『夜の住人〜一話〜』 ... ジャンル:SF アクション
作者:神坂鬼一                

     あらすじ・作品紹介
うしろの行燈には、昨日の自分。前の行燈には、別の自分。その次の行燈に居るのは、誰其彼……誰其彼

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 プロローグ『隔離都市』


 私はあの日、友達と一緒に学校から帰る途中だった。いつもの様に女友達と喋りながら歩き、時々クラスメートの男子が寄ってきて、話に混ざってきたり、サッカーボールを追いかけながら走り去っていったりと、相変わらず退屈で平和な日の終わりだったのだ。
 だが、それが一瞬にして目の前から崩れていった。私が自動販売機でオレンジジュースを買おうと友達の列から離れた時、私の背中に熱いとも冷たいとも思えないような風が通り過ぎて、次いで地鳴りのような音が耳に響いた。
 私は思わず目を閉じ、耳を手で覆い、膝を地面に落とす。ようやく、地鳴りが鳴り終り、私が目をあける頃には、そこに地獄のような光景が広がっていた。私が立っていた店の向こう側が溶けた様に無くなっていて、その真ん中には綺麗に、右半分だけが溶けている男店主と、隣には死んでいるはずなのに何時間も煮込まれていたかのように、ドロドロに溶けて目だけが動いている人間だったモノが在った。
 私は友達が歩いていった方向に首を向け、その光景を目に焼き付ける。死んでいないのに生きてもいない。目を動かせるが見えていない。人だったのに形が無い。そこに退屈な日常などありはしなかった。
 
ラジオをつけてみると、一応電波は通じているらしく、途切れ途切れの情報が耳に入ってきた。どうやら、戦争の巻き添えを食らったらしい。アメリカが他の国に力を見せ付ける為、兵器を日本に落としたのだろう。続いて、男の声が聞こえてくる。こちらは被害情報を伝えている。まるで他人事のような口ぶりで淡々と……。
 そして、後にこんなふうな言葉が付け加えられていた。被害を受けた都市を隔離し、住人はそこから出ることを禁じ、中に入るための電車一本を残し全てを止める。
 その時、初めて私たちが飼育箱の中に詰め込まれた、動物のような扱いになったことを知った。無論、アメリカからの謝罪など一切無く、一部の人間は気が狂ったかのように、残った家族を襲ったり、気が触れたようにケラケラと笑っていた。
 例えるなら、それは生き地獄。人を例えるなら、それは飢えに飢えた獣。
 
 後から調べてみた所、東京の真ん中を除いてドーナツ状に被害を受けていた事がわかった。境目がグラデーションのようになっており、良く見ると壊れている場所、溶けた場所、半壊している場所、と分かれていた。しかも、壊れていると言っても、まるでプリンをスプーンで崩したかのような壊れ方だった。
 勿論、周辺の県も被害は受けたようだが、こちらとは違い地震で倒壊したような状況だった為、完全復興は時間の問題であろう。
 だが、東京はまるで違っていた。焼け野原と言うでもなく、建物や人それから動物。まるでカレーの具材にでもなったかのように、ドロドロと流れ、あるものは不敗臭を発し、あるものは奇声を上げ、殺してくれと近くに居る者に懇願している。
 精神が安定していた者も、それを見て発狂していった。
 再びラジオから『生き残り、放射能を受けてしまったモノを駆除するため、殲滅部隊を派遣する。一人殺せば五万円、十人殺せば百万円』まるで狩りを楽しむ猟師の様に、アナウンサーは楽しそうに言った。きっと、周りの人間は一人も聞こえていないだろう。
 今、生きている事が出来ても、明日になったら殺される。それを知っているのは、私一人だけ。
 それなのに、私は涙も出なかったし、気が狂うこともなかった。私の頭は理解していたのだろう。この日が来る事を確かに理解していた。そして私は銃を取り、狂った街中を住み慣れた街のコンクリの上を歩き始めた。ずっと、幼い頃から聞かされていた、あの唄に沿いながら。

 
 私は頬に当る冷たい感覚で目を覚ました。
 まったく、この街は何故こうも変わらずにいられるのだろう。普通、もっと落ち込んだりしても良いだろうに。よく、こんなつまらない日常を繰り返せるものだ。
 全員そんな事を陰で言っているだろう。
 そう愚痴を零しても、結局は皆『つまらない世界』に入り浸って生活している。何せ、未だに学校や図書館は通常通りに通わされているのだから、人間の無駄なほどに大きな生命力はゴキブリ並と言っても良いくらいだ。 
 こんな事を考えている私も、その世界の中の一人なのだから、まったく呆れてしまう。
 ソレでも私はマシな方だろう。他人、友達、両親とさえ深く付き合う事は無かったのだから、誰かが死んでしまって他の人と関係がギクシャクしたり、心が病んだりする事も無かった。そう考えれば、私は『面白い世界』に足を踏み入れている事になるだろう。とは言え
 私はコンクリートに寝転がり、街に残っている数少ないネオンに目を向ける。なんて、空っぽな空間だろうか。人も居なければ車も通らない、住んでいると言えばゴキブリと野生化したペットぐらいである。そんな所で住んでいる人間たちなんて、碌なものではない。
「お、不良の逆引き篭もり少女は今日もゲーセンで寝泊りか? そんな格好で寝てると悪い男に攫われちまうぞ」
 せっかく、闇に落ちていた意識が引き上げられ、私は声の主の方に向かって、出来るだけ不機嫌そうな顔で睨みつけながら、その顔を見ようと身体を起こす。と、同時に今まで地面に付いていた、ウザったいほどに伸びている私の赤い髪が顔に掛かった。赤と言っても染め損なった部分が所々にあるため、お世辞にも綺麗とは言われないだろう。
「なんだ、シロか。今日が家賃の支払日なんだ。今帰ったら、アンタの耳についてる穴より大きいのを付けられる。」
 乱雑に切られ、ボサボサになった茶髪、両耳にピアス、そして何より夏だと言うのに暑苦しいほどに着込んだコート。それはまさしく、私の唯一といって良い『真っ当な旧友』であり、私の天敵である、白羽キョウ。それに間違いなかった。
だが、何故か向こうは嫌な顔をしながら、私の顔を睨んでいる。
「その名前は止めろって言わなかったかミケ?」
「じゃあ、貴方も名前で呼ぶのを止めてくれない? 随分前にも、苗字で読んで欲しいって、言ったんだけど」
 葉月己家、自他ともに認める引き篭もりで中学を2年で中退、アパートに帰らず、様々な事をしながら自給自足の生活を続けている不良少女。仲良くなかった母親と姉は戦争で死に、父親は東北の方へ行ったきり、家には帰ってこない。
 コレが、戦争が終わってからの私に足跡だ。随分変わっていると言われるが、目の前の茶髪男ほどではない。何せコイツは、酔っている時は女好きで酒も浴びるように飲むくせに、素面の時は女性恐怖症で、酒の匂いを嗅ぐだけでも、ほろ酔いしてしまう体質である。
 これだけ変な奴は他に見た事がない……と言っても、今はこいつしか真っ当な知り合いが居ないから、比べようが無いのだけれど。
 ついでに言っておくと、コイツは高校に通っている。不良のような格好をしているが、テストの成績は毎回の様に10位以内をキープしている為、髪の色を元に戻しピアスさえ取れば、いい大学から推薦が来る。と言われているらしい。それでも本人にやる気が無いのつまり、宝の持ち腐れというやつだ。
「まだ、対人恐怖症は治ってねぇのか? 数少ない友達の一人なんだから、名前で呼ばせてくれよ」
 そう言って、シロは悪戯っぽい笑みを浮かべたまま顔を近づけてきた。
「酒臭い」
 その言葉と同時に、シロの顔面に私の拳が入り、彼は仰け反るようにして道路側に倒れてしまった。そう言えば、こいつ喧嘩には滅法弱いと評判だった。この前は中学生の3人組に囲まれてオロオロしてたのを見た事がある。まぁ、放って置いた私も私だけど。
 それにしても、此処で倒れているコイツをどうしようか。いや、考える間もなく結論は出ているのだけれど。
「放って置いても死なないかな。バカは風邪ひかないってね」
 結局、そのあとホームレスの人やら野次馬が来て、シロを担いで何処かへ連れて行った。
 今は、公務員である警察は全く動きもせず、女で遊び、挙句の果てには麻薬売買にも携わっていたりする。変わりに、ホームレスの人間や家と家族を無くした人達がボランティアのように集まり、無料で犯罪者を伸している。とは言え、被害者から礼金を貰い、その上で犯人から金品を剥ぐ事ができる。
ある意味、一番美味しい仕事と言っても過言では無い。ちなみに、私はホームレス達とは仲が良い。戦争後からの付き合いの者も居るし、クラスメートの子も混じっている。
そういえば、さっきから妙に視線を感じる。ああ、濡鼠みたいな格好だからか。いや、それにしても、これは見られすぎている気がする……な。
「っ……付けるの忘れてる」
 この雨、早く止んでくれないかな。

 さて、目も覚めてしまったコトだし、久々に放ったらかしにしている家へ帰るのも良いだろう。勿論、濡れた服の上から布を巻いておいた。
 滞納している家賃は、まぁ何とかなるだろう。
……ああ、そう言えば郵便受けもそのままだったんだな。今頃は新聞やハガキが溢れている事だろう。

 
 歩く事、十分。コンクリで覆われた、いたって普通のアパートに辿り着いた。雨は既に落ち着き、先ほどと打って変わって、さんさんと太陽が照っている。周りを囲んでいる庭と思しき箇所には、雑草が生い茂り、陽のあたらない場所には、キノコや苔も生えている。そんな風景を尻目に、私は非常階段を重い足取りで上っていく。
 全く、私以外に住人なんていないのに、なんで最上階まで上らなければならないのだろう。そう愚痴りながらも、私の部屋の前に辿り着いた。
案の定、郵便受けは新聞とハガキで溢れかえっていた。それに付け加え、固形化しかかっている牛乳、カビの生えたパンまでもが入っている。しまったな、これは想定の範囲外だ。とりあえず、手で触れないものはゴム手袋をはめながら、ビニール袋に放り込んでいく。途中、私に宛てられた手紙が何枚も見つかったが、殆どが私を中傷するような手紙だった。

