『青き水菓子』 ... ジャンル:リアル・現代 恋愛小説
作者:芦刈                

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 紫煙が天井の色を歪めている。
 あたしは昇っていくそれを右目に、モトキの肘にあるでっぱりや皺、そこから腕へ伸びている血管の筋を左目に映しながらぼんやりと愛おしんでいた。モトキといると、あたしは全てが愛しく思えてくる。モトキに触られた箇所の温かさや、くっついている事での温かさ、そこから伝わる心臓の脈動が愛しい。溢れかえった愛の感情で吐きそうになる程、胸が一杯になる。あたしはその感覚も好きだった。
 ついと眼球を動かしてモトキの顔を見ると、モトキは事もなく煙草をふかしていた。セヴンスターの先はぢりぢりと焼け、煙となってモトキの鼻の穴や口から上がっていく。
 あたしなど気にも留めていないような、無関心な横顔を見ていたら突然の欲望が膨れ上がってきた。膨れ上がってきた欲望が頭の中で文章になったところで、あたしはふっと自嘲する。そんな事を言ったらモトキはひくだろう。
 しかしあたしは唇を動かしてしまったりするのだ。



「あたし、あなたを食べちゃいたくなる」



 ふっ。
 煙が止められるように吐かれてから、ぢりぢり焼けるセヴンスターは灰皿に押し付けられ、そこであたしはモトキの興味が向いた事を知る。
 モトキはあたしを見てから、嗤うでもない目をつくった。それからひどく真面目な顔でこう言う。『だからお前はこんなに噛みつくのか』。モトキの身体には、肩口からはじまりあらゆる所にあたしの噛み痕がつくられていた。そういうつもりじゃなかったんだけどと考えながら、それでもそうなのかもしれないとあたしは思う。知らない内に、欲望があたしにそうさせていたのかもしれない。
 噛みついたモトキの肌は固く、塩辛かった。

「そういうのじゃなくて、あたしは……あっ、ねぇ煙草やめてよ」
「なんで」
「いいから」

 あたしはモトキの手から新しく出された煙草を、煙草の箱ごと取り上げる。モトキは不満そうだったが、しょうがない事だろう。モトキは煙草を始めるとそれに集中してしまうのだ。あたしの話など聞いてくれはしない。
 煙草を取り上げられたモトキは、それなら早く話せとばかり、あたしを見据えていた。そこであたしは戸惑ってしまう。ああ、やっぱり唇を動かさなければ、あんな事を言い出さなければ善かった等と。
 唇を動かす努力をしてみたが、巧く動かせそうにはなかった。気まずくなり沈黙の中、視線をモトキから外す。と、モトキは焦れたのか、唇を窄めるとあたしの手の中から煙草を奪い取ってしまった。モトキは煙草に火をつけ、またふかしはじめる。
 ああ善くない事をしたとあたしは少し後悔するが、しかし言ってしまった時より後悔は薄いだろうと考え、少し胸を休める。
 モトキはもう、あたしなど気にも留めていないような無関心な横顔だった。その目は紫煙へ、その唇はセヴンスターのフィルターへ、その鼻は煙草の煙と関知していて、寄せられた眉や少し強ばった頬、長い睫毛はセヴンスターのために稼動されている。そこには嫉妬という、溢れる欲望があった。あたしは叫びたくて堪らなくなる。

 『ねえモトキ、』

 ―――叫びたい欲望を振り切ってモトキを眺める。煙草を持つ骨張った指やそこにある皮膚、刻まれた皺の格好の一つ一つ、産毛や爪の鋭さを。
 振り切ることは容易ではなかったけれど、溢れた愛が頭に綴らせた文章は余りに滑稽な話だったから、振り切るしかなかった。だが、その横顔や指の格好、筋肉や骨、皮膚の下にへばり付いている血管の線に、あたしは強い欲望をまた覚える。
 『ねえモトキ、そんなもの見ていないで、そんなものに口付けていないで。あたしだけを見ていて、あたしだけに口付けていて。あたしだけのものになって頂戴、あなたの時間の一秒も、他のものの為に割いたりしないで頂戴。もしも明日あたしが死んだらどうするの、あなたが死んだらどうするの、きっと残された人はこの時間を死ぬほど後悔するでしょう、あたしはそんなのぜったい厭よ』――――嫉妬を伴った欲情の言葉など、当然言えるわけがない。
 だからあたしは代わりにこう言う。『好きよ』。

「好き、大好きよ。好き、好き、大好き。モトキ、好きよ。本当に、食べちゃいたくなるくらい好きなの」

 モトキは、俺も好きだよと、さして感情のこもっていない声で返してくるけれど、ああ解っていない。あたしは軽々しく言ったわけではないというのに。
 ねぇ、もっと真摯な言葉で返してきてよ。
 あたしは愛で溢れている胸の中でそう呟き、煙草に集中している彼の横、あたしはあたしになったモトキを考える。想像は容易で、浮かばせれば恍惚の実感に陶酔を覚えた。それはとても気持ちがよく素敵な事かもしれない。
 ああでも、とあたしは眼球を動かす。モトキの姿をじっと見る。数秒して、『何』とモトキが言う。そこであたしは、あたしはあなたを食べてしまえないと思うのだ。

 だってあたしは、あなたの声やその腕や、貴方の器官があって動かされる深い胎動が好き、快活な笑顔が好き。食べてあなたがあたしになってしまったら、その全てが目に見えなくなってしまう。『あたしはそんなのぜったい厭よ』。あたしは煙草をふかすモトキに寄りかかる。モトキが片方の手をあたしに回した。あたしはうっとりして目を閉じる。
 モトキに触られた箇所の温かさや、くっついている事での温かさ、そこから伝わる心臓の脈動が愛しい。
 もう片方の手も、その胸や太股の裏側、頬やお腹まであたしとくっついていればいい、あたしのものになったらいいのに。
 膨れ上がってくる嫉妬を伴った欲情の言葉に、あたしはふっと自嘲する。
 ああ、愛おしい。



「あたし、あなたを食べちゃいたくなる」



 そこであなたが真摯な言葉を返してくれたなら、あたしはあなたに食べられちゃってもいいのに。
 セヴンスターの煙が、モトキの口から止められるように吐かれた。



2005/12/05(Mon)21:56:42 公開 / 芦刈
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