『未定』 ... ジャンル:SF 異世界
作者:安斎さとる                

     あらすじ・作品紹介
2147年 互いに政治的転換を迎え、対立しあう中国とアメリカ。そんな中アメリカ軍の中で自らの存在意義を失いかける中国人女性将校雲長が、ある作戦を通じて今までになかった行動をとり情報戦を繰り広げる。

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「もう桜が咲くころか」
先生は手を止めてそういった。
部屋の中には私と奉先しかいないけれど二人とも特に答えはしなかった。先生はただ窓の外をブラインドの隙間からのぞき、すぐまたパソコンの画面と向き合った。
「奉先、明後日一〇〇〇から最終実戦演習に入る。その後一四〇〇に上海へ移動。そのつもりで用意をしておけ」
「了解です」
奉先は軽く敬礼して扉へ向かう。扉の前に立っていた私はすれ違う。ほぼ二週間ぶりに会ったがこの短い期間にも少し背が伸びた気がする。成長期とは恐ろしいものだ。少し長めの前髪が、額に差し込む光に当たってきらめいた。まぶしいだろうに微動だにせず、最後まで前だけを見て退出する。そういえば最後に彼と視線を合わせたのはいつだったか。あの鋭い眼がまだ幼さを残していた頃だったような。
「雲長、本日一八〇〇より新目標に対してプランDを開始する。詳しいことはカーニー中尉からいつものように伝達が行く」
先生は私に背を向けたままそう言った。
「せ、先生。ひとつ聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「なぜ自分が通常行動なのでしょうか」
先生は手を止めて後ろを向いた。
「どういう意味かな」
「なぜ奉先のみが国外任務なのでしょうか」
私は必死で先生の目を見つめて言った。
彼は窓に目をやり静かにこういった。
「君には君の、彼には彼の任務がある。そういうことだ」
「先生!」
「……僕にこう言わせたいのかい。奉先の能力は君の能力と比較するまでもないほど優れている、君の能力では国外任務など夢のまた夢だ、身の丈にあった望みを抱け、と」
彼が再び私に向けたのは、哀れみと失望のまなざしだった。
「先生! ……先生は自分が前から国外任務を希望していたのをご存知じゃないですか……自分には祖国の土も踏む資格は無いとおっしゃるんですか!!」
私は泣き崩れながら先生の膝元に擦り寄った。白衣の中に顔をうずめ、涙が彼のシャツを濡らした。長年の想いと絶望から私の涙はしばらく流れ続けた。自分の能力のふがいなさを痛感し、年下の少年のいるはるか高みへと這いずり回る毎日。全てはまだ見ぬ祖国の地を踏むため。わが身に流れる血を感じるため。そして先生、あなたに認めて貰うために私は青春の全てを軍へささげてきたのです。
気持ちが落ち着いて彼を見上げると、彼は笑って言った。
「雲長、演技上手なのはわかったが君が騙すのは僕じゃなくて行動目標だろう?その誘い方なら落ちない目標はいない。君は美人だからね、雲長。その体を使って遂行するのが君の任務じゃないか。まぁ、君がそのテクニックを僕に確かめて欲しいというのなら僕は喜んでお相手するよ」
私はそのとき初めて、彼が八重歯が見えるほど笑う顔を見た。


