『殺し屋が守る人』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ドーン                

     あらすじ・作品紹介
今まで人を殺すことを厭わなかった男。守るべき人が見つかったとき、男は――

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   序章

雨。
時に幼い子供の心をくすぐり、時に傷を負った大人に深くしみこむ。
草木に恵みをやりもすれば、人の体を芯まで冷やしもする。
人のために一つのところのたまったかと思えば、時に崩壊し人の全てを呑み込む。
だがそれは、無くてはならないものであるし、ありすぎても害を及ぼす。
棒の上に置いた林檎のように、杯の縁きりまで入った水のように、わずかなことでどちらにも転ぶ、不安定な物。
そんな存在。
その存在を人々は嫌いもするし、好きにもなる。
月明かりすらも差し込まず、汚れきったコンクリの壁に挟まれた狭い空間、つまるところの路地裏に一人たたずむ男は前者である。
 雨など嫌いで、不要なことこの上ない。確かに幼い頃、雨にはしゃいだ記憶もないし、雨水をためる場所、ダムが傍にありながらその存在が有益だと思ったこともない。
ただ、頭に思い浮かぶ雨の記憶は、ダムが崩壊し、肉親を全て呑み込まれ、ひとりぼっちになった自分を、ただひたすらに打ち付け、芯の芯まで冷やし続けたこと。
自分に浮かぶ雨の記憶は、全て悲しいものでしかない。
「雨など……」
全身を黒いマントに覆われた男が誰に言うわけでもなく、星の輝きすら見えない夜空を仰いで呟いた。ただ、男の足下に倒れる男達には聞こえたかも知れない。相手の強さも推し量れない、可哀想な、哀れな男達。金をたかろうと喧嘩を売り、瞬殺された。報復しようとも思わせない圧倒的強さにより……。
男は頭も黒いターバンを巻き、体も古びたマントと呼ぶのも躊躇われる、どちらかと言えば、黒い布を身にまとっている。穴の開いた布から見えるのも、また黒。黒い布の下にも黒い衣服を着ているためだった。
ただ、全身黒ずくめな男にも黒とは違った異色が三つ、見ることが出来る。
まず一つ目はターバンから所々はみ出している深緑の髪。絵の具をそのまま出したような鈍い緑ではなく、エメラルドの透き通った緑でもない。色は極めて深いのだが、黒い衣服の中黒に紛れてしまいそうなのに、はっきりと緑と判別出来る、不思議な色。
次に、口元まで覆い隠すマントと眉毛を全て隠しているターバンとの間からのぞく、右眼。そう、彼の両眼は違う色をしていた。彼の右眼はルビーをそのままはめ込んだかのような深紅の瞳。奥にある瞳孔までもはっきりと確認出来る透き通った紅である。そして、左眼は白、と呼ぶのがよいのか黄色と呼ぶのが良いのか分からない色をしていた。瞳孔は常人通り黒い。だが、そこから放射状に広がる線は黒い線に黄色が縁取られている。残りの、俗に瞳と呼ばれる部分は純白である。それこそ白目と区別が付かなくなるほどの白だった。
衣服が薄汚れた暗い路地にとけ込む中、今挙げた三つの部分が、特に双眸が特に際立っていた。
「雨など……無ければいい。雨など……ただ俺の心を蝕むだけの存在に過ぎない」
男がまた、呟いた。心の底から吐き捨てるような声。
呟いてから数分間、星も光り輝かない空を見つめていると、不意に視線を元の戻し、薄汚れた、暗い路地を去っていった。

黒マントの男が去った後、男がいた場所を建物の上からただひたすら見つめ続ける存在があった。
“それ”は男が去った後も数分その場所を見続けていたが、しばらくすると“それ”はゆっくり降りてきて声をあげた。
「ぅ……ォアぅ……ぐゥア……」
否、これは声ではなく、うなり声。声帯をふるわせた音ではなく、ただ喉を鳴らしただけの音。かろうじて人語に変換させたが無理があった。今の声は通常の人間では出すことの出来ない声、言葉だった。
“それ”はしばらくうなっていると、今度は“こっち”に視線を落とした。
恐怖のあまり声すら上がらない。
――これは人間なのか? それ以前に生物なのか? 何をしようとしているんだ? 
そんなことばかりが頭を巡り、“逃げる”と言う算段はまるで出てこなかった。ちがう、出てこなかったのではなく、出そうとしなかった。本能で分かったのである。目の前の存在から生き残れる可能性がないことを。
そして、俺は二メートル近くまで開けられた深く、漆黒の闇の中に飲まれていった。周りの仲間共々。










