『明け方の散歩』 ... ジャンル:ショート*2 恋愛小説
作者:TAKE(17)                

     あらすじ・作品紹介
ある日の夢の中、導かれる様に出会った二人。幸せに満ちた秘密の恋を引き裂いたのは、紛れも無い現実だった。

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君と出逢ったのは、秋口の夜に見た夢の中だった。それは運命であり、奇跡であり、悲劇でもあった。

 チェコ。

 この小さな東欧の国に、僕らは生きていた。夢の中で話していたように、僕が居るプラハ郊外に位置する小さな街からはそう離れていない、作曲家ベドルジハ・スメタナ、アントニン・ドヴォルジャーク、作家フランツ・カフカを筆頭に、幾人もの著名な芸術家、権力者が生まれ、眠る街、ヴィシェフラドに、君は居た。翌日、夢の記憶を頼りにその住所の家へ行くと、その門前で君は佇み、僕と目を合わせた。その瞬間、体に電気が走った。
僕は念願のアデルファイ大学への入学を控えた十八歳だった。親には君との関係を話していなかった。僕には元々ロマンチストなどと呼べる印象は無く、それ故誰が信じてくれるとも思えなかった。
 それから毎日のように、お互いの夢の中でも、現(うつつ)の世界でも顔を合わせ、他愛も無い事を話し、買い物や食事をして、別れ際にはキスをした。そんな付き合いが二ヶ月程続いた後のある日の夜、僕はいつもより寝付きが悪く、目を閉じても意識は一向に遠のかなかった。今夜は君と会う事が出来ない。そう思いながら、まどろみと覚醒を繰り返していた。
その時、電話が掛かってきた。君からだった。会いたいの、と言うその声は、心なしか少し震えているように聞こえた。
「何処に行けば?」訊くと、古城公園にあるロトゥンダの前に、と君は答えた。上着を羽織り、両親を起こさないよう細心の注意を払って足音を消し、玄関を出ると、冷え込む冬の石畳を歩いた。

約束の、古城を望む広い公園の片隅にある小さな教会、ロトゥンダの入口の段差に、君は腰掛けていた。
「どうしたの? まだ五時前だよ」訊くと、君は答えないまま立ち上がった。
「行きましょう」君は言った。何処に? と訊くと、「何処へでも。眠れなくて、外に出たかったの」と、そう言った。
「そんな事で?」
言うと、君は此方を見た。「あなたも眠れなかったでしょう?」
 君は、それを知っていて電話を掛けて来たのだろうか。
僕は息を吐き出した。
「Rozumím.(分かった) それで、今からどうする?」

 二人で、静まった街中を歩き回った。石畳に響く二つの足音は、夜明け前のノスタルジックな雰囲気を醸し出す家々にこだました。いつの間にか、千切れ雲が広がる紺碧に染められた空に、朝日の茜が差し込んできた。
時刻が六時に近付くと、歩き疲れた僕達は切符を買って、プラハ中心区行きの始発のトラム(路上列車)に乗り込んだ。初めて乗る者でさえ何処か懐かしさを感じる揺れに身を任せていると、暫くして、君は僕の肩に頭を乗せて眠ってしまった。柔らかな光の下、優しい沈黙が静かに流れていた。

 旧市街にある駅で降り、再び歩いていた。近くのカフェで軽い朝食を摂る。少し固めに焼き上げられたパンを、君は小さく分けて口に運び、話している内に温(ぬる)くなってしまったカップの中身を、そっと喉に流した。

地下鉄に乗ったと思えば一駅だけで下車し、いつもとは違う、途切れがちの会話を訥々と続けながら、更に歩を進めてゆく。何処まで行くのだろう。繋いだ掌に君の温もりを感じながらも、不安を携えていた。時刻が七時に近付いてきた時、観光客もまばらなカレル橋の上で立ち止まった。
「……別れましょう」
 唐突で言われた事がよく分からなかった。
「――今、何て?」
「別れましょう」もう一度、先程よりもはっきりした声と、緩やかな速さで君は言った。
「どうして?」僕は言った。
「駄目なの。私はもう一緒に居られないから」
 駄目なの、どうしても。
 何度か同じ言葉で訊いても、君は只そう言った。
「僕が嫌いになった?」
「Ne(ネ) JÁ Amor tebe.(あなたを愛してる)」
「proč dělostřelectvo tebe říci jeden domlouvat(どうして理由を言えないんだい)?」
「理解して貰えるとは思えないからよ」
「君との出会い以上に理解し難い事なんか無いさ。頼むよ、わけを教えて欲しいんだ」
「もうすぐ、どうしても会えなくなるの」
「何処かへ行くとか? Amerika(アメリカ)? Anglie(イギリス)? Australie? それともJaponsko(日本)か、そんな所に」
「外国には行かない。でも、もう絶対に会えない、遠い所よ」
「何処に行ったって、僕は待つさ。連絡だって、電話も手紙もあるんだから、いつでも取り合える」
「待っても無理よ。貴方には来られないし、私も此処には二度と戻ってこられないの」
「どうして? 刑務所にでも入るのか?」
彼女は暫く黙っていた。
「Polibek mne.(キスして)」やがてそう言い、僕の方から数瞬唇を重ねた後、再び君は黙り込んだ。先程のトラムの中の雰囲気とは似ても似つかない、重く、暗く、圧し掛かってくる沈黙だった。
「ヴィシェフラド墓地へ」漸くして口を開いた君は、そう言った。「眼が覚めたら来て」
 眼が覚めたら? まさかそんな……。
「もう、時間ね」時計を見て、君は言った。「Nashledanou.(さよなら)」
僕は君の名を呼んだ。しかしそれは、届く距離に在る筈の君の足を止めることは無かった。

