『輪廻は電車の輪の如し』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:月明 光                

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 ドアが開き、その男は電車に乗り込んだ。
 二十歳前後の今時な若者で、髪も少し脱色している。
 片手には、駅前の店で買ったであろうハンバーガー。
 装着しているヘッドホンからは、大音量のロックが漏れ出していた。
 周囲を見渡して座れない事を確認すると、舌打ちをして、閉まったドアに寄り掛かる。
 ヘッドホンから音が漏れだし、ケチャップの臭いが車内に充満する。
 周囲の白い目を意に介さず、男はハンバーガーを食みながら到着を待っていた。
 唐突に鳴った携帯の着信メロディも、その男のものだった。
 何食わぬ顔で携帯を取り出し、彼は電話に応じる。
 食事の最中に電話で話す様の見苦しさは、説明に及ばないだろう。
 やがて、電車が目的の駅に着き、男は何食わぬ顔で電車を降りていった。
 滴り落ちたケチャップの跡と、乗客の不快感を残して。


 とある朝。
 男は、自室のベッドで目を覚ますと同時に面食らった。
「な、何なんだよこれ……!?」
 部屋一杯に敷き詰められた、スーツや学ランやセーラー服を纏った人々。
 室内のベッド、テーブル、腰を下ろせる場所全てに、人が座っていた。
 座れない人は、ひしめき合う様にして立っている。
 男は、その異様な光景を、暫く口をあんぐりと開けて眺めていた。
 驚きの余り、起き上がる気にさえなれない。
 一体、何がどうなっているのだろうか。
 折角のバイトの休みに、何故この様な状況に遭遇しなければならないのか。
 やがて、男はこれを夢だと断定した。
 対して広くもない、一介の若者の部屋に、こんなに人が詰め寄る訳が無い。
 男は、再び目を閉じた。
 現実から目を逸らす為ではなく、夢から醒める為に。
 試しに、頬を抓ってみる。
 ――…………痛い。
 こうして、男の一縷の望みは絶たれた。男は悩む。
 何分、この様な状況は生まれて初めてだ。
 もし、他に同じ体験をした人が居るなら、今すぐ連れて来て欲しいぐらいである。
 ……否。やはり止めて欲しい。
 こんな状況が他所でも繰り広げられているなんて、考えたくもない。
 取り敢えず、男は上体を起こした。そして、更なる事態に気付く。
「な、何で土足で入ってんだよ!?」
 思わず、男は声を荒げた。
 自分を除く、この部屋に居る全員が、靴のまま部屋に侵入していたのだ。
 お陰で、フローリングの床は砂塗れである。
 だが、彼らは詫びる態度一つさえ見せず、逆に、男に白い目線を浴びせる。
 まるで、男こそが咎められる立場の様だ。
 異様な状況で孤立を感じ、男はたじろいだ。
 解らない。何故、自分の方が引き下がらなければならないのか。
 ここは、日本のアパートの一室だ。
 アメリカの様に、土足で入って良い訳が無い。
 自分は間違っていない筈なのに。
 それとも、やはり、間違っているのは自分の方なのだろうか。


 少し経って、急に何人かが出口に向かった。
 ドアを開けて、彼らは出て行く。
 男は、ホッと胸を撫で下ろした。
 人が詰め寄り過ぎて、ベッドから降りるのも儘ならないのだ。
 減ってくれて困る事は何も無い筈。
 取り敢えず、空いたスペースに割り込んで、外に脱出しよう。
 だが、そんな男の希望は、すぐに崩れ去る。
「……何で増えるんだよ……」
 減った数と同じくらい、もしくはそれ以上の人が、入れ替わりで入って来たのだ。