「三十六枚。よくこんなにも書いたものね」
 結局、中傷の手紙は同じ住所のものが三十枚と別の手紙が六枚。あと、白紙のをあわせると四十八枚。しかも三十枚の手紙は、全て切手が張っていない。ホントにご苦労なことだ。マシな手紙は四通ほど。しかも、電気の供給取り止めを知らせるものだった。まったく、今日は嫌な事ばかりが続く。
そういえば、この郵便受けの収容量に際限は無いのか? 前は五十枚くらい入ってたコトがあったぞ。
「ん、まだ一通余ってたか」
 差出人不明、住所も無し、切手は貼られており、宛名だけは書かれている。そして裏には緑色のインクで、近くの公園の名前が書かれている。あぁ、どうやらコレがトドメのようだ。

 私には一応定職がある。筑三十年の五階建てアパートを事務所にしながら、まともでない仕事をしているのだが、最近では滅法少なくなった。
「此処のアパートを貰いたいのだが、幾ら程出せば宜しいかな」
 声をしたほうを振り向くと、そこにはサラリーマン風の髪をきっちり整えた男が、スーツケースを持ったまま額の汗を拭きながらポツリと立っていた。見た目普通だが、明らかに持っている物が場違いすぎる。第一、此処の住人が建物を変える事などない。こいつは「私と同じ側」の人間だ。
 
 ああ、見ない振りをしたかったのだけれど、どうやらダメらしい。仕方が無い、面倒臭いが仕事をしないと、こっちも生計が立たない
「生憎、お金は欲しいのだけど、住む所がなくなると困るの」
 私は渋い顔をしながら無感情に、そう言い放った。男の方から臭ってくる整髪料の独特の匂いが鼻につく。
「新参者なら覚えといたほうが良いわよ。ここじゃ、決まった人間と時間にしか銃口を向けてはいけないっていう規則があるの。わかった? こんな、ボロアパートよりダンボールの中で暮らした方が断然、金は儲かると思いますよ。なんなら、良いダンボール建築士でも紹介しましょうか」
 向こうは最初から聞くつもりも無いのだろう。すでに懐から拳銃をちらつかせている。
 正直、呆れた。脅している暇があれば、スーツ越しから撃ちこめば良いのに。そうすれば、素人なら簡単に仕留めれただろう。もし相手が玄人だとしても、充分な威嚇になった筈だ。
 それでも、男は笑みを崩さずに此方へ一歩ずつ近づいてくる。
「大人の言う事を聞かないとダメですよ」
 
 最後の方は聞き取れなかった。
私の体が後ろへと跳んだ瞬間、耳を覆いたくなるような轟音が人気の無いアパート街に響き渡る。
 男が持っていたのはイタリア製のサブマシンガンSMG821……名前と格好だけは知っていたが、実物は見た事がない。随分前に生産が止まった筈だが、まだ在るとは思わなかった。
 だが、撃ち込めば言いという物でもない。銃と言うのは当らなければ、子供達のエアガンの撃ち合いと何ら変わらないし、反動も大きい。
 結果、私への被害はゼロだった。勿論、事前に反応しきれたと言う事もあるが、向こうの腕が悪かったのが大半の理由だろう。ただでさえ命中性の無い銃を撃っていると言うのに、完全に腕がブレていたし、撃ち終わった後も装填の仕方がまるで素人だった。
「おう、客人がいるみたいだな。やんちゃ娘」
 不意に後から声を掛けられる。良く見知った、いや覚えざるを得ない顔があった。
 長く癖毛の多い髪を色付きの輪ゴムで括り、無精ひげを生やしている。どう見ても変質者染みた格好で、普通の子供なら見るだけで逃げ出しているだろう。
「うるさい。私は呼んでないし、コンティーニュー無しのシューティングゲームなんてやりたくないわよ」
「ああ、ちなみに一発撃ったら三万円だからな」
「アンタ、それでも市民を守る警察官?」
「ホームレスだよ……お?」
 会話は途切れ、男の手が握っているサブマシンガンが再び無数の鉛玉を吐き出す。
 今回は流石に不意をつかれたが、肩と膝に一発ずつ掠っただけに終わった。とは言え、やはり痛いものは痛いし、生身なのだから血は出る。私は痛みに耐えながら、充分に立てになりそうな壁まで逃げ込み。体に巻いていたタオルで、二つの傷口を止血する。
「おい。なんで俺まで巻き添え喰らわにゃいかんのだ? 今はライターと御守りしかもってないんだが」
 気だるそうな声が横から聞こえる。
「なら発砲許可をもらえませんか、保安官さん?」
 すぐに身体を離して、代わりに後の部屋のドアに身体を預けた。
「だぁから、ホームレスだよ。んー二万円」
「分かった五千円ね」
「……おい」
 
 私は、横から聞こえる憎らしい声を無視し、背中を預けていた部屋の扉を開けて、中に入った。生活観の無い、空っぽの箱のような部屋にドアの閉まる音だけが響き、窓から入って来る陽の光だけがぼんやりと顔に掛かる。窓のカーテンを閉め、光を完全に遮断し、少し乱れていた呼吸と衣服を整える。
 ゆっくりと足音が近づき、そして止まる。
 おそらく、ドア越しに撃つ事はしないだろう。向こうは真正面から撃ってくる事はあっても、逃げた獲物を追ってくる血気盛んなタイプじゃない。
 そして、それが良い判断か悪い判断かと言えば、どちらでもない。 
 
 ドア越しに無闇やたらと銃弾を撃ち込むか? そうすれば一発は私に当るだろう。だが、ドアに設置型の爆弾が仕掛けられていれば、一発目で自分の上半身がはじけ飛ぶだろう
ドアを開けて手榴弾を投げてくるか? それなら、安全に私を殺すことが出来るだろう。だが、空けた瞬間に銃口が向けられているかもしれない。
 ドアの前で立ち止まって、出方を伺うか? 窓から逃げられるだろう。
 
 なら一番、良い方法は何か。
「……火薬臭いねぇ」
「全く、こちらの経済状況を考えて欲しいわね。一部屋吹き飛ばされるだけで、何十万払わなきゃいけないのか。頭が痛くなるわ」
「はは。こっちは耳が痛いよ」
 こちらの会話が、終わるか終わらないかという微妙な折に、目の前を黒い板が通り過ぎ、続いて破裂音が聞こえた。
 どうやら、さっきの板は吹き飛ばされたドアの一部らしい。部屋ごと飛ばされはしなかったものの、焦げ臭い臭いが部屋に充満している。
 私の隣で突っ立っていた「自称ホームレス」が両手を挙げて呆然としていた。
 部屋の片隅に無造作に置いてある棚の上から、おもちゃコーナーに置いてある様なモデルガンをひとつ手に取った。
「これから、うるさくなるわよ。その手、耳に当てときなさい」
 別におもちゃで威嚇しようとは思わない。
 私は、モデルガンの銃口を玄関の人影に向ける。
まだ撃ってこないのは、思ったよりも音が出てしまい、動揺しているのだろうか。いや、武器を持ち替えている。サブマシンガンより威力が高い重火器か、それとも拳銃か。
どちらにせよ、警戒するに越した事は無い。
「なあ、降参しようよ。ねぇ?」
 後から、また情け無い声が漏れる。
「今、どうやって逃げようか考えてるから、黙って」
 向こうも、先ほどの一撃で手札が無くなったのか、そこから動く様子は無い。B級ドラマのように先に動いたほうが負け、なんてことは無い。
 もし、こちらが握っている物がモデルガンだと分かれば、向こうは撃ってくるだろうし、分からなければ、銃を下ろしてくれるか……まあ、撃ってくるだろう。
 そう考えると、向こうの方が何倍も動き易い。未だに撃ってこないのは後ろに居る、アイツのおかげである。
 膠着した状態が二分程たった時、意外にも私の後で竦んでいた「自称ホームレス」の手から、丸い輪のような物が投げられ、地面で破裂した。俗に言う、ネズミ花火である。
 茶地なものであったが、意外にも男は驚いた様子で、充分な隙がで来た。
「ナイス。そっちの引き出しから、何でも良いから銃とっ……て」
「逃げるぞ。昼間からドンパチなんて、やなこった」
 「自称ホームレス」が私の片腕を引っ張り、窓へと走る。
「バカ。背向けてどうするの!」
 叫んだと同時に、カーテンが開けられ再び眩しい光が部屋に差し込む。それを合図とばかりに、再び銃弾が飛び交う。とは言え、こちらは一発も撃てずに逃げているのだから、一方的に打ち込まれていると言ったほうが良いだろう。
 だが、奇跡的にも致命傷になるような場所に、弾が当らなかったのが不幸中の幸いだろう。ただ、肩と足のキズより十倍痛かったが。
 私は窓を開け放ち、枠に足をかけた。
「あ、れ? ここ高くない?」
「当たり前でしょ。五階なんだから」
 溜息も吐けぬまま、横で膝を震わせている荷物を手に取り、思ったより近く見える地面へと飛び降りる。顔にぶつかる風がやけに気持ちいい。
 最初は抵抗していた荷物も、今では借りてきた猫のように大人しくなっている。
 そう考えている間にも、私たちと地面との距離は縮んでいた。そろそろ、頃合だろうか。
 私は身体を捻り、出来るだけ衝撃を和らげられるよう、仰向けの状態から直立の状態へ体勢を変える。途中、背の関節が軋んだが、気にしない。
 程なくして、片足が地面に接し、大人二人分の体重と重力分の重さが足に加わる。
 だが、痛みはまるで無い。
「葉月。塀から落っこちて、真っ二つに割れたのはなんだったけか?」
「卵でしょ」
「俺は長い間生きてきたが、五階から落ちて、割れなかった卵なんか見たことねぇ」
「ゆで卵ならカラしか割れない」
 なるほど。と言ったか、言わなかったは聞き取れなかったが、私は隣に置いてあったバイクにカギを差し込み、エンジンをかける。
 この街で、無免許運転は日常茶飯事だし、免許センターなんてものは、あるはずも無い。
 これも、自分がゴミ捨て場から拾ってきたものだから、どう使おうと自由だ。別にこれで逃げ切れるのだから、念には念を入れたい。私はモデルガンの銃口を部屋に向け、引き金を引いた。
 出てきたのは、BB弾でも煙でもない。ただ無機質なカチッと言う音だけ。だが、それと同時に、今まで銃弾が飛び交った部屋が一瞬にして焼け飛んだ。ただ、それだけの事。
「どうせ、あそこは使う機会も無かったんだし、良いでしょ?」
「爆薬一箱につき、一万円」
 さっきまで震えていたと言うのに、この立ち直りの速さは何だろう。
「助けてあげたんだから。千円で良いでしょ」
 そう何度も金を払わなければいけないとなると、コッチの生活にも以上が出てくる。
 生憎、缶詰数個で細々と食い繋いでいく生活なんて、考えただけでも嫌になる。
「こっちは、女房とガキが家でニコニコして待ってんだよ」
「遺影の中で?」
「おう。お供えものは、ステーキか刺身かホールケーキかなにが言いと思う?」
 先ほど、出せなかった分の溜息と混ぜて、深く息を吐き出す。
 この男ならやりかねない。以前、コイツの身内が収まっている墓の前を通った時は、確か特上の寿司ネタが置かれていた気がする。しかも半分腐っていた。
 多分、死人をここまで大事に扱うのは、コイツか死に際が迫っている爺さん位だろう。
「とりあえず、私はステーキなんて高級品は食べた事無いわ」
「はは。どうりで胸が無い筈だ」
 私は急ブレーキを掛け、後に乗ってバカ笑いしている荷物を地面に捨てる。そして公園に向かい、傷だらけのバイクを走らせた。


