『風のシルヴィア(第一部)』 ... ジャンル:ファンタジー 異世界
作者:イオン                

     あらすじ・作品紹介
剣と魔法の世界“ティルナノーグ”。誇り高き騎士達が老若男女の憧れを集める“レンスター王国”。  偉大な女王に仕える最強の騎士団“帝威騎士団(インペリアルナイツ)”に入団するために、実家である伯爵家を飛び出した女剣士、シルヴィアは、ある出来事をきっかけに金色の瞳の中に優しく哀しげな光を宿す剣士、ジルに出会う。

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 【Prologue 雨の森】
 
 
 大粒の雨が激しく大地を叩いていた。
 空は厚い雲が垂れ込め、暗い影を落していた。
 森の中ともなれば尚更だ。鬱蒼と生い茂った木々に微かな日の光は遮られ、昼間だというのにまるで夜のように暗い。
 盗賊たちに襲ってきたは、そんな暗闇の森でのことだった。
 真っ先に殺されたのは御者台に座っていた父と義兄だった。次に幌の中に居た母と姉が引きずり出されて、散々犯されてから殺された。
 家族が次々と命を落としていく中、少年は幌馬車の荷物の陰で毛布に包まり、漏れ出そうになる悲鳴を必死に抑えながらその身を震わせていた。
 雨音に混じって聞こえてくる母と姉の悲鳴がどうしようもないくらい怖くて、目を閉じて耳を塞いだ。
 やがて両親と姉夫婦を殺した盗賊たちは、馬車の積荷を物色し始めた。
 荷物を乱暴に馬車から下ろし、袋や箱を開封していく。その中身を見るたびに盗賊たちは下卑た薄笑いを浮かべていた。少年の家族は旅から旅の行商一家で積荷にはかなり高価な品物もあった。
 積荷が降ろされるにつれて狭かった幌の中は徐々に広くなり、少年の隠れ場所は徐々に減っていった。
 少年は追い立てられるように馬車の奥へ奥へと逃げて、必死に身を隠した。
 しかしそれでも限界はあった。荷物が八割方降ろされたあたりで、少年はついに見つかってしまった。
「おい見ろよ、まだガキが居たぞ!」
「ひ……っ!」
 少年は見つけた男に肩を掴まれ、馬車の外に引きずり出された。バランスを崩してぬかるんだ道の上に転がる。
 転んだ少年のまわりを盗賊たちは取り囲んだ。そして互いに顔を見合わせて、何かの相談を始めた。少年は恐怖のあまり正気を失い、盗賊たちの間で交わされる言葉の意味が理解できず、ただ恐怖に震えていることしか出来なかった。
 しばらくして相談が終わったのか、盗賊の一人がニタニタ笑いながら剣を抜いた。他の者たちも同じような下卑た笑いを浮かべて少年を見下ろした。
 本能的に危険を感じた少年は咄嗟に逃げようとしたが、取り囲む盗賊の一人に蹴り飛ばされて、再び泥の上に転がされる。
 仰向けに倒れた少年はブーツの裏で肩を踏みつけられ、鼻先に剣を突きつけられた。雨に濡れた刃が微かな光を受けて、ギラリと凶暴に光った。
 鉄の刃の冷たく暴力的な迫力に圧倒されて少年は身体を硬直させる。
 少年の恐怖する様を見た男は一際醜悪に笑い、剣先を少し横にずらして、少年の左肩に刃を突き入れた。
 少年は一瞬何が起こったのかわからなかった。肩に冷たい異物が入り込んできた直後、焼きごてを強く押し付けられたような熱い痛みが走った。
「ひ、ぎっ、あああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
 肩を刺された少年は獣のような悲鳴をあげた。興奮した盗賊たちが大きな声を上げて嗤った。
「おい、俺にもやらせろよ」
 他の男が剣を抜いて、痛みでのた打ち回る少年の右腕を突く。
「ああああああああぁぁぁぁっ!!!!」
 少年は更に大きな悲鳴を上げた。
 そしてまた別の男が右の腿を刺した。そのまた次は左の膝だった。少年は刃に貫かれる度に引き攣れた悲鳴を上げて悶え、盗賊たちはその都度声を上げて嗤った。
 やがて痛みと出血で少年が身動きすら取れなくなると、急速に興味を失った盗賊たちは再び鼻先に剣を突きつけてきた。
 剣先から滴った少年の血が自らの顔を赤く汚す。
 今度こそ殺される、と少年は死の恐怖を感じた。
 怖くて痛くて堪らなかった。全身が震え、刺された痛みで逃げる事すらかなわなかった。死にたくないし、死ぬのは怖い。しかしこの状況で助かるとは到底思えず、少年は絶望に嘆いた。
 せめて死ぬ瞬間だけは怖くないようにと目を瞑る。その時、少年は絶望に屈した。
 雨とは違う暖かい液体が身体に降りかかったのはその直後だった。
「ぎゃっ」
「ぐぁっ!」
「がふ……」
 雨音に混じって悲鳴が次々と聴こえた。雨とは違う生温かいものが少年の身体に降り注いだ。
 異変を感じた少年は、恐る恐る目を開ける。
 剣を突きつけていた男が地面に倒れていた。頭が忽然と消えてしまっている。その代わりに頭を失った首元からは、赤い液体が噴水のように噴き出していた。
 倒れた体勢のまま強引に首を持ち上げて見回すと、まわりにいた盗賊たちは既に一人残らず倒れていた。代わりにその場に立っていたのは盗賊とは明らかに違う一組の男女だった。
 二人とも丈の長い真っ白なコートを着ていた。その腕には大きな腕章をしている。黒地に白銀の剣の刺繍が入ったそれは、女王直属の騎士団“帝威騎士団(インペリアルナイツ)”に所属する者の証であった。
 騎士達は盗賊を殲滅した事を確認すると、それぞれの得物を納めた。
 女の騎士が少年に駆け寄り、コートに血が付くのも厭わず彼を抱き起こす。男の方の騎士は少年の家族の遺体を一人一人丁寧に並べていった。そして全員を川の字に並べ終わると、胸の前で十字を切って祈りを奉げた。
 その時、抱き起こされた少年は自分が助かったのだということを悟った。しかし素直に己の無事を素直に喜ぶことなんて到底出来なかった。
 少年は自分自身に激しい怒りを覚えた。家族が殺されるのをただ見ていることしか出来ず、母と姉が陵辱されている間もひとり馬車の中で震えていた自分が許せなかった。何も出来なかった無力な自分が憎かった。
「う……あああああぁぁぁぁぁぁぁぁっーーーーーーー!!」
 湧き上がる衝動に任せて啼き叫ぶ。
 悔しさと怒りと哀しみと憎しみが入り混じって、頭の中はグチャグチャだった。叫ばなければ狂ってしまいそうだった。
 少年は自分の弱さを呪った。自分の臆病さを憎んだ。
 だから強くなりたいと願った。強くなろうと思った。強くあろうと心に誓った。
 この日、少年は弱かった自分を殺した。絶望に屈してしまった自分を殺した。
 
 
 【第一章 出会い】
 
 
 レンスター王国の王都“マグメルド”は今日も多くの人で賑わっていた。
 メインストリートは冒険者や行商人、貴族や近所の主婦など様々な人が行き交っている。立ち並ぶ商店の前では商人達が精一杯に声を張り上げて客を呼び込み、道の端のスペースには行商人らしき者たちが露店を広げて地方や他国の珍しい物品をずらりと並べていた。
 顔を上げて見れば道の先には巨大な白い建造物。レンスター王国の中心であり、王権の象徴でもある“マクリール城”が威風堂々と建っていた。
 東西南北それぞれの通用門から城に向かって伸びる四本の大通り。その内の一本、西側の大通りを一際目立つ女剣士が歩いていた。
 道行く人々が彼女とすれ違っては足を止めて振り返る。その反応は様々だ。
 腰まで届く美しい黒髪が揺れる度に男たちはどぎまぎし、女性にしてはやや高い身長と目鼻立ちのスッキリした中性的な容姿に少女達が色めく。美しい容姿に嫉妬する者がいれば、醸し出される高貴な雰囲気によからぬ事を考える連中もいる。
 自分の容姿が注目を集めていることにも気付かず、その女剣士、“シルヴィア”は無自覚のまま繁華街を横切って行った。
 やがて彼女は商店の外装がやや豪華な区域に差し掛かった。
 その周辺に建ち並ぶ店のほとんどが金持ちや貴族を対象としている区画だった。一般の平民には近寄りがたい雰囲気があるためか、人通りがぐっと少なくなる。
(あった)
 目当ての建物はすぐに見つかった。
 宿泊費がべらぼうに高いと誰でも一目でわかるような瀟洒な外見の宿屋だ。看板の端っこには平民お断りとまで書いてある。
 シルヴィアは宿屋を眺めて、これから始まる新たな生活に思いを馳せる。
 今日からここを拠点にして修業を積み、半年後に行われるセレクション、つまり“帝威騎士団(インペリアルナイツ)”の入団試験に備えるのだと思うと、心が躍った。
(よし!)
 落ち着かない気持ちを拳を握って抑えつけると、シルヴィアは豪華な彫刻の施された扉を押し開けた。
 取り付けられたドアベルが澄んだ音を立て、それを聴きつけた支配人がすぐにやって来る。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか?」
 支配人はシルヴィアの姿を見て一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに営業スマイルに戻って慇懃な態度で応対した。
「いや、予約は取っていない。部屋は空いているか? 半年ほど滞在したいのだが……」
「大変失礼ですが、お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」
 丁寧に言いながらも支配人はシルヴィアを胡散臭そうに眺めた。
 彼がそんな態度を取ったのも無理も無いかもしれない。シルヴィアはすれ違う人の八割以上が振り返るほどの美女だが、服装は白いチュニックに茶色のズボン、ベージュのベストという男装で、腰の剣帯には無骨な長剣を吊っている。よくよく見ればどれも上質な高級品なのだが、一見したところでは典型的な旅の剣士の格好だった。少なくとも貴族の令嬢のそれではない。
 しかし当の本人は疑われている事に気付きもせず、堂々と名乗った。
「“シルヴィア・エルデ・シュトラウス”だ」
 シルヴィアはフルネームを名乗り、身分を示す金のペンダントを首元から取り出して見せた。
 ここレンスター王国では姓と名の間に入るミドルネームは、貴族だけが名乗ることを許される。また金のペンダントは貴族の中でも特に身分の高い者だけが身につけることを許される特別な装飾品であった。
 支配人はしげしげとペンダントを眺めて微かに唸った。ペンダントのプレートにはアルバトロスの紋章が象られている。
 伯爵以上の地位を示す金のペンダントにアルバトロスの紋章。それは西方の大貴族、シュトラウス家のものだ。ペンダントが持ち主以外に所持できない魔法が掛かっている品である以上、目の前の女剣士が貴族の令嬢であることは間違い無かった。
 久しぶりの上客の気配に、支配人は精一杯の営業スマイルを浮かべた。
「半年間の滞在でございますね? 当店では長期のご滞在となる場合、宿泊費の半分を前金で頂く決まりとなっております」
「承知した」
 シルヴィアは頷いて、腰の後ろを探った。そしてその手がスカっ、と空を掴んだ。
「ん……?」
 不審に思ったシルヴィアは、腰の剣帯に目を落とした。するとそこに括り付けてあった筈の財布が影も形も無かった。
 嫌な予感がした。脇の下を冷たいものが流れる。
 慌てて荷物袋の中を探るが見つからない。焦って荷物をひっくり返したがどこにも無い。視界の端で支配人が笑顔を強張らせるのが見えた。
 焦りと不安が極地に達し、シルヴィアの頭からダラダラと汗が噴き出た。
(落とした? いや、落としたなら気付くはず……まさか!)
 シルヴィアは何者かに掏られたのでは、という考えに至った。
 ここマグメルドは王都、レンスター王国で一番人が多い街だ。転じれば掏りなどをやらかす不埒者も一番多いということになる。メインストリートを歩いている時に掏られた可能性は十分にあった。通りを歩いてここに来る時、人込みの中で何度も人にぶつかった気もする。
「如何なさいましたか、シュトラウス様?」
 支配人が慇懃な態度で訊いてくる。しかしその笑顔は明らかに引き攣っていた。シルヴィアの置かれた状況がわかり始めているようだ。
「まさか、払えないと申されるわけではありませんよね?」
「は、はははは……」
 パニックに陥ったシルヴィアは乾いた笑いを漏らす事しか出来ない。
 そして彼女のそんな反応は支配人の予感を確信に変えた。顔から営業スマイルがすーっと消えていき、怖いくらいの無表情になる。
 シルヴィアが宿屋を追い出されたのはそれから数秒後のことだった。
 
 
 