2137年。中東を巡るアメリカの戦争は、アメリカの大敗北で終わった。
世論を無視した戦闘継続と軍事優先政治により、国内では度を越した格差、貧困の拡大、人種差別の激化、市場の大混乱が起こった。戦争中は過度の軍需によるインフレ状態に陥り格差が拡大。戦後はデフレにより何万人もの人が路頭に迷う一方、戦争景気で潤った一部の人間の富を絶大なものにした。国民は日々の生活にあえぎながらも、自分よりもはるかに劣った生活の人間があふれている現状を見て、何の救いの手も差し伸べない富裕層に激しい憤りを感じていた。その怒りはやがて、歴史上市民を何度も同じような恐慌に巻き込んだ資本主義そのものにまで及んだ。中東への賠償金を払うのに精一杯の政府にはそんな世論を巻き返す力もなく、アメリカは開拓以来貫いてきた民主資本主義を捨て、万人平等の新たな時代を迎えるべく共産主義を迎え入れた。
過去の共産主義国の結末をアメリカが忘れたわけはない。が、独裁国家群ともいえる中東諸国に大敗したという事実が、資本主義の絶対性を揺るがしたのは間違いない。全ての人が平和で幸せになる。人々はそんな理想をもはや資本主義にたくす気にはなれなかったのだ。
試行錯誤の中で始まったアメリカ共産主義は、その指揮を執ったセレジン・ルーキシィがソ連や中国の失敗は純粋な社会主義を貫けなかったことによると声高に叫んだためにこう呼ばれた。
「新マルクス主義」

2138年。皮肉にもアメリカが史上稀に見る政治的大転換をした翌年に、中国は共産主義を捨て民主資本主義を全面的に掲げることとなった。二十世紀後半からの百三十年強に渡るゆるやかな市場開放を経て、こちらも世論に押される形での変動だった。国民は毛沢東時代からの恐怖と規制による統治を少しずつしりぞけ、自由の味を知った。
アメリカが共産主義国になったことで、2137年に環北太平洋共産主義圏構想も出たが、民衆は一度知った自由を手放すことを許さなかった。また昔のように統制された共産主義に戻ることを恐れたのである。各地で蜂起が起こり、いまや世界第2位まで中国経済を成長させた富裕層もこれを支持した。アメリカはより巨大で安定した共産圏の確立を計画したが、逆に共産主義アメリカの誕生により中国は民主主義へと舵取りを変えることになってしまったのだ。
巨大共産国家の崩壊は、友好を望むアメリカに大きな失望を与え、これを機に両国の関係は硬直の一途を辿る。共産主義を学ぶためアメリカが呼び寄せた多数の中国人はこの巻き添えを食い、この地に拘留されることとなった。

2146年。中国は国連安保理でアメリカに対する新造兵器の放棄を求める採択を提案した。これはすでに国連で開発が進んでいたスペースコロニーに配置する宇宙用機動兵器で、中国も製造に着手していたが、「機動力に核を使用したと思われる」と言う推測の域を出ない理由のもと強引に決議しようとしたためアメリカは拒否権を発動。以降国連安保理は主要二カ国欠席と言う事実上開店休業状態となり、両国は互いに秘密裏に開戦の準備を着々と進めていた。




