『現実は夢の奇形でしかない事による絶望』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:日和見主義者                

     あらすじ・作品紹介
現実が夢の特殊な形態である、という事を書きました。

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 男は知っていた。今、自分が何者かに追われているということを知っていた。そしてその者は自分の友人である男女五人をすでに有機物の塊としてしまったことを知っていた。
 だが追跡者に関して所有する情報はそれだけ。それ以外に何も知らないのだ。明らかに情報が少ない。背中に意識を集中してみる。荒い息づかいが聞こえる。追跡者もどうやら自分と同様に心肺機能の限界を迎えつつあるらしい。
 そう、男はもう限界であった。あと少しだ。あと少しで内蔵という内蔵が痛みだし走れなくなる瞬間がやってくる。その瞬間は男のすぐ側に存在していた。紙一重というところ。
 前を視る。ありとあらゆるものを視認し、希望を見つけようとする。だが無い。どこにも希望は見つからない。追跡者を振り切る契機になりそうな隠れ場所や折り曲がった道は無い。絶望の象徴とばかりに長く真っすぐな廊下が続くのみだ。そのあまりの長さ故に先端は暗闇に接収され見ることができない。男は走り続ける。あの暗闇に消えた部分に隠れられる場所があると信じて。
 だがいつまでも暗闇に入ることができない。暗闇は常に男の一歩先にある。悪魔の陰謀だろうか。もう駄目だ。男は叫んだ。
「おい、話し合おうじゃないか」
追跡者と交渉するしかないと判断したのである。追跡者は何が欲しいのだろう。しかし男の必死の思考は全て打ち切られることになる。
「無駄だ。無駄だ」
追跡者の声が聞こえたからだ。だが別に男はその内容に驚いたわけではない。驚くべきはその声。恐怖が、疑念が、好奇心が男の足を停止させ、後ろを振り向かせた。
「俺が欲しいのは俺の命だからさ」
振り向いた男にナイフを突き刺したのは自分とまったく同じ容姿の人間だった。
 俺を追跡していたのは俺。俺を殺したがっていたのは俺。
 穴の開いた胸板を見る男の視界の内に、闇が侵入してくる。そして闇が世界を完全に奪う直前に、男は全てを悟った。
 これは――
 夢だ。

 部屋の隅に置かれたソファの上で男が勢い良く起き上がった。ひどい汗だ。しかしそれもしょうがない事。とんでもない夢を見たからだ。悪夢。そうとしか形容できない。自分を殺しに何者かが追ってきている。そしてその何者か、というのは自分であった。そういう救いのない夢であった。
 冷蔵庫に行きミネラルウォーターのボトルを取り出す。コップに水を注ぎながら男は思う。彼女に会いたい。あの娘を抱きながら眠れば夢など見ずに眠れるだろう。死と等式で結べる眠りが手に入る。少し頬の筋肉がつり上がる。何故だか愉快だ。注いだ水を魔法のような勢いで飲み干すと電話をかける。勿論、彼女の部屋に。
 だが繋がらない。携帯電話も繋がらない。一体、あの娘は何処に。
 とにかく愉快な予定が破壊された男は不機嫌になる。ミネラルウォーターのボトルを部屋の壁に投げつけると自宅から出た。コンビニに行くことにする。
 夜の街に来た。だが様子がおかしい。街は男の心とは正反対に完全な静寂に包まれている。今日は静かな夜だな。そのような感想を抱きながら男は目的地のコンビニに到着した。店内へ。だが、誰もいない。本当に誰も。店員もいない。何なのだろう、これは。怒る気力もない男はまた静寂の街へ。
 男の精神世界で、認めたくないがある予感が広がっていく。誰も、この街には誰もいないのか?
 突如、静寂を打ち壊し爆音が響く。静寂は排除され、爆音の余韻が街へ浸透していく。男は音源に向かって走ることにする。音源にあったのは、バスだ。電柱に追突したバスだ。凄まじい事故。だが、騒ぐ人間もいない。通報する事も忘れて時折拡散するバスを見続ける男。死傷者の一人も確認することができない。追突された電柱、そのすぐ近くにある家からすら人が出てこない。運転手が蒸発したから電柱に追突したのか? 乗車した人が全員蒸発したから死傷者がいないのか? この街の人は全員蒸発したから野次馬もいないのか?
「この街だけじゃない、世界中誰もいないのさ。俺とお前以外は」
よく聞いている声が後ろから発せられる。それもそのはず、自分の声だ。男は振り返る。そこにはまたナイフを持った自分がいた。そこで男はある一つの確信を得る。
 これは――
 夢だ。

