『神々の憂鬱』 ... ジャンル:異世界 リアル・現代
作者:oracle                

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塩の効き過ぎた五百円の野菜炒めで昼食を済ました俺は、他の奴らより少し早くオフィスに戻った。
昼食が済んでからの数時間が俺の仕事の本番。
『あくびの神』の書き入れ時だ。
とはいえ、今じゃあほとんどの仕事がパソコンで自動で出来てしまう。
俺の仕事といえば、ボケーっとパソコンを眺めては時折適当にいじるか、派遣の可愛い天使の女の子たちにちょっかいをかけては嫌がられるくらいがせいぜいだ。
画面には下界の様子がリアルタイムで更新されつつチカチカと映し出されている。
画面の端の方、極東地域のあくびが比較的少ないのを見ると、
──勤勉なやつらめ
あきれつつ、カーソルを合わせると、眠気のパラメータを適当にあげてやった。
そうやって言い訳程度の仕事を完了させると、上司に隠れてこっそり週刊誌をめくりながら、ぼんやりと四年前の事を考えていた。

『内定』
その二文字が目に飛び込んできた瞬間、俺は文字通り飛び上がって喜んだ。
辛く苦しい就職活動の記憶が走馬灯のように脳裏を流れていった。
特にやりたかった訳ではないが、文系就職人気ランキング一位の「感情業界」に志望を絞ったのが、まずもって失敗だった。
「喜・怒・哀・楽」の感情大手四社は当然無理にしても、ベンチャーである「癒し」や「萌え」にまでエントリーシートで門前払いを食わされるとは思いもよらなかった。
そのときになってやっと、一浪した三流の私立文系が就職では相手にされていないことに気づき、愕然とした。
そこからは企業のランクを下げ、様々な会社を手当たり次第受け、ようやくここで一社にひっかかったのだ。
不随意反応を専門に取り扱うという、やけに地味な会社だった。
社員数もさほど多くはないが、意外に歴史は古く、なによりもどんなとこであれ就職先が決まったこと自体が嬉しくて仕方なかった。
恋人の由美子は理系の特権を生かし、教授のコネで早々に就職を決めてしまっていたからだ。
しかも、「脊椎動物」という超大手だ。
ここ最近は一緒にデートをしていても、
「配属先は哺乳類とかで、可愛いのがやりたいなぁ」
などと楽しそうに話しかけてきては、その後にしまったという顔をしながら気づかわしげに俺の表情を伺う、プレッシャーのかかった生活だった。
しかし、内定の二文字を見た後には、苦しい記憶はあっという間に美しい思い出に塗り替えられていった。
代わって、天使どもを従えながら下界に降臨する白衣のローブに身を包んだ俺と、畏れおののきながら足元にひれ伏す下界の者どもを思い浮かべては頬をだらしなく緩めた。
その目論見も、新入社員研修が終わってバーコード禿の課長から配属が知らされると、木っ端微塵に打ち砕かれた。
「辞令。六月一日をもって、副交感神経部第三あくび課への配属を命ずる」
『あくびの神』
よりにもよって、あくびはないだろう。
いったいあくびの神にどんな神通力をもってして、下界にその威光を示せと言うのだ。
大工の嫁が出産する夜に、緊迫感を壊さないよう旦那のあくびを止めるのが最大の見せ場ってか。
いくら八百万も神が溢れて飽和状態だからといって、あくびみたいにつまらないものにまで神を配置する必要はないだろうと、俺はその夜、居酒屋で同期相手に管をまいた。
もちろん上だって同じように思っているらしく、同じ同期入社でも有名大学出身の優秀な奴は「鼓動」といった重要な部門にちゃんと配属されていた。
つまり、最初から期待されていなかったってことだ。
俺と同じく三流私大出身の同期は、さらにやさぐれていた。
「俺なんか、くしゃみの神だぞ」
ビールを一息で煽る。
完全に目が据わっていた。
「噂話をされてる奴のとこへ、北から南まで全国出張だぜ」
二人の神は顔を見合わせると、ガックリとうなだれた。

