『神の子供 1章の1』 ... ジャンル:ファンタジー 未分類
作者:櫻 美咲                

     あらすじ・作品紹介
世界の変わり目に、神の子は生まれる。神の子は、王都に送られ次世代騎士と崇められた。しかし、神の子が生まれると、近いうちに必ず戦争が起こる。次世代騎士、アルフィンとその側近、リロンは、憂鬱な時を過ごしていた。美しく優しいが、厳しいアルフィン。明るいが、感情を抑えられないリロン。彼らはウェルスベルグ王国の騎士だった。

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プロローグ.



 やめて――!

 私の渇いた叫びは、眼下の雲と混じって消えてしまいました。
 ああ、離れていってしまう。
 一人の子へと伸ばした私の手。私が宿命を与えた子どもたち。私が愛してやまない二人の子。

 ああ、やめて――。

 しかし私は声が出せないのです。私は声を出すことができない体なのです。
 私は天上界から地上を見下ろす者。
 私は見る為の目を持っていないのです。しかし私は、地上全てを見渡せる、もう一つの目を持っています。そしてもう一つの目は、私の愛する子の一人を映し出していました。
 私の手の元から、子どもたちは離されていってしまう。二人の内の一人が、悪しき者に、攫われてしまう。
 私は、盲目の瞳から涙を流し続けました。あなた達は、私を忘れてしまったのですね。

 ああ、子どもたちよ。神の宿命を背負う私の愛した子どもたち――。




第一章.



 天上界からかなり下の位置に、空はある。空は大地を見守り、雲の間から、春の陽光が覗く。海は大地を囲む。
 大地の中心に、その国はあった。
 広大な世界の中心に、ぽつりとたっていた。小さかった。それが、世界一の大国、ウェルスベルグといえども。
 雄大な光景は、恐ろしい。
 この恐ろしさを、誰も知らない。雄大さと相反するこの閉塞感を、誰も知らない。人間は、空を飛ぶことができない
 この広大な世界の片隅に、華やかなつくりの城がひっそりと建っている。
 世界の中心に位置する、小さな城だった。