 夜。メインストリートは相変わらず人通りが多い。
 しかし昼間とは違って子供や主婦の姿は少なく、代わりに夕方から飲んでいたのであろう酔客が千鳥足で歩いている姿がそここに見られた。
 当ても無く王都中を彷徨って疲れ果てたシルヴィアは道路の隅にしゃがみ込んだ。溜め息が漏れ出る。
 季節は春の初め。昼間は暖かくても夜になればまだ冷え込む時期だった。
 寒さで手が悴んで吐き出す息も微かに白い。シルヴィアは今すぐにでも屋内に入って暖まりたかったが、今や文無しとなった彼女には到底無理な話だった。
 旅荷物のほとんどを王都に来るまでに使い切ってしまっているので野営も出来ない。このままでは今夜を越す事すらままならないかもしれなかった。
 冷たくなった手に息を吐きかけながら「これからどうすればいいのだろう」と考える。
(上屋敷に行けば爺やがいるから、いざとなればなんとかならないでもない。けれどそうすると……)
 シルヴィアは貴族である、それもシュトラウス家といえばレンスター西端のアヌウン地方の領主をしている伯爵家。レンスター王国でも指折りの大貴族だった。だから王都にもいくつか別邸があり、頼れる人がいないことも無い。
 しかしシルヴィアは実家の関係する場所に頼るわけにはいかなかった。なぜなら彼女は両親と家出をして王都にやって来たからだ。
 切っ掛けは先日の十八歳の誕生パーティで両親が勝手に宣言した許婚との婚約。そしてその後ある嫌な出来事を経験したことで、シルヴィアは生まれ持ってしまった(しがらみ)を疎ましく思い、単身故郷を飛び出したのだった。
 だから実家の関係者に頼ったりすれば直ちに連れ戻されてしまう。戻った先に待っているものは許婚との望まない結婚と、それ以後の生涯においてずっと家に縛られる運命。
 そんなのは嫌だった。
 子供のころから密かに胸に抱いていた、帝威騎士団(インペリアルナイツ)に入団するという夢。それを果たせもせず、挙句の果てに望まない結婚をさせられるなど死んでも御免だった。
(けれど本当にどうしよう……)
 一先ず実家に頼る事を抜きにして考えてみたがいい案は浮かばない。
 故郷を飛び出してはるばる王都までやって来たというのに、新しい自分になろうとした矢先に思わぬ形で出鼻を挫かれてしまった。どんなに高い教養を身につけ、どんなに剣術の腕が立っても、所詮自分は世情に疎いお嬢様に過ぎないということをシルヴィアは思い知らされた。そんな自分が情けなくて悔しくて、目が潤んでくる。
 声を掛けられたのは、そんな時だった。
「どうかしたのか?」
 顔を上げると、無愛想な顔で自分を見下ろす背の高い青年と目が合った。そしてその瞬間、シルヴィアは己の奥底で何かが打ち震えるのを感じた。
 なぜかそのまま身動きが取れなくなって、青年の顔をまじまじと観察してしまう。
 歳の頃はシルヴィアと同じか、少し上ぐらいだろうか。髪は金髪交じりの夕日のような赤毛。足首まである黒いマントに身を包み、右肩の後ろには大剣の柄が見えた。
 だが他のなによりもシルヴィアの心を惹きつけたのは彼の瞳だ。
 その色は世にも珍しい、奇怪とも言える金色。それが、冷たく物憂げな輝きを秘めていた。
「大丈夫か?」
 もう一度声を掛けられ、シルヴィアはハッと我に返った。
 同時に青年への疑念が心中に芽生えた。
「き、貴様には関係無い」
 シルヴィアはわざと険悪に答え、目つきを鋭くして青年を睨み上げる。
 なにしろ掏りに全財産盗られた直後だ。また悪い目に遭うのではないかという不安がどうしても拭えない。
 しかしどんなに怖い顔して睨んでいても、目じりに涙を溜めていては迫力に欠けた。
 赤毛の青年は険悪な対応に気を悪くした様子もなく、どこか呆れたように溜息を吐いて淡々と言った。
「確かに関係無いないけどな。メインストリートとは言え女が一人歩きしていい時間じゃないんだ。早く宿に引き上げた方がいいぞ」
 口調は乱暴だったが、一応シルヴィアを案じているらしい。無愛想な顔に似合わず親切なのかもしれない。
 だが今のシルヴィアに宿云々は余計なお節介。その上不幸な目に遭って腹を立てていたので、ついに我慢の限界が来た。
「うるさい余計なお世話だっ!! 宿に戻れればとっくにそうしてる!!」
 勢いよく立ちあがりながら、往来中に轟く大声で怒鳴る。
 すると次の瞬間、シルヴィアの腹がグ〜と鳴った。
「…………」
「…………」
 二人は顔を見合せて絶句した。
 シルヴィアの腹の虫の声はメインストリートの喧騒の中にあってもハッキリと聞こえるほどに大きな音だった。
 色々あったせいで忘れていたがシルヴィアは昼から何も食べていない。金が無いから夕食にもありつけていなかった。
 空腹に羞恥が伴って、へなへなとその場に腰をおろしてしまう。
「あんた文無しか?」
「う……」
 青年にズバリと言い当てられ、シルヴィアは顔を赤くして逆ギレした。
「ああ、そうだ。文無しだっ! 悪いかっ!!」
「いや……別に悪くない。文無しなら困っているんじゃないのか?」
「ああ、困っている。困っているが、それが貴様と何の関係がある?」
「儲け話がある」
 青年の物言いにシルヴィアは怪訝な表情をした。
「……何を企んでいる?」
 シルヴィアは青年を怪しんで警戒した。
 どうも話の都合が良すぎる。こちらが文無しだからといって、こうもタイミングよく儲け話が転がってくるものではない。どうしても裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
 王都には詐欺の類いも多いと聞くし、うっかりこの男に付いて行ったがために人買いに売られるという事もありうる。実際掏りに遭ったばかりだ。
 ましてやシルヴィアは女性である。要求されるものが身体でないとは言いきれない。
 考えても疑いが膨らむばかりで信じることが出来ず、シルヴィアは胡散臭そうな目で青年を睨んだ。
「仮に儲け話が本当だとしても、どうやって貴様を信用しろと言うのだ?」
 そう言うと、青年は眉間に皺を寄せて黙ってしまった。
 睨み合ったまま、時間が流れる。
「あ、いたいた。お〜い、ジル〜〜ッ!!」
 場が重苦しい雰囲気になりかけた時、少女の大声が通りに響いた。
 シルヴィアと青年が声のした方を見ると、一組の少年少女が駆け寄って来た。
 歳は二人とも十五、六あたりだろう。
 少女は空色のチュニックとデニムのホットパンツという動きやすそうな格好の上に、胸部を保護するレザーガードを付けていた。栗色の髪は一つにまとめてポニーテールにしており、丸みのある輪郭とぱっちりと大きな目が愛らしい。背中には大きな弓と矢筒を背負っていた。
 少年は白の上下の上に翡翠色のローブを羽織り、腰には長剣を差していた。背は低いがその顔立ちは驚くほど端正で、さらに金髪碧眼で肌も白い。恐ろしいほどの美少年だった。
 その風体から判断するに、二人とも冒険者か傭兵のようだった。
 シルヴィアと青年のもとまでやって来た少女は、口をアヒルのようにでっ張らせて不機嫌そうに言った。
「ごめんジル、こっちはさっぱりだった。そっちはどう?」
「俺も似たようなもんだ。だが……」
 ジルと呼ばれた青年はそこまで言って、シルヴィアを見た。駆けつけた少年と少女もそれに倣う。
 同時に三人に見下ろされてシルヴィアはたじろいだ。
「もしかして勧誘中だった?」
 背の低い少年が訊くと、背の高い青年は眉間に皺を寄せて言った。
「正確にはその直前だ。なにか酷い目に遭ったらしくてな、警戒されてる」
「もしかしてどう説明したものかと困ってた? 君って本当に口下手というかいうか、不器用だよね」
 少年は呆れたようにため息を吐くと、シルヴィアの前にしゃがんで目線を合わせてきた。
 近くでよく見ると、彼は本当に物凄い美少年であった。神を象った彫像のように一部の隙も無い造形をしていた。
 シルヴィアは思わず見惚れてしまいそうなほど芸術的な笑顔を睨んだ。しかしまた丁度良いタイミングでお腹が鳴った。
『あ』
 少年と少女の声が重なった。
 シルヴィアの顔が再び真っ赤に染まる。
「文無しらしいぞ」
 青年が冷静に、それでいて簡潔に説明する。
 それでシルヴィアの状況を把握したのか、少年と少女は顔を見合わせて同時にニヤリと笑った。
「ねぇねぇ、おねーさん。もし良ければあたし達とゴハンどう?」
「え、いや、しかし……」
 いきなり言われて戸惑うシルヴィアに、少年が追い討ちをかける。
「もちろんご馳走するよ。見たところ結構深刻なんじゃない?」
「う……」
 見事に図星を突かれてシルヴィアは反論できなくなった。
 怪しさは拭えないが空腹は事実だ。奢りの誘いはとても魅力的に聞こえる。
 迷いに迷って何も言えないでいると、少女が腕を掴んできた。
「決定でいいよね?」
 もはや誘いではなく強制である。
 しかし邪険に振り払うこともできず、シルヴィアはそのまま少女に引き摺られていった。
 
 
 
 妙な三人組に連れられ、シルヴィアは一軒の酒場に入った。“獅子の団欒”という宿屋も兼ねた店だ。
 平民を客層とする店であるため料理や酒の質はイマイチで、店内の雰囲気も酔っ払いどもの歌声や怒号で実に騒々しい。本来ならば貴族の娘であるシルヴィアが入るには相応しくないような店だが、好奇心の強い彼女にはむしろこの雰囲気が好ましく思えた。
 粗末な料理を口に運びつつ、シルヴィアは文無しになるにいたった経緯を説明した。というよりも気が付けば背の低い美少年、“ニコ”によって言葉巧みに喋らされていた。
「なるほど、それであんなところに居たんだね?」
「かわいそ〜」
 ポニーテールの少女、“プリシッラ”はそう言ったが、声は全然可哀想に思っていなさそうに聞こえた。
「まあ、田舎貴族なんていいカモだからね」
「私が貴族だとわかるのか?」
「うんうん。っていうかバレバレ?」
「髪がよく手入れされてる。歯が白い。服もよく見れば上質。それに首元の金の鎖、魔法のペンダントだろ? ここまで揃ってると貴族にしか見えないぞ」
 金の瞳の青年、“ジル”の推理をプリシッラとニコは同時に頷いて肯定した。
 シルヴィアはずらずらと証拠を並びたてられて絶句した。
「身分の事は置いておいてだ。そろそろ本題に入らないか?」
「そうだそうだ、忘れてた」
 話を先に促すジルにプリシッラは思い出したように手を打った。
「忘れるなよ」
「だってさ、このお姉さん反応が可愛くてからかいがいがありそうなんだもん」
 プリシッラが可愛く笑って黒い事を言うと、ジルは眉間に皺を寄せた。
「シルヴィアだっけ? 君はジルからどこまで聞いてる?」
 ニコはニコでプリシッラの言動を軽く流して、話を進める。
 三人の――特にプリシッラとニコの――独特なペースに、軽い頭痛を覚えながらシルヴィアは答えた。
「儲け話がある、という所までは聞いた。一体どのような事情なのだ?」
「あれ? 最初と違って聞く気満々だね」
「文無しを解消するには稼ぐしか無いではないか」
 意外そうな顔をするニコに、シルヴィアは冷静に言った。
 食事を摂って落ち着いたお陰でシルヴィアは冷静な判断力を取り戻していた。そして金が無いなら稼げばいいということに気づいていた。
 判断力を取り戻してすっかり警戒を解いた彼女の様子を見て、ジルは呆れとも安堵ともつかないため息を吐いた。シルヴィアが警戒していたのは、空腹のため気が立っていただけらしい事がわかって、あれこれ困っていた自分がほんの少しバカバカしいと思えたのだった。
「それで、私は何をすればいい?」
「うん。それがね、君には僕らと一緒に来て仕事の手伝いをして欲しいんだ」
「仕事の手伝い、とは?」
「実はちょっと前に王都の北の方に行った時、偶然未発見の遺跡を見つけてね。君にはその遺跡の調査を手伝って欲しいんだ」
「遺跡、か……それは本当に本物で未発見のものなのだな?」
 シルヴィアの不安をプリシッラが手を横に振って否定する。
「それは問題なしなし。ここ数日、図書館やら大学やら色々まわって何度も確認したもん。間違いなく未発見、もしかするとお金になりそうなものが残ってるかも!」
「なるほど……」
 シルヴィアは顎に手を当てて考える。
 王都、マグメルドの周辺といえば、古代から幾つもの文明や王朝が存在していた地域である。未発見の遺跡が偶然見つかるというのもありそうな話だ。内部を調査して価値のある物が見つかれば、一儲けできるだろう。だとすれば儲け話というのもあながち間違いではない。
 だが一つだけ疑問が残る。
「しかし発見したのならばなぜその場で調査しなかったのだ? 私一人増やすよりも三人の方が一人分の儲けは多くなるはずだ」
 シルヴィアは再び疑わしそうに三人を見た。
 今度は冷静に理論立てて考えた上で疑っている。夕食一食のおごり程度では誤魔化されない。
 しかしニコはシルヴィアの睨みを冷静に受け流し、困った顔で言った。
「それはその通りなんだけどね。困った事にその遺跡の仕掛けが四人以上のパーティじゃないと進めないようになってるんだ」
「仕掛けか、なるほど……」
 ありそうな話だ、と思うシルヴィアにプリシッラが付け加える。
「その時はあたしとニコだけだったから諦めたの。んで、そっちのすかした顔のジルを誘ったけどあと一人足りないから勧誘してたってわけ」
「苦労してるんだよ。みんな地方出身だから知り合いは少ないし、ジルは根暗で友達いないから」
 プリシッラとニコの容赦無い評価に、ジルは眉間に皺を寄せてやや不機嫌な顔をしたが、否定はしなかった。気に入らないようだが自覚はしているらしい。
「というわけで、通りにいた君を誘ったわけなんだ。どうかな? この話に乗ってみない?」
 ニコに問われ、シルヴィアは再び考え込む。
 とはいえ、今の彼女の状況は単純。文無しで、それを解消しなければいずれ屋敷に連れ戻され、即結婚だろう。それは絶対に御免被りたい。
 答えは簡単に、そして速やかに出た。
「わかった。協力しよう」
「いいの!?」
 プリシッラが驚いたように大声を出しながら勢い良く立ち上がった。少女の甲高い声はオヤジどもの集まる酒場では際立って聞こえるため、やたら周囲の注目を集めた。
 ひとまず彼女を座らせ、シルヴィアは続ける。
「文無しなのだからな。形振り構っている時ではない」
「へぇ、貴族とは思えない逞しさだね」
「似たような事をよく言われる」
 ニコの感心しているのか侮辱しているのか微妙な物言いに、シルヴィアは苦笑した。
「それじゃあよろしく頼むよ。そういえば自己紹介がまだだった。僕は“ニコラス・ビアズリー”。まわりからは“ニコ”って呼ばれてるよ。よろしくね」
「はいは〜い、次あたし〜! あたし“プリシッラ・ヴァレンタイン”。よろしくね♪」
「俺は“ジルベール・ハンネマン”。“ジル”でいい」
 ニコが友好的に、プリシッラが明るく、ジルが無愛想に自己紹介した。
 個性溢れる三人をちょっとだけ愉快に思いながら、シルヴィアも自己紹介する。
「私は“シルヴィア”。フルネームは“シルヴィア・エルデ・シュトラウス”。こちらこそ、よろしく頼む」
 
