『首吊るしの樹』 ... ジャンル:ショート*2 ショート*2
作者:時貞                

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「だ、だ、だ、旦那様――ッ!」
 ただならぬ物音と宵闇を切り裂くかのような鋭い悲鳴に、ガバリと寝床を飛び出した小間使いのおミツは、急ぎ足でこの家の主人の寝室へと向かった。断末魔のごとき悲鳴は、確かに主人――とその妻、そして一人娘の小夜の三人が眠る寝室から聞こえてきた。今はそれっきり、おミツの慌しい足音以外何も聞こえてこない。
 長い廊下は、月明かりに照らされてほんのりと蒼白い。おミツは寝巻きの裾をたくし上げながら、ようやく主人たちの寝室へと辿り着いた。寝起きばなに急ぎ足で駆けつけたため、ぜえぜえと呼吸が荒くなる。おミツは大きく深呼吸すると、障子越しに耳をそばだててみた。
 すっかり静まり返った室内からは、いまや物音一つ聞こえて来ない。
 おミツは一瞬、先ほど聞こえてきた悲鳴は自分の空耳かとも思ったが、念には念を入れて小さな声で中へと呼びかけてみた。
「……内儀様……? 旦那様……?」
 返事は返って来ない。
「……やっぱりさっきの悲鳴は空耳だったのかしら?」
 そう思って自分の寝室へ引き返そうと、おミツが立ち上がりかけたときである。なにやら室内から、かすかに犬が唸るときのような声が聞こえてきた。そしてその声は、徐々に大きさを増してくるように感じられる。
「旦那様、奥様、小夜様、どうかなされましたかッ?」
 おミツは意を決し、なるべく音を立てないようにゆっくりと障子を開いていった。一尺ほど開いた時点で手の動きがぴたりと止まる。おミツはそのまま手を口に当て、両目を大きく見開いた。
 真夏の夜の生ぬるい空気に混ざって、鉄錆に似た生臭い臭気が漂ってくる。おミツは一瞬にして、それが大量の血の臭いであると確信した。何故なら畳の上には、切り落とされた女将の生首と小夜の生首が、生々しい切り口を見せながらゴロリと転がっていたからである。胃液が逆流し、喉元にツーンと苦味のある液体がこみ上げてくる。おミツは事態の異様さに全身が硬直しつつも、必死で吐き気を堪えた。
 おミツに背を向けるかたちで立ち尽くす、一人の男の姿。それは紛れも無く、この家の主人である藤八郎のものであった。あらわになった上半身はおびただしい鮮血に染まっており、その右手には血濡れの日本刀が握られていた。月明かりを浴びて妖しく揺れる、血濡れの日本刀……。
「――ひッ、ひぃぃぃぃぃ―――ッ」
 腰を抜かしてその場に尻餅をついたおミツの口から、思わず大きな悲鳴があがってしまった。それに反応して、日本刀を握った藤八郎が振り返る。その顔には、まるで歌舞伎の女形のような化粧が施されていた。
「――だ、だ、だ、だ、旦那様ぁぁ」
 藤八郎の両の瞳は焦点が定まっていなかった。そして薄く紅を引いた口元には、狂気を感じさせるような薄笑いが浮かんでいる。
 座り込んだままじりじりと後ずさるおミツの動きに合わせるかのように、藤八郎もまたじりじりとおミツの方へにじり寄ってくるのであった。
「だ、だ、だ、旦那様ッ。お、お、お、お許しを……」
 おミツは呂律の回らない口調で、必死に藤八郎に懇願していた。かたや藤八郎は夢遊病者のように、ゆらゆらとした足取りで近づいてくる。そしておミツの眼前まで近づくと、大きく日本刀を振りかぶり、それを勢い良く振り下ろしたのであった。
「――ギッ、ギャァァァァ――――ッ!」
 間一髪のところで一振りをかわしたおミツは、その恐怖で逆に我を取り戻した。飛び退くようにぴょこんと立ち上がると、大きな悲鳴をあげながら廊下をドタバタと駆け抜けていく。
 おミツが立ち去るのを呆けたように見つめていた藤八郎は、やおら日本刀を自分の首筋にあてがうと、渾身の力を込めて己の首を切り落としたのであった。