「アルフィン!」
 少年は城内の廊下を、全速力で駆け抜けていた。思わず足を止めたのは、メイド達だった。彼は彼女達に小さな笑いを残す。騎士たちは呆れていた。
 その日も、リロン・フェイは、アルフィンの家を訪ねていた。 
「あれ? まだ寝てんのか」
 弾んだ息の隙間から、少し低い声が発せられる。
「……起きてる。いや、起きた」
 浮ついた声は、中性的な声だった。
 リロンは目を数回瞬かせ、「ならいいんだ」と、微笑む。
 リロンの濃い茶の髪は、窓から差し込む陽光で色素が薄く見えた。つり目ぎみの大きな目をした、好青年だった。黒い瞳が印象的だった。
「リロン、今日はちょっと早くない?」
「おはよ、ねぼすけ。ちなみに少し遅いぜ」
 リロンは言って、ふと言葉を止めた。
「……まだ着替えてなかったんだよな」
「あっ、ごめん」
 アルフィンは顔を赤らめ、すぐに服に手をかけた。しかし、その手がぴたりと止まる。アルフィンの目がちらりとリロンを見た。
 リロンは気まずさを感じ、身を翻した。
「部屋の外で待ってる」
「……うん」
 彼は振り返らず、手を上げた。
 部屋の外に出る。ふっと息をついた。呼吸はまだ乱れている。伏せた目に、真っ赤な絨毯と、壁の白が飛び込んできた。このコントラストは、昔から慣れない。ウェルスベルグ王国の城は、妙に華美だ。
 ――それに比べて。
 リロンは壁にもたれかかった。
 アルフィンの部屋は、癒される。色合いを抑えた調度品が、好きだった。微妙に整頓されていない部屋も、落ち着いた。
 当然、それには、理由がある。
 アルフィンという男の名の、女の部屋であるからだ。
 ――最近、ますます女らしくなったよな。次世代騎士様。
  ある騎士の言葉が、彼の頭をよぎる。
 豪奢な窓を開け放った。リロンは、強い光に目を細めた。城下には、黒アリのような行進が続いていた。先陣をきる騎士の姿が、ふいに知り合いの姿と重なった。
 ――リロン。お前、次世代騎士様の側近になったんだって?
 彼女の名は、アルフィン・ガイナ・ディア・ウェルスベルグ。通称、次世代騎士。
 彼らは、リロンに熱弁した。女を感じさせる顔ではないが、上品な美しさを感じる。男勝りな性格だが、決して乱暴な性格ではない。優しく、自分を律することのできる強い女だ。
 リロンは、内心複雑な思いで相槌をうっていた。
 彼の中のアルフィンは、幼馴染のようなものだった。意識したことはない。言い切れる。
 だが今、なぜ思い出したのだろうか。この春の陽光の傍らで。
「アルフィンが人気者か……」
 なぜか、先ほど恥らった彼女の顔が脳内に現れた。
「私の何が人気だって?」
 ふいに、背後から、中性的な声が飛んでくる。
 言って、リロンは振り向けなかった。背筋に寒さが走った気がした。
「あ、いや……。アルフィン。準備早いな」
「そんなことないわ」
 リロンの双眸に、長い金髪が映る。彼女の背は髪に半分隠れていた。彼女は先に歩き始めていた。腰には剣がさしてある。
 後を追うように、リロンの背が壁から離れた。 
「でも、女にしては、準備早いよ。メイドの人が言ってた。化粧とか香水とか、大変だって」
「リロン」
 言った彼女の顔は、冷たかった。
 もともと、クールな彼女の顔は厳格で怖い。昔から、彼女が怒ったら洒落にならなかった。
「あなたまで、そんなこと言うようになったの?」
「そんなことって」
「私のこと、女だって口にしたじゃない」
「そうだけど」
 リロンは、視線のやり場を求めていた。
「私は次世代騎士よ。女とか、男とか、区別されるのは嫌なの」
「でも、メイドの人達言ってたぜ。女は自分を飾るのが一番の幸せだって」
「それがどうしたの」
「どうしたのって、女であることに誇りを持ってるってことだろ」
「彼女達は、私と違うの」
 アルフィンは、端正な顔をリロンに向けた。リロンは、無意味に視線を巡らせている。控えめに言っても、挙動不審だった。
「彼女達は、あわよくば騎士と結婚できたらいい、と思ってるのよ。騎士って、収入いいじゃない」
「でも、戦争が起これば死んじゃうじゃねえか。俺、騎士だし、一生モテないだろうなって思ってた」
「でも、死んだら財産は全て奥さんの物なのよ」
 冷たい声には、苛立ちが滲んでいた。リロンは周囲に誰もメイドがいないことを確認しながら、潜めた声で言った。
「うーん。でも、結婚したら男は幸せ。もし死んでも女も幸せってことだろ」
「よくもそんな考えができたものね」
「俺は自分が死ぬまで幸せがいいな」
 リロンは、両手を頭の後ろに回した。
「でもさ」
 ふと思いついたように、リロンは天井を見上げる。
 天井に、小さいシャンデリアが整列していた。城下から見た騎士たちの行進と、似ている。
「それ以前に、ウェルスベルグに攻め込んでくる奴はいないよな」
 独り言じみた口調で、静かに呟いた。
 リロンは、もっともな考えだろ、と声のトーンを強める。
「世界第一位の大国、ウェルスベルグじゃねえか」
「そうやって平和ボケしてる大国、ウェルスベルグよ」
 彼女らしい皮肉に、リロンは苦笑する。彼は、窓枠いっぱいに広がる城の庭を見た。木々や花が咲き誇っている光景。ごつい甲冑は、その場にそぐわなかった。
「でも、別名聖都ウェルスベルグだろ」
「そうね」
「神が愛した国って言われてる。全知全能の神様が守ってくれてるんだぜ」
 リロンは、彼女に向き直った。
 アルフィンは、反論しようと口を開く。リロンは「おっと」と、言ってそれを制した。
「まさか、神なんかいない、なんて言うなよ。次世代騎士のお前が」
「リロン……」
 彼は、城下で訓練が始まったことに気づいたのか、また窓の方へ視線を移した。
 彼女はリロンをずっと見ている。
「アルフィンは、“神の子ども”だろ」
 アルフィンの顔が強張ったのに、彼が気がつくはずもない。
「昔からの歴史にもあるじゃねえか。“神の子ども”は、世界をより良くするための神使であるって」
「……知ってるわ」
 アルフィンは、ぽつりと呟いた。
 神様が、世界を変えるために地上に送りだすのが、“神のこども”である、と王様は言った。
「でも、リロン。それって、必ず、争いが起こるということよ」
「え?」
「神の子が生まれたら、必ず大きな争いが起こっているの。私、文献を読んでいて気づいたわ」
 震えた声は、切迫していた。
「戦争が起こるわ。近いうちに、必ず」
「文献なら、俺も読んだけど」
