『毛を刈られる(五枚)』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:J                

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 昨日、男の為すがままに身をゆだね、毛を刈られました。心地はすこぶる良く、私、毛を刈られることは決して嫌いでないのです。男のほうも好きでやっているようです。とにかく気持ちが良かったです。それに何といっても、父も母も友だちも皆、同じように毛を刈られているのです。みんなと同じなら心地良さは、なおのこと。みんなと同じって好きなのです。みんなと同じって安心します。ああ、でも、そう言えばこういう感覚を『日本人的』ってうんですよね? ふふふ、知ってますよ。だって男が、私の毛を刈るための準備をしながら長々とこう独りごちていましたもの。
「しっかし、日本人てのは、なんでああも右へならえなのかね。集団行動の羊軍団だよ。何年か住んでみたけど、なじめない国だったなあ。――そういや、小林が遊びに来るのは、来月だ。あいつだけはいいヤツだ」――、って。彼は日本のお友だちと交流があるみたい。私も一度でいいから外国に行ってみたいなー。でも出来れば、父や母や友だちと一緒に行きたいわー。やっぱり皆と一緒がいいもの。あ。これも、日本人的ってことなんですかね? 今の私のセリフ、男が聞いたら眉をしかめたかもしれません。
 ちょっと。
 ちょっと待って下さいね……。
「メェエ〜!」
 あースッキリした。なんか時々こう、クイっと腹の底からせり上げてくるんです。鳴きたい本能ってものが。たぶん、こういうのって我慢しちゃいけないと思うんです。こういうのを我慢してるとつい小さなことでカリカリしてしまって、良からぬことに走っちゃうんじゃないでしょうか。罪に走っちゃうんじゃないでしょうか。でも罪って言ったって誰かを傷つける事ではないですよ。
 私が言ってる罪っていうのは、人間におとなしく毛を刈らせることを、やめてしまう、ということです。
 私たちの毛って人間に役立っているのでしょう? 人間に役立っているからこそ、私たちは毛を刈られる運命を背負って生きているのでしょう? ああなんて素敵な運命でしょう。
 え? 
 お前は、自分たちが損をしていることに気づかないのか、ですって? 自分たちだけが一方的に消耗されていることに気づかないのかですって? いいえ、いいえ。人間だって、とっても私たちの役に立っていますよ。御存知なかったかしら? 
 あ。
「メェエ〜!」
 失礼しました。これは我慢しないと決めているので。
 ええと。 
 私たちは、人間のおかげで安眠しているのです。人間さまさまなのです。おかげさまで私たちは不眠症に悩む事はありません。入眠するのに数分と掛かりません。目を閉じて、ただ想像するだけなのです。人間が、『会社』と呼ばれる箱の中に入っていく様子を。一人、また一人、と入っていく様子を。そしてそのたびに、「人間が一人、人間が二人、人間が三人……」と数えていくと私の場合、そうですね六十人前後の頃には寝入ってしまいます。これは父だって母だって友だちだって、私たち誰もが安眠するためにやっている方法で、私の場合は母から教わりました。というわけで、私たちと人間とはギブアンドテイクの関係なのですよ。つまり、私たちは人間に『毛』を提供し、人間は私たちに『安眠』を提供する。私たちと人間はこういう形で互いに助け合ってきたのです。
 でもね、ギブアンドテイクだからこそ人間に毛を刈らせていると、私、たった今言ったばかりだけれど。実はもう一つ別の動機が有ります。人間に毛を刈らせている本当の動機があります。でも。内容はあくまで噂に基づくものなので、大声で主張する事を誰もが憚(はばか)っています。だからここだけの話にしてください。それは、つまり、その、信じたくない話ではありますが、もし私たちが人間に毛を刈らせなかった場合、私たちは死後、恐ろしい地獄へ落ちるという噂があるのです。 
 通称――『柵越え地獄』。
 死後、死んだ事には気づかずに生き戻る事も許されず、生と死の境界線にて、たくさんの仲間と一緒に永遠に柵越えをしなくてはいけないという噂。
 なんという残酷でしょう。なんという残酷で不毛な地獄でしょう。いくら私たちの毛が豊かでも、それは不毛です。そしてもう一つ。まこと聞きづてならない噂があります。なんと。柵越え地獄は、そもそも人間の眠りを誘導するために作られた地獄だというではありませんか。もしもその噂が本当だったら断じて納得できません。だってそうでしょ? それって明らかに信頼関係を破壊しているじゃないですか。『毛』と『眠り』を交換するという、私たちと人間との関係が、本当はイーブンではなかったという事になるじゃないですか。実は互いに眠りをも提供し合っているというのなら、私たちが毛を刈らせる分だけバランスが悪くなっているじゃないですか! つまり毛を刈らせる分だけ私たちは損をしていたという事にな……ああ!
「メッ、メェエ〜!」
 怒りの鳴きです。
 興奮してしまいました。心臓が苦しくなってきました。でも私、怒りは静めます。静めてみせます。『柵越え地獄』はあくまで噂ですもの。噂にすぎないことで身を焦がすなんて健康に良くありませんもの。それに人間が、私たちとのイーブンな関係を陰で破壊しているわけがありません。人間がそんな最低限の倫理すら持っていないはずがないからです。同じ生き物としての人間を軽蔑したくないのです。人間にだって心があります。相手を信じることこそが我が身に心の安らぎをもたらします。眠りには心の安らぎが必要なのです。そうです。私、さっきから少し眠くなってきていました。時間も時間ですしこのへんで失礼させて頂きまです。お話につきあってくれて有難う。皆さんもどうか安らかな眠りを。
 では。
 人間が一人、人間が二人、人間が三人……。
 
 
 
 
 
 
 
 

2006/06/14(Wed)22:44:50 公開 /
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