 
 【第二章 初めての冒険】
 
 
 翌日。
 シルヴィアを含む四人は王都の北門からレンスター四大街道の一つである“マドラス街道”に出た。
 綺麗に整備された道の先にマドラス街道における最初の難所、カルナ山脈が悠々と聳え立っている。この山を越えて数日進めば北の公爵クロス卿の治める北部地方に行き着く。そしてそのさらにずっと先、国境を越えた先には世界一の大国にして長年の同盟国“フィンコリー帝国”があるせいか、街道にはフィンコリーとレンスターを往復する行商人や冒険者の姿がちらほらと見られた。
 シルヴィア達は雄大で美しいカルナ山脈を眺めながらのんびりと歩いていた。天気は快晴。絶好の冒険日和であった。
 小休止を繰り返しながら二時間半ほど歩くと、先頭を歩いていたニコが不意に道を外れて森に入って行った。
「未発見の遺跡だからね、そこに至る道なんて無いんだよ」
 驚いたシルヴィアが思わず足を止めると、彼は苦笑しながら説明した。
 先頭を歩くニコは邪魔になる草を剣で切り開きながら、一行は道無き道を進む。
「ほぅ……」
 ニコの剣捌きの器用さに、シルヴィアは簡単の溜め息を漏らした。
 彼は細身の剣を巧みに振り回して邪魔な草木を切り開いて行く。刃を蔦や茎に引っ掛けたり、余分な葉や枝に切り傷を付けてしまうことは全くない。相当の剣才の持ち主が多大な修練を積まなければできない芸当であった。
「かなりの腕だな」
「ニコのすごさはこんなもんじゃないよ」
 シルヴィアの独り言を聞きつけたプリシッラが、まるで自分のことのように自慢げに言った。
「褒めすぎだよプリシッラ」
「しかし腕が立つのは本当だと思うが?」
「でも剣術の腕前はジルの方が上だよ。それに、君にだって同じことが出来るんじゃないかなシルヴィア?」
「さて、どうだろうな?」
 シルヴィアはわざとすっ呆けて答えなかった。
「お、あそこあそこ」
 プリシッラが前方の岩壁を指差した。
 シルヴィアは目を眇めてそちらを見やる。しかしいくら目を凝らしても、遺跡らしきものは見当たらなかった。歩いて近寄ってみても、別段変わったところは無い。怪訝な表情でニコを振り返る。
「入り口らしきものは無いのだが……」
「そうだろうね。簡単に見つかるようならとっくに発見されてるよ」
「ではどこかに入り口が隠されているか、もしくは封印されているのだな?」
「うん、その通り。これを見てよ」
 ニコはシルヴィアの回答に満足そうに微笑み、岩壁の一角に埋まった石を指差した。
 一見どこにでもある普通の石っころが埋まっているようにしか見えない。しかしよくよく見れば、石の表面には文字らしき記号が刻み付けられていた。シルヴィアはその文字に見覚えがあった。
「“魔道式”か」
 シルヴィアの言ったそれは“魔法”という特殊な現象を起こす技術に用いられる記号だ。人が作った言語や記号とは違う、万物共通の究極の言語ともいわれている旧い文字である。
 これを口に出して詠むか、物に刻むことによって、物理法則を超越した現象を引き起こすのが“魔法”。神々がこの世界を創造した際に揮ったとされる神秘の力だ。
「その通り。よく知ってたね。もしかしてシルヴィア、魔法の心得ある?」
「少し齧った程度ならば。簡単な補助魔法ならば使用できる」
「へぇ、シュトラウス家って躾と教育が厳しいって噂だけど、魔法まで教えるんだ?」
 プリシッラが感心した声を出すと、シルヴィアは恥ずかしそうな、それでいて悔しそうな複雑な表情をした。
「いや、シュトラウスが魔法を習わせることは無い。小説で読んだ“魔法騎士レグルス”に憧れた時期があって、それで独学で学んだ。結局才能が無くて挫折してしまったのだが」
「ふぅん、じゃあニコのこと羨ましがるかなぁ。ね、ジル?」
 プリシッラが後ろのジルを見上げて同意を求めると、彼は無言で頷いた。そのやり取りの意味を理解できなかったシルヴィアは首を傾げた。
「どういうことだ?」
「まあ見てて。んじゃ、お願いね〜ニコ」
「オーケー」
 ニコは柔らかに微笑んて、式の刻まれた石に手を当てて瞑目した。
 すると石が青白く輝き始めた。同時に同じように岩壁に埋まっていた石も輝きだす。光っている石は全部で四つ。
「みんな、僕と同じように石に手を当てて。一人それぞれ一つずつ」
 シルヴィアたちは言われた通りにした。
 ニコの紡ぎだす言の葉が朗々と響き渡る。
 
「ギューフ、ウィン、ぺオース、ケン。
 汝、終焉を告げる天命の角笛。
 黄昏の刻。御国への扉は拓かれん。
 解錠せよ――――――アンロック!」
 
 四つの石がまばゆい光を放ち、シルヴィアたちは思わず目を瞑った。その際、錠前の外れる音が聴こえたような気がした。
 目を開けると岩壁に入り口が口を開けていた。大人一人くらいは楽に通れそうな大きい穴だ。
「封印解除。さぁ、行こうか」
 まずはニコが入り口をくぐり、続いてプリシッラ、ジルの順に遺跡に入っていった。
 ニコが魔法を使用した事に驚いて、シルヴィアは半ば呆然としていた。危うく置いて行かれそうになったところで我に返り、少し遅れて三人の後に続く。
 遺跡は岩壁に洞穴があるだけという外見に似合わず、意外にしっかりした造りだった。
 壁も床も天井も同じ大きさに切った石を丁寧に組んで作られていて、通路は下に向かってゆっくりと螺旋を描いている。床は出っ張りなど無い綺麗な石畳になっている上に、壁や床の鉱石が微妙に発光しているため内部は明るく、とても歩きやすかった。
「ひとつ尋ねるが、ニコは“魔法剣士”なのか?」
 シルヴィアは歩きながら前方のニコに尋ねた。
 “魔法剣士”とは、文字通り魔法と剣の両方を使いこなし、さらに“魔法剣”という特殊な剣術を用いることが出来る特別な者たちのことである。剣と魔法、両方の才能だけでなく、脅威の秘術“魔法剣”を扱う才能を求められる希少なタイプだ。
 ニコの立ち振る舞いから彼が優れた剣士であるとは思っていたが、その上彼が手際良く魔法を使ったとなれば、彼が魔法剣士ではないかと考えることは容易かった。
 そしてその推測は当たっていたらしい。ニコは首を縦に振って肯定した。
「そうだよ」
「やっぱり羨ましい?」
「そんなことはない、魔法の道はもうすっぱり諦めたのだからな」
 シルヴィアはプリシッラにそう即答したが、明らかに嘘だった。その証拠に彼女は羨望と尊敬が入り混じった複雑な目でニコを睨んでいた。
「しかしやはり凄いな……」
「そうでもないよ。魔法剣は癖が強過ぎて扱い辛いし、剣術の腕前なら君やジルには及ばないと思う」
「どうだろうな。お互いの実力がどれほどか、我々はまだ知らないではないか」
「んじゃ、ちょっとばかしアレで試しちゃえば?」
 そう言ってプリシッラが指差した先、暗闇に覆われた通路に動く影があった。
 一見すると人のように見えるシルエット。だが長い間閉ざされていた遺跡の中に生きた人間が居るはずが無い。道の先に居たのは魔物だった。
 魔法によって動く屍“リビングデッド”。動きは鈍いが、集団になると怨み辛みが結びついて強力な呪い攻撃を使うようになる厄介な相手だ。
 目の前に居るのは三体、その程度の数ならば数秒間動きが封じられるだけで、即死させられることは無いだろうが、その数秒こそが生死を分ける隙となる。数が少ないからと言って、決して舐めて掛かれる相手ではない。
「ここはシルヴィアにお任せでいいよね?」
「いいんじゃないかな。実力が見たいのは僕も同じだし」
「良いのか、私がやっても?」
 確認するように訊きながらも、シルヴィアは既に剣を抜いて不敵な笑みを浮かべていた。
 抜き身の剣を片手に一歩前に進み出る。
 自分は試されている、とシルヴィアは直感していた。その証拠に後方からのジルの視線が鋭くなっている。プリシッラとニコの視線もなんとなく険しい。彼らはシルヴィアにどれだけの実力があるのか、その目で見ようとしていた。
 深呼吸すると、熱い吐息が遺跡の淀んだ空気の中に溶けていった。血が熱く滾り、剣の柄の冷たい感触が心地よい。闘志が沸きあがり、高揚を伴った緊張感が背筋を駆け抜けていく。
「ならば、この場は私に任せてもらう!」
 シルヴィアは剣を水平に構え、石畳を蹴って駆け出した。
 裂帛の気合いを上げながら突き進み、敵との間合いを一気に詰める。
 殺気を感じ取ったのか、シルヴィアを標的に定めたリビングデッドたちの目が怪しく光った。
 呪いの発動だ。生者への怨嗟を源とする呪いが、シルヴィアの動きを縛ろうと襲い掛かる。
 しかしシルヴィアは呪いの餌食にはならなかった。効果が現れる一瞬前に、彼女の姿は通路から掻き消えた。
「速いな」
 ジルが思わず呟く。
 次の瞬間、消えたシルヴィアは突如リビングデッドの背後に現れた。
「はぁっ!」
 振り向きざまに剣を大きく真横に薙ぎ払うと、リビングデッド二体の上半身と下半身が、泣き別れとなった。
 シルヴィアはすぐに床を蹴って前に跳び、最後の敵に肉薄する。
 ダンっ、という音が通路中に響くほどの強い踏み込み。その勢いを剣に乗せて脳天から真っ二つに断ち切る。
 ろくに抵抗も出来ないまま斬られたリビングデッドの残骸が、ボテボテボテと床に落ちた。
「こんなものか」
 剣を鞘に納めつつ、シルヴィアは得意げな顔を振り向いた。魔物三体を瞬殺したというのに、息一つ切らしていなかった。
 ニコとプリシッラが驚きを隠せない表情で彼女を見ていた。
「呪いって躱せたっけ?」
「身体能力だけで躱すのは無理だよ。普通は」
 呆れた顔で言いあう二人に、シルヴィアは恐る恐る訊いてみる。
「もしや、私のしたことは出鱈目だったのか」
『うん、すっごく!』
 力いっぱい肯定されてしまいシルヴィアは項垂れた。
 驚かせることは出来たが、なんだか複雑な気分だった。
「そんなことよりも急いだ方がいい。日が暮れるぞ」
 真剣に凹んでいた所を“そんなこと”扱いされたシルヴィアは、さっさと歩いていこうとするジルの背中を軽く睨んだ。
 一行は更に奥に進んだ。螺旋を描きながら下に向かう一本道を奥へと進むと、やがて終点らしき広間にたどり着いた。
 広間は円筒形で、円の中心を挟んで入り口の反対側には扉があった。どうやら螺旋状の通路はこの吹き抜けを取り囲むようにして作られていたらしかった。
「ねーねー、あの扉の先がゴール?」
「多分そうだね。ただ……」
「このまま何事も無く通してくれるわけないだろうな」
 ジルの意見にニコは頷いた。シルヴィアもプリシッラも同意見だった。遺跡の守りが入り口の仕掛けとリビングデッド三体で済む筈がない。
 四人はとりあえず広間を横切って奥の扉に歩み寄った。
「んぎぎぃ……だめ、開かない!」
 扉はプリシッラがいくら引っ張っても開かなかった。もちろん押しても駄目だった
 一番力がありそうなジルも押したり引いたり体当たりしてみたりもしたが、扉はビクともしない。この分だと剣でこじ開けるのも無理そうだ。
 ニコがためしに開錠の魔法をかけてみたがそれでも開かない。
 扉から手を離し、ニコは額にかかった金髪を弄りながら何かを考え込むように呟く。
「魔法の施錠じゃないね、物理的な普通の鍵だ。きっとどっかに解錠のための仕掛けがと思うんだけど。となると怪しいのは……あれかな」
 床の上に不自然な出っ張りがある。近づいて見ると、出っ張りの上には複雑な彫刻が施されているのがわかった。その真ん中には不自然な窪み、人間の足形だった。
「足で踏むスイッチだね」
「踏んでみる?」
「やめたほうが良いのではないか? 罠かもしれん」
「俺はいいと思う。逆に扉のスイッチってこともあるからな」
 プリシッラの問いにシルヴィアはノー、ジルはゴーを出した。票数はともに一票、最後の一票を持つニコに視線が集まる。
 ニコは少しの間目を閉じて考え込んてから答えた。
「僕は踏んでみてもいいと思う。どっちにしろ、ここでアクションを起こさなきゃ完全に手詰まりだからね」
「んじゃ、踏むよ。えいっ!」
 賛成二、反対一で可決と見るや、プリシッラは大して警戒した様子も無く、無警戒にスイッチを踏み込んだ。ガコン、と機械音を立ててスイッチが床に沈む。
「……あれあれ?」
 何も起きない。
 扉が開くどころか、罠が作動する気配すら無かった。
 おかしく思ったプリシッラが足をどけると、スイッチは再び音を立てて元に戻った。勿論何も起きない。
「なんでなのジル?」
「俺に聞くなよ」
「むぅ」
「……もしかして、これ一つじゃないのかもしれない。入り口仕掛けの事も考えると、多分全部で四つ。これ以外にも他に三つありそうなものなんだけど……」
「あれか」
 ジルが指差した先には、同じようなスイッチがあった。
 目の前のものとあわせて全部で四箇所。それが正方形を描くように整然と並んでいる。
「どれかが当たりかなぁ?」
「いいや、それじゃあハズレのスイッチに罠が無かった事に説明が付かない。きっと全部当たりだよ。みんな、一人ずつスイッチのそばに行ってみて」
 ニコの指示に従い、それぞれのスイッチの前に一人ずつ立った。
「せーの、で同時に押すよ!」
「大丈夫なのか? 罠ではないのか?」
「もし罠ならひとつ押した時点で発動してるんじゃないのか?」
「なるほど……」
 尻込みしていたシルヴィアはジルに諭されて腹を決め、表情を凛々しく引き締めた。
「わかった。やってみよう」
「準備はいいね? じゃあ行くよ。せーの!」
 今度は四人同時にスイッチを踏み込む。四つの音が重なり、その直後に今まで聞こえなかった大きな音がした。
 部屋が振動し、奥の扉が開いていく。ゆっくりと開くその隙間から、邪悪な気配を漂わせて。
「みんな、集まるんだ!」
 危機感を感じたニコの指示に従って、四人は直ちに部屋の中心に集まった。それぞれの得物を取り出して身構える。
 扉が完全に開ききると三つの黒い影と、それよりも一際大きな影が一つ飛び出してきた。
 影達はすべて空を飛び、広間の上方でぐるぐると旋回する。
 闇に目を凝らしてみると二種類の魔物の姿が確認できた。
 三体いる方は“ナイトフライヤー”。大型犬ほどのサイズの蝙蝠で、人の生き血を啜る吸血蝙蝠。
 そして一際大きな一つが“ガーゴイル”。翼を生やした人型の石像に魔法の力で命が宿った怪物、遺跡を守る守護者として有名な魔物だ。
 四人はお互いの背を守るように立ち、頭上を旋回する魔物と対峙した。
「来た!」
 誰かが叫ぶように言った。
 三体のナイトフライヤーが牙を剥いて急降下してくる。
 最初に動いたのはプリシッラだった。
 彼女は素早い動作で矢を番えると、弓を引き絞って上空へと放った。
「ギャンッ!!!」
 射抜かれたナイトフライヤーがバランスを崩し、錐揉み状に回転しながら落ちていく。深々と刺さった矢は正確に心臓を射抜いていた。
 プリシッラはすぐさま次の矢を番えて放つ。
 だが先の一撃で警戒を高めていたのであろう。ナイトフライヤーたちは寸前で強引に軌道を変えて矢を躱した。
 そのうちの一体が、プリシッラを標的と定めて襲い掛かってくる。
 
