『左腕』 ... ジャンル:ファンタジー 異世界
作者:小杉誠一郎                

     あらすじ・作品紹介
 協会からの依頼を受けて、連絡が途絶えた遺跡調査隊の捜索に向かった主人公が経験した『恐怖』をめぐる物語。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
■ prologue

「……出ろ」
 言い様の無い緊張感が場を占めている。開かれた扉の向こうには男が一人。その一人の男に向けられた銃口の数は六。誰一人として身じろぎもしない。切り裂かれるような静寂の中、軍服の男が再び――先ほどより少し大きく――言う。
「出ろ」
 中にいる男は閉じていた双眸を薄く開く。その目は声の主の襟までを確認し、再び閉じられた。
「……私に何のようだ?」
 軍服の男は少し、間をおいて答える。
「君の協力が必よ――」
「断る」
 男はゆっくりと目を開き、軍服の男を見据える。
「……マイケル・ライザーだな、見覚えがある。中将になったのか」
「私の階級などどうでもいい」
 マイケル・ライザーと呼ばれた軍服の男はゆっくりと息を吐き出しながら、中の男を睨み据える。
「トマス・ジャガー元陸軍大佐、協力すれば君を自由の身とする事を約束する。悪くない話だと思うがどうかね?」
「前にその扉が開いてから何年になる?」
 トマスと呼ばれた男は質問には答えず、質問を返す。その虚ろな視線は、開かれた頑強な扉を静かに――感慨深げに――見つめている。ライザー中将が後ろに立っている男を一瞥すると、見られた気の弱そうな男――服装からして刑務官のようだ――が代わりに答えた。
「き、記録では18年前です。つまりトマス・ジャガー元陸軍大佐が収容されて以来、……一度も開いていません」
 この刑務官が中の男の名前を知ったのは今だった。彼はトマスの担当だったので声を聞いたことはあったが、姿を見たのさえ初めてだった。彼は胸の中で今口にした名前を反芻する――トマス・ジャガー大佐――誰でも知っている十数年前の戦闘で殉職した英雄の名前だった。
 再び辺りを支配していた沈黙を破ったのは、やはりライザー中将だった。
「君の気持ちはわからんでも無いが、事態は実に深刻で、君の協力は必要不可欠なのだ。無事、終えてくれれば君が望むような報酬も考えてある。ともかく、話を聞いてから考えても遅くはないのではないかね?」
「なるほど。中将……か」
 トマスは押し殺すように笑って、
「なんでお前さんなんかを覚えてたのか思い出したよ」
「……どうしてかね?」
「話を聞いてしまえば私が断ることは無い、と判っているんだろう?」
 ライザー中将は深い溜め息をついて、答えた。
「……それほどに我々は困窮しているのだ」



■ encounter

「くそったれがっ!」
 グレイは撃ち終わった弾薬を捨て、素早く次の弾薬を装填し、撃つ。ゆっくりと彼に近づく奇妙な生物の動きは、六発全て撃ち込んだところでようやく止まる。
 嫌な汗が彼の茶色の髪と額にまとわりついている。
「なんなんだよ……ったく」
 まだ微かに動く死体は、彼が今までに殺したことのある古代生物とは明らかに様子が異なっていた。
 通常、遺跡内などの特定地域で襲ってくる古代生物は、かつての寒さの名残か硬い外殻に覆われているのが共通の特徴である。
 だが、目の前で息絶えたそれに外殻などはなく、表面は腐っているかのように融けている――腐臭はない。弾丸を一発撃つたびに気味の悪い液体が飛び散るが、それを意にも介さずこちらに向かってくるのだった。
(……弾が当たった手応えが無い。痛覚が無いのか?)
「くそ……引き返すかな、マジで」
 溜め息混じりに右の太ももに着けている専用のホルダーから次の弾(カートリッジ)を取り出し、装填する。一個の弾には弾丸が六発入っている。
(弾はあと……一ケース(十二個)。もう少し行けるか)
 彼がこの遺跡に入ってから既に十時間程経過し、五ケース持ってきた弾丸も五分の一になっていた。おかげで荷物も軽くなってはいるが、歓迎すべきことではない。
 ピクリとも動かなくなった死体をまたぎ、慎重に奥へと――本当に奥に進めているのか彼にもわからなくなっているのだが――進む。左右の分かれ道にたどり着いた時、なんとなく――そう、なんとなく――気配を感じて立ち止まった。
 遺跡の中は、暗い。
 調査隊がところどころに灯りを置いているが、灯りと灯りの間には充分暗闇と言えるものがあった。
(気のせい……じゃないな)
 彼は少し腰を落として、再び銃に手をかける。彼の持つ銃はEPと呼ばれる、銃の中では最も一般的なもの――銃自体は一般的ではないのだが――だった。付け加えるならば、「唯一、量産化に成功した銃」だ。銃――FoRCEと総称される――はバレット・ハンドラーズ協会の試験に合格したもののみが所持を許されるもので、合格と同時にナンバリングされたEPを与えられる。FoRCEは全て、精神とFoRCE自体とを同調させなければ動かないが、EPはそれが最も容易なものだ。
 暗闇は動かない。
 銃口をゆっくりと暗闇に固定する。
「誰だ?」
 暗闇は動かない。
「十秒以内に名前と所属を答えろ! 十……、九……」
 暗闇は動かない。
「八……、七……、六……」
 彼には少し暗闇が動いたように見えた。
 瞬間――
 頭の後ろに硬いものがあたった。
「動くな」
 低い、男の声。
 グレイは、全身から汗が噴き出してくるのを感じた。心臓の音が爆音のように頭に響く。一瞬で喉がカラカラになる。銃を持つ右腕が……妙に重く感じる。
(いつの間に後ろに――いや、その前に……どうする?)
 だが、それが全く意味の無い思考だということは彼自身も気づいていた。彼は今、死を眼前に感じていた。
「EP……。ハンドラーか」
 男の声と頭にあたる硬いものが下げられたのは、ほぼ同時だった。
「悪いな。まだ生き残りがいるとは思わなかった」
 グレイは、男の言葉を頭の端の方で捉えながらも、噴き出し続ける汗と異常な速さで刻まれる鼓動の音に感覚を囚われていた。
(……どうする? どうすればいい?)
 固まっているグレイを見かねて、男が声をかける。
「すまないな。もう動いてくれていい」
(……やるしか……ない!)
 グレイは銃を握る手に力を込める。グレイの意思は明確にEPへと伝わり、一瞬で撃鉄が起きる。
 振り向きざまにトリガーを引こうして、相手の姿が無いことに気づく。
「やめておけ」
 後ろから聞こえた声に、グレイはゆっくりとEPから手を放した。カタン、と床に落ちたEPが乾いた音を立てる。
(来なけりゃ良かった……)
 グレイは大きな溜め息と共に両手をあげる。
「もう一度言うが、生き残りがいると思わなかったから様子を窺っていただけだ。害意は無い」
 男はそこで一息ついて――
「どうして俺があそこにいると?」
 男は既に銃をしまっていた。グレイもあげていた両手をおろし、落とした銃を拾って、しまう。
(どうしてだって? なんとなくだよ……なんとなく。ただそんな気がしただけだ)
「答えたくない……か」
 男はグレイに背を向け、歩きだす。カッ、カッと大きな音が遺跡に響く――靴に金属でも仕込んでいるのかもしれない。
「……なんとなくだ」
 ぼそり、と言ったグレイの声に男は立ち止まり、
「……なんとなく?」
「そう、……なんとなくだよ。なんとなく誰かいるんじゃないかと思ったんだ」
 男はグレイの方に向き直る。グレイも――なんとなく、彼がこちらを向いたような気がして――男の方へ振り返った。
 男はグレイが声から想像したよりも若そうに見えた。立ち姿に一切の隙が無い。短く刈り込んだ黒髪と軍服――現行の型とは違うようにも見えた――も、その気配を作り出すのに一役買っていたかもしれない。
「ルーキーだろう? 名前を聞いておこう」
「……グレイだ。ロバート・グレイ。」
「グレイか――この遺跡は既に第一級危険区域になった。避難した方がいい」
「その危険を解除するために俺たちに仕事がきたんだろ?」
 グレイの言葉に男は大きくかぶりを振って、
「お前さんがこの遺跡に入ってどれぐらい経ったのか知らないが、ここが第一級危険区域に指定されたのは、今からちょうど十時間前だ。以後、私以外は誰も入ってきていない。……わかるな?」
「俺たちの依頼とは別に中で何か起こったのか……」
「そいつは正確じゃないな――」
 男は、少しわざとらしく肩をすくめて――
「お前さんたちの依頼の対象が、当初の見込みよりずっと深刻だったのさ」
 グレイは、一息置いて――
「……生き残りがいるとは思わなかったって?」
 耳に引っ掛かっていたものをようやく口に出す。
「他のやつらはみんな殺られちまったのか?」
「…………」
 男はバッグの中からEPを取り出し、グレイの足元に投げる。手の平にぎりぎり収まらないくらいの大きさの拳銃が床に散らばる。
「五、六……、七」
「お前さんに会うまでに七人の死体を見つけた。EPのナンバーからすると、ルーキーか、せいぜい二、三年目のやつが殆どだ」
 呆然と床に投げられたEPを眺めるグレイに耐えかねたかのように、男は続ける。
「全員、弾を撃ち尽くしていた。ただの古代生物と違って、痛みを感じるように出来てないからな。恐怖に駆られて撃ちまくったんだろう」
 黙ったまま、グレイは考えていた。
(当たり前だ……。あんな訳のわからないものに襲われれば――誰だって恐怖する)
 男は大きな溜め息をつく。
「おい、しっかりするんだ。お前さんだけでもここから無事逃げ延びなきゃならん。そのEPを協会に届けるのはお前さんの仕事だ」
 ふいに――
 危険だ、と感じた。
 迷わずに男の脚を払う。男は避けるかもしれない、と思ったが意外にも地面に尻をついた。
「何を――」
 男が怒りの声をあげるのと、ほぼ同時。つい今まで男が立っていたあたりの壁が綺麗に抉り取られる。
 男はすぐに戦闘体勢をつくり、辺りを窺う。
 カツ……、カツ……、と歩く音が近づいてくる。暗闇からようやく姿が見えた時、男が呟く――
「人形……」



