『ディド』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:メイルマン                

     あらすじ・作品紹介
雨の夜と僕とディド。

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 ひさしぶりの雨の夜だった。僕は舞い上がったほこりの匂いに咳をこらえられなかった。青とオレンジの外灯が街路樹の葉を妖しく染めている下を、傘もささないで足早に馴染みの店へと向かった。
 昼はものさびしい一角が、夜は派手なネオンを灯した店に集まる客で騒がしくなる。手作りされた看板には、不恰好に折り曲げられた放電灯でイービルクラフトと書いてある。七色に光るその看板に、羽虫がいくらか群がっていた。
 木製の趣のある扉は、中世をイメージしたものだとマスターがいつだか言っていた。来客の中には自動ドアにすっかり慣れきっていて、ノブを捻り方さえ忘れた連中も多いのに、このこだわりだけは譲れないらしい。
店内はすでにごった返していた。むせ返るようなタバコと酒とオイルの匂いが満ちている。計算された照明が、明るい店内のところどころに暗部を作り出してムードを高めていた。開店当時は人間のカップル向けのバーだったという。ラバーズ・バースツールという昔の店名を聞いたとき、僕らは人間もアンドロイドも関係なく、一斉に大笑いしたものだ。
 寡黙なマスターは、鉄鋼造りの左手を気だるげに振ってきた。左足と右耳も義肢だから、アンドロイドの亜種だと勘違いする客もしばしばいる。僕は手を振り返しながらカウンターの定位置に収まった。
 水曜の夜には珍しく、店内は盛況だった。閉店フェアーでもする気かと尋ねると、グラスを乱暴に置かれた。気分を悪くしたらしい。
 オーディオからはオールドクラシックのアレンジが流れていて、旧式アンドロイド二体が滑るように踊っていた。ぎしぎし鳴る脚部もオイル不足も嘆かずに、胸のランプを光らせて、彼らは求愛を繰り返す。イービルクラフトは、旧式アンドロイドの楽園だった。
 空気はタバコで白く濁っている。店の奥では人間とアンドロイドが仲良くパイプを加えていた。酒を煽って、蒸気を噴出して、リズムに乗る。肩を揺らす。むせる。がなる。笑う。
 僕が生まれるずっと前、政府の残酷な決定で、旧式のアンドロイドは追い立てられるように街の暗部に散らばった。憲章によって授けられていた擬似人権のほとんどは廃棄されて、それらは新たに量産され始めた新式アンドロイドのものになった。旧式が好むオイルには重税が課せられ、交換パーツは生産が激減した。主要な幹線道路の使用は禁じられ、指定区域内に立ち入れば容赦なく攻撃された。
 定期的に吐き出さなければならない排気ガスが地球環境に甚大な悪影響をもたらす。そんな報告書一枚で、人間と何ら変わらずに社会に溶け込んでいた彼らは、誰かの所有物にならなくてはいけなくなった。法律上、彼らは犬と同じになった。
 彼らを人として扱うことについての議論が活発だった22世紀初頭ならばいざ知らず、家族や友人としてのアンドロイドを突然奪われた人々の反応は強烈だった。デモの嵐が関係官庁を直撃した。国中で運動が続き、人死にも出た。それでも政府は動かなかった。政府はひたすらに時間を耐え忍べばいいということを知っていた。
 旧式を決定的に追い詰めたのは資源の枯渇と新式アンドロイドの社会的台頭だった。新式はあらゆる点で旧式を上回った。新式に比べれば旧式はどこかまだロボットくさく、機転の利かない部分が目立ったのだ。社会参画に積極的で、独立心と知性に富む新式と、「人間のためのアンドロイド」という認識から今一歩抜け出せない旧式。時間の試練にさらされた結果、見捨てられたのは旧式だった。