 
第一話『矛盾の雨』

 
 ずっと昔から聞いていた。とても綺麗な、あの音を。
 一瞬しか聞こえない。ゆったりとした、あの音を。
 私はずっと聞いていた。生きているモノが止まる音を。それは、ちょっとした他人からの悪戯。それは、ちょっとした人間の贖罪の形。
 私たちは混ざっていった。身体じゃない、すべてが混ざっていた。
 そして、私は選ばれる。小さな小さな人形の一部。そんな、雨上がりの日暮れ。


 
閑散としている公園。数年前なら、幼児を背負った主婦や遊具で遊ぶ小学生の姿もあったのだろう。きっと、楽しげな声が聞こえたり、口喧嘩をしたりして泣いている子供もいた筈である。
 それは騒がしく、耳に痛かったかもしれない。時に殴ってやりたいと、思う時もあったかもしれない。だが、今はそれが懐かしく思えてならない。
 私は空想の世界から、現実へと意識を戻した。まるで、キノコが繁殖しているかのように横スレスレで建てられたダンボールハウス。所謂、ホームレスの寝床であるのだが、ホームレスと言っても、リストラされた人間や中年の男ばかりでは無い。むしろ、戦火により帰る家を無くした子供や、目の前で友達が溶けていくのを目の当たりにし、塞ぎこんでしまった中高生も此処に居る。
 だが、今は構っている暇は無い。随分と遅くなってしまったであろうが、余程大切な仕事なら一ヶ月くらいは、待ち惚けをしている奴もいるだろう。数日で帰って行く奴なら、そんなに急用でもないし、金も持っていない。
 これで、生計を成り立てている私は随分いい加減だと思う。
「あ、姉ちゃん。こんなトコに来るなんて、珍しいね」
 下の方から、声変わりのしていない、未成熟な声が聞こえた。私は半歩ほど下がり、じっと見つめてくる、その小さな双瞼から目を逸らす。
「倉谷さん、痣だらけで帰ってきたよ。あれ、お姉ちゃんの仕業っしょ?」
「まあ、ほんの小さな事故よ。ところで、この辺で外部の人間見なかった? 福朗(ふくろう)くん」
 美袋 福朗(みなぎ ふくろう)。小学生の時に六ヶ国大戦の戦火に巻き込まれ、肉親を無くした上に実家が無くなってしまった為、ホームレスをしている。ただ、街の裏道や地下水道の構造などを把握している為、犯罪の取締りには一役買っている。
 本人曰く「好奇心旺盛な悪戯っ子の特典」だそうだ。その福朗がある大きな木を指差した。
「さっきまで、あそこにスーツの男の人が立ってた。なんか、訳ありみたいだったけど、少し前に姉ちゃんのアパートの方向に歩いてったよ」
 これは予想外だ。余程の急用がある、金の持ってる客かもしれない。面倒な仕事でない限り、引き受けるのが吉か。ああ、でも事務所まで探ったんなら、面倒臭いんだろう。
 金か時間か。私の頭の中で天秤が不安定に傾いたりしている。
「ま、仕方ない。面倒臭いのが仕事、仕事……と」
 私は再びボロバイクに跨りエンジンを掛ける。
「そうだ、姉ちゃん! うちの隣の多恵(たえ)さんが赤ちゃん産まれたから、今度見に来てくれって言ってた!」
 苦笑しながら、人差し指と親指で輪っかを作った。

 
 そして再び、私は非常階段を重い足取りで上っていく。
 全く。私は一応、標準体重より軽いと言うのに、なんで簡素なダイエットみたく、最上階まで上らなければならないのだろう。そう愚痴りながら、私は先程の爆発で煤だらけになった部屋の前へと辿り着いた。
 と、後から階段を上る足音が聞こえ、振り向く。さっきのサラリーマンを彷彿とさせるようなキッチリとしたスーツを着ていたが、頭がとても涼しそうだ。これ以上は敢えて考えるのは控えよう。
「もう諦めようと帰るところだったんですよ。いや、良かった」
 そして、頭のスイッチを切り替える。
「すいません。こういう仕事の仕方なんで、私としても間に合って良かった」
 あくまで無感情に、そして皮肉を篭めて口元を吊り上げる。
「死街地三丁目夜音アパート五階……葉月駆逐請負事務所へ、ようこそ」

 この街で行われたのは、戦争と言う名目の実験だった。人の殺戮が目当てじゃない、ただの実験。生き残った私たちは、確かに実験に置いて特異な物となった。
 例えば、私はネコの様に身体が柔らかくなり、結構な高さから落ちても、体勢を立て直せるようになったし、今は夜目がきく。別段、不自由では無いので言いのだが、もちろん成功例ばかりじゃない。失敗作も、少なからずいると言う事だ。
 それは、犬と不完全にくっ付いてしまった異形な男だったり、理性を完全に失い、生きてる身内を襲って喰らう人間だったりする。つまり、害が在れば殺す。と、言うのが私の仕事なのだが。
 たまに、外部から純粋な殺人を頼まれる事がある。そっちの方が、収入多いから嬉しい。

 部屋は半年近く放っておいたせいか、クモの巣やホコリで一杯だった。ついでにコーヒーを取ろうと冷蔵庫をのぞいたら、冷凍庫のアイスがドロドロに溶け、野菜室のキャベツには元気に動き回る青虫がいたが、とりあえず見なかった事にしよう。
クーラーもつかなければ、扇風機もつかない。おまけにソファーに座っている男はスーツ姿で汗まみれ。まったく、なんて暑苦しい空間だろう。
「とりあえず、この紙に貴方の名前と住所を書いて。くれぐれも偽装はしないように」
 そう言って、ホコリの被ったメモ用紙とインクが少量しか残っていないペンを渡すと、その中年の男は手馴れた様子で自分の名前と住所を書きながら、愛想笑いをした。
「いや、それにしてもビックリですよ。まさか女の子、しかもこんなに幼いとは」
「外見で全てを決めるのは、止めた方が良いですね。そんなに信用がないのなら、お金は後払いで結構。終ったら、そちらにお伺いします」
 そう皮肉交じりの言葉を返し、私は書き終えているであろう紙を男の手から取り上げ、住所を確認してからゴミ箱へ放った。私は案外コントロールが良い。野球のボールを十回投げたら、六回は真ん中に当てる自信はある。まぁ、今回は目標から外れて壁に当ったのだが、人間なのだから、こういう事も稀にある。
 と、用も済んだ事だし、このオジサンには帰ってもらおうとしよう。
「あ、あの。まだ、写真をお渡ししていないのですが」
 ……断じで忘れていたわけじゃない。帰り際に貰った方が効率的に良いじゃないか。
「机に置いて帰って。私が他人を嫌うって事は、噂で聞いてるでしょ」
 少し声が上擦ったかもしれない。男は怪訝な顔をしながらも部屋の扉を開け、半身を外に出したままの状態で止まり、顔を私の方へと向け「くれぐれも、お気をつけて」等と言い捨てたまま、さっさと部屋を出て行った。ほら、やっぱり厄介な仕事じゃないか。明日、雨だったら止めておこう。勿論、雨雲が少ししかなくても、風が少し吹いていても。
 

 結果、神様はなんと非情な事だろう。私がキリシタンなら、キリストの銅像をハンマーで粉々にして、尚且つ活火山の中に放り込んでいることだろう。
つまり、私の頭の上には雲ひとつ無い憎い位に澄んだ青空と、微風すら吹いていない空間が広がっていたのだ。いや、もしかしたら、あと1時間ほどでスコールがあるかもしれない。
 それまで待っているのも「今日は高気圧に覆われ全国的に快晴」ラジオから忌々しい声が流れてくる。ああ、これから面倒臭い一日が始まるというのだから、せめて朝の紅茶とシャワーくらいは済まさせて欲しい。
 いや、前者はともかく、後者は無理があるかもしれない。昨日も風呂に入ろうとして、床に広がるカビの集団に顔をゆがめた記憶がある。仕事が終わったら、掃除と電気の代金は払っておこう。
 ……そうだ。電気が無ければ、風呂が沸かないじゃないか。私は鬱な状態のまま、半ズボンと実家からこっそり盗んできた父のTシャツに着替え、歯磨きと洗顔を終えた。流石に洗面所は昨日のうちに洗っておいたから時間を掛けずに済んだのだが。
 私にとっては、その仕事だけで今日一日が潰れてしまえ、という気持ちなんだけれでも。まぁ、愚痴っていても仕方ない、頭のスイッチを切り替えるとしよう。

