『36度』 ... ジャンル:恋愛小説 ショート*2
作者:月明 光                

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 とある夏の日。
 僕は、家に帰ってすぐ、エアコンをつけた。
 エアコンが吐き出す冷たい風が、じわじわと部屋を冷ましていく。
「まったく……あいつってば、
人が見てるのに平気で抱き付いてきやがって……ちょっとは恥ずかしがれっての」
 愚痴の様な、言い訳の様な、惚気話の様な独り言を呟いて、僕は冷風に身体を晒した。
 あいつと一日を共にすると、必ずこうだ。
 あいつと一日を共にするようになってから、ずっとこうだ。
 それでも、この暑さ……いや、熱さは嫌いじゃない。
 この熱の持ち主が、世界で一番大切な人だから。
「……今月は、電気代高そうだな……」


 とある残暑が厳しい日。
 僕は、家に帰ってすぐ、溜め息を吐きながらエアコンをつけた。
 部屋を漂うジメジメした空気を、エアコンが飲み込んでいく。
「……女心って、難しいな……」
 自嘲気味に呟いて、僕はベッドに身を預けた。
「『思い切って髪切ったのに!』って言われても……あれだけじゃ気付かないよな、普通……」
 愚痴の様な、言い訳の様な、自己防衛の様な独り言を呟いて、僕はベッドに沈んでいく。
 ――あの時、素直に謝っていれば良かった……。
 ついムキになってしまって、言い争いになって、そのまま帰ってきてしまった。
 あの時の、あいつの泣きそうな顔を思い出し、僕は溜め息を吐く。
 そのままの姿勢で、数分を過ごした後、
「……許してくれるかな……?」
 僕は電話を手にした。


「……と言う訳で、これが僕の彼女だ」
 とある季節の変わり目。
 ベッドに横たわったまま、僕はエアコンを話し相手にする。
 季節の変化に身体が付いていかず、体調を崩した為だ。
 ベッドの傍では、僕の看病に疲れた彼女が、上半身をベッドに預けて眠っている。
 デートを断るメールをしてから、すぐに駆け付けてくれて、
一日中僕の世話をしていたのだ。疲れて当然だろう。
 お陰で、僕はずいぶん楽になった。
 僕は、彼女を起こさないようにベッドを抜け出し、
予備の毛布を彼女に掛け、再びベッドに戻った。
「多分、『起きるなって言ったでしょ!』って怒られるだろうな……」
 誰にでもなく呟き、念の為、弱めに暖房もつける。
 効くかどうかは判らないけど、空気清浄もやってみる。
 一通り彼女の面倒を済ませると、僕は一息吐いた。
 彼女は、相変わらずすやすやと眠っている。
「まったく、病人の傍で寝やがって……移ったらどうするんだよ……」
 聞こえていないからこそ言える事を、そっと呟く。
 そして、僕は彼女の髪を優しく撫で、
「その時は……僕が一日中面倒見てやるからな……」
 聞かれるには余りに恥ずかしい台詞を言った。
 部屋には、僕と、彼女と、エアコンの稼働音だけ。
 それだけでも、今の僕には十分だった。
「うわっ!? お、起きてたなら言えよ! ……どの辺から起きてた?」


 とある冬の日。
 僕は、家に帰ってすぐにエアコンをつけた。
 エアコンが吐き出す暖かい風が、凍て付いた部屋を溶かしていく。
「……ちょっと前までは、あいつが温めてくれたんだけどな……」
 自嘲気味に呟きながら、僕は厚着を脱ぎ捨てた。
 思い出したくなくても、ふとした拍子に思い出してしまう。
 あいつから『終わり』を告げられた瞬間を。
 黙って受け入れるしか無かった僕を。
 その度に、僕は激しい虚無感に襲われる。
 今の僕は、只生きているだけだ。
 ……いや、生きている様に見えるだけで、同じ毎日を同じ様に淡々とこなしているだけだ。
 似ているけれど、『生かされる』のは、決して『生きている』とは言わない。
 冷たくなった僕の手を、『温めてあげるね』と言って、
更に冷たい両手で包んでくれたあいつの温かさは、今は別の手の為にある。
 判っている筈なのに。
 解っている筈なのに。
 あいつを失って、尚更電気代は高くなった。


 とある夕暮れ。
 ふと僕は思い立って、エアコンをつける。
 設定温度は、あいつの体温。
 部屋が、たちまちあいつと同じ温かさに満たされた。
「こ……こんなに暑かったのか……」
 ようやく、僕は当たり前の事に気付く。
 全身から汗が噴き出し、全身が鉛の様に重くなり、意識が霞んだ。
 これ以上は不味い、と本能が訴え、僕は設定温度を元に戻した。
 それでも、僕の心の中で、何かが満たされた気がする。
 空いていた穴が埋まる様な、止まっていた何かが動いた様な、そんな感覚だった。
 けどそれは、一時的な物でしかないと、何となく判った。


 とある夜。
 僕は、朝の七時に、あいつの体温でタイマー設定をした。
 愚かな行為である事は、判っている。
 未練がましい事も、判っている。
 何もかも、判っている。
 でも、それでも、僕はあいつの事を忘れる事が出来なかった。
 あいつの居ない日々を、正常に過ごす事が出来なくなった。
 始めから有った訳じゃないのに、喪失感が消えなかった。
 だから、僕は、あいつに会いたい。
 もう一度、あいつの体温を感じたい。
 あいつと二人で迎えた朝を、もう暫く忘れないでいたい。
 仮初でも良いから。形が無くても良いから。心が無くても良いから。
 僕の中に残っているあいつに、もう少し寄り掛かっていたい。


 電気代が元に戻るのは、果たしていつになるだろうか。

2005/12/03(Sat)20:15:53 公開 / 月明 光
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■作者からのメッセージ
ショートショートの長さなのかは調べてませんが(ぁ

『暑さも寒さも彼岸まで』の傍らで書いた短編です。
「人の体温って、気温だとかなり暑いな……」と思ったのが切っ掛けで書きました。
コメディ以外の小説、久しぶりに書きましたね……。

もうすぐテスト(ですが、クリスマス間近)なので(寧ろ執筆の方を)頑張ります。

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