『without you』 ... ジャンル:リアル・現代 恋愛小説
作者:kanare                

     あらすじ・作品紹介
現代に生きるごく普通の女性、エリカ。ふとしたきっかけで、彼女の運命の歯車は大きく狂っていく。渇いたこころを癒すため深い愛情を希求するエリカの姿を、狂気を交えて描いた作品。

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 ……コッチ、コッチ、コッチ、コッチ……
 午前4時。
 時計の音だけが部屋に響く。そとはまだ薄暗く、青白い死神が支配する世界。電線の上の烏が不気味にその目を光らせ、人々はじっと日が挿すのを待っている。凍えるような寒さ……朝はまだ来ない。
カタ……カタカタ…カタ…
 薄暗い室内では、無機質なキーボードのタッチが響く。
 ……カタカタ……カチ……カタッカタカタ……
(Hello?)
(Do you love me ?)
 眠ることのない時間。語られることない真実。画面を眺める瞳は、どこまでも虚である。
 怪しく輝くブラウザの奥には、誰もいない。誰も答えてはくれない。
(Do you love me ?)
 痩せ細った指。ギョロリと見開かれた大きな目。黒くて深い隈……彼女は硬直した姿勢で、パソコンの奥の世界に釘づけになっている。
(Do you love me ?)
 わたしを愛してる?お願い答えて。答えてほしいの。お願い……。
「愛してない」
「愛してない……」
 あなたの口から聞きたくはなかった、その言葉。

「……エリカ、卒業したらどうする?」
「働くわ」
「働いて、どうする?」
「……さあ?」
「夢とかさ」
 目の前の男は、テーブルに目線を落とし、そっと煙草に火をつける。夜中のファミレスは人影もまばらだ。
「……夢?」
「ああ」エリカとは目を合わせず、そっと煙を蒸せた。
「誰かに必要とされたい……」
「なんだよ、それ」
 ふふ、とユウキは鼻で笑った。
「何よ、じゃああなたはなんかあるの?」エリカはユウキをじっと睨んだ。
「誰にも縛られずに生きることかな」
 煙草の煙が鼻につく。彼はエリカと視線を合わせず、ただぼんやりと外を見ていた。
「……バカじゃないの?」
 エリカはすっと立ち上がった。
「どこいくんだ?」
「トイレよ」
 自分でもバカバカしくなってくる。なんでこんな男と付き合ってるんだろう?鏡の前で両手をつき、自分の顔を覗き込む。最初に出会ったときも、あんなふうにわたしの前に座っていた。確か、くだらない合コンの席だったっけ。
 軽薄な男。
 きっと誰にでもそうなんだろう。中身のない、甘い言葉を投げかける。二重の、大きな目を潤ませて。わたしもそんな彼の瞳に吸い込まれてしまった。大きくて魅力的な二重の目、鼻筋の通った整った顔立ち。潤いのある唇……わたしにはもっとふさわしい男がいるはずよ。
「明日も仕事なの?」
「ああ。忙しいんだ。また連絡するから」
(次はいつ会えるの?)
 言おうとして飲み込んだ。

