だって、桜井さんと話すのは今日が初めてだ」
 俺は桜井さんに聞こえない音量で、厚志に言った。
「榊くん、その人は?」
「ああ、えっと、まつぼっくりっていうんです」俺は桜井さんに言った。
「誰がまつぼっくりじゃ!」厚志が怒鳴った。
「俺は松岡厚志。一年五組の英雄さ」
 何かっこつけてんだ。
「ま、こんなやつはほっといて、どうします桜井さん?」
「せっかく来たんだし、トランプでもしようぜ。桜井さん」
 おい、厚志。なに横から割り込みしてんだ。
「そうですね。今日は部活休みですし、やりたいです。トランプ」
 というわけで、俺と厚志と桜井さんの三人でトランプをすることになった。俺は大富豪のゲームをしようと思ったが、桜井さんの要望でババ抜きになった。
 七回ババ抜きをやって一抜けだった結果は、俺が四回で桜井さんは三回、厚志はゼロだった。
 そして、午前七時。部活終了のチャイムが鳴った。

 帰り道、俺は上手いこと厚志を騙して、桜井さんと一緒に帰ることにした。
 東門。ここから先が問題のルートだ。
 ルートを詳しく説明すると、この東門を抜けてしばらく歩き、西高の最寄のバス停を越えたところに問題の裏通りがあるそうだ。俺は、反対の西門の方角に住んでるから、このミッションに俺は少し不安を抱いていた。
 でも、桜井さんの(一人目のお客さん)の依頼だから、しっかりとやり遂げねば。
 裏通りに着くまでの間、俺は桜井さんと雑談を繰り広げた。「血液型は何型?」とか、「好きなテレビ番組は?」とかそんな感じの話ばかりだった。
 そうこうしているうちに、俺と桜井さんはバス停を越え、裏通りの入り口へと向かっていた。
 そして、問題の裏通りに俺たちはやって来た。
「ここからか……」
 裏通りは閑散としていて、壁には大きな落書きがあったり、ゴミ箱の中身があふれ出ていたりと、かなり荒れていた。
 確かに、桜井さんの言うとおり危なそうな道だ。
「ここを真っ直ぐ行くんですよね?」
「はい……」
 裏通りには、俺と桜井さんの声と靴音しか聞こえてこない。二人一緒に、靴音を鳴らして歩くのはロマンチックかもしれないが、なんせここは裏通りだ。そういうのも、全て不安の源に変わってしまう。
 互いに不安を抱きながら歩いていると、
「オイ」
 背後から、目つきの恐い、いかにも不良そうな男が、俺に話しかけてきた。
「なんすか?」
 俺は、あえて何事もないように答えた。
「イイ娘連れてんじゃねえか」
 男がそう言うと、周りから男の仲間が湧いてきたかのように出てきた。
 マジかよ。俺、どうすりゃいいんだ?
「なあ、姉ちゃん。オレたちと一緒に遊ばねえか?」
 不良グループのリーダーらしき男が、桜井さんに近づいて言った。
「あ、あの……」
「なあ、いいだろ? 金ならいくらでも出すぜ」
 そいつが、桜井さんにしつこく問い詰める。桜井さんは、必死で避けようとする。
 くそー、こうなったら……
 この状況をなんとかしようと、俺はとっさにこう言った。
「……やめろよ」
 不良グループ全員の目が、皆こっちを向いた。
「はあ?」
 男が、俺の胸座をつかむ。
「てめえ、今なんて言った?」
「……やめろ」
 胸座をつかむ力は、どんどん強くなる。
「てめえ、このオレに向かってそんな口訊いていいと思ってんのか!」
 ボコッ‼
 俺は、そいつに殴られた。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
 俺の口からは、血が流れ出していた。
「ヘッ、ザコは終わったな」
 男は俺に唾を吐くと、桜井さんの腕を掴んだ。
「じゃ、遊ぼうぜ。オレたちと」
 そいつの目は、どう見てもヤバイことを考えてる目だった。
 桜井さんは、「やめて下さい!」と必死で抵抗している。
「やっ、やめろ……」
 俺は、そいつの脚を掴んで言った。
「コッ、コイツ。気味悪い……」
 そいつは蹴りで俺を放そうとする。他のやつらも、次々と俺に足蹴を喰らわしてくる。
「榊くん!」桜井さんが叫ぶ。
 畜生。なんとしても、桜井さんを守らないと!
「やめろ‼」
 俺は大声で叫んだ。
 周りの空気は一瞬にして冷えた。
 すると、
「うっ……!」
 男が、突然気を失った。
「えっ?」
「リ、リーダーが?」
 さっきまで、俺に足蹴を喰らわしていたやつらが、俺を見るなり急に、
「クッ、クソー!」
 捨て台詞を残して、どこかに退散してしまった。
「はあっ、はあっ……」
 俺は、突然の出来事に何も言えなかった。
「榊くん……?」
 不思議そうな目で、桜井さんが俺を見ていた。