■ doll

「人形?」
 聞き返したグレイに男は答える。
「FoRCEと同じ時代に造られた最悪の戦闘兵器だ。――木彫りの悪夢」
 木彫りの悪夢と呼ばれたその姿は、デッサンなどに使われる関節がある木製の人形を大きくしたもの、と言えば一番しっくりくるだろうか。大きさの割に全体の造りは粗い――顔さえ彫られていない。
 目の前の人形は、緩慢な動きでカタカタと音を立てながら右手を腹に当て、不恰好に頭を下げた――礼のつもりなのかもしれない。
「来るぞ! 左右の手に気をつけるんだ! 抉られるぞ!」
「じゃ、弱点とかは!?」
「無い! なんとか砕いてくれ!」
(マジかよ……!)
 少し人形が動いたような気がして、グレイは後ろに跳び退る。
 瞬間――
 グレイは目の前に人形の顔が迫っているのを見た。
(やばい、死ぬ!――)
 ゴス、と鈍い音が彼の耳に届くのと同時に、人形は吹っ飛ばされる。
「いい判断だ」
 男が青く輝く細身の剣を振り下ろしたままの格好で彼を現実へと戻す。青い光は淡くなり、消える。
「それがあんたの……?」
「あぁ。これが俺のFoRCE――アウグストだ」
 男が持つのは剣型のFoRCE。非常に珍しいもので、今まで両手で足りるほどしか発掘されていない。
 人形はカタカタと音を立てながら腰から立ち上がる――見えない糸に吊られているかのように。
 グレイはEPを構え、迷わずトリガーを引く。
 ガウン、ガウン、と遺跡内に響く音に合わせて人形が大きくのけぞる。
(駄目だ……。まともなダメージにはなってねぇっ!)
 グレイは新しい弾を装填しながら、必死に状況を呑み込もうとする。EPじゃへこみもしない。アウグストでさえ、軽くへこんだ程度。そもそも、どこまで破壊すれば動きが止まるのかもわからない……。
(……絶望的だ)
 カタ――
 音が聞こえた――人形のたてる乾いた音。
 グレイが気づいた時には、既に数メートル吹っ飛ばされて壁に叩きつけられていた。
「――ぬぉっ!!」
 男が叫びと共に青く輝く剣を振り下ろす。もろに喰らった人形が地面に沈むと同時に、男は腰のベルトから大型の銃を引き抜く。
 ドンッ、大きな振動と共に爆音が響く。人形の背中が大きくへこむ。
 男はすぐに次の弾を装填し――撃つ。
 だが、人形は奇怪な動きで体をずらし――しかし、左手の指がもげる。その反動で揚がった脚がそのまま男の顔を狙う。銃でなんとか直撃を防ぐが、吹っ飛ばされる。
 男を吹っ飛ばした人形は緩慢な動きでグレイに近づいてくる。前後左右に揺れながら近づいてくるそれは、まさに悪夢そのものだった。
 受身を取り、アウグストに弾を装填している男に叫ぶ。
「あんた、前に戦ったことあるんじゃないのかっ!? どうやって倒したんだよ、あんなもんっ!!」
「前に倒した方法はここでは使えん。どちらにしても、純粋な破壊力以外目立った弱点が無いのが、奴が悪夢たる由縁だ」
「弱点なのかよ……それは」
 嘆息混じりに呟く。
「それと……」
「それと!?」
「前は一人で戦ったから気づかなかったんだが、奴はもしかしたら二人の動きを同時には追えないのかも知れん」
「どういう――」
「伏せろっ!!」
 グレイは――自分でも信じられなかったが――声が聞こえた瞬間に伏せていた。
 ガシュ……、とリンゴでも潰れたかのような音ですぐ上の壁が抉りとられる。
「くそがっ!!」
 人形の胸――心臓の位置――に狙いを定めて、EPのトリガーを引く。伸びの無い、乾いた音が響く度に人形がのけぞり、あとずさるが、やはりダメージは期待できない。
 人形の蹴りを左腕でガードして――
「っ!?」
 そのまま壁に叩きつけられる。繰り出される右手を、上体を右に逸らしてなんとかかわす――すぐ左の壁が大きく抉られるのを知覚するのと人形の左手が迫っているのを知覚したのは、ほぼ同時だった。
(避けられねぇっ――)
 それでもなんとか右に倒れこもうとする。
「――っぁっ!!」
 人形の左手が左肩を打ち抜き、グレイは左肩から壁にめりこむ。
 彼が一瞬失った意識が回復した時に見たのは、消えかかった青い光だった――人形はアウグストの一撃によって吹っ飛ばされた。
「生きてるか?」
 グレイは、男の声で自分は生きていると認識し、声をしぼりだす。
「……なんとか」
 左肩を確認して、抉られていないことに気付くグレイ。
(抉り取れるのは右手だけなのか?)
「さっき左手の指がもげたせいだろう」
 グレイは、心を読まれたように思えて、はっとする。だがすぐに、自分がそう考えていることぐらいはわかることに気付く。落ち着いて、EPから空の弾を外す。
「……さっきのは?」
 ゆっくりと――奇怪な動きで――起き上がる人形を視界に捉えながら、グレイが途中だった先ほどの会話の先を促す。