「残念ながら、今回はご縁がなかったということで……」
ツーツーツー。無情な音をたて、電話は切れた。それなら、わざわざ電話をかけなくてもいいじゃない。IT関連、外資系企業、証券会社、どれもダメだ。容姿だけで雇ってくれるほど甘くない。3流私大じゃ、たかが知れている。そんなこと最初からわかっていたのに……。
「……エリカ?今から行っていいか?」
「いいよ。」
 彼は弱い人だ。ときどきひどく依存的で、いつも自分の都合でわたしを求めた。どんなに互いの身体をまさぐり合っても、満たされない。満たされないのに、彼を求めてしまう。わかっている。わたしが欲しい愛情はこんなのじゃない……もっと……もっと、深い愛。わたしを包んでくれる深い愛……でも、彼はわたしを必要としている。それだけでも、わたしには価値がある。そう思えた。
(愛してる)
 たとえ幻想だって構わない。
「……君ね、もっとしっかりやってくれないと。この前の集計だって間違っていたよ。……まったく、派手な恰好してオトコのことばかり気にしてるからそうなるんだ。派遣の子のほうがよっぽど働くよ?仮にも4年生大学でてるんだからさぁ……」
「……はい、すみません……」
 悔しい……悔しい!!
 こんな3流会社の事務、やりたくてやってるわけじゃないのに!
……ヒソ……ヒソ……ヒソ……
(プライドだけ高い女って手におえないよな)
(早くやめちゃえばいーのに)
 もうすぐ夜があける。薄明かりの中で過ごす、怠惰な時間。
「ねぇ、そばにいて。もっと強く抱いて。お願い」
「……ああ」
 こんなにも近くにいるのに、こんなにも愛し合っているのに……どうしてかしら。わたしたちは渇いている。
 ユウキはことを終えると、そそくさとベッドから立ち上がり、バサッとシャツをはおった。そのまま鏡の前でネクタイをしめている。
「……もういくの?」
「今日は大事な仕事があるんだ」
「……行かないで。お願い」
 エリカはユウキの手を掴んだ。
「馬鹿いうな」
 パシッ。ユウキはその手をいとも簡単に振り払った。
「ユウキ!」
 エリカはユウキの身体にしがみついた。
「エリカ、俺達しばらく会うのやめよう」
 ……一瞬、時間が止まったかのように思えた。ベッドの上の痩せた女を見下ろすユウキの目は、ひどく冷たい。まるでナイフのように、容赦なくエリカの心を突き刺し、えぐる。
 ユウキはそのまま背中を向けた。ギィィ、ガチャン。エリカは、マンションの扉が閉まるのを、ただ黙って見てるしかなかった。
……ゴソ、ゴソ、ゴソ…………ゴソ、ゴソ、ゴソ……
薄暗い部屋には、体温が届かない。
眠れない日が続く。薄い毛布をかぶり、ベッドの上でひざを抱えている。……砂嵐のテレビに自分の姿が映る。深い闇に支配された部屋には誰もいない。ふと、ソファの上のぬいぐるみのクマと目があった。わたしは君と同じ。誰ともことばを交わさず、誰にも抱きしめられないまま、こうしている。こうしてここにうずくまっている。わたしは、そのまま頭をひざにうずめた。
「……誰か……」
……ゴソ、ゴソ、ゴソ……ゴソ、ゴソ、ゴソ……