「それでは成功を祈る。失礼」
そういってカーニー中尉は雲長の部屋を出て行った。
その途端、雲長はへなへなとベッドにへたりこんだ。
アメリカ軍西海岸支部特務科学班C隊所属 張五娘(ちょうごじょう)少尉 コードネーム雲長。
民主中国設立時にアメリカに拘束された中国人の一人である華僑の父を持つ。自身は一度も中国に入国したことがない。
特務科学班C隊は黄教授を主任とするスパイチームである。教授は特殊な薬物投与と肉体改造により外見からは分からない強靭な肉体と、洗脳にも耐え任務を遂行する精神を研究し、隊員は改造されたその肉体を使い暗殺、情報収集にあたる。特務科学班自体が無数の実験隊の総称で、各隊ごとに異なる生物兵器や人体改造を日々研究し続けている。
雲長はC隊に入り、教授の開発したあらゆる薬の第一試験体となった。教授の思うとおりの成果を彼女の肉体は現した。その結果、雲長の肉体は常人とは比べ物にならないほどの強固なものとなり次第に任務が回ってくるようになった。これを黄教授はいたく喜んだ。研究の成果が軍に貢献すればするほど黄教授の評価が上がるからだ。
しばらくC隊の秘蔵っ子として活躍していた雲長だったが、上層部は海外での活動には慎重で、すぐには経験の浅い雲長を派遣しようとはしなかった。上層部の目はすでに中国一国に向けられており、海外活動のほとんどは中国本土で行われ、何かあれば即開戦につながるものだったからだ。雲長は黄教授の要求には多いに応えたが、軍の要求する水準までにはいたらなかったのである。
そんな時にC隊に新たな隊員が来た。
軍上層部直属という肩書きを持ち、本名は教授でさえ知らないこの少年のコードネームは「奉先」。
まだ思春期と思しき奉先は、その幼さに似合わず驚異的な結果を残した。全てにおいて雲長の残した記録は書き換えられ、黄教授のお気に入りという立場すらも雲長から奪っていった。彼は軍から特別メニューを与えられ、雲長が望んでも手に入らなかった国外任務を約束された。
悔しい。
どんなに努力しても叶わない気がする。いや、実際追いつくことすらできないのだ。それほどに奉先の能力は高い。自分の能力を一番認めてくれ居たはずの黄教授ですら、もう私に期待することない、そう思うと雲長はまた泣けてきた。彼の雲長を見る目はもう隊員を見る目ではない。女を品定めする目になっている。顔へ体への嘗め回すような視線。それは軍へ全てを捧げてきた雲長にとっては侮蔑の視線に他ならない。何がいけないのか、女であることだろうか。能力が低いことだろうか。
いや、違うはずだ。何か、奉先にないものがあるはず。無いとまで行かなくとも私の方が優れた結果を出せる部分がどこかにあるはずだ。何かがあれば、私も中国に行けるかもしれない。祖国を裏切り敵国の手先となり、それでも周囲からは中国人といわれる。この矛盾を解くためにも一度でもいい、祖国へ渡りたい。軍に身を捧げるためにも私に流れる血が何者か、確かめねばならない。
女であるこの体が武器である、と先生は言った。


女は小走りでその豪邸の裏口から出てきた。暗闇にまぎれ、電灯を避けるように路地に入る。
そこにいた人影に、息を整えながら女は小さな紙を手渡した。手紙が読まれている間、冷や汗が止まらない顔を必死で動かしあたりを警戒する。
「ありがとう」
シュッと言う音がして紙はちりちり燃えた。人影は女が来た路とは反対の路地の闇に消えていく。それを見て女はまた急いで走ってゆく。音をさせずに裏口を開け、静かにその鉄の扉を閉める。鍵の音はしなかった。
小さな影が薄汚い裏道をかける。浮浪者を避け、ゴミ箱を飛び越しその影は目にも留まらぬ速さで荒れ果てた街を行く。そこらに落ちている色とりどりの看板はこびりついて取れないよごれがついている。そこに書かれている文字はアルファベットではなく漢字だ。粗末な家の通気口からはごま油のにおいがした。道端に生気無く寝転ぶ人々の肌は黄色かった。表通りのにぎやかさとは裏腹にこの一角の脇道周辺は活気が全く感じられない。二つの街の違いは住む人間の肌の色の違いだった。
周りを全く見ずに影は走り抜け、表通りに出る直前の路地裏に身を隠す。しなやかな体を丸め、深く息をした。腕を見て時間を確認し二つ先の家を見上げる。表通りに並ぶ建物の中でも一際目立つ立派な豪邸。カーテンを締め切ったその家の中で、表通り側の窓のひとつに小さな青い炎が点った。
影はすぐに動きだす。豪邸の裏側に回りこみ音も無く柵を超える。草むらに下りた瞬間、後ろに大きな塊が二つ現れた。影は後ろを振り向かず一メートルほど前の茂みに飛び込む。飛び掛ろうとした二つの何かは何もいない草の上に着地した。紅い舌を出しなめらかな尾を立たせた大型犬はすぐさま茂みの中に影を追って飛び込む。途端にどすん、という鈍い音がした。先に飛んだ一匹が、茂みの中に頭を突っ込み牙を出したまま動かなくなっていた。

2006/07/21(Fri)22:16:12 公開 / 安斎さとる
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途中ですので明日また更新します。すみません。

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