第二章  「言葉」と「力」

 マジかよ。あれ、本当に現実だったのか?
 俺はベッドで横になりながら、桜井さんとの帰り道の件を思い出していた。
 なんで、あのとき俺は……
 俺は深刻そうな表情で考え込んでいた。「やめろ‼」と叫んだら、いきなり不良グループのリーダーが気絶したんだからな。
 結局、そいつらは退散して、俺と桜井さんを襲ってくることはなかった。
 その後、俺は桜井さんと別れて、複雑な気持ちで帰宅した。
 それにしても、何だったんだあれは……
 俺はまた複雑な気持ちを抱きながら、眠りについた。


 次の日。俺は誰よりも先に桜井さんに話しかけられた。
「榊くん、昨日はありがとうございます。本当に助かりました」
「あっ、ああ、どういたしまして」
 なぜか、俺は桜井さんのお礼を聞いて、恥ずかしい気持ちになってしまった。見たところ、あの謎の出来事については何も思ってないみたいだった。
「表通りの工事も終わったみたいだし、これからはもう大丈夫です」
「それはよかった。イテテテ……」
 昨日、やつらにやられた傷が痛み出した。
「傷、大丈夫ですか? 保健室に行ったほうが……」
「いっ、いや、大丈夫」
 桜井さんの気遣いには、今までにないような嬉しさを感じたが、さすがに保健室に行くと、この傷の理由を聞かれそうだから……ごめん、桜井さん。
「そう……」
 桜井さんが心配そうな目で、俺を見ていた。
 そっ、そんな目で見られても……
「おはよー! ヒロ!」
 俺の傷を悪化させそうな声で挨拶してきたのは、厚志だ。
「おはよ」俺は少し面倒な声で言ってやった。
「おお、桜井さんじゃないですか! おはようございます!」
「おはようございます」
 まったく、朝からやかましいなぁ厚志は。ま、挨拶するのはいいことだけどさ。
「ヒロ、昨日桜井さんと帰ってただろ?」
 げっ、なんで知ってんだ?
「そうだろ?」
 ちっ、上手く騙せたかと思ったのに。
「何してたんだ? 二人で」
 来た来た。絶対こうやって訊いてくるやついるよな。
「雑談して帰った」
 俺は一応、本当のことを言った。
「ふ〜ん」
 厚志は不機嫌そうな顔で俺を睨んだ。人にものを訊いといてそれかよ。
 なんだ、そんなに桜井さんと帰りたかったのか?
「まあ、よくわからんけど、じゃあな」
 残念そうな表情で、厚志はその場を後にした。
「あの、榊くん」
「なんだ?」
「本当に、傷、大丈夫?」
「大丈夫」
 平気だということを、俺は笑顔でアピールしてみせた。