「フレイ、イス、フロウ、ケン。
 其は形無き赤。其は熱く燃ゆる魔神の舌。
 我が敵対者を嘗め焦がし、滅ぼし尽くさん。
 吹き上げよ焔――――――」
 
 魔物がプリシッラに噛み付こうと牙を剥いたその時、ニコの声が朗々と広間に響いた。
 
「フレイムブロウ!!」
 
 床から突如噴き上がった業炎が、プリシッラに襲い掛かろうとしていたナイトフライヤーを包み込んだ。
 “フレイムブロウ”。吹き上げる火柱が対象を焼き尽くす火属性の中級魔法。
 火達磨にされた魔物は地面の上でのた打ち回ったが、勢いの強い炎にあっという間に焼き尽くされて消し炭と化した。
「これがニコの魔法……なんという威力だ」
「感心してる暇は無いぞ!」
「っ!」
 ジルの緊張を孕んだ声に反応して、シルヴィアは上体を仰け反らせた。
 次の瞬間、彼女の頭があった空間を最後のナイトフライヤーが過ぎ去った。あと一瞬でも遅かったら、シルヴィアは頭ごと持っていかれていただろう。
 魔物は旋回しながら一度上昇し、再び上空から攻撃を仕掛けてくる。
 シルヴィアとジルが剣を構えた。
「っは!」
 ダンッ、と床を強く蹴ってシルヴィアは高く跳躍。急降下してくる魔物を空中で迎え撃つ。
 剣と牙が空中で交錯する。
 競り合いに勝ったのはシルヴィアだった。魔物の牙は彼女にはかすりもせず、逆に彼女の剣は魔物の翼を斬り飛ばした。
 翼を失って堕ちるナイトフライヤーの真下に、ジルが待ち受ける。
「せぃ!」
 振り上げられた大剣が風を唸らせ、豪快な斬撃が堕ちてきた魔物を一刀のもとに斬断した。
 初撃は凌いだ。しかし安堵している暇は無い。
 上空を振り仰ぐと、そこには一番の強敵であるガーゴイルが旋回していた。
 ガーゴイルはしばらく様子を見るように飛び回り、やがてナイトフライヤーたちと同じように急降下して襲い掛かってきた。
 パワー、スピード共にナイトフライヤーとは桁違いの破壊力を秘めた特攻。
 四人は咄嗟に散開してそれを躱した。
 勢い余ったガーゴイルは床に激突した。凄まじい衝撃が床を揺らし、濛々と土煙が上がる。それが敵味方の姿を覆い隠し、四人はそれぞれ身動きが取れなくなった。
 咄嗟のこととはいえ、散開してしまったことが仇になった。
「いぃ!」
 土煙の中にプリシッラの悲鳴じみた叫び声が響く。土煙に紛れてガーゴイルが彼女に肉薄していた。
 鋭い石の爪が首を狙って振り下ろされる。プリシッラは床を蹴って後ろに飛ぶことでそれを躱した。下がりながらもすかさず矢を放つ。しかし放った矢はガーゴイルの硬い身体に傷一つ付けられずに弾かれてしまった。ダメージを与えるどころか、怯ませる事も出来ない。
 ガーゴイルが恐ろしい速さで間合いを詰めて追撃してくる。
「やば……!」
「危ない!」
 たまたま傍にいたシルヴィアが両者の間に割って入り、振り下ろされた爪をすんでの所で受け止めた。
 だが石の重量を持つガーゴイルの激烈な一撃は凄まじかった。
 シルヴィアは攻撃の勢いを殺しきれずに吹っ飛ばされ、逃げ遅れたプリシッラをも巻き込んで、縺れ合いながら床に転がった。
 そんな隙だらけの二人に、ガーゴイルが再び襲い掛かった。
「くっ!」
 左右の爪を縦横に振り回しての猛ラッシュ。
 シルヴィアは必死にそれを受けるが、転んだ体勢のままでは剣を十分に取り回す事が出来ず、次第に追い詰められていく。
「しまっ……!!」
 そしてついに受け損ねた。
 鋭い石の爪が、シルヴィアの顔面に迫る。
「はぁっ!」
 爪がシルヴィアの顔面に突き刺さる寸前、横様から割り込んだ大剣がガーゴイルを打ち飛ばした。
 黒い外套を纏った大きな背中が、二人を守るように立ちはだかる。
 それを見て、シルヴィアは胸が高鳴るのを感じた。
「俺が引き受ける」
 ジルは振り向かず、ガーゴイルを睨んだまま言った。そして大剣を肩に担いで、駆けて行く。
「シルヴィア!」
 その後姿に見惚れて呆然としていたシルヴィアを、プリシッラが強引に引っ張って下がらせた。
 前に出たジルはガーゴイルに肉薄し、大剣を振り被った。
 打ち下ろされた大剣が石の爪と激しくぶつかり合い、火花を散らす。
 ジルの剣技は見事なものだった。大柄で力があっても受け止めきれないであろうガーゴイルの猛攻を、彼は上手くいなして捌いていく。
 
「フェオ、ウル、グラン、ケン。
 汝、降り注ぐ石の霰。
 猛り狂う巨人の拳撃。
 打ち砕け大地の打擲――――――ストーンラッシュ!」
 
 ジルが足止めしている間に、離れた場所で精神を集中していたニコが魔法を発動させた。
 虚空に現れた岩の礫が、四方八方からガーゴイルを滅多打ちにする。
 その衝撃に仰け反った隙を、ジルが攻める。
 大剣がガーゴイルの右腕を切り飛ばした。重たい石の腕は弧を描いて飛び、ごんと大きな音を立てて床に落ちた。
 さらに返す刀で肩口に斬り付ける。しかしそこは腕よりも硬いのか、ジルの大剣でも斬ることができずに弾かれた。
「どいてジル!」
 後方から聞こえたプリシッラの声に反応して、ジルは咄嗟に身体を横にずらす。
 光り輝く二本の矢が後方より飛来し、ガーゴイルの両目に突き刺さった。
 石でできた人工生命であるガーゴイルに痛覚は無いという話だが、流石に目を潰されると困るらしい。ガーゴイルは姿の見えない敵を追うように、バタバタと滅茶苦茶に暴れまわりはじめた。
 
「イス、アンスール、ウル、ケン。
 其はより強く。其はより鋭く。
 いと高し軍神の剣と為さん。
 勇壮たる光を此処に――――――ストロンガ!」
 
 シルヴィアの凛とした声が広間に響き渡った。
 大剣が白い光を帯びる。ジルは先程シルヴィアが魔法の心得があると語っていたことを思い出した。
 強化の魔法“ストロンガ”。物質の物理作用を増幅する補助魔法の一種だ。その効果は攻撃力の強化。プリシッラの矢がガーゴイルの目を潰せたのは、彼女の弓矢にもこれが施されていたおかげだった。
「ジル!」
 名前を呼ばれて振り返ると、不敵に笑うシルヴィアが頷いていた。
「行け!」
「任せろ。シルヴィア!」
 ジルは頷き返す。
 二人がお互いの名前を呼んだのは、これが初めてだった。
「終わりだ」
 ジルは再び大剣を大上段に振りかぶり、目を潰されて右往左往するガーゴイルに向かって斜めに振り下ろす。
 魔法で強化された大剣は、今度こそガーゴイルを真っ二つに叩き切った。
 
 
 