「あぁ。……どうにも、こちらの攻撃が綺麗に当たり過ぎると思ってな。以前は、一撃当てるのさえ難しかったんだが」
「弱点らしい弱点だとは思うが……まともに効いてる攻撃があんたの銃だけな以上、事態は変わってないな」
 グレイは、ゆっくりと息を吐き出す。牽制のために――喋る時間が稼ぎたかった――EPで人形に向かって少し間を置きながら撃つ。
(本気で近づく気になりゃ一瞬だろうけどな……)
「つまり、俺があのくそったれの注意を惹きつけるから、あんたがその銃でなんとかあいつの右手を砕いてくれりゃいいわけだ」
「まぁ、現状ではそれが一番だろう」
 ――お前さんがあいつの注意をまともに惹いていられるなら、だが。男は、続けようと思った言葉を飲み込む。
「伏せろっ!」
 なんとなく感じるそれに迷うことなく、グレイは声をあげる。
 男もグレイの声に素早く反応し、地面に伏せる。
 二人の上を――大きく壁を抉りながら――通り越した人形は、十数メートル先の壁に突っ込み、ゆっくりと体勢を立て直す。幾度にもわたって必殺の一撃を避けられたその人形は、少し首をかしげているようにも見えた。
 人形に向かって走り出すグレイを眺めながら男は心の中で小さく呟く――死ぬなよ。
 グレイは、人形に向かってEPを撃つ。――なんとなく、そこに当てるのが一番吹っ飛ぶような気がして――胸を狙う。二発撃つと、ちょうど二歩あとずさる。人形が微かに頭を下げるのが見えたような気がして少し横に飛ぶ。
 瞬間――
 先ほどまでの位置を人形が猛スピードで突っ込んでいくのが視界の端に見えた。
 と、今度は人形が今度はこちらに向かって戻ってくる。
(なんだ……!?)
 背中から突っ込んでくる人形をなんとか避けようとするが、人形の脚がグレイの右腕に当たり、衝撃でEPを取り落とす。
 アウグストの一撃で吹っ飛んだのだが、グレイに当たったことを好機と見たのかもしれない。飛び起きた人形は三メートル程の距離から大きく跳び、そのままグレイの頭をめがけて脚を薙ぐ。
 グレイはEPを拾おうとしていた動作から――人形の動きに気付き――なんとか地面に伏せる――EPも拾えた。が、ふとすぐ真上に人形の体が蹴りを放ったままの体勢で自由落下を待っていることに気付く。
(死ぬっ!)
 ゴッ!
 今日何度目かも既にわからないその叫びは、青い光によって、なんとか一瞬の安堵にかわる。
「やはり右手をかばいながら動いているらしい。そう簡単には砕かせてくれんな」
 男の声にも少し焦燥が混じりはじめている――弾薬の残りが少ないのかもしれない。
 グレイは立ち上がり、まだ少し痺れている右腕を握ったり開いたりする。折れてはいないだろう、と思う。
「EPの威力についてあんたはどう思う?」
「ん?」
 ぽつり、と漏らしたグレイの言葉に男は――彼の想像よりは大きく――反応する。
「悪くないだろう。他のことにエネルギーを割いていない分、一発での純粋な貫通力は他の追随を許していない。勿論、私の銃のように一個の弾を一気に撃ち出すものに比べれば威力は劣るだろうが――」
「おかしくないか?」
 男の言葉の最後をかき消すようにグレイが言う。
「のけぞる、っていうのは殆ど貫通に威力がいかずに衝撃だけになってるってことだ」
「だからへこみもしないんだろう?」
 男はグレイが何を言いたいのか判りかねる様子で先を促す。
 グレイは人形の脚にEPを当てる。人形の脚は大きく後ろにあがり、人形は顔から地面に落ちる。
「普通に考えたら、あの木の体に貫通しないなんて筈はないんだ」
「だが、あれは普通のもんじゃないだろう?」
 男は、会話のかみあわないのを感じ――少しイライラしはじめていた。
「そこがおかしいんだ。いくらFoRCEと同じ時代に造られたからって、木は木だろ? 弾丸が当たれば砕ける」
 ようやく、男はグレイの言っていることの意味を理解する。
「要するに、何か衝撃吸収のための仕組みがあるんじゃないか、ってことだな?」
「と言うより、弾丸が当たってないんじゃないか、って」
「ん?」
 グレイは再び人形の脚にEPを当てる。先ほどと全く同じ結果。脚の吹っ飛び方を、目を細めて観察する。
「当たる前にあいつが吹っ飛んじゃってるって感じじゃないか?」
 グレイの言葉に男は、はっとする。
「つまり……破壊力を衝撃に変えて受ける仕組みがあるのか? だからさっき地面に沈んでいるあいつへの攻撃はあんなに効いたわけか」
「衝撃をうまく逃がせないから……」
「いい読みだと思う。ルーキーとは思えん洞察力だ」
 男は、目を細めながら二十年程前の戦いを思い出し、その考えが的を射ていると再確認する。
「なら話は簡単だ。私がアウグストで人形を壁に叩きつけるから、お前さんはこいつで右肩をぶち抜いてくれ」
 言いながら男は、腰に差していた大型の銃をグレイに渡す。