 こんなのんびりしたスピードで今日も始まったが、やがてそのスピードは速さを増していった。
 保健体育の時間。

 俺は傷を残しながらも、授業に参加した。
 ただでさえ運動オンチなのに、授業に参加しないのはマズイからな。
「よし、二班と三班のみんなでハードルを運んでくれ」
 体育教師の茶川(さがわ)が、二班と三班に指令を下した。俺は三班だった。
「よいしょ」
 少し錆びたハードルを俺は運ぶ。そのときだ。
「イテッ」
 指先になにやら軽い痛みが走った。よく見ると、ハードルの金具の尖った部分で指を切っていた。
 しかし、俺はそんなの気にせずにハードルを指定された場所へ運んだ。
「よーし、みんな肩慣らしで一回跳んでみろ」
 五十メートルのトラックに並べられたハードル群を見て、茶川が言った。
 肩慣らしといっても、俺にとっては疲れるんだよな。まあ、とりあえずやるか。
 茶川が「肩慣らし」って言ったから、みんなゆっくり走るよな。
「じゃ、いくぞ」
 茶川の一声のあとにホイッスルが鳴ってスタートした。俺は六コース目だからまだだな。
 みんな足取り軽くハードルを跳んでいく。余裕だなぁ。……なんて思ってるうちに六コース目の番がやって来た。
 ピーッ! 高いホイッスルの音が鳴った。
 どうせ、みんな俺より速いんだろうな。俺はそう思った。が、
 一、二、三、四、五。ゴール。
 あっという間に走りきってしまった。
「え、マジ?」
「あの榊ってやつ、走んの速っ!」
 ギャラリーのやつらから、こんな声が聞こえた。ウソだろ?
「榊」
 もうなんだよ、茶川まで。
「お前すごいなぁ。ハードル五十メートル、五秒だぞ!」
 どうやら、俺は本当に韋駄天のような速さで走っていたらしい。
 ……信じられん。
「ところで、その指の怪我は?」
 茶川は、俺の指の傷を見て言った。
「あ、ちょっとした切り傷です。なんともありません」
「そうか」
 茶川はそのままスターターを続けた。
 何があったんだろ?
 俺の指先から、血が一滴落ちた。
 それから後も、俺の韋駄天的現象は続いた。そして、この時間の間に俺は「三組の韋駄天」というあだ名をつけられてしまった。

 保健体育の後。
 ハードルで負った傷は、水で洗ったらすぐに消えた。昨日の傷のほうはというとまだ痛むのだが、その痛みを抑えてくれるかのように、
「榊くん」
 桜井さんがやって来た。
「ハードル、五十メートルを五秒で走ったって本当ですか?」
 相変わらず、桜井さんは微笑んでいる。その笑顔を俺にも分けてくれ。
「ああ、なんかそうなってるみたいだ」
 やはり、さっきの出来事を俺は受け入れられなかった。
「どうやったら、そんなに速く走れるんですか?」
「さあな」
 そんなこと俺だって理解できない。第一、俺は運動オンチなのに、―しかも、昨日の傷がまだ残ってるのに―身体がちゃんと堪えてるのが不思議だ。
 それと、
「桜井さん」
「はい」
「もう、敬語で話さなくてもいいんじゃないのか? もう会ってから一日経ってるし、それに同じクラスなんだしさ」
「えっ?」
 桜井さんは、キョトンとした顔で俺を見た。
 いや、「えっ?」って言われても……
「あー、やっぱりさ、敬語で話されるとなんか、遠くから話しかけられてる感じがするんだよな。だからさ、お互いタメでやってこうぜ」
 なぜか、キョドリながら話す俺である。
 桜井さんは少しの間、下を向いてから、
「わかった。じゃあ、タメでいくね」と明るく言った。
「ああ、よろしくな」
 俺も明るく答えてみせた。
 この間に、昨日の傷の痛みもどこかにいった気がした。
「おいおいおい……」
 廊下にいる俺と桜井さんを、教室の端から頭だけ出して覗いていたのは、厚志だった。
「こりゃ、新しいアレの始まりじゃないのか……?」
 そう呟いて、厚志は頭を引っ込めた。