 
 私は汗と雨の臭いが染み付いた服を着て、バイクに乗っている。昨日渡された、クシャクシャのメモ用紙と写真を持ちながら。私は記憶力が破壊的に皆無である。
今までしてきたバイトの同僚の顔すら、辞めて一日で完全に忘れ去ってしまったのだ。つまり、昨日あの男に言った事は大嘘。住所も名前も最初の一文字すら覚えていないのである。
 「格好つけたがり」前に一度、自分自身をそう評した事があるのだが、まったくもって大当たりだ。ちなみに昨日の男の名前は菊地洋介と言うらしい。群馬県に住んでおり、両親は他界していて妻とは3年前に離婚、原因は援助交際がバレて裁判沙汰になる。
 結局、再婚した女性との間にも子供に恵まれず、今は別居状態にある……なんて平凡な男であろう。これほど、楽な人生は他に無い。
 世の中に流されたまま生きて、二回も結婚しながらも誰からも怨まれていない訳だし、肩身の狭い思いをしている訳でもないのだろう。その上、今の奥さんと別居中なら、いくらでも大好きな浮気な出来るじゃないか。
 まったく、これほど嬉しい状況は無い。と、男は思うんだろうな。いや、私もそれには同意見ではあるけども、少なくとも羨ましいとは思わない。私は波乱万丈が好きで、尚且つ見物しながら紅茶とアップルパイを食べられれば、それで良い。
 物語の主人公になるなんて、まっぴらゴメンだ。片足どころか指一本入れたくも無い。理由は「面倒臭いから」そうやって、私はバイトを一日単位で辞めているし、人の顔や名前だって覚える事をしない。
 だがシロは別格、アイツは覚えたくなくても、嫌でも覚えてしまうような格好をしている。会った当時も38度の炎天下の中、彼は平気な顔で黒いロングコートを着込んでいたのだから。そういえばアイツと会ったのは3年前……いや、やめておこう。面倒臭い、って事もあるけれど。

「ああ、とうとう着いてしまった」
 あのダンボールハウスが立ち並ぶ公園とは違う、また一味違った広場。折れ曲がった鉄製の遊具、焼け焦げた人工芝、そして極めつけは一切水の出ていない噴水。
 それらは、ここが元公園である事を物語っていた。緑も青色も鮮やかな花の色も無い、あるのは無造作に切り取られた灰色と焦げ茶色だけで、まるで前世紀の「シロクロてれび」という物を彷彿とさせる。勿論、実物を見たことは無いんだけど。
 まあ、そのシロクロ世界にも住んでいる奴等は居る。あの倉谷も、此処出身だ。
 私はカビの生えたパンや、青虫のついたキャベツの入った袋を下に置き「おい。ドブネズミ共、エサを持ってきたぞ。ついでに、一仕事やってもらうからな」と、その言葉と同時に草陰から何人かの男が、ボロボロの服ともいえない布を着て出てきて、袋の中を漁り始めた。
「すまんなぁ。オレ達はアンタの手伝いくらいしか出来ないのに、飯まで与えてくれるなんて、ホントにすまん」
「バカを言わないで。仕事中に空腹で倒れられたら困る。だから与えてあげるだけ。感謝するなら、依頼主に感謝しなさい。そんなゴミみたいな飯なら、いくらでもどうぞ」
 そうだ。私が他人に親切なんてするはずもないし、しようと思った事は今までに一度もない。確かに恩を売っておけば、何かが返って来るかもしれない。だが、返ってこなければ骨折り損である。人間は他人に頼らずに生きていけるのだから、出来る事は自分だけでやるべきなのだ。
 ちなみに今回、私は面倒臭いと言う理由でコイツ等に手伝ってもらう。面倒臭いと言うのは、私にとってこれ以上に無い理由なのだ。
「はは。それでも感謝はさせてもらうさ。俺らホームレスにとってカビパンもステーキも似たようなもんだ。育ち盛りの子供には少ないくらいだがな」
「強請るんなら、骨と皮しか残ってない子供でも引っ張って来なさい。インスタントラーメンならくれてやるわ」
 いや、冗談のつもりだったんだけど。まぁ、今回の収入を300万と考えれば、手元に8割くらいは残るだろう。勿論、電気代と自分の食費を合わせての出費だから、8割残るのは確実だ。
「ほら。食事が終わったら、仕事開始。食べた分はしっかり働いてよ。それから経費削減の為、一人につき自動小銃一つずつ。弾は倉庫にあるから、十分の一までなら使ってよし。銃で身を守るにしろ、私を援護するにしろ、絶対にヘマはしないでよ。何しろ、私の武器は、六連発リボルバーとカギ束だけなんだから。それに、アンタ達が死んだら私に全責任が吹っかけられる」
 そう言って、私は公園の入り口に立てかけておいたバイクに跨った。
 

 ほら、神様ってのは随分と不平等だ。今頃になって、槍の様な雨と木を根こそぎ持っていきそうな風が吹き荒れている。こうなってはキリストの像を燃やすだけじゃ、飽き足らない。今は、近くにある教会や聖母子像をぶち壊したい気分だ。
 と、キリスト教徒に言ったら、きっと私は袋叩きにされるだろうし、もしかしたら教典で頭を撫でられ、哀れむかもしれない。
 だから、今は胸の中にそっと仕舞い込んでおこう。あとで、キリスト信者が居ない場所でこの怒りを思いっきり、ぶつければ良い。
 話が逸れた。つまり、私は荒れ狂う雨と風の中で仕事をしようとしている。こんなバカらしい話は無いが、もう此処まで来れば仕事をしなければいけないし、面倒臭いとか何とか言ってる暇も無い。
 あと一歩を踏み出せば、東京の千代田区。一瞬にして永遠の戦場の中心となった、いや今でも戦場であり、この世で一番と言っていいほど、不発弾と死体が埋まっている場所。
 全ての街が溶けていったのに対し、こちらは崩れていったのだ。爆風と炎の中で何人の人間が苦しんだだろう。
 ある意味、永遠の平穏を「負け取った」街では無いだろうか。
「いつ来ても静かな街だ。今度、インスタントラーメンとサブマシンガンを持って、ピクニックでもしにこようかな」
 そんな事をやっては、政府軍から良い標的にされるだろうな。罪名は武器不法所持と無断外出罪ってトコだ。と言っても、今のご時世は一般人でも自動小銃と手榴弾くらいは持ってる。流石の私でも、戦場の真っ只中に丸腰で放り込まれたら、両手を挙げて下着姿になってでも降伏して、必至に命乞いをする事だろう。
 つまり今は、そう言う時代なのだ。いつ、どこで、何をしているときに銃弾が飛んできて頬を掠めるかもしれないし、運が悪ければ頭を撃ち抜かれ、頭の中を地面にぶちまけたうえに清掃員に多大な迷惑を掛けることになる。
 運が良くて、一丁でも銃を持っていれば撃たれる前に、コッチから撃てば痛い思いをする事もないし、清掃員に迷惑も掛けなくて済む。
 なんで、戦争をしているのに律儀に憲法第9条とやらを守っているんだ? 武器を持っていなければ死ぬって場所で、丸腰のまま平和を主張している社民党や、この戦争を支持したまま沈黙している自民党と民主党の頭の中はどうなってる。
「と、政治家の批評を戦場でする少女って、結構絵になるんじゃないかな?」
 一人なのは分かっているけど、一人だから余計に独り言が言いたくなる。面倒臭い仕事の前は特に多くなるし、今回は格別だ。仕事の舞台が此処である事、それが既に面倒くさいってのを逸脱して、やりたくない。と言う感情を私に持たせている。
「ホントにココに逃げ込んでるの? これ、どう見ても女の子だし」
 昨日貰った写真には、美少女と言って良いほどの容姿を持ちながらも、お嬢様という感じではなく、カメラに向かって花でも咲いたような笑顔を向けている。こんな笑みを向けられては、日本中の男共は2秒と経たずに卒倒してしまうだろう。ついでに茶色に染められた髪(もしかしたら地毛かもしれない)も私のように傷んでおらず、艶があり、肩口辺りで切り揃えられ纏めてある。
「ま、こんな所を歩き回るのは変人か異常者か。或いは、よっぽどの世間知らずか」
 どっちにしろ、私の縄張りに無断で入り込んだのだから、腕の一本では済まさない。ああ、これ以上何もせずに棒立ちしていると、頭がおかしくなりそうだ。
「じゃ、援護は頼むわよ。ドブネズミさん達」
 余程の事がない限り、援護は要らないけれど。私は、自分でも聞こえないような音量で呟き、一丁の銃とカギ束を持ち元ビル街の方へと走り出した。