■ shoot

「散弾銃だ。弾を一つ丸々消費しちまうが、近距離で撃てば威力は申し分ない」
「CSだろ? 一応、知ってる」
「動かせるか? 協会の指針では、仕様難度はDだそうだ」
「やったことないからな」
 言いながらグレイは、銃身が40cmほどあろうかという銃を受け取る。黒と茶色の落ち着いた配色のその銃は、弾(カートリッジ)を一つ丸々打ち出すために、銃身の太さもEPの比では無い。グレイは少し意識を沈めて、排莢させようとする。
 ガコ……、という音とともに弾が押し出される。まだ使用していない弾薬が落ちかけ、グレイは慌ててつかむ。弾薬が床にあたる寸前だった――別に落ちたから爆発するとか、そういうわけではないのだが――それが幸いした。
 ゴシュ、とリンゴでも潰したかのような音とともに、グレイの頭の上を人形が猛スピードで突き抜けていった。
「…………」
「実際、たいした運の良さだ」
 男は感嘆の声をあげた。殆ど予備動作も無く襲ってくる人形の攻撃を見切るのは容易なことでは無い。
「一発で千切れるとは限らん。うまくリロードして胴体から右腕が離れるまで撃ち続けてくれっ!」
 男はそこで表情を少し緩めて、
「期待している」
「あ……あぁ」
(期待されたってな……)
 決して口には出さない呟き。グレイ自身、そうしなければ助からないのだから、選択の余地のないのはわかっている。
(うまくやるしか……ない!)
「来るっ!」
 なんとなく感じるそれを疑うこと無くグレイは声をあげる。男はその声を聞き、アウグストを高めに構えて、起動させる。
 アウグストを青い光が覆った、その瞬間――
 ドゴッ! という音とともに男が壁に叩きつけられる。
「このっ!」
 手にしたCSを目の前の人形に向け、トリガーを引く。
 カタ……、引き金を引いた音が響くが何も起こらない。
(……動かせないっ!?)
 そう思った瞬間、グレイの体も人形の蹴りで吹っ飛ばされていた。視界の端に人形がこちらに向かって飛ぼうとしているのが見える。
(動けっ!)
 グレイは再びCSを人形に向けトリガーを引く。
 ドンッ! 発射音とともに、目の前まで迫っていた人形がもろに銃弾を受けて後ろに飛ぶ。素早く排莢させ、次の弾を装填する。
「……良くやった」
 男は飛んできた人形をアウグストの一撃で壁に叩きつける。
「千切れろっ!」
 叫びとともにグレイは――無意識にCSの弾の収束率を上げ――人形の右肩に向け発射する。
 ドッ! という音と同時に人形の右肩がおおきくひしゃげる。そこに男が更にアウグストで切り込む。
 ブツンッ! 嫌な音を残して人形の右腕が宙を舞う。
「一気に決めるぞ! 胴体を撃ち抜けっ!」
 男の声に反応し、グレイはリロードし人形の胴体に向けてCSを撃ち続ける。
 ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
 四発撃ったところで、人形の胸に大きく風穴が開いた。
 排莢し、呆然と人形を眺める。
 カラッ……
 人形の体が揺れたと思った直後、糸の切れた操り人形のように地面に力なく崩れ落ちた。
 汗が吹き出る。手に力が入らなくなり、鼓動の音が今更のように強く響く。
「……良くやった」
 男が大きく息を吐きながらグレイに声をかける。
「……殺った……のか?」
「あぁ。良くやった」
 茫然自失としているグレイに声をかけながら、男は人形の残骸を調べる。残骸となった人形は、男がかつて破壊した人形に比べてあまりにも手ごたえのないものだった。
 我に返ったグレイが床に置きっぱなしだった七個のEPを拾いながら声を出す。
「第一級危険区域になったって言ってたが、何が起きたんだ?」
「ん? ……あぁ、お前さんたちの前にも協会から依頼されたハンドラーが居たのは知ってるな?」
「あぁ。俺たちは後発のメンバーだった」
 今回の依頼は、調査隊の救助と遺跡の調査。二週間ほど前から調査に入っていた調査隊からの連絡が途絶えたため、10人のハンドラーを2組に分け、5時間ずらして遺跡に入った。
 グレイはFoRCEの発掘目的に三度ほどこの遺跡に足を踏み入れていたが、初めて依頼を受けての探索となった今回は、遺跡の中は様変わりしていた。
 通常、ハンドラーは特別な事情が無い限り、付き合いのないハンドラーと一緒に仕事をすることはない。今回も遺跡に入った後、分岐の度に一緒に歩くメンバーは減っていった。
「いや、そうじゃない。調査隊の護衛として一緒に入っていたハンドラーだ。そいつは情報伝達用のFoRCEを扱う軍属のハンドラーで、最後の通信にこう残した――『なぜこんなところに恐怖が』」
「『恐怖』だって……っ!?」
 『人形』『恐怖』『天使』と言えばこの大陸では有名な三大怪異だ。
「人形も恐怖も、その存在は軍でも極秘事項だ。……まぁ、色々あってな。で、その『恐怖』をなんとかするために呼ばれたのが……この俺だ」
 グッ、と親指で自分を指しながら男が唇の端を上げる。いかにも自信がありげだが、容易な戦いで無いのは先ほどの戦いからも明らかだ。
「あんた、何者だ?」
「ん?」
 グレイの率直な質問に男は笑いをかみこらえながら――
「しがない退役軍人さ」
「名前は?」
 そこで男は少し迷ったあと、静かに答えた。
「トマスだ。トマス・ジャガー」