 俺の心はいい雰囲気に一瞬包まれたが、まだ心の奥にはさっきのことが引っかかっていた。

「あれ、今日はやらないの?」
 いつものように大声で話すのは、リミッターというものを知らない厚志である。
「今、俺んちに親戚のおじさんが来ててさ、挨拶しに行かなきゃいけないんだ。てなわけで、今日の部活はなしだ」
 俺には、隣町で神社の神主をやっているおじさんがいる。殆ど家には来ないのだが、なぜか今日は来ているらしい。
「え〜、つまんね〜の」
 俺だって嫌だよ。めったに会わないおじさんと会わなきゃいけないんだからさ。
「そういうわけで、じゃあな」
「じゃあな」
 俺は、また不機嫌な顔をした厚志を見送って、学校を後にした。

「ただいま」
「おかえり、広夢。蔵吉(くらよし)さん、いらっしゃてるわよ」
 そう言ったのは、俺の母さんだ。
「お座敷にいらっしゃるわ」
「わかったよ」
 俺は少し緊張しながら、座敷の襖を開けた。
「失礼します」
 お客さんがいるということで、俺は行儀良く言った。
「おお、広夢君。元気だったかな」
「はい。ご無沙汰しております。蔵吉さん」
 桃垣蔵吉(ももがき くらよし)さん。いかにも威厳のありそうな面立ちで、声は低く貫禄がある。今にも、魔術か何かの呪文を唱えてきそうなおじさんだ。
「前、私が君と会ったのは君が小学生のときだったが、立派に成長したな」
「はい。おかげ様で」
 俺は、苦手な敬語を頑張って駆使し、なんとか答える。
「さて、君の新しい制服姿を見たところで、そろそろ本題に移らせてもらおう」
 本題って、一体なんすか?
「広夢君」
「はいっ」
 俺は体をビクッとさせて答えた。
「最近、君の周りで何か変わったことが起こったりしていないかい?」
「変わったこと……」
 いきなりすごいことを訊かれたぞ。
 変わったことと言われても、ここ最近は変わったことだらけだ。あっ!
「最近、不思議なことばかり起こるんです」
「それは一体、どんなことだね?」
 蔵吉さんが、真剣な目で訊く。
「なんか、叫んだら急に相手の人が倒れたりとか……そんなことがありました」
「なるほど……」
 片手を顎に持ってきて、蔵吉さんは目を瞑った。
 そして、俺にこう訊いた。
「その時、君の傍にいたのは誰だね?」
 今日のは、特に関係した人はいなかったが、昨日のは桜井さんと一緒だった。
「えっと、同じクラスの女子生徒と一緒にいました」
「そうか……」
 蔵吉さんの目が、真剣さを増す。
 確かに、あのときは桜井さんと一緒にいたが、それが関係してるのだろうか?
 だとしたら、なぜ?
 俺が思い悩んでいると、蔵吉さんが言った。
「その子とは、一緒にいないほうがいい」
 え?
 一緒にいないほうが……いい?
「え? なんでですか?」
 思わず声を裏返して、俺は訊いた。
 どうして、桜井さんと仲良くしちゃダメなのか、全く理解できない。
 理解できるわけない。
 俺の問いかけに、蔵吉さんはこう答えた。
「その子といると、これから危ないことになりそうだからだ」
 蔵吉さんは、あり得ないようなことを真顔で言った。
「どうして、そんなことが……!」
「広夢君」
 蔵吉さんの一声で、俺はふっと我に帰った。
 無意識のうちに、俺はその場に立って何かを言おうとしていた。
「あっ……」
 俺は、蔵吉さんに頭を下げて、ゆっくりと座布団に座った。
「落ち着きたまえ、広夢君。今からその理由を話そう」
 蔵吉さんは、焦った表情を瞬時に真顔へと変えた。
「君が怒るのも解る。大切な友人といれなくなるのは辛いからね。でも、これは本当に危険なことなんだ。その理由は、」
 蔵吉さんが、話を続けるところだった。
 ピピピピピ……
 蔵吉さんの携帯電話が鳴った。
「失礼」蔵吉さんは真顔のまま、電話に出た。
「もしもし、私だが……」
 相手が誰だか分からないが、なにやら重要なことを話してるらしい。
「……分かった。では」
 一分ほどの電話が終わって、蔵吉さんは、
「大事な用事が重なっていたのを忘れていた。このことは、また今度話そう」
「ええっ?」
 なんだよ、用事って。そういうのは、事前に確認してから来てくれよ。
 俺は仕方なく立ち上がり、蔵吉さんを見送りに玄関へ行く。
 玄関にいる蔵吉さんは、帰る前に俺にこう告げた。
「これから気をつけたまえよ」
 恐怖を予感させる言葉だった。