 ――雨が降っていた。
 ああ、何故こういう時まで神は私を妨害してくるのだろうか。簡単な状況説明をすると、富士の樹海、もしくは磁石が大量にばら撒かれたサハラ砂漠の真ん中に、ポツンと立たされた状態。
つまり、単刀直入に言うと……迷った。
 いや、完全にという訳ではなく、出口は分かってるし、私が立っている場所も完全に把握できている。それに、単に道に迷っている訳じゃなくて、脳内で迷っているのだ。
 飛び交う銃弾の中へリボルバー……たしかS&Wと言ったか。これだけで、突っ込んで行くかどうか。常人なら飛び込まずに、動かずジッとしているか、逃げ出す。異常者なら喜んで突っ込んで行き、身体を穴だらけにされてカラスに食べられる事だろう。
 生憎と私は前者であるし、この年で死のうとも思わない。まぁ、標的の少女が追いかけられてると言うなら、飛び込んでやらない事も無い。
 いやホントに嫌な予想というのは良く当るというものだ。もし過去に行けるのなら聖母マリアと一緒にキリストの頭に無反動砲を一発打ち込んでやる。
「こんなに仕事熱心な私に、幸運の女神が微笑まないのは何でかな」
 愚痴っている暇も惜しい。このまま殺されれば、私が漁夫の利を得られるが、もし連れて行かれたら私が2年間で作り上げてきた信用が無くなってしまう。それだけは困る、絶対に阻止しなければならない、お風呂と湯沸しポットの為に。
「どこの軍だか知らないけど、私の電気代と食費は渡さない!」
 その言葉は鳴り響いていた数多の銃声を切り裂き、それと同時に放たれた一つの銃弾は軍服を着て機関銃を構えていた兵士の頭に当たり、それだけだった。
 そんなの初めからわかってた事で、機関銃とリボルバーでは話にならないというのも百も承知である。今の状況を想定していなかった訳じゃないし、打開出来るとも思わない。
 それでも、これは多過ぎでは無いだろうか? たかが、少女一人に数十人の軍人を集めるのかアメリカ政府っていうのは。なにやら、英語で会話しているようだけど、私にはサッパリ分からない。自慢では無いけれど、私は英語と数学の成績は赤点しか取った事がない。こういう時はアレだ。
「ここは私の縄張りだ。五秒以内に武器を置いて、立ち去れ。もし、私の言葉が分からないのなら、大人しく制圧されろ」
 もう、5秒もいらないだろう。あと、10人くらいなら、8人くらい殺してしまえば、直ぐ怖気つくだろう。そのあと、残っている奴等の間を抜けて路地裏へ逃げ込む。うん、我ながら完璧なプランだ。さっき殺した、地面に倒れている人間の抜け殻を足で転がす。
「これが一人目」
 硝煙の残り香が漂う中、撃鉄が上げられる音と引き金を引く音が続けて耳に入る。そして、瓦礫に隠れていた男の胸に当り、その衝撃でアバラ骨が砕け、骨の破片と血と中身がアスファルトに流れた。
「はい、これ二人目ね」
 次は路地裏の入り口で呆然としている二人のうち一人。別にどちらでも良かったのだが、私が撃ったのは左の男の首。突然撃たれて、訳が分からなかったんだろうか、バカみたいな顔のまま、首から上だけが地面に転がった。
 流石に、三人目の犠牲者が出ると固まったままだった男達が慌てて機関銃を構え直す。此処からは楽じゃないし、面白く無いだろう。きっと、肩とかも撃たれて血が出て痛いんだろうな。ああ、それでも私は笑っている。コレが楽しくなくても、面白くなくても、私は笑っている。それが当たり前なのだから。
「やっと起きたのか? じゃあ、私は逃げるとしよう」
 アメリカは、よく此処まで良い兵士をかき集めたものだ。私を囲んで、一斉に引き金を引いてくれるなんて、私は銃撃が始まる直前に、壊れたビルの壁に沿って上へ駆け上がった。悲鳴と大量の血が当りに飛び散る。
 まだまだキリスト様も私を見捨てては居ないらしい。それでも、何人かの兵士は残るだろう。ビルの上とか、崩れ落ちた建物の中で待ち伏せしているのが居る筈だ。どうせ全員、民間兵だろうけれど、これだけじゃ足りない。
 もっと欲しい、もっと必要だ。だって私は壊れなければ、壊されるしかない。だから「もっと血の匂いが欲しい」私がどうなろうと構いはしない。壊れるだけ壊れてしまえば、気が楽だ。何人、人を殺してもすぐに日常に戻れるし、平静を装える。
 もうすぐ血で溢れたコンクリートに足が付く、そうすれば上からか斜めからか、銃弾が撃ちこまれるだろう。そうすれば、隠れている奴等の位置が完全に分かる。あと、少しで此処は血と雨の匂いで充満する。今はそれだけが楽しみでならない。
 足が地面に付き、少し遅れてから何発の銃弾が降って来る。一発が頬を掠め、皮を破り血が流れる。それでも、関係ない。撃たれたのなら、撃ち返すし、撃ち殺されそうになったら撃ち殺す。そう、自分の中で割り切っている。
「今度は性能の悪いライフルじゃなくて、ビル一つ吹っ飛ばせるランチャーを持って来い」
 再び壁伝いに上へと進む。今度は落ちずに上へ上へと。十メートルほど上った所で壁を蹴り、地上と水平になった身体のまま引き金を引く。ああ、青空だったら、どれだけ心地良かった事だろう。そして、また新しい血の匂いが漂い始める。あと一人撃っておきたいが、もう地面が近づいている。
 身体を反転させる。ソレと同時に背骨が軋み、微痛が走るが体勢は崩さない。そして、膝をクッションにして崩れたアスファルトの上に着地する。あと5人残っている。
 もう次で終わりにしよう。
「五人目」拳銃を右手から左手へ。
 ビルの上で逃げようとしていた兵士の後頭部に穴が開いた。
「六人目」そして、また戻し。
 その横で、男を制止しようとしていた兵士の側頭部に銃弾が当り、微かに頭蓋骨が砕ける音が聞こえた。
「七……」
 撃鉄は下りた。下りたが、音だけが虚しく元ビル街に響き渡った。ああ、格好をつけすぎて弾切れのことをすっかり忘れてしまっていた。これでは格好の標的になってしまう上に、何かに八つ当りも出来ない。まさしく、四面楚歌の八方ふさがりといったところか。
 幸いな事に、銃口を向けた男だけは腕を目の前にクロスさせ固まっている。うん、逃げるのが一番良い。そうだ、そうしよう。
「って、逃げたら撃ってくるのは当たり前か。やっぱり、マシンガンかカラシニコフを――っ!」
 動いた瞬間、問答無用で撃たれた。だが、足元に突き刺さっただけ幸運だと思おう。相手が洗練された兵士なら、威嚇ではなく、頭をぶち抜いていた。これに限っては神様、いやアメリカ様に感謝と言った所だろう。
「わかった、撃たないで欲しい。私は降参しよう」
 私は両手を挙げ、弾切れの銃とカギ束を下に捨てた。今の状況で、弾を篭め直そうとは思わない。銃弾が降って来る中で、ポケットの中から弾を取り出すのは、よっぽどの死にたがり屋か或いは、とち狂った新米兵士くらいだ。
 相手は私が思っていたよりも、すんなりと銃を引いてくれ、3人全員が私を囲うように出てきてくれた。
「ありがとう。日本話が分かる人たちで良かった。お礼ついでに言っておこう」
 私は、死にたがり屋でも狂ってるわけでもない。ついでに、とんでもなく面倒臭がりやだ。だが、面倒な事に私は負けず嫌いでもある。
「生き残りたいのなら、援軍と言うものを覚えておけ」
 銃声が四つ、うち三つは私の周りを囲んでいた三人の額や胸にあたり、新たな血の池を生み出す。そして最後の一発はというと、モノの見事に私の右頬を掠め地面に落ちた。
 あと1センチずれていたら、私の口の入り口がもう一つ増えていたことだろう。もしそうなっていたら、一生外に出られなくなっていた。まぁ、贅沢は言えないので何も言おうとは思わないけれど。胸のうちだけで、私を撃った奴を銃殺しておこう。それにしても
「少し遅くないか? もう少し早かったら私は恥をかかずに済んだし、肌も傷つく事はなかったんだが。ねぇ、倉谷さん」
 ついでに、疲れることも無かったろうに。
「すまんね。黒いコートを着た酒臭い男に道を尋ねられてたんだ」
「……シロか。アイツはまた首を突っ込む気だな」
「撃ち殺した方が良かったか?」
「いや、良いから放っておけ。状況が悪くなることは無い」
 私は欠伸が出そうなのを我慢しながら、裏路地に向かい歩き始める……何かおかしい。
 今まで横たわっていたはずの死体が、異様なほどに減っている。それどころか、血の池も無くなって、変わりに黒いシミだけが残っていた。そこに何事も無かったかのように雨が落ちてくる。
 どうやら、思ったより危ない状況のようだ。得体の知れない敵に、素手で立ち向かおうとは思わない。空になったS&Wに、散弾銃の弾を篭めていく。
「裏路地。しか、ないよね」
「まあ、普通はそうなんじゃね?」
 自称ホームレスの倉谷さんは、身長の八割程ある機関銃を片手で構えた。なんと言うか、いつ見ても無駄に力が強いと思う。
「銃刀法違反で逮捕されるぞ」
「見られてないから、ならないの」
「……おい」
 私の恨めしそうな声が、聞こえているのか聞こえていないのか、倉谷は機関銃の安全装置を外した。今までも何回か、この機関銃は見ているが種類が全く分からない。
 トンプソンでもなければ、H&Kでもない。どちらかと言うと、トンプソンに似ているだろうか。それにしても、異様にでかい。
「それ、目立つんじゃない。それに、狭いとこじゃ使えない」
「はは、俺のハンプティ・ダンプティは特別製でな。百メートル離れても、ゴキブリ駆除が出来るんだ」
 また、随分とナンセンスな名前だ。
「くれぐれも、ゴキブリと間違えて私を撃たないでくれよ」