■ aim

「あと4個か……」
 ももに下げている弾(カートリッジ)の数を確認する。普通ならば引き返すことを考えなければならない。
「俺はまだ5ケースと2個残してる……お前さんは戻ってそのEPを届けるんだ」
「あんた一人でなんとかなるのか? おとぎ話じゃ『恐怖』は1欠片で街一つ吹っ飛ばす戦力だぜ?」
「まぁ、確かに人形に襲われたのは予定外ではあるが……。ま、なんとかするのが俺の仕事ってわけだ」
 トマスは自虐的な笑いを見せながら続ける。
「さ、お前さんは戻るんだ。迷っている暇も無い」
「戻らない。ついていく」
 グレイの答えに男は大きな溜め息をついて
「お前さんなんかじゃ足手まといだ、って言ってるんだ。なんとか生きてるが、さっきの戦闘でだって何回死にかけたかわかってるのかっ!?」
「俺は『恐怖』を仕留めるためにハンドラーになった。このチャンスは逃さない」
「なんだと?」
 グレイの言葉にトマスは眉を寄せる。
「俺の住んでいた街は『恐怖』に破壊された」
「その仇を討ちたいと?」
「その通りだ。たとえあんたでも邪魔はさせない」
「仇を討ちたいなら尚更だ。今のお前さんじゃ一瞬で殺されるのがオチだ。お前さんはまだまだこれから強くなれる。勝算の無い戦いはやめるんだ」
「『恐怖』に遭遇する機会はそう何度も無い。今を逃せば次はじじいになってるかも知れない」
 トマスは大きく溜め息をつく。
「言ってもわからんなら、実力で止めさせてもらう」
(お前さんはまだ死ぬには早い)
「こっちにしても同じだ。あんたを倒してでも『恐怖』をこの手で殺す」
 既にアウグストを構えているトマスに対し、グレイはEPをゆっくりと構える。
 なんとなくトマスが来るような気がして、しかしなんとなく感じるそれを疑うことなくグレイは大きく右に跳ぶ。
 ブンッ!
「――っ!?」
 後ろに回っての必殺の一撃を避けられたトマスは大きく動揺する。
 その隙を逃さず、グレイはEPを2発トマスに向けて撃ち込む。
 ガ、ガッ!
 だが、どちらの弾もトマスには当たらず遠くの壁に当たる音が響く。再び危ないような気がして伏せると、頭の上を青い光が通り過ぎる。
(なぜ避けられる……? 俺の動きが追えている筈はない)
 トマスは釈然としないものを感じながら腰を落として身構えているまだ若い青年の様子をうかがう。
「うあぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!」
 二人が次の行動に出ようとしたその瞬間、大きな悲鳴が遺跡内に響く。
 瞬間、グレイは悲鳴の方向へ走り出す。
「っ!? ……馬鹿がっ!」
 トマスも遅れて後を追う。
 2分ほど走ったところで、うつぶせに倒れこんでいる血まみれの死体を発見する。そして――
「人形……」
 その死体の側に静かに立っていたのは人形だった。
「何体いんだよっ!?」
 叫びとともにEPを四発撃つ。
 人形は全ての弾を簡単にかわし、グレイとの間合いを詰める。グレイは大きく後ろに跳び人形との距離を空けようとする。
 ゴシュッ! という音とともに大きな衝撃が左肩に走り、そのまま大きく吹っ飛ばされる。
「貴様っ!」
 追いついたトマスがアウグストで人形に襲い掛かるが、人形はゆらりとかわし、トマスに蹴りを入れる。
「――っ!!」
 大きく間合いをあけながらトマスは人形の様子を観察する。
(さっきのより動きがいい。簡単にはいかないな……)
 よく見ると、顔の向きが分かるように頭部の木に十字が彫られている。トマスは人形の行動を見極めながら、足に少し意識を集中させる。
 ゴッ! 一瞬で人形の上を取り、頭部にアウグストの一撃を加える。人形は地面にめりこんだが次の瞬間、空中にいるトマスに向けて蹴りを入れる。
 吹っ飛んだトマスより早い速度で間合いを詰めてきた人形が右腕をトマスに向けて振り下ろす。
(まずいっ!!)
 ゴシュッ! 大きな衝撃を伴う一撃が腹を直撃し、トマスは地面に叩きつけられる。
「――ぐっ!」
 人形が左腕を大きく上げ、トマスに向けて振り下ろそうとした瞬間――
 カタッ……
 グレイが吹っ飛んだ方向から聞こえた音に人形は過敏に反応し、そちらに向かって一気に間合いを詰める。
 ガゥン、ガゥン、ガゥン! 遠くで銃撃の音が響く。
(やれやれ……十数年で防具も進歩したもんだ。昔なら……死んでたな)
 男は、腹部に大きく穴の空いたプロテクタをさすりながら、ダメージの状態を探る。動けるな、と少しゆっくり目に起き上がり、人形の向かった方向を睨む。
(音がしたからたまたま向かっただけか……? どういう優先度で攻撃している?)
 人形の行動をよく考えながら、アウグストを拾い、人形の向かった先へ走る。
 ガゥン、ガゥン、ガゥン、カタン……
「うおぉぉぉおっ!」
 弾切れを起こしたグレイをかばうように、トマスは人形に向けてアウグストを振り下ろす。
 ひらり と簡単にかわし、人形はトマスに向かって蹴りを放つ。トマスはそれをかわし、人形の横に一瞬でまわり、ふたたびアウグストの一撃を見舞う。
 ガッ! 軽い音とともに、人形の腕が衝撃を受け後ろに流れる。
「砕けろっ!」
 更にトマスは人形の胸に向けてアウグストを突き立てる。
 ドッ! しかしアウグストの光は人形には届かず、人形は衝撃のみを受けて大きく後ろに飛ぶ。
「……ふぅーっ」
 アウグストをリロードしながら、トマスは息を整える。
「大丈夫か?」
「弾が切れた……」
「ほらっ」
 予想通りの返事をするグレイに向かって弾(カートリッジ)のケースを投げる。
「使え」
「いいのか?」
「迷ってる暇もない」
 トマスの視界の端にゆらゆらと近づいてくる人形が映る。
「――来るぞ」
 グレイは弾を装填しながら腰を低く構える。
 ドンッ! 大きな衝撃音がした瞬間、トマスは壁に叩きつけられる。そのまま人形はグレイに向けて右腕を振り下ろす。
 ガゥン! ガゥン!
 グレイの撃った弾の衝撃に人形は一瞬動きを止めるが、その直後――
「ぐあっ!?」
 グレイのすぐ左に一瞬にして移動した人形がグレイを右腕で突き飛ばす。激しい衝撃とともにグレイは行き止まりの壁に叩きつけられる。
「おぉぉ!」
 トマスが後ろから人形に斬りかかるが、簡単にかわされ横の壁に蹴りつけられる。
 カタ……
 人形は腰を付いているグレイの方へゆっくりと向き直り、大きく右腕を振りかぶる。
「避けろぉぉぉぉっ!」
 トマスの叫びが洞窟内に響き渡った。


■ emerge

「……なっ!?」
 トマスは驚きの声を漏らす。
 目の前には信じられない光景が広がっていた。

 ――残骸となった人形。

 そして――

「グレイ……」

『俺の住んでいた街は『恐怖』に破壊された』
 数分前のグレイの話を思い出す。そして――ようやく――理解する。

「お前さんがキャリアだったのか……」
 大きく変容を遂げたグレイの左腕を目を細めて見ながら、トマスは絞り出すように言う。
 グレイの左肩から先は、どす黒く太い筋繊維によって本来の10倍以上の太さに膨れ上がっており、表面には硬い外殻や爪のようなものが形成されつつある。筋繊維の間や表面を這うように走る血管が大きく脈打っている。
 変容のスピードに耐えられなかったのだろうか。ぼたぼたと黒い液体が腕からしたたり落ちて床に模様をつけていく。
「……う……ふぅ……」
 まだ安定しないのか、体に対して余りにも大きな左腕を床で支えながら体全体をビクビクと震えさせている。
「さて……何とかしてやるのが俺の仕事だな」
 大きく息を吐いたのち、自分に言い聞かせるようにトマスはつぶやく。

