『私はかえってくる』 ... ジャンル:リアル・現代 異世界
作者:キング                

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          ―― 零 ――



寒い。体が、寒い。
全身の熱が漏れ出し、内から凍ってしまうのではないか、そんな錯覚を覚える。
ぼくはそろそろとお腹をなで、絡みつくような熱さと、しんと冷える硬質を確認する。
ああ、こりゃ、いかん――。
ぼくは目の前の青年を見つめる。
つくりの良い整った顔立ちが、今は青ざめ、ひきつり、映画で見たゾンビのようになっている。
そんな顔、しないでくれよ。何だか、ぼくがわるものみたいじゃないか。
青年の肩に右手を乗せる。手を置いた場所が赤くにじんでいくのが、青年の顔がいっそうひきつるのが、よく、見える。
ぼくはにこやかに笑い『大丈夫だから、ね、そんな顔しないで、救急車、呼んでくれるかい?』そう、言おうとした。
だが、笑顔は青年に負けず劣らずの酷いものだったろうし、喉の奥から熱いものが溢れそうで、口は魚のように動いただけだった。
「ひぃ!」
青年がぼくを突き飛ばす。受身も取れずに地面に倒れ、衝撃で左手の“包み”を落としてしまう。
「うぁ、うぁぁああああ!」
青年の悲鳴と、バタバタと不規律な足音が響く。
首を上げると、転びそうになりながら必死に駆ける青年の背中が、段々と、段々と消えていくのが見えた。
待ってくれ。救急車を……いや、そんなことより――。
地面を這わすようにして、両腕を動かす。
指先に、包装紙のやわらかい感触が触れる。――あった。
視線を指先に向ける。少しひしゃげた正方形が、ぽつねんと。
――壊れて、ないだろうか。
抱え込むようにして引き寄せ、かわいらしく結ばれたリボンをとく。
凍ってしまった指先はリボンをつかむことすら難しく、悪戦苦闘してしまう。
そういえば、レジの女の子、対応も丁寧で笑顔が素敵だったなぁ――。
そんな関係のないことを思い出しながら、それでも何とか、リボンをほどくことはできた。
やわらかい、絹のような包装紙に手をかける。
女の子のやさしさを引き裂くようで後ろめたい。が、思い切り破り捨てる。
白を基調とし、たくさんの星が描かれるている紙の小箱。
開けようとするが、セロファンで止められているらしく開かない。
少しだけもったいない気がしたが、破って捨てた。
中から、インディ・ジョーンズに出てきそうな宝箱のミニチュア版が出てくる。
血が付かないように左手だけで外観を見回す。視界がかすんでよく見えなかったが、目につくような大きな傷は見当たらなかった。
宝箱の上蓋をそっ、と開ける。きちきちと歯車の動く音に合わせて、金属的に、それでいて暖かいメロディが奏でられる。
――よかった。壊れてないみたいだ。
床に広がる血溜まりから離し、流れる音楽に耳を傾けた。
さっきの青年。彼には、わるいことをした。
彼はこれから、ひとを殺した罪悪感に苛まれながら、どのように生きていくのだろうか。
いっそ、自首でもしてくれたら、と思う。逃げて、逃げて、逃げ続けるのは、きっと辛いだろうから。
今も突き刺さっているだろうお腹のナイフ。その感覚も、既に氷に変じ、体の一部と化している。
もう、どこも動かない。生きていることを確かめるには、耳に入る音色だけが頼りだ。
――ごめんね。約束、守れそうにないよ……。
ほんとうは、直接渡したかった。きみの驚く顔が見たかった。瞳をキラキラさせながら、はしゃぐきみを見たかった。
寝転がって、脚をパタパタさせながら、嬉しそうに耳を傾ける、そんなきみを見てみたかった。
ずっと一緒にいられるわけじゃないけど、それでも、それでも、もっと一緒にいたかった。
もっと元気づけてやりたかった。もっと勇気づけてあげたかった。もっと、もっと、もっと――。
音が、遠く離れていく。視界が薄暗くなっていく。
目を閉じて、神経を耳だけに集中させる。暗い闇の中が、ぼくと音楽だけとなる。
ふと、頬にやわらかく、暖かい感触が触れる。
それは次第に数を増し、顔だけでなく、てのひら、脚、そして、全身を包み込む。
――雪、か。
閉じた視界が白く染まり、暖かさがぼくの中に浸透してくる。
白い世界。優しい音楽。きみのことを思いながら、静かに、静かな眠りについた……。
暖かい雪の降る冬の日。ぼくは息を引き取った――。