 雨が降っている。
 路地裏に入り私たちの目に入った光景は、余りに凄惨で滑稽だった。こんな事、一体誰が予想できるだろう。私は目の前にいる標的の事も忘れ、目の前の光景に釘付けになっていた。その少女が、いやコレは少女と呼べるのだろうか。とにかく、その人間が人の死体を喰らっていた。傍らには、腕が一本もがれた死体が一つと、それも、微かな笑みを浮かべながら。
 気付けば、私もつられて笑っていた。
「食事中ごめん。すこし、話をしない?」
 普段なら、頭に撃ちこんで終わらせてしまえばいいのだが、こいつは別格だ。
「……そこ、危ないよ」
 返ってきたのは、少女の声ではなく、未成熟な男子の声。それに驚く暇もなく、まして銃を構える暇もなく、「彼」の接近を許してしまった。
 血を浴びて、ますます白さが際立った肌が私の目を覆い、そして抵抗するまでもなく、そのまま横倒しにされ、脇腹と鳩尾に殴られたような痛みが走る。
 起き上がろうにも、少年の力は強く、腕を上げる事すら出来ない。私の前にいた倉谷も、呆然と後ろを見て突っ立っている。
 そのバカに罵声を浴びせようとした直後、私の横を横殴りの銃弾の雨が通り過ぎた。
「オジサンは別ルートで逃げて! この子も後でちゃんと返すから」
 少年の声が引き金となり、三人と多数の命がけの鬼ごっこが始まった。
 いや、性格には倉谷の方へ行ったのは数人で、あとは全部私たちの方に向かってきているのだが。
「おい、何で私がアンタの行動しなきゃいけないんだ?」
「あはは。ゴメン、今考えたら僕と一緒にいるほうが危なかったかも」
 人懐っこそうな笑みを見せるが、初めて見たときの血塗れの印象が強すぎるうえに、顔に血が付いたまま笑われても、逆に恐い。
 溜息を一つ。今度は、きっと訓練された奴が居るんだろうな。そう思うと、頭が痛くなりそうだ。やっぱり、金に釣られるのは良くない。今度からは、安い仕事を選ぶかな。
 頬の横を一発の銃弾が掠める。
「えと。どうする?」
「とりあえず、逃げる。でもって、アンタ吊るす」
「いやいや、過ぎたことを引き摺るのは良くないって」
 それもそうだ。よし、気が変わった。
「お前を縛って向こうに渡す」
「やだなあ。こういう時は、何て言うの? 同じ穴のキツネ?」
 それを言うならムジナだ。
 言う前に、右斜め前の通りから五人。銃を構えて、飛び出してきた。
 本当なら、もう終わっているはずなんだ。あの時、コイツの頭を撃ち抜いていれば、今頃は缶コーヒーでも買って、実に良い気分で家路につけたはずだろう。
「……私としては凄く嫌だし、不快でむかつくんだけど。とりあえず、妥協してあげる。途中までは、自分の足で進んでよ」
「え、あ。はい」
 私は水溜りの手前、足に急ブレーキを掛け、その勢いで脇に立つ廃ビルの壁に足を掛ける。そして、辛うじてある様な溝に爪先を乗せ、上へと駆け上がる。途中にある窓枠の出っ張りや、水気を含んでいる歪な穴に足を預け、出来るだけ上へ上へ。
 七階付近まで辿り着いた時、とうとう膝が限界に達し悲鳴をあげる。だが、まだ休ませはしない。まだだ……あと十歩いや六歩だけ「登らせて」欲しい。
 そう言い聞かせ、登り続ける。三歩、四歩、五歩……もう充分だろう。そして、私は目を白黒させている少年の身体を窓ガラス越しに、中へ放り込んだ。顔に雨が当る。
 思えば彼も良くやったものだ。普通なら対応しきれない、この状況で私の命令を忠実に聞き、従ったのだから。うん、教育すれば良い使い捨ての助手にはなるかも知れない。
 だが、そんなことを考える暇もないまま、足と言う支えの無くなった私の身体は自由落下を続け、逃げ場所から遠のいてしまう。上から、砕けたガラスの破片が降り注いでくる。しまった、開いてるはすが無かったな。
 少し罪悪感を覚えながら、右手に持ち替えたS&Wの銃口を下向きに構える。そして、銃声が鳴り響き、壁に大きな溝が開いた。
 左手でそこを掴み、ようやく落下運動を止める。
 下の方から、小さくチェックメイトと言う声が聞こえた。ああ、確かにその通りだ。
「忘れてない? 此処は私にとっては、庭と同じようなものだし、何より優秀で忠実なペットが居る。ま、せいぜい」
 頑張りなよ。と、言う前に何発かの発砲音が聞こえ、あっという間に下にいた迷彩服の兵士共を肉塊へと変えていく。
 それを一瞥し、私は左腕の力だけで彼を放り込んだ窓際まで跳躍した。

 ガラスが散らばる部屋の中でぐったりと横たわる彼が居た。
「で、生きてる?」
「……辛うじて」
「なら、大丈夫ね。質問するから、短めに答えて」
 彼は額から流れている血を拭い、コクリと頷いた。
「なんで、あんなのに追いかけられているの」
「いや、ね。僕って結構、女顔でしょ? だから女装して、男の人を騙しながら金とか集めてたんだけどね。ちょっと相手を間違えちゃって、ね?」
 ちょっと間違えて、アメリカ軍に喧嘩を売ってしまうとは、つくづく運の無い奴だ。
 私なら、日本人のある程度、金を持っていそうな奴を騙して生計を立てるだろう。生憎、ハイリスク・ハイリターンは好きじゃないし、面倒事は嫌いだ。
 適当な金を奪って、適当な飯量を摂取できれば満足なのである。
「ん、バカね。じゃあ、次にアンタが人の死体を喰っていた事について」
 彼の方がびくりと震える。だが、すぐに愛想の良い笑みを取り戻した。
「大した事無いよ。ネコがネズミを食べるように、君達が牛や豚を食べているように、僕はアレを食べていただけだ」
 彼は平然と言い、綺麗に整った髪をクシャクシャと手で撫でる。言っている事が、まるで分からない。なんと言うのだろうか、人を目の前で殺されて「なんでもない」と言われているような……いや、なるほど私と同じ■■■か。
 私は両手を結び、鼻にそっと当てた。
「それから、君は勘違いしているようだけど。僕は、此処に昔から住んでる人間だし、君のような■■■でもない。でも、君と違う訳じゃない」
「なら、アンタは実験の成功例と言う訳ね。それとも、私の標的とは違う、見当違いの人間という事?」
 私と少年の話が、噛み合わさっていないのは分かる。だが、現に話しに支障が出ていない。呆れて溜息も出ないと言うより、感心して反論も出来ない。
 ああ、コレが雰囲気に飲まれると言う事か。と、私は自己完結し、ようやく溜め込んでいた息を吐き出した。外では、雨が屋根を打つ音が聞こえる。
「もういい。アンタと会話しても疲れるだけだ」
 私は気だるそうに、力の入らなくなった手をふらふらと振った。左手に握っているカギ束から一本、他とは別の感触のカギを抜いた。
「あ、もう一つ君が勘違いしてる事。僕らを襲ってきたのは、軍人じゃないよ。うん、言うなら君と同じ■■■」
 それは明らかな矛盾。
 彼が言い終わると同時に、部屋のドアが開き、間髪居れずに三度の銃撃が始まり、そして止んだ。いや、止んではいなかったものの、私たちには当らなかった。
 ただの一発も、辺りで破損している壁の残骸でさえ、私たちの横を掠めず通り過ぎる。
 その状況は把握できないものの、私は部屋の片隅にあるロッカーに向かい走る。絶対に銃弾を信じて、その結果として私は何発かの銃弾を背中に浴びる事となった。
今まで、当らなかった事が不思議だった――背骨まで届いた弾は何発だろうか、全て貫通しただろうか、お腹から血が流れている。これは流石に、死んだだろうか。本気でキリスト殴りたい――バカみたいな感情だけが溢れてくる。それでも、私はロッカーの前まで辿り着き、左手の中指に掛けていたカギを鍵穴に差し込んだ。
 板の裏で、音がする。いつの間にか、私の方に銃弾が飛んでこなくなっていた。
 代わりに、腰の辺りに柔らかい感触が。
「大丈夫? ダメだよ。僕から離れちゃ」
 そして、へにゃりと平和呆けしたような笑顔が、そこにあった。
「バカ! 抱きつくな。これ以上、私に穴を空ける気か」
「大丈夫。君と僕には絶対に「当らない」し、君の傷も「ありえない」から」
 彼の言葉は、当っていた。一発も銃弾を浴びなかったし、いつの間にか背中の激痛も消えていた。だが、頬の掠り傷は治っていない。
 私は、動揺を無理矢理に押し込めて、窓を蹴破り下を見た。そして舌打ち、私はロッカーの中から、在るだけの銃器を取り出し、床に置いた。
「大丈夫。君は「死なない」よ」
 そう言って、彼は私の手首を掴み、その腕の細さではありえない力で、私を巻き添えに窓から飛び降りる。
 不思議と恐怖は感じなかった。迫りくる地面、圧し掛かるような重力、それでも私は笑っている。確かに私は、その状況を楽しんでいた。
だが、それを邪魔するかのように、下では何人もの人間が銃を上に向けて、こちらを睨んでいる。それと同様に、ロッカーから抜き取った、旧式のサブマシンガンを下へ向ける。
「ありがとう。アンタに、感謝する。今日――は、とても、良い日、だ」
 雨が顔に当る感覚でさえ、下へ落ちていく恐怖さえ放り捨て、私は全ての弾を人の絨毯の上に撃ち込んだ。雨と血の混ざった臭いが、こちらまで漂ってくる。
 それすらも、心地良い。そして二つの身体は、肉のマットの上へ落ちた。
「改めて、よろしく。私は葉月己家(はづき みけ)どう呼んでも構わない、けど」
 私は手を掴んでいる彼の手を振り解き、睨んだ。
「私は、他の奴の臭いが付くのが嫌いなんだ」
 だが、そう言ったのにも関わらず、空に投げ出された手は、再び私の手を掴んだ。
 今度は、手首ではなく手の平を包むようにして。
「夜野住人(よるや すみと)」
 彼はそう言って、私の正面に立ち微笑んだ。そして、再び手が空に舞った。
「話がしたい。どこか安全な所に行こう、ヨル」
 彼――ヨルが不思議そうな顔をしている。
「私、記憶力悪いから。それで良いでしょ」
 横から、クスリと笑う声が聞こえる。そして、また手を握られた。
 ……不思議と嫌な気分は無かった。