 『恐怖』は人に宿る怪異。五つある欠片のうち、目の前に見えているのは『左腕』。五つの欠片の中で最高の防御能力を持つ。軍では宿主のことをキャリアと呼び、常に探していた。
(ハリス……)
 十八年前の悪夢を思い出す。
(お前さんは――今度こそ――助けてやる)
 静かな決意とともにトマスはアウグストをしっかりと握り締めた。


■ dread

 FoRCEはその同調率に応じて利用の可否が決まる。
 その中にも段階があり、排莢が最も簡単である。たとえばEPだと
  1)排莢できる3%
  2)撃てる5%
  3)2連射できる10%
など、同調率が高まるに連れて、より本来の性能を引き出すことが出来るようになる。

 トマスの持つアウグストは通常1回の発動に2個の弾丸を消費するので、1個の弾(カートリッジ)で3回発動できる。

(まずは『左腕』の防御能力を確認する)
 トマスはアウグストを発動させグレイに――グレイの左腕に――斬りかかる。
 ガッ!
 手の甲の部分で防がれる――傷一つ付かない。
(やはりか)
 予想できた結果に――半分満足しながら――再び足に少し意識を向けアウグストを発動させる。
「おらっ!」
 一瞬でグレイの頭上に移動し、渾身の力を込めて斬り付けるがあっさりと防がれる。『左腕』に傷は付かない。
 カタン……
 まだ弾丸の2発残った弾(カートリッジ)を排莢し、新しい弾(カートリッジ)を装填する。
(そう何度も使えるわけじゃないが……)
 静かに集中力を高めアウグストに意志を伝える。
 カタ、……カタ、……カタカタ……
 装填されたカートリッジが回転を始める。
 カタカタカタ……キュイィィィーン……
 やがて、カートリッジの形が確認できないほど回転が速まる。
 「効いてくれよ……」
 つぶやきとともに、グレイを見据える。グレイの顔は黒い液体で溢れ、茫然自失としている。
「うおぉぉぉぉっ!!」
 叫びとともにアウグストを発動させる。黒と見間違えるような青い光――重い液体のようにも見える――が根元から徐々に刀身を覆い、細身の剣をかたどる。発動で手一杯だが、足になんとか意識を向ける。
 グレイの左側を一気に駆け抜けるとともにアウグストを薙ぐ。
 ピシャ……
 『左腕』から黒い血が溢れ出す。十数センチではあるが、左腕に切り傷が生まれた。
「いったか……」
 自分の最大の攻撃がなんとか通ったことに安堵を覚えると同時にリロードし、次の攻撃の準備を始める。
(今のうちにかたをつけなければ……)
 『恐怖』が安定していないから、まだ本能的な防御以外はほとんど動かずに痙攣しているだけで済んでいる。完全に発現してしまえば、傷をつける自信はなかった。
「ふぅーーーっ」
 呼吸を落ち着け、アウグストを発動させる。
 ぐら……
 実力以上の同調に目の前が意識を失いそうになるが、そんなことは言っていられない。
「待ってろよ……必ず助けてやる」

 ……

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
 呼吸が大きく乱れているのを感じながら、トマスはグレイを――正確には、グレイの左腕を――見つめる。
 切れることが確認出来てから重点的に狙っている左肩――『恐怖』と本来の体の境界部分――はもう一息で切り落とせそうにもみえる。だが、最初に腕につけた傷は既に治ってしまっている。もたもたはしていられない。
 ビクンッ! グレイの体がひときわ大きく痙攣した。
(まずいっ――)
 急いでアウグストを発動させ――
(あ……)
 しかし、カートリッジを回す感覚が生まれない。同時に意識の薄れるのを感じる。精神力を酷使し過ぎているのは明らかだった。
(あと一息なのに……限界なのかっ!?)
 胸に十八年前の悪夢が再びよぎる。
(ハリス……)
 ゴシャッ! 大きな音とともにトマスの右側の壁が大きく――まるで、クリームでもすくったかのように――抉られる。
 同時に『左腕』の肩の傷口から漆黒の体液が噴き出る。
(動き始めた……このままでは――)
 再びアウグストを握り締める。
(これが最後でもいい。動いてくれっ!)
 悲痛な思いでアウグストに精神を通わせる。
 カタ……キュイィィィーン……
 静かにカートリッジが回転を始める。
(よしっ!)
 『左腕』が大きく振りかぶられ、こちらに向かって突き出される。
 寸前のところで大きく左に避け、アウグストを発動させる。足に意識を向け、グレイの左肩に向け一気に跳ぶ。
 ゴウッ!
 『左腕』がトマスの方に薙ぐように向かってくる。
(避けられない――っ!)
 トマスが覚悟した瞬間――
 ピタ……
 『左腕』の動きが一瞬止まる。
「た……頼……む……」
 微かに――だが、確かに――グレイの口が動いたように見えた。
「おぉぉぉぉぉぉっ!!」
 ドシュッ!

 ……

 ゴト……ビクッ……ビクッ……

 『左腕』がグレイの肩から斬りおとされ、床に転がるが、まだ痙攣を続けている。
(いまだっ!)
 対『恐怖』用に開発された呪文の刻まれた小さな剣をかたどった封印具を切り落とされた『左腕』の肩の傷口に突き立てる。
 ビクビクッ! と大きく痙攣した後、『左腕』は動かなくなる。『左腕』の表面を剣から浮き出てきた特殊な呪文の描かれた透明の膜が包んでいく。

「グレイッ……!」
 倒れこんだグレイの元に駆け寄る。左肩からの出血が激しい。急いで肩を縛り、止血薬を傷口に塗りこむ。
「グレイッ! ……グレイッ! 起きるんだっ!」
 呼びかけるがグレイは目を覚まさない。
「くそっ……」
 トマスは、グレイをかつぎ、人の腕くらいのサイズになった『恐怖』を拾って遺跡を出るべく走り出した。