終業のチャイムが鳴った。
夜勤の同僚に引き継ぎを終わらせると、俺はそそくさと会社を後にした。
今日は受け付けの美春ちゃんに頼み込んで土下座して、昼飯をたかられた末にやっとこぎつけた合コンの日だ。
美の女神が友達にいると聞いて、指をくわえて見てるのは男の恥だろう。
大学時代からだらだらと続いている由美子には、今日は夜勤と言っておいた。
同僚にも、もし職場に電話でもかかってきたらうまく言いくるめてくれと伝えてあるので、アリバイ工作はバッチリだ。
期待に胸を膨らましつつ集合場所まで急ぐと、数人が先に集まっていた。
美春ちゃんの隣、親しげに話している女性を見て、俺は脈拍が一挙に倍くらいに跳ね上がるのを感じた。
陶器のように白く滑らかな肌。
風をはらんでふわりと広がる亜麻色の髪。
アーモンド型の目は母性に溢れた眉に優しく縁られ。
額から鼻嶺にかけてのラインは、完璧な形からはほんの少しだけ上を向き、かえってそれが愛苦しさを増していた。
白く清楚なシャツに隠された官能的な曲線は、一抱えで折れてしまいそうな程細い腰のくびれを一層際立たせており、道行く男性の視線が集中する。
彼女の美は、完璧だった。
「ごめん、ちょっと遅れちゃったみいだね」
「ううん、みんなも今集まったとこだから」
みんなに遅れた侘びをしつつも、目は自然と彼女の方を向いてしまう。
目が会うと、彼女はそれこそ神々しいまでの微笑みを投げかけてくれた。
「女の子が一人遅れちゃうって連絡あったけど、先に始めておいてくれって」
美晴ちゃんに促され、みんなは店内へと入っていった。
自己紹介もそこそこに、人数合わせに呼んだ後輩の脛を机の下で蹴っ飛ばしてどかせると、美の女神である沙織さんの隣に陣取って話し始めた。
「さすが美の女神。この世のものとは思えない美しさだね」
「えー、そんなことないよ。日曜とかはほとんどメイクしないでコンビニ行っちゃったりするし」
「うわ、沙織さんのそんな姿が見れちゃうなんて!どこのコンビニか教えて。今度バイトの面接受けに行くから」
「やだもぉ」
コロコロと白い喉を見せる。
意外によく笑うコだった。
特技を聞くと、冷蔵庫にあるものを使って料理をでっち上げることだと恥ずかしそうに教えてくれた。
そういった家庭的な一面もさることながら、俺の仕事にも興味を持ってくれた事が嬉しくて仕方なかった。
「あくびって、夜勤とかもあるんでしょ?」
「そうなんだよね。夜とかになると、数は減るけどその分強度は上がるからね。気が抜けないんだ」
「スゴイ。大変なんですね」
「確かに大変ではあるど、俺の仕事で下界のやつらが頭をスッキリさせてやることが出来る。そう思うと、疲れなんふっとんじゃうね」
彼女の目がうっとりとしているように見えるのは、俺の自惚れだろうか。
「でも、そんな大変なお仕事だったら、恋人は大変だね」
沙織さんは、何かの期待を込めるかのような視線で、俺を正面から見つめてはそう聞いた。
「はははは、恋人なんかいないよ」
由美子を心の端の方に押しやると、テーブルに置かれた沙織さんの華奢な手に自分の手を重ねた。
冷たくスベスベした沙織さんの手の感触と、自分のかく汗を気にしながら言った。
「でも、もしも沙織さんが俺の恋人に」
「あ!今仕事終わったんだぁ」
沙織さんは視線を外すと、俺の台詞を遮って背後のヤツに声をかけた。
よりにもよって最悪のタイミングで最後の一人が来やがったらしい。
呪いを込めた視線をそいつに送ろうとした瞬間、後頭部にすごい衝撃を感じた。
星が散り、視界がグラグラゆれる。
暴れる三半規管をなだめがら何とか振り返ると、悪鬼のごとき形相の由美子がバックを振り上げてそこに立っていた。
「ゆ、由美子。知り合いだったの?」
美晴ちゃんの呆然とした声が遠くの方で聞こえる。
なんてこった。
最後の一人が由美子とは。
「いいえ!全然知らない人です」
由美子はそう言い放つと、スナップの聞いた平手で俺の頬にサインを残して帰っていった。
「あ、私もそろそろ帰らないと。彼がヤキモチ妬いちゃうから」
沙織さんもそう言ってニッコリ笑うと、無常にも由美子の後を追うように帰ってしまった。
その後の記憶は途切れ途切れだ。
沙織さんには、大学時代からずっと付き合っている彼がおり、彼は学問の神をやっているインテリであること、来年二人は結婚する予定であること。
などを聞いたような気がする。
とにかく俺は酒を飲みまくり、荒れに荒れていた。
どうやって帰ったのかも定かではないが、気がつくとアパートの自分の部屋に辿り着いていた。
スーツの上着はなくなり、シャツには多分自分が吐いたものであろう吐瀉物がべっとり染みを作って不快な臭いを放っている。
ベランダに出ると、夜の街に向かって大声を出した。
ひとしきり沙織と由美子への悪態をつくと、パソコンの電源を入れ、いつものゲームを立ち上げた。
普段はうだつの上がらない、あくびの神なんてつまらない俺だって、モニターの中では全知全能の神だ。
住民どもは俺の顔色を伺い、俺のために殺し合いまでやる。
いつもならその動きを見ているだけで、日ごろのストレスが消えてゆくのだが、今日は違った。
毎日仕事で眺める下界のやつらよりとは違い、二本ずつしかない手足も普段は可愛く思えるのだが、今日はかえって不快感を煽り立てた。
──馬鹿にしやがって。畜生。あくびの神で悪いか。
俺の怒りにも気づかず、住民は画面の中でいつものように活動している。
──全部ぶち壊して、あくびの神が中心の世界を作ってやる。
折角上手く育っていた世界だったが、頭に回ったアルコールは大した躊躇もせずに、人類と書かれたセーブデータの削除を行った。

2007/06/24(Sun)19:07:45 公開 / oracle
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