「え、母さん、離婚って……」
「……エリカ、驚かないでね。お父さん、ギャンブルで借金たくさんつくちゃって……もうやっていけないのよ。」
「でも、そんな……いまさら……」
「……仕方ないのよ。わかってちょうだい。……エリカも社会人なんだから……これからは自分で生活してね……」
 携帯電話が指から滑り落ちる。エリカは、ワナワナと震える両手で顔を覆うようにした。
 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……
 ガチャ。
「……ユウキ、お願い。今から会いたいの。」
「…………」
 背後から女の声がする。
「……ねぇぇ、だれとしゃべってるのぉ?はやくぅ……ゆうきぃ…」
「ねぇ!誰といるの?誰としゃべってるの!?」
「切るぞ。」
 ガチャリ。
 ツーッツーッツー……ツーッツーッツー……
 どうして?どうして?
 わたしばっかりこうなるの?誰も助けてくれない。誰もみてくれない。わたしをみて。わたしを愛して。ワタシヲアイシテ……ワタシヲアイシテ……
 外は強い北風が吹きすさぶ。2月の寒さが容赦なく肌に突き刺さる。エリカは、大きなスーツケースを右手に引き、左手には大きなトートバッグを携え、よろよろと、覚束ない足取りのまま、目的の場所へ向かう。その目はどこまでもうつろだ。
 ……ハァ……ハァハァ……ハァハァ……ハァ……
 秘密の合鍵。501号室。彼のマンション。とうとうやってきてしまった。すべての荷物をもって。仕事もやめて、これまでの生活も捨てて。きっと昨日までのことは間違いだったのよ。すべて間違いだったのよ。彼はわたしを愛しているんだもの。この前は、ちょっと機嫌が悪かっただけなのよ。ちょっとイヂワルしたかっただけのよ。わたしにどこにも帰るところがないと知ったら、きっと笑顔で迎えてくれるわ。「おいで」ってやさしい声で呼んで、頭を撫でてくれるわ。そうに決まってる。決まってるじゃない。だから、誰もいない彼の部屋で待ってるの。
 さぁ、早く帰ってきて。ケーキを焼いて待ってるわ。だから、早く帰ってきて。かえってキテ…カエッテキテ……
 ガチャリ、ギイイイィ。音を立て、金属製の扉がひらいた。男は、その光景に愕然とした。散乱した見知らぬ荷物。そして見知らぬ女が、自分の部屋のリビングに居座っている。目は大きく見開かれ、色を失い、痩せこけた顔はまるで何かに取り付かれているようだ。……よくみれば変わり果てたエリカの姿である。かつては誰の目にも美しく、羨望のまなざしさえ浴びた。だが、もはや見る影もない。
「あ……あはは……ユウキ……待っていたのよ。ずっと待っていたのよ。」
「ックソ! 何してんだよ、こんなところで!」
「あはあは……ねぇほら、ケーキを焼いたの。もうすぐ焼けるわ。イヒヒ、ヒ、食べましょう一緒に。ねぇ…えへ…わたしと一緒に……」
 その姿に、彼は思わず立ち尽くしてしまった。
「エ、エリカ……その、す、すまなかった。俺が悪かったよ。だから……その……」
 彼女は言い終わらないうちに、這うように男の足へしがみついた。木の枝のようになった骨ばった指が、太ももに突き刺さる。
「ヒッ!」思わず仰け反った。
「ああ、あはは……ねぇ、そうよねぇ、やっぱり間違ったのよね……わ、わ……わたしのこと愛、愛しているのよねぇ?」
 エリカの異様な形相に、ユウキは後ずさりした。
「君にはすまないと思ってる。それに、傷つけたとも…思ってるんだ。すまなかった。……その、俺たち別れたほうがいいよ。……きっとこのままじゃ、お互いダメになるから、き、君のためにも……」
「うそッ!」
 金切り声が耳を突く。
「……すまない、だから、その……」
 彼は恐怖と戦慄に駆られ、額にはドッと汗が滲む。エリカはなおもすがりついた。
「うそよ……そんなのうそよ…えへ、えへへ、だって、あなた言ったじゃない。ヒック……わたしを愛しているって。わたしを愛してるって……言ったじゃない……ヒック、ヒック……」
「愛していない」
「……え?」
「すまない、エリカ。もう愛してないんだ」
「……え、えへへ……イヒ、ヒヒ、ヒヒヒ……うそ……うそよね」
「君のこと愛してない」
 ――アイシテナイ、アイシテナイ……わたしのこと、あいしていない。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 絶叫が響き渡る。エリカは凄い勢いで立ち上がり、息も絶え絶えに、台所へと走った。「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「ま、まてエリカ!早まるな!」
 男が駆け寄った瞬間、振り向いた彼女の手には、大きな包丁が。
「ま、待ってくれ!落ち着くんだ!冷静に話し合おう。れ、冷静に……」
「…ひ…ひ…その言葉だけは、き、き、聞きたくなかった」
 グズリ
 包丁が嫌な音をたてる。
「……な、なんで……」
 ユウキは、腹を抱えた姿勢のまま、床に倒れこんだ。ぐちゃり。真っ赤な血が波紋のように広がる。「ゼェ……ゼェ……ゼェ……た、たすけ……」声は次第に細く小さくなっていく。立ちすくむわたし。やがて息も聞えなくなった。辺りは鮮やかな血で染まる。ケーキの焦げたにおいに混ざって、生々しい血のにおいがする。返り血を浴びて真っ赤に染まった白のワンピース……。
「あ、あああ……」
エリカはそのまま床にヘナヘナと倒れこんだ。

……コッチ、コッチ、コッチ、コッチ……
 パソコンの電源を入れた。部屋には無機質な時計の音と、わたしの吐息しか聞こえない。フローリングの床には、冷たくなった塊。もう愛した男の面影はどこにもない。血まみれのまま、パソコンの前に座り込むわたし。時刻は午前4時。
 ネットワークには眠らない人達が巣くう。たくさんたくさんたくさん。誰かいるかしら?誰か答えてくれるかしら。この世界でまた一人ぼっちになってしまったわたし。だれかわたしの声にこたえて。だれかわたしを愛してるといって。
(Hello?)
(Do you love me ?)
 〜FIN〜

2008/09/23(Tue)13:27:18 公開 / kanare
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■作者からのメッセージ
はじめて書いた小説です。女性の凋落と愛情飢餓を、ドライな現代社会を舞台に描いてみようと試みました。稚拙な部分も多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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