 過激な擬似人権派の団体が、国内にはまだいくつかあるというが、ほとんどの旧式は諦めていた。彼らは戦うことを選ばなかった。今さらペットのような扱いを受けることを潔しとしない者や、頼りにする人もいない者たちは、野良アンドロイドになることを選んだ。
 最後の旧式アンドロイドが生産されてから30年余り。だから今いる旧式は、すべて僕の年上ということになる。彼らは押し並べて気さくで、気取ったところがなく、気のいい連中ばかりだ。相手の人間が60歳でも20歳でも、同じように接する彼らのそんな性質も、現代ではコミュニケーション能力の精度の低さとみなされて、よく新式と比較される。この店に来るような、彼らのかざりけのなさを愛する人間が、世の中にはもう少ないということだろう。
 そんな旧式の一人、初めの通電から73年になるという親友が、いつものように僕の横にかけた。
「やぁディド」
 僕が挨拶すると、ディドは少し調子の外れた人口声帯で返してくれた。
「待ってたよ。外は雨かい」
 僕は濡れたジャケットを椅子にかける。銅色の顔のあちこちに、にきびのように錆が張り付いていて、間延びした顔と合わせていかにも農作業型ロボらしい風采だった。右手の外装はずっと昔に壊れて、内部の骨組みも油がきれて動きが鈍い。典型的なオンボロイドだ。僕は彼のためにオイルジンジャーを注文した。
「西区の話は聞いたかい」
 昼ごろに職場で伝え聞いたことについて僕は尋ねた。
「何が?」
「海の一部が沸騰したんだって。コンビナートの近くだよ」
「そりゃまた何故?」
「噂じゃ廃棄オイルを流しすぎたらしいけど、実際は違うらしい」
「本当は?」
「本当は集団投棄らしいよ。旧式アンドロイドの」
 ディドのまゆげがゆっくりとあがった。ため息をついたあと、ディドはカウンターに突っ伏した。ショックを受けたのだろうと思っていたら、しゃっくりあげ始めた。僕は驚きながら酒を飲んだ。マスターが「あんまり友達を悲しませるもんじゃねえ」と呟いた。遠くのほうでのアンドロイドが「なんだい女々しい野郎だ」と叫んだ。ディドは泣きやんだ。
「新式かい?」
 ディドが尋ねた。
「まさか。わかってるくせに」
「スクラップかな?」
「そんなはずないだろう」
「そうだよね。あそこのコンビナートに、スクラップ廃棄施設なんてないものね」
「こんな港街にあるはずないさ」
 僕は酒をちびちびと飲んだ。
「どこのファクトリー?」
「62の裏の赤いところ」
「政府公認の改良用ラボじゃないか」
 ディドは大げさな言い方をした。
「そうだよ」
 別に珍しい話ではなかった。旧式にも対応できる修理改造施設は、どこかの人間の所有物に甘んじているアンドロイドのためにまだいくらか残されていたが、野良アンドロイドには縁のない場所だった。それでも金さえ払えば野良でも修理をしてくれるらしい、なんて噂が街に流れれば、メインパーツにガタがきている何人かは、せっせと溜め込んだ金を抱えてラボに駆け込んだ。工程開始の合図とともに意識パネルの電源が切られてしまえば、保護者のいない彼らをどう扱うかは、修理者の良心次第だった。金になりそうな部分をとってから処分する。どこにでも転がっているような話だ。
 ディドがいきなり立ち上がった。長身痩躯で、頭が店の天井につきそうだ。目が赤く点滅して、怒りを表していた。頭のてっぺんの麦藁帽子型の排気口から蒸気が噴出しているのは構造上必要な反応ではなく、感情を明らかに示せるようにした開発者の茶目っ気らしい。
 周囲はデイドをはやし立てた。拍手が降り注ぐ中、マスターがグラスを拭きながらディドに忠告した。
「やめときな」
「どうして?」