「世界を変えるには、所詮、戦争しかないのよ。その全知全能の神様でさえ、そんな結論を出したんだわ」
 アルフィンは、閑寂とした城の片隅を見ていた。
 彼は、相も変わらず窓の外の庭に視線を奪われていた。たまに新人騎士が鬼上官で有名な騎士に怒鳴り散らされているのを、面白そうに笑っている。
「そうか? じゃあ神様って全知全能じゃないな」
「みんな嘘つきよ。神様なんていないわ。いるとしたら、天上から私たちをあざ笑っている悪魔だけ」
 寂寥が混じった彼女の声は、小さかった。
 右手で、左肘をぎゅっと握り締めた彼女は、普段よりずっと小さく見えた。凛とした雰囲気の、強い女からは遠く離れた姿だった。もし、昨日彼女を評した騎士の男たちがそれをみかけたならば、思わず抱きしめたかもしれない。
「俺も文献読んでて気づいたぜ」
 しかし、リロンは窓の外を見ながら、憎たらしいほど明るい表情だった。
 彼は普通の男ではなかった。
「歴代の神の子どもたちって、みんな男だったんだぜ。すごい発見だろ」
「……リロン」
 アルフィンは、非難が入り混じった視線を、彼に向けた。
「あなたって、最低だわ」
「え、なんで?」
 リロンはようやくアルフィンに向き直った。彼の間の抜けた顔が、さらに彼女の猛る炎を燃やした。
 数拍おいて、リロンは、ああ、と手を叩いた。
「あっ、そういえば、お前、男とか、女とか区別されるの嫌っていってたよな。ごめん」
「違うわよ!」
「あはは。だよなー」
 少し低い、苦い声。
 リロンは、でも、と続けた。
「でも、お前が神の子の中で、初めての女じゃねえか? そう思うとすごいだろ」
 邪気のない笑みに、アルフィンは鼻白む。彼の笑みから、感情を感じることができなかった。しかし、無機質な笑顔でもない。不純物の全くない表情だった。普通と遠く離れた微笑だ。
 彼女は、小さなため息をつく。ふと、微笑んだ。
「……そうね」
「なあ、でもさ」
「なに?」
 アルフィンは、すれ違う騎士たちの視線を感じていた。
 自分たちはどう見えているだろう。浮いた気持ちが、柔らかく彼女を包み込む。
「なんで、男とか、女とか、区別されるの嫌なんだ?」 
「女だからといって、軽んじられるのは嫌よ」
 と、アルフィンが言うと同時、リロンはあっと思い出したように、アルフィンの方を向いた。
「なに?」
 あなたが聞いてきたんじゃない、と言わんばかりに、アルフィンは、眉を潜めて横目で睨んだ。
「分かった。お前、男でも女でもないだろ」
 アルフィンは言葉を失った。たまに、リロンの思考についていけない時があった。
「いや、違うか? 男になりたい女、だよな。でも男前な性格だし、実は男とかいうオチはないよな……」
 本気で彼女が男だという思考に行き着かねなかった。リロンを見るアルフィンの目が、秒を刻むごとに厳しくなってゆく。
「でも、女だよな。騎士のみんなも、最近ますます女らしくなったって言ってたし」
「……そんなこと言ってたの?」
「嫌なのか?」
「嫌よ。あなただけかと思ってたら、彼らまで女だって言ってるの?」
「女じゃねえのか?」
 彼女が、唐突に足を止めた。
 後ろを歩いていたリロンも、きょとんとして足を止める。彼女の拳は、震えていた。
「どうせ私は、女よ!」
 彼は突然叫ばれて、身を引いた。彼女の怒りに、悲愴が潜んでいることを、リロンは考えもしなかった。
「アルフィン?」
「やめて! どうせあなたには何も分からないわ!」
「なにが――」
 言いかけて、鋭い青瞳に睨まれた。
「あ、悪い……」
 条件反射で、思わず謝る。彼女は、苛立ちを露わにしたまま、またリロンより先に歩き出した。リロンは、アルフィンが身を翻したのを確認して、ふとため息をついた。
 リロンは、彼女の怒りのありかが分からなかった。実は、ここ最近、アルフィンは突然怒り出したりするのだ。
 リロンはつり目ぎみの目を、床に落とした。
 無機質な空気を肺に吸い込み、真っ赤な絨毯を凝視する。
「リロン」
 静かな声が、彼の前から流れた。気がつけば、廊下には誰もいなかった。
「久しぶりに、街に出てみたいの」
「え?」
「あなたと、話がしたいの」
 リロンは、顔を上げた。リロンが答えようと、口を開きかけた、その時だった。
 声が、後ろからの衝撃と相まって、カエルのような声に変わる。
 後ろから息絶え絶えに走ってきた兵士が、無防備なリロンの背に突っ込んだのだ。リロンは前につんのめり、気持ち悪い浮遊感をおぼえた。リロンの視界は反転し、絨毯の赤でいっぱいになった。
「い、痛え……!」
 搾り出すような声は、くぐもった。
「リロン、大丈夫?」
 アルフィンは、驚いて身を翻した。彼女が手を差し伸べたと同時、ぶつかった兵士が顔を上げた。
 次の瞬間、彼女の手が止まった。
「申し訳ございません、“次世代騎士”様!」
 リロンの目の端に、アルフィンの凍りついた顔が映った。
「あ?」
 彼は兵士とアルフィンの顔を見比べ、笑顔を作ってすっと立ち上がった。
「気にすんな! でも、俺は次世代騎士じゃないぞ」
「あっ。そ、そうでした……」
 きまりの悪そうな声。微妙な空気が二人の間を通る。兵士は落ち着きがなく、しきりに時計を見ていた。急いでるんだな、とリロンは苦笑した。
「あの、本当に申し訳ありませんでした!」
「いいって。急いでるんだろ? 王様のところにでも行くのか?」
「あっ、はい! 重要な報告を」
「慌てすぎてセリフかむなよ。恥ずかしいぞ」
 リロンは軽くからかって送った。一息ついて視線を動かす。先ほどの誘いに、答えようと思った。
 たが、リロンの黒い瞳は、彼女の今にも泣きそうな顔に出会ってしまった。ぎょっとして、目を見開いた。
「え、アルフィン?」
「……リロン。いや、なんでもないの」
「なんでもないハズないだろ!」
 決しては怒ってはいなかったが、声が大きくなった。
 感情的な女ではなかった。幼い頃から一緒にいたが、感情を露わにしたことは少ない。リロンは、戸惑っていた。
 アルフィンは、目を伏せた。長いまつ毛が、彼女の目を隠す。
「なんでもないの。本当に、迷惑かけてごめんね……。十二時に、噴水前で待ち合わせましょう」
 彼女は顔を上げて、リロンの肩に手を乗せた。
 なんでもない訳あるか、とリロンは思った。十二時まで、一人にして欲しい、と彼女は言ったのだ。
 リロンは、何も言えず歯噛みした。