 
一話 生き抜いた男

 
 男の名は『獅子島 鉄(ししじま てつ)』。職業は“裏屋”。裏屋とは暗殺に始まり、潜入工作、皆殺し、護衛、決闘の代役を果たしたこともあった。つまりは、裏で動く仕事ならば種類をいとわないのである。そのかわり、表だった行動はしない。戦争などの出兵がこれに当たる。護衛も直接張り付かず、特定の人物からの攻撃を影から守り通すのである。まぁ、忍者と言ってしまえばそれまでだが忍者と違って複数で動かない為、獅子島は裏屋だと言い張る。
 額に白いターバンを巻いている渋い顔つきの男。左頬に二本の切り傷と、右頬に無数の細かい切り傷がついていて、生きてきた年数を錯覚させる。ターバンの上にわずかだけのぞいている短い髪は蒼と碧が入れ混じっている。青緑色、ではなく、少しずつのまとまりごとに蒼と碧なのである。本人曰く「草陰に隠れやすい」とのことだ。
 獅子島最後の依頼は“皆殺し”……だったと思う。なぜなら獅子島には記憶がない。過去の記憶がまるで飛んでしまっているのである。否、自分に関する記憶だけ、と言った方が正しい。自分が誰なのかは分かる。ただ、何をしてきたのかが分からない。自分の言動、人間関係まるで覚えていないのだ。
 ただ、最後の依頼だけは覚えている。だから獅子島は考える。その依頼での出来事をたどっていけば思い出せるかも知れない。
 ――確か、依頼人は…… 