「最近の兵隊どもは情けなんてないんだ。抗議でもしようもんなら一発でドカンだぜ。何しようってんだか知らねえけど、奴らにとっちゃあお前は射的の的も同然だ」
「だからなんだって言うんだ」
 ディドはマスターの手からオイルジンジャーをひったくって、のどに流し込む。
「おいオンボロイド、いい加減にしねえか。擬似人権のパスでも持ってるってのかい? そんなに金のある奴が、こんなとこでオイルかっ食らってるわけねえだろう」
 喝采がやんだ。静かな店にディドの声が響く。
「そんなものくそくらえだ!」
「ああそうか、いよいよ馬鹿になっちまったか」
 マスターはあきれて背を向ける。
「旧式にだって魂はある! 迫害反対!」
 ディドが店内に呼びかけると、アンドロイドたちが復唱する。
「迫害反対!」
「新式へのえこひいき反対!」
「えこひいき反対!」
「旧式迫害反対!」
「旧式迫害反対!」
「政府は我々にも無料で人権を認めろ!」
「認めろ!」
「ああ、公安でも来やがったらどうするんだ」とマスターがため息をつく。
 僕はディドをなだめようと椅子を勧めた。
「まぁ落ち着けよ。最近の奴らの装備知らないのか? 熱線銃だよ。こんなブリキみたいな装甲じゃ、一発でアイスクリームみたいになるのがオチさ」
 僕はディドの体を触る。ざらざらとした頼りない感触だった。熱線銃さえいらないだろう。
 ディドはかちかちと目を点滅させた。赤、緑、赤、緑、赤。
「かまうもんか! 要求を貫くためには、この身がアイスとなろうとも!」
 周囲が再びぴーぴーとはやし立てる。ディドも周りも悪酔いしているようで、店内の熱気が上がる。
「改良用のラボから、どうして集団投棄が出る!」ディドが叫ぶ。
「そうだ!」
「政府は腐りきっている!」ディドがうなる。
「そうだ!」
「旧式廃棄計画なんてのに従って、こっそり同胞を処分したのに違いない!」ディドがわめく。
「そうだ!」
「哀れ同胞! 必死に稼いで金を払って、ラボに入ってだまされて、二度と目覚めることもないとは!」ディドが涙する。目からオイルがこぼれる。
「そうだぁ!」
 聴衆はそろって拳を振り上げる。
「かくなれば、私が一矢を報いようではないか!」ディドが拳を突き上げる。
 やんややんやの大喝采が店を揺らす。歓声がおさまらない。
 僕は立ち上がってディドを止めようとした。ディドは止まらずに僕を振り払い、椅子を蹴り出て行ってしまった。「おーい、やめとけよ」と、本気で止める気はない声がどこかであがった。無責任な聴衆は拍手が途切れると、再び酒とオイルの海へ溺れていった。
 外に出る。雨足は弱まっていなかった。店のある小路を出ると、ディドは簡単に見つかった。2m近い体は細くて長い。安物のメッキはむらがあり、ところどころ輝きすぎて、夜に蛍のように目立つ。そんなアンドロイドが人影もまばらな通りを全力で疾走している。
 僕は戻って店の裏口に停めてあったマスターの愛機にまたがる。思ったとおり鍵はかかっていなかった。一人乗りのエアブースターのエンジンをかけて通りに飛び出した。50年前のアンティークは、マスター愛玩の一品だ。時代遅れのエアブースターなんて道路に放っておいても誰も盗まないだろうし、スピードはもうあまり出ないから高速空路を走れはしない。しかし見る人が見ればジェネレータの整備に途方もない金額がかかっているのを見抜くだろう。小気味いいエンジン音が雨夜に轟く。乗り心地は快適だ。鋭い瞬発力を発揮したブースターは、僕を一瞬でディドのもとに運んだ。
「ディド、落ち着け」
 呼びかけてもこちらを見はしない。
「落ち着いてるよ」
「嘘だ」
