『夢のあと』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:@                

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
 一つ目に浮かんできたのはあの人の笑顔だった。
 無邪気で、私より年上のくせにどうしてだか幼く見える。私の回想に少し脚色が入ってしまったのだろうか。もう長い間見ていない恋人のことを想うと、ほんの少し心臓が動いた気がした。
 次に浮かんでくるのはあの人の手だ。決して筋肉質だとはいえないけどそれでも私より全然頑丈な長い足。その足は私をどこへでも連れて行ってくれた。その足と、あなたの笑顔は比例している。その足が好きだった。あなたとならどこへでも行こうなんて恥ずかしいことを考えてしまったのも、その足のせいなんだ。
 それでも、次に浮かんでくるのはあの人の手だ。大きくて、笑顔とは全然違う男の手。あの人の手はいつも私の頭を撫でてくれていて、子どもみたいに扱うのはやめてよ、そう言ってもやめてくれなかった。でも本当はその行為が好きで好きで、あなたのことが愛しいと感じる手段の一つとなっていた。その手が、好きだった。
 そんな愛しい手が黒に染まってゆく。手には大量の札束があった。そんなお金、いつ集めたの? 返事をしてよ、みーくん。
 もうその人の笑顔は無邪気で幼いものなんかじゃなかった。汚くて、全てが嘘なんだって囁いているようで、歳相応。歳相応の笑顔は見てみたかったはずなのに、なぜだか心は一つも反応してはくれない。それは、彼が私に囁きかけているから。「嘘だよ」と。
 二つ目に浮かんできたのは友の嘆きだった。
 私の状態を告白すると、友はぼろぼろと涙を零す。どうして、どうして相談してくれなかったの。って。でもね、本当に突然だったんだよ。本当に突然みーくんは消えてしまった。
 それは決まっていたこと。だから大丈夫だよと言っても友の涙は止まらない。とても、とても、嬉しいはずなのに嬉しくない。きっと頭の中のフィルターだ。あの人が、壁。私の中に何も入れさせない壁だ。
 私の手をぎゅっと握り締めた。私より少し小さくて華奢な手だ。友はそうだね、と言って柔らかく微笑んだ。私、ゆっちゃんの笑顔好きだよ。そのフィルターに少し穴が開いたようで、私もほんの少しだけ微笑んだ。
 どうして決まっていたことだか、分かる? だって、全ては嘘だったのだから。
 三つ目に浮かんできたのは自分の部屋のことだった。
 昔はこの部屋にいるのはいつでも二人。そこで二人は笑ったり、ケンカしたり、感動したり、愛を確かめ合ったり。幸せの原点はいつもここ。白と茶色で構成されたフローリングの洋風。一戸建てで少し小さかったけど私達がいるには充分すぎる場所だった。
 キシ、とベッドが軋む。桃色の水玉模様のベッド。結局、これを二人で使うことはなかった。私は本気で考えていたのに、彼には元からその気なんてなかったのかもしれない。もっと私に勇気があれば彼は私のものになっていたのだろうか?
 そんな後悔のあとがこの部屋を空白にしていた。何もないキッチン。何も無い机。電気の走らない電球。開かない窓。開けない扉。どうせ、私に勇気があったとしてもあなたは私のものじゃない。あなたはものじゃない。それでも、私をあなたのものにしてほしかった。
 四つ目に浮かんできたのは、私のことだった。
 純粋にあなたを愛していたの。いや、愛していたのではなく大好きだったのかもしれない。だってこれは愛ではなくて、本当に恋愛感情だったのだから。
 あの頃の私は思っていた。たとえあなたが私のことを好きでいてくれなくても、あなたの傍にいれば幸せなのだと。それだけで私は満たされる、だから何も怖くない。あなたがいればそれでいい。
 馬鹿げた夢だった。叶わない夢とかそういうものではなくて、元から存在しない夢だった。あなたの心が私から離れていくということは、あなたと私の距離をあらわしている。もう心の距離ではなくて、この道だ。あなたは奇麗事で飾る間もなく離れていった。私はそれを見ていることしかできなかった。
 別に始めての彼氏じゃない。だから、そうだ、だからこそ男の心が知りたかった。なぜあなたは私から離れていったの。本当に、全てが嘘だったのかと。
「嘘」
 久しぶりに声を出した。その嘘が嘘であればいいのに、と何度も何度も考えた。何度も夢を見た。何度だって願った。何度も想った。あなたのために、生きることくらいきっと容易い。あなたはそれすら許してはくれないのか。嘘、全部嘘。嘘?
 もう少しだけ夢をみていたかった。夢は心地が良い。全てが嘘で構成されていて、その嘘は全て私の望み。果たしてそれが幸せなのか、そんなことは知らない。それでも、と思う。
 あなたと一緒に居た時間は、確かに夢のようだった。
 だからきっと、偽りなのだろう。今ここにある全ての空間も私も真実だと私は信じている。私の隣にあるクッションはあなたが使っていたものだ。それをぎゅっと抱きしめる。
「嘘、だと」
 言って。
 全部、全部、夢のあと。

2007/07/11(Wed)14:16:39 公開 /
■この作品の著作権は@さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
失恋したら、人はどうするのでしょうか? それが本当に大好きだった人なら人は死すら考えてしまうのではないでしょうか?
嘘だと夢だとごまかそうとするけど、結局上手くいかない心情です。ほぼ地の文だけですが主人公の気持ちが分かってくれればそれで幸い。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。