 依頼人は戦国大名『三佐 慈右衛門(みさ じえもん)』。依頼内容は指定した村の住民皆殺し。報酬は望みのまま。
 獅子島にとってはまたとない荒稼ぎのチャンスだった。皆殺しは内容にもよるが一番楽な仕事だと獅子島は思っている。暗殺は気付かれないように殺らねばならないし、潜入工作もまた然り。護衛も依頼人を死なせてはならないし、決闘だって相手が手練れだった場合楽ではない。
 つまるところ、ただの素人を何の制約もなく力の限り殺し尽くす皆殺しは、何も考えなくて良い一番楽で、報酬も良かったりする。しかも今回は望みのままときたもんだ。というわけで、獅子島はなんのためらいも無しに承諾した。小さな村一つに報酬は望みのままとはずいぶん怪しげだとは思ったが、この仕事が本当にただの気前の良い依頼人の依頼だった場合、大損となる。仮に罠だったとしても、軽く逃げおおせる自信はあった。
 案の定、罠だった。
 妙に少ない村人を殺し尽くしたところで、すでに周囲は包囲されていて、ありとあらゆる方面から新兵器‘火縄銃’の銃口が獅子島へと向けられていた。
 それからの獅子島の行動は速かった。手元に握られていた爆弾を地面に思い切りたたきつけ、爆発の衝撃を受けながらもその勢いに乗って包囲の一角へと突っ込んだ。新兵器といえども兵はまだ慣れていないだろう。そう思っていた。
 事実、それは正しかったし、あわてふためいて列がわずかに乱れる。兵も慌てて引き金を引こうとするが、慌てた兵の数センチの指の動きより勢いに乗った獅子島の数メートルの動きの方が速かった。左手で銃を払い飛ばし、右手で敵を突き飛ばした。瞬時に突破口ができあがり、直ぐさま飛び出そうとした。
 刹那。
 足下の砂が炸裂し、獅子島の足も僅かに裂けた。足をやられバランスを崩したが、体をひねり持ちこたえ、‘何か’が来た方向へと向き直った。
 そこには黒馬にまたがった三佐慈右衛門と今し方刀を収めた長髪の男が居た。慈右衛門は訝しんだ顔をし、長髪の男には表情が読み取れない。
 「よぉ、依頼人サマ。なんのつもりだい?」  
 挑発めいた口調と共に獅子島が語りかける。
 「そなたこそなんのつもりだ? 依頼放棄かね?」
 「依頼放棄? それはアンタじゃねぇのかい? 俺はあんたの依頼通り村人を皆殺しにしたはずだ。それなのにこれは一体どういう事だ? 報酬を出し惜しんでるのか?」
 「出し惜しみ? 何を言う。報酬も何もそなたは依頼をこなしておらんではないか」
 獅子島は思わずあっけにとられた。何を言ってるんだ? こいつは。気配探知もしたし、殺し漏らしは無いはずだ。
 「ふざけんな。俺は皆殺しにした。なんの問題があるってんだ?」
 慈右衛門はやれやれと首を左右に振ってから、嘲笑と共に言った。
 「私の出した依頼は指定の村から人間を排除すること、だ。完全にな。つまり、貴様という人間が残っておられては困るのだよ」
 ――なるほどな。
 「妙に村人が少ないと思ったらこういう事か。あんたらにとって俺という殺し屋は邪魔以外何者でもない。運悪く適当に選ばれた村人達をネタにして屁理屈こねて俺を消そうってわけか」
 一息つき、
 「くだらねぇな。そもそも、あんたらに俺は殺せないだろう」
 その言葉に慈右衛門はさらに嘲笑を強めた。
 「それが出来なきゃこんなことはせんよ。――っ夜笠!」
 声と共に、夜笠と呼ばれた長髪の男は右手で大太刀を一息に抜ききり、居合い斬りを繰り出す。
 「ハッ」 
 これに獅子島は自分のエモノ【血我丸】(ちがまる)を右手の裾から取り出し対応する。
 ギィンと耳に触る鈍い音と共に敵の居合い切りを払いのける。獅子島のエモノ【血我丸】は生命に刃を突き立てるたびに血を吸い、吸った分だけその身を分身させることが出来る。身を分けるたびに血を消費し、いずれは尽きる。今は先程の村人で十分吸った為気にすることはないだろう。
 「……」
 自慢の居合い切りを払いのけられたことに僅かに驚愕しているのだろうか。自分の右手に握られた刀を見つめ、棒立ちしている。その間を見逃すほど獅子島は甘くはない。容赦なく血我丸を五つに分身させ投げつける。と同時に投げた血我丸とほぼ同じ速度で夜笠へと距離を縮める。
 血我丸をなんの呼び、動作もなく払いのけ右手で近づいてきた獅子島へと対応する。
 ――素手で殴る気か?
 その予想は一瞬で散らされる。夜笠の右手には脇差しが握られていた。勢いに乗っている獅子島には避けるという選択肢は取れない。すかさずもう一本血我丸を作り出し左手に握る。夜笠の脇差しと再び鈍い音を響き渡らせ、打ち合う。さらに右手にも血我丸を握り夜笠の右胸に突き立てる。これで運が悪ければ即死、良くても致命傷は避けられず動けなくなる――ハズだった。
 血我丸を突き立てられた夜笠はものすごい勢いと共にバックステップを取り、獅子島との間合いを開ける。と同時に獅子島は違和感を覚える。突き立てたときの感触が通常のソレとは違ったのである。肉に沈み込む感触ではなく、何か空洞のものへと差し込んだ感じだった。要するに、物体の反発を覚えたのは皮膚に触れた最初の瞬間のみ。後は何の感じもしなかった。肉の詰まった感触ではなく、本当に何もない。空気に刺してるも同意だった。
 「なんだ……貴様?」
 「そ奴は人ではない」
 獅子島が夜笠自身に向けた質問は無言な夜笠の代わりに奥にいた慈右衛門が答えた。
 「儂がこの間捕らえたのだよ。無鏡(むかがみ)の洞窟でな」
 「無鏡? あの化け物が出るって噂されてた、あれか?」
 「その通り。そ奴はそこで捕らえた モノ だ。人にあらずだよ」
 「――っ!」
 瞬間。もてる全力の反射神経と瞬発力をもってその場から遠ざかる。獅子島がその場から遠ざかった途端、半径一メートルが弾けて飛んだ。
 「……なるほどな。本当に人にあらずのようだ。まるで容赦がねぇ」
 ――だとすると分が悪い……か。ここは……。
 瞬間。今度は瞬発力のみに全神経を向け、瞬時に後ろを向き、走った。
 「……ノガサン」
 その声を聞き、近くにいた慈右衛門は勿論、包囲していた兵、さらには一番遠いはずの獅子島までもが背筋に悪寒を覚えた。その声は低く、濁り、大気をふるわせた。
 ――なんだあれはっ。気持ち悪りぃ。
 それでも獅子島は足を止めない。止めたら最後、確実に捕らえられ、打ち首は免れない。掴まろうと逃げおおせる自信はあるが、もしあいつが追ってきたら厄介だ。奴から楽に逃げる自身ははっきり言って無い。もし倒しても、そこからさらに逃げ切るのは不可能に近いだろう。
 獅子島はただひたすら走る。足には自信がある。直線で言えば馬にだって引けを取らない。
 本能が確実にソレを告げる。
 アレに掴まってはならない。アレと関わってはならない。 
 喉が乾こうと、汗にまみれようと、足を止めてはならない。
 ただ足を動かすことにひたすら、脳から命令を下す。