 ディドは加速した。油の足りない脚がぎちぎち不愉快な音を立てて躍動していた。アクセルを緩めることが出来ない。埠頭方面へのトンネルに向かって一直線に走っていく。雨に煙る国道をたくさんのブースターが通り過ぎていく。ハイビームのまぶしさに顔をしかめてディドと併走しながら、風に負けないように僕は声を張る。
「馬鹿な真似はやめろ」
「嫌だね。止めないでくれ。そうさ馬鹿だよ。馬鹿な話なんだよ、これは」
 トンネルに入ると風が強くなった。この先にはコンビナートが乱立する工業地区がある。旧式のアンドロイドは、見つかり次第通報されて処分される。
「おい、指定区域に入る気か? なぁ、よせよ。どうしたっていうんだ。仲間が殺されただなんて、今までにだってあったろう」
 ディドが急に見つめてきて、僕は失言に気づいた。本当は彼らの仲間意識は、人間の比ではない。自分のことに精一杯で、いちいち気にしていたら生きていけないから互いの窮状には目を背けている。けれど本当は寄り集まって家族のように暮らしたいのだ。
「そうだ、今までだってあった。そしてこれからも絶えないんだ。僕もそんな何でもない話の一つになるだけだよ」
「今夜の君はおかしいよ!」
「ねえ、エリト。神様はどうしてアンドロイドをお造りになったんだろう」
「そんなの知らないよ。それに、アンドロイドを造ったのは神様じゃない。人間だ」
「人間にそんな知恵を授けたのは誰なんだい」
「何が言いたいんだ!」
「もう何世紀も、僕らアンドロイドはその答えを探してきたんだ。どうしてなんだろうって。人間に命を授けられた時から、片時も忘れずに答えを探してた」
「哲学している暇なんてない!」
「なんて現実的なことを言うんだ、君は」
 ディドが大笑いする。空気の悪いトンネルに僕はまた咳をこらえられない。トンネル側面の緑色のライトが、ディドの体にぎらぎらと当たる。
「ああもう、悪いオイルを飲みやがって」
「違うよ、僕は決めていた。今日こそ、今こそ僕の死に時さ」
「馬鹿やろう!」
 ディドは本気だった。僕は叫んだ。
「死んでいいはずあるか。行くな」
「かまわないよ、かまわないさ。気にしないでいい。どうせあと半月の命さ」
「何だって?」
 僕は必死に風音の中からディドの声を拾う。
「中心回路のプラグがもうもたない」
「買いなおせばいいだろう! 付け替えればいいじゃないか」
「くそったれの計画のせいさ。もうないんだ! どこにも! もうこの世のどこにも存在していないんだ、僕のここは」
 ディドは胸を叩いた。
「僕が、探し出してやる。どんな手を使っても、探し出してやる」
「僕が生まれて何年経つと思ってるんだ? 旧型のさらに旧型。文化遺産もののパーツだよ。とっくの昔に生産の止まったパーツだよ。僕と同じ型の仲間たちが、奪いあうように求めた中心プラグなんだ。ここ10年はこれの代えがきかなくて、止まっちゃった友達ばかりさ」
「知り合いに頼んでみる! 手を尽くせばまだわからない」
「旧式を直せる技師だってもういない。どこかにはいるかもしれないさ。でも、探し当てることなんてできやしないさ」
「やってみなきゃわからないじゃないか!」
「いいんだ。それに、僕もう死にたい気分なんだ、今夜は」
「ディド!」
「そら見えたよ!」
 トンネルの向こう側に鈍色の工場が、寝静まった獣の群れみたいにあった。夜に紛れて煙は見えないが、内部はまだ操業中だろう。僕らはトンネルから滑り出て、潮っ気の多い港区へ迫っていった。もうここは指定区域内だ。
「ディド、止まってくれ」
「嫌だね!」
「引き返せよ。最後の警告だ」
 運転席にマスターのクラシカルな趣味に適う、リボルバー式のジェネレーターガンが備え付けられていた。雨に顔をしかめながら照準を合わせた。ディドは走りながら笑った。
「あはは、撃てるもんか」
「撃つさ」