 遺跡の最深部にたどり着いた一行は、そこで石棺を見つけた。
 どうやらこの遺跡は墓だったらしい。棺には遺体と一緒に副葬品の銅鏡が納められており、一行はそれを回収した。
 死者の持ち物を奪うことにシルヴィアは気が引けたが、文無しでは形振り構っていられない。幸い銅鏡は高度なマジックアイテムという訳ではなかったものの、歴史的価値はなかなかのもので、遺跡の位置情報を付ければ大学などに高く売れそうだとニコは言っていた。
「外だぁ〜〜!」
 遺跡から出た途端、プリシッラは叫びながらぐぐーっと背筋を伸ばした。
 豊かな茶髪が太陽の光を受けてキラキラ輝いた。外の空気をこれでもかってぐらい吸い込みながら微笑んだ彼女はなかなか可愛らしい。
 他の三人は疲れた様子で溜め息を吐いていた。
「さぁさぁ、帰ろ。とっととそれ売っ払って美味しいもの食べようよ〜」
「そうだね。久しぶりに強敵と戦って疲れたよ」
 四人は王都に向かってゆっくりと重い足取りで歩き出す。みんながみんな疲労困憊で、とにかく早く休みたかった。
 森の中を歩いていると、プリシッラが突然シルヴィアの腕に抱きついた。
「な、一体どうしたのだ!?」
「さっきは助けてくれてありがとうねっ、シルヴィア!」
 どうやらプリシッラはガーゴイルから助けてもらったお礼を言いたかったらしい。じゃれ付くのは彼女なりの愛情表現といったところだろうか。
 やや戸惑いはあるものの、感謝されて悪い気はしない。シルヴィアは満更でもなさそうにされるがままにした。
 そんな二人の姿を見て、ニコが声を上げて笑う。
「ははは、随分と気に入っちゃったみたいだね」
「だってさ、シルヴィア優しいし可愛いし、それに同郷だしね」
「む、私の故郷を知っているのか?」
「うん、アヌウン地方の“貿易都市エレスサル”でしょ? あたしもそのへんの生まれなんだ〜」
「なるほど、それでシュトラウス家のことも知っていたわけか」
 洞窟に入る前、プリシッラがシュトラウス家の教育について言っていたのを思い出す。なるほど、同郷ならば領主の事くらい知っていてもおかしくない。
 その時、ニコが何かを思いついたようにポンと手を叩いた。後ろを歩くジルに振り返り、意味深な視線を送る。
「どうしたニコ?」
「すごくいいアイディアが浮かんだんだけど、手伝ってくれる?」
「……内容次第だ」
「じゃあ大丈夫だ」
「…………」
 ニコのあまりにも身勝手な言い様に、ジルは眉間に皺を寄せた。
 その顔を見て彼が昨日から何度も同じような顔をしていたのを、シルヴィアは思い出した。どうやらジルには眉間に皺を寄せる癖があるらしい。
「ねえ、シルヴィア。良かったら僕らの仕事先で働かない?」
「仕事先?」
「お! それ賛成〜!」
 ニコの提案に、プリシッラが手を挙げて嬉しそうに乗ってきた。物をねだる子供のように、しがみ付いた腕を揺らしてくる。
「ね〜ね〜、シルヴィア〜。そうしようよ〜!」
「お、落ち着け。私はその仕事が何なのかまだ聞いていないぞ!」
「ズバリ、何でも屋!」
 いまいち要領を得ない回答にシルヴィアは首を傾げる。ニコが苦笑して補足した。
「“ギルド”の傭兵さ」
「ギルド……冒険者ギルドの事か?」
「そう、僕とプリシッラは王立ギルド≪ストライダー≫の隊員なんだ」
 “ギルド”というものがどういった所なのかは、シルヴィアも随分昔に社会の授業で習って知っていた。冒険者を雇い、各地から寄せられた依頼を紹介する組織だったはずだ。
 ギルド員ならどの土地でも所属ギルドを訪ねれば、すぐ仕事が斡旋してもらえるのだ。昨夜のシルヴィアのように途方に暮れてしまうこともあまり無いのだろう。
「実は後ろで不機嫌な面してるジルもうちのギルドに入りたがってるんだけどね。困ったことに≪ストライダー≫の隊員ってペア登録なんだよ」
「そーそー。でもジルって無愛想で根暗でしょ? それで友達がいないから誰も組んでくれる人がいないの」
 ニコとプリシッラの容赦無い評価にジルはより不機嫌な顔になったが、否定はしなかった。やはり彼なりに自覚している所もあるらしい。
「そこで私の登場というわけか」
「うん。僕らももうちょっとシルヴィアと一緒に居たいし。君がよければジルのパートナーになってあげてくれないかな?」
「私がジルのパートナーに……」
 シルヴィアはチラリとジルを見上げた。
 ガーゴイルとの戦いのときに見た逞しい背中を思い出して、再び胸が高鳴る。
 正直なところ、彼に悪い印象は持ってない。むしろ好ましくすら思えた。確かに無愛想でぶっきらぼうだが、その心根は優しい。
「どうかな?」
 ニコが柔らかに微笑む。その横でプリシッラが期待に満ちた眼差しを向けてきた。
「ジルが良ければ。私はパートナーになってもいい」
 シルヴィアは金色の瞳を真っ直ぐ見つめた。
 ニコの提案。プリシッラの賛成。それはジルの意思の外にあるものだ。シルヴィアはまだジルの言葉を聞いていない。本人の意思を聞かないで決められるわけが無い。
 いや、もしかするとそう思うのは全て自分への欺瞞かもしれない。シルヴィアはジル本人から誘ってもらいたかった。
 交叉する視線を通じて、その気持ちが通じたのだろうか。ジルはゆっくりと頷いた。
 言葉が無いのを少し寂しく思いながら、シルヴィアも頷き返した。
「わかった。この話、お受けしよう。ただ……」
「なんだ?」
「実は私は“帝威騎士団(インペリアルナイツ)”を目指している。半年後に行われるセレクションを受験するつもりだ」
 女王に仕える騎士になりたい。それがシルヴィアが王都にやってきた訳だった。
 ここレンスター王国では、古来より“女王の剣”と呼ばれる“帝威騎士団(インペリアルナイツ)”に入ることこそが、もっとも名誉あることとされている。
 国民は身分や性別を問わず、一度は騎士になる事を夢見るのが常識だった。
 シルヴィアもその内のひとりであった。
「だから私が組めるのは半年間だけだ。それでもよいか?」
 誘ってもらっておいて条件を出すのは気が引けたが、やはり騎士になりたいと言う望みだけは譲れなかった。
「なんだ丁度いいじゃないか」
 ニコが嬉しそうにそう言うとプリシッラも微笑んだ。
「言うの忘れてたけど、あたしたちもセレクション受験志望なの」
「だから僕らもジルも、ギルドにいるのは半年後までなんだ」
「では……」
「セレクションまでの半年間、同じ目標に向かう者同士頑張ろうよ」
「あ、ああ! よろしく頼む」
「やったー!」
 プリシッラが拳を握ってガッツポーズを取る。
 他人事なのに自分のことのように喜ぶ姿が好ましく思え、シルヴィアは顔を綻ばせた。 そうでなくても同じ目標を持っている者同士、親近感が湧いてくる。
 出会ってまだ一日しか経っていないが、シルヴィアは彼等の事が好きになれそうな気がした。  
 
 
 【第三章 ≪ストライダー≫】
 
 
 午前。シルヴィアはプリシッラと共にメインストリートのとある店にいた。
 そこは女性冒険者向けの装具店で、店内には簡素な旅装束から全身鎧まで様々な装備品が陳列されていた。
 ここレンスター王国は、建国当時から女系の王室が国を治めている。そのためか他国に比べて女性の社会進出が盛んで、こういった装具店や武具店にも女性向けの店が多かった。
「ねーねー、コレなんか良いんじゃない?」
「わ、悪くはないが私はスカートは少々……」
「だからってそんな可愛くないパンツはどうかと思うよ。そんじゃコレ、試着してみて」
 難色を示すシルヴィアをあっさりといなし、プリシッラは自分が見繕った服を手渡した。
 シルヴィアは思わず受け取ってから服を見た。オレンジ色のノースリーブと真っ白なプリーツスカート。
「な、なんだこれは!?」
「なにって、シルヴィアの服候補」
「そうではない! 最大限譲歩してノースリーブは良いとするとしてもだ。このスカートは短過ぎる!」
「膝上二センチ程度でなに言ってんの。ほらほら、さっさと試着するの」
 シルヴィアの抗議には一切取り合わずプリシッラは実に楽しそうに服を選んでいく。
 その様が年頃の女の子の買い物というよりも、人形の着せ替え遊びをしているかのように見えたのは気のせいではないだろう。
「遅い」
「まあまあ、女の子の買い物なんてそんなものだって」
 店の前の通りでは男二人が待ちぼうけをくらっていた。
 シルヴィア達が店に入ってから既に一時間が経っている。待ちくたびれてしまったのか、ジルは眉間に皺を寄せていた。そんな彼をニコが苦笑しながら宥めている。大の男が年下の少年に宥められている光景はかなり奇妙だ。
 それからさらに一時間後、ジルとニコがすっかり疲れ切ったころ。プリシッラが店から出てきた。
「どうだった?」
「もうバッチリ。今着替えてるからね!」
 ニコの問いにプリシッラは親指を立ててみせた。なにがどうバッチリなのかは定かではない。
「ま、待たせて済まない!」
 プリシッラより遅れること数分、上ずった声を出しながらシルヴィアが出てきた。
 ニコは口笛を吹いて感心し、ジルは微かに目を見開いた。二人ともシルヴィアの見事な変身振りに驚いていた。
 シルヴィアが着ているのは丈の長い真紅のワンピースだった。腰は太い革ベルトで括ってあり、ピタリと密着した布が彼女の細い身体のラインを浮き上がらせている。スカートは丈が踝あたりまであったが、動きを殺さないためか両側に深いスリットが入っていた。事前にセミロングまで切った黒髪とも合っている。
「ど、どうしたのだ呆然として。どこかおかしいとか……?」
「ううん、逆だよ逆。すごく綺麗だからびっくりしたのさ」
「そ、そうか」
 シルヴィアはやや恥ずかしそうではあったが、その一方でニコに褒められると満更でも無さそうに頬を染めた。
 嬉しそうに笑んでその場でくるりと回って見せる。するとスカートがふわりと舞い上がって、スリットの間から白い脚が覗いた。
 男共は揃って目を逸らしたが、ジルもニコもしっかり見ていたらしく、微かに顔が赤くなっていた。
 そんな二人の様子に気付かないシルヴィアの陰で、気付いたプリシッラが目を妖しく輝かせた。
「な〜に顔赤くしてるの?」
「な、なんでもないよ!」
「うそだぁ。じゃあなんでシルヴィアの方見ないの?」
「だからなんでもないってば!!」
 やや顔を赤くして俯いているニコに、プリシッラはニヤニヤ笑いながらちょっかいを出す。
「じゃあほらほら、シルヴィアを見なさいって」
「な、ちょ、やめ……!!」
 肩を掴んで無理矢理シルヴィアのほうに向けようとするプリシッラに、ニコは必死に抵抗する。ぎゃーぎゃーと姦しく騒ぐ二人組に、周囲から痛い視線が集中した。
「また始まったか」
 ジルが眉間に皺を寄せながらポツリと漏らした。
「もしやこの二人はいつもこうなのか?」
「ああ」
「意外だな。ニコはもっと大人びた印象があったのだが」
 プリシッラは初めて会った時から喧しかったからともかく、ニコはいつも落ち着いた対応をしていたので、こうして子供のように騒ぐ姿はとても新鮮に見えた。
「ところで止めなくてもよいのか?」
 騒ぎを聞き付けた人々が集まりだしている。シルヴィアはかなり恥ずかしくなってきていた。
「止めに入るのもいいが、間違い無く巻き込まれるぞ」
「そ、そうか。しかし周囲の視線が……」
「なら他人の振りしてさっさと行くか。丁度昼時だしな」
 ジルは薄情にもそう言い捨てて、さっさと早足で歩き去る。
 シルヴィアはその背中を呆気にとられて見つめたが、プリシッラたちの周りに人だかりが出来だしているので、彼女もジルを追う様にその場から逃げ出した。
 置いて行かれた事に気づいた二人が追いついてきたのは十数分後の事。
 ニコは恥ずかしそうに苦笑していただけだったが、プリシッラはへそを曲げてしまっていて、シルヴィア達は彼女の機嫌を直すのにかなりの苦労を強いられたのだった。
 
 
 