 ここまでは鮮明に思い出せた。だがその後はまるで覚えていない。結局掴まったのか、逃れられたのか、何をしたのか、されたのか。
 分かることは一つ、自分は生き抜いたのだと。奴らから逃れたにせよ、掴まったにせよ、自分はこうして生きているのだ。
 ――っっ!
 不意に獅子島は両手で頭を抑えてかがみ込んだ。ものすごい痛み。頭を万力で締め上げているような痛み。
 ――ア、タマ……ガッ――。
 抱え込んで数秒、直ぐに頭痛は収まった。
 「ッハァッ、ハ、ァ」
 ほんの数秒なのに、激しい息切れが続いた。吸っても吸っても、体は空気をいつまでも必要としてくる。
 「!!」
 また、頭痛がぶり返してきた。今度はさっきの痛みとはまるで比べものにならない、激しすぎる痛み。万力どころか力士に両脇から突っ張りを喰らった感じだ。
 「な、ンなんだよぉ! クソっ!」
 痛みは止まらない。



 二話 
 

 京都府鏡浦市は嵐山の隣に位置する。隣といっても鏡浦市は四方を山に囲まれていてその内の一方が嵐山に面しているだけなのだ。
 鏡浦死にある学校は一つだけ。幼稚園から大学まで一貫の私立『三笠学園(みがさがくえん)』のである。面積は東京ドームがほとんどそのまま入る。
 三笠学園はいわゆる“金持ち学校”で、日本中の優秀で裕福な家庭に暮らす少年少女を集め、教育している。
 中学までは基本的に普通に教育されるが、高校にはいると同時に能力によってクラス分けがされる。中でも最も高いクラスが“U -Ultimateness”クラス、生徒間ではアルティクラスとも呼ばれる、最優秀な生徒が行く、超エリートクラスなのだ。
 