「撃ってみろよ!」
 ディドは胸のプレートを開いた。胸の中心はいかれた中心回路が光を発していて、バチバチと漏電するタイミングに合わせて、びっしりと錆付いたプレートの裏側があらわになった。
「さぁ、撃つんだ」
「馬鹿やろう!」
 引き金を引くと頼りなげな光熱弾がディドを直撃した。ディドは一瞬よろめいただけで、変わらずに走り続けた。威嚇用だったらしい。僕はジェネレータガンを放り投げて前方を見た。目指す工場はもうすぐそこだ。周囲を巡っている鉄条網は実質的な防御施設ではなく目に見える境界線だった。境界内に一歩でも踏み込めばどんな物でも探知を免れない、高感度のセンサーが配置されている。そして政府の奴らは旧式のアンドロイドに決して容赦などしない。
 止めるなら今が最後のチャンスだ。
 決心した途端、僕は飛んだ。ディドの首めがけて必死にしがみつく。腕に力を込めたまま倒れこむように重心を崩して、ディドを道連れに派手に転んだ。それでも腕は放さなかった。
「どうにかしてやるさ、僕が」
 呼吸が整わないうちに僕は言った。
「絶対探し出してやる。修理だってちゃんと腕利きの奴を探して、50年だって100年だって持つようないい体にしてやる」
 ディドは笑う。
「50年後、100年後か。そのころには旧式なんて金持ちが道楽で所有するアンティークにしかなってないよ」
 ゆっくりと僕は腕を解かれた。立ち上がったあと、ディドは僕の体の汚れを落とそうと、丁寧にはたいてくれた。
「ねぇエリト、僕らは絶滅危惧種なんだ」
「でも」
「100年後、僕らの最後の生き残りの動力が停止して、博物館の片隅に置かれて、もう歌わなくて、もう喋らなくて、もう笑わなくて」
 ディドは泣いていた。オイルの少し混じった粘り気のある涙が頬に伝っていた。
「やってくる新式たちが、僕らの体を興味深げに眺め回す。ああ、こんなみすぼらしいアンドロイドが、昔はいたんだねって言いながら。そんなのは、僕は耐えられないんだよ、エリト」
「僕は……僕を、おいていかないで欲しい」
 僕は本当に馬鹿だった。僕はディドを止める言葉を探し当てることが出来ずに、自分の願いを口走った。それはディドの優しさにすがることでしかなかったのに。言ったそばから後悔したけれど、考えたところで僕には選択肢なんてなかった。雨の中をディドは歩き出した。それが返事だと思った。
「ディド。ディド、行かないで」
 振り返る友人の顔は、どうしてこんなに優しいんだろう。
「エリトったら、子供みたいになってるよ」
「せめて僕が死ぬまで待ってよ! あと六十年、いや、五十年だけ、お願いだ」
「欲張りだなぁ」
 強い風が吹いていた。空では雲が押し流されているに違いない。雨音が消えていく。
「ごめんねエリト。君のために死に時は選べない」
 工場は静まり返っていた。ディドが境界線を越えた。派手なアラームが工場の奥から鳴り響いてきた。僕は走った。足に力をいれて、手を大きく振って、何年ぶりかもわからないくらいに全力で走った。
 でも遅かった。今まで体験したことのない大きな光が起こった。どこから何が飛んできたかもわからない。ディドは何も出来なかった。ディドがやられたという結果が先に来て、どうしてそうなったかを後で把握した。そのくらい一瞬の出来事だった。
 アンドロイドが溶ける独特の匂いがした。僕はディドのもとに跪いた。体はチーズみたいにぐずぐずになっていて、内部の機関がむき出しになっていて、全てが高熱を持っていた。
 兵士たちがやってきて、銃口を僕に向けて、「所有者の方ですか」と尋ねた。
「いいや。違う」
 僕は混乱したまま答えた。
「ならばお下がりください」
「少しのあいだ待ってくれないか」
「できません」
「友人なんだ。頼む」