           ■







 王都ウェルスベルグ。またの名を、聖都ウェルスベルグ。
 神が愛した国だった。その大国の繁栄は、神の保護の下にあった。繁栄は続く。神が生き続ける限り、永久に続くだろう。
 なら、神の愛から離れた地は、どうなるのだろう。
「リロン・フェイ」
 背後からの低い声に、リロンは目を見開いた。
「えっ」
 低い声は、ぎょっとしていた。
 リロンの驚いた脳が、剣を引き抜けと叫ぶ。
 リロンの眼前に、剣閃が走った。
 光は流れ閃きに変わり、一瞬の輝きの内にそれは鉄の塊へと戻る。風が、彼の髪をさらう。――背後にいた人物は、リロンがよく知っている男だった。
「……あ」
 リロンは青ざめた。
 男の首筋すれすれに剣先を押し付けた、強引な技だった。
「あっ、いや、驚かすつもりはなかったんだ。すまなかったな」
「アルカさん。悪い――あ、いや、申し訳ありません」
「まさかここまで驚くとは思わなかったな」
 リロンを見下ろすアルカは、まいったと言わんばかりに肩をすくめた。リロンは内心、胸をなでおろした。アルカは騎士隊長を任されているが、温厚で優しい。
 しかし、剣先を向けるということは、最高の無礼にあたる。それでもアルカは、顔を顰めもしない。彼は、下級騎士の尊敬の的だ。
 アルカ・ウェハースは、隊長に任じられていた。アルフィンの側近を任されているリロンも、一応彼の隊に入っている。優しげな双眸は赤茶色で、中途半端な長さの髪も同色。背は高く、肩幅は広い。包容力があるが、時々抜けている。それでも、彼はウェルスベルグが誇る剣士の一人だった。剣の技量なら、大将軍にもひけはとらない。
 リロンは、ばつの悪い顔で俯いた。
「どうしたんだ? 一人か」
「はい。あの、すみませんでした」
「そのことはもういいよ。なんで今日は一人なんだ? いつもはアルフィン様と一緒にいるじゃないか」
 しかし、リロンは俯いたままだった。
 先ほども、らしくないことを考えていた。完全に周りを見失った。ただ、彼女の感情の理由を追っていた。そして、考えは彼女の存在の親、“神”へと帰着した。
 蠢いているのは、隠しようもない翳りだった。
「あー、リロン?」
「え?」
 返事は、気の抜けた声だった。リロンの全身から発する、重い空気。アルカは思わず閉口した。ベランダが狭く感じた。
「いや、なんでもないよ。ところで、また剣術が上手くなったんじゃないか?」
「そうですか?」
 間の抜けた声が、喧騒に混じった。アルカは、軽くため息をついた。リロンの、悪いところだった。彼は感情を抑えきれない。今も、全身から彼の薄黒い感情が漏れている。
 本人も自覚しているのか、ベランダという人気のない場所に移動していただけ、まだ幾分かマシだった。
 普段は、悪乗りが多く、上官のアルカとしては、非常に迷惑な部下だ。だが、今は、
 ――見てるだけで鬱になる……。
 彼は良くも悪くも、最悪のムードメーカーであった。
「アルフィン様と、喧嘩でもしたのか?」
「そんなもんです……」
 図星を突かれても、リロンは動じなかった。ただ、メルヘンチックな白い椅子に座って、頬杖をついていた。当然、華美でファンタジックな空間の中、彼は激しく浮いている。アルカの目にとまったのも、そのためだ。
「アルフィン様も大変なんだ。彼女は、アルフィンという名前を背負わされたんだからな」
「アルフィン・ガイナ・ディア・ウェルスベルグ……」
 アルフィンという名は、歴代の神の子につけられる名だ。
 歴代の神の子は男しかいない。男の名をつけられた彼女は、さらに次世代騎士という名も背負う。この称号も、神の子に送られるものだった。
 アルカは憂いを含んだ視線を落とした。
「かわいそうだな。まだ年端もいかない女の子なのに」
「全然かわいそうじゃありませんよ。あいつ、女って言われるの嫌だって言ってましたよ」
「え……。あんなに可愛いのに?」
 二十代後半に見えるその男は、穏やかな顔に苦味をのせた。
「それは残念だな」
「なんで俺が側近任されたんだろう……」
 突如発したリロンの言葉は、半分独白が混じっていた。 
「そんなの、今更じゃないか。ずっと前からお前は側近だっただろう。きっとお前じゃないと、ダメなんだ」
「俺じゃなくてもいいと思う」
 言葉は間を置かず返ってきた。アルカは心が重くなるのを感じた。思わず顔に出てしまう。しかし、リロンは、先ほどから一度もアルカの顔を見ていない。気づくはずもなかった。
「だって俺、あいつが何考えてるか全然分からねえ」
「彼女は、辛いと思うよ。近いうちに、戦争が起こるからな」
 気味の悪い静寂が、一瞬辺りを支配した。
「戦争が起こる? なんだよそれっ!」
 叫んだ声は裏返っていた。
 突然白い椅子を蹴り倒したリロンに、アルカは思わず身構えた。
「え、知らなかったのか? あ、いや、今のは忘れてくれ」
「アルカさん! なんなんだよ、戦争って!」
「け、敬語を使え!」
 アルカは困った顔で意気込んだ。しかし、リロンは今にも掴みかかりそうに見える。
 リロンの頭の中は、高速で渦巻いていた。
 家族の笑顔が頭をよぎり、騎士の墓標が首をもたげる。涙が土に染み込み、消える。頭を覆うのは暗い双眸、赤い人形。暗色の空を見上げて目を閉じる男。彼を追悼する、断腸の思い。彼は知っていた。戦争の恐怖と黒い地獄を。
「戦争が起こるのか! 答えろ!」
「答えろって……」
 アルカは、言葉を失った。
「答えろ!」
 彼の声が、低くなる。鋭い気迫に、アルカは思わず身を引いた。彼の気迫は、殺意に酷似している。アルカは思った。一瞬、腰の柄に手をかけた自分にはっとする。額に、冷たい汗がつたった。言葉を求めて口を開きかける。
「あっ、先輩たち。ここにいたんですか」
 しかし、黒い空気はすぐに壊れる。向き合った二人は、ベランダの奥に視線を移した。
 黒髪の少年が、小走りで駆け寄ってくる。アルカの部下の一人だった。アルカは、小さく息をつく。緊張していた自分に驚いた。
 足を止めた黒髪の少年は、細い目を眇めた。彼は、すぐに二人の不穏な空気を察した。
「……どうかされました?」
「いや、なんでもないんだ。シト、俺たちを探していたようだが」
 シト・フィレンツェという少年は、十五歳になる新人騎士だった。リロンも知っている。新人騎士の中で、最も優秀な騎士だと誰かが話していた。
 気の弱いアルカは、剣術だけで上まで上り詰めた。しかし、シトは機転が利くことを買われた。間違いであれば、上官であろうと指摘できる気の強さを持っている。
「ええ。現在、昼の十一時四十分です。下級騎士が、ある上官が来ないことで大変混乱しています」
 しかし、彼は、皮肉家でもあった。性格も悪い。
 リロンは視線を移した。アルカの顔から、血の気がひいていた。
「え、ああ……。もうそんな時間だったのか。ああ、えーと、剣の訓練だったよな。今行くよ」
「ちなみに、あと一時間で昼食の時間です」
「そうだな。悪い」
 アルカは、倒れた椅子を戻した。シトに軽く謝ると、その場を立つ。
 リロンは、無表情で押し黙っていた。
「リロン」
「……はい」
 かろうじて、敬語は戻っていた。
「近いうちに戦争は起こる。事実だ。だが、確実に勝てる戦だ。お前は心配しなくていい」
「確実に勝てると、なぜ言えるんですか」
「神の子の力は、強大だからだ。お前が思っているより、ずっと」
「女はそんなに強くありません」
 リロンは吐き捨てると、静かにベランダのドアを開けた。リロンの暗い双眸とすれ違い、アルカは複雑な思いを抱く。シトは、攻撃的な目をしている。リロンが上官だろうとお構いなしの態度だった。
 リロンは、振り返らずに言った。
「殴ってくれてもよかったんですよ。俺を」
 彼は、赤い廊下へと足を踏み入れた。彼の背中に、息苦しささえを感じる。一瞬後に、豪奢なドアが彼の背を掻き消した。
「アルカ先輩」
「どうした、シト」
「殴ってもよかったみたいですよ」
「知るか」
「誰です?」
 シトの潜めた声は、鋭かった。アルカは困ったように笑い、混乱している城下を見下ろした。
「ナイーブな奴だよな」
「はあ?」
 非難の嵐を受ける未来を予想して、心が重くなった。
 