 まだ、灰色の雨は止まない。



第二話『笑う男』


 最初に感じたのは圧迫感。二番目には喪失感。三番目は既視感。
 ……私は灰色の壁に囲まれていた。雨混じりの寒風が吹き抜け、人間の温もりさえも、まるで無い。痛く冷たいものが頬に当るたびに、私は肩を振るわせた。
 そして、目の前に背を向けて立っている少年……ヨル。私が殺すはずだった人間だったのだが、何故かこうして一緒に逃げる羽目になっている。私は片隅にあったゴミバケツの上に腰を据え、足を組んだ。
「さて、邪魔が入らなくなったし、今度は最後まで聞かせてもらうわ」
 そして銃口を向ける。だが、彼は動じることもなく、何処から取り出したのか、リンゴをひとつだけ、私に投げた。上半分が赤味掛かった、半熟で甘酸っぱそうなリンゴ。
「赤く染まったのは半分だけ、まだ熟れてないよ。みんな真っ赤になるのは……まだ先」
 そう言って、ヨルは笑った。私は、手に握っていたリンゴを一口齧り、そして聞いた。
 ずっと後からの爆発音、それもかなり規模が大きい。倉谷ならやりかねないが、手榴弾や爆弾の類は疎かった筈である。そしてヨルは俯き、笑う。
「ほら、少しずつ赤く染まっていくよ」
「……話を、してくれるかしら」
 そして、彼の短い話が始まった。
「僕は此処で生まれて、此処で育ったんだ」
 良い、それは知っている。
「あんまり、友達は出来なくてね? いつも、一人で遊んでいたんだ」
 そんな事は、どうでも良い。私が聞きたいのは、もっと後の話だ。
「母さんや父さんも、僕の事を構う暇も無かったし、僕も求めようとしなかったよ。僕は必然の様に一人で居るようになった。そして、一人で部屋に篭り始めてから、二ヵ月くらい経った頃にカーテンの向こう側が光ったんだ。そして、部屋ごと引っくり返され、僕はそこで記憶が無くなった」
 ……おかしい。アレの後は、原形を留めているものは残っていなかった筈だ。家も人もゴミでさえ。残っているのは、人だったかもしれないモノしか無かった。
 もし、本当に被害に会ったのなら、こいつが生きているのは、間違っている。だが、目の前の彼は、それでも笑っていた。
「僕は、君とは違う生まれ方をしたんだ。君は成功作で、僕は失敗作だった」
「……言ってる事が、分からない」
「それで良いんだよ。僕もそうだったんだから、君もそれで良い」
 私は呆然と空を見上げる。顔や睫毛に雫が当り、その雫が頬を伝った。
「君に会えて、良かったと思ってる。でも、僕は死にたくない」
 ヨルはそう言って、コンクリの上にぺたりと座り込み、私と同じように空を仰いだ。
「死ぬのって、痛いからね。僕、殴られるのと人参だけは嫌いなんだ」
 そう言い終えた後に唐突の銃声、そして十数人の兵士が通路に雪崩れ込み、一秒と立たない内に灰色の路地裏が、迷彩色で彩られた。それでも、まだヨルの顔は曇らない。
 まったく、ご苦労なことだ。さっき撃ったので、予算が少しオーバーしたというのに、これで撃ちあいになったら、確実に赤字になる。それでも、生きるためには金を捨てる覚悟……か。ん、生きたいってのには、同意できるかな。
「ヨル。貯金は幾ら?」
「一日一食なら、十年は暮らせるかもね」
「次からは、もう少し分かり易い答えを期待するわ」
 二人共、空を見ての会話。そして、溜息が重なるようにして出た直後、横に向けられていた砂時計は、再び元の位置に戻された。
 少し心許ないが、さっき持ち逃げしたデザートイーグルを構える。たかが九発の銃弾で、此処を斬り抜けれる筈は無い。その上、反動も大きい。まあ、手に触れたのがコレだったのだから仕方ない。破壊力に問題は無いし、初めて扱う訳でもない。
 大きく息を吐き、右手に持ったイーグルの銃口を下に向け、背中に背負っていたサックに左手を入れた。今度は、私たちの先手。サックの破裂と同時に、幾つかのピンク色の花弁が出来上がった。それを目の当たりにして、呆然としている男達にも一発ずつ。
 一瞬にして、十人もの仏が出来上がった。だが、それに怯みもせずに、私に銃口を向ける男達が数人居る。その他にも、ヨルに銃口を向ける男たちが三人……。
「で、壁の向こうで盗み聞きしているのは誰?」
 そう言って、背中を向けている壁を叩き、左手に持っているバントラインの引き金を引く。
「そろそろ出てこないと、見せ場無いわよ」
 私の左手の指が、バントラインのトリガーを引く。それと同時に、壁の後から無数の12ミリ弾が横嬲りの雨の様に、壁の破片と共に兵士達に降り注いだ。
 それは、完全な勝利宣言だった。それは完璧な殺戮だった。
 壁にぽっかりと開いた穴から、頭をかきながら、倉谷が機関銃を片手に現れた。
「こりゃ、すまんね。逢引しるもんだと思ってたんでな」
 私は言い終わる前に、倉谷の足元に銃弾を一発撃ち込んだ。
「次は腹の中にリンゴを目一杯、詰め込んであげるわ」
「肝に銘じておく。と、それで嬢ちゃんはどうするんだ? 捨てちまうか、殺しちまうか」
 そう言って、倉谷はヨルの顔を舐めるように見回した。
「あ。僕、男ですよ? えーと、倉谷さん」
「……こりゃ、すまない。お前はショタ趣味だったか」
 今度は、倉谷の口にイーグルの銃口を突っ込んだ。弾切れではあるが、喉に思い切り入れたら、かなり痛い思いができるだろう。
 倉谷はフルフルと震え、冷汗を垂らしながら、両手を挙げた。
「で、逃げ道の確保くらいは出来てるの?」
 倉谷は両手を上げたまま、ペコペコと頭を上下した。
「あ、まだだよ」
 ヨルが気の抜けた声を発し、指を向けた先には頭を飛ばされた一人の男が、何事も無かったかのように立ち上がっている姿。
まるで、B級クラスのゾンビ映画でも見ているようだ。私は向こうが、立ち止まっている間に、イーグルの予備のマガジンを取り出し、セットした。
 今まで、呆けっとしていたヨルも着ていたコートの裾から、ナイフを取り出す。
 形状から見て、ロードウォーリアというやつだろうか。確か、随分前に輸入禁止になった珍しい代物である。何にせよ、武器だけでは強さは測れない。
 イーグルで牽制しつつ、ヨルの出方を見守る。と、私の横では、倉谷が目の端に涙を浮かべながら固まっていた。そういえば、ホラーは嫌いだったっけ。
「さっきの威勢はどうしたの。ほら、よく見たら愛嬌あるわよ?」
 そう言って、四つ這いなっている、生きた死体を指すが、その時を待っていたかのように、首の赤い切り口が、ぐしゅりと言う音と共に盛り上がり、生々しい音を立てながら、拳程の肉塊が地面に落ち、痙攣していた。
 もちろん、それを見た倉谷は仰向けに倒れてしまい、動かなくなる。まったく、頼りにならない男だ。
 それとは逆に、ヨルは笑みを消し、ナイフを片手に死体が折り重なる所へと駆け、そのグロテスクな死体の胸へ得物を突き刺し、壁に貼り付ける。
 首の無い死体は、何処からともなく、金切り声を上げ暴れ、辺りに血を撒き散らし、動かなくなった。ヨルの首に持ってこようとしていた両手が、だらりと垂れる。
 全身に血を浴びたヨルは、無表情のままナイフに付いた血だけを振り払い、本来の死体の形へと戻った物に手を合わせてから、こちらへ寄って来た。
「ん、とりあえずオッケー」
 と、親指と人差し指で輪っかを作りながら笑っているが、顔に血が付いたままなので、笑っていても不気味なだけである。私はとりあえず、血を塗りつけたヨルの顔をタオルで拭き、元の白く綺麗な肌に戻した。
「服はクリーニングにでも、出しておけば良いでしょ」
「ん、どういたしまして……」
 ヨルはタオルを受け取り、まだ血の残っている首元の部分を拭き始めようとした時、後ろの方から、体中の関節が軋む音と、卵を泡立てるような音が聞こえた。
 そして、四肢の動かない身体を引き摺るような音……。それが、ゆっくりと近づいてくる。何かの間違いであって欲しい、と思いながらイーグルの撃鉄を引く。
 喉の奥が乾き、口からは空笑いが零れる。
「やばいね。これ、普通の変異体じゃないよ」
 そんな事は分かっている。
 私は、震える手を押さえつけ、狙いの定まらなかった、イーグルの銃口を真後ろに向けた……そこに居るモノに、昔の面影は無い。吹き飛んだ首はもちろんの事、捻れて元の大きさより小さくなった腕や太腿。そして、銃弾で風通しが良くなった胴体には、蓮の花の様に無数の穴が開き、その中で鉛が不規則に動いている。
 胃の奥から、色々な物を吐き出してしまいそうな衝動を押さえつけながら、生まれて初めて見る生き物と対峙した。人を殺したことも、理性を失った動物も殺した事はある。
 だが、住む場所が違う生き物と向き合った事は一度も無い。溢れてくる恐怖心を必死で押さえつけ、トリガーを引こうとして……「撃たないで」……ヨルの声が制止を命じた。
 そして、次の指示が「逃げろ」だった。一瞬、反応が遅れてしまった私の太腿に、銃弾で貫かれたような痛みが襲う。いや、それは確かに銃弾だった。
 ただし、鉄の筒から排出される鉛ではなく、肉の塊から吐き出される凶器。傷口は金柑程の大きさに広がり、血が噴出している。おそらく立つ事は出来ても、歩く事は出来ない。
 それでも、腕は動かせる。イーグルの銃口を化け物の胸に向ける。しかし、その体が破裂する事も、私の頭が胡桃のように砕ける事も無かった。
 その代わりに、化け物の肩から突起した、平べったい鉄が突き出ている。向こう側に見えるのは、足元まである白い毛皮のコートに身を包んだ旧友の姿だった。
「シロ……いえ、クロの方かしら?」
「へえ。覚えてくれてたんだ、嬉しいよ」
 私の後ろで、ヨルがナイフを構えようとするのを制止し、一歩前に出る。それを見て、クロが言葉を紡ぎ始める。
「シロが首を突っ込みすぎてね。規約に反するけど、こちら側に出させてもらった。それはそうと、お礼くらいは言ってくれ」
「随分、楽に破れる規約ね。それから貴方に、御辞儀する気は無いわ」
 そう言って、クロを睨みつけ、なるべく距離をとる。それを見ているのか、いないのか、彼はあの気色悪い生き物に近づき、動かなくなった肉塊に手を突っ込んだ。
 ぐしゅり、という音と共に蛾の幼虫のような物が傷口から幾つも溢れ出す。これを倉谷が見たら、どう思うだろうか。髪が白くなったり、また気絶するかもしれない。
 クロは虫の行列の中から、一匹の幼虫を抜き取り、手の中に収めた。
「あの影響は、人間だけとは限らない。これは蓑虫だが、ここら辺には居ない筈だ。誰かが意図的に放したかしたんだろうな」
 なるほど、本来の木や葉っぱの蓑を捨てて、人間の蓑か。こんなのを放した奴の気が知れない。余程、狂っているのか、それとも馬鹿なのか。
「……ああ、夜野くんも居たのか」
 今までの感情の篭らない声から一転、底冷えのするような言葉が吐き出され、ヨルの体がびくりと震える。それを見て、クロの口元が吊り上り、そして元に戻った。
「忘れ草と迷い猫。二つが会う事は必然だったが、少し早すぎたな。まあ、支障が出ない程度に暴れてくれ。もう、用は済んだからな。主人格の方に身体を返す」
 そう言って、まるで支えの無くなった、棒の様に地面に身体を投げ出した。
 そして、また二人だけの静かな空間が出来上がる。雨は弱まり、灰色系統の色が混じり、綺麗なグラデーションを見せていた雲が、風に流され散っていく。
 その切れ間から、薄く西日が差し込み、顔を照らす。今まで、命がけで戦っていた事がうそだったかのように、ゆったりとした時間。その時を裂いたのは、やはりヨルだった。
「何も聞かないの?」
 そして、また沈黙。私は、雨の水分で重たくなった髪を振って、水気を飛ばした。
「……此処から、大通りに出てデパート後の方へ歩いて行けば、すぐ出口だから」
「この二人を担いで行くには遠いわ。そっちのコート男は、私持ってくから」
 そう言って、私はシロを背中に担ぐ。小柄とは言え、やはり重く路地裏を出るのが精一杯だろうか。その上、足に開いた穴から、まだ血が噴出して力が思うように入らない。
それを見て呆然としていたヨルも、渋々と倉谷の腕を肩に掛け、引き摺りながら歩き始めた。それを追う様に、私は歩く速度を速める。
 出口までの五分間、ヨルと私の間に会話が飛び交う事は無かった。