 兵士たちは友人という言葉に嘲るような態度を隠さなかった。
「関係ありません。お伝えしておきますが、我々は市民の方でも警告さえすれば無条件で攻撃できます。ここでは我々が法律に勝ります。お下がりください。でなければそこの旧式のようになってしまいますよ」
 兵士たちはごつごつした銃を揺らして派手に笑った。僕がにらみつけると、体格の良い一人の男が不愉快そうな薄笑いで引き金に少し力を入れた。
「おい、こっちは警告はしたんだ。とっとと失せねえんなら、練習台ににしたってかまわねえんだぞ。旧式なら腐るほど撃ってきたが、人間に当てるなんて貴重な体験だからな」
 僕は懐の市民パスを奴らに放り投げた。リーダー格の男がそれを拾う。
「……失礼。上級市民の方でしたか。まだお若いのにたいした方ですね」
「銃をおろせ」
「言われなくとも降ろしますよ。しかしあなた、どう見ても大富豪には見えませんね。パスが偽造なんてことは……あるはずないか」
「全員さがれ」
「監視は解けませんよ、残念ですがね」
「貴様らの腐った匂いが鼻につくんだ。消えろ」
 リーダーはせせら笑った。
「あ、その旧式の匂いですよ、それ。どんどん溶け出してますからね。あと3分も持ちませんよ。しかしこの匂いすごいなぁ。安物の素材だからですね」
 僕は答えなかった。
「最後のお別れですか。よろしければ、ディナーでもお持ちしましょうか」
「黙れ」
 ディドが目を覚ました。といっても顔はもうなくて、チーズの中で発話ブロックがちかちか光った。
「エリト」
 ブロックから延びるコードが、かろうじて意識を司る部分と繋がっている。
「ディド。ディド」
「ああ、馬鹿なことをしたもんだ。かっこいいことを言ったって、やっぱり僕は馬鹿なのかもしれない」
「ディド」
「体がぐあーって熱くってさ。ああ、僕あんなに熱いのは初めてだった。コアが溶けていくってさ、すごいよ。視界がグニャグニャになって、何がなんだかわかんなくなって、体に力が入らなくなる」
「もういいんだよ、ディド」
「喋るよ僕は。もう最期なんだから。すごかったよ。真っ白な光がさ、僕の方へびびびって伸びて、触る前にわかったよ。あ、これは熱いなって。でね、やっぱり熱かったけど、痛くて熱くてもうどっちだかわかんなくなったよ。一瞬で」
「馬鹿だよ、君は」
「本当はね。どうでも良かったのかもしれない。君と一緒にいてもよかったのかもね。でも、わかることなんて何もなかった。考えてもね、どうしてこんなことになるのかわからないまんま。何かをしなきゃならなかった。いやーな気持ちのままなんて、嫌だから。だから走った。でもね、あんまり変わらなかった。僕の気持ちが僕の中でぐるぐる大忙しで回るんだ。ああ、苦しかった。本当にね、苦しかったよ。今は楽になった」
「幸せかい?」
「うん、もう死ぬんだってわかったし、君に抱かれて死ぬんだからね」
「よかったね、ディド」
 もうディドの体のほとんどは固まろうとしている。キャラメルほどの発話ブロックだけが最後の意思を残して、ちりちりと光っている。
「ああ、やっぱり君は最高の友達だ。あつくてどろどろしてるだろ。ごめんよ」
「なんてことないよ。大丈夫だよ」
「ああ、夜の匂いがする」
「さよならディド」
「……」
 どろどろした塊が急に冷えていった。中心回路のプラグが軽く音を立てて割れた。ディドはスクラップになった。僕は発話ブロックを両手で包み込んだ。
「お友達だったんですか。いやあ、上級市民の方のお友達なら、足を止めるだけにしておくべきでしたねえ。失礼しました。」
 リーダーが近寄ってきて言った。
「流行ってましてね、こういう手合いが。何を考えてるんだか、旧式の連中がやたらと襲ってくるんですよ、私らのような兵士をね。まぁ、逆恨みもいいとこです」