 午後。
 シルヴィア達が向かったのはプリシッラとニコが働いているギルド、≪ストライダー≫の本部だった。
 東門から城へと伸びる大通りを北に一本外れた通りにそれはあった。
「ここが……」
 シルヴィアはその四階建ての建物を感慨深げに見上げた。
 ≪ストライダー≫の名前はシルヴィアも聞き及んでいた。国内にいくつかある王立ギルドの中でも最強と言われるほどの精鋭揃いであり、“帝威騎士団(インペリアルナイツ)”のセレクションの合格者をもっとも多く輩出しているギルドだった。
 その入隊試験を今から受けると思うと、シルヴィアは感動と共に言葉に表せないプレッシャーを感じた。
「行くぞ」
「うむ」
 先に立ったジルの後ろに続いて、シルヴィアは本部に足を踏み入れた。
 中に入ると受付のカウンターで書類仕事をしていた女性が顔を上げた。
「あら、いらっしゃいジル。パートナーは見つかった?」
「ああ」
 ジルは斜め後ろのシルヴィアに目をやった。受付の女性もそちらを見る。
 シルヴィアはどこかぎこちない動作でジルの隣に進み出た。誰が見ても明らかに緊張していた。後から入ってきたプリシッラとニコが苦笑する。
「しししシルヴィアです。よ、よろしくお願いします!!」
「シルヴィア、ね。私はアマンダ。よろしく」
 “アマンダ”と名乗った女性は椅子から立ち、手を差し出して握手を求めた。シルヴィアは礼儀正しくそれに応じた。
 知的な感じのする女性だった。銀縁の眼鏡と、ハニーブロンドの髪をうなじの上で纏めた髪型が良く似合っている。年齢は十代後半にも三十路前にも見えた。
「見ての通り受付嬢よ。ここでギルド員の登録と仕事の斡旋を担当しているわ。何かわからないことがあったら遠慮無く訊いて頂戴ね」
「は、はい」
「ふふ、そんな畏まらなくても誰も怒らないわ。ここには荒っぽいのが多いもの」
 アマンダはシルヴィアの緊張を和らげるように微笑んだ。
 しかし次の瞬間、その眼が妖しい輝きを宿す。
「それに、女の子は笑ってた方が可愛いわよ。貴女も、プリシッラも。笑ってたほうがよっぽど素敵だわ。ふふ、うふふふふふ……」
 そう言ってアマンダは艶かしい笑い声を漏らした。頬が上気してほんのり赤く、鼻息もやや荒い。
 熱烈に見つめてくる濡れた瞳に、シルヴィアは言い知れぬ悪寒を感じた。後ろを見ればプリシッラの顔も引きつっていた。
 このアマンダと言う女性、一見まともそうに見えて実はかなりヤバい人なのかもしれない。
「それじゃあ話はここまでにして、さっさと登録を済ませてしまいましょうね。二人ともこの書類に記入して」
 いきなり事務的な態度に戻ったアマンダは、脇の引き出しから書類を二枚取り出して、カウンターに置いた。
 シルヴィアとジルはペンを取り、書類に必要事項を書き込んでいく。二人とも書き終わると、アマンダはそれを受け取ってファイルに挟んだ。
「ジルベール・ハンネマン、十九歳、出身地はミース地方“ヴァゴン”。これで間違い無い?」
「……ああ」
「それから……字が震えて読み辛いわね」
「す、済みません」
 畏まって頭を下げるシルヴィアに、その場にいた全員が苦笑した。
「シルヴィア・ローハン。十八歳。出身地は、あらプリシッラと同郷なのね。アヌウン地方“貿易都市・エレスサル”。これでいい?」
「はい」
 シルヴィアは少し目を逸らして頷いた。書類に偽名を書き込んだのがばれやしないかと、内心びくびく震えていた。
 現在、伯爵家を絶賛家出中のシルヴィアを、父親であるシュトラウス伯が探していない筈はない。≪ストライダー≫は王立ギルドだ。本名で登録すればすぐに噂が広がって連れ戻されてしまうのは間違い無いだろう。
 なのでシルヴィアは偽名を名乗り、平民の振りをすることにした。午前中に服装と髪形を変えたのはそのためだ。努力のおかげか、上流階級くささは大分払拭されていた。
「書類はこれでよし。じゃあ次は試験ね。準備をするから少し待ってて頂戴」
 アマンダはそう言うと席を立ち、奥の階段を昇って行った。受付に四人だけが取り残される。
 シルヴィアは試験と聞いてさらに緊張した。額から汗が滲み出し、じっとしていられなくなる。落ち着かない様子で視線を彼方此方に泳がせていると、不意にジルと目が合った。
「緊張してるのか?」
「そ、そんなことはない!」
 シルヴィアは強がってそう言い返すも、不自然に声がどもってしまった。
 そんな彼女の様子を見て、今まで後ろで見守っていたプリシッラがニヤリと悪どい笑みを浮かべた。
 プリシッラは気配を消し、にやにやと嗤いながらシルヴィアの背後に忍び寄る。相棒のニコはそれを止めるどころか、面白そうに見ていた。
「うりゃー!」
「ひゃあぁぁっ!!」
 プリシッラはシルヴィアの脇腹を思いっ切りくすぐった。
 突然の事にシルヴィアは素っ頓狂な悲鳴を上げて飛び上がった。その悲鳴は普段の凛とした感じではなく、歳相応の少女らしい声だった。
 シルヴィアは身を捩って逃げ、プリシッラを振り返って睨んだ。
 悪戯が成功したプリシッラは腹を抱えて笑い転げ、ニコも声を上げて笑っていた。
「にゃははははっ、シルヴィアのリアクション可愛い〜!!」
「あはは、ひゃあ〜だって」
 似てないものまねに、二人は意味も無く爆笑する。
 当然シルヴィアは怒り、阿修羅のような形相で二人を睨んだ。
「お、お前たち! 私をからかってそんな楽しいかっ!!?」
『うん。すっごく』
 答えたプリシッラとニコの声がきれいにハモる。
「ほぉ、声を揃えて答えるとは仲が良いじゃないか……って、からかわれる私の身にもなれぇぇぇっ!!」
「うにゃっ! シルヴィアがノリ突っ込んだ!」
「しかもなんか剣まで抜いてるし!!」
「二人ともそこに直れ! その捻じ曲がった根性を矯正してくれる!」
 シルヴィアは逃げる二人を剣を振り回しながら追い掛け始めた。ギャーギャーバタバタ騒ぎながら、三人は部屋中を駆け回る。
 あまりのも高いテンションに独り取り残されたジルは、心底呆れ果てて大きな溜息を吐いた。
 こんなやり取りが昨日から何度も繰り返されている。
 シルヴィアの反応の素直さにある種のいじめ甲斐を感じるのか、プリシッラとニコは事あるごとに彼女をからかった。その度にキレたシルヴィアが、二人を追い掛け回した。
 毎回取り残されるジルは最初の内こそ止めようとしていたが、すぐに無駄だとわかって諦めた。今では、自分に矛先が向かない限り放っておく方がいい、と判断していた。
「なんだか騒がしいわね」
 試験の段取りが決まったのか、アマンダが奥から戻ってくる。彼女は騒ぐ三人を見て呆れた顔をした。
 ジルはとりあえず謝っておいた。
「止めないの?」
「巻き込まれるだけだ」
「……まあ、いいわ。シルヴィアは忙しいみたいだから貴方が先ね。奥の階段を上がって」
「わかった」
 ジルは騒ぐシルヴィア達を置き去りにして奥へと入っていってしまった。
 結局、三人の騒ぎはジルが戻ってくるまで三十分間もの間続いた。
 
 
 
 ジルが試験を終えて、シルヴィアの順番になった。
 アマンダの指示に従い、奥の階段を上がって三階に出る。
 緊張はやや解れていた。少なくともさっきの様にガチガチではない。少し悔しい話だが、プリシッラたちとのやり取りが、上手い具合に緊張を解してくれていた。
 試験はまず三階の一番奥の部屋で面接をするという。しかし突き当りの扉の前に立ったシルヴィアは妙な予感を感じて、しばらく立ち尽くした。
 すぐに入る気にはどうしてもなれず、廊下を見渡て周囲の壁に目をやる。そしてある事に気付いた。
(怪しいな。ここは慎重に……)
 シルヴィアは一つ深呼吸をしてからドアノブに手を掛けた。ゆっくりと捻り、少し溜めを作ってから一気に開け放つ。それと同時に扉の前から飛び退いた。
 扉が開いた瞬間、部屋の中から何かが飛んで来た。それは開け放たれた入り口を通って、正面の壁に突き刺さった。
 飛んで来たのは鋭いナイフだった。あらかじめ扉の前から退避していなければ、それは間違い無くシルヴィアの顔面に突き刺さっていただろう。
「外しましたか……」
「ここではまずナイフを投げつけるのが挨拶の作法なのか?」
 シルヴィアは部屋に入り、ナイフを投げたであろう女を睨みつけた。
 得物の剣は扉を開けた瞬間に抜いている。次のナイフが来ても問題なく対処できるように警戒しながら、シルヴィアは女をまじまじと見た。
 女は東方の砂漠に住む人種のようだった。小柄で、露出度の高い服から浅黒い手足が伸びている。耳がやっと隠れるほどの長さの髪は亜麻色で、瞳はライトパープルだ。
 対峙してみて初めて実感したが、かなりの遣い手だ。正面の執務机に無造作に腰掛けているだけなのに、恐ろしいほどの殺気が伝わってきた。正直、やり合うとなると勝てる気がしなかった。
「そういう訳ではありません。ああ、もう剣は納めて結構ですよ。やる気はもう有りませんから」
 女は両手を上げて戦意が無いことを示した。
 警戒していたシルヴィアは疑わしそうに女を観察する。しばらく無遠慮に眺め、本当に戦意が無いことを確認してからやっと剣を納めた。
「よろしい。ところでどうして気付いたのです。わたしがナイフを投げると?」
「正面の壁に穴が沢山あった。これは今のようにナイフが刺さった痕ではないのか?」
 本当にナイフが飛んでくるとは思っていなかった。だが壁の穴を見たときに嫌な予感を感じて、退避したほうがよいと判断したのだった。
「なるほど、それでばれてしまったのですね。今度壁の修理を頼んでおきましょう。折角、血が見られると思ったのですが……」
 女は冷静な口調でとんでもない事を口走った。アマンダと言い、このギルドは一癖二癖ある人物が多いのかもしれない。
「兎にも角にも合格です。屋上で本部長がお待ちですよ」
 次は屋上らしい。
 もしナイフが刺さっていたら冗談では済まないと思いつつ、これ以上女と顔を合わせていたくないシルヴィアはとっとと出て行こうとした。
 最後に女が声を掛けてきたのは、扉を潜ろうとした時だった。
「申し遅れました。わたしは“ミラ・アルハザード”。≪ストライダー≫の副長をしています。以後お見知りおきを」
 
 
 
 副長の部屋を辞したシルヴィアは、階段をさらに上がって屋上に出た。
 本部の建物は周囲の建物よりも背が高かった。屋上からは民家や商店、貴族の屋敷や王城など、王都の景色が一望できた。
 どうやらこの屋上は訓練場も兼ねているらしい。稽古用の木人や素振り用の木剣、模擬戦用の刃を引いた剣などがそここに転がっていた。
「来たか」
 屋上の縁に立ち、街を眺めていた男が振り返った。
 坊主頭の堂々とした体躯の中年男だ。恐らく達人だろう。ミラの時と同じように、ただ対峙しただけでこの男が凄まじい実力の持ち主であると思い知らされた。
「オレが≪ストライダー≫の本部長兼ギルドマスターだ。“クライド・ゴート”って言やぁわかるか?」
 男は模擬剣で肩を叩きながら、気さくに話しかけてきた。
 その態度があまりにも人懐っこいので、一見すると達人にはとても見えない。しかしよくよく注意してみると、まったく隙が無かった。
 それに、名前にも聞き覚えがあった。
「クライド・ゴート……まさか、ゴリアスの反王国派を駆逐した“救国の英雄”!?」
 救国の英雄、“クライド・ゴート”。
 十年ほど前にゴリアスという街で起きた、大規模な暴動を収拾した伝説の騎士だ。事件の直後に騎士を辞めたとされているが、王立ギルドの責任者になっているとは知らなかった。
 しかし目の前の男が本当にあのクライドなら、達人であることも納得できる。
「さてと、早速“試験”を始めるぜ嬢ちゃん。かかって来な。ああ、安心していいぜ。訓練用の剣でやるからよ」
 クライドは肩を叩いていた剣を下げると、正面に構えてシルヴィアを挑発してきた。
 試験と言われては応えないわけにはいかない。シルヴィアも剣立ての中から刃引きされた剣を一本取り出し、右足を引いて水平に構えた。
 睨み合う両者。お互いに剣を構えたまま身動きしない。
 クライドは悠然と構えて、相手が仕掛けてくるのを待っている。
 その構えには何処にもまったく隙が無い。攻めあぐねて焦るシルヴィアの顎から汗が伝い落ちた。
 このままでは埒が明かないと、シルヴィアは間合いを保ったまま左右に動いて揺さぶりをかける。だが――――――、
(小細工は無駄か……)
 この程度ではクライドは小揺るぎもしない。
 そもそも実力差が絶望的なのだ。相手の得物は模擬剣だというのに、正直逃げ出したい。かといってそう簡単に逃がしてくれる相手でもなかった。
 こうなったら出来ることは一つしかない。
「行きます」
 シルヴィアにできることと言えば、全力で真っ向から向かっていくことだけだった。
 一瞬身体を沈め、駆ける。
 繰り出したのは最短距離で攻撃が届く“突き”。鋭い切っ先がクライドの右肩目掛けて空を突き進む。
 速く鋭いシルヴィアの攻撃を、クライドは僅かに身を引いて身体を右に開く事で躱した。同時に、いつの間にか左手に持ち替えていた剣で反撃してくる。
 シルヴィアは前進の勢いを殺さずに左に流し、上段からの打ち下ろしを躱した。そしてそのまま左足を軸に回転し、大きく剣を振って胴を薙ぎ払いにいく。
 クライドはそれを剣を縦に構えて受け止めた。
 剣と剣がぶつかり合って火花を散らす。受け止められた衝撃がグリップを介して腕に伝わってくる。
 シルヴィアは跳び下がって一度間合いを切り、即座に反転して再びクライドに突進していく。
「はあぁぁぁっ!」
 自分の持ち味である速さを最大限に活かしての猛ラッシュ。
 運動速度、反応速度、思考速度。シルヴィアは持てる全てを全開にしてクライドに挑んでいく。
 しかしシルヴィアの健闘も空しく、その高速の猛攻をクライドは全て捌き切ってみせた。一分の無駄も隙も見当たらない剣捌きで、全ての攻撃を完璧に受け止めてみせた。
 何十合も切り結んだというのに、シルヴィアの剣はクライドには届かなかった。
 その上、さらに幾分かの余裕があるのだろう、猛攻を受けながらだというのにクライドは楽しそうに笑った。
「は、やるじゃねぇか。さっきのでかい小僧もそうだが、やっぱセレクションを前にすると面白い奴が次々入って来やがる、ぜ!!」
「くっ……!」
 クライドが反撃にでた。
 激烈な打ち込みを、シルヴィアは剣を真横にして受け止めた。しかしその一撃は非常に重たかった。衝撃すら伴う落雷のような轟音が耳を打った。
 あまりの重さにシルヴィアは体勢を崩し、たたらを踏んで後退する。その隙を見逃すクライドではなかった。
 先程よりも遥かに重い横薙ぎ。
 シルヴィアはなんとかそれを受け止めたものの、剣は手を離れ、彼女自身も吹っ飛ばされて背中を壁に打ち付けた。
「う、ぐぁ……」
 衝撃で肺から空気が吐き出され、立っていられなくなったシルヴィアはついに膝を付いた。
 咳き込みながら蹲る彼女の首筋に、クライドの剣が突きつけられる。
「まだまだだな」
 シルヴィアの完全敗北だった。
 クライドは剣を下ろし、傍らの壁に立てかけた。
「名前はなんていうんだ嬢ちゃん?」
「シルヴィア……ローハン」
 慣れない偽名と息苦しさでつっかえながら、シルヴィアは名乗った。
「シルヴィアか……。それじゃあシルヴィア、お前さんはどうしてうちのギルドに入隊しようと思ったんだ?」
「半年後の、セレクションです」
帝威騎士団(インペリアルナイツ)のあれか……」
「はい。それまでの生活と、受験資格のためです」
 帝威騎士団(インペリアルナイツ)のセレクションは三年に一度。しかも誰でも受験が出来るわけではない。
 受験資格を得るためには、貴族として生まれるか、もしくは子爵以上の貴族かギルドの承認を得なければならない。そのため試験の年ともなると、ギルドには何ヶ月も前から志望者が集まり、貴族の子弟も準備のために王都入りするのが普通だった。
 シルヴィアはもとから受験資格のある貴族ではあったが、身分を隠すために平民の希望者として振舞った。幸いクライドも彼女が平民の志望者の一人と思ってくれたようであった。
「私は、騎士になりたいのです! かつての貴方のような立派な騎士に!!」
 シルヴィアは熱い口調で吐露する。実際、セレクションのためというのは嘘ではなかった。
 だがクライドはそんな彼女をぞっとするほど冷ややかな目で見つめた。
「騎士になってどうする?」
「え……」
 そう問われて、シルヴィアは何故か言葉に詰まった。
 騎士になりたいと思った切っ掛けは、両親から望まない結婚を強制された事。
 それが嫌だから、立派な騎士になって自分が一人でも生きていかれることを示そうとしたのではないだろうか。
「騎士になれれば……私は、私のままでいられる」
 そう答えた声は、シルヴィア本人が驚くほど小さくか細かった。
「人生を、誰にも干渉されることなく自由に出来る」
 答えながら、自分というものがぐらぐらと揺らぐのを、シルヴィアは感じた。
 本当にそう思っているのか、という疑問が脳裏に過ぎる。そう思えば思うほど自分がわからなくなってきた。
 その迷いとも呼べる揺らぎを、クライドは見逃さなかった。
「本当にそう思っているのか? オレにはどうもやる気が無いように見えるぞ。“自分がなんのために剣を執るのか”、本当にわかっているのか?」
 その問いに、シルヴィアの息が一瞬止まった。
「仮に自由になれたとしてもだ。それからお前さんは何がしたい?」
 そんなの考えたことも無かった。
 騎士になって周囲に認められた自分が、その後どう生きていくのかなんてまるで想像が付かない。
 家に戻って貴族の女性として生きたいのか、そのまま騎士団で活躍したいのか。それとももっと他の道を行きたいのか。考えても考えても答えが出ない。自分がどうしたいのかわからい。
 それ以前に、自分にはやりたい事などなにもないのではないか。自分はそんな空っぽな存在なのではないか。
(だめだ! 考えてはいけない)
 不意になにか恐ろしいものに触れてしまうような気がして、シルヴィアは全力で思考を止めた。
「騎士を目指す奴全員に言える事だが。お前さんも若いな」
 クライドが溜め息混じりに漏らし、シルヴィアはいつの間にか俯けていた顔を上げた。
「目先のことに囚われるあまり、先のことが見えてねぇんだ。自分に必要なものはなんなのか、自分がなにを求めているのかがまるでわかってねぇ」
 そう語るクライドに先程までのエネルギッシュな雰囲気はまるで無い。どこか遠くを見て、なにかを惜しんでいるように見えた。
「まあ幸いセレクションまでまだ時間がある。半年間、うちでゆっくり考えて見つけるんだな。自分が本当に望んでいるものってやつを」
「え、では私は……!?」
「合格だ。これでお前さんも≪ストライダー≫だ。しっかり働いてくれよ」
「あ、ありがとうございまっ……げほっごほっ!」
 シルヴィアはすぐには立ち上がれず、床に座り込んだまま礼をした。直後、大声を出したためにぶつけた背中の痛みがぶり返してむせ返ってしまう。
 そんな彼女のドジっぷりと剣を握った時の凛々しさのギャップが可笑しくて、クライドは大声を出して笑った。
 