■ farewell

(……? ……まぶしい)
 目を開けるのがためらわれるが――しかしいつまでも開けないままでいるわけにもいかず――ゆっくりと目を開く。
「ここは……?」
 徐々に覚めてくる頭とともに、周囲の様子をうかがう。
 ベッド。真っ白なシーツ。白い壁、白い天井。
「……病院?」
 起き上がろうとして、バランスが取れずにベッドに崩れる。そこでようやく自分の体の変化に気付く。
(左腕が……ない)
 そこで彼は少し目を閉じて、思い出す。
「……そうか」
「起きたのか」
 不意に聞こえてきた声に、そちらを確認する。
 トマス・ジャガー。十八年前に戦死した筈の男だ。彼を題材にした本も何冊か出ていた。グレイ自身も一冊読んだ事がある。
「……あぁ」
 なんと答えたら良いかわからず、グレイはただうなずく。
「お前さんには一体なんて言ってやったらいいのかよくわからんが……、ま、気を落とすな」
 トマスのその言葉を最後に、しばらく病室を沈黙が包む。先に沈黙を破ったのはグレイの方だった。
「『恐怖』はどうなった?」
「うん……?」
 トマスは少し迷ったのち――本当のことを伝えることにする。
「実はまだ俺が持っている。対『恐怖』用に開発された封印具があってな。それを使って封じ込めてあるが、どこまで信頼できるのかわからん」
「これから……どうなる?」
「軍に戻って渡さなきゃならんだろう。それが今回の俺の仕事でもある」
「義理は無いんじゃないか?」
 目覚めたばかりとは思えないグレイの一言に、トマスは心の底から感心した。
「実際大した洞察力だ。そうだな、普通に考えればその通りなんだが、その見返りに昔の部下達の生活が約束されている」
「前に戦死したときも同じ様な条件を呑んだんじゃないのか?」
「まったくその通りだ。お前さんは大した男だ」
 くっくっ、と笑いながら――自嘲的な笑いにも見えた――トマスは答えた。
「ま、今回は部下達がその後どうなったかも聞けることになっている。その返事次第では身の振り方を考えなきゃならんな」
 そこで一呼吸置いて、
「さて、どうする? お前さんの大切な左腕を持っていこうとしている男が目の前にいる。勿論、一度軍に渡れば戻っては来ないだろう」
 トマスの問いにグレイは
「別にいいさ。あんたに斬ってもらったおかげで気分も変わった」
「そうか」
 トマスは部屋を出て行こうとして、振り返る。
「お前さんはこれからどうするんだ?」
「ん? まぁ、とりあえず――」
「とりあえず?」
「こいつを協会に渡しにいくさ。……俺の仕事なんだろ?」
 そういって遺跡内で拾ったもう持ち主のいないEPを親指で差す。
「ハッハッ、そうだな。そうだった」
「……死ぬなよ?」
「善処しよう」
 トマスは静かに病室を出て行った。
(……ありがとう)
 グレイは閉まった扉を眺めながら、涙の溢れてくるのを感じていた。



――四時間後。

 病室の前に全身をどす黒く変色させた男が立っていた。その虚ろな瞳は、ドアを――正確には、ドアの先を――見つめている。

 男は――静かに――グレイの眠る部屋のドアを開けた。


■ epilogue side -Gray

(やられるっ!!)
 自分は吹き飛ばされて尻餅をついたような格好だ。とてもではないが避けられない。
「避けろぉぉぉぉっ!」
 トマスの声がいやにゆっくりと聞こえていた。

<<体ヲ右ニヨジレ>>

 頭の中に確かに声が聞こえた。その声に従うように体を――ほんの少しではあったが――右によじる。次の瞬間――
 ゴッ!
 人形の手はグレイの体を傷つけることなく、グレイの――少し大きくなった――左腕に止められていた。
(腕が……勝手に?)
 ドクンッ――
 体の中で何かが脈打つのを感じる。
(なん……だ?)
 左腕の血の量が多くなっているような……なんとも言い表せない感覚の直後、腕の筋肉が意識とは無関係に蠢き始める。
 ビキ……ビキッ!
「あぁぁぁああぁぁっ!?」
 左肩から先が熱くなり激痛が走る。同時に皮膚が裂ける感覚、筋肉が弾ける感覚が襲ってくる。
「うあぁぁあぁぁぁぁっ!!?」
 激痛に叫んだと同時、腕が動いたような感覚を受け、前を見る。
 ゴト……ゴトゴト……
 グレイの左手に握りつぶされた人形がバラバラになり床に落ちていく。

 少しずつ、意識が……薄れていく。

「……なっ!?」
 トマスの驚く声が遠くに聞こえている。
「お前さんがキャ……た……」

「……う……ふぅ……」
 痛みは引いていたが、なんとも言えない違和感のようなものに苦しく息を吐く。

「……して……仕事……」
 外界の音が聞こえづらくなるのと同時、眠りに落ちたような感覚の中でグレイの思考はある一つの事実を認める。
(俺は……『恐怖』だったのか……?)
 そして、家族や友人たちの顔が浮かんだ。
(俺が……『恐怖』だったのか)
 トマスが『左腕』に対して攻撃しているのを視界の端に捉えながら――グレイは黒い涙が溢れてくるのを止めることが出来なかった。
 意識しなくても『左腕』が勝手に攻撃を防ぐ――意識してもおそらくその行動は止まらないだろう。
「効いてく……、うおぉぉぉぉっ!!」
 トマスが大きく吠えながらこちらに向かってくる。
 ザンッ!
 左腕の肘の先あたりに痛み――のようなもの――が走った。体液が流れ出ているようだ。だが、熱いだとか冷たいだとか――生温いだとか――そういう感覚は無い。
「待ってろよ……必ず助けてやる」
 トマスの声が――今度は、はっきりと――聞こえた。
 ザンッ! ドシュッ!
 トマスが続けて、肩口を斬りつけてくる。当然だが……傷は徐々に深くなる。
(動くな……動くんじゃない)
 グレイは、ともすれば今にもトマスを握りつぶしそうになる衝動を必至で抑える。
 『恐怖』は潜伏状態から完全な発現状態になるまでに通常1分を必要としないが、既に3分ほど経過しているにも関わらずまだ外殻などは出来ていない。
(こいつが――俺が――街を……っ!!)
 グレイは猛烈な吐き気をこらえながら、『左腕』の行動を抑止しようとしていた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
 肩口を五、六回斬りつけられただろうか、トマスは大きく疲労しているように見えた。
 ビクンッ!
 体がひときわ大きく痙攣する。内臓が押し出されるような吐き気をもよおす。
(まず――ッ)
 だが、制止しきれずに、『左腕』は動いてしまう。
 ゴシャッ!
 だが、どうにかトマスには届かず、横の壁を大きく抉るに留まる。
(――ッ!!?)
 反動で肩の傷口がやや拡がり、体液が噴き出す。
 視界の端にトマスが再びアウグストを起動させているのが見えた。
 不完全なままの『左腕』はもはやグレイの言う事を聞かなくなっていた。トマスに向けて大きく腕を突き出す。
 スッ……と、トマスは寸前で避ける。だが、その動きを予想していたかのように『左腕』はトマスが避けた方向に大きく薙ぎ払う。
(――動くなっ!)
 グレイの最後の意識はかろうじて『左腕』の行動を一瞬止める。
「た……頼……む……」
 なんとか口を動かし――声になっていたかどうかはわからない――意識が暗い闇の底に沈んでいくのをただ享受した。
「……ぉぉぉ……」