 彼はディドの残骸を拾い上げた。もうすっかり固まっている塊は、溶鉱炉で再利用される運命だ。
「まぁ、こっちも旧式なんぞにやられるはずないですがね。撃破数を競って不運を慰めていますよ。さっきもね、話してたんですよ。トンネルあたりからね、監視カメラに移ってるアンドロイド、誰がやるかってね。そうそう、定期的に連れていただけるとありがたいですね。このままだと私、一位をとりそこねちゃうんで。あれだけ派手に走ってくればみんなにばれちゃうんで、出来れば私だけにわかるように、こっそりね」
 僕は無視して立ち上がった。
「お帰りですか。お気をつけて。あ、ちなみに私じゃありませんよ、彼を仕留めたの」
 パスを取り返して、工場を出た。
 雨はもう止んでいて、湾内から汽笛の音がする。
 ディドはもうこの世にいない。あの優しい僕の友達は、いったいどこに行ってしまったんだろうか。
 港らしい白色の照明たちが、濡れた地面にいくつも線をひいていた。冷えた体をひきずるように、僕はトンネルに向かって歩き続けた。
 命はどこにあるんだろう。いつでもすぐ近くにあるのに、まったく何だかわからなくて、勝手にどっかに行ってしまう。両手でがっちりつかんでも、するするとすり抜けて、遠くに行ってしまう。
 どろどろになったパーツがパンツにこびりついて、それを払いながら僕はタバコを探した。胸ポケットをまさぐってから、ジャケットのポケットに忘れたことに気づいた。ため息を隠すように、また汽笛が響いた。
 僕に出来ることなんてないんだ。遠くの国で売り買いされる子供を助けることが出来ないのと同じように、僕はディドを救えなかった。
 家に電話をかけた。コールが五回続いて、妹の明るい声が留守を告げた。
 何を考えればいいかもわからない。僕はどうにかなってしまいそうな自分をおさえながら、電話を海に放り投げた。雨上がりの埠頭に人影はない。黒々とした闇は潮の匂いが濃かった。不意に、死にたい奴は勝手に死ねば良いと思った。
 出来ることなんて何もないんだ。
 どこかで声が聞こえた。僕は耳をそばだてた。
 本当に微かな発信源を僕は見つけ出した。発話ブロックに耳を近づける。
「こんなのひどいよ」
 ディドの声だった。
「こんなのひどいよ」
 もう意識なんてあるはずがないのに。
「こんなの、ひどいよね」
 僕はひざから崩れると、生まれて初めて、体の力が抜けるくらい泣いた。
 嗚咽が止まらなくて、その間も僕は発話ブロックを耳に当て続けた。
「ひどいよ、こんなの」
 僕は泣きながら指で発話ブロックをひねりつぶした。声は止まった。指に傷が残った。
 立ち上がることが出来ずに、僕は泣いた。塩っ辛い涙が次から次へと流れていった。ディドの粘り気のある涙を思い出した。
 泣くことしか出来ない僕は一人で夜に覆われて、赤ん坊のように身を縮めることしか出来なかった。ただ目を閉じてずっとディドの声を聞き続けた。雨がすっかりやんだ空に、親友の色をした銅色の月が霞んでいた。

2007/12/15(Sat)16:41:52 公開 / メイルマン
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■作者からのメッセージ
読んでくださった方、どうもありがとうございます。
感想、指摘等ありましたら、些細なことでも仰っていただけたら、とてもありがたいです。
「つまらない」や「まったく心が動かない」などの批判でも遠慮なく言っていただければ嬉しく思います。
どうかよろしくお願いいたします。

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