 
 
「どーだったどーだったっ!?」
 受付に下りると、プリシッラがほとんど体当たりするような勢いで詰め寄ってきた。
 シルヴィアはそれを抱きとめてやりながら微笑する。
「合格だプリシッラ。これで私も≪ストライダー≫になったぞ」
「やった! よろしくねシルヴィア!」
「うわっ!」
 喜びのあまり、プリシッラはシルヴィアを抱きしめた。
 いきなりの事にシルヴィアは大いに慌てた。その反応を面白がったプリシッラは、もっとからかってやろうと暴挙に出た。
「ではでは、仲間になった記念に誓いのチューをば……」
「ぎゃあぁぁ!」
 プリシッラは目を閉じて唇を突き出し、ゆっくりと顔を近づけていく。シルヴィアはさらに慌て、顔を赤らめてバタバタと暴れ始めた。
「だめだよプリシッラ。パートナーになったのは君じゃなくてジルなんだから」
 プリシッラを引き剥がしながらニコがフォローを入れる、かと思いきや――――――
「やるならパートナーになったジルからだよ。ほら、シルヴィア」
『はぁっ!?』
 ニコはニコでジルにも矛先を向けたいだけだった。いわゆる悪乗りという奴である。
『そぉれ、キ〜ス! キ〜ス!』
 ニコとプリシッラはシルヴィアの両脇をガッチリと固め、キスコールしながらジルの前へと連行した。
 シルヴィアは真っ赤な顔でジルを見上げた。ジルは眉間に皺を寄せて困っている。
 それを見て、今よりもっと困らせたらどんな顔をするのだろう、とちょっとした興味と悪戯心が湧き上がった。ニコとプリシッラが作り出した場の空気に流されかけているのもあって、いっそ本当にキスしてしまおうかなどと考えてみる。
 考えて、キスしている自分を想像して恥ずかしくなって我に返った。
「って、何を考えてるんだ私は!? そんなことできるか!!」
 拘束を振りほどき、シルヴィアは半泣きになって叫んだ。
 流石に限度だと思ったのか、実に楽しそうに見つめていたアマンダが止めに入った。
「はいはい、お遊びはそこまで。お仕事の話をしましょ」
 悪戯っ子の本能か、プリシッラとニコは怒られる限界ラインに達したことを敏感に察して、素直に従った。
『あー、面白かった』
「うぅ……覚えてろ」
 自分を散々からかった二人を、シルヴィアは恨めしそうな目で見た。ジルはやれやれとでも言いたそうに眉間の力を抜いた。
 
 
 
 その後、プリシッラとニコは任務を受けて一足先にギルドを出た。
 シルヴィアとジルは任務のシステムについてアマンダのレクチャーを受けた後、先の二人よりややレベルの低い任務を引き受けて出て行った。
 若者達が受付から出て行くと、アマンダは疲れ切ってカウンターに突っ伏した。
 そこに剣を担いだクライドがやって来る。彼の視線は玄関扉に向いていた。
「行ったか?」
「ええ、行きました本部長。やっと静かになりましたよ」
「だはは、お前さんにそう言わせるんだから相当のもんだな」
 アマンダのセリフを受けて、クライドは苦笑した
「しかしあのシルヴィアとジルですが……少々気になりますね。シルヴィアの方は身分を偽っていますし」
 アマンダはシルヴィアが貴族であること、名前を偽っていることを見抜いていた。ギルドの受付を任されているのは伊達ではない。
 そしてクライドもまた同じだった。さっきは気づいていない振りをしていたが、剣を合わせている途中、シルヴィアの首もとに僅かに鎖が覗いたのを彼は見逃していなかった。
「行きましたか?」
「おぅ」
 ミラが階段からひょっこりと顔を出してクライドと同じ事を訊いた。偶然の一致にまた苦笑してクライドは頷く。
 アマンダは黙って席を外した。
 ミラは彼女の気遣いに頭を下げ、クライドの隣に立つ。視線はやはり玄関扉の方を見ていた。
「なかなか難儀な方々のようですね」
「なんでい、見てたのかよ?」
「入隊試験は全て覗いています」
「おいおい、マジかよ」
 クライドは後頭部をガリガリ掻いて、渋い顔をする。
 今まで何十人ものギルド員を入隊させてきたが、ミラの覗き見には全然気付かなかった。ギルド長になってから長いというのに。
「やはり気になりますか隊長?」
「そりゃな。オレみたいになってほしくねぇからよ」
 言いながら窓の外を見たクライドの目はどこか遠くを見ていた。
 その顔はまるで過去の罪を悔いる罪人のようであった。
 
 
 【第四章 任務】
 
 
「随分と揺れるのだな」
 乗り込んだ馬車が大街道を外れてから数分経った頃、シルヴィアがポツリと漏らした。
 相当道が悪いのだろう、ジルと共に乗り込んだ馬車はガタガタと小刻みに揺れていた。その度に馬車はキシキシと軋みをあげて、今にも分解するのではないかとひやひやさせられる。
「わっ、ぷ!」
 突然襲い掛かってきた一際大きな揺れで尻が座席から浮き上がり、シルヴィアは危うく転びかけた。
「掴まってたほうがいいぞ」
「そ、そのようだ」
 注意したジルは涼しい顔で手すりに掴まっていた。失態を演じた恥ずかしさに頭が熱くなるのを感じながら、シルヴィアもそれに倣う。
「一体この道は何なのだ? 街道とは違うようだが……」
「裏街道だ」
 思わず口をついて出た悪態混じりの疑問に、ジルが短く答えた。シルヴィアの頭の上に疑問符が浮かぶ。
「裏、街道?」
「ああ。行商人や冒険者の近道だ。国が整備した大街道とは違って、人が行き来するうちに出来た道なんだ」
「なるほど。馬車が揺れるのはそのせいか」
 国が管理している正式な街道は埋まっている小石などが取り除かれているほか、場合によっては舗装までされている。だから馬車が尻が浮くほど激しく揺れることはまず無い。
 しかし今進んでいる裏街道がジルの言った通りのものだとすれば、十分に整備されておらず道が悪いのも納得できた。馬車がまた大きく揺れる。
「国が管理していない裏街道か。道理で魔物が出ても騎士団が動かないわけだ」
 裏街道の話を聞いて、先程受けた任務の全貌も掴めて来る。
 シルヴィアとジルのペアが初めて受けた任務は、「橋の上に居座った魔物を退治してほしい」というものだった。王都から馬車で二時間ほどの所にある橋に大型の魔物が居座り、旅人や近隣の住民が通れなくなっているのだそうだ。
 最初この任務の話を聞いた時、シルヴィアは不思議に思った。
 人の通る道の近くに魔物が出たなら、騎士団がそれを即座に退治に出るのがこの国の常識である。だからこの依頼がなぜギルドに回ってきたのかが、シルヴィアにはわからなかった。
 その答えが裏街道だ。これから向かう橋が正規の街道ではない裏街道上にあるというのなら、騎士団の目が届かないのも無理はない。
「……依頼者は近隣の住民だったか。ということはこの先に村かなにかあるのだな?」
「そういうことだ。そもそも道があったらその先には人里があるものだろ」
「あ、うむ。それもそうか」
 シルヴィアは納得したように頷きながら、自分の中の常識が貴族の中でしか通じないものだということを思い知っていた。
 思えば、幼い頃より教養と礼儀作法を教わってきても裏街道のことも含めて平民の生活の事なんてちっとも教わっていない。男に負けない剣術の実力があっても、やはり自分は何も知らないお嬢様に過ぎないのだということを痛感させられる。
 しかしその一方でジルが聞かせてくれる説明は新鮮で面白く、もっと聞いていたいと思った。
 その思いを汲んでくれたのか、それともただ単に彼の親切なのか。ジルはシルヴィアが訊いていない事も丁寧に教えてくれた。
 
 
 