 三笠学園第一学生寮。学生寮は十二もあり、偶数が女子寮、奇数が男子寮と分けられている。
 第一学生寮は製造者がおおざっぱなのか、校舎をぐるっと取り囲むなかで、なぜか南南西にある。普通は真北に一番じゃないのか、と少しだけ思う生徒も少なくない。ちなみに、寮番号は数字が低いほど優秀者とされている。そのため第一学生寮に住む『上川 沙耶(かみがわ さや)』は最も優秀な成績といえる。
 上川は現在中学三年。正しくはこの春から高校生となるため、春休みの今は学生には厳密に言えば当てはまらない。そのため、学生という身分から僅かの時間ながら解放された上川は、春休みを利用し数人の友達と映画館に来ている。上川はいわゆる‘美人’に当てはまる……らしい。というのは本人に自覚が無く、一番の親友である『渡瀬 澪(わたらせ みお)』から言われただけで、そうと知った今も未だに信じていない。そう言う渡瀬も外見は良いので彼氏持ちである。成績はいつも上川と競い合っている程のトップクラスで、渡瀬自身も常に十番以内に入っている強者だ。要は成績がいつも似たようなのでいつの間にか仲良くなってしまった集団なのである。
 「ちょっと時間余ったね〜」
 電光掲示板に書かれた目当ての映画の上映時間と、左手につけられた小さな腕時計を見比べ、渡瀬は言う。人気のある映画らしいので早めに出たのが仇となったらしい。チケットを買うのに時間がかかるものと覚悟していたら、運が良いのか悪いのか、すんなり買えてしまった為三十分以上も待つ羽目となってしまったのだ。
 「そうね。結構余ったみたい」 
 渡瀬の言葉に同意する。渡瀬はしばらく電光掲示板と腕時計を交互に見ながらうなっていたが、やがて何も良い考えが浮かばなかったのか後ろにいた『井口 哲平(いぐち てっぺい)』に意見を求める。
 何を隠そう、彼こそが渡瀬の彼氏で、上川といつも競い合っている人物なのだ。井口は僅かに眉をひそめたが、直ぐにこういった。
 「通りのすぐ向こうにゲーセン見つけたから、そこで時間潰すか」
 だが、この意見に上川は同意しかねるか迷っていた。三十分とは実に微妙な時間なのだ。通りのすぐ向こうと言っても数分はかかるし、往復約十分を抜いたらゲーセンには二十分しか居られない。ゲーセンで二十分とは実に短い。気がついたらとっくに時間が過ぎていた、なんてこともざらだ。
 そんな上川の表情を察したのか、すかさず井口が別の意見を出す。
 「ならばここの一階に喫茶店がある。そこで時間を潰そう」
 これには上川も納得する。コーヒーの一杯でも飲みながら喋っていれば三十分くらいなのでちょうどいい。
 「わかったわ。それで行きましょ」
 クラスの男子を軽く虜に出来そうな極上の笑みを浮かべ、同意する。もちろん、渡瀬という彼女が居る井口は何のリアクションも取らない。上川自信も意識してやったわけではないが、その何気なさが知らないうちに男子の気を引いているのだとは本人は知るよしもない。
 ふと、エスカレーターに向かって歩き出す井口の背中を見ながら、上川はあることに気がついた。
 「私、そんなに読みやすい表情してたかしら?」 
 考え込むときの表情は徹底して消すように授業でたたき込まれている。なぜそんなことを教わるのか不思議に思ったこともあったが、今は気にしてない。成績優秀な上川は勿論表情を消すのにも長けているため、否定の考えを読まれるなど初めての経験だった。
 「哲平は優しいから」
 クスッと軽く笑いながら渡瀬は嬉しそうに言った。
 「そんなの、理由になって無いじゃない」
 成績優秀な上川は、基本的に根拠のないことは信じない。頭の柔軟性が足りないと言えばそれまでなのだが……。
 「ん〜、じゃこういえばいい?」
 もう一度クスッと笑ってから言った。
 「私の彼氏サンだから」
 満面の笑み。この笑顔を見て上川は――この笑顔に引かれたんだろうな――と思う。実際女である上川自信も、抱きしめて頭をくしゃくしゃになでてやりたいという念に駆られる。 
 だから上川は言ってやった。
 「ごちそうさま」
 渡瀬は笑みを絶やさぬまま小走りで、エスカレーター前で律儀に待つ彼氏の元へと行ってしまった。