             ■








「遅刻ね」
「ああ」
 噴水だけが、にぎやかに騒いでいた。
 微妙な空気と、浮ついた静寂が、辺りをゆったりと流れていた。リロンは、十五分遅刻した。アルフィンは、舗装された道を凝視している。会ってから、一度も目を合わせていない。
「悪い」
「そうね」
 リロンは、ばかに明るい声だった。
「引き止められて、宗教に勧誘されたんだ」
「あ、そう」
 水の音が、妙に現実的だった。
「さらに、おばあさんに道を聞かれたんだ」
「で?」
「耳が遠くて、説明するのに苦労した」
 彼女は怜悧な視線が、挙動不審なリロンを貫いた。
「言い訳はそれだけ?」
「ごめんなさい」
「どうせ走ってきたんでしょ。そんな人を引き止める人はいないわ。どれだけ素早いおばあさんよ」
 厳しい声は、喧騒の中凛と響いた。リロンは、ようやく彼女と目を合わせた。彼女の強い瞳は、ふと下に落ちた。
「せっかく、話したいことがあったのに」
「え……」
「本当は、こういうの無しに、言いたかったのに……」
 彼女の声は、細かった。リロンはつり目気味の目を緊張させる。リロンは、瞬きを数回した。
「なあ、それって、二人きりで?」
「だから呼び出したんじゃない」
 リロンは、視線をいろいろな場所に巡らせていた。彼の困った時の癖だったが、はたから見ると、不審者だった。
 それって、と上ずった声で彼は口を開いた。
「こ、告白?」
「……愛の?」
「ああ」
「こういう時までふざけないで」
 リロンは口を薄く開いたまま凍りついた。
 淡く抱いた期待は、彼の心の影に慌てて隠れた。だよな、と、内心苦笑いしてみる。少し、心持ちが悪かった。
「話したかったのは、私とあなたのこと」
「俺と、お前?」
 リロンは、目を細めてアルフィンを見た。
「リロン。私、あなたのこと好きよ」
 切実な笑みを浮かべた少女が、そこにはいた。リロンは一瞬眉を潜めた。だが、すぐに意図を察する。彼女は、昔からの友達だった。
 彼は、笑顔で応えた。
「ああ。俺も、お前のこと好きだぜ」
 アルフィンは、一瞬綺麗に笑う。しかし、すぐに無表情に戻った。
「でも昔、あなたのこと、とても嫌いだった」
「え?」
 彼は、目を細めた。彼女の顔に、甘さが消える。
「昔は、とても憎かった」
「な、なんでだよ」
 彼女の青い瞳が、暗い灯りを灯した。
「――あなたが、私の一生を奪う人だと知っていたから」
「……お前の一生を奪う?」
 彼女らしくない言い回しだった。リロンは、怪訝な顔をする。
 結婚、という言葉が浮かび出てきた。いや、違う。リロンは口を引き結んだ。俺たちは婚約者じゃない。
「どういうことだ?」
「そのままの意味よ。ねえ、リロンは、私のお父さんとお母さんを知っている?」
「ウェルスベルグ国王、アドルフ・リダ・ディア・ウェルスベルグ様。母親は、その王妃、イザベル・ソフィー・ウェルスベルグ様だ」
「違うわ」
「なぜだ。国王様はそう言ってるぜ」
 アルフィンは、薄く笑んだ。強さを秘めた双眸は、リロンから離していない。
「これから話すこと、真剣に聞いてくれる?」
「今でも真剣に聞いてるよ。アルフィンが嘘を言ったことなんてないだろ」
「でも、嘘だと思ってるわよね」
 リロンは、口を噤んだ。アルフィンは、憂うように目を細める。
「聞いて。私の親は、国王様じゃない。あなたの両親が、私の本当の親なのよ」
「ばかな」
 渇いた声だった。
 本心だった。リロンは、アルフィンが兄弟だと思ったことは一度もない。意識せずとも、声が掠れた。
「俺たちは兄弟じゃない」
「そうね。兄弟じゃないわ。だって、あなたの親は、私の親とは違うもの」
 嘘を言っているとは思えなかった。彼女は、嘘をつかないだろう。幼い頃から一緒に過ごしてきたリロンは、彼女のことを知っていた。突如浮かんできたのは、幼い頃の思い出だった。楽しい思い出のはずだった。数々の思い出が、ふいに色を失う。
「なら、俺の親は、誰だよ」
 無理に笑おうとして、逆に声が低くなる。
 正直、思考が上手くついていけなかった。ただ、思い出だけが少しずつ霞んでいった。
 沸騰する焦りが、胃から込み上げる。 
「答えろ!」
 言った自分が、先ほどの自分と重った。リロンは、はっとして口を閉じる。なぜ、さっきはあれほど我を失ったのだろうか。今も、一瞬失った。
「知らないの。ごめんなさい」
「どういうことだよ。お前の親が、俺の今の親なんだろ」
「あのね……」
 アルフィンは、先ほどからなにかに躊躇しているように見えた。彼女の拳が、震えている。リロンは、無表情で彼女を見ていた。時間が気持ち悪い。今までの人生で、これほど不気味な時を過ごしたことはない。彼女の次の言葉を、リロンは複雑な思いで待っていた。
 次の言葉が聞きたい。だが、言って欲しくない。嫌な予感だけが、相反する二つを結んでいた。
「危ないっ!」
 その時、女の声が、彼の頭を叩いた。
 真っ直ぐ、こちらに向かってくる人影。
 リロンは、ほぼ反射的に剣の柄に手を伸ばした。一拍遅れて、アルフィンが反応する。リロンは彼女を目の端で確認し、正眼に構えた。彼はつとめて冷静だった。
 古いナイフを手に、一直線に向かってくるのは男だった。みすぼらしい衣服に、目を眇める。
「リロン、違う!」
 ナイフのタイミングに合わせて振り上げた。
 アルフィンの声には一瞥もくれず、彼は必殺の機会を計った。しかし、突如、横から殴られたような衝撃が襲う。彼女に、横から押し倒されたのだった。
「アルフィン! なにやってる!」
「手! 逃げて!」
 彼女は、それだけ叫んだ。リロンは、挑むように視線を男へと上げる。
 彼の黒瞳は、男の手に小型の鉄が握られているのを捕らえた。ナイフは囮だった。
 ――自爆する気か!
 下唇をかむと、何も考えず剣を捨てた。アルフィンの手を掴む。足に爆発的な力を込めた。男の、暗色の双眸が、妙にリロンの目につく――。
 衝撃と痛みが、全身を支配した。
 運命に全てを委ね、リロンは目を閉じていた。もう開かなくていい、とさえ思った。走馬灯など、巡る暇もない。頭に降りかかる硬い塊、冷たい水。噴水ごと、爆発していた。
 もう、いい。俺なんて、放っておいてくれ――。
 苛立ちも感じなかった。無気力感が全身を包み込み、彼は目を閉じた。
 最後に一瞬映ったのは、赤い空だった。噴出する水は黒く、広大な空へとまっすぐ伸びている。
 これから起こる運命へ暗示。悪い冗談だと思った。