 王都を出て二時間後。馬車は橋の近くの村に到着した。
 ジルが軽やかな足取りで馬車を降り、その後に続いて腰の辺りを押さえたシルヴィアが這い出てきた。彼女は慣れない揺れで尻を痛めていた。
 到着した村は民家が十軒ほどしかない農村だった。みんなの他には畑と水車小屋と小さな教会があるくらいで、シルヴィアの前には長閑な田園風景が広がっていた。
 やがて馬車の到着に気づいた村人達が集まってきた。
「おお! おめえさんがたがギルドの隊員だか?」
「そ、そうだが」
 話しかけてきた村の代表らしき男の訛りの凄さにシルヴィアは少し驚いた。
「いやぁ、こんなに早く来てくれて助かっただぁ。橋が使えねぐってあっちの行商が来られんようなって困ってただよ!」
「橋はどこだ?」
「おうさ。んだら、こっちゃ来い」
 ジルに促され、男は手招きしながら歩き出した。
 二人はその後に続いて村を突っ切っていく。その途中、シルヴィアが小声でジルに尋ねた。
「ジル、この地方はこんなに訛りがあるのか。まだ王都からさほど離れていないのだぞ?」
「裏街道の農村なんてこんなもんだ。むしろどんなに距離が遠くても表街道沿いの方が訛りは少ないぞ。シルヴィアやプリシッラだって訛りはほとんど無いだろ?」
「そういえばそうだ」
 シルヴィアとプリシッラの出身地は王都から遠く離れたアヌウン地方だが、彼女たちにも訛りは無かった。シルヴィアはレンスターでも指折りの大都市“エレスサル”の生まれ。プリシッラは街道沿いの小さな町の生まれだと言っていた。
「ジルも訛りが無いが、お前も街道沿い生まれなのか?」
「いや、違う……俺は親が行商をしていたから自然に共通語になっだけだ。俺には故郷が無いんだ」
 そう言ったきり、ジルは押し黙った。
 故郷が無い、と言った彼の声に拒絶が含まれているのを感じて、シルヴィアも口を閉ざす。気まずくて掛ける言葉が見つからなくなってしまった。
「ほれ、あすこだべ」
 黙って歩くうちに橋に着いていた。
 男が道の先を指差す先に石橋が架かっていた。幅が四十メートルを越える河にある、かなり大きなものだ。そしてその真ん中に、これまた大きな魔物がどっかりと居座っていた。
 カマキリ虫型の魔物“ギガントマンティス”。
 両腕は切れ味の良い鎌になっており、性格は獰猛。そして人食いをすることで恐れられている魔物。体長は二メートル前後。しかしこの橋にいる個体は――――――
「やけに大きくないか?」
「ああ。でかいな」
 橋の上にいる魔物の体長はおよそ四メートル強。通常の倍くらいのサイズがあった。
「“変異体”だろうな。こいつは」
「変異……これが?」
 魔物は時になんらかの異変で変異を起こし、通常ではありえないサイズや能力を持つことがある。そういう個体を“変異体”と呼ぶのだと、シルヴィアは家庭教師から習ったことがあった。
「だから人里に?」
「そんなところだろ」
 “変異体”は魔物たちの中でもとびきりの異物だ。そのため生態系の中から弾かれやすい。住処を失った彼らが餌を求めて流れ着くのは人里だ。
 通常個体なんかより恐ろしく強い上に、発生すれば高確率で人里に現れる。それが変異体が恐れられる最大の理由だった。
「なんて事だ。一体どうすれば……?」
 シルヴィアは変異種の魔物の出現により混乱し、恐怖した。
 通常の魔物ならともかく、こんな奴どう対処していいかわからない。本と授業でしか知らない知識ほどこういう不測の事態が起こったときに頼り無いということを、シルヴィアは思い知らされた。
 一方、ジルはシルヴィアよりも冷静だった。
「どうするもなにも、初めから闘うしか選択肢は無いぞ」
 大人しく退くかそれとも闘うか、二つの選択肢の内ジルは闘う方を選んだ。
 確かに相手の能力がわからないのなら一旦退くというのも一つの手だ。しかし目の前の魔物がいつ橋を越えて村を襲うかわからない。何日も後かもしれないし、もしかしたら数秒後かもしれない。
 故に、ここでこの魔物を放置する事は百害あって一利無しだとジルは考えた。
「んだら、まがせただよ。信じでるかんな!」
 言うや否や、村人は巻き添えにならないよう橋から離れて村に駆け戻っていった。少し薄情な気もするが、ここに居られても邪魔だったので結果的に追い返す手間が省けた。
 ジルは大剣を右手に下げて、悠然と橋を渡っていく。シルヴィアも腰の剣を抜いて、半ば慌て気味に付いて行った。
 殺気に反応してか、今まで沈黙していたギガントマンティスの目に光が宿り、目を覚ました。
「キシュアアァァァァ!!」
 奇声をあげる魔物。二人はそれぞれ得物を手に身構えた。
 ギガントマンティス変異体は目覚めはしたものの、すぐには襲ってこない。代わりにその陰から変異体の半分の大きさの個体が二体現れた。
 二体の魔物は二手に別れ、左右から襲い掛かってくる。シルヴィアとジルはそれぞれ左右に展開してそれに対応した。
 振り下ろされる腕の鎌。
 シルヴィアはそれを軽やかな動きで躱し、直後の隙を突いて胸部に剣を突き入れた。虫型の魔物特有のバリッとした手応えに、思わず顔を顰める。
「ギ……」
 動きが鈍った隙にシルヴィアは剣を大きく振り被った。
 斜め上からの打ち下ろし。魔物の身体を袈裟懸けに斬り裂く。
 真っ二つになった魔物は地面に倒れ、そのまま絶命した。
「ジル!」
「ああ」
 シルヴィアが呼びかけた頃にはジルも既に相手を斬り倒していた。
 手下を倒され、ギガンマンティス変異体が本格的に動き出す。二人は剣を構え直した。
 先に動いたのはシルヴィアだった。気合の雄たけびを上げながら、ギガントマンティスにむかって突進して行く。
 そんな彼女を切り捨てんと、変異体の大きな鎌が迫る。
 シルヴィアは駆ける速さを緩めないまま、地面スレスレまで身体を沈ませてそれを潜り抜けた。鎌を振ってできた隙を突いて、変異体の懐に飛び込む。
「はっ!」
 斜め下からの斬り上げ。
 しかしシルヴィアの剣は硬い音と共に跳ね返された。硬い感触と強い振動が刃を通して伝わってきて、腕が痺れた。
 刃を受けた魔物の身体には傷一つ付いていない。
 シルヴィアは地面を蹴って後ろに飛び、一旦間合いを外した。
「硬い……。これが変異体というものなのか!?」
 通常個体をアッサリと切り裂いた剣が変異体には全く刃が立たない。その事実にシルヴィアは少なからずショックを受けた。
「俺が行く。援護を頼むぞ」
「ジル!」
 シルヴィアが何か言う暇も無く、ジルが魔物に駆けていく。
 大剣を大きく振り被り、渾身の力を込めて横薙ぎに振りぬく。
 その一撃を受け止めようとした鎌は、ジルの激烈なパワーに押されて跳ね上がった。次の一撃を受け止める事が出来ず、大剣は節くれ立った足を一本斬り飛ばす。
「ギャアァァァ!」
 魔物が不快な悲鳴を上げた。
 ジルは攻撃を続けようとするが、苦し紛れに滅茶苦茶に振り回された鎌に邪魔されて下がらざるを得なくなる。
「鎌は斬れないな」
「ならばこれではどうだ」
 シルヴィアの声が朗々と響き渡る。
 
「イス、アンスール、ウル、ケン。
 其はより強く。其はより鋭く。
 いと高し軍神の剣と為さん。
 勇壮たる光を此処に――――――ストロンガ!」
 
 ジルの呟きに応えるように絶妙なタイミングで、シルヴィアの魔法が発動した。
 白い燐光を帯びる大剣を手に、ジルは口の端を吊り上げて笑った。
「助かる」
 ジルは再びギガンマンティス変異体に向かって行く。
 自分の剣にも魔法を掛けたシルヴィアが少し遅れて続いた。
「ふんっ!」
 ジルは強く踏み込み、斜め下から大剣を振り抜いた。
 左の鎌が中程から斬り飛ばされ、下の河に落ちる。返す刀で脚を三本切り落とし、鎌の無くなった左側へと回り込む。
「でやぁぁっ!!」
 魔物の目がジルに向いた一瞬の隙を突き、シルヴィアが向かっていった。
 慌てたように振り回される右の鎌。その攻撃はあまりにも拙い。
 シルヴィアは鎌の軌道をやすやすと見極めると、ギリギリまで引き付けて躱した。
 攻撃後の隙を衝いて剣を振る。
 シルヴィアの剣は迅いが軽い、同じことをやってはジルのようなダメージは望めない。だから狙うのは、甲殻の薄い間接の狭間。
「ギシャアャアァァァ!!」
 シルヴィアの剣が右の鎌を切り落とした。
 それと同時に左に回っていたジルが胴体に斬りつける。続けてシルヴィアも右側面に回り、脚と胴体を斬った。
 悲鳴を上げながら激しく暴れる変異体。
 再び正面に回ったジルは懐に飛び込み、胸部を切り裂いた。深い傷を負い、魔物の身体が硬直する。
「とどめだ!」
 シルヴィアが魔物の背に跳び乗り、背中の上を駆けて頭部に迫る。
 裂帛の気合と共に振り抜いた剣。それは魔物の首の付け根を捉えた。
 魔物の正面にいたジルの上を跳び越え、シルヴィアは赤いスカートをなびかせながらふわりと舞い降りた。
 剣を振って体液を払い落とし、鞘に収める。
 高い鍔鳴り。それと同時に首を失った魔物の体がどうっと倒れた。
 魔物の絶命を確認したジルは、大剣を背中に納めながらシルヴィアの方に寄って来る。
「怪我は無いな?」
「え……あ、ああ」
「ならいい」
 シルヴィアに怪我が無いことがわかったからか、ジルは表情を弛緩させて深い安堵を露にした。
 その表情にシルヴィアの心は不思議と安らいだ。
 魔物との戦いでささくれ立った心が穏やかさを取り戻し、同時に“どうしてこんなにも安心できるのか”という戸惑いが生まれた。
「任務完了だ。帰ろう」
「あ、うむ。雨も降りそうなことだしな」
 ジルに促されたシルヴィアは空を見上げた。
 厚い雲が低く立ち込め、灰色に染めている。黒髪を撫でる風が湿っぽくなってきた。
「雨は、嫌いだ」
 帰り際、ジルが哀しそうにそう呟くのを確かに聞いた。
 
 
 
 雷を伴った叩きつけるような夕立は二時間ほどで止んだ。
 薄くなった雲の間から淡い月が覗き、深々とした夜を演出している。
 本部屋上の訓練場。冷たく湿った夜の空気の中、稽古着姿のシルヴィアは剣を振っていた。
「はっ! やぁ! せいっ!!」
 裂帛の気合。強い踏み込み。心地良い風切り音。
 シルヴィアの引き締まった肉体が舞うように躍動する。セミロングの黒髪が動きに合わせて跳ねる。
 そんな彼女をまわりを、風が舞い踊っていた。
 愛でるように、悦ぶように、鼓舞するように。優しい風が彼女を祝福している。
(王都に着いてから、いろいろあったな……)
 剣を振りながら、シルヴィアはこの三日のことを考えていた。
 王都についた日。スリに遭って全財産を失って、彼らに出会った。
 次の日。北の遺跡に冒険に行った。そしてギルドに入ることになった。
 そして今日。新しい服を買って、髪を切って、≪ストライダー≫に入った。任務も一つこなした。
 この三日間のなんと濃密なことだろう。あまりにも刺激的過ぎて、それまでの人生が味気なくすら思える。
(いや……)
 実際に味気なかったのだと思う。
 王都に来るまでシルヴィアが過ごした時間は、あまりにも空虚だった。
 空虚。その言葉が昼間この場所での出来事を想起させる。
『“自分がなんのために剣を執っているのか”、本当にわかっているのか?』
 答えることが出来なかった。いや、シルヴィアは答えを持っていなかった。
 今思えば、クライドに語った騎士になりたい理由は欺瞞だらけだった。
 自由になりたいなんて実に馬鹿馬鹿しい。それを言うなら、家出してここにいる時点で自由ではないか。
 結局、逃げでしかなかったのだと思う。なにもない空虚な自分からの。今のシルヴィアは現実から逃避して剣を執り、ここに立っているのだ。
(卑怯だな、私は)
 剣を振る手が止まった。
 シルヴィアは剣を放り出して仰向けに寝転んだ。
 荒い息を吐きながら空を見上げると、雲はいつの間にか流れ去って星空と満月が見えた。
 噴き出た汗でじっとりと濡れたチュニックが、風に当たって冷えてくる。
(いつかわかる日が来るのだろうか?)
 濃密な日々は明日からも続く。その中で、果たして自分はここにいる理由を見出せるのだろうか。
 わからない。けれど――――――
「そんな格好で寝てると風邪引くぞ」
「な……!」
 不意に声を掛けられて、シルヴィアは慌てて身を起こした。
 いつの間にかジルが現れていた。その姿にシルヴィアは思わず見惚れた。
 マントを脱いで剣も担いでいない。軽装から伸びる腕は鍛え上げられて太く、胸板も厚かった。非常に男らしい体格だ。
 剣を学ぶにあたって自分が女であることを恨んだ経験のあるシルヴィアだけに、ジルの鍛え上げられた身体つきは余計に美しく見えた。
「これを着ておけ」
 呆けていたシルヴィアにジルが何かを投げて寄越した。
 受け取ってみるとそれは彼がいつも着ているマントだった。ぶっきら棒な癖して変なところで気が利いてる。
「す、済まんな」
「気にすんな。風邪を引かれたら俺が困る」
 シルヴィアは受け取ったマントを肩からかけた。
 長身のジルの持ち物だけあってマントは長く、足までかけてもなお余裕がある。身体をすっぽり覆ってしまえば雨に湿った空気の冷たさも感じない。
 マントを渡したジルはシルヴィアの隣に腰掛けた。
「なぜここに?」
「ちょっとした散歩だ。雨上がりはいつも気分が優れない」
 シルヴィアの問いにジルは哀しそうに言った。
 どうして雨が嫌いなのか少し気になったが、シルヴィアは彼の声に拒絶が含まれていることに気づいていたので言葉を飲み込んだ。
 会話が途切れる。冷たい風が二人の間を隔てるかのように吹き抜けた。
「シルヴィアは稽古か?」
 沈黙を破ったのは意外にもジルだった。シルヴィアは少し驚いた顔で頷いた。
「うむ。ガーゴイルのときと言い昼間と言い、ジルには助けられてばかりだからな。せめて足を引っ張らぬように強くならねば」
「真面目だな。だけど俺は足を引っ張られたなんて思っちゃいない。自信を持っていい、シルヴィアは強い」
「ほ、褒めてもなにも出んぞ!」
 不器用で嘘をつけないジルに真っ向から褒められ、頬が熱くなる。シルヴィアは照れ隠しにマントを頭からかぶって顔を隠した。
「別に何かを期待してたわけじゃないぞ。ただ単に事実を言っただけだ」
 言いながらジルは立ち上がる。
「そろそろ帰るぞ。ほら……」
「なっ……!」
 シルヴィアは目を丸くした。立ち上がったジルが手を差し伸べているのだ。
 手を引いて立たせてくれようとしているのだろうが、ただでさえストレートに褒められて照れているというのに、その上さらに手を取るなんて恥ずかしすぎる。
 けれど、シルヴィアはやはり上流階級の貴族だった。女性としての作法を叩き込まれている彼女には、ジルの気遣いを無碍に断ることが出来なかった。
 気恥ずかしさと礼儀を天秤に掛けて、しばしの逡巡の後、シルヴィアは礼儀をとった。
 手を伸ばす。すると、大きく暖かい手がシルヴィアの手をとった。
「行こう」
 シルヴィアを引っ張って立たせると、ジルは手を離して踵を返した。
「あ……」
 暖かい感触が離れていく。
 シルヴィアは心の中に名残惜しく思った自分がいるのを感じた。
 
 
 To be continued

2008/01/29(Tue)23:43:52 公開 / イオン
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■作者からのメッセージ
初めまして、イオンと申します。
あるところで投稿したものですが、より多くの人の目に留まればと思い、ここにも載せさせていただきました。
拙い作品ですが、楽しく読んでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

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