 ……

 ゴト

 ……

「グレイ……、グレイ……」

 沈みきった筈の意識の端に、自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。


■ epilogue side –Thomas

「信じられない、って顔をしているな」
 トマスは顔が若干にやつくのを抑えることが出来なかった。
 目の前にいるのは、マイケル・ライザー中将。その顔は蒼白そのものだ。もともと小さな身長が更に小さく見える。
「いや、私は君の力を信じていた」
 空々しい言葉に続ける――
「そうでなかったとしても、軍としてはこちらが最も理想的なルートであることは間違いない」
 もっとも、中将個人としてはトマスが遺跡から戻ってこない方が都合は良かったのだが。
「どちらに転んでも得をする賭けなんていうのは、賭けとは言えんな。さて――、まずは部下達の現在の情報を貰おう」
「……勿論、用意してある――受け取りたまえ」
 20枚ほどの資料をトマスに差し出す。
 トマスは、パラパラと紙をめくりながら……『ハリス』の名前を探す。
 ハリス――十八年前に『瞳』のキャリアであることが発覚し、その体ごと封印されたトマスの部下。
「さて、回収した『恐怖』を渡してもらおう」
「部下の確認が先だ」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない。確かに君の幽閉されている間技術は進歩したが、あの封印も完璧ではないのだ。意地を張っていないでさっさと渡すんだ」
「意地を張っているのはお前さんの方だろう? ……っ!!?」

   ハリス少尉 …… 新暦60年(十五年前)殉職。
            死亡理由 : 心臓発作

「ハリス……、貴様……っ!!」
 トマスは一瞬でマイケルに近付き、胸ぐらをつかみ上げる。マイケルは気付かれたか、とでも言うかのように――だが気付かれないわけがないのは彼もよくわかっていた――大きく息を吐き、トマスを真っ直ぐ見据える。
「ハリス中尉は、封印具によってその行動の殆どを制限されたまま、牢の中で突然死んでいた。原因は一切不明だ。『恐怖』の影響である、と考えている」
 トマスは全身の血が沸騰するような感覚に襲われていた。今にも目の前の男を殺しそうになるのを必死でこらえる。
(ハリス……)
「……他の16人は生きている。まだ軍に残っているものもいるし、直後に辞めたものもいる。今は監視もつけていない」
 トマスはゆっくりとマイケルを離し、一歩下がって呼吸を落ち着ける。
「……受け取れ」
 トマスは必死に感情を押し殺しながら、『左腕』を右手で握り締め、マイケルに突き出す。
「うむ。エルンスト少佐! 来てくれ!」
 マイケルは外で待機していた男に声をかける。呼ばれた短い金髪の男は軍人独特のきびきびとした動きで部屋に入ってくる。
(秘書……ではないな。戦闘員か)
「自分で受け取らないのか?」
 トマスの言葉にマイケルは、はっとしたような顔をしたのち、平静を装って答える。
「それは出来ん」
 気付くと、部屋の外に十数人の気配を感じる。
(逃がさない……ってわけか?)
 やれやれ、と少し頬が引きつったのかも知れない。
「いや、そうではない。『恐怖』の取り扱いに備えているだけだ。万一、暴走されては適わないからな」
 マイケルはこちらの意図を汲んで口を挟む。
(そう、そこだよ。お前さんを覚えていた理由。お前さんは相手が何を考えているか、本当によく気付く。相手が最も好む方法か最も好まない方法で取引や交渉を持ちかけることに関しては昔から天才的だった)
 トマスは心を落ち着けて、エルンストと呼ばれた男に『左腕』を渡す。
 トク……
 渡した瞬間、少し『左腕』が脈動したような気がした。
「そうか。この基地にいる部下もいるようだ。顔を見てからおいとまするとしよう。報酬は私と部下達の口座に等分して振り分けておくように。ハリスの家族にも忘れるんじゃあない」
「待つんだ」
「……なんだ?」
 トマスの発する雰囲気にあてられて、一瞬で部屋の中に緊張が張り詰める。入り口の3人が慌てて身構える。
「これを持って行きたまえ」
 そう言ってトマスにカードを投げ渡す。
「君は今、形式上は軍の関係者では無い。そのまま行っても途中で止められるだろう」
「……ありがたく受け取っておこう」
 トマスが緊張を解くと同時に、室内の緊張も霧散する。
 そのままゆっくりと部屋を出て行った。

「……行かせてよろしいのですか?」
 トマスが部屋を出たのち、エルンストが声を発する。
「本来ならば良くは無いが、仕方あるまい。……どのみち、この戦力では返り討ちだ」
 ――どちらにしても、奴のことは後。大きく息を吐きながらマイケルは吐き捨てるように言う。
「……私にとってはその『左腕』より奴の方が脅威だ――ん?」
「あ……あ……」
「どうし……た……」
 だが聞くまでもなく判っていた。封印をした上からでも『恐怖』に触れると突然死するものがいる。十八年前、ハリスが封印されたときも、搬送途中に20名もの死者を出した。ちなみにこれはトマスには聞かされていない事実のうちの一つである。
 この経験から、封印された『恐怖』に触ることの出来る特性を研究し、十数個の項目を考慮したうえで受け取り役として選ばれたのがエルンストだった。
「あぁぁ……」
 エルンストの口から悲鳴ともつかない声が漏れ出る。
 だが、十八年前のそれとは若干様子が異なっていた。かつてのそれは触った部分から大型の肉食獣に喰われていくかのように体が削られていったが、今回はどこにも外傷は見当たらない。
「お……あぁ……あ……」
「エルンスト少佐っ! しっかりしろっ! おい、お前らっ! 緊急事態だ。応援を要請しろ。いるだけ集めるんだっ!」
「はっ!」
 廊下にいた中の二人が走っていく。
 気付くとエルンストの手に握られていた筈の『左腕』は無くなっていた。
「まさか……」
 エルンストの全身は黒く染まり随所に血管が浮き出ている。膨らんだ体のせいで若干猫背気味になった彼の目は光を宿していない。
 バリンッ! 大きな足音と共にエルンストは窓から飛び出す。
「追えっ! なんとしてでも捕まえるんだっ!」
 マイケルは声を荒げて指示を出す。

「……なんということだ」


2005/12/28(Wed)14:52:07 公開 / 小杉誠一郎
http://skosugi.fc2web.com/
■この作品の著作権は小杉誠一郎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
独自の世界観に基づいて書いていますが、それだけに説明不足な点が多くなっているのではないか、と感じています。
ここがわかりにくい、把握できない、意味が分からないなどの指摘もいただけると助かります。

この話自体は、ここで完結になります。
消化不良な感じがあるでしょうか?

/*--- 更新履歴 ---*/
2005/12/23(木)
誤字を修正しました。
京雅さんのご指摘を受けて、数箇所容姿などの説明を足しました。

2005/12/28(水)
状況の描写などを何点か書き足しました。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。