 蔵吉さんが、謎の言葉を残していったその日の夜、俺はまた変な夢を見た。
「……」
 俺は、無数の人ごみの中にいた。
 なぜか、その人たちは、俺を見て逃げていた。
 どんどん人が逃げていく。
 どうして、逃げていくのか?
「……」
 そのとき、俺の顔を不気味な感触が覆った。
 何だ? この感じは?
 まるで、吐き気を催しそうな感じだった。
 …………
 ………
 ……
 …
 ものすごく嫌な感じは、目を覚ましても残っていた気がする。


「おはよう、榊くん」
 明るく、微笑ましい挨拶をしてくれたのは、桜井さんだ。
「おはよう」
 桜井さんの明るい挨拶に俺も明るく返そうとしてみせたが、まだ心の奥に不安があるためか、いつもより暗い挨拶になってしまった。
 蔵吉さんは、一体何が言いたかったのだろう……?
 一瞬浮かんだ俺の笑顔も、瞬時に暗くなってしまっていた。
「どうしたの、榊くん?」
「あ、いや、何でもない」
 口ではそう言ってみせたが、実際心の中は複雑な気持ちでいっぱいだった。
 だって、蔵吉さんが言っていた「一緒にいないほうがいい人」が、今目の前にいるんだから。
「そういえば榊くん、ケガは大丈夫?」
 桜井さんは、まだ俺のケガのことを気にしていたみたいだ。
「ああ、もう治っちゃったよ。心配してくれてありがとな」
 確かに、二日前のあの事件で負った傷は、もうすっかりなくなっていた。
 しかし、あんなケガがこんなにも早く治ってしまうのはなぜだろう?
 ひょっとして、これも今までの謎と関係あるのだろうか?
「……」
 俺は暗い表情をずっと浮かべていた。そこに、
「よお、ヒロ! 昨日はどうだった?」
 朝っぱらからうるさい厚志がやって来た。
「別に。特になんもねえよ」
 厚志に昨日のことを話すと、間違いなく面倒なことになりそうだから、言うのはやめておこう。
「ところで、ちょっと無理なお願いがあるんだけど、いいかな?」
 桜井さんの二度目の依頼だ。
「あっ、いいよいいよ」厚志が適当に答える。
 まあ、俺たち「身心向上部」は、人の依頼に応えていくのが仕事だからな。
「軽音部の助っ人をしてもらってもいいかな?」
 桜井さんの一言に、俺はちょっと驚いた。
「へえー、桜井さん軽音部なんだ。意外―」
 俺も同意見だ。こんなに大人しくて優しい桜井さんが、軽音部でギターとかやってる姿が思い浮かばんしな。
「オーケーオーケー、俺はいいよ」
 厚志は、いつものテンションで答えた。
「俺もいいぜ。桜井さんの軽音部姿、見てみたいし」
 俺がそう言うと、
「ありがとう。でも私、全然ダメだから」
 桜井さんが笑って言った。