            ■












 恒久的な平和を謳われていた。
 聖都と愛でられた聖都ウェルスベルグは、昏々と眠り続けていた。神の腕の中で安らかに、何年もの間眠ってきた。
 城下町の中心に聳え立つ噴水は、聖都の象徴だった。
 死傷者は五人と言われた。その内の二人は、この世にいない。ただし、これは、自爆した異教徒を含めた数ではなかったのだ。
 聖都は、うっすらと瞼を開いた。  


 城内は、騒然としている。
 一週間前に起こった、噴水付近の自爆テロ。それを皮切りに、ウェルスベルグは混乱の一途を辿った。四日前、王は騎士たちを呼び集めた。この事件を、ガルナス帝国と名乗る国の、戦争宣言と取るようだった。会議室は常に閉鎖され、騎士たちの不安も高まる。
 意外に落ち着いていたのは、上層の騎士だった。
 やはり。アルフィンは、下唇をかむ。
 上層部は、この事態を予め予測していたに違いない。
 彼女は、シャンデリアの下を黙々と歩く。
 足取りがおぼつかない。自分の足が、他人の足のように感じられた。一週間、会議室を往復していた彼女は疲弊していた。
「レイシー」
 呼んだ声は、低かった。聞きなれた声に、ふと足を止める。アルフィンは、眉を潜めた。
「クリストファー大将軍と、ガルナス将軍?」
「大変だったようだな」
 若い男が、一歩前に出る。聞いたところ、声はまだ若い。彼こそが、ウェルスベルク屈指の剣使い、大将軍のリーク・クリストファーだった。新人騎士の誰もが、リークの背負う剣に目を瞠った。煌びやかな装飾の施されたその剣。大きい。明らかに他の兵士たちの扱う剣の大きさとは違った。横幅も長さも段違いだ。
「クリストファー大将軍。その、ここで私をレイシーとお呼びになるのは……」
「いいだろう。ここには誰もいない」
 リークは、鬱陶しそうに冑を取る。彼は貴族の出で、立ち振る舞いは優雅だった。
 リーク・クリストファーと並ぶのは、彼より頭が二つほど抜きん出た大男だった。ガラン・ガルナス将軍。どちらも無口な彼らは、一緒にいることが多い。
 リークは、切れ長の双眸を、彼女の目線へと落とす。
「では、アルフィン。アルカが呼んでいたぞ」
「アルカさんが?」
 アルフィンの頭に、温厚そうなリロンの上官が浮かぶ。
「なぜ、アルカさんが私を?」
「俺にも分からん」
 前髪の隙間から、鋭い目を覗かせている。深い青色の髪色と似た、青い瞳だった。
「……リロン・フェイは?」
 低すぎて聞き取りづらい声は、リークの隣から発せられた。
 彼は、ガラン・ガルナスといいう。肌が黒く、初対面の者ならば恐怖さえ与えかねない顔だった。
「ガルナス将軍。彼の心配を?」
「リロン・フェイがどのような人物かは知らない。ただ、一週間も意識不明だと聞いた」
 言った男の瞳は、空を見ている。
 アルフィンの顔が歪むが、彼が、その理由を知るはずもない。それでも、女の微妙な心境の変化には気づきそうなものだが、ガラン・ガルナスは、見た目どおり、不器用な男だった。
「噴水は大破したそうだな。被害者も多い。自爆テロの現場に、アルフィンもいたと聞く」
「ガルナス将軍……。ごめんなさい。私がその場にいたのにも関わらず、こんなことに……」
 黙って聞いていたリークは、腕を組む。
 ガランは、低い棒読みで喋り続けた。
「確か、リロン・フェイがアルフィンを庇ったそうだな。アルフィンは軽傷で済んだ。リロン・フェイは意識を失ったそうだ」
「はい」
「城下町の中心に位置する噴水が壊れていた。死者は二人。大変だったな」
「ねぎらいのお言葉、ありがたく存じます」
 アルフィンは、口元だけで笑った。ここ一週間、まともに休めていない。やつれた笑みになった。
 リークは、アルフィンを一瞥した後、鋭い目をガランに移す。
「リロン・フェイか。ガランも知っているはずだ」
「……いえ」
 ガランは言った。
「存じ上げません」
「毎朝八時に、廊下を全力疾走している奴がいるだろう」
「……あの元気のいい騎士」
「ああ。アルカが言っていた。リロン・フェイが新人騎士の頃だったか。城内のベランダから落ちて助かったそうだ」
 説明口調で言った後、とってつけたように加えた。
「そうそうのことじゃ死なんだろう」
 言葉と共に、アルフィンを見る。
 彼の言葉に、彼女はふっと微笑んだ。感謝の言葉は口にしなかった。彼女なりの誠意だった。
「……そうか。アルカも苦労するな」
 ガランのくぐもった棒読みの言葉は、のん気にさえ聞こえた。
「では、私は行って来ます」
「ああ」
 リークは頷く。冑を手に、廊下の中心へ歩いた。
 アルフィンは、ふと苦笑した。彼の、威圧感のある双眸は、かなり近寄りがたい。その上、隣には大柄の男が控えている。先ほどから、廊下を通るに通れない騎士がいることに、気づいているのかも怪しい。
 アルフィンは会釈して、医務室へ向かった。