       *   *   *


 二人の侍が夕刻で賑わう蕎麦屋の片隅で、お猪口を片手に話し合っていた。
 一人はきちんとした身なりの、小柄で童顔の男。やけに肌の色が白く、刀を腰に提げていなければさも貧弱そうに見えた。
 かたや、よれよれの生地に襟元がほつれた着物をまとってはいるものの、痩身で上背が高く、色黒の肌に鋭い眼光をもった男。後者のほうは、一見して浪人であることがうかがえる。
 浪人風の男の方が、お猪口を卓の上に置いて口を開いた。
「なるほどね。久々にこの町に戻ってみたら、あの須賀屋の家でそんな事件が起こっていたとはな」
「ああ。でもなぁ、話しはこれだけじゃねえんだよ。こっから先が、本当に恐ろしい話しなんで」
 小柄な侍が、酔いのまわった赤ら顔を近づけながら、もったいぶった口調でそう切り出す。
「本当に恐ろしい話し?」
「ああ。……実はな」

 小柄な侍が語った話しとはこうである――。
 おミツの騒ぎに多くの人々が駆けつけてきた須賀屋藤八郎の家は、文字通り蜂の巣を叩いたかのような大騒ぎとなった。すぐに町役人も駆けつけ、須賀屋一家の死体検分にあたったという。
 ここで、ある不思議な事態が起こった。
 須賀屋藤八郎、その妻の冨江、そして一人娘の小夜の遺体は転がっていたのだが、それらは皆胴体だけで、切り離された頭部はどこを捜索しても見つからなかったというのだ。仕方なく胴体のみを荼毘に伏し、葬儀が済んで三日ほど経った後、一人の商人が血相を変えて奉行所に駆けつけてきた。なんと須賀屋一家の行方不明だった生首が、須賀屋家の裏に立つ大きな柿の樹にぶら下がっているというのである。その柿の樹とは、一人娘の小夜が生まれた年に苗木を植えたものであったらしい。
 色めきたった役人たちが駆けつけてみると、確かに三つの生首が、髪の毛を荒縄に絡ませた状態で柿の樹の幹から吊り下げられていたという。その光景を見て、腰を抜かした役人もいたらしい。
 一体いつ? 誰が? 何故このような所業を行なったのかは不明であるが、三人の頭部はとりあえず、胴体を埋葬した墓の中に一緒に葬られることとなった。
 それから十日後、またもや役人たちは顔面蒼白となる。
 なんと埋葬したはずの三人の頭部が、まったく腐敗もみせない状態のまま、またもや例の柿の樹に吊り下げられていたというのだ。

「なんだ、その話しは。まるで巷で流行りの怪談だな」
 浪人風の侍が溜息混じりにそう呟く。
「き、貴様は何とも思わんのか? これは本当に起こった話しなんだぞッ?」
「うーむ、確かに不思議な話しではあるが、どうにも信じられんね。それより須賀屋藤八郎は、何故そんな愚行に走ったのだろう? 妻と娘を殺して、自らの首を跳ねるなんて……。俺が知っている須賀屋藤八郎は、そんな常軌を逸したことの出来るような男じゃなかったと思うんだが」
 小柄の侍が身を乗り出す。
「なんでも新しい商売に失敗して、多額の借金を抱え込んじまってたらしいぜ。それからというもの、奴はよく聞き慣れない信仰にのめり込んで……。何でも町人の話しじゃ、狐にでも憑かれちまったかのように、がらりと人柄が変わっちまってたらしいからな」
「ふーん。……おや、もう日暮れ時だな。そろそろ勘定とするか」
 浪人風の男が立ち上がる。小柄の侍はまだ名残惜しそうに、
「これからまだ続きがあるってえのに」
 そうぼやきながらも蕎麦屋を後にしたのであった。