 男は一気に覚醒した。そうか、あれは夢か。自分と同じ容姿の殺人鬼と世界中で二人きりになってしまう夢。酷い夢である。
 男は世界を認識し始める。暑い。何と暑いのだろう。これだから嫌な夢を見るのだ。しかしこの暑さをどうにもできない事を男は知っている。どうしてって、ここは戦場だからだ。敵は今や本土の奥深くまで侵入している。男が寝泊まりする地は最後の防衛線だ。
「おい、ぼんやりしている場合じゃないぞ!」
悪夢から解放されて弛緩していた男を呼ぶ者が来る。必死の形相。いつもは冷静な、男の同僚だ。
「どうした?」
「敵機だ、敵機だぞ」
テントから飛び出す同僚。追う男。敵機? 空を見上げる。空を切り裂きながら進む刃を発見する。
 爆撃機! 存在という存在、その全てを焼き尽くす存在。戦略爆撃機だ。
 逃げなくては。何処へ。何処へ逃げれば良いのだ。同僚を見失い立ち尽くす男。
 見上げる空。黒い点が落ちてくる。それは段々と大きくなり、点から線へ、線から面になる。そして男の真上にて炸裂した。
 男の肉が削げる、臓器が露出する。しかし空気に拡散することは無かった。それより先に男は気づいたからである。
 これは――
 夢だ。

 目覚める。恐ろしい夢、それを思い出すより先に男は誰かに話しかけられた。
「くたばれ」
自分の声だった。ナイフが首を切る。血が無くなり、思考が停止するより先に男はある結論を導きだす事ができた。
 これは――
 夢だ。

 目覚める。怖い夢だったな。刹那、撃たれる。弾丸が脳に到達するより先に男はわかってしまった。
 これは――
 夢だ。

 男が布団から起き上がった。ひどい夢だった。汗はその酷さを数値化したものだ。水を撒いたように男の持つ唯一の品である布団は濡れていた。そう、残念ながら男の持つ財産はこの布団だけだ。これ以外に所持品は無い。明瞭に男はそれを記憶していた。これは完全なる事実である。そういう事を男は了解していた。立ち上がり、窓から外を見る。国道に面していて普段は開けない窓だ。排気ガスが酷いからである。
 アパートの三階、その最も日当たりの悪い部屋を男は借りている。ただ単純に金が無いのだ。借金もしている。近頃は取り立ても苛烈さを増した。
「おい、金返せ!」
「てめぇのその小さな脳味噌でも、売れば借金の一部は返せるかも知れねぇぞ。腐ってなければの話だがのぉ!」
玄関から怒声が聞こえてくる。借金の取り立てだ。
 扉が破れる音。複数の足音。その時、男はある事に気づいた。震える程に恐ろしいその事実を男は受け入れざるを得なかった。あまりにも納得できる結論。入力された世界の情報から出力した結論。ああ、神よ。何故なのです。
 これが――
 現実だ。

 覚醒の方法は知っている。つまり現実をただ一瞬の夢にする方法を、男は知っている。
 開いた窓から男は飛んだ。
 統合の空へ。

2006/09/03(Sun)15:42:58 公開 / 日和見主義者
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