 リークとガランと別れた後の、アルフィンの足は重かった。
 医務室の前に着くまでの時間が、短く感じられる。
「あ、アルフィン様」
「アルカさん……。クリストファー大将軍から聞きました。私に用とは?」
 アルフィンは、アルカの姿をすぐに見つけ、小さく驚く。彼は几帳面だった。あれからずっと、医務室の前で待っていたらしい。
 アルカは隊長だ。彼が大将軍と面識があるのは、意外だった。聞いた話だと、アルカとリークは、同年齢で同期らしい。
 彼は、人の良い笑みを浮かべた。
「アルフィン様は、リロンのことを大層気にしてらっしゃいましたから」
「用件は、彼のことでしょうか?」
 アルカは、一つ頷く。
「リロンが、ついさっき目を覚ましたんですよ」
「リロンが?」
 つい、口調が強まった。アルカは、それが、と眉を下げた。
「なんだか、少し錯乱していたみたいで……」
「錯乱?」
「今はとても落ち着いています。アルフィン様、あのことは、まだ話していないのですか? 戦争まで、もう時間が……」
「これから、話します」
 彼女は微笑みを浮かべた。鋭く、強い笑顔だった。アルカは、ぎょっとして身を引く。
「リロン!」
 彼女は、豪奢なドアを開け放った。シトが目を瞬かせている。どうやら、彼らはきまずい空気を吸っていたようだった。
「アルフィン……」
「リロン」
 リロンは、つった大きな目を彼女へ向けた。彼は、笑顔がないと、相手にきつい印象を与える。
 彼は白いベッドに座り、上体だけを起こしていた。白い包帯が、上半身を覆っている。控えめに言っても、痛々しかった。
「まさか、記憶喪失ではないわよね。私がした話、覚えているかしら」
 リロンは、挑戦的に呟いた。
「ああ。俺の親が、お前の親。俺の親は行方不明なんだろ」
 彼の口調は、落ち着きがなかった。浮いているような印象も受ける。
「覚えてるさ。むしろ、ここ一週間、ずっとそのことを考えていた」
「一週間?」
 引っかかったが、アルフィンはそのまま続けることにした。彼女にも余裕はなかった。
「単刀直入に言うわ」
「待ってくれ」
 中性的な声が言い終わらない内に、彼は言った。
 アルフィンは、むっとして口を噤む。決意を鈍らせたくないようにもみえた。彼女は自分に、何か大事なことを伝えようとしている。リロンは、分かっていた。
「分からないんだ。俺が、お前の一生を奪うっていうこと。俺は、お前に憎まれていたのか?」
 少し吊った黒瞳のせいで、強い面持ちに見える。だが、彼の双眸は切実な光を湛えていた。
 アルフィンは、小さく目を見開く。
「気にしてたの?」
「……なぜだ。理由もなく、憎まれていた覚えはない」
 低い声に、悲愴と怒りが入り混じる。
「そう。そうよね……」
 彼女は、そっと目を伏せた。
 私の、十六年間の仕事を、今終わらせなければいけない。彼女は一度目を強く閉じた。
「ねえ、リロン」
「なんだ」
「今まで、あなたを騙していたことを、許して欲しいの」
「なんだと?」
 今度は、リロンが目を見開く番だった。
 彼女は怜悧な顔に厳しさをのせたかと思うと、その場に膝をついた。閑静な佇まいで、深く、リロンに頭を下げる。彼の黒瞳から、開かれた彼女の赤い唇は見えなかった。
「――今まであなたに行った数々の無礼を、ご容赦下さい」
 彼女の、静かな声。
 驚いた。頭を、鈍器で殴られたような感じだった。リロンの思考が止まる。
 リロンは、口元で笑った。笑え、と心がささやいた。
「な、なに言ってるんだよ。アルフィン。本当は、俺が敬語を使わなきゃいけない立場だろ?」
「いいえ」
 彼女の声は、冷たかった。いや、いつもと何も変わらない。その冷たさが、彼女だった。
 普段は笑い飛ばせたが、今は全てが上手く動かない。それでも、掠れた心で口を開いた。
「私は、次世代騎士ではありませんから」
 開いた口が、動かなくなった。
 アルフィンが、次世代騎士じゃないだと。胸が詰まった。強く戸惑った。
「あなた様のためとはいえ、私などが神の子などと名乗るとは、私は、あまりにも大きな罪を犯しました」
「……アルフィン……?」
 搾り出すような声は、声にもなってなかった。
 アルフィンは、金髪の前髪から、怜悧な双眸を覗かせる。
「私は、アルフィンという名ではございません。本当の名を、レイシーといいます」
 レイシー。リロンは口の中で反芻する。鼓動が速くなった。では、“アルフィン”は一体どこにいるのだろう。
 自然と、呼吸が荒くなった。息苦しさが増し、鈍い痛みが胸を駆け巡る。まさか、と思っていた。手に嫌な汗を握る。鼓動が頭に響いた。
「心して、聞いてください。あなたこそが、次世代騎士、アルフィン・ガイナ・ディア・ウェルスベルグ様です」
 彼女は、淡白な声で言った。
 糸が切れたように、空虚な心がぶらさがる。
 難解な言葉だった。ただ、呼吸が荒くなってゆく。純白の壁が、彼の視界から消えた。
 気づけば、震えた瞳で、彼女を見下ろしていた。
 彼の思考は、支離滅裂だった。
 色褪せた絵が、幸せを語る。熱っぽく語った憧れが焼失し、地の底に深く溶ける。鏡は何も映さない。心の中に渦巻く焦り。焦った。何に焦っているのか分からなかった。リロンを象徴する物が、空気に溶ける。心の中で立ちすくんだ彼を、寂寥が蝕んだ。
「違う」
 発した声は、落ち着いていた。
「俺は、次世代騎士じゃない。俺は、リロン・フェイだ。アルフィンじゃない」
「アルフィン様。受け入れられないのなら、私が力になりましょう」
 アルフィンの冷静な声は、諭すようだった。鈍いガラスのような黒瞳は、自然と、彼女へ引き寄せられる。双眸に、柔和な笑みが映る。
「私の家は、代々神の子に仕えてきましたから」
「お前の家?」
 いや、とリロンはかぶりを振った。俺の両親が、彼女の両親だ。俺が過ごした家のことを、今彼女は話しているのだ。
「俺の家のことか」
「ええ。私は六歳のころ、両親から全てを聞かされました」
 彼女は、ゆったりとした口調で話し始めた。
「ある村から、神の子が生まれたこと。その子が、聖都ウェルスベルグに送られたこと。そして、私が、新しい神の子に仕えなければならなかったこと」
「神の子……。俺は、村で生まれたのか」
 アルフィンの声は、柔らかかった。リロンは知った。彼女は、彼を突き放す気はないのだ。自分は、受け入れなければならない。真実と現実、自分と、彼女を。
 リロンは、目を細めた。
「そうか。それで?」
「ええ」
 アルフィンは、緩やかに頷く。