 間

 痛みは消えた。頭を万力で締め付けるような痛みはもう無い。酸素を欲しすぎる肺もようやく収まり、体中から吹き出ていた汗も春の風に晒され揮発していく。
 フラフラする体を齢数十年しかたっていないだろう、巨木とは言い難い木で支える。
 「ここは……どこなんだ?」
 裏屋たる獅子島は何が起きても対処出来るよう、活動拠点から半径十数キロの地形は把握しており、よほどのことがない限り道に迷うことなど無い。まぁ、今がよほどのことならば別だが、少なくともこんなに木が規則正しく並んだ森は見たことがない。
 木と木をつたいながら少しずつ進んでいると、やがて木の密集地帯から光が見えた。ようやく森を抜けるらしい。ようやくと言っても、進むペースが通常のソレとはまるで違うため進んだ距離は十数メートルだ。
 それでも獅子島には結構な距離に感じられ、開けた視界から現状把握出来れば良かった。
 最後のひとかたまりの草をかき分け、その先には城――としか知識のない獅子島には分からなかった。四角になっている城を中心に、放射状に四角い屋根の長屋が――一、二……――十二個もある。さらにその周りに城下町らしきものが広大に広がっている。
 だが、どう知識を掘り出しても今ある風景を完全に説明するのには至らなかった。今適当に表現してみたものの、獅子島が知るものとは徹底的に何かが違った。
 「……」
 獅子島は右手で人差し指と親指をくっつけ、望遠鏡代わりになるように形作った。常人では何も変わらないが、視界が狭まり、一点に集中できるため視力は跳ね上がる。獅子島にとっては即席望遠鏡というわけだ。もっとも、獅子島は望遠鏡など知らないが遠くがよく見えると言うことは分かっていた。
 円状に狭まれた視界を城らしきものの中心へ向け、何か見えないかと注視する。
 初め、丸い物体が見えた。直ぐさまそれが時計と言うことが分かる。なぜ時計なんかを外に付けているのかいささか疑問が残ったが今は気にしないことにした。
 次に視界を落としていくと窓が見えた。その窓には何か張られているらしいが、どうやら透明のようだ。中の様子がうかがえる。中には
 「――っ!?」
 慌てて身を草むらに隠した。今何者かと視線があった。否、合ったのではなく合わされたのか。この距離で自分の存在がなぜ分かったのか。一流の忍びでもあり得ない。それに、あの目。
 「なんて気味悪い目をしてやがる……」 
 その目は今までに見たことのない目をしていた。冷たく、鋭く、背筋に悪寒が走った。獅子島ともあろう者が……。
 「……?」
 不意に、背後に気配を感じた。全身に突き刺さるような殺気。三流の人間などこの殺気のみで昏倒させられるだろう。
 「…………」
 弱った体に強烈な殺気はかなりこたえる。現に、獅子島の体は弛緩し急な行動に対処するのは恐らく無理だ。
 額から生まれた塩水が頬を伝い、顎から地面にしたたり落ちる。押した塩水は何の抵抗も示すことなく、地面へと吸収されていく。
 汗。ほとんど皆無に等しい現象だった。ただの殺気ごときに獅子島の体はおびえきっていた。
 緊張、恐怖。この二つが重なると人間は動くことが出来ない。獅子島は、緊張は幾度か感じたことはあったが、恐怖は師と相まみえていらいだった。
 「!?」
 視界の変化に獅子島の体はさらなる緊張を見せる。足は震え、腕は固まり、全身汗だくだった。獅子島の目の前の草が二つに分かれる。その新たに出来た分け目から一つの影が出て来た。
 出て来た影は人。身長二メートルはあるだろうか。戦闘態勢で固まった、つまり前傾姿勢を取っている獅子島より遙かに高い。獅子島の元がおおよそ百八十だから、それよりも確実に高い。なにより、すさまじい威圧感を放っていた。姿が見えない状態であれほどのさっきだったのに、姿を見せ目を見た時点でそれを遙かに超えた。本能が語る。『ニゲロ、カチメハナイ』と。
 だが、極度の緊張下にあった獅子島の体は脳の命令とはまるで違う行動を取った。
 「あぁぁあああぁあぁぁっぁぁっっ!」
 雄叫びとも叫び声ともつかない大声を上げ、袖から血我丸を出し、投げつけた。
 「愚かな……」
 獅子島を哀れむ言葉でありながら獅子島にはほとんど聞こえないような小さな声で呟いた。だが、その唇の動きでさえ獅子島の理性を奪うのには十分すぎた。
