『タナトス』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:片瀬                

     あらすじ・作品紹介
あたしは、あんたを殺してでも死ねるのだろうか。

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 屋上のフェンスに寄りかかってみた。
 古くなってきしむそれは、錆びて血のにおいがする。
 あたしも、三十分後には、このフェンスと同じにおいがする物体になるだろう。物体。なんとも、都合のよい言葉だが。
 死のうかなあ、なんて呟いてみる。
 まるで、覚悟が決まっていないみたいで馬鹿らしかった。
 死のうかなあ、ではなく死ぬ、のだから。
 もう決めた。今日死ぬ。
 ずうっと考えていた。もうこれ以上生きたくなかった。
 毎日、今日こそ死のうと考えていた。
 何となく。そんな言葉が似合っている。
 退屈な学校、窮屈な家庭、卑屈な自分にうんざりしてるんだ。
 たったひとりで食べるお弁当も、敬虔なクリスチャンで口うるさい母親も、外で女を孕ませた父親も、何もかも他人のせいにしてしまう自分も、だいっきらい。

 あたしだって、だてに生まれてから数年、クリスチャンだったわけじゃない。
 自殺が大罪である事は十分わかっている。
 でも、これ以上、存在したくなかった。




 三時間目の始業を告げるベルが鳴った。
 初春の風が、頭上を通り過ぎていく。
 せめて最後は、とセットした髪の毛がふわふわと舞う。
 (そして、セットしたとしても、どうせ落ちるのだから意味がないと気付く)
 日差しが温かくて、床に寝転がってみる。
 ああ、今日も死ねないのかもしれない。
 少なくとも、これから死のうとしてるのに、太陽の誘惑に負けたあたしはばか。
 明日、明日、明日。
 毎日思ってきた。先延ばしにしてきた。
 今日こそ、今日こそ、今日こそ。
 毎朝そう唱えながら家をでて、友達と適当な挨拶をし、二時間目が終了すると屋上へ向かう。
 そして、死ねない。死なせてもらえない。アイツが来るから。

 

 一度だけ、本のしおり――本当は、本を落とそうと思ったのだが、それでは騒ぎになると思ってやめた――を落としてみたことがある。
 あたしの体重よりもはるかに軽いそれは、下に落ちることなく、一度舞って屋上の床に落ちた。
 なんだ、しおりは死にたくないのか。
 そのとき、あたしは鼻で笑った。
 生きてもいないくせに。と。

 

 そのときのあたしが、フェンスの数センチ先に立っているような気がした。意地の悪い顔で手招きをする。
 死にたくないの?生きてもいないくせに。



 意固地になったあたしはフェンスに脚をかける。
 しゃん、と音が響く。
 どこかの教室の窓が開いているのだろうか、とんちんかんな朗読が同時に響く。



 違う。 
 ……この朗読は現代文の授業でもなんでもない。アイツだ。




「『船乗りたちは恐怖に陥り、それぞれ自分の神に助けを求めて叫びをあげ、』」
「……ヒロ」
「『積荷を海に投げ捨て、船を少しでも軽』」
「旧約聖書?」
「おー、よく知ってるね」
「どうせ、官能小説でも隠すのに使ってるんでしょ」
「おー、よく知ってるね」
「繰り返すな気持ち悪い」



 あたしは脚を戻す。
 それでも、向こう側のあたしは意地悪く笑ってる。
 来て欲しかったんでしょ、ヒロに。



「お前さ、また死のうとしたでしょ」
「……別に。フェンスを越えたかっただけよ」
「クリスチャンのお前ならわかるよね、自殺は大罪だよ」
 お前のかーちゃん、いっつも言ってたじゃん。
「わかってるわよっ」
 つい声を荒げる。
 ヒロは悲しそうな目でこちらをみた。




「何?助けに来たの?教えを説きに来たの?」
 ヒロは何も言わない。
「いっつも、しつこいわね!」
 やっぱり何も言わない。
「ほっといてよ、死なせてよ」
 ヒロは乱暴に聖書を置いた。その拍子に一緒にはさんであった官能小説が広がる。




「簡単に死ぬなんて言うなよ」
 毎日のように、彼女の自殺とめにくるほうの身にもなれよ。
 ヒロはあたしの顔を両手で包む。
 じょじょに、手の力は強まる。
 あたしのほっぺたに、ヒロの涙が落っこちた。
 一粒、二粒。





「死にたい」
「マユ、言うな」
「死にたい」
「言うなって」
「死にたい」
「お願いだから」
「死にたい」
「言うなよ!」
 苦痛に歪むヒロの顔。
 対照的に、あたしは自分の高ぶっていた感情がやわらいでいくのがわかった。
 ヒロの顔越しに、あのときのあたしが笑ってた。
 ヒロに死ぬなって言って欲しくて、やってるんでしょ。
 本当は、死にたくないくせに。死ねやしないくせに。
 そうだ。いつだってそうだ。ヒロに、こうしてもらいたくて死のうとしてる。
 ヒロがとめにこなくても、あたしは死ねない。
 


 ヒロは床に座り込む。
「ごめんヒロ。嘘だよ」
 いよいよ本格的に涙を零し始めた彼を抱く。
 あたしは、こうしてヒロをいじめて満足してるんだ。
 心底自分が気持ち悪いと思った。
 心からの謝罪だった。もう一度ゆっくり、はっきりと発音する。
「ごめんね」


 ねえ、
 震える声でヒロは呟く。
「もし本当に死にたくなったら、」
「え?」
 俯いたヒロの顔を覗き込もうとするが、表情は読み取れない。
 けれど、かすかに唇が歪んでいた。

「お前を自殺させてしまうくらいなら、」










「俺が、お前を殺すから」

2006/04/22(Sat)19:19:47 公開 / 片瀬
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。

相変わらず暗い……です。
前回のcity of damnedはログ流れしてしまったので、
これからは短編で精進していきたいと思います。
少しずつ、長いものが書けたら……。
どうかよろしくお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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