 それから暫く、人の入れ替わりを繰り返し、少しずつ人の数は減っていった。
 それでも、男はベッドから降りる気さえ起こらない。
 もちろん、このまま放っておきたくはない。
 だが、自分以外の全員が、この異常を『正常』だと思っているのだ。
 何をしても、恐らく無駄だろう。
 民主主義は数の暴力だとどこかで聞き流した覚えがあるが、まさにその通りだ。
 人口密度が下がるにつれて、一人一人の行動が目に付くようになる。
 スポーツ新聞を読むサラリーマン。
 英単語の暗記に勤しむ学生。
 立ったまま眠っている中年親父。
 誰も彼も、他人の部屋に居座っているとは思えない振る舞いだ。
 その中でも、男が特に苛ついたのは、
「おい、他人の部屋で化粧すんなよ! 粉とか飛ぶだろ!」
 化粧をしている女子高生だった。
 いくら何でも、それはないだろう。
 綺麗に見られたいのなら、まず、その醜態を晒さないで欲しい。
 周囲の視線が、男と女子高生に集まる。
「はぁ? マジムカつくんですけど」
 女子高生は化粧の手を止め、言葉通り不機嫌な様子で応えた。
 反省の色など、飛散しているパウダーの一粒程も見せない。
 ――これが、いわゆる一つの逆ギレか。
 自分も数年前はそうだったとは言え、学生はマナーが悪い。
 色々な物に守られたり縛られたりしているうちに、何か勘違いしてしまうのだろう。
 そうでなくても苛立ちを募らせていた男は、とうとう激憤した。
 ベッドから降り、彼女の眼前へズカズカと移動する。
「ふざけんなよ! 自分の事ばっかり考えやがって! 自由とか権利とかほざく前に、もっと他に」
 その時、男の話を遮る様に、携帯電話の着信音が鳴った。
 周囲が騒ぎ始めて数秒後、その音がベッドの上から聞こえてくる事が判る。
 それは、男の携帯の音だった。
 女子高生にも向けられていた目線が、全て男に集中する。
 それらのどれもが、突き刺す様なそれだった。
「な、何なんだよ……俺の部屋なんだぞここは……」
 自分の部屋で、自分の携帯が鳴る事の何がおかしいと言うのだ。
 男は戸惑いながら、辺りを見渡す。
 一人でも、敵意の無い目を向けてくれている人を捜す為に。
 だが、そんな人は、一人も居なかった。
「アッハハハハハ! お前、他人の事言えないじゃん! マジウケるんですけど!」
 女子高生が、男を蔑む様に笑う。
 そんな声も、男には殆ど聞こえていなかった。


 やがて、室内に居た全ての人が出て行った。
 床は砂塗れになり、空き缶が幾つか転がっている。
 テーブルには、覚えの無いスポーツ新聞が置きっぱなしになっていた。
 男は一人、ベッドで横になっている。
 マラソンを終えた直後の人から、達成感を抜き取れば、今の彼の表情になるだろう。
「一体、何がどうなってんだよ……」
 誰にでもなく、男は弱々しく呟く。
 砂漠で遭難した人が、水を求める時の声に似ていた。
 見覚えの無い人が大勢部屋に詰めかけてきて、数分毎に一部が入れ替わる。
 全員が土足で、殆ど無言で、なのにそれぞれが勝手に振る舞っていた。
 そして、大声を出したり、携帯が鳴っただけで、冷たい目線を浴びせられる。
 ここは自分の部屋なのに。自分が家賃を払って住んでいるのに。
 ……一体、何がどうなっているのだろうか。
「あれじゃまるで、ここが俺の部屋じゃないみたいじゃねえかよ……」
 そう。あの時、ここは自分の部屋ではなくなっていた。
 あの時のこの部屋は、まるで……。
「――――!?」
 その時、男は一つの結論に至った。
 一番信じがたいが、一番しっくりくる結論だ。
 電車の車内を、自分の部屋の様に扱った自分。
 そんな自分に裁きが下るのであれば、その方法は恐らく……。


 何もかもが嫌になって、ベッドに寝そべっていた男に、車掌が言った。
「車庫入れするんで、下車して頂けませんか?」

2006/12/03(Sun)13:26:50 公開 / 月明 光
■この作品の著作権は月明 光さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
入試の四日前に、私は何をしているのかと。

知ってる人は知っている、某CMの続きの様な一発ネタです。
公共のマナーを守れない人は、これくらいしないと判らないんじゃないかと思いますね。
かく言う私は、着ボイスにしている『ラピュタのムスカの名台詞』が恥ずかしくて常時マナーモードですが。

十二月三日 追記
志望校合格しました。絶対落ちてると思ってたので、かなり興奮しました。
卒業までの有り余った時間をどうするかという、まだ終わってない人に殴られそうな事で悩む今日この頃。
溜め込んだアニメ見て、TSUTAYAで北の国から借りて、小説書いて……テスト勉強でしょうかね(明後日からテスト)

そんな訳で、甘木さんの指摘を受け、色々と直しました。
ショートショートで収まっているかは、投稿するまで判りません。
次は『暑さも寒さも彼岸まで』の続きの執筆になりますかね。過去ログに行ってしまいましたけど。

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