 「―――――」
 恐怖のあまり声帯が機能していなかった。思わず両腕を喉へと持っていき、喉を覆うように抑えた。今までの人生の中で恐怖で声が出なくなるなどなかった、いや、あり得なかったのだ。初めての体験に戸惑いが生じる。理性が飛びながらも体だけは警戒心だけは解くようなことはしない。これは意識したわけではなく単なる本能だ。
 ――落ち着けっ落ち着けッ落ち着くんだっ!!!!
 頭の中で復唱する。これをやるのはいつ以来だろうか。恐らく、初めての仕事の時以来だ。
 「余裕だな……」
 気付けば、振りかぶる腕。漆黒のマントから伸びる腕。その先には柄と、刃すらも黒い鎌。
 ――し、に……がみ……?
 それしか頭に浮かんでこなかった。全身黒く、黒い鎌を振り上げる姿はさながら、死神のようだった。漆黒のターバンからはみ出る深緑の髪を靡かせ、一振り。
 獅子島は全身を投げ出し、回避する。恐らく次は避けられない。逃れられない。勝てない。勝てない、勝てない勝てな――
 「貴様……、それでも闇か?」
 ――闇? なんだ?
 「なぜまともに戦わない。闇は、常に深く、全てを染め上げる存在でなければならない。それなのに……」
 一閃。鎌を軽く横凪にする。通った軌跡、さらには数メートル離れた大木までもが斬られた。
 「なんだその無様な姿は?」 
 深呼吸。深呼吸。何度も。何度も。
 「……悪い。待たせた」
 ようやっと落ち着きを取り戻す。恐怖が消えたわけではない。ただ、落ち着いた。それだけの話。
 「一つ、聞くとよぉ。……お前、何者だ?」
 当然の質問。
 「死神」 
 即答。
 「ああ、そうか――よっ!」
 言葉の終わりと同時にさらなる血我丸を生み出し、投げつける。先程のようながむしゃらな投げ方ではなく、頭、心臓、水月、腹を一つ一つ狙った正確な攻撃。
 「貴様……。気付いていないのか?」
 「?」
 想像以外の言葉だったので数秒止まった。
 ――気付いていない? 何がだ?
 元来獅子島は馬鹿だ。こういうときに限って馬鹿のように考え込む。
 「ならば問おう。先程貴様が発狂して投げたそのナイフ、どこへ行った?」
 「――っ!?」
 確かに投げた直後、こいつは避けるどころか攻撃を払う為の腕一つ動かさなかったのである。ならばどこへ?
 「回答」 
 そう男が告げた瞬間、獅子島の前に血我丸が現れた。これは今作った物ではない。どう見ても数分前の――っ!
 「そう、異空間だ」
 さらにその後、その現れた血我丸が獅子島めがけて飛んできた。この至近距離では流石に避けられないと判断した獅子島は、間をおくことなく新たな血我丸を作った。それを投げつけ飛んできた血我丸を打ち落とす。
 「それで安心か?」
 その言葉が終わった途端、自称死に神の男の姿が大きくゆがんだ。そのゆがみの所々に黒い亀裂らしきものも見える。
 ――なんっだ!?
 「空間のゆがみは大きな衝撃を生ずる」
 大きくゆがんだ男の姿が一瞬にして元に戻った。
 一拍。
 声をあげることすら許されない痛みと共に獅子島の体が大きく飛んだ。浮いたのではなく、文字通り飛んだ。
 「漆黒は深く呑み込む。光もまた例外では――」
 男の言葉は最後まで聞くことが出来なかった。聴力にも優れた獅子島だからこそここまで聞けたのである。その言葉の後、獅子島の意識はそこで途切れた。

2006/04/01(Sat)19:39:08 公開 / ドーン
■この作品の著作権はドーンさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
おぉ!? 久しぶりに来てみたらログが消えてるじゃぁないか!? と言うわけで、新規投稿。
お久しぶりです。ぶっちゃけた話、今回の更新でストーリーそのものは進展しておりません(どーん
 ここまでで一回で投稿出来れば良かったのですが、それだと長すぎて読者様が読みづらいかなと思い別々に。
 次の投稿からストーリー進行を早めていこうかなと。 
 今回の感想の方も辛口で結構です。へこんだだけはね飛ばすバネは一応持ち合わせているつもりですので(笑

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。