 放課後、俺と厚志と桜井さんは、見覚えのある場所を歩いていた。
 つい先日、俺と厚志とで、先輩たちの勧誘を避けながら歩いた場所、
 部室棟だ。
 一年生の部活見学の期間も終わり、すっかり落ち着いている部室棟であるが、やはり楽しい部活がそろっているためか、幾つかの部屋から楽しそうな声が聞こえてきた。
 そんな雰囲気を味わいながら、俺たちは軽音部の部室に向かっていた。
「そういえば、軽音部って部員何人いるんだ?」
 助っ人が必要なんだから、きっと人数は少ないなと思いながらも、俺は桜井さんに訊いた。
「三人だよ」
 えっ、たった三人?
「一人は私のお友達で、もう一人は三年生の先輩。先輩は受験勉強で忙しいみたいで、あまり部活に来れないみたいなの」
「そうか……」
 ということは、一バンドも作れないじゃん。だから俺らを呼んだのか。
「そんな少ない人数でも、頑張ってるってすごいじゃないか」
「別にすごくなんかないよ。それより、榊くんたちのほうがすごいじゃん。だって、自分たちで部活立ち上げちゃうんだもん」
 いやいや、俺たちは大した目的もなくただやってる同好会だから、桜井さんのほうがすごいよ。
「俺たちはダメな部活だから、そんなに期待しなくてもいいぞ」
「ふふっ、そんなことないって」
「ははは」
 こんなふうに笑いながら歩いていると、軽音部の部室に着いた。
「失礼します」一応、挨拶。
「あ、沙弥。ってあれ、お客さんもいる。いらっしゃい」
 けっこう明るい人が出迎えてくれた。
「ん、もしかして一年生? ままっ、とりあえず座って座って」
 その人は、俺たちに椅子を用意してくれた。
「あたし、一年七組の竹原優華(たけはら ゆうか)。ま、好きな名前で呼んでいいよ。よろしくね」
 やけにテンション高いな。これは厚志のテンションの高さを越えたぞ。
「じゃ、普通に優華で」
 これ以外、思いつかないし。
「おっ、いいねえ。よろしくー」
 優華(もう呼び捨てにしよう)は、テンション高く返事した。
「優華、この人が榊広夢くん。で、こっちの人が、」
「松岡厚志でーす!」
 桜井さんが続けていたのに乱入して、厚志が叫んだ。
「いいねえ、その返事。いっぺん歌ってみる?」
 いや、それはやめておいたほうがいい。なんせ、こいつは……
「おお、いいぜいいぜ」
 厚志が、置いてあるマイクのところに行く。ああ、ダメだダメだ。
 そして、
「‼」
 厚志は、飛行機のジェット音を遥かに凌ぐような雑音ボイスで、訳わからん歌を歌いだした。
「やめろー!」
 俺の叫び声を聞いて、厚志は雑音スピーカーをストップさせた。
「え、なんで?」
 厚志は気に食わん顔で言う。
「だって、お前、」
「オンチだからやめて。悪いけど」
 優華が、俺が言おうとしたことを言い放ってくれた。「悪いけど」はなかったが。
「ちっ、わかったよ」
 ぶすっとした顔で、厚志は椅子に座った。
「ごめんな。こいつはこんなやつだからさ」
「いや、いいよ。それより、あたしたちのナンバー聞いてくれない?」
 ナンバー。おお、かっこいいな。
「おお、ぜひ聞かせてくれ」
「オーケー」
 こんな近くで生ライブを見るのは初めてだからな。実に楽しみだ。
「じゃあいい、沙弥?」
「オッケー」
 優華がドラム、桜井さんがギターを、それぞれセットした。
「そんじゃ、あたしたちのオリジナルナンバー、『Wonderful Days』。いくよっ!」
 優華がスティックを四回叩き、演奏が始まった。
 十六ビートの激しいリズム。
 桜井さんの素晴らしいギターチューン。
 優華のドラムビートと桜井さんのギターチューンセッション。
 ボーカルはなくとも、音だけでここまですさまじいオーラを奏でている。
 すげえ。マジですげえ。
 二人とも、真剣そのもので音を出し合っている。
 やはり、生ライブでは普通のCDの音楽とは違った魅力があった。
 なんて思ってるうちに、二人のオリジナルナンバーが終わった。
 俺と厚志は、無意識のうちに拍手をしていた。
 完全に心を奪われていた。
「センキュー」
 優華が、流れ落ちる汗をタオルで拭きながらいった。
「やべえ、マジ感動した!」
 厚志が、瞼を大きく開いて言った。
「ありがとう。榊くん、厚志くん」
 桜井さんも、タオルで汗を拭いながら言った。
 そういえば、俺たちに助っ人をしてほしいと……