 やはり、千代田区と新宿区の堺は全く違う。私は出口に着き、改めてそう思わされた。
 千代田区には壊れた丸内ビルや、半分溶けたマンション。果てには、お腹の一部が溶けているにも関わらず、街の中を徘徊する犬や猫。生き地獄と言った所だろうか。
 対して、新宿区には最近になって建てられたビルや、小さいながらもファミレスやスーパーなども復興している。そして、溶けてしまった建物の残骸も無く、戦争が行われたという面影を残す場所といえば、公園と私の住んでいるアパートくらいだろう。
 隣り合わせている地区である筈なのに、まるで違う在り様。天国と地獄とは、この事だろうか。どちらが、天国かは私には決められないが。
「それじゃ、僕は帰るね」
 地面に倉谷を落とし、ヨルは再び「生き地獄」へと歩き出す。
「怪我してる女の子、放ってくつもり?」
 私はヨルの肩を強引に引っ張り、止める。
「さっきまで、人を背負って歩いてたのに?」
「傷口が開いたのよ。もう、一人でも歩く気になんないわ」
 そう言った直後、膝に力が入らなくなり、私の身体は情けなく地面に崩れた。
 それを見たヨルは、溜息を吐き私の横に座り、口を開く。
「君は、見えてるんだろ」
 ただ一言、彼は俯いたまま、そう言った。その言葉を聞いただけで、息が詰まりそうになる。なにが「見えてる」のか、私は薄々感づいていた。
 ずっと、疑問になっている事がある。私が見ている化け物は、人気のある場所に現われない。何故だろうか。新宿の住人たちは、絶対に外へ出ることは無い。
 いや、外を忘れてしまったのでは無いだろうか。今まで、誰一人として新宿以外の話をする人を見かけたことは無かった。耳にするのは、戦争があった後の苦労話と身内話。
 ずっと感じていた、疎外感。
「君には、見えているはずだよ」
 ヨルは同じような言葉を繰り返す。
「僕達が此処に居る事で、他の人たちは存在を許されている。僕ら以外の人間は、戦争の直後の記憶が消えていて、それでも他のモノと溶け合うことで、存在を維持している」
 私は横目で、倒れている倉谷を見る。こいつは戦争直後の記憶があり、何種類かの動物の潜在記憶が溶けているらしい。逆に、シロは他人の意識が溶けていて、戦争直後の記憶は無い。そして、私は猫の身体能力が移植されただけで、記憶の異常は無い。
 目の前にいる、普通の少年と何が違うのか。存在の維持とは何か。今まで、気にしていなかった事が、疑問と疑念の海となっていた。
「僕達は、選ばれた人間。なんて、格好良いものじゃない。敢えて言うならつなぎの役割」
 そう言って、ヨルは一度話を切る。
「僕が分けてもらったものは、無差別で規則的な記憶干渉。接触した時に、都市間での記憶抹消が起こった。今までの記憶を消し、ミッシングリンクを作り、そして書き換え。同時に僕の記憶は無くなり、知識だけが残った」
「記憶から、知識への転換……ね」
 どうも信じ難いけれど、納得せざるをえない。辻褄も合っているし、嘘をついているとも思えない。私は溜息をつきながら、穴の空いている太腿に手を当てる……おかしい。傷口が塞がっている。アレだけ、大きな傷口を塞ぐ事は最先端医療を使っても不可能だろう。
 だが、痛みはしっかりと残っており、確かに傷口があった事を示している。もし、これが彼の持っているモノなら、私とは全く別次元の力なのでは無いだろうか。
 ヨルの顔を見る。やはり、無感情のまま千代田区の壊れたビルを見ている。
「もう怪我、治ったよね。それじゃ、僕は帰るよ」
「……帰る場所、あるの?」
 ヨルは足を止め、私の方へ顔を向ける。私の問いに答えることなく、沈黙する。
 無いのなら、好都合である。私は、ズボンのポケットに入れていたイーグルを取り出し、銃口をヨルの胸へと向け、自嘲の笑みを浮かべる。
 何故、こんな事をしているのだろうか。自分にも分からないが、いつの間にか右手がグリップに触れていた。ただそれだけで、私は銃口を向けヨルを止めている。
 その、銃を向けられている本人は、無感情のまま私を見ている。
「明日、あの気持ち悪い虫を放り込んだ奴に、一泡吹かせる。もし、同席したいなら、此処に来なさい。とても、面白い舞台が見れるわよ」
 そう言って、私は近くにあるファミレスの簡素な地図を書いた厚紙を地面に放った。
「人間、生きて楽しめれば勝ちなのよ。死んじゃったり、悩んでる奴は負け組。アンタも本気で笑ってみたら? スカッとするわよ」
 そう言って、私は痛みの残る足と倒れてる二人を引き摺りながら、千代田区と新宿区の境界を跨いだ。後は向かない、自然と笑みがこぼれる。と、下から聞きなれた声が聞こえた。
「随分、機嫌が宜しいようだな。お姫さん?」
 倉谷はニタニタと笑いながら、立ち上がり後ろを向いた。
「当たり前でしょ。彼のこと、結構気に入っちゃってね。きっと、あの子なら明日の舞台の見学に来てくれるわ」
「……そりゃ、随分と御執心だな。愛と殺意は紙一重って言うけどな」
 倉谷の苦言さえも聞こえない。今、聞こえているのは、後で狂ったように笑っている、ヨルの笑い声だけだ。私は、倉谷にシロの身体を渡し、数年前のジャズを口ずさみながら家路に着いた。
 明日から、退屈せずに済みそうだ。そして、まだ明るさの目立たない街灯まで歩く。夕暮れになり、見えにくくなった向こう岸まで。ここに居るのは、誰だったろうか。
 
向こうに居るのは誰だったろうか。



2006/01/09(Mon)18:16:56 公開 / 神坂鬼一
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■作者からのメッセージ
手始めに、読者の思ったこと三択

 この作品打ち切ってないんだ
 え、グロ系に転換したの?
○あれ、この人って生きてたんだ

遊び終わり(苦笑
さて、随分遅くなってしま居ましたが、皆さん明けましてメリークリスマス。
ええ、随分短くなりましたとも。削りに削って結果がこれです。
別にグロくしたいわけじゃない。グロくなったんだ。
はい言い訳終わり。

ではレス返し
天木さん>今回は転換しちゃって、グロいですが大丈夫でしょうか(笑)これから、ミケをもっと好感もてるキャラにしていこうと思います。あ、エロは無いですよ。あくまで非エロです。
 あ、伽藍の使い方間違ってますね。なんて恥ずかしい。
 こそこそ、直しておきます。いつも、読んでくださって、本当にありがとうございます。

京雅さん>凄い間違ってるんだなぁ、と画面見ながら硬直w
 今回、独特な言い回しは減らしましたが、どうでしょう? ■■■はもしかしたら、最終回まで明かされないかもしれません。つまり、あと30話くらい……長いなぁ。此処まで、引っ張っといて放り投げたら受けますかね?(苦笑)それまでは、頭の中で補完をどうぞw 今回も不明な部分多すぎだと自分でも思います。
 とりあえず、指摘部分は直したつもりです。いつも読んでくださり、本当に感謝しております。

PS.自分は、あとがきにレス返し書いてるんですが、やっぱり感想欄に書いたほうが良いんですかね? 自分はこっちの方が、スッキリして書きやすいんですが……
 ……誰も見そうに無い、煽り文に一時間掛けた人は私くらいだと自負しています。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。