「そして、私は親元から離れました。あなたが重い荷を背負えるようになるまで、私が代役を務めるために。私は、次世代騎士として、国王様と王妃様の子どもとなったのです」
 言葉の一つ一つに、優しさを感じる。彼女は、心を隠していると思った。全ては、リロンが真実を受け入れるためなのだ。
 彼女は心を殺している。慈しむような口調で、彼に諭している。
「聖都に送られたアルフィン様は、私の実家が引き取りました。私の両親は、あなたに全ての愛を注ぎました。全ては、この日の為です。あなたを、立派に育てるため」
「俺を、大人にするため……」
 リロンは呟いた。
「そうです。私たちが巡り合ったのは、あなたが生まれる前から定まっていた運命」
 アルフィンらしくない言葉だった。リロンを憂いが包む。
「あなたは私の側近として、次世代騎士の最も近い位置を務めました。全て、決まっていたんです。私は、あなたを支え、一緒に笑いあった」
 リロンの頭に、小さい思い出が交錯しあった。どれも、仄かに輝き、温かい。
 彼は、歯をくいしばって、彼女を見下ろした。
「時にはケンカもして、悩み、怒り、悲しみました。あなたが挫けそうな時、私があなたを支える人となるために」
「アルフィン……」
「私がしてきたことは、全て無駄ではありませんでした。あなたは立派に育ってくれましたから」
 リロンは、布団を握り締めた。
「私は、あなたの為に生きましょう。アルフィンという名が重く感じられた時は、私がリロンと呼びましょう。あなたが、そう望むのなら」
「俺が、望むなら?」
「そうです。私はその為に、今まで生きてきました。そして、これからも」
 うたうような口調が、心地よくリロンの心を掠める。
「私は、あなたの一生を助けましょう。あなたの敵を共に討ち、共に戦いましょう。辛くなったら、私があなたに代わりましょう」
 霧がかかった心を、温かさが包み込む。
 リロンはアルフィンに手を伸ばした。
 ……いや、違う。
 手が、凍ったように止まる。これは彼女の、本心ではない。
 リロンは、震える手を見つめ続けた。思い出が、いくつも頭をよぎる。彼女と過ごした、柔らかい思い出ばかりだった。
 ――違う。そんな手触りの良い思い出ばかりを並べたって。
 今まで浮かべてきた、自分の純粋な笑顔、何も知らない無垢な言葉。それらは、彼女をどれだけ傷つけただろうか。なぜ最近、感情の起伏が激しかったのか。リロンは考えなければならなかった。思えば、不審な点は、いつも彼と隣り合わせにあったのだ。
 ――俺が、アルフィンの一生を奪う男。
 普通に生きたかった筈だ。何度彼女は、切実に願っただろう。幼い頃に親と離され、その両親の愛を一身に受けるリロンは、どれほど憎かっただろうか。
 リロンさえいなければ、彼女は大切な人と愛を分かち合えただろう。普通に生きれば、幸せな人生を送ることが出来たはずだった。
 彼女ほどの人物であれば、尚更。
「アルフィン……」
 声が震えた。それ以上何も言えなかった。
「いえ、次世代騎士様。レイシーとお呼びください」
「ごめん、レイシー。俺なんかがいて、本当にごめん……」
 涙が、頬を伝った。
 目頭に熱いものがこみ上げ、喉がつまった。せきを切ったように巡る切なさが、嗚咽に変わる。
「アルフィン様?」
 ようやく彼女は、顔を上げた。リロンの視界は滲み、彼女の顔が見えない。
「レイシー。俺、本当にっ、お前から何もかもとりあげてっ……」
 上手く言葉を紡げず、悔しさが涙に代わる。
 情けない自分に苛立ち、拳を握りしめた。握り締めた拳の上に、一粒の水が落ちる。肩が震え、発作をおこしたように体が勝手に動く。
「ごめん。俺が、お前の幸せを全部もらったからっ、俺が……!」
 言葉にもならなかった。気持ちだけ流し、本当に格好悪いと思った。
 格好悪くても、何をしてでも、彼女に謝らなければならなかった。文字通り、リロンはアルフィンの一生を奪ってしまった。リロンは、彼女のゆりかごで眠っていた。
 彼女の親を奪い、幸せを奪い、女としての人生を奪った。
 何もかも自分のものにして、十六年間も苦しめた。
「俺は、馬鹿だ……!」
 握り締めた拳を、布団の上に叩き付けた。渇いた思いは、布団の羽毛に包まれて消える。
 後には、静寂の空しさだけが残った。
 リロンは、滲む視界を寂然と眺めた。
 思い出したのは、初めてアルフィンに出会った時だった。握手を求めた小さな手。無垢な好意を光らせ、笑う少年。少女は、彼の手を取っただろうか。あの時の幼い少女の双眸。今のリロンの双眸と、あまりにも似ている。
「アルフィン様」
「違う! 俺は、アルフィンじゃない」
 リロンは血が出るほど、下唇を噛む。
「俺は、お前にはなれないっ……。レイシー、俺は、次世代騎士になれない。騎士にも、人間にもなれない」
 支離滅裂なことを言っている。分かっていた。
 彼女の困った顔が頭に浮かぶ。情けない。拳を震わせた。視界はぼやけて、何も見えない。
「俺は……っ、本当に情けない……。俺は……」
 しゃくりあげて、続きに詰まった。リロンは背中を丸め、布団を握り締めた。
「ごめん、レイシー。本当に、ごめん……」
 リロンは、苦しみを吐き出すように言った。何度も、何度も謝った。それでも、心は何も満たされなかった。
 大切な人だった。幼い頃から、そう思っていた。心が、痛かった。浮かぶのは、彼女との思い出だけだった。茨を巻きつけた思い出は、触るだけで痛かった。
 何度もしゃくりあげながら、リロンは謝った。
 彼の言葉は自責だった。怒りだった。思いは嗚咽に変わり、空気を震わす。
 リロンの耳に、ドアが閉まる音が聞こえる。
 彼女は、呆れて出て行ってしまった。リロンは思った。呼吸の苦しさを感じる。それでも、彼は謝り続けた。
 リロンの声は、無機質な白い壁に吸い込まれていった。
 




2007/12/29(Sat)17:01:27 公開 / 櫻 美咲
■この作品の著作権は櫻 美咲さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
本当に拙い文章で申し訳ないです。“おもしろい小説”というのが、一体どんなものなのか分からなくなってきました……。もっと精進したいです。意気込みだけで空回りしているところもありますが。
こんな小説でもアドバイスをもらえると嬉しいです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。