 浪人風の男は、黄昏時の町並みを眺めながら一人歩を進めていた。懐の銭を片手で弄びながら、今晩泊まる安宿を探す。周囲に響き渡るヒグラシの鳴き声が、この町の生活音を完全にかき消していた。浪人風の男は目を細める。
「この町もしばらく来ないうちに、すっかり変わっちまったもんだな」
 そう独り言を呟きながら歩いていると、例の須賀屋の屋敷の前へと来てしまっていた。当然のことながら、今ではすっかり空家である。
「皮肉なことに、須賀屋の家は昔とちっとも変わってねえな。――人ッ気はまったく無くなっちまったわけだが」
 そう呟いた直後であった。
 浪人風の男は、首筋に得体の知れない「何か」を感じて足を止めた。じりじりと、首筋を焦がされるかのようなこの感覚。この不快感。この緊迫感。

 ――久しぶりだねえ。お侍さん。しばらく見なかったもんだが、あんた、この町へ帰って来たのかね?

 浪人風の男のまさに耳元で、はっきりとそう囁く声が聞こえた。ねっとりと肌に粘りつくような男の声音。額から吹き出した生暖かい汗が、頬に一筋、二筋と滴り落ちる。その声には確かに覚えがあった。

 ――あたしだよ。あたし。あんたには昔、いろいろと世話になったもんだ。あんたが紹介してくれた男、ありゃとんだ食わせ者だったね。最初は上手いこと儲けさせてもらってたものの、三月(みつき)も経った頃にゃあ、あたしゃすっかり無一文同然になっちまってたよ。

 間違いない!
 浪人風の男は確信した。耳元で囁かれるこの声は、間違いなく首を跳ねて死んだはずの加賀屋藤八郎のものではないか!

 ――なぁ、お侍さん……なぁ……?

「――むッ、むぉぉぉぉぉぉ――――ッ!」
 浪人風の男はふり向きざま、腰から抜いた刀を大きく振り被った。ビュンと鋭く空を切り裂く音。――だがしかし、何の手ごたえも感じられなかった。その場には猫の子一匹見当たらなかったのである。
「――ふぅ。……幻聴か? 彼奴からあんな話しを聞いた後だから」
 浪人風の男は、額と首筋にびっしょりと浮かんだ汗を着物の袖で拭うと、大きくかぶりを振ってから再び歩き出した。
 数歩進んで、何気なしに頭上を仰ぎ見たときである。
「――――!」
 加賀屋藤八郎の屋敷の裏――大きく聳え立つ柿の樹の幹から、荒縄にくくり付けられた加賀屋藤八郎、冨江、小夜の三つの生首が吊り下げられていた。両目を見開きながら、何かを訴えかけるかのように大きく口を広げた冨江と小夜。そして、歌舞伎の女形のように派手な化粧を施された藤八郎。
 その藤八郎の、鮮やかに紅を引いた口元が嘲笑うかのように……。

 浪人風の男は、今度こそ逃げた。



       ――了――

2006/09/07(Thu)13:52:34 公開 / 時貞
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■作者からのメッセージ
お読みくださりまして誠にありがとうございました。
連載の息抜きに、ホラーではなく敢えて「オーソドックスな怪談風」ショートx2を書いてみました。それゆえ、パターン的に真新しさが無いかも知れませんね(汗)
時代を古く設定したのは、そのほうが雰囲気にマッチするのでは……? と思ったのですが、なにゆえ知識不足の僕のこと、会話文は現代的になっており、ところどころおかしな点も見受けられるかと思われます(汗、汗、汗)ご容赦ください。
今後の参考のため、何か一言でも構いませんのでご意見をうかがえたら嬉しいです。よろしくお願い申し上げますッ!

9/7:微修正させていただきました。些事によるUP、申し訳ございませんm(__)m

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