          ―― 一 ――

空を見上げる。
青く塗りたくった空に、ぬんわりと浮かぶ白い雲。
枠線を曖昧に、ギラリと輝き街を焦がす太陽。
長いしっぽを引きつれ、亀のように進むジャンボジェット。
地上を見下ろす。
行きかうひとびとが汗をしたたらせ、落ちたしずくがゆらめくコンクリートに当たり、“ジュッ”と音を立てる。
鈍行な列車が音をたて、投げ捨てられたビニールが空を舞う。
使用者のいない公園のブランコが、風にゆられてきいきい軋む。
いつもと同じ日常。昨日も、一昨日も、その前もその前も、長いこと、ずっと。
「……くあ」
大きく口を開け、あくびをした“ふり”をする。
空気に嫌われたぼくの体には、新鮮な酸素は入ってこない。……空気に限ったことではないが。
外の景色から目を離し、板張りの床の上にうつぶせに倒れこむ。床は好きだ。ぼくを無視しないから。
壁も塀も屋根も、空気も風も水も、草も、虫も、犬も猫もあったかいもつめたいもにおいも痛いも眠いも――ひとも、みんなぼくを無視する。
けれど、床は無視しない。いいやつだ。なぜ床は無視しないかというふしぎは無視する。
体を捻って転がり、仰向けにぼーっと空をみる。青い圧迫感が、ぼくへと圧しかかってくる。
青色の天井は徐々に地面へと迫り、ついにはぼくごと世界を押しつぶしてしまった――。
そんなくだらない妄想をしてしまうほどに、ぼくは飽いていた。飽いて、そして餓えていた。そう、ぼくは、今、とてつもなく……。
「ひ〜ま〜だ〜」
ぼくの声は誰に伝わるでもなく、空気中へ霧散した。
どこかでセミが鳴く。ぼくにはそれが、ぼくをバカにするわらい声にきこえた。
文句でも言ってやろうかと思ったが、やつは卑怯にも姿を現さず、声だけがいつまでも響き渡る。
いいさいいさ。今の内に存分にわらっておけ。夏の終わりがお前の命日だ。
何もすることがないので、ごろごろごろーっと転がりまわる。
しばらくの間そうして転がっていると、目の前に音もなくひとの脚が出現する。
「何をやってるんだきみは」
脚がたずねてきた。いや、当然脚がしゃべってきたわけではない。
脚の上には体があり、腕があり、細長い体躯の天辺にはしょぼくれた顔が乗っかっている。
「何をやってるんだきみは」
男はもう一度きいてきた。子供を叱る前の教師のように張り詰めた声で。
ぼくは寝っ転がった体制から、座りなおす。
「ひまだったので」
男はあきれたような顔をして、ぼくの前で正座する。ぼくもつられて正座する。
「きみは、もっと有意義に時間を使うとか、そういったことを考えないのかい?」
「はぁ……」
「こんなふうにひまを持て余して、きみにはやりたいことや、やるべきことはないのか」
空気の漏れたような返事をくりかえす。彼はいつものように「正しいこと」をぼくに押し付けて、説教する。
彼の言うことはいつも正しい。ぼくだってそれくらい理解している。けれど、ぼくにだって思うところはある。
「……でも、高橋さん」
「なんだい?」
「ぼくが、ぼくらが、なにかをやることに意味があるんですか?」
高橋さんが顔をしかめる。構わずにぼくは続ける。
「そもそも、ぼくたちには何ができるかも限られてます。物にも者にも触れることはできない。 声は届かない。会話ができない。においをかぐこともできない。できるのは眺めることだけ。 いつ終わるかもわからないのに、ただ見ているだけ。高橋さん、ぼくたちは何のためにいるんですか? 高橋さん。ぼくは、いつ終われるんですか?」
胸のもやもやを吐き出している間、高橋さんは黙ってぼくのことを見ていた。
その顔は、軽蔑しているような、同情しているような、どちらにしろプラスの感情は読み取れなかった。
ただ一言「きみは悲しいな」と言っただけで、また黙り込んでしまった。セミがけたたましくわらっている。
沈黙をやぶるように、高橋さんが今までより数トーン明るく話しかけてくる。
「ここも、そろそろ取り壊しになるらしいね。愛着もあったみたいだし、残念だね」
「そりゃ残念ですけど、しかたないですお。こんな壁も天井も剥ぎ取られた、 時代遅れの木造二階建ての物件、今まで放置してたのが不思議なくらいですよ」
言いながら、地面を撫でる。ところどころ腐り、もはやひと一人の重さにすら耐えられそうにない。
住人はもとより、家具からなにからすべて取り払われ、ひとが住んでいた気配すら消えている。
しかし、家のないぼくにとっては都合がよかった。取り壊しになるのは正直残念だ。
「それで、これからどうするんだい?」
「どう、とは?」
「いや、行く当てはあるのかって。雨露をしのげなくなるのは困るだろう」
「……別にありませんけど、そこらを転々とご厄介になるつもりです。 案外テレビとかあって、ここより快適かもしれませんしね」



2006/12/22(Fri)20:25:52 公開 / キング
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