気が付くと、僕は鍵の掛かったロトゥンダの入り口の前に座り、扉に凭れかかっていた。頭の上には鶏の意匠をした取っ手、腕時計に目を落とすと、午前九時を回るところだった。
公衆電話から家に連絡を入れた。――母が出た。
「Ahoji(もしもし)?」
〈朝から何処へ行ってるっていうの? ベッドはすっかり冷たいし、携帯電話は部屋に置いたまま。塀のペンキ塗りを手伝う約束忘れたの? それに一人暮らしの準備だってしないといけないのに〉
「Promiňte(ごめん)  JÁ dopravit bezprostřední.(すぐ帰るよ)」

 家へ帰ると、父に夜中の外出を咎められた。
 母はテレビのニュースを見ていた。
「そうだ、昨日ペンキを買いに行っているとな、ヴィシェフラド墓地に埋葬される人が居ると店主が言っていたよ。2000年代に入って初めてらしい」
「誰なのかしら?」
「オルドゥンコヴァ通りに居た作家か何かの孫娘さんだそうだ。まだ十八歳だったと」

 君の言葉が、耳にはっきりと甦った。

 発作的に外へ飛び出した。賑わう人々の群れを抜け、靴音を激しく響かせて走り、ヴィシェフラドへ向かった。
 君の家は、しんと静まり返っていた。呼び鈴を押しても、誰も出ない。
 近所に住む髭面の老人が、黒いスーツを着て歩いていた。
「Promiňte prosím,chtěl bych se na něco zeptat.(すみません、ちょっとお訊きしたいのですが)」
「Ano.(はい) Prosím.(何でしょうか)」
「此処の……、此処に住んでるハナは、今日どうしてるかは知りませんか?」
 老人は嘆いた様子で溜め息を漏らした。
「一週間前の朝の事だ」
「何が?」
「事故だった。Zelený(緑色)のシェコダに轢き逃げをされたと聞いた。もう犯人は捕まったそうだが……。君は確か、彼女の恋人ではなかったか。今日、棺が納められるという知らせは来ていなかったのかね。出葬式が済み、後は埋葬だけと聞いて、私も今から行くところだよ」
「事情で、今まで両親には秘密にしていて……。何処に行くのです?」一瞬意味が分からず、問うた。
「彼女の祖父、ヤロミールの眠る墓に入るのだよ。まさか親御さんらも、自分より先に旅立ってしまうとは思わなかっただろうに」
 混乱する頭を抱え、墓地へ行った。そこは著名な作曲家、作詞家、文章家、表現することで人生を全うした者、またその家族が眠る墓地だ。
 墓石の一つに、耳に馴染んだ名前があった。いつも君が話していた、自慢の絵本作家だった祖父、ヤロミール・ヴェルフェルの名である。親族や関係者の隙間をすり抜けると、そこに見えた墓石と棺には、真新しい文字で名前が彫られていた。

 ――HANA ŠVANK WERFEIOVÁ 1988  2006――

 冷たく記されたそれは、紛れも無く君のものだった。
 親族がその頬に涙を伝わせ、装飾の施された黒い箱を見守っていた。
「どうして、そんな筈……こんなのは間違ってる。――あなた達は、此処で一体何をしてるのですか!」飛び出そうとする僕を、君の父親らしい男性が羽交い絞めにした。暫くして気を落ち着けると、その腕が離れ、振り向けば君の母親らしい女性が、涙の跡が残る顔を僕に向けていた。
「現実なの。私も、誰もが信じる事を避けたわ。でも受け入れないといけないの。――私はあの運転手を許すつもりは無い。たとえ神様が許したとしても」
 君とよく似た瞳をしていた。
「貴方は、娘と……?」
「僕は彼女の……」息が詰まる度、無理矢理空気を飲み下す。「お互い、好き合っていました。……愛していました」
「あの子、貴方の事なんて一度も――」
「言わないでいたのでしょう。僕も、両親には彼女との事を話せずにいました。あまりに現実離れした形で、出逢ったからです。話したところで信じてくれないかと」
 指揮者のラファエル・クーべリック以来、丁度十年振りに埋葬された人物という事で此処を訪ねた、数人の記者が向けてくるレコーダーを地面に叩き落し、僕は今までの事を、君の両親に話した。半信半疑だった二人も、壊れた機器を見て、それがよほど公言したくないものであり、やましい考えなどは皆無だと納得した。

――打ちひしがれた。地球上のどのような武器にも敵わぬ、君の死という攻撃が襲い、空からの爆弾が命中したように、心は一瞬で灰燼と化す。
明け方の君のその蒼い瞳は、滑らかなブロンドの髪は、歌う様に話す声は、重ねた唇は、握っていた柔らかな手は、僕が感じた君は、眼に焼きついた君は、音は、匂いは、味は、手触りは、今日のこの朝の、あまりにはっきりとした五感の全ては、一体何だったのか。
そう。一週間前から全ては夢であり、君の存在は、僕の中だけのものだった。しかし、此処にこうして名前がある以上、君の存在は明白であり、互いに想いは届いていた。そしてこれからも、君は生きる。僕の……僕の夢の中で。――それでいい。たとえ世界の誰が君と僕の出会いや関係を否定しようと構わない。僕の中から君が消える事は無い。君との記憶こそが、僕の命だ。
だから僕は今一度、君に囁く。

JÁ Amor tebe...


2008/08/22(Fri)02:14:50 公開 / TAKE(17)
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