「ロックバンド大会?」驚くのは俺だ。
「そうなの。毎年五月にあって、ここの軽音部も毎年出てたんだけど、今の人数じゃ出れないから……」
「俺たちにやってもらいたい、ということか」
 こいつは驚きだぜ。まさか、俺たちがあんな広いステージの上に立つなんて。
まだ決まったわけではないが、俺は驚いた。
「まあ、やれないわけではないが……」
 俺も中学のとき、興味本意でギターとかにハマッてた時期があったからな。やってできないことはないが、さすがに軽音部の実力に応えられるほどのものではない。
「空いているのは、ボーカルとベースか……」
 ギターはやったことあるが、ベースは未経験だし、歌もそこまで自信ないしなぁ……
 でも、少しやってみたいと思っていた。
「俺、ベースやってやってもいいぜ」
 何? 厚志ベース弾けんのか?
「まあ、あんま上手くないけど」
 厚志は笑いながら、後頭部を掻いた。
「でも、お願いしてみるか。よろしく頼むね」
 なんか厚志がベース担当になっちまったぞ。
「一応、歌は歌えるが、自信が……」
 心の本音を、俺は呟いた。
「じゃあ、ヒロ。いっぺん歌ってみてよ」
 優華がすごいことを言ってきた。
「歌といっても、何を歌えば……」
「何でもいいからさ、何か歌ってみてよ」
「……わかった」
 俺は、流行の歌を一曲歌うことにした。
 桜井さんが、その曲をギターで弾いてくれることになった。
 ほっ。アカペラじゃなくてよかった。アカペラとかマジ緊張するしな。
 桜井さんのギターが始まった。
 やっぱ、桜井さんのギターはすごいなぁ。いつからやってんだろ?
 おっと、そろそろ歌わなければ。
 やべっ、出だしミスッちまった。
 あ〜、声が震えてるよ。やっぱダメだ……
 とりあえず、歌いきった。
 すると、
「ヒロ、めっちゃ歌上手いじゃん!」
 優華が、目を輝かせて言った。
「こりゃヒロはボーカル決定ね」
「いい? 榊くん?」
 桜井さんの言葉に俺は即答で、
「いいぜ」と答えた。
 なんで了解したかって?
 さあ、なんでだろ?
 たぶん、嬉しかったからかな。
「よーし、じゃあ明日から特訓ね!」
「え〜、特訓〜」
 優華の言葉にがっかりしたのは厚志だ。
「そうよ。やるって言ったんだから、きっちりやってもらわないと」
「ほ〜い。わかったよ」
 厚志が面倒くさそうに返事した。
 どうやら、これから忙しくなりそうだぜ。

 部活後、俺は歌の練習ということで、桜井さんと二人でカラオケに行った。
 桜井さんは、俺の歌声を笑顔で褒めてくれた。
 もちろん、桜井さんは歌が上手かった。
 なんか、嬉しいな。桜井さんの言葉も、
 こんなに楽しい毎日があるのも。


2008/12/05(Fri)14:16:32 公開 / kou轍
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